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北条高時
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2023/02/12

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  • 女の道は一本道。天璋院篤姫は何をした人?〜大奥のこと、和宮との関係、 猫のサト姫も!

    薩摩を旅したときに天璋院篤姫さまにもお会いしてきた。篤姫さまといえば、宮﨑あおいさんの大河ドラマが印象的で、最近では北川景子さん、上白石萌音さんも素敵じゃったな。 天璋院像(鹿児島市 鶴丸城内) 島津分家の今泉島津家から将軍家御台所に輿入れ 篤姫輿入れは将軍継嗣とは無関係だった? 篤姫の癒し、猫のサト姫 嫁姑問、天璋院と和宮は不仲だった? 大奥の終焉と晩年の天璋院 島津分家の今泉島津家から将軍家御台所に輿入れ 今泉島津家本邸跡(篤姫生誕地) 篤姫さまの実家の今泉島津家は、鎌倉時代の4代当主島津忠宗の次男忠氏が和泉(出水)を領有したことにはじまる。室町期には一度断絶したものの、江戸時代に薩摩藩4…

  • 西南戦争・城山の戦いの地を西郷隆盛を偲んで歩いてきた

    太守の鹿児島訪問記の最後はやはり「西郷どん」リスペクトで城山じゃ。鹿児島の市街地の中心部に位置する標高107mの城山は、錦江湾や桜島が望めるスポット。西南戦争最後の激戦が行われ、西郷隆盛が自刃した場所として有名じゃな。 城山展望所から眺める桜島 西郷らもここからこの景色を眺めたことじゃろう。なお、西南戦争の原因や経過、西郷の真意などについては、かなり以前にこちらに書いたので、よろしければ読んでみてほしいぞ。 hojo-shikken.com 薩軍、九州各地で敗れる 「晋どん、もうよか」…西郷隆盛、城山で自刃 「私学校」とは何であったのか 西郷の真意、大久保の涙 西郷隆盛激戦の跡、城山を歩く 薩…

  • 泣こよかひっ飛べ!薩摩の士風と郷中教育~なぜ、下加冶屋町からこんなに偉人が出たのか

    鹿児島を漫遊したとき、歴史ロード「維新ふるさとの道」をぶらぶらした。この甲突川沿いの下加冶屋町は、西郷隆盛、大久保利通、東郷平八郎ら幕末明治の偉人を多数輩出している地域じゃ。川岸約440mには、そのことを顕彰し、歴史を学べる解説板が設置してある。 大久保利通像 なお、暗君なしとよばれた島津の殿様の歴史はこちらに書いたので、よければ読んでほしい。 hojo-shikken.com 幕末明治の偉人を輩出した下加治屋町 郷中教育と日新公「いろは歌」 薩摩武士の規範となった新納忠元の「二才咄格式定目」 泣こかい、飛ぼかい、泣こよかひっ飛べ 幕末明治の偉人を輩出した下加治屋町 それにしても、この狭い地域…

  • 「島津に暗君なし」は本当か?仙巌園を歩きながら島津と薩摩について考えてみた

    太守の鹿児島訪問記、名勝「仙巌園」(せんがんえん)に行ってきたので、今回は薩摩の島津氏についてじゃよ。 島津家別邸 名勝「仙巌園」 島津氏の出自~鎌倉から南北朝、戦国まで 島津氏の発祥。初代・島津忠久は源頼朝の落胤? 南北朝の内乱。島津貞久、三州の太守としての矜持 戦国大名島津氏、中興の祖・日新斎と島津四兄弟 島津に暗君なし~歴代薩摩藩主について 18代・島津家久(忠恒) 19代・島津光久 20代・島津綱貴 21代・島津吉貴 21代・島津綱豊 22代・島津宗信 23代・島津重年 24代・島津重豪 25代・島津斉宣 26代・島津斉興 27代・島津斉彬 28代・島津忠義(茂久) 「島津に暗君なし」…

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