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2023/02/12

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  • 鳥羽伏見の戦い…なぜ旧幕府軍は薩長軍に敗れたのか

    慶応4年(1868)1月3日、鳥羽伏見の戦いが勃発した。ということで、今年はじめての更新は、鳥羽伏見の戦いについて書こうと思う。 鳥羽伏見の戦い 鳥羽伏見の戦いとは 圧倒的に優勢だったはずの幕府軍 そもそも徳川慶喜は戦うつもりはなかった 慶喜は会津、桑名を抑えられず 薩摩藩邸焼き討ち事件 敗因は戦略戦術の不在と現場指揮官の能力不足 鳥羽伏見の戦いとは まずは鳥羽伏見の戦いのあらましをざっくり。慶応4年(1868)1月3日、大阪から入京をしようとした旧幕府軍と新政府軍(というか薩長両藩)が鳥羽と伏見で衝突、戦端が開かれた。 両軍の兵力は、新政府軍5,000人に対して旧幕府軍は15,000人。兵力…

  • 戦国武将、幕末英傑など、辰年生まれの歴史人物・有名人を調べてみた

    令和6年、2024年は干支の組み合わせでいうと「甲辰(きのえたつ)」。ということで、辰年生まれの歴史人物、有名人を調べてみたぞ。

  • 「どうする家康」最終回と総集編を見たので感想をまとめてみた

    今年の大河ドラマ「どうする家康」。「松本潤の演技が軽すぎる」とか「史実とかけ離れている」「若者ウケを狙いすぎ」「CGがしょぼい」だの散々いわれ、視聴率も伸び悩んだようじゃが、わしは1年間、楽しめたけどな。総集編もしっかりみたので、とりあえずわしの感想をまとめておくぞ。 徳川家康(松本潤)

  • 三浦党・津久井氏のこと〜義行から高重までプチ解説

    三浦半島一帯を治めた三浦党・津久井氏。横須賀の東光寺には津久井次郎義行公の碑と一族の五輪塔がある。 東光寺(神奈川県横須賀市)

  • 北条時行は、なぜ後醍醐天皇の南朝に帰参したのか〜ただ尊氏直義等が為に其恨を散ん事を存ず

    「逃げ上手の若君」がアニメ化され、わが息子の北条時行への注目がますます高まっておるようなので、時行についてあらためて書いてみたいと思う。鎌倉幕府が滅亡した折、諏訪盛高に守られて信州へと逃れた亀寿丸こと北条時行。その5年後、中先代の乱決起し、一時は鎌倉の奪還に成功する。じゃが、あっさりと足利尊氏に鎮圧され、再び敗走する。

  • 建長の政変〜足利泰氏はなぜ自由出家で処罰されたのか

    北条得宗家による専制政治が始まるのは北条時頼公の時代である。宝治合戦で三浦が滅び、建長の政変で摂家将軍を廃して親王将軍を擁立したことで、将軍権力が弱まり執権北条氏、特に得宗家への権力集中が進んだのじゃ。今回は「建長の政変」についてまとめておくぞ。 建長寺所蔵の北条時頼像(Wikipedia) 将軍派・執権派の対立と宮騒動 まずは「建長の政変」に至るまでの経緯をざっくりと。北条泰時公の死後、執権の職は経時公、時頼公へと継承されていくのじゃが、この間の北条氏の地位は盤石ではなかった。摂家将軍との主導権争いが続き、将軍は名越流北条氏や三浦氏、千葉氏らを味方に引き込んで、将軍権力を執権から取り戻そうと…

  • 北政所(高台院)と関ヶ原の合戦〜おねさまは本当は石田三成を支持していた?

    今回は北政所(おね、高台院)について少々。ドラマや小説などでは、北政所と淀殿との間には確執があり、そこに石田三成ら文治派と加藤清正、福島正則ら武断派の対立がからんで豊臣家臣団が分裂。そこを徳川家康につけこまれて関ヶ原の合戦に至ったというような話が通説的に描かれている。 ただ、石田三成の末裔という白川亨氏は、北政所は加藤清正や福島正則ではなくむしろ石田三成と西軍を支持していたという説を提起されておられるぞ。

  • 竹田城、雲海に浮かぶ天空の城の歴史〜いつ、誰がつくったのか。なぜ廃城になったのか

    先日、「天空の城」「日本のマチュピチュ」として名高い竹田城に行ってきた。縄張りが虎が臥せているように見えることから別名は「虎臥城」。わしも早朝登山で雲海を目指したんじゃが、霧と雲海が出過ぎて眼下に眺めるというより、その真っ只中に入ってしまい、思っていた景色とは随分違っていたけどな。 竹田城(兵庫県朝来市和田山町)

  • 北条宗時のこと〜義時の兄は源頼朝旗揚げのキーマンだった!

    「鎌倉殿の13人」で注目された、義時公の兄・北条宗時殿は、はたしてどんな人物だったのじゃろうか。源頼朝の旗揚げにキーマンとして尽力し、非業の死を遂げた宗時殿について、まとめておくぞ。

  • 妖刀「鬼丸国綱」〜歴代天下人も畏怖した北条の重宝

    数ある日本の名刀の中でも特別な存在とされる「天下五剣」。「童子切安綱」「三日月宗近」「大典太光世」「数珠丸恒次」とともに、その一振に数えられるのが、わが北条家相伝の「鬼丸」(鬼丸国綱)じゃ。今回は、歴代天下人も畏怖したという妖刀「鬼丸」について紹介するぞ。 鬼丸国綱

  • 斯波家長のこと〜「逃げ若」にも登場する足利の若き奥州総大将

    今回は斯波家長について。松井優征さんの「逃げ上手の若君」にも登場してくる足利一門におけるエリート中のエリートについてじゃよ。 斯波孫二郎家長(松井優征「逃げ上手の若君」)

  • 相馬中村藩のこと〜戊辰戦争を生き抜いてきた「相馬魂」

    今回はかつて訪れた旅の備忘録も兼ねて相馬中村藩について。相馬中村藩は6万石、藩主は相馬氏で家格は柳間詰め外様大名、後に帝鑑間詰め譜代大名に列せられている。戊辰戦争では初め奥羽越列藩同盟に加盟して新政府軍と戦うも追い詰められて降伏。その後は仙台藩と新政府との橋渡し役をつとめたんじゃよ。 陸奥中村藩相馬氏の家紋「相馬繋ぎ馬」

  • 相馬氏のこと〜陸奥守・北畠顕家に徹底抗戦した平将門の末裔

    今回は奥州相馬氏についてじゃよ。南北朝時代には足利方として陸奥守・北畠顕家に徹底抗戦し、戦国時代を生き残り幕末維新を迎えた相馬氏は、なんでもそのルーツを平将門としているらしいぞ。

  • 平景隆のこと〜文永の役で蒙古と戦い、討死した壱岐の守護代

    平景隆は壱岐国の守護代。少弐氏の家人であり、文永の役では壱岐に来襲した蒙古軍と戦い、壮烈な戦士を遂げている。今日はその戦いについて、書き留めておくぞ。いわゆるレイクイエムというやつじゃ。 文永の役 新城古戦場跡碑(長崎県壱岐市勝本町)

  • 北条泰家のこと〜「逃げ若」にも登場する高時の弟、時行のおじさん

    わし高時の弟・北条泰家についてじゃ。足利尊氏には直義、楠木正成には正季、新田義貞には脇屋義助というできる弟がいたように、わしにも泰家というキレ者の弟がいたんじゃよ。「逃げ上手の若君」では、何かと顔に出やすい、おでこに文字が出ている変なキャラになっておるけどな。 北条泰家(「逃げ上手の若君」)

  • 河井継之助の名言を集めてみた

    夏の長岡探訪備忘録のラスト。河井継之助の名言をいくつか集めて、わしもこれからの日々の仕事や人生の指針にしたいと思う。 河井継之助

  • 長岡城奪還!八丁沖の戦い〜河井継之助の檄文「精一杯出してやりませう」には心が震える

    今回も夏の長岡探訪備忘録の続きじゃ。北越戊辰戦争の激戦地、八丁沖古戦場パークに行ってきたので、その戦いと河井継之助の「口上書」(檄文)についてあれこれ書いてみたい。 八丁沖古戦場の碑(新潟県長岡市)

  • 北越戦争の激戦地・榎峠古戦場、朝日山古戦場に行ってきたぞ

    長岡探訪備忘録の続き。北越戊辰戦争の激戦地、摂田屋、榎峠古戦場、朝日山古戦場、森立峠など、ぶらぶらしてきたので、その旅日記じゃよ。 榎峠古戦場パーク

  • 宮騒動とは? その顛末を「吾妻鏡」から拾って解説してみた

    「宮騒動」について、「吾妻鏡」に記録が残っていたので、今回はそれを備忘録として書いておきたい。

  • 文観房弘真〜後醍醐天皇を影で支えた妖僧

    今日は、後醍醐天皇の護持僧・文観房弘真のことじゃ。房号は文観、法諱は律僧としては殊音、密教僧としては弘真。後醍醐天皇の中宮・禧子の安産祈願にかこつけて関東調伏を行ったということで、鬼界ケ島へ遠流になった妖僧じゃ。文観は後世、あまり良いイメージを世間からもたれてないようじゃが、最近はその評価も見直されているらしいぞ。 沙門文観正平二年(ウォルターズ美術館蔵)

  • 小千谷の東忠で河井継之助が好物だった桜飯を食べてきた

    今回、せっかく小千谷に行ったので、東忠さんでランチをしてきたぞ。小千谷の東忠さんは江戸時代からの老舗。河井継之助は慈眼寺の小千谷談判のあと、ここで遅めの昼食をとったことでも知られる。当時の座敷も保存されていて、見学させてもらったぞ。 居食亭 東忠(新潟県小千谷市)

  • 小千谷談判はなぜ決裂したのか?河井継之助の真意は?

    先日、久しぶりに所用で長岡に行ってきたが、映画「峠 最後のサムライ」も観たことじゃし、小千谷に立ち寄り、河井継之助と岩村精一郎の小千谷談判が行われた慈眼寺にも行ってきた。今回は、小千谷談判がなぜ決裂したのか、河井継之助の真意はどこにあったのかを、旅の備忘録がわりに書き留めておくぞ。 船岡山慈眼寺(新潟県小千谷市)

  • 北条高時腹切りやぐらに参拝される方へ。心霊スポットではないから肝試しはやめましょう

    鎌倉にある「北条高時腹切やぐら」。わしら北条一族終焉の地として知られておるスポットじゃ。じゃが、心霊スポットとして知られているらしく、夏になると肝試しにやってくる不逞の輩がいると聞く。 はっきりいっておくが、ここは心霊スポットではないぞ。「霊処浄域につき参拝以外の立入禁止」という立て札が目に入らんのか! 北条高時腹切りやぐら(鎌倉市) 心霊スポットではなく霊処浄域です あらためて「北条高時腹切りやぐら」とは 腹切りやぐら参拝へのアクセス 心霊スポットではなく霊処浄域です ネット上には「北条高時腹切りやぐら」にまつわる心霊現象の目撃情報がたくさんある。 写真を撮るとオーブが写る お供えした水が減…

  • 阿蘇流北条氏4代、時定・貞宗・随時・治時〜北条時宗の肖像画が別人だった件も解説

    こちら、お馴染みの北条時宗公の肖像画。じゃが近年、実はこれ、時宗公ではなく阿蘇流北条氏の北条貞宗であるとの疑義が生じている。そこで今回は、阿蘇流北条氏とはどんな家か、北条(阿蘇)貞宗とは誰かを解説してみたい。 満願寺所蔵の伝「北条時宗像」。ただし近年、「北条定宗」ではないかという説が出てきている

  • 北条高時をめぐる女たち〜逃げ若・時行ほか家族についても紹介するぞ

    松井優征さんの『逃げ上手の若君』のおかげで北条時行への注目が爆上がり。それによりわし高時の認知度もぐんと上がっておる。ほんとうに嬉しい限りじゃ。そこで、あらためて北条高時の女性関係、時行らの家族について紹介しておく。アニメを視聴する際の参考にしてもらえたら幸いじゃ。 北条高時(大河ドラマ「太平記」)

  • 日本の建国神話をわかりやすく解説〜天地開闢から国生み、神生みまで

    知っているようで知らない日本の「国生み」伝説。神話の話ではあるけれど、日本人なら教養として知っておきたいところじゃ。そこで、よい機会なのでちょっと整理、紹介してみるぞ。 小林永濯『天之瓊矛を以て滄海を探るの図』(Wikiより)

  • 対馬・金田城跡のこと〜息をのむ景色が広がる天空の古城に行ってきたぞ

    壱岐・対馬の旅の備忘録として、今回は金田城跡について。NHKの番組で「最強の城」に選ばれ、「ブラタモリ」にも登場した金田城。それでもまだ、全国的な知名度は?じゃが、その圧倒的なスケールと絶景には息をのんだぞ。 金田城跡東南角石塁から黒瀬湾を臨む防人ビュー

  • 対馬の歴史をざっくり解説〜国生み神話から白村江、元寇、倭寇、朝鮮通信使、日本海海戦まで

    壱岐対馬に行って来たので、前回の壱岐に続いて今回は対馬の歴史と旅の備忘録をまとめてみた。対馬といえば、コミックス『アンゴルモア 元寇合戦記』やゲーム「GOAST OF TSUSHIMA」で注目のスポットじゃな。 対馬やまねこ空港

  • 壱岐の歴史をざっくり解説〜国生み神話から防人、元寇、壱岐焼酎まで

    壱岐に行きましたーと、ダジャレなどかましてみたが…過日、所用で壱岐・対馬に行ってきたので、その歴史について調べてみた。壱岐・対馬といえば「国生み伝説」の島で、「壱岐守」「対馬守」なんて官職もあるわけじゃが、今ではどちらも長崎県に属しておる。今回はまずは壱岐の歴史について旅の備忘録も兼ねてまとめておくぞ。 九州郵船ヴィーナス2(壱岐 芦辺)

  • 大庭景親と景義〜平氏か、源氏か。運命を分けた兄弟のこと

    今日はぷらっと大庭に出かけたので大庭景親と景義について書いてみたいと思う。大庭景親は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では國村隼さんが実に味のある演技をしておったな。 國村隼演じる大庭景親(大河ドラマ「鎌倉殿の13人」)

  • 長崎円喜・高資父子〜鎌倉幕府を動かした御内人筆頭の内管領

    今回は長崎円喜・高資父子について。大河ドラマ「太平記」では、フランキー堺さんが円喜を、西岡徳馬さんが高資を演じ、片岡鶴太郎さんの高時の3人トリオは、なかなかの好演ぶりじゃったな。 大河ドラマ「太平記」より

  • 吉川英治『私本太平記』の鎌倉炎上、北条高時最期の場面を読み返してみたが…世の中、謡のようには参らん

    今日5月22日は、北条一門が自刃し、鎌倉幕府が滅亡した日。ということで、パラパラと吉川英治さんの『私本太平記』を読み返してみた。同書の北条高時の名台詞などをご紹介するので、味わってほしい。 北条高時腹切櫓(神奈川県鎌倉市) 生来、蒲柳の質だったわし。若くして得宗の家督を継ぎ、執権職につくものの、政治の実権は内管領(得宗被官のボス)の長崎父子に握られたままじゃった。じゃが、古典「太平記」にあるような、酒浸りで闘犬田楽にうつつを抜かし、政治を顧みなかったという描写は、流石に誇張のしすぎである。 「ばかな。この高時のどこが病者か。病人は天下の奴輩だ。上は主上公卿の堂上から下種にいたるまで、天下惣気狂…

  • 赤橋守時、鎌倉幕府最後の執権〜一日一夜に65度も吶喊、洲崎に散る

    鎌倉市は深沢地域。ちょうど湘南モノレールの湘南深沢駅近くに洲崎古戦場跡碑がある。このあたりから町屋、山﨑あたりは鎌倉末、赤橋守時が自刃した洲崎合戦があったところじゃ。赤橋守時といえば、大河ドラマ「太平記」で勝野洋さんが好演していたのを記憶している者も多いじゃろう。 NHK大河ドラマ「太平記」で勝野洋さんが演じた赤橋守時 赤橋守時の出自 赤橋流北条氏の始祖は第6代執権をつとめた北条長時。屋敷が鶴岡八幡宮の「赤橋」(現在の太鼓橋)の近くにあったので「赤橋」姓を名乗った。北条の中では得宗家につく2番目の家格の名流じゃ。 赤橋守時は永仁3年(1295年)、北条久時の子として生まれた。徳治2年(1307…

  • 鎌倉幕府は「どこ」にあったのか?〜大蔵御所、宇都宮辻子御所、若宮大路御所

    鎌倉幕府はどこにあったのか。御所(政庁)の位置と雑文を書いてみたぞ。 大蔵幕府跡

  • 花山院闘乱事件(長徳の変)〜些細な女性問題から藤原道長と藤原伊周・隆家の権力闘争へ

    長徳2年(996)1月16日、藤原伊周、隆家兄弟が花山法皇に矢を射かける花山院闘乱事件が起きた。これにより伊周と隆家は失脚したんじゃが、今回はこの事件について詳しくみていこうと思うぞ。 花山天皇

  • 藤原隆家、天下のさがな者〜刀伊の入寇を撃退した武闘派貴族

    今回は天下のさがなもの・藤原隆家についてじゃ。あの藤原道長も一目置いた中関白家の荒くれ者で、刀伊の入寇を撃退したことでも有名じゃな。 藤原隆家

  • 三浦道寸・義意 VS.北条早雲 油壺新井城の戦い〜討つものも討たるる者もかはらけよ

    GWに油壺に行ってきたので、今回は三浦義同・義意父子について書いておく。三浦党といえば、義村、義澄、大介義明が有名じゃが、こちらは戦国時代の三浦氏じゃよ。 三浦義意(左)、三浦義同(右) 戦国時代へとの続いた三浦氏 ご存知の通り、鎌倉幕府で一時北条と権勢を二分した三浦氏の嫡流は宝治合戦で滅亡した。じゃが、傍流の佐原氏は宝治合戦で北条に味方し、三浦盛時が三浦氏を継承、再興することになった。以降の三浦氏は御内人となって北条を支えていく。 鎌倉幕府滅亡の折には足利尊氏に味方し、建武新政下では相模、武蔵で地頭職を安堵されたようじゃ。その後、時行が「中先代の乱」を起こすと、父の三浦時継は北条方に、息子の…

  • 三浦大介義明と衣笠城合戦〜鶴は千年、亀は万年、三浦大介百六つ!

    鶴は千年、亀は万年、三浦大介百六つ!。今回は三浦義明と衣笠城合戦についてじゃよ。 三浦大介義明坐像(満昌寺蔵)

  • 源頼朝上陸地〜石橋山に敗れた頼朝はなぜ房州で再起できたのか

    浦賀水道を渡り、安房へ行って来たんじゃが、源頼朝公が上陸した地の石碑があったので、今回は石橋山の戦い後、安房に逃れた頼朝公がどう行動したのかを紹介してみたいと思うぞ。 源頼朝上陸地

  • 女の道は一本道。天璋院篤姫は何をした人?〜大奥のこと、和宮との関係、 猫のサト姫も!

    薩摩を旅したときに天璋院篤姫さまにもお会いしてきた。篤姫さまといえば、宮﨑あおいさんの大河ドラマが印象的で、最近では北川景子さん、上白石萌音さんも素敵じゃったな。 天璋院像(鹿児島市 鶴丸城内) 島津分家の今泉島津家から将軍家御台所に輿入れ 篤姫輿入れは将軍継嗣とは無関係だった? 篤姫の癒し、猫のサト姫 嫁姑問、天璋院と和宮は不仲だった? 大奥の終焉と晩年の天璋院 島津分家の今泉島津家から将軍家御台所に輿入れ 今泉島津家本邸跡(篤姫生誕地) 篤姫さまの実家の今泉島津家は、鎌倉時代の4代当主島津忠宗の次男忠氏が和泉(出水)を領有したことにはじまる。室町期には一度断絶したものの、江戸時代に薩摩藩4…

  • 西南戦争・城山の戦いの地を西郷隆盛を偲んで歩いてきた

    太守の鹿児島訪問記の最後はやはり「西郷どん」リスペクトで城山じゃ。鹿児島の市街地の中心部に位置する標高107mの城山は、錦江湾や桜島が望めるスポット。西南戦争最後の激戦が行われ、西郷隆盛が自刃した場所として有名じゃな。 城山展望所から眺める桜島 西郷らもここからこの景色を眺めたことじゃろう。なお、西南戦争の原因や経過、西郷の真意などについては、かなり以前にこちらに書いたので、よろしければ読んでみてほしいぞ。 hojo-shikken.com 薩軍、九州各地で敗れる 「晋どん、もうよか」…西郷隆盛、城山で自刃 「私学校」とは何であったのか 西郷の真意、大久保の涙 西郷隆盛激戦の跡、城山を歩く 薩…

  • 泣こよかひっ飛べ!薩摩の士風と郷中教育~なぜ、下加冶屋町からこんなに偉人が出たのか

    鹿児島を漫遊したとき、歴史ロード「維新ふるさとの道」をぶらぶらした。この甲突川沿いの下加冶屋町は、西郷隆盛、大久保利通、東郷平八郎ら幕末明治の偉人を多数輩出している地域じゃ。川岸約440mには、そのことを顕彰し、歴史を学べる解説板が設置してある。 大久保利通像 なお、暗君なしとよばれた島津の殿様の歴史はこちらに書いたので、よければ読んでほしい。 hojo-shikken.com 幕末明治の偉人を輩出した下加治屋町 郷中教育と日新公「いろは歌」 薩摩武士の規範となった新納忠元の「二才咄格式定目」 泣こかい、飛ぼかい、泣こよかひっ飛べ 幕末明治の偉人を輩出した下加治屋町 それにしても、この狭い地域…

  • 「島津に暗君なし」は本当か?仙巌園を歩きながら島津と薩摩について考えてみた

    太守の鹿児島訪問記、名勝「仙巌園」(せんがんえん)に行ってきたので、今回は薩摩の島津氏についてじゃよ。 島津家別邸 名勝「仙巌園」 島津氏の出自~鎌倉から南北朝、戦国まで 島津氏の発祥。初代・島津忠久は源頼朝の落胤? 南北朝の内乱。島津貞久、三州の太守としての矜持 戦国大名島津氏、中興の祖・日新斎と島津四兄弟 島津に暗君なし~歴代薩摩藩主について 18代・島津家久(忠恒) 19代・島津光久 20代・島津綱貴 21代・島津吉貴 21代・島津綱豊 22代・島津宗信 23代・島津重年 24代・島津重豪 25代・島津斉宣 26代・島津斉興 27代・島津斉彬 28代・島津忠義(茂久) 「島津に暗君なし」…

  • 宇喜多秀家公潜居地跡~薩摩は牛根郷へ逃げた豊臣の貴公子を偲んで

    太守の鹿児島訪問記。今回は垂水市牛根麓にある宇喜多秀家公潜居地跡についてじゃ。以前、八丈島に行ったとき、宇喜多秀家の墓参りをしたのじゃが、じつはそのときから機会あれば牛根にも訪れてみたいと思っていたんじゃよ。 八丈島に秀家の墓を訪ねたときの記事はこちらにあるので読んでもらえたらうれしいぞ。 関ケ原に敗れ、薩摩に逃れる 牛根郷、平野屋敷での逃亡生活 うたた寝の夢は牛根の里にさえ… 関ケ原に敗れ、薩摩に逃れる 備前宰相こと宇喜多秀家は宇喜多直家からの子で豊臣五大老のひとり。子どもがいなかった豊臣秀吉の寵愛を受け、前田利家の娘で秀吉の養女となっていた豪姫を妻に迎えていた。そんなこともあって秀家は豊臣…

  • 戦艦大和、第2艦隊の御霊に捧ぐ~枕崎の平和記念展望台に行ってきた

    先日、所用があって鹿児島を訪問したので、枕崎まで足を延ばして坊ノ岬沖海戦で海に沈んだ戦艦大和乗組員ら英霊たちを慰霊する平和祈念展望台に立ち寄ってきた。映画「男たちの大和/YAMATO」公開時にはずいぶん注目のスポットだったようじゃが、今は落ち着いていて、わしが行った時も人はほとんどいなかったぞ。 平和祈念展望台(殉難鎮魂之碑) 昭和20年4月7日、戦艦大和を旗艦とする第2艦隊は坊ノ岬沖を沖縄へ向かっていた。米軍が沖縄に迫る中、発令されたのは「天一号作戦」。大和ら第2艦隊は沖縄に突入し、艦を座礁させて浮き砲台として砲撃を行い、砲弾が尽きれば乗組員は陸戦隊として突撃せよ、というものであった。 ただ…

  • 三浦義村の最期~三浦半島は金田湾岸、南向院跡にある墓前で合掌

    きょうはぷらっと三浦半島の金田湾へ。金田湾は久里浜の南、県道215号沿いに広がりのんびりした海岸で、朝市も行われてる。ただ、今日の目的はお魚ではない。三浦義村の墓前に手を合わせてきたぞ。 つねに北条義時に与した三浦義村 三浦義村の急死。死因は脳卒中か 三浦義村の墓所(南向院跡)にて 三浦義村の墓へのアクセスは、専用の駐車場はないものの、わしは朝市の駐車場に止めさせてもらった。公共交通機関なら、京浜急行の三浦海岸駅からバスで10分ほどの「岩浦」バス停で下車するとよい。「三浦義村の墓」の文字が壁面にうっすら書いてあるので、そこの階段を上がっていく。近くに民家もあるので、静かに上がっていくんじゃぞ。…

  • 嘉暦・元徳の騒動~北条高時、長崎円喜粛正を企てるもあえなく失敗した件

    北条高時といえば、内管領・長崎円喜や外戚・安達時顕に政務を任せ、自らは犬あわせ(闘犬)と田楽にうつつをぬかした暗愚な人物、というのが世間一般の見方のようじゃ。この点については「太平記」はかなり大げさに書いている。さりとて全否定することもできぬ。では、じっさいのところどうだったのか。じつは、わしはわしなりに、幕政改革に乗り出そうとしていたんじゃよ。今回はそのことについて少々。 北条高時像 台頭する御内人(得宗被官) 嘉暦の騒動 得宗家の跡目争い 元徳の騒動、高時に陰謀の企てあり 台頭する御内人(得宗被官) ところで「御内人」とは何か。本来、「御内」とは特定個人の従者をさすものじゃったが、鎌倉後期…

  • 卯年生まれの戦国武将など歴史人物や有名人を調べてみた

    令和4年(2023)は卯年である。そこで卯年生まれの歴史人物、戦国武将、幕末英傑、などなどをまとめておくぞ。 源頼朝~日本初の武家政権をつくった鎌倉殿 源義経~九郎判官、悲劇のヒーロー 北条泰時~御成敗式目を定めた名執権 伊達政宗~奥州の独眼竜は料理オタク? 真田信繁~日本一の兵(つわもの) 夏目漱石と正岡子規~近代日本文学史に名を刻んだ二人 近衛文麿~第34代内閣総理大臣 豊田佐吉~トヨタグループ創始者 金栗四三~日本マラソンの父 卯年生まれの芸能人、スポーツ選手、著名人では… 源頼朝~日本初の武家政権をつくった鎌倉殿 絹本着色伝源頼朝像(神護寺蔵) なんといっても日本初の武家政権、鎌倉幕府…

  • 六代御前・平高清の墓~御最期川畔にあるにある平清盛嫡流終焉の地

    逗子の田越川畔に「六代御前の墓」がある。かつて田越川のほとりは刑場であったことから「御最期川」とも呼ばれていたそうじゃが、六代御前は今から800年ほど前の正治元年(1199、諸説あり)、このあたりで処刑されたと伝えられている。 田越川(神奈川県逗子市)

  • 安東忠家のこと~金窪行親とともに北条義時を支えた御内人

    北条義時公を支えた側近、御内人として忘れてはならないもう一人が安東忠家じゃ。安東忠家と金窪行親はニコイチな名コンビとして『吾妻鏡』に登場してくる。そこで今回は安東忠家について紹介するぞ。

  • 善児のモデル? 金窪行親のこと~北条義時を支えた謎多き御内人

    大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、源頼朝公の退場が迫ってきた。これからは北条が、義時公が鎌倉のてっぺんになっていくわけじゃ。ところで、100年以上にわたり北条得宗家を支えていくのが御内人である。今回は、得宗被官、御内人の嚆矢のひとりというべき「金窪行親」について書かせてもらおう。

  • 坂本龍馬の妻・おりょう(龍子)のこと~「まことにおもしろき女」の晩年

    先日、横須賀をぶらぶらと歩いておったら、坂本龍馬の妻・お龍さんと会ったぞ。そういえばこの日は旧暦で、お龍さんの誕生日なんじゃな。竜馬の妻・楢崎龍は天保12年6月6日(1841年7月23日)の生まれ。幕末最大のヒーローの妻にしては、その晩年は寂しく、悲しい人生だったようじゃな。 龍子の胸像(横須賀市、おりょう会館)

  • 曾我兄弟の仇討ち—目的は頼朝暗殺?北条時政が黒幕?それとも範頼を担ぐ御家人のクーデター?

    赤穂浪士の討入、伊賀越の仇討とならんで、日本三大仇討のひとつとされる曾我兄弟の仇討。この事件、たんに曾我兄弟が親の仇を討ったというだけではなく、じつは源頼朝公暗殺を目的としたものであったという説があるようじゃ。

  • スクープ!源頼家による安達景盛側室横恋慕&強奪事件の顛末

    蹴鞠にうつつをぬかし、政治をほったらかしにしたなど、なにかと評判がよろしくない2代将軍源頼家公。その理由によく出てくるのが、土地をめぐる訴訟で「領地の多い少ないは運しだいだから、ごちゃごちゃいうな!」と絵図に一本線を引いた話じゃが(『吾妻鏡』の創作説あり)、ほかにも安達景盛の側室横恋慕&強奪事件というのがあるぞ。 源頼家

  • 新宮十郎・源行家のこと~弁舌鮮やかだけど、やっぱり疫病神の叔父上さま

    「源行家。彼を味方をつけた者は、必ず負けるという死神のような男。鎌倉方に捕まり、首をはねられるのは、これより少し後のこと」……。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、長澤まさみさんのナレーションでけちょんけちょんの評価を受けた杉本哲太さん演じる源行家。「そこまでいわなくても」と言ってあげたいが、実際そうなんじゃよな。ということで、今日は新宮十郎こと源行家についてじゃよ。 源行家(WikiPedia『平家物語絵巻』林原美術館所蔵)

  • 源義経の「腰越状」を超訳してみた

    大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、菅田将暉さんの九郎判官こと義経殿がやばいといわれている。しかし、兄弟の思いがすれ違っていくことに、やっぱりわしは涙を禁じ得ない。そこで、九郎殿が頼朝公に宛ててその思いを綴った「腰越状」を超訳しながら、その思いを読みとってみたいと思う。

  • 甲斐源氏・一条忠頼暗殺のこと~なぜ源頼朝に殺害されたのか

    大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、父・武田信義とともに源(木曾)義高をそそのかしたことで頼朝公に殺されてしまった一条忠頼。その真相はよくわからないところが多いが、よいきっかけなので整理しておこう。 一条忠頼之墓(山梨県南巨摩郡富士川町、Wikipediaより)

  • 朝夷奈切通から上総介塔へ、上総広常を偲んでぶらぶら歩いてきたぞ

    GWということで、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で話題沸騰した上総広常を偲び、朝夷奈切通をぷらぷらとしてきた。朝夷奈切通は鎌倉七口のひとつで、神奈川県鎌倉市十二所から横浜市金沢区朝比奈町を結ぶ中世の古道じゃ。これから行こうという人もいるかもなので、ガイドがわりに記しておこうと思う。 朝夷奈切通(鎌倉十二所側です)

  • 源範頼の起請文と悲運の最期〜蒲殿はなぜ殺されたのか?

    大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、菅田将暉さん演じる源義経がいかにも「やばいやつ」として注目されているな。それに比べて対照的に、実直でなかなか「よい人」として描かれているのが迫田孝也さん演じる源範頼じゃ。そこで今回は、蒲殿こと源範頼殿についてあれこれ書いてみたいと思う。 源範頼像(横浜市金沢区 太寧寺所蔵)

  • 上総広常はなぜ殺されねばならなかったのか

    すっかりごぶさたしてしまったが、きょうは書かずにはおれまい。そう、上総広常のことを。「鎌倉殿の13人」第15回「足固めの儀式」は、まさに神回じゃったぞ。 上総介広常(大日本六十余将 Wikipedia)

  • 源頼家のこと~暗君か、暴君か、悲運の2代目鎌倉殿

    今日は源頼家公について。頼家公といえば、大河ドラマ「草燃える」では郷ひろみさんが演じ、その印象が強いのじゃが、「鎌倉殿の13人」では、金子大地さんが演じることになっておる。 源頼家役の金子大地(「鎌倉殿の13人」)と郷ひろみ(「草燃える」)

  • 北条氏のルーツと北条時政の江ノ島龍神伝説〜伊豆の小領主がなぜ、天下をとれたのか

    大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、少年ジャンプ「逃げ上手の若君」のおかげか、最近、鎌倉北条氏の人気がうなぎ上りじゃな(そんなことはない)。そこで、あらためて、鎌倉北条氏は、なぜ天下をとったのか、そのルーツから紐解いておこう。

  • 源頼朝敗れる!石橋山の合戦とは、どんな戦いだったのか

    さて、今回は石橋山の戦いについて。治承4年(1180)、源頼朝公が平家打倒を掲げて決起したものの、大庭景親ら平氏方に敗れた戦いじゃ。 石橋山古戦場碑

  • 源頼朝が山木館を襲撃。山木兼隆、堤信遠を討つ〜源家平氏を征する最前の一箭

    大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は大いに盛り上がっておるようじゃな。早くも源頼朝公の挙兵、山木館襲撃へとすすんでいくわけじゃが、ドラマで完全に憎まれ役となっている山木兼隆と堤権守信遠について、まとめておくぞ。 山木兼隆 『頼朝旗起八牧館夜討図』

  • 姫の前、伊賀の方、阿波局~北条義時公の3人の妻

    伊豆の国市は江間にある北條寺には、2代執権北条義時公と伊賀の方夫妻のお墓がある。北條寺は義時公による創建じゃ。かなり昔に訪問記を書いたのじゃが、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が始まったし、義時公をとりまく女性、姫の前、伊賀の方、阿波局について少々加筆して再公開するぞ。 伊豆の国市江間にある北條寺

  • 伊東祐親のこと~源頼朝と八重姫を引き裂いた伊豆の「じさま」

    今回は、伊豆国の大豪族・伊東祐親について。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、娘の八重と頼朝の絆を引き裂き、頼朝を執拗に追い詰める「じさま」こと祐親を、浅野和之さんが演じておられるが、はたして実際はどいうだったのか。

  • 八重姫と千鶴丸~源頼朝と恋に落ちた伊豆一の美女とその初子の悲劇

    伊藤祐親の娘・八重姫。源頼朝公と恋仲になり、子を宿したが運命に翻弄された女性。NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では新垣結衣さんが演じ、にわかに脚光をあびることになったので、今回は八重姫について紹介するぞ。

  • 「吾妻鑑」とは?~北条得宗家に忖度した鎌倉幕府の公式記録

    NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」がはじまった。三谷幸喜さんはネタ本は『吾妻鏡』といってるし、今日は『吾妻鏡』についてじゃよ。

  • 寅年生まれの戦国武将、幕末英傑など歴史人物や有名人を調べてみた

    令和3年(2022)は寅年ということなので、寅年生まれの歴史人物、戦国武将、幕末英傑、などなどをまとめておくぞ。 トラ

  • 北条義時のこと~源頼朝の「家子専一」 鎌倉を託された得宗の祖

    大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習のため、13人を順番にまとめていく企画のラスト13人目は北条義時公のこと。執権政治を確立し、武家の都・鎌倉の基盤をつくった「得宗」の祖、ドラマで演じるのは小栗旬さんじゃよ。

  • 和田義盛のこと~直情下向、猪突猛進で滅んだ坂東武者

    大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習のため、13人を順番にまとめていく企画の12人目は和田義盛のこと。ドラマで演じるのは横田栄司さんということじゃが…和田義盛は、なんかもう、いろいろとw あれもこれも書き出すときりがない御仁なので、今日のところは簡潔にいこうと思うぞ。 和田義盛

  • 三浦義澄のこと~源頼朝の旗揚げを支えた三浦党の領袖

    大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習のため、13人を順番にまとめていく企画の11人目は三浦義澄のこと。ドラマで演じるのは佐藤B作さんじゃ。同じ三浦党の和田義盛をはじめ、鎌倉開府に尽力した坂東武者はどうも猪突猛進の印象があるが、三浦義澄は分別ある年の功のイメージもあるので、佐藤B作さんのキャスティングは、ぴったりかもしれんな。 勝川春亭画「三浦大介義明(右)、三浦別当義澄(左)」

  • 比企能員のこと~北条のライバル、比企氏の乱で滅亡

    大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習のため、13人を順番にまとめていく企画の10人目は比企能員のこと。ドラマで演じるのは佐藤二朗さんじゃよ。 鎌倉・妙本寺(北条氏に滅ぼされた比企能員の館があった)

  • 八田知家のこと~義朝から実朝まで源氏4代に仕えた常陸守護・小田氏の祖

    大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習のため、13人を順番にまとめていく企画の8人目は八田知家のこと。南朝の臣として活躍、戦国時代まで続いた常陸小田氏の祖じゃ。 八田知家(Wikipedia)

  • 安達藤九郎盛長のこと~流人時代から源頼朝に仕えた側近

    大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習のため、13人を順番にまとめていく企画の7人目は安達盛長のこと。盛長は源頼朝公の伊豆流人時代からの側近で、鎌倉幕府を代々支え続けた安達氏の祖じゃ。 安達藤九郎盛長坐像(放光寺所蔵)

  • 足立遠元のこと~源頼朝にいち早く仕えた武蔵武士

    大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習のため、13人を順番にまとめていく企画の6人目は足立遠元のこと。遠元は鎌倉幕府公文所の寄人をつとめた有力御家人の一人じゃよ。

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