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2022/11/07

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  • 国立劇場・歌舞伎鑑賞教室。その2。「藤娘」。藤間紫。華麗なる家系。

    令和4年7月舞踊公演「花形・名作舞踊鑑賞会」より『藤娘』舞踊として名高い「藤娘」。真っ暗な中で幕が開くと、「若紫に十返りの、花を現す松の藤浪・・・」と長唄が始まります。一瞬にして舞台に明かりが灯ると、大きな松の木に絡んだ藤の花が一面に咲き誇り、その下には黒塗りの傘を被って藤の枝を持った美しい娘が立っています。実はこの娘は人間ではなく、若い娘に姿を変えた藤の精なのです。傘を被ったまま一時舞い踊った後、松の陰に姿を隠した娘は、今度は傘を手に持って藤の花房をかき分けて姿を表します。そして近江八景の情景を読み込んだ長唄の詩に合わせて、初々しい娘の浮気な男への恋に身を焼く女心を見せる「クドキ」の場面になり、艷麗に舞い踊ります。再び松の陰に隠れた娘は、今度は傘を持たず衣装を変えて登場し、この舞踊の見せ所でもある「藤音...国立劇場・歌舞伎鑑賞教室。その2。「藤娘」。藤間紫。華麗なる家系。

  • 国立劇場。令和4年7月歌舞伎鑑賞教室。紅葉狩り。

    このところ、出歩く機会がなく、ブログも滞りがち。訪問者も激減、ということに。そこで、「YouTube」を視聴。第三回目の「歌舞伎鑑賞教室」さらに「落語鑑賞教室」でも開いてみることに。今回は、去年行われた夏の「歌舞伎鑑賞教室」を。実は、とある関係で、この公演の予約取りに協力したことがありました。紅葉が夕日に照り映える戸隠山。余吾将軍平維茂(よごしょうぐんたいらのこれもち)が従者の右源太、左源太とともに紅葉狩にやって来る。そこには宴を張る先客がいた。聞けば、やんごとない女人が侍女たちとお忍びでお出掛けとのこと。維茂が遠慮しようとすると、その高貴な姫自ら、是非ご一緒したいと誘う。そこまで言われてひいては男がすたる。言われるままに維茂は宴に加わることにする。美女に美酒さっそく酒よ、肴よと下へも置かぬもてなしぶりに...国立劇場。令和4年7月歌舞伎鑑賞教室。紅葉狩り。

  • 鎌倉野草園。ひつじぐさ。やぶかんぞう。半夏生。ぶどう棚。ガマの穂。ききょう。なでしこ。とくさ。・・・

    6月25日(日)。晴れ。久々に出かけました。以前に来た時とのすっかり変わって、ずいぶんとこぎれいになっています。案内板。ひつじぐさ。やぶかんぞう。半夏生(はんげしょう)。ぶどう棚があります。公園ではあまり見かけない。ガマの穂。小さな流れを配置し、水辺風に仕立ててあります。池では子供たちが、東側は、公園になっています。付属施設。水槽にはフナやメダカが。桔梗(ききょう)。秋の七草。撫子(なでしこ)。これも秋の七草の一つ。バックは、とくさ?暑いさなか、休日のせいか、親子づれが屋内外で遊んでいました。鎌倉野草園。ひつじぐさ。やぶかんぞう。半夏生。ぶどう棚。ガマの穂。ききょう。なでしこ。とくさ。・・・

  • 小田急「片瀬江ノ島駅」~江ノ電「藤沢駅」~「鎌倉駅」。その4。

    振り返ると、江の島上空は晴れてきそうですが、行きのときの記念碑付近は、ビショビショ。そのまま、藤沢駅に戻りました。すっかり晴れてきます。このまま帰るのも、もったいなので、藤沢から江ノ電で鎌倉に行くことに。江ノ電「藤沢駅」。鎌倉から江の島、また途中駅まで何度か乗ったことがありますが、全線通して乗るのは、初めて。4両編成ですが、江の島駅付近からけっこう混んできます。路面電車風に走るところも。車窓からの湘南の海。長谷寺のアジサイなどちょうど満開の時期。外国人観光客などどんどん乗ってきます。席を立って外を撮るわけにもいかず、そのまま鎌倉駅に。久々に海でも眺めようか、と。由比ヶ浜まで歩きます。逗子方向。稲村ヶ崎方向。海岸では、「海の家」づくりが盛んに行われています。トンビが低空飛行。以前、弁当を広げたところ、おかず...小田急「片瀬江ノ島駅」~江ノ電「藤沢駅」~「鎌倉駅」。その4。

  • 小田急「片瀬江ノ島駅」~江ノ電「藤沢駅」~「鎌倉駅」。その3。

    島の東側、海沿いにある集落を歩いてみます。細い路地の両側に家が並ぶ。背後は森(江島神社)が高く広がる。藤沢市のマンホール。江の島モース臨海実験所跡推定地。エドワード・シルベスター・モースは1877年(明治10年)7月17日~8月28日ここに東洋初の臨海実験所を設け、海産動物の研究・指導を行い、我が国の近代動物学の基礎をつくりました。※エドワード・シルベスター・モースアメリカの動物学者。明治10年6月日本腕足類研究のため来日して、江ノ島で研究。1度帰国し、翌年再び、来日、東京理学部で動物学の初代教授となった。横浜から東京への車窓から大森貝塚を発見、その後発掘を行って報告書を刊行した。これによって、近代科学としてのわが国の考古学研究の基礎がつくられた。・・・モースは、大森貝塚発見で知っていましたが、江の島にも...小田急「片瀬江ノ島駅」~江ノ電「藤沢駅」~「鎌倉駅」。その3。

  • 小田急「片瀬江ノ島駅」~江ノ電「藤沢駅」~「鎌倉駅」。その2。

    鎌倉、三浦半島方向。江ノ島弁天橋。外国人もたくさん来ています。振り返ると、怪しげな雲行き。こちらは青空が広がる。「弁天橋沿革」解説板。この橋は、明治24年(1891年)満潮時砂浜であるところと島とを結んだ橋として作られ、江の島桟橋と呼ばれていました。明治30年に至って橋を片瀬州鼻まで延ばし、大正11年に県営となるに及んで渡橋料金2銭也がとられました。しかし橋が長いので一度暴風に遭えば流失するような状態で、昭和24年には更に橋脚と鉄筋コンクリートパイル上部は木橋として作り直され、その後江之島弁天橋として親しまれてきました。昭和32年に至って湘南海岸公園施設の一翼を担い、この近代的な橋梁に生まれ変わったものであります。さて、定番の参道を歩くことに。平日ですが(6・16)、たくさんの人が上がったり、下ったり。売...小田急「片瀬江ノ島駅」~江ノ電「藤沢駅」~「鎌倉駅」。その2。

  • 小田急「片瀬江ノ島駅」~江ノ電「藤沢駅」~「鎌倉駅」。その1。

    再びやってきました。片瀬橋を渡り、左岸へ。右岸を望む。川べりのテラスへ。江の島を望む。左岸の突端。右岸、西方向を望む。すっきりしたお天気ならば、伊豆半島その向こうに富士山などが見えそうですが。手前の突堤が前回たどり着いたところ。振り返る。「江の島弁天橋」。片瀬漁港。雲の流れが速く、いやな予感。「名勝江の島」、江の島の成因と周辺の地名由来についての伝説昔、鎌倉の深沢に周囲40里の湖があり、この湖には五つの頭を持った「五頭竜」が主として住んでいた。この五頭竜は、洪水を起こしたり山を崩したり、或いは病気を流行させたりして暴れまわり、里人を苦しめていた。人々は非常に困り、また大変に恐れたが、相手が竜ではどうすることもできず、少しでも竜におとなしくしてもらうために、いけにえとして村々からくじ引きで村人を供えるように...小田急「片瀬江ノ島駅」~江ノ電「藤沢駅」~「鎌倉駅」。その1。

  • 向島百花園。カルガモ親子はどうなったのか? そして夏模様。半夏生。ネムノキ。秋の七草。・・・

    向島百花園。6月カルガモ親子。その後どうなったのか?確かめたくて出かけました。6月17日(土)いました!親と雛が6羽くらい。雛たちは元気で泳ぎ回り、親は木下で毛繕い。まもなく旅立ちかも。訪れた方たちも興味深そうに、しばらく様子を眺めています。スカイツリー。緑がすっかり濃くなった園内。芭蕉も随分伸びてきました。半夏生(はんげしょう)が咲いています。開花時期は、7/1~7/20頃。・上の方の葉っぱが、ペンキをべったり塗ったように白くなるのがおもしろい。・「半化粧」「半夏生」「片白草(かたしろぐさ)」など、いろんな呼び名がある。・花期に葉が白くなるのは、虫媒花であるために虫を誘う必要からこのように進化したのではないか、といわれている(白くて目立つ)。・花は葉と同じく白で、紐状。・花が咲き終わって夏の盛りの頃にな...向島百花園。カルガモ親子はどうなったのか?そして夏模様。半夏生。ネムノキ。秋の七草。・・・

  • 横浜市営地下鉄「湘南台駅」~小田急「片瀬江ノ島駅」。その8。小田急江ノ島線「片瀬江ノ島駅」。片瀬橋。右岸突端。江の島。

    これまで歩いてきた利根川、荒川、江戸川、多摩川などと異なり、河口まで住宅が続きます。山本橋。漁船(ボート)がたくさん係留されています。正面に、江の島が見えてきました。残り500m。河口付近に架かる「片瀬橋」。小田急江ノ島線「片瀬江ノ島駅」。龍宮城を模したユニークなデザインの駅舎。江の島の「五頭龍と天女の伝説」にちなんだ天女と龍の装飾を施している。片瀬橋のたもとで小休止。右手に江の島へ渡る歩道橋。片瀬橋から河口を望む。片瀬漁港。岸壁の突端まで歩きます。手前に釣り人が数人。ここが右岸の河口?西側を望む。東側を望む。左岸の突端が。台風2号の影響か、波が高い。上流を望む。江の島方向。右岸歩きはここまで。次回は、江の島めぐりをする予定です。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/use...横浜市営地下鉄「湘南台駅」~小田急「片瀬江ノ島駅」。その8。小田急江ノ島線「片瀬江ノ島駅」。片瀬橋。右岸突端。江の島。

  • 横浜市営地下鉄「湘南台駅」~小田急「片瀬江ノ島駅」。その7。鵠沼の今昔。

    ※鵠沼の今昔。今は住宅地が広がっていますが、かつては、1880年代のようす。荒涼たる砂浜が広がっている。現在は、住宅がびっしりと。2010年代のようす。戦前から鵠沼海岸として開発・整備され、住宅が増えてきています。神奈川県による湘南海岸開発1923年(大正12年)の関東大震災では相応の被害が出たが、より被害が深刻だった都内から政治家、官僚、企業家、高級将校等が続々と転居してくることにより、鵠沼は別荘地から高級住宅地へと変貌することになる。震災からの復興は急ピッチで進められた。・・・1929年(昭和4年)の小田急江ノ島線開通をきっかけに、別荘地と農村部の中間地帯には、宅地開発が行われ、建て売り住宅の建設が進められた。この段階での住宅地は100坪以上の敷地を有し、現在も東京近郊の高級住宅地の一つとして有名であ...横浜市営地下鉄「湘南台駅」~小田急「片瀬江ノ島駅」。その7。鵠沼の今昔。

  • 横浜市営地下鉄「湘南台駅」~小田急「片瀬江ノ島駅」。その6。「奥田公園」。柏尾川。江ノ電。

    さて、この先どうするか?境川からは離れてしまいますが、市役所を抜けて大通り(「国道467号)を歩くことに。賑やかな通りから、「藤沢市民会館」などが併設された「奥田公園」の中を抜けて「境川」へ。鵠このかん、左岸に「柏尾川」が合流します。柏尾川源流である戸塚区の周囲の区から流れる複数の小川のうち港南区から流れる平戸永谷川(ひらどながやがわ)と瀬谷区から流れる阿久和川(あくわがわ)が合流する戸塚区柏尾町付近から柏尾川の名称に変わる。戸塚駅付近より大船駅付近までJR東海道本線沿いを流れ、手広付近までは神奈川県道304号腰越大船線にほぼ平行に沿う。手広付近からは神奈川県道32号藤沢鎌倉線を藤沢駅方向に流れ、藤沢市川名で境川に合流する。流域は工場や宅地が数多く立ち並んでいるため、高度経済成長期ごろになると大量の工場排...横浜市営地下鉄「湘南台駅」~小田急「片瀬江ノ島駅」。その6。「奥田公園」。柏尾川。江ノ電。

  • 横浜市営地下鉄「湘南台駅」~小田急「片瀬江ノ島駅」。その5。藤沢宿。江の島道。

    旧東海道「藤沢宿」は、境川を渡った西側に広がっています。遊行寺橋からの点線が旧東海道・藤沢宿。境川沿いに歩く今回は、宿の江戸方入口のところで離れていきます。遊行寺橋を望む。旧東海道・遊行寺坂を下って、境川の手前で右折し、遊行寺、遊行寺橋を渡って宿場に入ります。堂々とした橋柱。藤沢橋。下流方向。上流方向。この先。境川沿い・右岸の道を歩くことに。こうした観光絵図が随所に設置。。にぎやかな街並みが続く中、境川に近づくと、カルガモの子が必死に泳ぐ姿が(〇)。「海から5.0km標高7.9m」。御所ケ谷橋。川幅が広くなってきます。カルガモ。直線化された流路。そのまま進むと藤沢市立大道小学校の先で、JR東海道線で行き止まりになってしまいます。遠回りして左岸の方を行けば、線路の向こうに行けそうですが。・・・道なりに回り込...横浜市営地下鉄「湘南台駅」~小田急「片瀬江ノ島駅」。その5。藤沢宿。江の島道。

  • 横浜市営地下鉄「湘南台駅」~小田急「片瀬江ノ島駅」。その4。「藤沢・大和自転車道」と分かれる。白旗。遊行寺橋。藤沢宿。

    左手(対岸)からけっこうな水量の落とし口(樋門)。「西部水再生センター(横浜市戸塚区)」からの流れ。高台の住宅地(藤沢市)。国道1号線沿いの建物が見えてきます。両岸にはアジサイ。大清水境川アジサイロード。ポケットパークで小休止。対岸は、「神奈川県立藤沢清流高等学校」。「藤沢・大和自転車道」案内図。この先、国道1号線のところで、境川から分かれ、「引地川」沿いになり、海岸に向かいます。「境川大橋」(国道1号線)。「境川歩き」は、そのまま境川沿い(右岸)を。「境川海から6.5㎞標高10.1m」。この付近は、すっかり住宅地に。(「今昔マップ」より)赤い線が「国道1号線」。旧東海道はもう少し南に。※白旗神社社名は源氏の旗である白旗に因む。創立年代不詳。寒川神社を勧請した寒川神社だったが、宝治3年(1249年)9月に...横浜市営地下鉄「湘南台駅」~小田急「片瀬江ノ島駅」。その4。「藤沢・大和自転車道」と分かれる。白旗。遊行寺橋。藤沢宿。

  • 横浜市営地下鉄「湘南台駅」~小田急「片瀬江ノ島駅」。その3。宇田川。横浜水道境川水路橋

    畑が広がります。ガクアジサイ。色とりどりのアジサイ。この付近から、川幅も狭く、左に、右に大きくカーブしていきます。自然保全地区。「国道1号まで4.0㎞」。「自転車道」らしく。トマトハウス。販売所。こちらは水田。田畑が広がる。手前の畑は?振り返る。遠くに横浜薬科大の「図書館」。左手から宇田川が流入します。宇田川は、泉区中田町付近に源を発し、ほぼ南西に流下、戸塚区俣野町で横浜と藤沢の市境となっている境川に合流しています。かつて、宇田川は村岡川と呼ばれていました。村岡は地域の郷の名で、大正時代に川下に堤を設けた宇田氏の功績を讃えて、宇田川名が生まれました。昭和45年度から都市小河川改修事業(現在は都市基盤河川改修事業に移行。)により改修が始められ、計画改修延長は3.52kmとなっています。流域に「まさかりが淵」...横浜市営地下鉄「湘南台駅」~小田急「片瀬江ノ島駅」。その3。宇田川。横浜水道境川水路橋

  • 「葛飾菖蒲まつり」。堀切菖蒲園・水元公園。・・・その2。屋台がたくさん。カラオケ大会。

    まさに「おまつり」という雰囲気。たくさんの人出です。「水元公園」。ここでは、カラオケ大会。大勢の観客の前で、お年寄りが歌謡曲から民謡まで熱唱、自慢ののどを披露しています。花菖蒲は、というと。こちらは堀切菖蒲園と違って、種類はありませんが、自然の中で育っている感じ。小合溜。対岸は、三郷市。ハス池。スギの実がたくさん。公園の入口。演歌歌手のポスターがズラリ。熱心に見ているお年寄り。カラオケ大会の審査員?水元大橋とアジサイ。「葛飾菖蒲まつり」。堀切菖蒲園・水元公園。・・・その2。屋台がたくさん。カラオケ大会。

  • 「葛飾菖蒲まつり」。堀切菖蒲園・水元公園。・・・

    令和5年度も堀切菖蒲園と都立水元公園で葛飾菖蒲まつりが開催されます。期間中には、両会場で様々な催しが行われます。期間令和5年5月29日(月曜日)から6月18日(日曜日)まで会場堀切菖蒲園(堀切水辺公園)・都立水元公園(「葛飾区のお知らせ」より)6月10日(土)曇り。梅雨入りした東京地方。何とか雨も上がってきたので、自転車で堀切菖蒲園、そして水元公園と巡ってきました。どちらも結構な人出でした。堀切菖蒲園(京成電鉄「堀切菖蒲園駅」下車。「堀切菖蒲園」江戸時代、堀切の地に観光名所としての花菖蒲園が誕生し、以来、この地域にいくつかの花菖蒲園が栄えました。現在の堀切菖蒲園は、戦後唯一復興を果たした「堀切園」の一部が母体となっています。小学生、中学生が描いた雪洞が各所に。夜には灯りが点るようです。全景。江戸から現代ま...「葛飾菖蒲まつり」。堀切菖蒲園・水元公園。・・・

  • 横浜市営地下鉄「湘南台駅」~小田急「片瀬江ノ島駅」。その2。鷺舞橋。横浜薬科大図書館・「横浜ドリームランド」。ゴム堰。

    畑ではクリの花が満開。土手には、右手の森からリス?「鷺舞橋」標識。対岸にも遊水地公園が広がっています。「藤沢大和自転車道」案内板。下流方向。鷺舞橋遠望。遠くに見えるタワーは、2006年、「横浜ドリームランド」の跡地にできた「横浜薬科大学」の図書館。日本ドリーム観光株式会社がかつて経営していた「ホテルエンパイア」を改装したもの。当時はドリームランド併設のホテルとして数々の宿泊客をもてなしていたが、バブル崩壊後の1995(平成7)年に廃業。その後、手が付けられずに残っていたものを、横浜薬科大学が開校する際に図書館として再利用したようです。けっこう目立ちます。右手に畑。境川に架けられた人道橋。堰堤。独特の滑らかな流れ。ゴム製のようです。ゴム堰は、空気または水で袋体を膨脹・起立させ、洪水時には袋体内の空気または水...横浜市営地下鉄「湘南台駅」~小田急「片瀬江ノ島駅」。その2。鷺舞橋。横浜薬科大図書館・「横浜ドリームランド」。ゴム堰。

  • 横浜市営地下鉄「湘南台駅」~小田急「片瀬江ノ島駅」。その1。湘南台文化センター。今田遊水地。

    6月1日(木)。晴れ。台風2号が沖縄地方に接近している中、関東地方は晴れ間が出ました。南風はけっこう強く吹いていましたが。横浜市営地下鉄ブルーライン「湘南台駅」で下車。境川に向かいます。左手奥に大きな地球儀?独特の施設。湘南台文化センター湘南台文化センターは、1989(平成元)年に藤沢市北部の中心地である湘南台駅の駅前に開館した、こども館、市民センター、公民館、市民シアターを持つ複合施設である。設計者の選定に公開プロポーザルコンペが実施され、長谷川逸子・建築計画工房が選ばれた。設計コンセプトは「第二の自然としての建築」であり、そこでは「共生すべき自然系の様相によって記述され、読み取りうるものとして建築を作ること」とされている。アプローチには「せせらぎ」、宇宙の不可思議な調べを聞く装置などがあり、こども館に...横浜市営地下鉄「湘南台駅」~小田急「片瀬江ノ島駅」。その1。湘南台文化センター。今田遊水地。

  • 東急「南町田グランベリーパーク駅」~小田急「長後駅」。その6。「宇宙戦艦ヤマト」。大和市から藤沢市へ。フジ、クロマツ。

    両岸に、団地や住宅が続く。右手の「大和あけぼの幼稚園」から「宇宙戦艦ヤマト」の、たどたどしい楽器演奏が。さすが「ヤマト市」。対岸の団地。横浜市泉区。大和市のマンホール。大和市の木ヤマザクラをデザイン。この先で、大和市から藤沢市に入ります。「これより下流神奈川県藤沢土木事務所」「国道1号まで9.5㎞」。上空に飛行機。厚木基地から飛び立った?藤沢市のマンホール。亀甲地模様、中央に市章。「海から15.5㎞標高29.7m」。「国道1号まで9.0㎞」。ビワの木。実がたくさん。「高鎌橋」のたもとに工事のお知らせ。「藤沢大和自転車道」案内図。迂回しなければならないようなので、今回はここまで。小田急江ノ島線「長後駅」まで歩くことにします(けっこうな距離)。橋の向こうは「横浜市泉区」。こちら側は、「藤沢市」。境川には、迂回...東急「南町田グランベリーパーク駅」~小田急「長後駅」。その6。「宇宙戦艦ヤマト」。大和市から藤沢市へ。フジ、クロマツ。

  • お祭り・図子。ヤマアジサイ。カルガモの雛たち。梅の実。(向島百花園)。

    「向島百花園」周辺では、にぎやかに「白鬚神社」のお祭りが行われていました。幟や半纏を見ると「図子」と書かれています。※1「図子」=細道、小路、横町の意。別名「辻子」、「十字」、「辻」、「通子」、「厨子」、「途子」。(「weblio辞書」より)普通は町会などが氏子・地域組織としてありますが、ここでは、氏子組織として「図子」(ずし)があり、現在は11図子があります(必ずしも現行の町会とは同一ではない)。西図子、南図子、辰己図子、八雲図子、六一図子、中図子、東図子、玉ノ井図子、巴図子、北図子、堤図子※2最近知り合った方で、「ずし」という読みで「圖(「図」の旧字体)司」さんがいます。この字体・名字はかなり珍しいようです。さて、園内は、「てっぽうゆり」がお出迎え。かきらん。路地には、ヤマアジサイが可憐な花を咲かせて...お祭り・図子。ヤマアジサイ。カルガモの雛たち。梅の実。(向島百花園)。

  • タチアオイ。隅田公園あじさいロード。東京大空襲追悼碑。東京スカイツリー。

    前々日から「台風2号」や前線の影響によって、各地で激しい風雨に見舞われ、多くの被害が続出、死者、行方不明者が出、交通機関の大きな乱れがあった、6月3日(土)。東京地方は、午後から日差しが届きました。そんな昼下がり、隅田公園を訪れました。途中、近所の団地の公園には、タチアオイが。さて、浅草側にある「あじさいロード」。三々五々、人々の出も。アジサイの向こうに石碑が見えます。「東京大空襲の追悼碑」。「あゝ東京大空襲朋よやすらかに」隅田公園のこの一帯は、昭和20年3月10日の東京大空襲等により亡くなられた数多くの方々を仮埋葬した場所である。第二次世界大戦(太平洋戦争)中の空襲により被災した台東区民(当時下谷区民、浅草区民)は多数に及んだ。亡くなられた多くの方々の遺体は、区内の公園等に仮埋葬され、戦後荼毘に付され東...タチアオイ。隅田公園あじさいロード。東京大空襲追悼碑。東京スカイツリー。

  • 東急「南町田グランベリーパーク駅」~小田急「長後駅」。その5。オオキンケイギク。「中原街道」。再び「自転車歩行者専用道」に。

    護岸工事が完成したところと工事中のところ。歩道を歩くことに。振り返る。大和市のマンホール(汚水)。亀甲模様の丸蓋、中央に大和市の市章。土手に草花が。護岸工事が完成すると、来た道にあるようなコンクリート擁壁になるのでしょうか?レトロ風の橋。「新道大橋」。中原街道。「中原街道」。江戸幕府によって東海道が整備される以前から相模の国と江戸方面を結んでいた道で、江戸時代は東海道の脇街道として、また江戸との交易の道として利用された。古代の官道が元になっていると考えられており、鎌倉街道との共通部分も多い。徳川家康が最初に江戸に入国した時にはこの道を通ったと言われている。中原街道と呼ばれるのは江戸時代になってからで、平塚市に置かれた中原御殿と江戸を結ぶことに由来する。川崎市の中原区を通っているからと考えそうになるが、明治...東急「南町田グランベリーパーク駅」~小田急「長後駅」。その5。オオキンケイギク。「中原街道」。再び「自転車歩行者専用道」に。

  • 東急「南町田グランベリーパーク駅」~小田急「長後駅」。その4。クリの花。麦秋。カルガモたち。

    「東名」脇の田園風景。この付近の今昔。(「今昔マップ」より)(〇)右手の施設?対岸は、横浜市瀬谷区。クリの花が満開。畑が広がる。「麦秋」。実りの秋(とき)。刈り入れの近づいた麦の穂が黄金色に輝いて見える時期を麦秋(ばくしゅう)といいます。この場合の「秋」は季節を表すものではなく、稲の秋にならったもので収穫の時を意味します。麦秋の時期は西日本では5月下旬で、東北地方では6月上旬から中旬、北海道では7月に入ってからとなります。この頃に吹く風を「麦の秋風」と呼びます。(「お天気COM」より)久々に見ました。森の濃い緑との対比がすばらしい。田植えを終えたばかりの水田にカルガモ。のんびりと自転車道を。川の中にもカルガモ。この先に「相鉄本線」が見えてきます。相鉄本線。左に瀬谷駅。ここからは約3Kほど、境川沿いの車道(...東急「南町田グランベリーパーク駅」~小田急「長後駅」。その4。クリの花。麦秋。カルガモたち。

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