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  • 140 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog米買に雪の袋や投頭巾 芭蕉 なげずきん 投頭巾は、江戸の飴売りなどが頭に着けた帽子。米を買いに行こうとしたらあいにく雪が降ってきた、米袋を被って行(雪)こうとしゃれたのであるが、それが投頭巾を被っているようでもありお

  • 167 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog隣から寒夜とひ来る裏戸かな 虚子 特段の用事があるわけではない。裏口から隣人が、「寒いねぇ」とか言ってのぞき来る。本当に来たかどうかは疑わしいのだが、虚子さんの人恋しさはこういう作品にさりげなく出る。おそらくそんな気安い近所づきあいの

  • 205 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog冬ぬくしバターは紙に包まれて 中村安伸 バターは洋食和食を問わず調理食材として使われる。同様にマーガリンも使い勝手が良くどこの家庭にも冷蔵庫を開けるとあるのではないだろうか。そういう一般的な食材をそのまんま俳句にしたものである。固形性

  • 139 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

      Ryo Daimonji Blog二人見し雪は今年も降りけるか 芭蕉 いつか二人で見た雪は今年も降っただろうか。降りけるは過去詠嘆の助動詞「けり」、「か」は係助詞「か」で疑問。この二人、なんやかや聞くと何やら怪しく聞こえる。前書に「次のとしならん、越人が方へつかは

  • 166 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog繕うて古き紙衣を愛すかな 虚子 紙衣(かみこ)は、和紙を糊でつなぎ、柿渋を塗り、天日で乾した後、揉んで柔らかくして衣服に仕立てたもので、冬の季語とある(角川俳句大歳時記)。この句が明治30年12月3日とあるので、ずいぶん昔からあったもののよう

  • 204 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog冬麗の微塵となりて去らんとす 相馬遷子 よく晴れた暖かい穏やかな日に、極めて小さい塵となって逝こうとしていると、辞世の句であるようだ。自分の身体は微塵となって消えてゆくのだが魂は暖かい穏やかな空気に包まれ、高みへと去ってゆく。作者の状

  • 138 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog埋火もきゆやなみだの烹る音 芭蕉 こぼす涙で埋火(うづみび)火鉢の炭火、も消えることだ。その涙の烹る(にゆる)音、炭火に涙が煮える音。炭火にあたりながら亡き人を偲んでいる。曠野(笈日記・伯船集・蕉翁句集)前書「ある人の追善に」とある。ある人

  • 165 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

     Ryo Daimonji Blog南縁に湯婆をあける日午なり 虚子 ジブリ映画でユバアバと思い込んでしまっているが、この場合たんぽと読み冬の季語であった。日午はにちごと読み正午のことらしい。つまり家の南側のえんに正午どきに湯たんぽの湯を捨てたというほどの意味のようだ

  • 203 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog日の鷹がとぶ骨片となるまで飛ぶ 寺田京子 解説には上五「日の鷹」を「日を背負って飛んでいる鷹」とあるが、私には少し強引な表現に感じられた。ともあれ、この句は鷹の雄々しさ美しさを言おうとしていることはよくわかる。その表現として骨片となる

  • 137 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog被き伏す蒲団や寒き夜やすごき 芭蕉かづ愛妻を喪い、悲嘆の中でかぶって寝る蒲団はどんなにか寒く冷たいことであろう、と門下を思い慰めようとした追悼吟である。前書き「李下が妻の悼」がなければとてもこのような解釈はできない。上五中七の「や」

  • 164 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog妾宅や雪掃かで門を鎖したる 虚子 この句は明治30年1月とある。この時代の「妾」という身分がどのようなことであったのか、いまいちよくわからないのだが、この句によれば堂々と妾宅と表記されている。まさか虚子翁の、とは思わないが相当のお宅であ

  • 202 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog天空は生者に深し青鷹 宇多喜代子 【青鷹・蒼鷹】=あおたか、大鷹(おおたか)の古名、もろがえり。青鷹舞う天空は生者には深い、とおっしゃる。では死者にはどうなのか。私は広いのだと解した。この対句で仰りたいのは青鷹のように生命力あふれる

  • 136 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog五つむつ茶の子にならぶ囲炉裏かな 芭蕉 この句はとても難しかった。上五「五つむつ」も中七「茶の子」が特に、わからなかったからだ。下五の「囲炉裏」はいつかどこかで見て知っていた。つまり囲炉裏に置かれたおやつに五、六人の子供が集まった様子

  • 163 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog窓の灯に慕ひよりつ払ふ下駄の雪 虚子 この句は、氏の客観写生というより花鳥諷詠句であると思った。ともあれ中七の破調には賛成できない。「よりつ払ふや」として、「慕ひよりつ」の詩情を控えることこそ、花鳥諷詠と客観写生の調和点であると、今の

  • 201 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog飛鳥仏けふも面長大根干す 斎藤夏風 一読、奈良中宮寺の菩薩半跏思惟像を連想した、名前や場所はネットで確かめた。で、上五中7でそのお姿はすぐにわかったのだが、下五「太鼓干す」なる季語に迷った。夏風氏はネット情報では東京とあるので、この像

  • 135 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog冬籠りまたよりそはん此はしら 芭蕉 なじんだというより飽き飽きするほど暮らしているこのはしら、此庵。冬籠りの季節となった。俳句を作り尽くしてふと身近なところを見てさらに作る。解説に『源氏物語』真木柱、白楽天『閑居の賦』をかすめ、先の冬

  • 162 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog走るやうに枯野を通る灯かな 虚子 こういう遭遇した一場面を句にした場合、読者はその五七五文字で読む他ない。灯が走るように、相応の速度のようなのだか車なのか電車かあるいは人間なのか、私は、灯をあかりと読んで人間と解した。枯野の闇を恐れて

  • 200 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog酒なくば無口の波郷忌も近し 伊藤白潮 ある俳句誌に「無口な波郷は、この座談会で文字にすれば二十行ほど話しただけでした」とある。人間探究派とも言われて久しいが、私はこの俳人は俳号が特にいいと思っている。長年病気に苦しみながら多くを成した

  • 134 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog菊鶏頭きり尽しけり御命講 芭蕉 御命講は、法華宗の開祖日蓮上人の忌日をいう。この日のお供えとして庭の菊や鶏頭が切り尽くされてしまった。この御命講を境に鋭く季節の推移を感じ取った句といえる。こういう句は、御命講の意味を知っているとともに

  • 161 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog茶の花に黄檗山を立ち出でし 虚子 黄檗山は京都府宇治市にある黄檗宗大本山万福寺の山号で、隠元というお坊さんが礎を築かれたと仄聞してきた。宇治といえばお茶の名所でもあるのだが、虚子翁が万福寺でいかように過ごされたかまではこの句だけでは

  • 199 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blogことごとく未踏なりけり冬の星 高柳克弘 ほとんどがまだ足を踏み入れたことのないところばかりだ、まるで冬の星のように。とも読めるが、冬の星のことごとく人類はまだ、あしを踏み入れたことがない。とも読める。私は後者の冬の星の一物俳句であると

  • 133 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog其かたち見ばや枯木の杖の長 芭蕉そのかたちみばやかれきのつえのたけ『泊船集』『芭蕉句集』一周忌などの前書。『幽蘭集』には「大通庵道円追善」と前書あり。そこで、「其かたち」道円居士のお姿を「見ばや」見ようとするならば「枯木の枝の長」日

  • 160 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blogうかうかと風邪ひく秋の夕かな 虚子 今年は10月の後半から発熱することがあった。最初はコロナかな、とか思い大事をとったりしたが1週間足らずで治ったのでさほど心配もせずにきた。ところがまた、38度と体温計が出るのでうつらうつら居眠り療養をし

  • 198 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog秋の暮大魚の骨を海が引く 西東三鬼 秋の暮といえば、夏や秋の盛んなる季節がおわりゆく気配を感じる。そんな中大魚の骨を海が引くというのだが、そういう擬人化で海の意思を表現しても感覚の域を出ずアニミズムに達するとは言えないと僕は思う。たと

  • 132 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog叡慮にて賑ふ民の庭竈 芭蕉 この句の季語は庭竈で春。仁徳天皇の民の窮乏を憂え、三年間貢を免除した叡慮で民の竈がにぎはいを取り戻したという謡曲「難波」による。私は我が家の土間に竈があって母がそれは綺麗に掃除していたことを思い出して、それ

  • 159 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

    Ryo Daimonji Blog芒より顔つき出せば路ありし 虚子 ひろおい芒原のようなところに入り込まれたのであろうか、挙句の果てに顔を突き出すようなところまで来て分け出たところにこみちが通っていた。まるでジブリアニメの一場面のような映像感覚である。

  • 197 『名句の所以』(著:小澤實)から

    Ryo Daimonji Blog秋の暮通天閣に跨がれて 内田美沙 一読後作者の性に気が行った。なんとなく女性の句であろうと思った。通天閣は大阪市浪速区区の歓楽街にあって秋の暮だと言う。私は、大坂へも行ったことは少ないのだがあの溢れる赤提灯にひなが入り浸りたい欲求があ

  • 131 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

    Ryo Daimonji Blog木曽の痩もまだなをらぬに後の月 芭蕉 秋の季語後の月に意味が込められる。そのまえに木曽の痩がある。これは木曽を旅してその疲れもとれず、その痩ももとにもどっていないのにという意味で、それなのに後の月を賞することとなった、風雅に忙しいこと

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