Ryo Daimonji Blog蟻地獄雨一滴のひびきけり 小澤實 この句の上五「蟻地獄」が夏の季語である。冬場であっても死に絶えているわけではなく静かに生き耐えているらしい。ともあれ蟻地獄にとって雨の一滴といえども落ち入れば大事で、あたふたとより奥へ幼虫は逃げること
Ryo Daimonji Blog米買に雪の袋や投頭巾 芭蕉 なげずきん 投頭巾は、江戸の飴売りなどが頭に着けた帽子。米を買いに行こうとしたらあいにく雪が降ってきた、米袋を被って行(雪)こうとしゃれたのであるが、それが投頭巾を被っているようでもありお
Ryo Daimonji Blog隣から寒夜とひ来る裏戸かな 虚子 特段の用事があるわけではない。裏口から隣人が、「寒いねぇ」とか言ってのぞき来る。本当に来たかどうかは疑わしいのだが、虚子さんの人恋しさはこういう作品にさりげなく出る。おそらくそんな気安い近所づきあいの
Ryo Daimonji Blog冬ぬくしバターは紙に包まれて 中村安伸 バターは洋食和食を問わず調理食材として使われる。同様にマーガリンも使い勝手が良くどこの家庭にも冷蔵庫を開けるとあるのではないだろうか。そういう一般的な食材をそのまんま俳句にしたものである。固形性
Ryo Daimonji Blog二人見し雪は今年も降りけるか 芭蕉 いつか二人で見た雪は今年も降っただろうか。降りけるは過去詠嘆の助動詞「けり」、「か」は係助詞「か」で疑問。この二人、なんやかや聞くと何やら怪しく聞こえる。前書に「次のとしならん、越人が方へつかは
Ryo Daimonji Blog繕うて古き紙衣を愛すかな 虚子 紙衣(かみこ)は、和紙を糊でつなぎ、柿渋を塗り、天日で乾した後、揉んで柔らかくして衣服に仕立てたもので、冬の季語とある(角川俳句大歳時記)。この句が明治30年12月3日とあるので、ずいぶん昔からあったもののよう
Ryo Daimonji Blog冬麗の微塵となりて去らんとす 相馬遷子 よく晴れた暖かい穏やかな日に、極めて小さい塵となって逝こうとしていると、辞世の句であるようだ。自分の身体は微塵となって消えてゆくのだが魂は暖かい穏やかな空気に包まれ、高みへと去ってゆく。作者の状
Ryo Daimonji Blog埋火もきゆやなみだの烹る音 芭蕉 こぼす涙で埋火(うづみび)火鉢の炭火、も消えることだ。その涙の烹る(にゆる)音、炭火に涙が煮える音。炭火にあたりながら亡き人を偲んでいる。曠野(笈日記・伯船集・蕉翁句集)前書「ある人の追善に」とある。ある人
Ryo Daimonji Blog南縁に湯婆をあける日午なり 虚子 ジブリ映画でユバアバと思い込んでしまっているが、この場合たんぽと読み冬の季語であった。日午はにちごと読み正午のことらしい。つまり家の南側のえんに正午どきに湯たんぽの湯を捨てたというほどの意味のようだ
Ryo Daimonji Blog日の鷹がとぶ骨片となるまで飛ぶ 寺田京子 解説には上五「日の鷹」を「日を背負って飛んでいる鷹」とあるが、私には少し強引な表現に感じられた。ともあれ、この句は鷹の雄々しさ美しさを言おうとしていることはよくわかる。その表現として骨片となる
Ryo Daimonji Blog被き伏す蒲団や寒き夜やすごき 芭蕉かづ愛妻を喪い、悲嘆の中でかぶって寝る蒲団はどんなにか寒く冷たいことであろう、と門下を思い慰めようとした追悼吟である。前書き「李下が妻の悼」がなければとてもこのような解釈はできない。上五中七の「や」
Ryo Daimonji Blog妾宅や雪掃かで門を鎖したる 虚子 この句は明治30年1月とある。この時代の「妾」という身分がどのようなことであったのか、いまいちよくわからないのだが、この句によれば堂々と妾宅と表記されている。まさか虚子翁の、とは思わないが相当のお宅であ
Ryo Daimonji Blog天空は生者に深し青鷹 宇多喜代子 【青鷹・蒼鷹】=あおたか、大鷹(おおたか)の古名、もろがえり。青鷹舞う天空は生者には深い、とおっしゃる。では死者にはどうなのか。私は広いのだと解した。この対句で仰りたいのは青鷹のように生命力あふれる
Ryo Daimonji Blog五つむつ茶の子にならぶ囲炉裏かな 芭蕉 この句はとても難しかった。上五「五つむつ」も中七「茶の子」が特に、わからなかったからだ。下五の「囲炉裏」はいつかどこかで見て知っていた。つまり囲炉裏に置かれたおやつに五、六人の子供が集まった様子
Ryo Daimonji Blog窓の灯に慕ひよりつ払ふ下駄の雪 虚子 この句は、氏の客観写生というより花鳥諷詠句であると思った。ともあれ中七の破調には賛成できない。「よりつ払ふや」として、「慕ひよりつ」の詩情を控えることこそ、花鳥諷詠と客観写生の調和点であると、今の
Ryo Daimonji Blog飛鳥仏けふも面長大根干す 斎藤夏風 一読、奈良中宮寺の菩薩半跏思惟像を連想した、名前や場所はネットで確かめた。で、上五中7でそのお姿はすぐにわかったのだが、下五「太鼓干す」なる季語に迷った。夏風氏はネット情報では東京とあるので、この像
Ryo Daimonji Blog冬籠りまたよりそはん此はしら 芭蕉 なじんだというより飽き飽きするほど暮らしているこのはしら、此庵。冬籠りの季節となった。俳句を作り尽くしてふと身近なところを見てさらに作る。解説に『源氏物語』真木柱、白楽天『閑居の賦』をかすめ、先の冬
Ryo Daimonji Blog走るやうに枯野を通る灯かな 虚子 こういう遭遇した一場面を句にした場合、読者はその五七五文字で読む他ない。灯が走るように、相応の速度のようなのだか車なのか電車かあるいは人間なのか、私は、灯をあかりと読んで人間と解した。枯野の闇を恐れて
Ryo Daimonji Blog酒なくば無口の波郷忌も近し 伊藤白潮 ある俳句誌に「無口な波郷は、この座談会で文字にすれば二十行ほど話しただけでした」とある。人間探究派とも言われて久しいが、私はこの俳人は俳号が特にいいと思っている。長年病気に苦しみながら多くを成した
Ryo Daimonji Blog菊鶏頭きり尽しけり御命講 芭蕉 御命講は、法華宗の開祖日蓮上人の忌日をいう。この日のお供えとして庭の菊や鶏頭が切り尽くされてしまった。この御命講を境に鋭く季節の推移を感じ取った句といえる。こういう句は、御命講の意味を知っているとともに
Ryo Daimonji Blog茶の花に黄檗山を立ち出でし 虚子 黄檗山は京都府宇治市にある黄檗宗大本山万福寺の山号で、隠元というお坊さんが礎を築かれたと仄聞してきた。宇治といえばお茶の名所でもあるのだが、虚子翁が万福寺でいかように過ごされたかまではこの句だけでは
Ryo Daimonji Blogことごとく未踏なりけり冬の星 高柳克弘 ほとんどがまだ足を踏み入れたことのないところばかりだ、まるで冬の星のように。とも読めるが、冬の星のことごとく人類はまだ、あしを踏み入れたことがない。とも読める。私は後者の冬の星の一物俳句であると
Ryo Daimonji Blog其かたち見ばや枯木の杖の長 芭蕉そのかたちみばやかれきのつえのたけ『泊船集』『芭蕉句集』一周忌などの前書。『幽蘭集』には「大通庵道円追善」と前書あり。そこで、「其かたち」道円居士のお姿を「見ばや」見ようとするならば「枯木の枝の長」日
Ryo Daimonji Blogうかうかと風邪ひく秋の夕かな 虚子 今年は10月の後半から発熱することがあった。最初はコロナかな、とか思い大事をとったりしたが1週間足らずで治ったのでさほど心配もせずにきた。ところがまた、38度と体温計が出るのでうつらうつら居眠り療養をし
Ryo Daimonji Blog秋の暮大魚の骨を海が引く 西東三鬼 秋の暮といえば、夏や秋の盛んなる季節がおわりゆく気配を感じる。そんな中大魚の骨を海が引くというのだが、そういう擬人化で海の意思を表現しても感覚の域を出ずアニミズムに達するとは言えないと僕は思う。たと
Ryo Daimonji Blog叡慮にて賑ふ民の庭竈 芭蕉 この句の季語は庭竈で春。仁徳天皇の民の窮乏を憂え、三年間貢を免除した叡慮で民の竈がにぎはいを取り戻したという謡曲「難波」による。私は我が家の土間に竈があって母がそれは綺麗に掃除していたことを思い出して、それ
Ryo Daimonji Blog芒より顔つき出せば路ありし 虚子 ひろおい芒原のようなところに入り込まれたのであろうか、挙句の果てに顔を突き出すようなところまで来て分け出たところにこみちが通っていた。まるでジブリアニメの一場面のような映像感覚である。
Ryo Daimonji Blog秋の暮通天閣に跨がれて 内田美沙 一読後作者の性に気が行った。なんとなく女性の句であろうと思った。通天閣は大阪市浪速区区の歓楽街にあって秋の暮だと言う。私は、大坂へも行ったことは少ないのだがあの溢れる赤提灯にひなが入り浸りたい欲求があ
Ryo Daimonji Blog木曽の痩もまだなをらぬに後の月 芭蕉 秋の季語後の月に意味が込められる。そのまえに木曽の痩がある。これは木曽を旅してその疲れもとれず、その痩ももとにもどっていないのにという意味で、それなのに後の月を賞することとなった、風雅に忙しいこと
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Ryo Daimonji Blog蟻地獄雨一滴のひびきけり 小澤實 この句の上五「蟻地獄」が夏の季語である。冬場であっても死に絶えているわけではなく静かに生き耐えているらしい。ともあれ蟻地獄にとって雨の一滴といえども落ち入れば大事で、あたふたとより奥へ幼虫は逃げること
Ryo Daimonji Blog蜻蜒やとりつきかねし草の上 松尾芭蕉 一匹のとんぼが、草の葉に止まろうとするのだがその芒のような葉のしなりに止まりかねている様を写生している。それはとてもよく理解できるのだが、この句元禄三年1690年の作とある。つまり335年前の光景なのだ
Ryo Daimonji Blog藺の花の上漕ぐ船や五月雨 高浜虚子 藺の花はイグサ科の多年草で山野、湿地に自生するが水田でも栽培されるそうである。そういう川か湿地を、船で巡るところがあってそこで詠まれたようである。完全に水没している藺の花ということでなく、藺の
Ryo Daimonji Blog島の教会かとりせんかう置くあはれ 小澤實 前書に長崎とある一連の一句である。多勢の人がお参りされていたのかどうか、定かではないが蚊取り線香が置かれている。下五「あはれ」喜び、悲しみ、同情など心にジーンとくる情感とある。お参りする人への
Ryo Daimonji Blog玉祭りけふも焼場のけぶり哉 松尾芭蕉 玉祭りと、一気に秋へ飛んでしまう。盆の義仲寺内の無名庵の竜が丘墓地での一句のようだ。こういう場面で思い出すのはネット動画のガンジス川の河畔での荼毘のシーンだ。河畔であっても荼毘に付されるのはまだ
Ryo Daimonji Blog三味弾いて銭乞ふ船や涼み舟 高浜虚子 例えば川下りの屋形舟なぞに三味線弾きが乗り込み掲句のような巡りになったのかもしれない。わずかな銭、とは言えプロの技には憧れてしまうものである。私ごとで言えば、京都三条木屋町の高瀬川あたりで長渕剛を
Ryo Daimonji Blog花冷えや都電と都電すれちがふ 小澤實 都電は1972年(昭和47年)末までに、荒川線以外の全路線が廃止されたそうですが、その都電が花冷えの頃すれちがった、という俳句です。私の京都でも昭和五十三年に廃止されたようですが、北大路を市電で移動する
Ryo Daimonji Blog我に似るなふたつにわれし真桑瓜 松尾芭蕉 この一句、まづは上五「我に似るな」で俳句を志す若者に「私に似るな」と言っている、とわかるか。次に中七下五「ふたつにわれし真桑瓜」を「瓜を二つに割りたる如し」つまりうり二つにによく似ているとの俚
Ryo Daimonji Blog薮入のすこし覚えし京言葉 高浜虚子 私のような田舎に暮らす者は異文化にはとても敏感である。特に関東圏に暮らす人がペラペラと東京弁で仰ると殺される前の猫のようにじっと目をみはり聞いてしまうのである。薮入ですこし身についた京言葉で挨拶
Ryo Daimonji Blog即死以外は死者に数へず御柱 小澤實 私を必要と思われるなら生かし、不必要と思われるなら殺してください。と、行に仕立てた人為がある。それが「行」なのだから致し方ないのである。こういう境地で人は死への恐怖を超えるのかもしれない。しかし、人
Ryo Daimonji Blog京にても京なつかしやほととぎす 松尾芭蕉 ふるさとの原風景ってどこだろう、母なのか、父なのか竹馬の友なのか、というふうに自分の心の中の核心というものは、はっきりと掴めないものだ。この句にしても京にいるのに京が懐かしいとはなんぞ。そこに
Ryo Daimonji Blog薔薇剪つて短き詩をぞ作りける 高浜虚子 存分に薔薇を見て、さらには剪りとっても見て俳句にされたのであろう。俳句と言わず短き詩と遠回しに言って美しすぎる語感をおさえられたのであろう、「をぞ」と意図してリズムに不調を入れるあたりさすがであ
Ryo Daimonji Blog鳥海に田水張ればやはやさざなみ 小澤實 鳥海という姓の方が色々な分野に活躍されていることをネットで知った。なんとも素敵な姓名で羨ましく思う。が、この句の場合は地名のことと解する。山形県と秋田県を跨ぐ山に鳥海山があるが、秋田県南部に旧町
Ryo Daimonji Blog橘やいつの野中の郭公 松尾芭蕉 こういう俳句は今日的にはどうなのだろうか。つまり、花橘も郭公もいつの野中のことであったことであろうか、と記憶をただ詠嘆して見せている。つまりはっきりしないのである。このはっきりしないところが、句会などで
Ryo Daimonji Blog夕歩き宿の団扇を背にして 高浜虚子 俳人というものはとにかく見なければいけない。上から下へ下から上へ、さらには背ろ、斜めといった具合である。この句は己の背景を気にしている。正確には「腰にして」であろうが背にしたごとくに詠んでいる。
Ryo Daimonji Blog眠るなり囲炉裏に太き薪よこたへ 小澤實 冬の季語囲炉裏は知っているがこの句のように生活に根ざして使ったことはない。囲炉裏のそばに横たわったものか、座って居眠っているのかいずれにしてもこんな安息はなかなか得難い。その囲炉裏の中にふとい薪
Ryo Daimonji Blog日の道や葵傾くさ月あめ 松尾芭蕉 上五、日の道とは、地球を中心に描く大円状の太陽の位置のことだそうな。その方向に葵の花が傾いている不思議。五月雨降る初夏のことである。
Ryo Daimonji Blog蚤や蚊やわれ貧にして且つやめり 高浜虚子 明治に入ってホトトギスも順調でこの句にあるほど氏が貧していたとは思えないのだが、実際のところはわからない。どの程度に病んでいたのかも略年譜ではわからないのだが、貧乏の病気ぐらしに蚤や蚊が堪えた
Ryo Daimonji Blog箱眼鏡流れに押すやすべてみどり 小澤實 腰から腹に水が来る渓流である。鮎、山女などを採るために箱眼鏡を覗き続けている。そこそこの深さがあるので箱眼鏡を押し続けなければ流されてしまう。箱眼鏡は流れを切っているので覗くと時折水泡が見えるが
Ryo Daimonji Blog猪もともに吹るゝ野分かな 松尾芭蕉 老年期とは言え家族とともにいるわたにしても、秋も台風に直撃されると心細く気弱になってしまうものである。一人暮らしの芭蕉翁にしてみればその侘しさも一入であるのであろう。ついつい強風に煽られているであ
Ryo Daimonji Blog短夜や盗みて写す書三巻 大須賀乙字 この句の背景として、作者に師にまだ早いと読むことを禁じられていた芸道の秘伝書があったこと。そして師の書架から盗み出し、徹夜覚悟で写そうとしたこと。そしてそれは乙字の直接経験を詠んだものではなく、浪漫
Ryo Daimonji Blog夏衣いまだ虱をとりつくさず 芭蕉 小学館『芭蕉全句』の解説によると九か月間もの長旅を終えて草庵に身を休めているが、道中で移された虱もまだそのままだとあるが、九か月の長旅をこの句から読み取ることは難しかろう。また、取り尽くせていない
Ryo Daimonji Blog木曽に入りて十里は來たり栗の花 虚子 木曽は長野県木曽郡の中央部にある町。そこに入って十里は来た、よく来たもんだと感慨をこめている。上五を入りで切らず、て止め上六の破調にしている。たしかにこれで十里は来たとのたっぷり感がでる。さらに来
159 『名句の所以』(著:小澤實)から
Ryo Daimonji Blog山賎のおとがい閉るむぐらかな 芭蕉(やまがつのおとがいとづるむぐらかな) 山賎(やまがつ:きこりのこと)。おとがい:顎、転じて口のこと。むぐら:葎(蔓性雑草)。甲斐(山梨県)の山は深く、葎がおおい繁り道ばかりか木樵の口までも閉ざしているようで、
Ryo Daimonji Blog諏訪近し桑の山畑ところどころ 虚子 明治二十七年6/24『小日本』とある。虚子二十歳の作である。諏訪に近づくとところどころに桑畑が山裾に見られるようになった、とその風土を写生して見せている。下五に「ところどころ」と具体的に景を絞らず流
Ryo Daimonji Blog花こぼるる棕櫚の下掃くさびしさよ 村山たか女 たか女は明治三十七年生まれで大正十五年、わずか二十一歳で逝去している。たか女は女学校を退学して母の看護に勤めてきた。しかし、棕櫚が花を咲かせる六月頃、看護の甲斐もなく母は亡くなってしまった
91 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)
Ryo Daimonji Blog裏山の紫つゝじ色薄し 虚子 場所は「裏山」、感想は紫つつじの色が薄い、とのみ。このつつじが見えるでなく、そんなツツジもあるやろなあぐらいのインパクト。まあしかし初学であれば写生句はこれぐらいで手練手管な師匠には取ってもらえるかもしれな
Ryo Daimonji Blog夜的の灯草のはるかに置かれけり 上川井梨葉 この夜的は屋台などにある射的屋の灯のことであろうか。ところで、夜的は季語とされた時代があるようだが今私の歳時記では見当たらない。私は名のある歳時記にあるなしで季語の有効性を決めているが、一体本
Ryo Daimonji Blog鳥さしも竿や捨てけんほとゝぎす 芭蕉 一読、「鳥さし」とはなにかと思う。鳥を刺す猟師のことのようである。次に竿やの「や」の品詞は何か,係助詞と解して「けん」と連体形で受けているので良いように思うが、係助詞やの疑問、反語のニュアンスでは
Ryo Daimonji Blog大木の五月雨の谷に横たはる 虚子 この句も前回の《五月雨の和田の古道馬もなし》と同じく明治27年6月24日『小日本』とある。この五月雨の谷も長野県飯田市南信濃和田のいわゆる秋葉古道のことではないか。いわゆる杉などの大木は意外と雨風に弱く
Ryo Daimonji三枚におろされている薄暑かな 橋閒石 「三枚におろす」とは魚の調理方法のことである。この句、薄暑がおろされているように読めるが、私は、なにがしかの魚が三枚におろされているところを見て詠んでいるのだと、解した。魚によってはあるいは包丁に
Ryo Daimonji Blog牡丹蘂ふかく分出る蜂の名残哉 芭蕉 蜂が牡丹の花蘂のふかくから分け出でて、即飛び立つのではなく一瞬の間をおいて飛び立つのである。そのふかくにより牡丹の大輪が見えるのであり、名残により蜂の動きの微細が見えるのである。
Ryo Daimonji Blog五月雨の和田の古道馬もなし 虚子 この作品は明治27年6月24日『小日本』とある。この頃虚子さんは木曽路を経て京都に帰り、6月には『木曽路の記』を執筆されている『定本 高浜虚子全集 別巻 虚子研究年表(毎日新聞社)』。この和田の古道は、長野
Ryo Daimonji葉桜の中の無数の空騒ぐ 篠原 梵 葉桜の葉の間に見える空を無数の空と表現した。葉桜の量感を小さい隙間にの空に託したわけだ。その上に騒ぐ葉桜を空が騒ぐと転化して見せたところ、こういう表現は明喩と言っていいのか。無数の空が騒いで「いるようだ
Ryo Daimonji Blogおもひ立木曽や四月のさくら狩 芭蕉 貞享ニ(1685)年四月、『野ざらし紀行』の旅をおえ、尾張から木曽路を経て江戸に帰る際、熱田で巻いた連句の立句「明治書院『新芭蕉俳句大成』」。 江戸へ帰る途中であるが、折しも少し遅いが木曽の春も遅いの
Ryo Daimonji Blog家二軒笠取山の時鳥 芭蕉 笠取山(かさとりやま)は、埼玉県秩父市と山梨県甲州市の境、奥秩父山塊の主脈に位置する標高1,953 mの山。秩父多摩甲斐国立公園に含まれる(ウキペディア)。ネットで見る限り周辺に人家があるような気配はない。山裾へ降りて
Ryo Daimonji Blog葉ざくらや人に知られぬ昼あそび 永井荷風 いきなりこの句、淫靡な気配を放つ。永井荷風をネットで見てみたが窮乏したり、病気になったりもしておられるが、基本裕福な育ちの人らしい。後年文化勲章も受賞してをられる。若い頃の遊興三昧も芸の肥や
Ryo Daimonji Blog白げしにはねもぐ蝶の形見哉 芭蕉 この句は隠喩を用いた句である。即ち白げしが杜国、はねもぐ蝶が芭蕉を意味している。その前提として空米取引で罪を問われている杜国との会うに会えない不遇への哀感があると思われる。白げしに潜っていた蝶が飛ぶ