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2022/08/03

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  • 俳句には一連の心の流れがあり

    実感の重みと言えば、そこには必ずと言っていいほど潜在意識を内包している作者の意志が色濃くある。その潜在意識を顕在意識に変革させたのが次の句である。あやとりのエッフエル塔も冬に入る有馬朗人俳句総合誌「俳壇」2005年8月号より。作者は「天為」主宰者。元東京大学総長、元文部大臣。ここにある作者の抒情は句の発想においての思考の中に顕在意識→連想→潜在意識の心の流れがとても強くある。作者の見えている光景を、ただ単に見ているだけなれば、何の感情などは発生しないのだが、作者が興味をもつに至った見えている光景には感情が生まれる。このとき作者の心には潜在意識があっての興味が生まれる。この句の場合には「あやとり」の目視より「エッフエル塔」の発想がなされている。「あやとり」の動作により出来上がるまでの過程の中に、幼い頃お母さ...俳句には一連の心の流れがあり

  • 心を無にするこころ

    日常語は物事を遂行する言語で、ニュアンスは含まない。従って詩語にはなりぬくいのである。日常の生活は会話を正確に伝えなければ物事が前へと進まない。だが、このことが、詩情を深めるのには邪魔になる。心の在りよう、つまり人の感情を阻害してしまう。多くの人々は物事を伝達するのに誰にでも理解出来る言葉を選ぶ。これは感情や雰囲気の含まない言葉。だから社会の中で行き違いや衝突が起こる。例えばだが物事を処理するのに人間性を排除するかの如きマイナンバーカードを国民に義務付けようとする、このような数字で物事を処理、感情を無視する行為。だから人々は何かの救いを求めて心を広げようとする。この時に心を広げることの出来る感情が欲しくなる。それは文章やエッセイを一つにした一冊の本の存在。その一番すっきりとした形が短詩形であり、そのもっと...心を無にするこころ

  • 俳句は一人称表現

    文章の書き方は三つある。一人称、二人称、そして三人称。私は一人称、貴方は二人称、私達は三人称。このうち俳句は一人称である。私性の文体と言われる所以である。現代俳句は一人称で物を捉え、即ち一人称で受け止めるものである。だから俳句には、「何故」が最も大切なのである。作者が一番主張したいものを表現出来るからなのである。俳句に関わり俳句に興味をもつ読者は俳句の何に興味があり、何に注目すのだろうか。連日、私の疑問はどんどん思考の深淵に嵌まりこんでいた。作っても作っても出来上がった私の俳句が、私に向かって、私から離れて行こうとするように、よそよそしく私に寄り付こうとはしないのだ。どれもこれも私を除け者にしようとするかにも私には思える日々。これをスランプと言うのかもしれない。俳句は作れるのだが、どれもこれまでの私の句で...俳句は一人称表現

  • 昭和三五年当時の若者俳句の現実を探る(再掲載)

    俳句表現は理屈にならないこと…理屈で表現しない事である。感覚には理屈はない。人の心にも理屈はない。理屈は人間が考え出した勝手な思考。だから表現された言葉に好き嫌いが起こる。これは表現言葉が純粋でなければならない理由でもある。その純粋性の表現を趣旨として表現していた若者集団がいた。その若者集団を生み出すことに必死に専念し指導していた俳人がいた。伊丹三樹彦である。既成俳壇とは異なる思考を基本として日々研鑽していたのが俳句結社「青玄」であった。主宰者伊丹三樹彦は、その純粋性の俳句の基本を、当時の既成俳壇の中では当然とされていたその俳人の経歴重視の姿勢についての純粋な批判言葉を「青玄」一二九号に述べている。…例えば俳人間では「A誌で三年間いました」とか、「B誌に五年関係しました」とか、よく修業年期のことがやりとり...昭和三五年当時の若者俳句の現実を探る(再掲載)

  • 昭和40年前後の若者俳句

    俳句には思想が込められていて、そこには個々人の生き方が存在する。若者はその生き方の良い部分を個人に引き付けて取り入れるもの。かっての「青玄」青春俳句が…そうであった。昭和43年4月28日。全国から若者が京都に集結された。新人サークルの全国大会であった。当時の国鉄京都駅前には胸にプラカードをつけた俳句集団が闊歩し、道行く人の目を驚かせた。胸にまといついた俳句スローガンを世間へ見せつけたのだ。「俳句現代派・青玄」2メートル程もある横断幕に書き込まれた言葉に、道行く人は唖然とした。「今日までの俳句を古流と呼ぶ」…横断幕に書かれたスローガンは道行く人を吃驚させた。若者の胸より吊るされたゼッケンの言葉はその大半は伊丹三樹彦の青玄前記である。当時の国鉄京都駅前でのビラ配りを若者は必死で行なった。これまで俳句を市民に直...昭和40年前後の若者俳句

  • コマ割りは俳句の発展形式

    コマ割りをひとつひとつ解説してゆくには時間がかかるので、ここではこのイメージ部分となる二段割れや三段割れのみを書くことにする。俳句の定型としての五・七・五を、その音節通りに区切っても三段切れであり、また中七の部分を三・四、もしくは四・三、あるいは二・五ないし五・二と区切っても、中七部分は区切られる。それぞれ中七区切りの上部分音数を、上五音とくっつけて区切り、上五音プラス中七の上の部分の三音とくっつけても上部部分は区切られる。このようにことばの音数をイメージに変換してゆくと、意味や時間や場所などをリズムに変換することが出来て、この区切り部分が大切になってくるのである。区切られた部分に残像がこもっていて、その残像が次にでてくる部分へ関連づけられるのだ。アニメーションはわずか指一本動かすにしても、最低十六コマか...コマ割りは俳句の発展形式

  • 理性が先行すれば感性が鈍る

    黎明に至るひかりの森の夏庸晃JR神戸線より見える須磨浦公園は緑の森に変身しようとしていた。この公園は海からの風を受けて日々色を変えようとした時期があり、それより一年が過ぎようとしていたのだ。塩害のため葉っぱを枯らせ木々の寿命を全うさせることの出来ない森でもあった。だがいまは色を濃くして万緑に変わろうとしている。この森に黎明の光がみなぎりはじめている。一時見つめていた私だが…ふと過去がよぎった。俳句の結社やグループといった存在の価値なるものは?。ああ、やっぱりひとつの過程を経ては終ってゆくものなのかと。この森のように、誕生期、黎明期、熟盛期、そして死亡期、とひとつの時代をおわる。その後を引き繋いで蘇生誕生、黎明へ、と思考は永遠に残されてゆくのだろうかと。鈴木六林男の「花曜」終刊。桂信子の「草苑」終刊。伊丹三...理性が先行すれば感性が鈍る

  • 小説 河川敷の哲ちゃん(再掲載)

    この小説は神戸新聞文芸欄1ページ全面に掲載されたものです。2004年3月8日朝刊掲載(文芸小説部門入選作品)児島照夫(庸晃)冷たい雨の日だった。「お願いだから死なせてくれ」。私の手を掴み必死に懇願する男。名前は哲ちゃんと言う。足首にくくりつけるコンクリ^とブロックを抱え水の深みに入ろうとしたしていた哲ちゃん。その時、私の手を振りほどき水に飛び込んでいった哲ちゃん。水面から首だけが出た姿を私は必死な目で追った。それから一年半が経っていた。自殺未遂を経た哲ちゃんの行方を私は探して歩いた。近畿はもとより四国や九州へも飛んだ。やっとのことで居場所が分かる。そこはこの武庫川公園の河川敷であった。河川敷はスポーツ公園ということもあってか人々は賑やかな声を出している。でも誰も哲ちゃんの事は知らない。私は心に残る一年半ほ...小説河川敷の哲ちゃん(再掲載)

  • 小説 予 想 屋 … 哲 ち ゃ ん (再掲載)

    この小説は神戸新聞文芸欄1ページに掲載されたものです。(2017年12月4日朝刊掲載)児島庸晃哲ちゃんの目から一粒二粒と大粒の涙が落ちる。落とすまいと顔をあげて哲ちゃんは涙を堪えた。春の青空は何処までも澄みきっている。天を仰いでいた哲ちゃんは俯いてしまったのだ。俯くまいと思う哲ちゃん。再び天を仰ぐ。哲ちゃんは泣いていた。阪神電車の甲子園駅を下車、南へ十五分ほど歩くと円形の屋根が見える。甲子園競輪場である。哲ちゃんはこの競輪場の予想屋である。一レースから最終レースまでの勝利車券を予想して、客に売る仕事である。嗚呼、これで終わったよ、と哲ちゃんは呟く。五十年も続いた甲子園競輪場最終レースの優勝者の決まった瞬間であった。車券の売り上げが減ってきて赤字が増え競輪開催が廃止になる。いま哲ちゃんは来し方、行く末をしみ...小説予想屋…哲ちゃん(再掲載)

  • 発想は俳句の入り口に過ぎない

    発想とは発想力の有り無しにその多くを期待する時、俳人はそのどの部分に注目するのだろう。発想とも思える、思いつきは俳人と呼べる人は、どなたでも持っているのだが、一句を纏めるのに、新しさが含まれているのかいないのかの違いは何に由来するのだろう。ふと私は思う。次の句を見ていただきたい。如月や耳貸していて疲れる福島靖子「歯車」333号より。この句の特色は表現が従順ではないのである。「耳貸していて」なのである。身近にいるであろう人の話を聞いているのであるが、そのようには受け取らず「耳貸していて」なのである。多くの俳人は発想はしっかり出来ているのであるが、何かが足りないために新しくないのである。その足りていないものはと問い詰めてゆくとき、私はそのヒントらしきものがわかってきた。想像力なのである。想像力と発想力との違い...発想は俳句の入り口に過ぎない

  • 俳句…その心は川柳作家の方にこそ

    いま俳句は生活の或いは日常の、そして私達の身近な部分からだんだんと遠くへ離れてゆこうとしている。かって私は師である伊丹三樹彦から人間の心を学び、その姿を詩心とすることを教わった。その心は川柳作家の方にこそあるようにも思える。次の句を見て頂きたい。あかつきの梟よりも深く泣く時実新子この句は川柳である。この句についての評を赤尾兜子は川柳としては見ていなかったのだ。赤尾兜子は「川柳ジャーナル」117号(1973年)で「新子近見」と題して書いている。みごとに切断した空(くう)のとらえ。その空(くう)に、わずかに一つの梟があり、私がいる。「深く泣い」ているはずなのだが、その私はわずかにしか泣いていない。それが言葉の微妙な次元のゆらめきであり、ふるえである。ここで兜子が言いたかったのは、俳句を俳句らしくするには私性が...俳句…その心は川柳作家の方にこそ

  • 写実オンリーでない俳句の魅力…酒井弘司さん

    酒井弘司さんは、私が「歯車」復刊2号に入会して最初に感動を受けた人でした。昭和三二年のことである。そのころの「歯車」は⒓ページほどの筆耕によるガリ版刷りの印刷であった。鈴木石夫先生の熱心な鑑賞と指導文がいまでも目に浮かぶ。その石夫先生の指導を受けていたのが弘司さんであった。後に「海程」創刊に同人参加、編集人となるのだが、現在は「朱夏」の主宰者である。私が最初に受けた印象は俳人というよりも詩人としてのイメージが強かった。昭和三七年句集「蝶の森」を上梓。私はこの句集で改めて写実オンリーでない俳句の魅力に魅かれてゆくのだが、ここには芭蕉の言う「虚」の世界があることに思いを馳せるのである。秋の蝶星に雫をもらいけり酒井弘司ここには空想の面白さがたっぷりとある。現実であっても現実だけの光景ではない。何故人の興味を引く...写実オンリーでない俳句の魅力…酒井弘司さん

  • キャッチコピー言葉俳句を考える

    俳句の世界でも、このキャッチコピーに等しいものもある。例えば、♀・♂、↓・∞、♭、など。このような記号を音数に読み一句の中に登場してくる。いまやキャッチコピーが俳句の王道を突き進んでいるかにも思える。何故だろうと、私が思うようになって疑問が益々難問になって解けないのである。そもそもキャッチコピーは文芸とは何の関りもないものだった。広告の世界のことで人の気持ちを心のままに伝え、多くの大衆の心を引き込むことなのである。相手に届けたいメッセージを凝縮した言葉がキャッチコピーなのである。俳句言葉と通じ合うのは相手に届けたいメッセージの凝縮言葉だからなのであろう。だが、俳句との基本的に相違しているのは、キャッチコピーには真実感が薄くて本物の心が感じられず薄っぺらさが、言葉そのものの緊張感を弱めてしまうのである。思い...キャッチコピー言葉俳句を考える

  • 「虚」を「真実」へと誘引した俳人…寺山修司

    ところで私には、「虚」を「真実」へと誘引して、私を空想の世界へと遊ばせていただいた俳人がいる。少年のたてがみそよぐ銀河の橇寺山修司寺山さんは多彩な方で俳人というよりも短歌人としての名声が一般には流布されている。また演劇人としても著名な方。だが、私が一番影響を受けたのは俳人としての「氷海」に投句されていて秋元不死男選を受けていた頃である。まだ高校生から大学生へと進み変身を遂げている頃。従来からの句からでは得られない感動をもらっていたのだ。どのように発想を工夫しても、当時の俳壇は日常の次元からのもので日々の生活の延長のように思える句が多かったものである。どの句を見ていても退屈してばかりであったのだ。このころ句へ向かってゆくときの不満を充分に満たしてくれていたのが寺山修司さんだった。その句、「少年の…」のここに...「虚」を「真実」へと誘引した俳人…寺山修司

  • 感動は『ああ』という叫びである

    感動するって…どんなことなのか?日々の生活や日常の出来事にどれだけの感動を覚えることがあるのだろうか。考えてみれば…ほとんど感動を知らない日々を過ごしている私になっていた。JR元町駅で下車し山側へなだらかな坂道を上って行くと山本通りに出る。この辺りにはビルのあちらやこちらには少しの空地がある。そしてここには元気な夏草が茂っていた。のほほんと育ったのっぽ。すこし拗ねたようにひっそりとしたちび。でもどれも夏の匂いをもつ草木なのだ。ここを更に坂道に沿って上ると北野町に至るのだが私にはここの風景が妙に頭の中に残る。この夏草、あの夏草と瞳に焼き付いてゆくのだが感動に至るに相当の時間を要した。何も感動しなくなった私はいったい何なんだろう。もう何にも心のときめきを覚えない私。もう何十年も前には…感動は次々と湧いていたの...感動は『ああ』という叫びである

  • 俳句は作者の純粋な真心

    とうすみはとぶよりとまること多き富安風生「俳壇」2004年8月号より。この実景、まことそのものである。何の人為的な操作及び工作もない。しかし作者の瞳の中には、しっかりとした心を捕まえていたのだ。それがソロピース(個体)言葉と言う、心中での工夫であった。その俳句言葉とは「とぶよりとまる」。この実景実写はカメラのレンズで捉えたもののようにすこしもごまかしのできないもの。下手な操作をするとただ単なる何にもないそこにあるだけの景色になってしまう。「とうすみ」とはとうすみとんぼ(灯心蜻蛉)イトトンボの別名であるが、このごく普通の光景を人の心に呼び込むように仕上げたのが作者の純粋な真心であった。これほどまでにも実景を美しく見詰めることの出来る汚れてはいない作者自身の心であった。ここで大切なのがソロピース(個体)言葉の...俳句は作者の純粋な真心

  • 俳句は…たった一行の織り成す言葉

    俳句はたった一行の織り成す言葉である。その中から表現されていない言葉にこそ抒情が隠されている。その言葉が想像出来る言語が一行の十七音に含まれることこそ大切なのである。一句を完成させるときに表現されてはいない言葉の存在を知ること、それを感じとれる表現こそが、俳句であり、詩なのである。ここには言葉が説明される使い方はない。遺品あり岩波文庫「阿部一族」鈴木六林男句集「荒天」(昭和二四年)より。この句の「遺品」とは何を意味しているのだろうか。普通は亡くなった人が遺したものなのだが、この句の場合は戦場の兵士が遺したものを示している。従って十七音として表現されてはいない言葉に「兵士の」と入る言葉があるのである。だがこの「兵士の」の言葉を一行に組み入れると散文になってしまうのである。何故なのかとも思う。「兵士の」の言葉...俳句は…たった一行の織り成す言葉

  • 俳句それは…固定観念を棄てること

    アイデアの施しが一句の成否を遂げるのに、どれほど重要であるかを考える時、ここに大切な基本があるのではないかと私が思い出してから、やっとその思考判断が出来る事柄が解ってきた。私たち俳人はずーっとこれまでの過去の引例に拘り過ぎていたのではないかと私自身も思ってきた、やはり過去の俳句作品に私自身も拘り過ぎていたようにも思う。…固定観念を棄てること。一句の中に異質のものを施すこと、異質のものを組合すことが、想像力におけるアイデアを生み出す基準ではないかと思うようになった。今までに例を見ない俳句作品を作る術のように思えてきたのである。ではどうして固定観念もしくは固定概念を棄てるのかなのである。その方法として…連想…の意識を強めること。物には既に決まった意味なり意識がある。これらの持つ価値観を…連想…により別の物に転...俳句それは…固定観念を棄てること

  • その句を良しと認めるのは読者

    多くの人間は普段の生活においては感情を表には出しません。だがその内心に籠もる感情を俳句言葉として表示することは出来ます。それが日々の癒しになってその日を過ごせるのです。戦後の俳人たちは己との闘いに向かい日々を勝ち抜いてきました。その支えとなっていたのが…人間の心を感じる言葉…だった。私は今その検証に及び、とんでもない大変な一句に遭遇してしまいました。それは目視における具象性の必要性でした。落日の獣身を寄せ嘆き会ふ三谷昭「現代俳句データベース」より。この句のポイントは作者の心の中にある戦後まもない頃の庶民の嘆きのようにも思え、私の目には涙がありました。この切羽詰まった個々の悲しみをまともに受けとっていました。その俳句言葉とは「獣身を寄せ嘆き会ふ」。なんと言う作者の苦しみでしょうか。戦後二年を経た時期のこの句...その句を良しと認めるのは読者

  • 連休の公園は静かだった

    この世は連休の賑わいで日常の動きは騒がしのだが、逆に街中は静か。もう80代の私は連休だからと言って旅行するきなどはない。そうかといって家の中に閉じこもる気はない。近くの公園の新緑が見たくて足を運ぶ。歩いて10分。その公園には誰もいなかった。私ひとり。普段は大変な賑わいで騒がしのだが。連休の新しい過ごしかたでもあるのかと新発見。気分は凄く快い。桜の花の散った後、葉っぱは新緑。エメラルドグリーン。上の高いところほど濃いグリーンかと思ってみると、何故か黒っぽい。都会のガス汚染か。地面に近いほど新鮮なグリーである。今日の今のこの新鮮さは、連休でみんなが郊外へ出てしまったから味わえるのかもしれない。気分を新しくして明日へとつながる日となった。以下は私が作った句である。新緑は傘のまるみに陽を乗せる片陰に自転車預け少女...連休の公園は静かだった

  • 俳句における発想とは

    発想とは?。発想力の有り無しにその多くを期待する時、俳人はそのどの部分に注目するのだろう。発想とも思える、思いつきは俳人と呼べる人は、どなたでも持っているのだが、一句を纏めるのに、新しさが含まれているのかいないのかの違いは何に由来するのだろう。ふと私は思う。次の句を見ていただきたい。如月や耳貸していて疲れる福島靖子「歯車」333号より。この句の特色は表現が従順ではないのである。「耳貸していて」なのである。身近にいるであろう人の話を聞いているのであるが、そのようには受け取らず「耳貸していて」なのである。多くの俳人は発想はしっかり出来ているのであるが、何かが足りないために新しくないのである。その足りていないものはと問い詰めてゆくとき、私はそのヒントらしきものがわかってきた。想像力なのである。想像力と発想力との...俳句における発想とは

  • 武庫川河川敷河口は…大阪湾

    本日は晴れの気持ちいい日となったので武庫川河川敷を河口まで歩きたいと思い、一時間ばかり歩いてきました。往復2時間。少し疲れが。でも普段の日常の雰囲気では感じないことばかり。河口の風は町中を流れる速度のある流れではなくて、ゆっくりとのんびりと身体に溢れてくる柔らかな感触。心が安らぎました。武庫川は全長66キロもあり、上流は宝塚市、その上流は福知山市。下流は尼崎市と西宮市の間を流れる川。この川が両市の境界線。野鳥の多く住む2級河川。今日はこれらの野鳥を見ながらの南下でした。突然、上空を飛行機の大きな爆音。目を上に向ければかなりの低さ。そうなんです。この上空の先には関西国際空港があるのです。ここは大阪湾。僅かに霞む空港の風景。私は吃驚。海上距離の不思議を感じました。だが、波は穏やかな音を出し沖から、まるで優れた...武庫川河川敷河口は…大阪湾

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