昨年の九月から書き始めた「島唄」も本日をもちましてようやく終結いたしました。 これから推敲、手直しと更に時間をかけて、世に出るのはおそらく来年の事になる…
その年の五月連休三日目の昼下がり、秋一はJR上野駅公園口から公園内と進んだ。小学生の頃、島の幼馴染正人の家族と自分の家族とで夏休みに上野動物公園に来たこと…
その年の聖母月、連休の初日に、秋一は勉強机の右脇に設置した黒いプッシュフォン電話を朝からじっと見つめていた。昼過ぎ、最近調べた近場の区立図書館へ行こうかと…
東京生活において頼りにしていた義人が忽然と自分の前から姿を消してしまったことについて、しばらく秋一は呆然としつつも今後のキャンパス生活について緻密な計画を…
ピン、ポーン。ピン。ポーン。 ベルの音は意外と高音響で、しばらくして、ドアチェーンが付いたまま扉が半開きした。 どなたっ? 半開きの扉から外を覗くよ…
「まあ、そんな感じ。東京生活での憧れとか、将来のビジョンを見据えてとかそういうわけじゃなくてね。最初はその桜井義人さんを追って上京してきたというのが本心か…
四月以降、東京の義人からは二週間に一度手紙が届いた。当時はまだワープロさえも一般普及していなかったので便箋にはぎっしりと達筆な手書き文字が躍っており、毎回…
三月三十一日の月曜日午後三時、秋一は彼女である直美を連れて自転車で八丈島簡易裁判所の狭い駐車場から二人ガラス戸の向こうに見える執務室を覗いていた。 背広…
卒業式も義人との島における最後の晩餐会も終わり、秋一は半ば放心状態のような気持で自宅の勉強部屋に横になってはラジオから流れる洋楽を聴いていた。とりあえず浪…
約束の日曜日、三月二十三日の二人だけのお別れパーティーまでの期間、秋一は毎晩公衆電話で義人の官舎まで電話をかけ続け今後のことについて話し合った。 義人が…
一年間は早かった。いつの間にか夏は思い出の色に変わり、秋が過ぎ冬が来て正月明けの時節となった。東京での大学受験日程が近づいていたが、正直、秋一は自信がなか…
半月後、高校生活最後の夏休みがやってきた。義人とは深夜公衆電話を通じて頻繁に話してはいたが、彼女ができたことはなんとなく電話で伝えることに抵抗を感じ、直接…
学生数に比し校舎も校庭も広大に過ぎるのが、秋一たちが通う高校の第一の特徴であった。そして、全学年で三クラスしかないのだから、普通の高校に比し各学年間の敷居…
秋一が囲碁を父親の三郎から教わったのは小学校四年生の冬休みであった。 父三郎は祖父の代から続く主に釣り人を相手にした旅館の経営者であり、生粋の島民であっ…
やはり、義人が言うように、秋一の学力は、やっと東京の進学校の一年生になった程度のものであったが、それでも僅か半年間でそこまで押し上げたのは立派だった。そも…
暖かい春風が素肌を撫でる。通りの桜並木も殆ど散り際の勇美を示し、路上の花筵が宴の名残惜しさを表現していた。 高校三年生になった秋一は、書籍の詰まったスポ…
「進学の方はね、まあギリギリ受験生の体を整えたという感じかな。確かにアキくんは本当に頭いいけど、島の高校は進学校じゃないからね。これからも相当頑張らないと…
春の訪れを告げる時期、高校は桜の開花時期を挟んで休暇期間中であり、日曜日だといってもさほどのありがたみは感じなかった。秋一の脳裏には、昨夜義人との最後の学…
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昨年の九月から書き始めた「島唄」も本日をもちましてようやく終結いたしました。 これから推敲、手直しと更に時間をかけて、世に出るのはおそらく来年の事になる…
本作品は冒頭に書いたように、武田秋一さんの最晩年の友人であった涼子と私の共同作品のようなものである。涼子の話を基に、私が小説風に肉付けして書き上げたもので…
直美と島内をドライブしてから数日後、近場の書店まで散歩がてらに出かけた帰り道であった。東京に帰るのはいつにするか、戻ったらすぐにホスピスに入るべく、今夜あ…
シンボルツリーであるバナナの木を実家の門前に見出した時、秋一は少年時代を思い出したのであるが、緑の草木は手入れが行き届いておらず、家も一目で古くなっている…
風車は当初予定していた金曜日までもたず、月曜日の朝、秋一が吐血して緊急搬送されたことをもって二十五年の歴史に幕を閉じた。 三週間の入院期間で秋一は別人の…
「初めてパパからホモセクシャルの話を聞いたのは、私が大学二年生の頃でした。同時になぜパパがママと結婚する決意を抱いたのか、それは数年前八丈島転勤時代に知り…
千鶴子が十三歳、中学一年生の秋の事であった。 市内の中心部にあったピアノ教室でのレッスンをすませ、ロータリーに面したバス停に向かうところであったという。…
カウンター越し、視線の合った秋一は瞬時で彼女の属性を推理し、それから冷蔵庫へと振り向いた。上背はあるが間近で見ると顔から足先までが細身で黒髪のロングヘアー…
日曜日の夕方であった。冴え返る肌寒さも感じたが、全体的に街には春の到来を告げる気配が漂い、あと二週間もすれば桜の開花時期となると思うと、秋一はなんとなく嬉…
多くのお客さんたちが秋一に別れを告げにやって来た。日本屈指のコメディアンS田氏に続いて、元上司である林崎裁判長の暖かい訪問まで受け、秋一は自分の東京生活に…
「家内も最近じゃ、すっかり涙もろくなってしまってな。」 林崎部長は嗚咽をもらす老婦人を横目にカウンターの秋一を見つめた。 「事情は私から話そう。私はね…
直美が帰った翌日の日曜日、秋一は夜六時から店に立っていた。一時間ほどで仕込みを済ませ、八時か九時頃まで店に立ち、後はジョージに任せるのであるから、さほどの…
秋に医師から節制して余命一年と宣告されて約四か月が経った。その間も通院治療は怠らなかった秋一であり、医師たちからの励ましで延命の期待を十分に胸に刻み込んで…
人気絶頂のコメディアンS田氏がぞっこん惚れ込み再婚相手にまでと考えていた銀座のクラブホステス明美が初めて、風車に顔を出したのは、もう二十年近くも前の話であ…
その晩、風車の閉店メッセージを知った長年来の常連客であるコメディアンS田氏は最後の宴を愉しむべく秘書を連れてやって来た。一年先のスケジュールまでに拘束され…
その頃から、秋一は毎晩のように妙な夢をみるようになった。スキーのジャンプ台に立つ夢である。多くの人がジャンプ台に立つまで順番待ちをしている。自分もその内の…
精神力が体力を凌ぐというのにも限界がある。二月の中旬に入ると倦怠感に襲われることが多くなり、食欲不振から益々瘦せ衰えてきた。しかし、抗がん剤治療を始めとす…
一月下旬の寒い夜、閉店のお知らせメールを受信した光の会の内田理事長と羽根女史とが更に数人の仲間を連れてすっ飛んで来た。真面目なゲイとビアン同士は基本相性が…
翌日、秋一は病院で担当医に対して三月いっぱいまで働き、後はがんと闘うことだけに専念したいと相談した。担当医としては秋一の仕事内容を知っているだけに渋い顔を…
八丈島の母親や姉家族、それに直美には退院直後に少しだけ事情を説明したのであるが、やはり医師からの余命一年という宣告については話せなかった。とりわけ高齢だが…
由貴子の話はさらに続く。 「一流のピアニストってね、有名音大をトップの成績で卒業して留学して著名なコンクールでいっぱい賞をとってさ。そこまでだって限られ…
レストランフロアは日曜日の夕食時とあってか混雑していたが、イタリアンレストランの通路側が一席だけ空いており、達郎と由貴子は早速ワインで乾杯した。 「初め…
暦の上では立冬となったが、天候は定まり穏やかな日が続いていた。 昨年の11月中旬、紅葉の街路樹を眺めることもなく、達朗は久々に急ぎ足で京王線調布駅から市…
昨年の十月、達郎の精神状態は最悪であった。 学校とか会社に通わねばならない状況であったら、おそらく鬱の病が侵食していたに違いなかったが、何もしないニート…
悲しいことがあると達朗は、いつも高校時代の帰りの都営バスを想い出す。 これはおそらく今後幾つになっても変わらないことだろうと思っている。 彼が通った高…
居酒屋から帰宅し、いつものように自室で二次会をやろうと焼酎の瓶と肴をコンビニのレジ袋から取り出した達朗である。 毎度のことながら眠たげな瞳は最近コンサー…
由貴子との長い夜の電話を終え、達朗はなんとなく満ち足りたものが胸に浸潤していくのを感じた。 不思議な感情だった。生まれて初めて肉親以外と者と交わした心の…
できれば明日の夜にしたいのですが、三日の連休初日になりそうです(^^♪ 今年の連休は執筆に明け暮れそうです。
その晩は駅前の居酒屋には顔を出さず、自室で眞露のボトルをウーロン茶とともに味わっていた。 達朗は、先程来、由貴子から届いたメール内容に対して、どう返信し…
横浜でカウフマン先生からチェスの指導を受けた翌日、達朗はいつものように昼過ぎにベッドで目覚めた。 ヘッドボードの目覚まし時計は殆ど用をなさなくなって久し…
横浜市の大倉山駅から大倉精神文化研究所の方面へ向かって坂道を歩き、長閑な住宅街の一角にこじんまりとした白い地域公民館はあった。 駅前のドトールで時間をつ…
達朗が大学に一切通わなくなり、モグラのように自室にこもり、酒と空想の世界に耽溺するようになったのは、昨年の秋口、10月の半ばからであるが、それ以前から十分…
この小説、諸般の事情からとにかく5月中にはいったんの完成を目指しているところです。 それから約二か月で推敲をなして、なんとかまともな小説へと育て上げたい…
昨年の真夏日から、達朗は毎月の第四日曜日、自宅から二時間もかけて京王線調布駅から少し歩いた先の調布市民会館まで通うことになった。 彼のチェスの師匠、山澤…
過去に書いた作品を再アップしているのではなく、リアルタイムで執筆しているだけに、なかなか筆が進まず腐心しています。 次回アップ分は6割位完成したかな。 …
昨年五月の連休時、高田馬場に所在するチェスセンターで出逢った達朗と山澤由貴子が、その師弟関係を一層親密にしていくのに時間はかからなかった。 ネットではな…
リアルタイムですが、原稿用紙200枚以上を目指した人生初の長編小説、まさに試行実験的に書き続けています。 意外にアクセス数が多く、驚いており、同時に嬉し…
昨年の5月の連休、達朗は高田馬場にあるジャパン・チェス協会が主宰するチェスセンターを初めて訪れた。 チェスセンターというからには、きっと大きな建物である…
池袋サンシャインシティ最上階の懐石料理屋で、達朗が佐伯教授や母の由美子に語った休学希望に、チェスの話を持ち出したのは後付けに過ぎないところがあった。 本…
連休明けからしばらく経った5月の下旬、達朗は久々に昼間から外出し湘南新宿ラインで池袋へと向かった。 青空には白く大きな入道雲が巨大なソフトクリームのよう…