日曜日の夕方であった。冴え返る肌寒さも感じたが、全体的に街には春の到来を告げる気配が漂い、あと二週間もすれば桜の開花時期となると思うと、秋一はなんとなく嬉…
日曜日の夕方であった。冴え返る肌寒さも感じたが、全体的に街には春の到来を告げる気配が漂い、あと二週間もすれば桜の開花時期となると思うと、秋一はなんとなく嬉…
多くのお客さんたちが秋一に別れを告げにやって来た。日本屈指のコメディアンS田氏に続いて、元上司である林崎裁判長の暖かい訪問まで受け、秋一は自分の東京生活に…
「家内も最近じゃ、すっかり涙もろくなってしまってな。」 林崎部長は嗚咽をもらす老婦人を横目にカウンターの秋一を見つめた。 「事情は私から話そう。私はね…
直美が帰った翌日の日曜日、秋一は夜六時から店に立っていた。一時間ほどで仕込みを済ませ、八時か九時頃まで店に立ち、後はジョージに任せるのであるから、さほどの…
秋に医師から節制して余命一年と宣告されて約四か月が経った。その間も通院治療は怠らなかった秋一であり、医師たちからの励ましで延命の期待を十分に胸に刻み込んで…
人気絶頂のコメディアンS田氏がぞっこん惚れ込み再婚相手にまでと考えていた銀座のクラブホステス明美が初めて、風車に顔を出したのは、もう二十年近くも前の話であ…
島唄(105)For Your Love~銀座クラブの処女~
その晩、風車の閉店メッセージを知った長年来の常連客であるコメディアンS田氏は最後の宴を愉しむべく秘書を連れてやって来た。一年先のスケジュールまでに拘束され…
その頃から、秋一は毎晩のように妙な夢をみるようになった。スキーのジャンプ台に立つ夢である。多くの人がジャンプ台に立つまで順番待ちをしている。自分もその内の…
精神力が体力を凌ぐというのにも限界がある。二月の中旬に入ると倦怠感に襲われることが多くなり、食欲不振から益々瘦せ衰えてきた。しかし、抗がん剤治療を始めとす…
一月下旬の寒い夜、閉店のお知らせメールを受信した光の会の内田理事長と羽根女史とが更に数人の仲間を連れてすっ飛んで来た。真面目なゲイとビアン同士は基本相性が…
翌日、秋一は病院で担当医に対して三月いっぱいまで働き、後はがんと闘うことだけに専念したいと相談した。担当医としては秋一の仕事内容を知っているだけに渋い顔を…
八丈島の母親や姉家族、それに直美には退院直後に少しだけ事情を説明したのであるが、やはり医師からの余命一年という宣告については話せなかった。とりわけ高齢だが…
営業再開の初日、店明けと同時、早い時間帯から涼子が仲間の和美を連れてやって来た。和美というのは涼子の友人であり、風車で偶然隣り合わせたノンケの男性と数年前…
武田さんの余命は節制して一年です、担当医師が放った言葉が暗いワンルームマンションの天井に響く。数週間前、お見舞いに来てくれた涼子に病院で語った我が半世記、…
錦繍の時季であり、院内廊下の広いガラス窓の向こうには紅葉の高木が目に眩しかった。陽の光が輪のように木々を結んでいるような感じがした。 白い廊下の両側にあ…
七月下旬の熱帯夜、仕事中、どういうわけか胃に激痛を感じた。酒に対する節制は昔からしていたのであるが、緊急事態宣言以降、自宅にいることが多くなってから酒量が…
下田旅行から帰って来て、秋一は風車二号店についての最終調整段階に入っていた。物件は新宿御苑前駅近くの裏道に飲食店が連なる路地があり、かつてアレナの名物お父…
五十歳になる頃を境に、店の運営方針や利潤追求についての考え方に少しの変化が生じてきた。というのも、やはり将来の不安というものが今まで以上に暗雲のように胸中…
この小説、もう少しで第四部「風車~AKI~オープン」が終り、第五部(最終章)「終局への宴」に進むところなのですが、ここで少しだけ推敲というか手直しをさせて…
底冷えのする夜だった。早いもので、東日本大震災から丁度四年の歳月が経つ二月の終わりである。 秋一も十月にはいよいよ五十歳の誕生日を迎える。彼が常々周囲に…
秋一とジョージとの愛に深化がもたらされるようになった、その当時、LGBT支援団体であるNPO法人の大森理事長やその関係者たちは以前にも増して足繁く風車に顔…
翌週の水曜日、風車の定休日を利用して秋一は東京駅構内の銀の鈴でジョージと待ち合わせてから、高良心療内科クリニックへと向かった。 最初は診察室にジョージと…
上質な素材でできた会社の社長室にあるような大きな机を挟んで高良医師とジョージは向かい合ったわけであり、ジョージの横には付録のような感じでパイプ椅子に座る秋一…
アメリカ精神医学界が作成している精神疾患の診断基準・統計マニュアルであるDSMー5において、アスペルガー障害という診断名が削除され、代わりに自閉症スペクト…
その頃、風車の売り上げは好調で十年近く堅調な状態が続いていた。しかし、店が混みだすのは午後十時頃からであり、開店の八時からその込みだす時間帯までは、客の出入…
ジョージのマンションは同じ横浜市内でも横浜駅ではなく東急東横線大倉山駅から商店街を抜けた先の住宅街にあった。小高い丘上に何の分野であるかは分からないが大き…
客の流れが途絶えた時など、秋一は、すっかり会わなくなったジョージの顔を脳裏に思い浮かべる事が多くなった。花ママに言われた通り、時期的に正式な別れ話の席を持…
「ふうん、そんな事情があったんだ。」 微かな香水の匂いが花ママのトレードマークでもあるスポーティなポロシャツから秋一の鼻腔をくすぐった。 花屋敷の花マ…
続きは水曜日以降になりそうです。諸般の事情から少し時間ができるんですよね。だから、水曜日からしばらく連投して最後の第五部「終局への宴」まで進みたいです(^…
「ジョージ、最近何かあったのかい。悩み事があるとかさ。」 日曜日の昼間、秋一の部屋において昨日の酒で怠そうな顔をしながらピラフを食べるジョージに、彼は訊…
ゲイバー「風車~AKI~」はオープンして六年目辺りから絶好調となり、それから彼が店をたたむまでの約十七年間、まるで公務員のように収入は安定した。秋一の四十…
翌日の日曜日は父の供養の意味も込めて、彼が生前東京では一番のお気に入りだったという地に赴いた。それは浅草寺であり、昔家族四人で花屋敷遊園地に行った思い出も…
六年間、定休日の水曜日以外元旦も休まずに営業し、連続して休んだことなど一度もなかった秋一であるが、十日間もの休業をしたのはひとえにこの世界で一人前になった…
夕食をホテルのレストランでとり、秋一が先にジョージを部屋に帰らせたのは、食後の一服を喫煙室でしたいとうことに加えて携帯電話で八丈島の実家に電話をかけたかっ…
翌日、秋一とジョージは北投温泉に足をのばした。北投温泉というのは台湾最大の温泉郷で、台北市新北投駅にある名湯である。以前旅好きの知人から、その地の素晴らし…
ゲイバーである「風車~AKI~」をオープンして六年目、仕事は軌道に乗り何もかもが順調と充実の勢いに乗り上がり、お客であるお笑い芸人S田氏を通してテレビ出演…
秋一には自分の店を大きくしてやろうという事業欲とか有名になりたいという野心はなかった。将来の夢はただ一つ、風車を未来永劫的に繁盛させることであり、当時少し…
「甘かった・・・。私は向いていないようです。」 月曜日、休みを利用して深夜過ぎに花屋敷の花ママが若い仲間を連れて顔を出してくれたのであるが、不快感を与え…
病院の屋上もすっかり日が暮れて、夕飯に近い時間帯になったが、秋一には基本的に懐古趣味はない。ここまで人生の来し方を思い懐かしんでは涼子に話して聞かせたのは…
第三部「東京地裁VSオウム真理教」は終了しました。 次回から第四部「風車~AKI~」に進みます。
その後、秋一は何度か「アレナ」のお父さんの店に通ううち、池に小石を投じて出来た波紋のように心の中にさざ波が立つようになる。 冬将軍が本格化する時季には、…
晩秋、秋一は早い時間帯から新宿御苑前で花屋敷のママと待ち合わせた。早い時間帯といっても午後七時を少し回っており、ゴールデン街の黒猫の由貴子ママも一緒であっ…
有楽町界隈は丁度夕暮れ時に染まり、仕事帰りの人混みが無言の活気になって秋一を圧倒した。オフィス街と飲食街が妙に配合された都会の賑やかな舞台が妙に懐かしかっ…
平成八年四月の異動で秋一はいわば左遷のような形で令状専属担当となったのであるが、出勤は滞るようになる。体調不良を理由に休みを続け、やがて産業管理医からの指…
二月に入ってからも秋一の鬱々とした態度は一向に晴れ渡らず、林崎部長は眉をひそめては部長仲間達にこんなことを口にしていた。つまり四月以降、令状部専属に据え置…
年が明け、正月初日。 秋一はぼんやりとした脳で官舎のベランダに降り注ぐ陽光に身をやったが、寒さが鋭く身に染みて、ぼんやりとした脳が痛い寒さに対する怒りへ…
「そうか、そんなことがあったんだ。」 林崎部長は鈍い溜息をついては三重野主任書記官を見つめた。右手の紙コップのビールは既に底をついており、お代わりをする…
元恋人というよりも秋一にとっては一番親しい幼馴染のような存在であった直美が十年間の東京生活の末、都落ちのような感じで帰郷するのを見送ったのは正解だったと考…
東京湾クルージングはたっぷり二時間、料理とピアノで海から眺める東京の美的間隙を堪能させてくれた。 久しく人間的会話に欠乏していた秋一は、今日が直美にとっ…
十二月初旬土曜日の昼下がり、秋一は初めて最近開通したゆりかもめ竹芝駅に近い小さな駅で降車した。東京湾に面した駅であるが、意外と人出が少なく商店街もないこと…
この時間帯に電話をかけてくるとなると、峯田代行による緊急の業務がらみか実家の両親からかと思い受話器を取った秋一である。 しかし、受話器の向こうからは意に…
そして九月に入り、次々とオウム教団幹部の公判が始まるわけであるが、その一番最初に教団幹部とまでは言えずメディアにおけるネームバリューには劣る準幹部の第一回…
当時、秋一は職場に出勤後その足でほぼ毎日江戸川区内にあるY大学の大塚教授の研究室へと向かった。大塚教授というのは東京地裁峯田所長代行と大学法学部時代の同期…
平成七年五月十六日夜、秋一は東京湯島の官舎で一人ダイニングテーブルからテレビの画面を注視していた。ブラウン管では朝から一日中どこの局でも麻原彰晃逮捕のニュ…
本小説、ちょっとスランプ気味です。七割位進んだところで、構成に悩みが生じたのです。そんな折、ふと別の物語が脳裏をよぎって、もう一つのブログにアップしたとこ…
阪神淡路大震災は、秋一が静岡地裁在任中に発生したもので、早朝テレビのニュースでその惨劇を知った。 自身に影響はまったくなかったが、高速道路が玩具のように…
翌年、四月の人事異動において、秋一は静岡地裁勤務を命じられた。海の見える公務員宿舎で一人優雅に暮らすことになるのであるが、二十八歳になっていた。自己解放の…
歳月が経つのは早い。判事補三年目の初夏を迎えた。その時期、日本中は当時の皇太子であった浩宮様と小和田雅子様の結婚報道一色であった。テレビで結婚パレードを眺…
年が明け、判事補二年目になった秋一は一層職務に精励していた。年末年始も帰省しなかったのは、彼が担当した大型脱税事件を検挙したマルサこと国税庁査察部の調査員…
控室ですっかり意識を戻した秋一は、壁の時計を見やった。まだ披露宴は続いている時間であり、慌てて式場に戻ろうと腰を上げたところをスタッフに止められた。 「…
その年の秋口、秋一の担当した大型脱税事件の第一回公判が全国報道されテレビニュースで流れた。細いフレームの銀縁眼鏡から、テレビカメラを見つめる鋭い眼光と凛々…
当時、飛ぶ鳥を落とす勢いで出世街道を驀進していた林崎部長から雑談中に指導を受けた秋一は、しばらく今後の判事としての生き方、あり方について思い悩んでいた。 …
秋一は悩んでいた。すっかり惚れ込んでしまったユウと毎週土曜日同伴出勤するのはいいが、その本心にはなんとか彼をものにしたいということがあった。彼はウケ専らし…
先程来、花ママと二人きりのカウンターに、夜の匂いが風に乗って薄っすらと浸潤した。 「あら、ユウくん、おはよう。丁度噂してたところなのよ。」 ユウくんと…
仕事は忙しく毎晩深夜とまではいかないが、夕飯の時間帯を過ぎるまでは残業であった。大きな判決起案をしなければならなくなると土日出勤もやむをえなくなるが、まだ…
秋一は当時暇が出来ると精神医学や心理学の本ばかりを読んでいた。それは大学時代に知己を得て多大なる影響を受けた異端の理論刑法学者水上達夫氏の交際による。水上…
四月から司法修習生になった秋一は、とにかく忙しい研修スケジュールに目を白黒させていた。義人のことを考えるのも卒業旅行で完全燃焼した感があり、かてて加えてハ…
義人は、ほんの数年前に英語担当講師として市内で有名な英秀という進学塾に勤めていたという。 数年前のことであるのだから、きっと知り合いの同僚はいるだろうし…
翌朝目を覚ますと、ホテルの二重窓のカーテンの隙間から白い陽射しがさしていた。疲れていたのか夢もみず、セミダブルのベッドで呆れるくらい熟睡した秋一である。 …
翌日には東京に帰る最後の晩、秋一は家族そろったところで父に頭を下げた。今夜は姉夫婦も祖母も一緒の晩餐である。 「あのさ、俺、卒業旅行に行きたいんだよね。…
桜井義人、昭和二十八年十二月十日生まれ。東京都八王子市××町出身。父は日本を代表する大手電機メーカーの事業本部長まで勤め、母は専業主婦であった。六年前に父…
「まあ、あの頃からしばらく、ワタシの人生は川面に浮かぶ岩石を駆け抜けるような感じだったのよね。いつも丁度いい位置に石があって、他の人と違って自分だけ簡単に…
翌年、大学四年生になった秋一は司法試験を受験することになるのであるが、この時期は司法試験が史上最も難しかった頃であり、その試験範囲の広さには多くの受験生が…
八月に入ってすぐの金曜日。夕暮れ時、秋一は日独文化センター教室を訪れ、幻の刑法研究者水上達夫と対面することが出来た。 事前に受付スタッフを通して、こんな…
水上助教授はドイツ語に秀でてはいたが、法学研究者としては三流であり博士課程にも進学していないし法曹資格も有していなかったという。都内一流大学法学部四年生の…
水上教授との出逢いは大学二年次の晩秋であり、それは神田の古本街でのことであった。神田の古本街には上京以来足繫く通うように秋一であるが、雰囲気が好きなのであ…
直美との一事があって、秋一はしばらく落ち込んだ。勿論、直美を傷つけてしまったのが一番の理由であるが、それと併行して彼女にカミングアウトしたということは、彼…
銀座八丁目から秋一の世田谷区内小田急沿線のアパートまで、タクシーでは時間がかかった。そもそもタクシー待ちの行列に時間がかかったうえでのことだから、アパート…
実際、日曜日のこの時間帯、銀座のバー通りはまるでゴーストタウンのような静けさを保っており、着物姿のホステスは一人しか見かけなかった。その静寂さは新宿二丁目…
「アキくん?アタシ、誰だかわかるかしら・・・。」 幾分緊張気味だがおっとりした聞き覚えのある声で、すぐに誰だかわかった。 「直美ちゃんだね。元気でやっ…
秋一と彼に想いを寄せる畠山青年との関係は、一向に進展がなかった。求愛を受け取らないが決して見放すような態度もとらない秋一の態度に、畠山青年は疲弊していた。…
同じ大学とはいえ見ず知らずの学生から奇妙な告白を受けた秋一は、独り悩んだ。義人に代わる心のパートナーを熱望している彼としては新たなチャンスであることは事実…
「こんばんは。」 図書館の丁度出入り口を出た辺りで、前方を進む青年に声をかけた秋一である。 えっ、慌てて振り返る青年は目を真ん丸と大きくさせ茶色のジャ…
やがて夏がきて、秋がきた。昨年同様お盆に少しの期間だけ帰省して東京に戻ってきてからも特に秋に受験予定の行政書士試験の対策はしなかった。 十月の日曜日、都…
「何をやったんですか。」 「寸借詐欺よ。ゲイリブの団体を作りたいと語ってはあちこちで知り合いからお金を借りまくってね。雑誌の文通欄まで利用していたらしい…
大学一年次の夏休み、帰省したがすぐに東京に戻ってきた秋一は、既にして自分は島民ではないことに気づいていた。それは島を発った多くの若者と同様であり、そもそも…
「花屋敷」という店名のそのゲイバーは、林氏の昔からの行きつけであり、ママは年齢不詳、しかし非常に特徴的な外見の持ち主であった。 プロレスラーにしては上背…
当時、新宿二丁目ではなく三丁目の路地裏に「風車」という小さなラブホテルがあった。表向きは普通の男女向けの休憩所であるが、場所柄か同性愛者同士の利用が多く、…
その年の五月連休三日目の昼下がり、秋一はJR上野駅公園口から公園内と進んだ。小学生の頃、島の幼馴染正人の家族と自分の家族とで夏休みに上野動物公園に来たこと…
その年の聖母月、連休の初日に、秋一は勉強机の右脇に設置した黒いプッシュフォン電話を朝からじっと見つめていた。昼過ぎ、最近調べた近場の区立図書館へ行こうかと…
東京生活において頼りにしていた義人が忽然と自分の前から姿を消してしまったことについて、しばらく秋一は呆然としつつも今後のキャンパス生活について緻密な計画を…
ピン、ポーン。ピン。ポーン。 ベルの音は意外と高音響で、しばらくして、ドアチェーンが付いたまま扉が半開きした。 どなたっ? 半開きの扉から外を覗くよ…
「まあ、そんな感じ。東京生活での憧れとか、将来のビジョンを見据えてとかそういうわけじゃなくてね。最初はその桜井義人さんを追って上京してきたというのが本心か…
四月以降、東京の義人からは二週間に一度手紙が届いた。当時はまだワープロさえも一般普及していなかったので便箋にはぎっしりと達筆な手書き文字が躍っており、毎回…
三月三十一日の月曜日午後三時、秋一は彼女である直美を連れて自転車で八丈島簡易裁判所の狭い駐車場から二人ガラス戸の向こうに見える執務室を覗いていた。 背広…
卒業式も義人との島における最後の晩餐会も終わり、秋一は半ば放心状態のような気持で自宅の勉強部屋に横になってはラジオから流れる洋楽を聴いていた。とりあえず浪…
約束の日曜日、三月二十三日の二人だけのお別れパーティーまでの期間、秋一は毎晩公衆電話で義人の官舎まで電話をかけ続け今後のことについて話し合った。 義人が…
一年間は早かった。いつの間にか夏は思い出の色に変わり、秋が過ぎ冬が来て正月明けの時節となった。東京での大学受験日程が近づいていたが、正直、秋一は自信がなか…
半月後、高校生活最後の夏休みがやってきた。義人とは深夜公衆電話を通じて頻繁に話してはいたが、彼女ができたことはなんとなく電話で伝えることに抵抗を感じ、直接…
学生数に比し校舎も校庭も広大に過ぎるのが、秋一たちが通う高校の第一の特徴であった。そして、全学年で三クラスしかないのだから、普通の高校に比し各学年間の敷居…
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日曜日の夕方であった。冴え返る肌寒さも感じたが、全体的に街には春の到来を告げる気配が漂い、あと二週間もすれば桜の開花時期となると思うと、秋一はなんとなく嬉…
多くのお客さんたちが秋一に別れを告げにやって来た。日本屈指のコメディアンS田氏に続いて、元上司である林崎裁判長の暖かい訪問まで受け、秋一は自分の東京生活に…
「家内も最近じゃ、すっかり涙もろくなってしまってな。」 林崎部長は嗚咽をもらす老婦人を横目にカウンターの秋一を見つめた。 「事情は私から話そう。私はね…
直美が帰った翌日の日曜日、秋一は夜六時から店に立っていた。一時間ほどで仕込みを済ませ、八時か九時頃まで店に立ち、後はジョージに任せるのであるから、さほどの…
秋に医師から節制して余命一年と宣告されて約四か月が経った。その間も通院治療は怠らなかった秋一であり、医師たちからの励ましで延命の期待を十分に胸に刻み込んで…
人気絶頂のコメディアンS田氏がぞっこん惚れ込み再婚相手にまでと考えていた銀座のクラブホステス明美が初めて、風車に顔を出したのは、もう二十年近くも前の話であ…
その晩、風車の閉店メッセージを知った長年来の常連客であるコメディアンS田氏は最後の宴を愉しむべく秘書を連れてやって来た。一年先のスケジュールまでに拘束され…
その頃から、秋一は毎晩のように妙な夢をみるようになった。スキーのジャンプ台に立つ夢である。多くの人がジャンプ台に立つまで順番待ちをしている。自分もその内の…
精神力が体力を凌ぐというのにも限界がある。二月の中旬に入ると倦怠感に襲われることが多くなり、食欲不振から益々瘦せ衰えてきた。しかし、抗がん剤治療を始めとす…
一月下旬の寒い夜、閉店のお知らせメールを受信した光の会の内田理事長と羽根女史とが更に数人の仲間を連れてすっ飛んで来た。真面目なゲイとビアン同士は基本相性が…
翌日、秋一は病院で担当医に対して三月いっぱいまで働き、後はがんと闘うことだけに専念したいと相談した。担当医としては秋一の仕事内容を知っているだけに渋い顔を…
八丈島の母親や姉家族、それに直美には退院直後に少しだけ事情を説明したのであるが、やはり医師からの余命一年という宣告については話せなかった。とりわけ高齢だが…
営業再開の初日、店明けと同時、早い時間帯から涼子が仲間の和美を連れてやって来た。和美というのは涼子の友人であり、風車で偶然隣り合わせたノンケの男性と数年前…
武田さんの余命は節制して一年です、担当医師が放った言葉が暗いワンルームマンションの天井に響く。数週間前、お見舞いに来てくれた涼子に病院で語った我が半世記、…
錦繍の時季であり、院内廊下の広いガラス窓の向こうには紅葉の高木が目に眩しかった。陽の光が輪のように木々を結んでいるような感じがした。 白い廊下の両側にあ…
七月下旬の熱帯夜、仕事中、どういうわけか胃に激痛を感じた。酒に対する節制は昔からしていたのであるが、緊急事態宣言以降、自宅にいることが多くなってから酒量が…
下田旅行から帰って来て、秋一は風車二号店についての最終調整段階に入っていた。物件は新宿御苑前駅近くの裏道に飲食店が連なる路地があり、かつてアレナの名物お父…
五十歳になる頃を境に、店の運営方針や利潤追求についての考え方に少しの変化が生じてきた。というのも、やはり将来の不安というものが今まで以上に暗雲のように胸中…
この小説、もう少しで第四部「風車~AKI~オープン」が終り、第五部(最終章)「終局への宴」に進むところなのですが、ここで少しだけ推敲というか手直しをさせて…
底冷えのする夜だった。早いもので、東日本大震災から丁度四年の歳月が経つ二月の終わりである。 秋一も十月にはいよいよ五十歳の誕生日を迎える。彼が常々周囲に…
この小説、諸般の事情からとにかく5月中にはいったんの完成を目指しているところです。 それから約二か月で推敲をなして、なんとかまともな小説へと育て上げたい…
昨年の真夏日から、達朗は毎月の第四日曜日、自宅から二時間もかけて京王線調布駅から少し歩いた先の調布市民会館まで通うことになった。 彼のチェスの師匠、山澤…
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岸上達朗の一日は遅くから始まるというか始まりに明確さがなかった。 一日のうちで最も日が高い時間帯にベッドで目覚め、そのままベッドの外に跳躍することはでき…
岸上達朗、英和商科大学2年生、先月4月に21歳になったばかりであるが、単位の取得不足から三年次には進級できなかった。 大学側に原因を知らされていないが、…
英和商科大学はJR大宮駅を降り、さいたま新都心駅方面にバスを乗り継ぎ数駅目に位置する社会科学系の振興大学である。 バス停を降りると、大通りを挟んだ向かい…