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河は流れる~90代元国鉄マン九州諸所の紹介ブログ https://pikapikaclass.blog.jp/

昭和一桁生まれ男性。九州在住【南向庵】です。趣味パソコン、写真撮影、文章を書く事。ブログ立ち上げと管理は家族が手伝っていますが、文章は全て本人によるものです。

南向庵
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2022/06/06

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  • じゃがいも②

    当時のじゃがいもは主に関東地方で育てられていた。関東地方と北海道は気候風土が違う。特に土壌が。北海道の風土に適合するじゃがいもに育てあげたのが川田龍吉氏である。明治39年から北海道にてじゃがいもの試験栽培に取り組み、その功に報いる為「男爵」という名が付され

  • じゃがいも①

    JR主催の北海道ツアーに参加したことがある。私の場合、旅に出ると「見ること、知ること、考えること」が多いのだが、このツアーでは「自然と開拓」「人間の英知」について考えさせられた。事例として「じゃがいも」の話をする。じゃがいもの原産地は南アメリカのアンデス山

  • 長島のブリ王に

    タビックス主催のバスツアー【ブリ王】に参加した。雨が心配だったが、なんとか持てそうなのが嬉しい。参加者は三十名。最小催行は二十五名だそうだから、まあまあの企画だったのだろうか。私の席は前から2番目。申し込みが早かったゆえか。バスは都城から小林を経て西進する

  • 濱かつ

    かつて北九州某所に開店するトンカツ店の工事を受注した事がある。食品業界は大変である。昔はBSEいわゆる狂牛病問題、生産地虚偽表示問題及び内部告発、昨今は原材料の高騰、客のマナー違反等、関係者は苦慮していることであろう。そういう食品をめぐる諸々の騒動を見る時、

  • 宮本武蔵③

    大工の棟梁は「きくばり」が大事である。「きくばり」の「き」とは、心配りの「気」ではなく、木材の「木」である。「節のない真直ぐな木」は表の柱に、「真直ぐだが節のある木」は裏の柱に、「見映えはよいけれど強度のない木材」は敷居、戸、障子などに使う。吟味して使え

  • 宮本武蔵②

    宮本武蔵、という人物の実像はどうであったろう。28歳で佐々木小次郎と試合をする若い頃と、熊本細川家客分として過ごす晩年では随分と違うようである。若い城主や家老などの為に、62歳死の直前に完成させた「五輪書」には、悟りの境地が感じられる。「五輪書」は兵法の

  • 宮本武蔵①

    平成十五年。NHKテレビ放送開始50周年記念として放送された大河ドラマ【武蔵MUSASHI】。原作は、かつて朝日新聞に連載され大人気を博した吉川英治氏の【宮本武蔵】である。この本には深い思い出がある。中学生の時友人から単行本を借り読み始めたのだが、1945年8月の

  • 坂の上を見つめて③

    檀上からは九州管弦楽団のメンバーによる生演奏が流れている。シューベルトのロザムンデ第2楽章が、ゆったりと心地よい。およそ三百人の来賓の間を会長・社長が挨拶を兼ねて動き回る。両者の先頭にはプラカードを掲げたコンパニオンと名刺を載せたお盆を持つコンパニオン。ホ

  • 坂の上を見つめて②

    「創立五十周年記念祝賀会」は、格式あるものにしたかった。老舗ホテルの宴会担当者と相談する。招待者は元運輸大臣、市長、JR九州社長といった方々をはじめ東京以西の政財界の方々。祝儀は一切受け取らない。やっとのことで間に合った新しい社旗が壁に取り付けられていた。

  • 坂の上を見つめて①

    入社してから5年になろうとしていた。この年九月には会社設立五十年を迎える。思えば苦難の歴史でもあった。会社設立時は戦争中。鉄道線路の敷設・保守を行う組織として鉄道省が強制的に設立させたもの。オーナー会社ではないから経営者はバラバラで経営能力はいまひとつ。

  • 厄介な事柄

    仕事中、私のところに見知らぬ人物がやって来た。金色のバッジを見せびらかし、「こういうモンだが」と言う。同行者は腕の入れ墨が見えるよう、わざと袖口をたくし上げている。建設業には得体の知れない訪問者が多い。私が苦慮しているのを見た会長は、警察OBの有力者と話

  • 萌える若竹

    私が所属しているパソコン同好会の会員諸氏には共通している点がある。それは探求心。成果物は7月1日から室内に展示される。全員が提出したら六十点。壮観に違いない。出典作品は撮影時期から考えて桜やバラ、それに皐月、あるいは蓮の花が主題になるだろう。私の場合、皆さ

  • 観光振興功労者②

    前述のKさんは「九州新幹線開業効果を宮崎へ」というタイトルで講演もなさっている。アクセスが悪いことから「陸の孤島」と言われてきた宮崎に、交通ネットワークの構築を図り自治体等に働きかけ、宮崎駅西口の再開発にも尽力した。そのKさんが、60歳の若さで病気で亡くな

  • 観光振興功労者①

    国鉄は学歴社会である。学制改革が行われた昭和28年頃はその傾向が顕著であった。民営化以後は多少の変化はあるものの、基本的にはさほど変わらない。役員に登用されるのは旧制帝国大卒業生の中から、役員でない支社長には地方の国立大卒業生からという仕組み。さて今回はKさ

  • 御田植祭

    宮崎神宮主催の御田植祭(おたうえまつり)を見学した。農作業の工程を模擬的に演じ、豊作を記念する神事である。新聞にも掲載されたので早速切り抜いた。以下記事から引用する。宮崎市の宮崎神宮(杉田秀清宮司)で8日、五穀豊穣を願う恒例の御田植祭があり、氏子ら約70

  • 御田祭

    「御田」は、寺社や皇室等が所有する領田、またその領田で行われる行事のこと。耕作との深い関わりを示すものとして、多くの御田に関する行事が、日本各地に伝承されている。宮崎県東臼杵郡美郷町(みさとちょう)西郷の田代神社(1032年創建)まで出かけ、御田祭を見学した

  • 光陰矢の如し

    妻へおまえが無量寿の世界を目指して飛び立ってから随分年月が過ぎた。そちらが寿の世界かどうか、知るすべもない。残された世界は色々だよ。〇〇家(妻の実家)の場合、おばあちゃんと〇〇兄(長兄)はこの世を去ったよ。おばあちゃんの遺産相続ではゴタゴタと揉めた。〇〇

  • 切ない別れ

    義母は満百八歳で天寿を全うした。さしたる病気もなかったから、典型的な老衰だったのだろう。老後の面倒は私の伴侶が一手に受け持っていた。彼女が先に身罷ったとき、義母の身柄を療養施設に移し、会計を長兄にお願いした。その長兄も義母より先にこの世を去った。会計事務

  • 伴侶を偲ぶ⑥

    晩年妻の性格に変化が生じてきた。気の強さが影をひそめ、思いやりの気持ちが一層強くなってきたように思う。その思いやりの最大の対象は 義母だった。義母は八十歳を超える頃から皆さんの世話を受けるようになっていたが、百歳を超えてからはその度合いが益々強まってゆき

  • 伴侶を偲ぶ⑤

    平成六年の春、私は某企業の専務だった。会社の経営内容は相当に改善されたとはいうものの、万全とはいえず多忙な日々を送っていた。父が肺がんになった。あちこちに転移しており、痛々しい。二月、病状は進行し始める。介護者として私の母は頼りにならず、手が足りない。当

  • 肉と魚と

    ある朝のこと。デイサービスの管理責任者が利用者に声をかけた。「肉が好きな人?」誰も手を挙げない。「魚が好きな人?」およそ半数から手が挙がる。管理責任者は諄々と話をされたが、私は自分なりに解釈した。好き嫌いの背景には、利用者それぞれの生活環境や人生経験が影

  • ローカル線はいま②

    真幸地区は過疎のまちである。肥薩線・真幸駅周辺に民家は見当たらない。ここは宮崎県内で最初にできた古い駅。かつてあった集落は、度重なる土石流災害で姿を消したという。それでも観光客がぞろぞろと降りて来る。「真の幸せ」に通じる駅名が人を惹きつけるのだろう。小学

  • ローカル線はいま①

    京町温泉駅に降り立ったとき、花火がドーンとあがった。我々73名のツアー客を歓迎する為である。全員が駅前広場に集合すると町長や管理駅長の挨拶があり、最高齢者であるHさんには花束と記念品の贈呈がある。駅前広場には特産品の販売所があり、試食コーナーもある。地元の人

  • 極めて優秀な人④

    ルール変更は時の総裁からの「差別ではないか、おかしいのではないか」との指示で行われたらしい。しかし人事当局が音を上げた。「対処できない」というのである。人材も玉石混交となったので、昭和35年から旧に復した。変わった点は本社採用者に旧制帝国大卒以外の人物が

  • 極めて優秀な人③

    幅員4m、H鋼3主桁、径間20m。私が一日がかりで作成した計画書を、課長は数時間で作り上げたのだ。赤面するしかない。以後、課長から指示された仕事は直ちに、徹夜してでも、と思うようになる。また、Bさん以外の方からの指示であっても「出来るだけ早く仕上げる」とい

  • 極めて優秀な人②

    Bさんが本社土木課の補佐から門司局の工事課長として着任した時、「〇〇君(私)はどうしているか?」との質問があり、「日田の線路分区長をしています。」との答えに「すぐ呼び戻せ。」との指示があったらしい。私はBさんの配下として働くことになった。ある時B課長から指示

  • 極めて優秀な人①

    昭和28年の春は新制大学一期生が世に出る年であった。その時、国鉄幹部ははたと困った。後継者は旧制帝国大の卒業生としたいが、どうやって新制大卒を除外するのか。その答えはこうである。本社採用と地方採用に区分する。併願は出来ないというルール。ただ、このルールで

  • 頑として③

    会計帳簿に記載されている数字に対し、金庫の現金が「100円」足りない、という場面があった。おそらく現金の出し入れの際、散逸したのが原因であろう。経理を担当する女子社員が弁済を申し出た。勿論女子社員が悪いのだが、この件は彼にとって許しがたいものであった。「

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