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河は流れる~90代元国鉄マン九州諸所の紹介ブログ https://pikapikaclass.blog.jp/

昭和一桁生まれ男性。九州在住【南向庵】です。趣味パソコン、写真撮影、文章を書く事。ブログ立ち上げと管理は家族が手伝っていますが、文章は全て本人によるものです。

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2022/06/06

  • 肥薩線ものがたり⑦

    8月22日10時30分、吉松発の上り門司行列車は客車6両・貨車12両の計18両。D51がけん引し、補機として同じくD51が後押しした。列車は客車はもちろん、機関車前部、客貨車の屋根にまで鈴なりの人を乗せて出発したが、蒸気があがらず、25/1000の急勾配の

  • 肥薩線ものがたり⑥

    肥薩線は急峻な山岳線である為、建造物の保守や列車運行上の労苦もたえない。山腹には浮石が多く、従って落石も多いが、昭和44年4月20日には葉木~鎌瀬間で落石による列車脱線事故が発生した。その原因は山中に生息する猪が、浮石周辺の地面を掘り返したため、安定を失

  • 肥薩線ものがたり⑤

    矢岳トンネルがようやく完成し、鹿児島線が全線開通したのは明治42年11月である。着工以来10年3か月の工期と1,582万円の工事費が費やされたのである。鹿児島線の開通を目前にして、鉄道敷設の最も有力な推進母体だった鹿児島市は、祝賀気分に湧いていた。8月7日には、県知事

  • 肥薩線ものがたり④

    八代~人吉間の開通で、あとは人吉~吉松間のわずか32kmを残すのみとなったが、この区間が鹿児島線で最大の難工区となった。この工区で最も苦難をきわめたものは矢岳トンネルである。海抜600mの高さの所で、延長2K96mのトンネルを25/1000の片こう配で掘

  • 肥薩線ものがたり③

    まもなく日清戦争が起こり、講和後の明治29年に鹿児島線の開さく計画が発表された。これによると、八代~鹿児島間の総予算は721万円で、西薩海岸コースの約3倍の巨費である。工事は、人吉を境に区間を肥後と薩摩に分け、双方から着手することになった。明治32年3月

  • 肥薩線ものがたり②

    たまたま鉄道院総裁の後藤新平が視察のため海岸コースを通って鹿児島入りした時は、各地で荷物を満載した荷車に挟まれて立往生したという。西薩一帯の貨物流通がいかに厳しいかを見せつける、大デモストレーションであったのである。調査の結果は「東部路線はこう配が著しく

  • 肥薩線ものがたり①

    幕末から明治維新にかけて華々しい活躍をした薩摩隼人は、その後の中央政財界でも大いに幅をきかせた。が、地元鹿児島県では明治10年に起こった西南戦争の余波を受けてか、文明開化の波に取り残された感が強かった。特に鉄道の恩恵については知るものも少なかった。九州に

  • 実力考査の思い出②

    二位はY君。あばら骨が浮き出るほどに勉強一途だ。「どこを受けるのか?」と聞くと、「九州大学」と云う。「そんなに勉強しなくてもいいのに」と言ったら、「合格は合格でも良い成績で入学したい」という。「兄貴は二人とも九大だが、負けたくない」とも。Y君は後年大企業に

  • 実力考査の思い出①

    高校三年時の事。毎週土曜日の午後は実力考査。火曜日にはその結果が校舎の壁面に張り出される。考査を受けるかどうかは各人の自由だが、男子生徒180名の殆どは受験した。女子生徒180名はまず受験しない。背景には「女子が進学しようにも学資の提供が期待できない」と

  • えれこっちゃみやざき

    道路案内板に7月29日(土)・30日(日)両日の一定時間、橘通り1丁目~3丁目間は自動車の通行禁止との表示がある。何の行事だろう?行ってみよう。そう思い、出かけてみた。宮崎市内の官公庁・有力企業・各種婦人会等の方々の協力のもと、大規模な盆踊りが披露されて

  • 志多組のこと②

    彼は付属小学校時代の同級生である。用件を聞いたところ、「宮崎の県北で林道整備工事の施工中、作業員の転落事故が発生した。」「会社の責任・経営者としての自分に刑法上の罪が問われるのではないかと心配したが、それがなくなったので各所に挨拶回りをしている。」とのこ

  • 志多組のこと①

    大学時代の事としてこのブログで以前記した内容と一部被るが、詳細を再記する。測量の仕事がない時は建設業・志多組の土木工事現場で人夫として働いた。当時は土木用の諸機械は導入されていなかったから、殆どが人力作業である。たとえばコンクリート打ち。まず材料運搬。倉

  • 東雲の里あじさい園

    2018年記バスーツアーで「あじさい園」に行く。途中「黒之瀬戸だんだん市場」という市場に立ち寄った。いわば「道の駅」である。都城から乗車した参加者達は、海産物を中心にせっせと買い込んでいる。都城は海から離れた盆地である。「海産物が少ないからだろう」と、ひ

  • 岸壁の母

    作詞:藤田まさと作曲:平川浪竜唄:菊池章子1 母は来ました 今日も来た この岸壁に 今日も来た 届かぬ願いと 知りながら もしやもしやに もしやもしやに ひかされて2 呼んでください おがみます ああ おっかさん よく来たと 海山千里と 云う

  • 紅葉ミステリー②

    今年の夏は酷暑が続いたせいで紅葉が遅れているようだ。それでも麓城址の紅葉は見事だったのでシャッターを切り続けたけれども、出来栄えは落第だ。殆どの作品がぶれている。ここはかつてこの地を治めた豪族上村氏の居城跡である。城跡一帯が秋色に彩られ、美しい。折角三脚

  • 紅葉ミステリー①

    2013年の秋。今年の最後になるだろうバスツアーに参加する。行先は明示されていないから判らないが、ヒントはある。大隅半島の福山黒酢本舗から、加治木町の龍門滝あたりだろうと推察したのだが、的中したのは福山黒酢だけ。予想外の展開となる。結果は観音滝公園から伊

  • 見返りの滝

    2013年記6月5日、宮交観光の日帰りバスツアー【あじさい祭りと見返りの滝】に参加する。出発は宮崎駅東口から。途中、バスセンター・都城・小林に立ち寄り参加者41名。八割が中年女性で、そのお喋りはまことにかしましい。女性にとってのお喋りは活力の素ではあろう

  • 信頼②

    その後紆余曲折を重ねながらダイエーは大企業になるのですが、功氏の「思ったことを思った通りに実行する」個人主義的な傾向は、功罪相半ばしたと言えるかもしれません。価格破壊を掲げチェーン展開を成功させる一方「私とコンピューターとパートがいればいい」と社員を大量

  • 信頼①

    【2004年1月・会社年初のスピーチより抜粋】我が社には社訓というものがありません。ただ、こういう会社でありたいというコンセプトは持ち続けております。「信頼関係の構築」、これがなければおかしな事になります。ゼロ細企業から日本を代表する大企業に成長した会社

  • 佐土原へ

    ウォーキングそのものはもう駄目だが、雰囲気だけでも楽しみたい。終着点の会場に直行し地産の食材を使ったつまみを肴に生ビールでも、と佐土原に赴く。参加者は多かった。シャトルバスが補助席を使って満席なのはOBとして嬉しいこと。老いも若きも参加者は到着するとすぐ

  • 妻の遺した歌

    伴侶は癌の闘病中、沢山の歌をノートにしたためていた。彼女亡き後それを整理し、親しい方にお手紙を差し上げた。すると丁寧なお返事を頂いたので、ここに掲載する。「無量寿」を読んで「〇〇」主宰 〇〇〇〇お亡くなりになる前に一気に百首もの歌をお作りになったという作

  • 吉野千本桜

    観桜の日が続く。大阪南港から「はまゆう観光」のバスに乗る。参加者22名。パンフでは35名で出発保証とあるのだが・・・まずは吉野山。あの広大な山のどのあたりを歩くのかと思っていたら、中千本の細く曲がりくねった道を、1時間半かけて歩くことに。上千本は満開らし

  • 中国旅行②

    東郷平八郎のこの決断には理由があった。旧日本海軍は「情報」に重きを置き、国産の無線電信機を開発していた。1900年、「三四式無線電信機」完成。1903年、さらに高性能化された「三六式無線電信機」を複数艦隊に搭載。この内「信濃丸」が不審船発見。三六式無線機

  • 中国旅行①

    以前、中国・東北地方の大連経由で旅順に行ったことがある。旅順のあちこちに日本語の案内板。日本人観光客が多いのであろう。標高203メートルの山「二〇三高地」の山頂からは旅順の街が一望できる。また、かつて日本が掌握した観測所や、「白玉山塔」と呼ばれる慰霊塔を

  • [三越伊勢丹]について

    デパート経営は苦境にある。百貨店全体の売り上げは1990年代後半から少しづつ減少。稼ぎ頭であった衣料品は次第に売れなくなり、「食品を売る」スタンスに変わりつつある。具体的に述べよう。主要品目別売上額構成比のグラフを見ると、1980年に42%を占めていた衣

  • スピーチ③

    【デパート】小倉駅前のデパートが「経営難で撤退する」という時、それに関連したスピーチをした。三井家は三井越後守高安の時代、織田信長によって滅ぼされた。一族は近江から伊勢に逃れ、さらに松坂へ。高安の子・三井則兵衛高俊は武士を捨て町人になり、質屋・酒・味噌を

  • スピーチ②

    小さな会社だから、社員の殆どが技術者。技術に専念するのが本筋ではあるが、受注も欲しい。営業マンであっても欲しい。発注者と話が出来る存在になって頂きたい。諸々の話題を蓄えておいて頂きたい。こういう願望があったのである。尤も社長のスピーチだから雑談ばかりでは

  • スピーチ①

    JRを退職し新たな会社に入社すると、月一回の点呼の時間を使っての「社員によるスピーチ」があった。テーマは自由である。ある者は剣道を取り上げ人生の極意を語る。またある者は植物の姿形から生き様を探ろうとする。なかなか良い制度だが、〇〇部次長の話は評判が悪かった

  • 迎え撃てるか③

    宮崎市郊外の蓮ヶ池には高射砲台地があった。射程距離8500メートル。だがB29の飛行高度は10000メートル。敵に弾が届かない。第二次世界大戦を前に、各国で防空体制の整備に努力が注がれた。しかしこの「高射砲」が実戦で大きな戦果を挙げた、という記録はほとんど

  • 迎え撃てるか②

    6月頃「動員先は市内の農家とする」「行先は各自自分で決めてよい」となった。生徒のコントロールが出来なくなったのだ。私は宮崎駅東にある農家を選んだ。(関連過去記事はこちら→中学へ④ : 河は流れる~90代元国鉄マン九州諸所の紹介ブログ (blog.jp))さて、悲惨な話

  • 迎え撃てるか①

    昭和20年、中学に入学してから【軍事訓練】というのがあった。数少ない木銃を順番で持たされ、「エイ!」「ヤア!」と叫び声を上げながら敵兵めがけて突っ込む訓練である。目指す敵兵は遠方の物陰から自動小銃を乱射するのだから、突撃訓練はなんの役にも立たない筈だった

  • 安全と水②

    次に「治水」の話。環境はどんどん変化する。開発が進み山林が平地になる。道路が出来て舗装される。すると土壌での保水能力が低下し、河川に一度に流水が集まる。そうなると河川幅を拡幅するか、堤防高を嵩上げするか、場合によってはダムの必要性も考えなくてはならない。

  • 安全と水①

    山本書店より1970年に刊行された【日本人とユダヤ人】という本がある。これはイザヤ・ベンダサンというペンネームで山本七平氏が書いたもので、300万部を超える大ベストセラーとなった。そのなかに「日本人は安全と水は只だと思っている。」「安全と水ほど高いものは

  • 花見ツアー②

    バスは頂上まで進行方向を約180度反転させるヘアピンカーブを登っていく。通称「九十九曲がり」と呼ばれているらしい。およそ3キロにわたって沿道にソメイヨシノやヤマザクラが咲いている。高森峠の場合麓から頂上までの標高差が有る為、長期に亘って花見を楽しむことが出来

  • 花見ツアー①

    旅に出る。今日の目的地は阿蘇の一心行・高森の千本桜・五ヶ瀬町にある浄専寺のしだれ桜。平成25年4月5日、宮崎駅東口の集合場所では驚いた。2週間前での申込者は40名だった筈だが、実際の参加者は20名。「季節は過ぎた」との判断で過半数がキャンセルしたのだろう

  • 福知山線の脱線事故

    平成17年4月25日、福知山線で旅客列車が脱線し、107名の方々が死亡するという大事故が発生した。原因は制限速度70キロの急曲線を110キロの高速で通過しようとしたからだとされている。平成21年7月8日、山崎社長が在宅起訴され即辞任。23日には当時の役員

  • 友去りて②

    やがてO君は土木局長となる。百万都市の役所で、土木屋が臨みうる最高のポストだ。福岡市のある幹部を我が社の社員として迎え入れる時、その人物評価をお願いしたことがある。彼は言う、人物は良い、しかし福岡市が発注する工事を受注しようと考えたら駄目だよ、と。私は「判

  • 友去りて①

    2016年5月某日夕刻、N君から電話。O君の訃を知らせる内容であった。彼は中高大で一緒だった男である。暗然たる思い。当時の卒業予定者の就職状況は異常なほど厳しかった。なにしろ暮れまでに採用通知を受け取ったのは、九州電力のK君と国鉄の私だけ。僅かに2人だった。

  • 瑞宝双光章⑤

    【政府広報オンライン】より抜粋「春秋叙勲」では、毎回おおむね4,000名の方に勲章が授与されます。春秋叙勲の対象者は、国または公共に対し功労のあった方で、(1)70歳以上の方、または(2)55歳以上で精神的または肉体的に著しく労苦の多い業務や人目に付きにくい分野で

  • 瑞宝双光章④

    天皇陛下から「長い間ご苦労様でした。」との言葉を頂く。お言葉を頂戴する間、私の横に立った男性の震えが止まらない。感激のあまりだろうと推察する。一方、1階の階段横で車椅子に座り正装で黙然としている人もいる。身障者用の設備は見当たらない。グランドホテル赤坂か

  • 瑞宝双光章③

    4月28日、叙勲の伝達式について正式通知。翌29日プレス発表。在京日程は最小にしたい。そうなれば5月8日に出発、10日の帰宅だ。そう考える理由は義母のことが念頭にある。初日義母をデイケアに送り出す。8日・9日、正味2日間程度の面倒は長兄夫妻にお願いできる

  • 瑞宝双光章②

    最大のポイントは功績調書だろう。自分で自分の功績を書き連ねるのは面映ゆいが書かねばならない。次の三項を書き記した。1、施設部工事課における功績 門司港・久留米間の電化工事 香椎駅構内の大改良 松浦線潜竜駅構内の災害復旧 降雨時の列車運転規制基準制定2、鹿

  • 瑞宝双光章①

    平成〇〇年8月、JR九州の人事課から連絡があり、叙勲の件について話があるので来社頂きたいとの事。早速出向いて話を聞いたのだが、そのあたりのことを少々述べてみる。瑞宝章の受賞対象者は各官公庁や各種公共機関から所轄省庁に推薦、総務省で取り纏められた後閣議に付議

  • イタリア旅行

    イタリアツアーでの思い出を記す。前段の話として、南北の経済格差について触れておいた方がよいだろう。かつてイタリア北部(ベネチア・ジェノバ・フィレンツェ等)は地中海商業で富を蓄積し、重工業地域としても発展した。街に活気がある。一方イタリア南部(ナポリ・シチ

  • 文化公園の桜

    2018年の春は早かった。級友のF君が観桜に行こうと言うので、先日N君共々三人で都城に行ったのだが、客が多く駐車場は満車。後ろ髪を引かれながら帰らざるを得なかった。不完全燃焼である。テレビでは宮崎市内の総合文化公園の桜が満開で「家族連れが楽しんでいる」と伝えて

  • 高城観音池公園に

    3月25日、N君F君それに私の3人は、F君の愛車プリウスに乗り都城の「高城観音池公園」目指し南下した。ここは桜の名所で知られている。約5000本のソメイヨシノを植栽しているそうで、3月末から4月初めが見頃であろう。宮崎自動車道都城ICから約5分で目的地に到着。

  • 建築に柱を③

    T君はすでに脳死状態。若い医師二人が付いていて、強制的に心臓を動かしている。他には「見舞いに来ていた」という姪が一人だけ。「それじゃ、いいですか?延命装置を外しますよ。」どうやら立会人は二人が必要らしい。身内への連絡は姪の担当。やがて姪の父親であり、T君の

  • 建築に柱を②

    技術者はバリバリの人材を。一級建築士もしくは一級建築施工管理技士を。幸いN建設が九州から撤退するという話があり、その社員全員をN建設と同一労働条件で受け入れることにした。経営計画としては「最低年間受注額・十億円」とする。別に支店も設置する。そうでなければ一

  • 建築に柱を①

    65歳になった。会社役員の定年である。社長に在職中のお礼を述べ退室しようとしたら「ちょっと待て」「子会社の経営もしっかりした内容にしてくれ」との言葉。この子会社は北九州支店長Tさんの発想でスタートした。バブル当時建築の仕事が激増したが、アフターサービスまで

  • 韓国へ④

    宿泊ホテルは最高級。スペースは広くバスが付いている。床暖房もある。ゆったりしているところへ隣室から「イチゴを買ってきましたが、食べませんか?」との声。全員揃っていないので尋ねたところ「アカスリに出かけた」と言う。もう夜も更けていた。三日目釜山郊外のホテル

  • 韓国へ③

    今日は身体が冷えきった。皆さん夕食のカルビ焼肉を前にして、ビールを註文している。私は清酒を頼んだ。ホテルにはバスがなく、温泉という触れ込みの大浴場を利用する。二日目、晴れてきたのは有難い。朝食のテーブルにはサラダオイルで焼き上げた金目鯛。話は前後するが、

  • 韓国へ②

    Sさんを団長として我ら一同は粛々と移動を開始する。八時半、福岡空港国際線ターミナル出発ロビー集合、同行ツアー客は81名となっていた。十時四十分定員一杯で飛行機は離陸。釜山で韓国人女性ガイドの出迎えを受ける。その案内で早速両替。外は雨だった。目的地慶州への途

  • 韓国へ①

    写真同好会のSさんから声があった。「韓国へ行くのだけれど女性8人、男性1人、併せて9名。」「男性一人が足りないの。参加してくれないかしら?」と。「二泊三日で39800円。安いでしょう?だけど男性が一人では15000円が別途料金になるの。気の毒でしょう。」そ

  • 雨の日に③

    十年近くが経った頃、某氏が総局の防災担当総括技師に着任した。初めての職務で戸惑いがあったようで「何をしたらよいか?」との質問。私は本件を伝え、「施設部門は完成しているのだが、電気部門が遅れている。」「その電気部門も、もう対応できるのではないか。」・・と話

  • 雨の日に②

    災害記録には虚偽の資料が散見される。怪しい資料は外してゆく。地形、地名も参考になる。樹木のことも忘れてはならない。特に竹林。この稲科の繁茂状況の観察も大事だ。あれやこれやで多くの資料が整備されていく。雨量計も改造して増設することに。このシステムを列車指令

  • 雨の日に①

    国鉄門司局工事課時代のことを思い出す。当時の課長にあるお願いをした。「降雨時の運転規制のあり方は現場任せだが、これを局主導としたい。」「基準を明確にしたい。」と。課長からは「良いだろう。」という返事。早速主管課である保線課に足を運んだ。保線課は「是非お願

  • じゃがいも②

    当時のじゃがいもは主に関東地方で育てられていた。関東地方と北海道は気候風土が違う。特に土壌が。北海道の風土に適合するじゃがいもに育てあげたのが川田龍吉氏である。明治39年から北海道にてじゃがいもの試験栽培に取り組み、その功に報いる為「男爵」という名が付され

  • じゃがいも①

    JR主催の北海道ツアーに参加したことがある。私の場合、旅に出ると「見ること、知ること、考えること」が多いのだが、このツアーでは「自然と開拓」「人間の英知」について考えさせられた。事例として「じゃがいも」の話をする。じゃがいもの原産地は南アメリカのアンデス山

  • 長島のブリ王に

    タビックス主催のバスツアー【ブリ王】に参加した。雨が心配だったが、なんとか持てそうなのが嬉しい。参加者は三十名。最小催行は二十五名だそうだから、まあまあの企画だったのだろうか。私の席は前から2番目。申し込みが早かったゆえか。バスは都城から小林を経て西進する

  • 濱かつ

    かつて北九州某所に開店するトンカツ店の工事を受注した事がある。食品業界は大変である。昔はBSEいわゆる狂牛病問題、生産地虚偽表示問題及び内部告発、昨今は原材料の高騰、客のマナー違反等、関係者は苦慮していることであろう。そういう食品をめぐる諸々の騒動を見る時、

  • 宮本武蔵③

    大工の棟梁は「きくばり」が大事である。「きくばり」の「き」とは、心配りの「気」ではなく、木材の「木」である。「節のない真直ぐな木」は表の柱に、「真直ぐだが節のある木」は裏の柱に、「見映えはよいけれど強度のない木材」は敷居、戸、障子などに使う。吟味して使え

  • 宮本武蔵②

    宮本武蔵、という人物の実像はどうであったろう。28歳で佐々木小次郎と試合をする若い頃と、熊本細川家客分として過ごす晩年では随分と違うようである。若い城主や家老などの為に、62歳死の直前に完成させた「五輪書」には、悟りの境地が感じられる。「五輪書」は兵法の

  • 宮本武蔵①

    平成十五年。NHKテレビ放送開始50周年記念として放送された大河ドラマ【武蔵MUSASHI】。原作は、かつて朝日新聞に連載され大人気を博した吉川英治氏の【宮本武蔵】である。この本には深い思い出がある。中学生の時友人から単行本を借り読み始めたのだが、1945年8月の

  • 坂の上を見つめて③

    檀上からは九州管弦楽団のメンバーによる生演奏が流れている。シューベルトのロザムンデ第2楽章が、ゆったりと心地よい。およそ三百人の来賓の間を会長・社長が挨拶を兼ねて動き回る。両者の先頭にはプラカードを掲げたコンパニオンと名刺を載せたお盆を持つコンパニオン。ホ

  • 坂の上を見つめて②

    「創立五十周年記念祝賀会」は、格式あるものにしたかった。老舗ホテルの宴会担当者と相談する。招待者は元運輸大臣、市長、JR九州社長といった方々をはじめ東京以西の政財界の方々。祝儀は一切受け取らない。やっとのことで間に合った新しい社旗が壁に取り付けられていた。

  • 坂の上を見つめて①

    入社してから5年になろうとしていた。この年九月には会社設立五十年を迎える。思えば苦難の歴史でもあった。会社設立時は戦争中。鉄道線路の敷設・保守を行う組織として鉄道省が強制的に設立させたもの。オーナー会社ではないから経営者はバラバラで経営能力はいまひとつ。

  • 厄介な事柄

    仕事中、私のところに見知らぬ人物がやって来た。金色のバッジを見せびらかし、「こういうモンだが」と言う。同行者は腕の入れ墨が見えるよう、わざと袖口をたくし上げている。建設業には得体の知れない訪問者が多い。私が苦慮しているのを見た会長は、警察OBの有力者と話

  • 萌える若竹

    私が所属しているパソコン同好会の会員諸氏には共通している点がある。それは探求心。成果物は7月1日から室内に展示される。全員が提出したら六十点。壮観に違いない。出典作品は撮影時期から考えて桜やバラ、それに皐月、あるいは蓮の花が主題になるだろう。私の場合、皆さ

  • 観光振興功労者②

    前述のKさんは「九州新幹線開業効果を宮崎へ」というタイトルで講演もなさっている。アクセスが悪いことから「陸の孤島」と言われてきた宮崎に、交通ネットワークの構築を図り自治体等に働きかけ、宮崎駅西口の再開発にも尽力した。そのKさんが、60歳の若さで病気で亡くな

  • 観光振興功労者①

    国鉄は学歴社会である。学制改革が行われた昭和28年頃はその傾向が顕著であった。民営化以後は多少の変化はあるものの、基本的にはさほど変わらない。役員に登用されるのは旧制帝国大卒業生の中から、役員でない支社長には地方の国立大卒業生からという仕組み。さて今回はKさ

  • 御田植祭

    宮崎神宮主催の御田植祭(おたうえまつり)を見学した。農作業の工程を模擬的に演じ、豊作を記念する神事である。新聞にも掲載されたので早速切り抜いた。以下記事から引用する。宮崎市の宮崎神宮(杉田秀清宮司)で8日、五穀豊穣を願う恒例の御田植祭があり、氏子ら約70

  • 御田祭

    「御田」は、寺社や皇室等が所有する領田、またその領田で行われる行事のこと。耕作との深い関わりを示すものとして、多くの御田に関する行事が、日本各地に伝承されている。宮崎県東臼杵郡美郷町(みさとちょう)西郷の田代神社(1032年創建)まで出かけ、御田祭を見学した

  • 光陰矢の如し

    妻へおまえが無量寿の世界を目指して飛び立ってから随分年月が過ぎた。そちらが寿の世界かどうか、知るすべもない。残された世界は色々だよ。〇〇家(妻の実家)の場合、おばあちゃんと〇〇兄(長兄)はこの世を去ったよ。おばあちゃんの遺産相続ではゴタゴタと揉めた。〇〇

  • 切ない別れ

    義母は満百八歳で天寿を全うした。さしたる病気もなかったから、典型的な老衰だったのだろう。老後の面倒は私の伴侶が一手に受け持っていた。彼女が先に身罷ったとき、義母の身柄を療養施設に移し、会計を長兄にお願いした。その長兄も義母より先にこの世を去った。会計事務

  • 伴侶を偲ぶ⑥

    晩年妻の性格に変化が生じてきた。気の強さが影をひそめ、思いやりの気持ちが一層強くなってきたように思う。その思いやりの最大の対象は 義母だった。義母は八十歳を超える頃から皆さんの世話を受けるようになっていたが、百歳を超えてからはその度合いが益々強まってゆき

  • 伴侶を偲ぶ⑤

    平成六年の春、私は某企業の専務だった。会社の経営内容は相当に改善されたとはいうものの、万全とはいえず多忙な日々を送っていた。父が肺がんになった。あちこちに転移しており、痛々しい。二月、病状は進行し始める。介護者として私の母は頼りにならず、手が足りない。当

  • 肉と魚と

    ある朝のこと。デイサービスの管理責任者が利用者に声をかけた。「肉が好きな人?」誰も手を挙げない。「魚が好きな人?」およそ半数から手が挙がる。管理責任者は諄々と話をされたが、私は自分なりに解釈した。好き嫌いの背景には、利用者それぞれの生活環境や人生経験が影

  • ローカル線はいま②

    真幸地区は過疎のまちである。肥薩線・真幸駅周辺に民家は見当たらない。ここは宮崎県内で最初にできた古い駅。かつてあった集落は、度重なる土石流災害で姿を消したという。それでも観光客がぞろぞろと降りて来る。「真の幸せ」に通じる駅名が人を惹きつけるのだろう。小学

  • ローカル線はいま①

    京町温泉駅に降り立ったとき、花火がドーンとあがった。我々73名のツアー客を歓迎する為である。全員が駅前広場に集合すると町長や管理駅長の挨拶があり、最高齢者であるHさんには花束と記念品の贈呈がある。駅前広場には特産品の販売所があり、試食コーナーもある。地元の人

  • 極めて優秀な人④

    ルール変更は時の総裁からの「差別ではないか、おかしいのではないか」との指示で行われたらしい。しかし人事当局が音を上げた。「対処できない」というのである。人材も玉石混交となったので、昭和35年から旧に復した。変わった点は本社採用者に旧制帝国大卒以外の人物が

  • 極めて優秀な人③

    幅員4m、H鋼3主桁、径間20m。私が一日がかりで作成した計画書を、課長は数時間で作り上げたのだ。赤面するしかない。以後、課長から指示された仕事は直ちに、徹夜してでも、と思うようになる。また、Bさん以外の方からの指示であっても「出来るだけ早く仕上げる」とい

  • 極めて優秀な人②

    Bさんが本社土木課の補佐から門司局の工事課長として着任した時、「〇〇君(私)はどうしているか?」との質問があり、「日田の線路分区長をしています。」との答えに「すぐ呼び戻せ。」との指示があったらしい。私はBさんの配下として働くことになった。ある時B課長から指示

  • 極めて優秀な人①

    昭和28年の春は新制大学一期生が世に出る年であった。その時、国鉄幹部ははたと困った。後継者は旧制帝国大の卒業生としたいが、どうやって新制大卒を除外するのか。その答えはこうである。本社採用と地方採用に区分する。併願は出来ないというルール。ただ、このルールで

  • 頑として③

    会計帳簿に記載されている数字に対し、金庫の現金が「100円」足りない、という場面があった。おそらく現金の出し入れの際、散逸したのが原因であろう。経理を担当する女子社員が弁済を申し出た。勿論女子社員が悪いのだが、この件は彼にとって許しがたいものであった。「

  • 頑として②

    その県民性については、司馬遼太郎が明治維新時に活躍した「江藤新平」を主人公にした作品「歳月」に詳しい。ともかく努力家であり勉強家、真面目、冗談は言わない、固い信念、妥協を許さない、倹約家、無駄遣いはしない、という性格である。そして彼の場合、昔風の考えを持

  • 頑として①

    かつて従業員百人ばかりの新しい会社を設立したことがある。現場要員は揃えることが出来たが、管理職の立場で事務処理ができる人物がなかなか見つからない。仕事柄、技術職経験者で事務に堪能な人物が欲しいのである。そうこうするうちに推薦する人があり、T君に来てもらった

  • 能登へ行く④

    宿泊地高山に向かうには時間的に少々余裕がある。高速道を避けて一般道に。途中御母衣に注ぐ庄川でロックフィルダムを見物できたのは一大収穫。高山市内では高山祭屋台会館に収められている屋台を拝見する。その屋台はあまりにも巨大で、担ぎ手がいないらしい。唐津の「おく

  • 能登へ行く③

    総持寺祖院は風格があって良い寺院だと思った。能登金剛も拝見した。さて今日の宿は和倉温泉【あえの風】。高級ホテルだ。仲居さんの一人は高校を出てからまだ数か月、大分から出てきたという。他に高知から来たというお嬢さんも居た。いずれ家業を継いで若女将となるのであ

  • 能登へ行く②

    永平寺の規模は総持寺のそれより更に壮大だった。総持寺での読経は僧侶50名ばかりだったが、ここでの読経はおよそ80名ほど。その中で〇〇〇、先祖代々の供養という文言には感動する。昼食は永平寺門前の土産物店兼レストランで。宿泊は山代温泉の「ゆのくに天祥」という

  • 能登へ行く①

    ある日の夕刻、永平寺に参詣しようとする私達32名は宮崎港フェリーターミナルから「みやざきエキスプレス」に乗船した。リーダーは某寺のご住職である。参加者は檀家の方々で永平寺への参詣経験者が多いが、私の場合初訪の地であり、期待に胸が膨らんでくる。夕食は船内で

  • 建設業のにごり④

    ある県会議員の場合。来社し社長と面談。パーティー券を百万円分、ポイと机の上に投げ出した。私はあわててそれを取り上げ、半分を議員に返す。半分でも多いが、何とか努力してみましょうと言いながら。この議員、参議院に出馬予定だったが、警察の調査が入り出馬断念。金庫

  • 建設業のにごり③

    右翼もやって来た。その当時、右翼団体として登録されていたのは福岡県・大分県あわせて27団体。「真面目」と言ってはなんだが、機関紙を発行し、まともな政治活動をする団体がある一方、単なるタカリの団体もあった。団体の見分け方と対処法は微妙だったが、この種の団体

  • 建設業のにごり②

    〇〇市の場合は少なくとも九州で最悪のケースだったろう。地場産業育成という美名のもとに、指名業者は市に本社を置く十社のみ。そうなると、同和関連で圧倒的な強みを発揮するA社が采配を振るうことになる。後日、同社の専務が逮捕・起訴され有罪となった。談合に一定の歯止

  • 建設業のにごり①

    建設業の総務部長として対処すべき事柄は山ほどあった。社長は私が未熟だと思ったのであろう。前任のKさんを顧問として在籍させようか?と口にされたが、私は断った。前任者がどういう気概で諸事を処理していたかは知らない。ただ、事を荒立てないよう対処していたであろうこ

  • 大学の同級生③

    (大学の同級生②の続き)D君は土木学会賞を受賞している。ダム研究に対しての功績が認められたのでは、と聞いている。その授賞式には曽野綾子氏も出席したらしい。氏の作品に【湖水誕生】というのがある。長野県の高瀬川に発電用ダムを建設する時の情景を舞台にしたもの。そ

  • 大学の同級生②

    ③C君小学校で学業を終えるつもりだったが、紙屋小学校開校以来の優等生と云われ、工業学校に進む。そこで「ここは君の来る学校ではない、中学に行け」と云われ宮崎中学に。以後十年間、クラスを共にした。某国立大の工学部長を務めた後、私立大学の学長となる。伴侶との生活

  • 大学の同級生①

    私の出身大学工学部土木科の入学者は30名、卒業生も30名であった。もっとも多少の変動がある。病気その他の理由で卒業が遅れ次の年次に下がった者、退学した者、上級から我々と一緒に卒業した者もいた。名付けて【サーティー会】。時代の故もあってメンバーは多彩である

  • 須木のダム②

    「須木の滝」は、約34年万前に大噴火した加久藤カルデラの火砕流の溶結部を流れる滝。昭和8年に宮崎県の名勝に指定されている。かつては高さ40、6メートル、幅18メートル、滝つぼの深さ22メートルという勇壮な姿を誇っていた。ダム建設にあたっては、用地補償が必

  • 須木のダム①

    近年、遠方に出かけるのが億劫になってきた。しかし各地の風景を眺めるのは嫌ではない。むしろ好きなほうであろう。興味があるのは若かりし頃の思い出の地。須木村もその一つである。ただ、この地はバスの便が不便である。そういう話を友人・N氏に漏らしたところ、「自分は暇

  • 高木兼寛のこと②

    ところで、日露戦争における軍人と軍属の総数は108万人を超えると言われている。そのうち、戦死者は8万4千人。(國史大辞典11/吉川弘文館1990データより)特筆すべきは、陸軍での脚気による死者数の多さである。日露戦争では2万7千人以上が亡くなったという。一方高木兼寛が

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