chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
骨董商Kの放浪 https://kottousho.hatenablog.com/

大学卒業後1年もたたずに退社し、その後骨董商をめざす主人公Kが、美しくそして妖しげな骨董品をとおして、それに関わるさまざまな個性的な収集家、同業者などの人たちと織りなす創作小説。魅惑的な骨董品を巡る群像劇をお楽しみください。

立石コウキ
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2022/03/17

arrow_drop_down
  • 骨董商Kの放浪(43)

    5月12日のロンドンの朝はどんよりと曇っていた。三階建ての古めかしいホテルの二階の小窓からは、両脇の煉瓦壁に挟まれるようにして細長い石畳の路地が伸びていた。昨夜降った雨の影響か、路面がところどころ鈍い光りをはなっている。その風景を目にし、ぼくは顔を緩ませた。そうだ、自分は今ロンドンに来ているんだという実感が胸をつき、つい微笑んでいたのだ。ぼくは窓から入る冷たいが澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込むや、部屋を出ると階下へ向かった。 今日はB社で下見をすることになっている。昨夜のマダムの決意表明を受けぼくの気分は高揚しており、朝からなんだか沸々と力が湧き上がっている。早速一階にあるこじんまりとしたレス…

  • 骨董商Kの放浪(42)

    ロンドンへ出発する前日の大型連休明けの月曜日。ぼくは月二回美術倶楽部で開かれる或る個人会に参加していた。この市場(いちば)は雑多なモノが大半を占めるが初生(うぶ)口が多いことで知られ、そのなかには一級品も混ざっていて時おり高値まで競り上がることもある。よって、百五十人ほど参加する業者たちにも幅があった。会場の床を覆う赤い敷物の上に足の踏み場もないほどの荷物が並べられていて、皆モノとモノとの僅かな隙間に足をつっこみ身体を折り曲げながら下見をしている。ぼくが低い姿勢で縄文土器の破片の一群を一つひとつ手に取って見ていると、後ろから声がした。 「明日から、ロンドンだろ?」才介である。「うまく買えるとい…

  • 骨董商Kの放浪(41)

    三畳台目(だいめ)の茶室の京間一畳に座っていた。ぼくは下座。真ん中の次客の畳にはZ氏。つまりぼくの右隣りに座る。正客の席は空いている。ぼくの正面の点前畳では、Miuがお茶を点てていた。ライトグレーのパンツスーツが、一定のリズムを刻んで穏やかに動いている。この小間(こま)の右壁に設えた間口半間(はんげん)奥行尺五寸の床の間には、先ほど教授の家から持ち帰った仏手が飾られていた。Z氏は、もうかれこれ15分近く、射抜くような眼でそれを睨んでいるのだ。 現金5500万円と一緒にこの石彫を持ち運んできたのは、今から30分ほど前のこと。「自分の所蔵品を一つ合わせるから、それでなんとかしてもらえないかねえ………

  • 骨董商Kの放浪(40)

    金曜日午後6時のエリタージュ・ハウス。まだ客はまばらであるが、スタッフの目配りや動作に、なんとなく嵐の前の静けさを感じさせる。Reiのあとに続いて、ぼくはあたりを伺いながら、正面のエレベーターへと向かいかけたとき、「上じゃ、ありませんよ」のReiの声にびくっとして足をとめる。いつもSaeとは二階の個室だったので、ついエレベーターに向かってしまっていたのだ。 「Kさん。初めてですよね? ここ?」Reiがやや訝しんで訊く。「あ、ああ。うん、もちろん」スタッフの一人が「こちらでございます」と左手の部屋へと先導した。初めて入る一階のメインルームは、150㎡ほどのスペースに大小十幾つかのテーブルが配置さ…

  • 骨董商Kの放浪(39)

    ぼくは、両手で抱えた小さな風呂敷包みにぐいと力を込め、受付に向かった。二人の女性が座っている。その右側の短髪の女性の前に進み出ると、緊張した面持ちで名を告げた。黒髪の女性は口元に笑みをたたえ「はい」と答えてからデスクに目を落とし、すぐに顔をあげた。「お待ちしておりました」その瞬間ちらりとぼくの風呂敷に目を当てたが、一定の笑みを崩さずに「あちらのエレベーターで6階にお上がりください」と手のひらで示した。ぼくはこわばらせた顔を一つ縦に動かすと、ぎこちない動きで右奥のエレベーターへと向かった。途中、何人ものスーツ姿とすれ違う。実は今日、ぼくも一張羅のスーツを着込んでいるのだ。ぼくは、8基あるエレベー…

  • 骨董商Kの放浪(38)

    「すみません。急いでないので、ゆっくりでお願いします」ぼくはやや身を屈めると、後部座席の両脚の間に置いた箱の位置を最終調整した。風呂敷に包まれたこの箱のなかには、Z氏から預けられたあの埴輪女子の頭が入っている。両方の脚で挟み込むと風呂敷の結び目にしっかりと手を添え、ぼくは万全の体勢をとった。「かしこまりました」ハイヤーの運転手はミラー越しに確認したのち、白い手袋をギアからハンドルへ移すと、静かに車を発進させた。「大丈夫ですか?」隣席の長い髪がなびくように揺れた。「うん。これで動かない」いつもの軽装とは違うグレーのパンツスーツが目に入る。ぼくの返答に、Miuはにこりと微笑んだ。 この車の行き先は…

  • 骨董商Kの放浪(37)

    東京の桜がもうそろそろ開花するかという三月の下旬、ぼくは日本橋人形町のしゃぶしゃぶ屋にいた。ここは内科医あいちゃんの診療所近くにある先生行きつけの店。昭和初期の文豪の生家として知られている。先生の右横にはネエさん。ぼくの左隣りには才介が座っている。今日は、才介を励まそうと二人が企画した飲み会。 「さあ、才介くん。もうくよくよしない!」ネエさんが瓶ビールを片手に口火を切り、才介のグラスに注ぎ込んだ。「ここはね。しゃぶしゃぶのお店ですが、おつまみも美味しくてね」あいちゃんは「いつものやつ」と言って何品かを注文。先ずはだし巻き卵の乗った横長の器がテーブルの上に二つ置かれた。「さあさあ、どうぞ」あいち…

  • 骨董商Kの放浪(36)

    新幹線で名古屋までいくと、地下鉄に乗り換え終点で下車し、そこからバスに乗り込んで30分ほど走った。時おり窓から見える桜は、まだ五分咲きくらいだろうか。ぼくの両膝の上には、風呂敷に包まれた箱が一つ乗っている。バスは、広大な敷地に入ると3分程走行し、やがて正面玄関の前で停まった。何人かが席を立つ。ぼくも風呂敷包みを片手にリュックを背負うと、彼らのあとに続いてバスを降りた。すぐに『中国古代の暮らしと夢』という展覧会の見出しが目に飛び込んできた。三十数年前につくられたのであろう巨大な建物は、高度経済成長期の名残をとどめた、ある種の堅牢さを漂わせていた。ぼくは、そのだだっ広いエントランスをくぐり、受付へ…

  • 骨董商Kの放浪(35)

    宋丸さんは自分の手帳を取り出すとテーブルの上に置き、Reiに渡されたメモ用紙に書き込みを始めた。「ほら」と渡された紙には、なにやら電話番号が書かれている。「こちらに電話したらよいのですか?」「ああ。それが会社の秘書室の番号だ。宋丸の紹介といえば、すぐに室長に取り次いでくれる。それで日程を調整してもらって、行って来いよ」「ここの会社の社長さんですか?」「今は、会長職になってるんだろう。とにかく、その方に会ってご覧に入れたら喜ぶだろう」そう言って宋丸さんはカカカと笑ったが、まったく先の読めない話に、ぼくは口を半分開けたまま「はあ」とうなずくしかなかった。 先週は気温が20度近くになった日があったた…

  • 骨董商Kの放浪(34)

    それは久しぶりに聞くReiの声だった。僕は才介から遠ざかりながら、「どうしたの?」「今、東京ですか?」「いや、実は九州に来ていて」「ごめんなさい。出張中に」「ああ、大丈夫」「じゃあ、手短に話すわ。宋丸さんが話あるみたいで、K君を呼んでくれって。いきなり」「なんだろう?」「まあ、いつも思い出したように突然言うから。ただそれだけで何の話しかはわからなくて」何となくそのときの様子が目に浮かんだ。「わかった。今日中に東京戻るから、また連絡するよ」「ありがとう。お仕事頑張ってくださいね」Reiはそう言って電話を切った。僕が才介の方へ戻りかけたとき再び電話が鳴った。今度は犬山からであった。「どうだった?」…

  • 骨董商Kの放浪(33)

    二月上旬の午前9時、僕と才介は大分空港に着いた。ここからホバークラフトという何とも乗り心地の悪い水面を走る船を利用し、別府に着いたのが10時前。「何か、寒いなあ。東京より気温低いんじゃない?」才介が首をすくめ身体を縮めた。清らかな空気は、確かに冷たさを感じる。僕らは足早に、会場となる小さな市民ホールのような建物のなかに入った。 今日はここで、骨董商が俗に「温泉市(いち)」と呼んでいるオークションが開催される。オークションといっても、海外のような派手なものではなく、知る人が知る、ほぼ100%商売人が参加する小さな競り市。その参加者も「初出(うぶだ)し屋」と呼ばれる、店を持たない、リサイクルショッ…

  • 骨董商Kの放浪(32)

    温泉市(いち)の情報を聞いた数日後の一月の下旬、僕は総長の家を訪れた。香港で買ってきた漢時代の蝉炉の代金を頂戴するためである。 正月三が日の過ぎた頃、僕は総長から電話をもらった。家に遊びに来ないかとのこと。そのとき僕は香港で仕入れたこの蝉炉を持って参じたのだった。案の定、総長はこれを大いに気に入り、値段を問わずお買い上げになったのである。僕とネエさんが想像していた、崩れるような笑顔が、このとき現出したのであった。 展示台の一箇所に作品を置き、二人してしばし見入ったあと、総長は優しいまなざしをそのままに、軽く首を傾げ訊いてきた。「Kさん、いったい、どんな味なんでしょうかねえ?」成虫か幼虫か判然と…

  • 骨董商Kの放浪(31)

    年明け早々に、香港から雍正筆筒の代金が才介の口座に入金された。手数料を差し引き840万円ほど。「半分送るぞ」と、僕の口座に約420万が振り込まれた。そこから、Saeから借りた300万を返金する。手許には120万ちょい。300万を失ったことを考えれば上出来である。 年も改まり、美術俱楽部でブンさんの所属している個人会の初競りがあり、僕と才介はブンさんの店員ということで参加。そこで才介は、香港で仕入れた細々とした品を売ることに。品選びは、ブンさんを中心に当然才介も手伝う。「今、中国モノは上り調子だから、このあたりでも結構売れるぞ」ブンさんの太い腕がこまめに動き、才介が持ってきたなかから20点ほどを…

  • 骨董商Kの放浪(30)

    翌日の午後、僕は宋丸さんの店に向かった。今日の目的は二つ。先ずは、今回仕入れたモノを見てもらうこと。定窯白磁碗と黒釉碗の二点。そして、Saeのところの万暦豆彩馬上杯について訊くこと、である。扉を開けると、Reiが笑顔で出迎えた。 「よかったですね。良い仕入れができて」今回仕入れたモノについてはすでにReiに知らせてあり。「良い仕入れなのかどうかは…」判決は今日、宋丸さんによってくだされる。その宋丸さんであるが、どうやらまだ来ていないようだ。「その黒い碗の方は、Kさん、どんな感じなの?」「うーん。僕は、変な新物(あらもの)には思えないけど。どうかなあ」ママの店で買った黒釉の碗について、Reiは、…

  • 骨董商Kの放浪(29)

    帰国して翌日、僕は仕入れた品物を部屋のテーブルの上に飾った。葉(イエ)氏のところで買った定窯白磁の碗。現地で見るより一段と輝いて見えるのは気のせいであろうか。いや、気のせいではない。やっぱり良いモノなのだと、僕は再確認する。それと、ママから買った黒釉碗。素性はまだ知れぬが、宋時代の雰囲気があって面白い。そして最終日に、Lioのところで手に入れた漢時代の蝉の炉。これはあとで送金をしなければならないが、けっこうな珍品。 僕は独り悦にひたりながら、卓の上に置かれた三点を眺める。そして端に置かれたピンクのリボンに目を向けた。これは、Saeへのプレゼントのガラス玉。僕は、その小さな箱と、定窯を鞄に入れた…

  • 骨董商Kの放浪(28)

    マダムは顔を震わせ、「本当に、日本にあるの?」と身を乗り出した。マダムの眼力(めぢから)に気圧され僕は口を閉ざした。考えてみれば、まだはっきりした答えができないことに改めて気づいたからだ。マダムの魂の込められた話しの流れに乗せられ、ふとそう発したが、Saeのところで見たあの馬上杯が、確実にマダムの祖父のモノという証拠など、まだどこにもないのだ。 「すみません。まだ、そうと決まったわけではなく…。もしや、あれかも、と思っただけで…」それを受けてマダムは再び椅子に座り、小さなため息を吐いた。そして、お茶を一口含んでから、気を取り直したように僕に尋ねた。「じゃあ、それは、あなたの知っているひとが持っ…

  • 骨董商Kの放浪(27)

    10万で買ったモノが900万で売れたのだから、僕らは、はしゃがずにはいられなかった。オークション会場では、極力抑えていたものが、ホテルに帰ると爆発した。狭い部屋のなかで、何と枕投げが始まったのである。 「ぎゃっ、はっ、はっ!やったぜー!」「愛してまーす!Lioちゃーん!!」「誰だかわからない電話ビッド、セーンキュウー!」「禿寺ー、おまえが一番エライ!」「900マーン、俺は待ってるぜぇ!アッハッハ!」最後に思い切り投げた才介の枕が天井に突き刺さり大きな音を立てた。「やばいよ、おまえ、ここボロホテルなんだから、壊れるぜ」僕の言葉に、才介はまた「ぎゃはは」と笑い、ホテルの窓を開け「サイコー!ホンコー…

  • 骨董商Kの放浪(26)

    食事が始まり、三皿目の料理が出されたあたりから、閑散としていた広間のテーブルはいつのまにか人で埋められ、周りの声が賑やかに耳に入り出した。芝エビか何かだろうか、小さなむきエビを茶葉で炒めたこの料理の優しい味つけに、僕と才介は前のめりになってレンゲを動かした。その様子を見てチャイナドレスのマダムが目を細める。「美味しいでしょう?杭州のお料理で、龍井蝦仁(ロンジンシャーレン)ていうのよ」「ロンジン…」才介は一瞬顔を上げたが、すぐにまたエビを口に入れた。「アハハハ、あんたたち、そんなに美味(うま)いか。あたしの、あげるよ」ママは自分の皿を差し出した。マダムも「どうぞ」と言って僕の目の前に置く。「あり…

  • 骨董商Kの放浪(25)

    文武(もんぶ)廟(びょう)から東へ歩いて5分のところにある3階建ての大きなビルディングの前に僕らは立った。三代目が入り口の扉を開け、勝手知ったるというふうに、そのまま階段を上っていく。僕もあたりに目を凝らしながら後についていく。各階には、その途中の階段の脇や踊り場も含め、古い中国製の飾り台や陳列ケースが壁際はもちろんフロアのいたるところに置いてあり、そこには大量の品物が並んでいる。僕は先ずその景色に驚く。その様子を横で見ていた三代目が声をかける。「まだ、整理整頓されている方だよ。他の店なんか、床の上まで所狭しと品物が置いてある。そういった店がほとんどだ」 そして3階に到着。そこにも壁に設置され…

  • 骨董商Kの放浪(24)

    昨日の大騒動をよそに、僕らは充分な睡眠をとって快適に目覚めた。「あー、寝た、寝た」才介は大きな伸びをしたあと、「おい、K。朝飯食いに行こう」と跳ね起きた。「おまえ、昨日あれだけ食ったのに。起きた途端、飯かよ」 昨晩は、ママが中環(セントラル)にある潮州料理をご馳走してくれ、僕らはたらふく食べたのだ。「いやー、あれは美味しかった。潮州料理って、初めてだったよ」「おれもさ。何か、家庭の味って感じで」「うん。今日も潮州料理でいいぞ!」才介は着替えを始める。「どこで食べんの?」僕の問いに、「昨日のお粥の店だよ。美味かっただろ?」それを聞いて僕も「よし!行こう」と軽快にベッドから降りた。 時刻は8時半。…

  • 骨董商Kの放浪(23)

    出発前日の夜、僕は自分の部屋で荷物の整理をしていた。今回は初の香港出張ということもあり、諸々(もろもろ)を再度確認する。先ずはパスポートと航空券。現金と香港ママへの届けモノ。これは、ブンさんの知り合いの同業者から頼まれた品物。箱に入ったモノもあれば、エアパッキンで包まれたモノもあり、大小計5点。これを才介と僕で振り分けて持参することに。僕は、エアパッキンのモノを3点。これをリュックに入れる。あとは、必需品の品物のキズを見るときに使う、ルーペとライト。その他は、衣類や歯ブラシ、シャンプーなどのアメニティグッズ類で、こちらは、機内持ち込みサイズの小形のスーツケースに。それと、オークション図録。これ…

  • 骨董商Kの放浪(22)

    僕はその夜まっすぐに帰る気力を失い、時折り夜空に浮かぶ満月を見上げながら、あてもなくふらふらとし、そして最後に犬山得二の家に辿り着いた。犬山は机で書きものをしている最中であったが、僕の遅い訪問に特段驚きもせず、無造作に伸ばした髪をかき上げながら僕を部屋に招き入れると、無言で卓の上に盃を置き、そこにゆっくりと酒を注ぎ込んだ。僕はそれを、定まったことのように自然と口に運ぶ。外から小刻みに聞こえてくる秋の虫の声に耳が慣れてくるにつれ、僕は次第に平静を取り戻していき、ようやく今日の出来事を語った。 いつものように、目をしばたたかせながら、その一部始終を聞き終えた犬山は、自分の酒を一気に飲み干す。「おま…

  • 「骨董商Kの放浪」(21)

    僕は、玩博堂(がんぱくどう)の出している土偶の写真を指し、三代目に訊いた。「これって、やっぱり贋物(がんぶつ)ですか?」それに対し「これの本物は、もちろんある。中国の紀元前3~4世紀くらいの黒陶の俑(よう)。ただ、非常に少ない。もっと造形がシンプルで、身体のラインもなめらか。こんなに固くない。昨今、結構出回っている贋物だよ」と断言。「やはり、そうでしたか。僕もそんな感じがしました」「こういうモノは、あまり見ない方がいいね」三代目は、雑誌を閉じてもとに戻した。 次の日早速、僕は世田谷区の或る美術館で開催している龍泉窯の展覧会に出かけた。平日だが来館者が多い。龍泉窯青磁の人気を僕は再認識する。 龍…

  • 「骨董商Kの放浪」(20)

    展示作品の最後を飾ったのが、清時代につくられた「粉彩(ふんさい)」という色絵で、牡丹を描いた一対(いっつい)の碗であった。これが粉彩かと思い、僕は凝視した。三代目の授業で、中国陶磁の最高位と解説していたのを思い出す。官窯のなかの官窯。まさに皇帝の磁器。 Eと名乗るオークションハウスのエキスパートが僕に近寄り解説。「粉彩は、白磁胎にエナメルの顔料で直接絵を描いています。使われる色も豊富で、図様も緻密で正確になされているので、さながら絵画のようです」たしかに繊細な油絵のようだ。「何というのか、綺麗としか言いようがないですね」僕はそれ以外の形容詞が出て来なかった。「はい。おそらく専門の画家の手による…

  • 「骨董商Kの放浪」(19)

    濃紺に白い小さなドット柄のワンピース姿が目の前にあった。立った襟がクラシカルな雰囲気を醸し出している。彼女は、いったん赤絵の皿に目を向けたあと、ゆっくりと僕の顔を見た。「とても気に入ったので、これをいただけますか?」唖然としていた僕は我に返り、「あ、ありがとうございます」と慌てて頭を下げる。彼女はクスっと笑って、名刺を差し出す。名前をSaeと名乗った。名刺の下には電話番号が記されてある。「ここに連絡ください。すぐにお支払いしますから。そうしたら、届けてくださるでしょ?」僕は両手で名刺を掴みながら「は、はい」と答える。僕が「あの…、眼鏡…」と言うとSaeは「普段はコンタクトなの」と笑い、「では」…

  • 「骨董商Kの放浪」(18)

    師匠が飛んだことに関して、アニキ曰く、先々代から繋がっていた右翼団体の、当代の親玉が亡くなったことが最大の要因だという。親分の父子関係が一触即発の状態だったようで、先代と友好的だった師匠に対し、若は相当な嫌悪感を抱いていたらしい。それまでなんとか保っていた関係が、先代の死によって崩れ、金を借りている師匠への風当たりが急激に悪くなったとのこと。こうなると、師匠は、当分表舞台には出てくることはできないだろうと。そして、その行方も当然ながら誰も知る者はない。 師匠は、あの又兵衛の絵をどうやって処分するのだろうか。それは皆目見当がつかないが、僕は何となく、師匠はあの絵と心中するのではないだろうかと感じ…

  • 「骨董商Kの放浪」(17)

    その年の5月の上旬、僕は才介に連れられて、東京郊外の或る寺で行われる市(いち)に参加していた。ここは、俗に「禿寺(はげでら)市」と呼ばれている。「何で禿寺なの?」僕の質問に、「住職が禿だからだ」と才介。「だって、普通住職は禿だろ?」さらなる素朴な質問に、「その住職は、正真正銘の禿なんだよ」「よくわからん」「つまり、おれらくらいの時から既に禿てたんだってよ」「ふーん」まあ、それは別にどうでもよいことで。才介の話しだと、ここの住職は骨董趣味があり、境内の寺務所の一部屋を提供して、月一で市を開いているとのこと。ご自身も参加。ただ、いつも大したものが出ないらしい。才介は、たまに顔を出しているようだ。参…

  • 「骨董商Kの放浪」(16)

    N婦人の一件があったあと、僕はしばらく家に引き籠っていた。婦人との出来事もあったが、あの李朝(りちょう)白磁を見極められなかったショックもあったわけで。あんなに、東博や民藝館や、大阪まで行って数多くの李朝白磁を見てきたはずなのに。「やっぱり、やきものは、手に取って見ないと駄目だ」僕は、骨董の難しさを痛感していたのである。 僕は頭を整理するために、先ず、時おり立ち寄る京橋の朝鮮陶磁専門店に電話をかけ訊いてみた。店主は、「あれか。美術俱楽部に出ていた瓶ね。あれは、悩ましいものだけど、やっぱり難しいだろうね。膚(はだ)の質感と手取りの重さがね」との感想。僕はそれを聴いて、支店長のあの瓶をもう一度見た…

  • 「骨董商Kの放浪」(15)

    僕は再び椅子に座り、長い年月をかけて磨き上げられ、艶光りしている重厚な木製のテーブルの上に両手を置いた。そこへN婦人が、古い箱を持って現れた。そして中身を取り出して卓の上にのせた。 それは、李朝(りちょう)白磁の角瓶だった。18~19世紀くらいか。この間、支店長の部屋で見たものと同じような形だ。ただ、これはちゃんと頸(くび)がともなっている完形品で、寸法もやや大きい。四面とも横15センチ、縦20センチほどの同サイズの板を張り合わせた造りになっていて、肩部は斜めにそがれ、上面の中央に2~3センチの短く細い頸が付く。面の取り方がシャープで、堂々とした風格を感じさせる。白磁の色も、この時期特有のやや…

  • 「骨董商Kの放浪」(14)

    皆の雑談がおさまった頃、いきなり司会役のあの贋物(がんぶつ)爺さんが立ち上がって挨拶。この手の爺さんはこういうときに必ずしゃしゃり出る。三代目に感謝の意を込めてのやや長めのスピーチ。僕は仕方なく聴きながら周りを見る。参加者のほとんどが女性だ。僕と同卓の向かいに、あの眼鏡の女性の姿もある。スピーチが終わり、ようやく食事が開始された。 「今日は素晴らしかったわ。清朝(しんちょう)官窯(かんよう)」N婦人は言う。「特に、あの明るい黄色一色の小さなお皿。品格があったわ」確か、三代目がその色を「レモンイエロー」と形容していた。「それと、もう一つ。鮮やかな桃紅色をした小瓶。あの色をピーチブルームと言ってい…

  • 「骨董商Kの放浪」(13)

    3月の初旬の或る日の午後、三代目の次の講義に向けて予習をしていた僕は、気がつくと、うたたねをしていた。その心地よい眠りを、携帯の着信音が妨げる。見ると才介からだ。僕は少々ムッとしながら「何だよ」と出ると、才介は大きな声で「寝てたのか?おい、K!寝てる場合じゃねえぞ。朗報だ!」と興奮している。訊くと、福井の最初の旧家から仕入れてきた掛軸の一本が高く売れたらしい。「どういうこと?」の問いに「だから、残りもんに福があったってこと!」と依然興奮気味。よく訊くと、師匠が、知り合いに頼んで美術俱楽部の市(いち)に出品したところ、10点のなかの1点が中国の古画だったようで、これが何と600万で落札されたとの…

  • 「骨董商Kの放浪」(12)

    師匠は、軸を箱に戻すとそれを手にし、土蔵の入口に立っている当主のところへ行き頭を下げた。「どうか、これを譲ってください」当主はあきれたように、「さっきも言ったじゃない。何ひとつ売るつもりはありゃせんよ!」中肉中背の50代半ばの当主は、毛皮のコートに手を突っ込みながらぞんざいに言いはなつ。「あっちの方は、たたむようですがな。こっちは跡取りもおるし、そんな気、毛頭ないので、早よ、お引き取りしとっけんか!」と土蔵の扉を開けた。師匠は回り込んで、当主の前で土下座をした。「お願いいたします!」それを見て当主は苦笑し、「どもならんよ。突然来て」当主が歩を進めると、師匠は這いつくばるようにしてそれを追う。「…

  • 「骨董商Kの放浪」(11)

    ひと月前に、才介から言われた「あんた、中国美術を学んでくれよ」の提案を受けて、僕はそれを実行に移そうと考えていた。日曜日になると余計に届くチラシのなかから、或る文化講座のお知らせをみつけたのが、先月の中旬である。『中国陶磁勉強会』と題した講座が、1月から3月にかけて、隔週で計6回行われる。第1回が「古代」、続いて「隋・唐時代」、「宋(そう)時代」は2回にわたり、「元(げん)・明(みん)時代」、最終回が「清(しん)時代」と中国1万年ともいわれる陶磁史をわずか三カ月で修得できる、何と効率の良い講座があることを知り、早速に申し込んだ。講師は、大学の教授でもなく、美術館の学芸員でもなく、骨董商であるこ…

  • 「骨董商Kの放浪」(10)

    才介は、帰りの車のなかで、終始不機嫌そうだった。しばらく続く一本道を片手ハンドルで進めながら、「あのジジイ、ろくな仕事もってこない上に、手当も少ねえ、いっつもだ」才介はちらっと助手席の僕に目をやったあと「あんたも、そのつもりでやるんだな」と言う。「知り合いの人が、目利きだって言ってたけどな、師匠のこと」この僕の発言に才介はふっと笑って、「目利きには間違いないだろうが、商売の仕方がきれいじゃねえ」バックミラーをちらっと見たあと「おれは正直組みたくねえんだ」と、アクセルをやや踏み込む。それから、急に顔つきを変え「ただな、ちょっとした噂を耳にしてな」才介の細い眼がうっすらと輝く。「先月新券が出ただろ…

  • 「骨董商Kの放浪」(九)

    この秋、東京国立博物館で開催されている『中国国宝展』に出向いた。この展覧会には、仏教彫刻を中心に、近年中国本土で出土した国宝級の文物が出品されている。なかでも、僕の目を惹いたのは、むき出しに展示されている、3メートルを超える巨大な如来三尊の石彫であった。何しろでかい。その大きさに驚く。キャプションには、「山東省青州(せいしゅう)出土・東魏(とうぎ)(6世紀)」と書かれている。仏像は、何カ所かに壊れていたようで後でついであり、左の脇仏は上半身が丸々欠損している。本尊の顔は残っているようだったが、僕の眼は、聳(そび)え立つような光背に向かっていた。光背の両端には、飛天が左右三個ずつ配されている。光…

  • 「骨董商Kの放浪」(八)

    昨年同様、10月開催の骨董イベントに、ネエさんの店は出展した。三日間、僕はその手伝いで参加。この一年で知り合いもずいぶんと増えた。先だっての骨董フェスティバルに出ていた面々もいる。初日の飾り付け終了後、僕はぶらぶらと敵情視察。何かないだろうかと歩いていると、迷彩柄のバンダナが目に入った。 U氏は僕を見るなり開口一番、「K君、並んだらしいね」と訊く。「はあ」と僕は後頭部を掻く。「結局、あの山形の方がお買いになったんですよね?」の問いに「うん。会場内は拍手喝采だった」と答えた。僕は、黒いジャージを着て背中を丸めて座っている、その男の茫洋とした姿を思い浮かべた。U氏は続ける。「あの人、初めて骨董を買…

  • 「骨董商Kの放浪」(七)

    僕はその男の前にゆっくりと歩み寄った。僕に気がつくと、男は両膝を抱えたまま振り返り「こんにちは」と無表情で挨拶をした。「どうも」と僕も返す。40歳くらいだろうか。もじゃもじゃ頭の小太りな男は、上着の黒いジャージのジッパーを首まで上げて「この時間になると、ちょっと冷えますな」と僕を見つめた。座っている男の下には、青色のビニールが敷かれている。それを見ながら、僕は全身の力が抜けていくのを感じていた。僕はゆっくりと男の後ろに座り、そして尋ねた。「飛天ですか?」男は「ひょっとして、あなたも」と訊く。「はあ」と答えると、男は初めて笑顔をみせた。「お互い、バカですな」そう言って男はふくらはぎのあたりを掻い…

  • 「骨董商Kの放浪」(六)

    この頃、世の中の韓流ブームとは全く無縁と思える宋丸さんの店に、僕はしばしば通っていた。宋丸さんは僕の来店に、Reiの言葉を借りれば「ウエルカム」のようで、僕も宋丸さんに傾倒していた。宋丸さんの話しは、相変わらずつかみどころがなかったが、モノに対して発するコメントは、決して展覧会図録の解説に書かれているような文言ではなく、独特の調子をもつ的を得た表現で、それを聞くのが僕の愉しみだった。 その年の夏の終り、宋丸さんの店を訪ねると、Reiは自分の机の上で習字をしていた。「なかなか上手いじゃん」と僕が覗くと、Reiは墨のついた筆を僕の顔に近づけた。「勝手に見ないでください」「勝手にって、扉を開けたらす…

  • 「骨董商Kの放浪」(五)

    強烈な印象を放つ白磁の大壺を見つめながら、「やっぱり、すごいですね」と彼女は言った。僕はどきどきしながら唾を飲み込んで「こ、この口の造りも見事でして、ここも見どころです」と学芸員のような解説をした。口縁部の立ち上がりが力強く折れて内側に向かっている。彼女は覗き込むように顔を近づけ「はい」と言うと、両手で口元を押えクスっと笑った。「実は、わたし、あちらにある白磁の方が好きなんです」と指をさして、彼女は隣りの展示室へ向かって歩き出した。そこには、これより小ぶりな白磁の立壺(たちつぼ)が下の方に並んでいる。キャプションに「棟方志功旧蔵」とある。僕のお気に入りの一品だ。僕らは一緒にしゃがんで眺めた。彼…

  • 「骨董商Kの放浪」(四)

    「びっくりしましたよ。いきなり眼の前にあんなもの出すんだから」先ほど教授の与えた衝撃に、僕のテンションは高まっていた。ネエさんは笑いながら「教授、若い人が好きだから。今度お宅に誘われると思うよ」そう言ったあと「超目利きよ。凄いもの持ってる」とつけ加えた。「凄いもの?」僕が興味を示すと、ネエさんは続けた。「例えばね、私の好きなものだと」と言って、突然両腕を四十五度に差し上げ、手だけを内側に折った。「プレ・エジプト文明、紀元前3500年の加彩(かさい)の女性像。アメリカの美術館で見たことあるけど、おそらく日本にはあれしか無いわね」ネエさんは腕を下ろすと、ふーっと息を吐き、「超格好いい!もろ現代アー…

  • 「骨董商Kの放浪」(三)

    ネエさんの店の応接間の床(とこ)には、赤色をした、頭の後ろが大きな瘤のように隆起している牛の形をした土器が黒い敷板の上に置かれ、床(とこ)の隅には、胴部に円いスタンプ状の彫り込み文様のある、ほどよい高さの石製の筒瓶があり、そこに女郎花などの草花が生けてあった。先ほどまで内科の先生が腰かけていたところに僕は座り、ネエさんは新しく入れ替えたアイスティーを僕の前に置いた。先生はあの後すぐに用事があると言って帰ったので、自然とネエさんと二人でお茶を飲むことになったのである。 「優しそうな方ですね」僕が言うと、ネエさんは「何でも興味があって、いろいろ持ってるのよ。一度お家に行ってみればわかる。びっくりす…

  • 「骨董商Kの放浪」(二)

    犬山得二の部屋で見たローマンガラスの破片に魅入られた僕は、さっそく彼に教えられた骨董店に向かった。その店は、僕の住んでいるところから二駅隣りにあった。案外近くにあるんだなと、もちろん来たことはあるが、意外に知らないその街の界隈をぶらついた。駅前はこじんまりしているが、近くの商店街は充分に機能しており、洒落たブティックやスイーツ店のなかは人で賑わっていた。10分近く歩けば、裕福そうな住宅地が広がっている。その骨董店は、駅から2~3分の、目印となるコンビニを曲がった細い路地のすぐ右手にあった。 僕は生まれて初めて骨董屋というところに入った。5坪ほどの店内には飾り棚に小さな品物が並んでいて、奥は仕切…

  • 「骨董商Kの放浪」(一)

    僕が骨董商になったのは、今から17、8年前のことである。一年浪人して、さして有名でない私立大学の理工学部に入学し、ここで一年の留年を経て都合五年を過ごし、21世紀初頭の就職氷河期の真っ只中に、或るシステムエンジニアの優良企業に何とか就職したものの、自分はやはりアナログ人間であったことを悟り八カ月で退社、自問自答の生活に入ったのが約20年前のことである。その頃毎朝起きると、僕の頭のなかに「人間失格」という文字が周回していた。 取りあえず僕は家の近くのファミレスでバイトを始め、深夜遅くまで「シンク」と呼ばれるどでかい洗い場でひたすら格闘しながら、これからどうしようかと途方にくれていた。 そんな僕が…

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、立石コウキさんをフォローしませんか?

ハンドル名
立石コウキさん
ブログタイトル
骨董商Kの放浪
フォロー
骨董商Kの放浪

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用