横川駅から続く遊歩道、アプトの道を踏破した後はそのまま引き返す人がほとんどですが、せっかくなのでその先の廃線跡を見つつ徒歩で長野県側まで行ってみることにしました。長い長い道のりでした。。熊ノ平信号場の下にある駐車場を出て、国道18号を少し歩いてくと一つめの
函館で見た廃線跡 後編(市営第二専用線・日産化学工業・北海道ガス等)
前回に続き、函館の廃線を見て回ります。時代も用途も様々な線路がたくさんあり、いかに貨物が盛んだったのかがわかります。市営第二専用線開業/1948~63年の間廃止/1977~88年の間(前回の第一専用線と同じく、航空写真で見た限りの年代です。今昔マップを見ると、平成元年修正
今年のGWは函館に行ってきました。アニメの聖地巡りをしたり、近代建築を見たりと忙しかったのですが廃線もいろいろとしっかり見てきました。大きな港町らしく、こまごまとした路線がたくさんありましたので、まずはこの二路線を。訪問日:2024年5月3日青函連絡船開業/1925年
東京の水がめ、小河内ダムの建設の際に敷設された小河内線の後半です。多摩川沿いの旧青梅街道(奥多摩むかし道)をメインに歩いてダムを目指します。桧村橋のあたり。下に見える川の右側に、むかし道と線路がありますが、線路はほとんど見え無さそうだったのでショートカット
東京都の西の果て、奥多摩町へやってきました。ここでは去年ドライブついでにロープウェイの跡を見てきましたが、そのときに見て回ることも検討していた廃線があります。それがこちら、奥多摩湖を生んだダム建設の際に敷かれた小河内線です。東京都水道局 小河内線開業/1952
前回の西武多摩川線から、歩いて南武線のほうへ。前回も取り上げた多摩川の砂利採取線の痕跡を見に行きます。そもそも南武線は砂利の採取を目的として敷設されたということもあって、地域性が出ていると思います。訪問日:2024年3月23日南武是政駅跡近くからの分岐線開業/194
東京都の小金井市・府中市に、西武鉄道の多摩川線があります。この路線は西武でありながら他の西武路線と全く繋がっていないというところがおもしろいのですが、ここから何本か貨物用の線路が伸びていました。今回はそれらを一気に見に行きます。訪問日:2024年3月23日新小金
先々週は荒川区にある都電おもいで広場の保存車両を取り上げましたが、今回はその続き。北区と豊島区にある保存車両を見てきました。訪問日:2024年3月17,20日飛鳥山公園・6000形 6080号車まず最初は、北区の飛鳥山公園にある6000形の6080号です。飛鳥山はその名の通り小高い
3月の半ばごろ、横浜にある山下臨港線の廃線跡の遊歩道、汽車道のウッドデッキ部分にある線路が工事で露出しているということが話題になりました。その後どうなるのかと思っていましたが、先日ちょうど横浜に行く用事があったので見てきました!訪問日:2024年3月31日桜木町
ブログ開設から本日で11年ということで、記念にもうすぐ廃止される交通機関を取り上げます。去年の年末に広島へ行ってきましたが、その時にスカイレールサービス広島短距離交通瀬野線、通称スカイレールに乗ってきました。こちらの路線は、世界でもここにしかない機構の乗り
今回から都電の保存車両特集です。荒川区にある車庫に併設されている都電おもいで広場と、他二か所の保存車両を見てきましたが、思ったよりたくさん写真を撮っていたので二回に分けて取り上げます。訪問日:2024年3月17日かつて都心じゅうに張り巡らされていた東京都電の生き
鉄道の電化に伴って大量の電気が必要となり、国鉄は自前の発電所を建設しました。少し前に見に行った信濃川発電所はその一例ですが、その前に稼働していた発電所がかつて赤羽にありました。今回はその発電所へ伸びていた専用線です。赤羽発電所専用線開業/1920年?廃止/1958
前回、太平洋セメント(旧日本セメント)埼玉工場は二方向へ専用線が伸びていたことを少し触れましたが、そのもう片方です。こちらは東武の線路から伸びていたもので、今回は工場から東武線方面へ進んで行きます。日本セメント埼玉工場専用線(東武)開業/1963年5月16日廃止/19
埼玉県の山のほうでは石灰がたくさん採れます。今回の専用線は、その石灰を加工する工場への路線です。この工場からはJRと東武の二路線へ専用線が伸びていましたが、今回はJR側を取り上げます。太平洋セメント埼玉工場専用線(高麗川駅)開業/1963年5月16日廃止/1999年9月20
短い路線ですが、JR川越線の川越駅から、西武新宿線の本川越~南大塚間を結んでいた線路跡があるということで、安比奈線のついでに見てきました。この路線はWikipediaの本川越駅のページに記載がありますが、ほとんど情報がありません。どうやら太平洋戦争中に使われた路線の
西武鉄道安比奈線の後編です。終着であった、入間川の河川敷にある安比奈駅跡まで向かいます。踏切跡。舗装はきれいになっていますが、レールは露出したままです。下手に埋めるとそこから亀裂が生じたりするからでしょうか。この区間は線路跡沿いに道路があるので見やすい。
今回の路線は、実質廃止と言えるくらいに長い長い休止期間の果てに、最近になって正式に廃止となったというエピソードが有名だと思います。列車が走らなくなってからかなり経っていますが、廃止ではなく休止だったということで、遺構は多かったです。安比奈線開業/1925年2月1
東海道本線貨物支線跡(東神奈川駅あたりからの支線・横浜市場専用線)
前回に引き続き、高島線の廃線跡です。この路線は正式には東海道本線の貨物支線なのですが、さらに多方向に支線が分岐していたので航空写真を見ているとおもしろいです。東海道本線貨物支線(東高島駅へ)開業/1911年12月10日廃止/1959年4月1日横浜市場への専用線開業/1931年1
横浜市には海沿いを行く高島線(東海道本線の貨物支線)という貨物線がありますが、かつては今よりも支線がたくさんありました。今回はその一つ、かつて米軍専用線として使用され、2021年に返還された瑞穂埠頭の専用線の様子を見に行きました。高島線・瑞穂埠頭の専用線開業/19
先月、広島県を初めて歩いてきました。最後に寄った尾道に、かつて臨港線的な専用線があったということで辿ってみました。尾道駅専用線開業/1950年12月2日廃止/1983年12月24日(廃止についてはWikipediaに載っていませんが、いくつかのサイトで取り上げられていた日付を参考に
信越本線の旧線も今回で最終回です。笠島駅からお隣の青海川駅のあたりまでの旧線をたどります。笠島駅の裏手の細い通路を通って米山第5号トンネルまでやってきました。レンガと石材の組み合わせが素敵なポータルですね~すぐ左側には現役のトンネルがあります。おそらく約20
信越本線旧線の旧線、第二回です。閉鎖された線路跡を何とかたどりながら米山駅から笠島駅を目指しています。この前の画像より低い場所から、米山駅方面。青い丸のところにトンネルがあります。海岸線にずっと線路跡が伸びていますが、けっこうガタガタなのがわかります。線
今回から信越本線の旧線を取り上げます。このあたりは山(というか崖)が海に迫っている、厳しい環境の区間となっていて、そのために複線化とともにルートの変更がありました。信越本線旧線開業/1897年8月1日付け替え/1968年9月11日訪問日:2023年11月23日今回のスタート地点は
新年スペシャルということで、最近見た線路跡の変化について。先日、久しぶりに旧沼垂駅へ続く廃線跡のあたりをサイクリングしていて、驚いてしまいました。訪問:2023年12月9日え~っ…!ついにこの沼垂駅へ続く信越本線貨物支線も撤去工事が始まってしまったのか…?こちら
今回は群馬県の草津温泉のふもとあたりにある旧太子駅を見てきました。この駅がある路線は群馬鉄山の専用線として開業した歴史があり、駅にその遺構も残っています。最近では整備も進み、観光スポットとして取り上げられています。吾妻線(太子支線)太子駅開業/1945年1月2日
長岡線跡の3回目。今回で、線路跡巡りは一旦終わりです。この路線の中心的存在だった駅まで向かいます。才津駅を出てすぐの線路跡は一直線に伸びていますが、草に覆われていて歩ける状態ではありません。細い路地を通ってその先へ。草ぼうぼうですがバラストが見えますね。傍
越後交通長岡線の二回目です。1975年に旅客が廃止になってから、20年も貨物専用線として生きながらえたという点が面白い路線です。深沢駅を過ぎると、少しの間、線路跡に近づきにくくなるので迂回して先へ。左から右にかけて、セイタカアワダチソウの黄色い花が並んでいると
今回からは越後交通長岡線の線路跡を巡ります越後交通はかつて二つの鉄道路線を持っていた会社で、そのうちの栃尾線は去年見に行きました↓越後交通 栃尾線 その1 上見附駅~上北谷駅 : にわかの日々〜廃線跡巡り〜新潟県第二の都市、長岡市にはかつて私鉄の路線が二つありま
前回に引き続き、信濃川発電所の専用線です。今回は小千谷発電所より古く、上流の十日町市にある千住発電所の路線です。こちらは線路の幅が国鉄の幅よりも狭く、軽便鉄道と同じです。信濃川発電所工事用材料運搬線(千手発電所)開業/?廃止/1939年?(ダムの運用開始年)訪問日
国鉄時代に整備が始まり、現在ではJRが所有する信濃川発電所の専用線跡を二回にわたって投稿します。信濃川発電所という名称は信濃川にある三つの発電所の総称のようですが、まずは小千谷市にある小千谷発電所の専用線から。信濃川発電所工事用材料運搬線(小千谷発電所)開業/
国鉄魚沼線の最終回です。ここから終点までの区間は、戦中にあった休止期間を境に線路が付け替わっています。まずは廃止時の線路跡から。休止前まであった平沢駅のあたりから次の駅方向を見る。ちょうど左の建物の脇くらいかと思いますが、しばらく住宅街になっているので跡
魚沼線の二回目です。前半は思った以上にハードな道のりでした。前回の森みたいな区間を抜けるとさらに怪しくなってきます。普通車で通れるものか…完全に森というか林道というか…笑山の近くの路線ではないので、こんな道を通ることになるとは思いませんでした。とうとう道
今回は新潟県の長岡市から小千谷市を結んでいた路線です。軽便鉄道から国有化されたり、戦中に休止したりという歴史があります。魚沼線開業/1911年9月14日改軌(線路付け替え)/1954年8月1日廃止/1984年4月1日訪問日:2023年10月8日この路線の起点は信越線の来迎寺駅です。何の
今回は廃ロープウェイです。東京の奥地、奥多摩にある超有名なロープウェイの遺構をちょっとだけですが見てきました。奥多摩湖ロープウェイ(川野ロープウェイ)開業/1962年1月29日休止/1975年3月(1966年12月1日から休止状態)廃止/2007年訪問日:2023年8月20日東京都奥多摩町
博物館明治村にある鉄道関連のもの(SL・京都市電・名電1号形をメインに)
今回は廃線跡というわけではないですが、関わりのあるものを。愛知県にある明治村という施設に行ってきました。ここは歴史的建造物が多く保存されている場所ですが、その中には鉄道関連のものも多く存在します。今回はそれらを見ていきます。訪問日:2023年9月3日明治の蒸気
長らく続いた新潟交通電車線も今回で終着駅へ。前々から行きたいと思っていた路線を完走できてうれしいです。小中川駅を過ぎてすぐある小さな橋。橋台は残っていたものをそのまま使っているんじゃないかと思われます。この先もしばらく遊歩道を西のほうへ進んで行きます。そ
新潟交通電車線の5回目です。燕の町が着々と近づいてきています。訪問日:2023年9月9日六分駅を過ぎると線路跡は再び土手沿いを進む遊歩道となります。しばらく進むと遊歩道が途切れます。この先も遊歩道はあるのですが、線路跡から少しそれているみたいです。たぶん右手にあ
新潟交通電車線の4回目です。白山前から辿っているので、ここからは終盤戦といった感じです。訪問日:2023年7月30日、9月9日月潟~燕間廃止/1993年7月31日曲駅を出てしばらく行くと橋がかかっています。ここはガーターを再利用しているわけではなさそうですが、橋台はそのま
新潟交通電車線の三回目です。訪問日:2023年7月30日吉江駅を過ぎると再び線路跡が土手に消えるので、その上を進みます。しばらく行くと土手の下に降ります。土手を離れて町のほうへ。この坂の横あたりが線路跡。坂を下りたところで白山前方面を見る。痕跡は残っていません。
新潟交通電車線走破の第二回です。この日は暑くて大変でしたが、まだ見ぬ区間に自転車をこぐ足が止まりませんでした。東関屋 ~月潟間廃止/1999年4月4日訪問日:2023年8月5日前回最後に見た新大野駅跡を過ぎると線路跡は土手沿いを進んで行きますが、そのほとんどは土手の整
これまでに何度か新潟交通電車線を取り上げてきましたが、やっとこさ全線巡ってみようと思い、三回に分けて行ってきました。その最初の区間、これまでに行ったことのあるところをさっと見ていきます。↓最初に見に行った2014年の様子(たまに2013年)はこちら↓ 新潟交通電車線
二回にわたって頸城鉄道線の線路跡をお届けしましたが、今回はその途中に寄ったくびきのレールパークを取り上げます。上越市頸城区にある旧百間町駅、現くびきのレールパークにやってきました。裏手にJAの施設があり、そこが駐車場になっていました。左の建物は1942年建設の
頸城鉄道の第二回目です。終点まで向かいます。明治村駅を過ぎたところ。この道路がそのまま線路跡かと思いましたが、この次に見つけたものでそうではないことがわかります。それがこちら、橋の痕跡です!先を見るに、線路跡は田んぼの中のようです。ぼろぼろになりながらも
今回からは頸城鉄道をお届けします。新潟県の上越市にある軽便鉄道の路線で、現在でも保存活動が活発です。頸城鉄道開業/1914年10月1日廃止/1971年5月2日訪問日:2023年6月18日起点となっていたのは信越本線の黒井駅の横にあった新黒井駅です。頸城鉄道の駅があった南口は整
尾小屋鉄道も最終回です。終点の尾小屋駅と、その近くにある保存車を見に行きます。ホームが残っている観音下駅を過ぎて道なりに進みます。左手には麦畑。線路跡が道路になっていてわかりやすい。この先に立派な隧道があるのですが、、閉鎖されていました。予想はしていたの
尾小屋鉄道の二回目です。前回の終わりに見た梯川橋梁の先の区間から。橋梁方面を見ています。この先で橋が見られるのか確かめに行く気になれませんでした。ここまで来るのにはけっこう迂回をせねばなりません。反対の終点方面。このあたりで何かの工事が行われていました。
☆2023年7月25日に総訪問者数が4万人を超えました。いつもありがとうございます!石川県の小松市に行ってきました。ここには鉱山の開発により敷設され、その衰退とともに廃止となった軽便鉄道がありました。尾小屋鉄道開業/1919年11月26日廃止/1977年3月20日訪問日:2023年6
前々回から士幌線のアーチ橋ツアーの様子をお届けしましたが、今回は個人的に見に行ったスポットです。士幌線は80km弱もの長さがあった路線なので、その全てはとても見られませんでしたが、タウシュベツ川橋梁の前後の区間で色々と見てきました。士幌線開業/1925年12月10日廃
前回はタウシュベツ川橋梁を取り上げましたが、このツアーはこれだけではありません。タウシュベツ川橋梁以外の魅力的なコンクリート橋と駅跡を見ることができたので、時系列順に紹介します。タウシュベツ川橋梁を見た後に訪れたのは第五音更川橋梁です。このツアーの目的地
今回取り上げるのは士幌線のタウシュベツ川橋梁です。この線路跡はかなり有名で、私も10年ほど前に廃線の世界に入ってからすぐにその存在を知ることとなったのですが、このたび念願叶って訪れることができました。今回は橋の見学ツアーに参加しての探訪でしたので、その様子
今回で夕張の廃線は最終回。路線を見て回ったわけではないですが、駅跡にあった保存車をじっくり見てきました。再訪することがあったら全部たどってみたいですね。三菱石炭鉱業大夕張鉄道線開業/1911年6月1日廃止/1987年7月22日 訪問日:2023年5月4-5日駅を出た後は左のほう
小ネタ的にこの間見てきたものを紹介します。廃線ではないですが、便宜的に東京都の廃線カテゴリに入れました。訪問日:2023年6月11日取り壊し中の御陵車庫まず一つ目は最近話題になっている大井町の御陵車庫です。ここ一帯の再開発による工事でとても歴史のあるレンガ車庫が
前回までJRの夕張支線を取り上げましたが、今回はその途中駅から伸びていた専用鉄道を巡ります。この専用線を敷設したのは北海道炭礦汽船(北炭)という超有名な企業です。真谷地炭鉱の輸送がメインでしたが、旅客扱いもあった路線でした。真谷地炭鉱専用鉄道開業/1925年4月10
新夕張駅から見てきた夕張支線もいよいよ終点です。夕張駅は炭鉱にとても近い駅ですが、やはり当時と現在とでは全く景色が違いました。鹿ノ谷駅から夕張方面へ進むとすぐに、見逃せないものがあります。この橋には第五志幌加別川橋梁という名前が付いています。なんとも立派
夕張支線の第三回目です。前回の清水沢駅までは5月4日、ここからはその翌日に見て回った区間となります。清水沢の町を過ぎると山あいの区間。まずは川を渡ります。ここも鉄橋はそのまま残る。対岸から見て驚きましたが、すぐ横に橋脚が並んでいました。複線だった頃の名残で
前回に引き続き夕張支線です。沼ノ沢駅を出て、夕張駅を目指して進んでいきます。少し進んだところにある陸橋から夕張方面を見る。この橋の名前は新鉱橋。炭鉱から来ているのでしょう。沼ノ沢駅方面。線路の脇に広いスペースがあるとつい過去の様子を想像してしまいます。次
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横川駅から続く遊歩道、アプトの道を踏破した後はそのまま引き返す人がほとんどですが、せっかくなのでその先の廃線跡を見つつ徒歩で長野県側まで行ってみることにしました。長い長い道のりでした。。熊ノ平信号場の下にある駐車場を出て、国道18号を少し歩いてくと一つめの
碓氷峠巡りの記事ももう第5回目です。ついに横川から続くアプトの道の終点、熊ノ平信号場までやってきました。横川駅方面のトンネル。新旧線はここで合流します。右がここまで歩いてきた旧線、左二つが新線の上下線ですね。旧線のすぐ横にはもう一つトンネルがあります。こち
碓氷峠巡りの第4回目。前々から見たかった、念願のめがね橋といよいよご対面です。下に降りる階段は向こう岸にあるので、まずは橋を渡る。レンガのどっしり感が感じられます。横には何かの金具が取り付けられています。ケーブルか何かを渡していたのかな。下を覗くと、うねう
今年のGWは今まで訪れたことのなかった長崎・佐賀へ向かいました。その帰りに、せっかくなので昔から憧れていた500系に乗って帰ろうと思っていたのですが…という話です…笑最後の宿泊地、佐賀からまずは博多へ。新幹線のようなフォルムがかわいい885系の特急みどり。連休の
碓氷線巡りの第三回目です。前回のトロッコの終点から先は線路などは残っていない遊歩道となります。また、このあたりから一気に山に入った感が出てきます笑さっそくトンネルの登場です!明治から昭和まで70年に渡って使われた石積みのトンネルですね。上に桜も咲いていて、
碓氷峠を越えていた信越本線巡りの第二回目です。今回は丸山信号場と、そこにある変電所から見ていきます。線路沿いの開けた土地に、二つのレンガ建築が並んでいます。こちらが丸山変電所。アプトの道中盤にある注目スポットです!変電所は開通から19年後の1912年、この区間
前々から行きたかった、横川駅から軽井沢駅の間の信越本線の跡、通称碓氷線を巡ってきました。この区間は今や廃線好き以外の人にも人気のスポットとなっていますね。今回は遊歩道として整備されている区間を見た後、その先にある碓氷峠を徒歩で越えて軽井沢駅まで行ってきま
沿線にある寺を聖地としていた宗教団体の存在が切り替えの理由の一つと言われている路線です。現在でもくっきりと残る旧線の跡を、富士山を見ながらたどってきました。身延線旧線開業/1913年7月20日線路切り替え/1969年9月28日訪問日:2025年3月23日身延線の起点である富士駅
前回の三島駅から一つお隣の沼津駅へ。この駅からは東海道線の歴史にも大きく関わる路線が伸びていました。蛇松線開業/1899年6月15日廃止/1974年9月1日訪問日:2025年3月22日沼津駅ホームの西の端から。この先で左に向かって分岐していたようですが、ここからは見ることがで
静岡方面に行ったり行ったときに途中下車して寄った線路跡です。三島駅の北口には初めて出ましたが、新幹線のある側らしい綺麗さがあるな~と感じました。東レ三島工場専用線開業/???廃止/2007年5月 訪問日:2025年3月22日三島駅の1・2番線ホームから、新幹線ホームの方
東京都北区に存在した、陸軍用地への引き込み線を追いました。跡地は団地などに姿を変えましたが、線路跡ははっきりと残っています。東京兵器補給廠引き込み線開業/???廃止/???訪問日:2025年3月2日今回の引き込み線は、赤羽駅から京浜東北線などの線路に沿って少し北
東横線、渋谷~代官山間の後半です。前回は渋谷駅から途中にあった並木橋駅跡まで歩いてきました。並木橋駅の先には、道路を挟んで当時の高架橋の一部と柱が残されています。これくらいの幅だったのかと想像がしやすいですね。信号待ち中に見た渋谷川の解説。渋谷川ってこん
廃線ではありませんが、地下化した区間の地上部分に行ったら思った以上に鉄道があった頃の記憶が残されていたので、取り上げます。東急東横線(渋谷駅~代官山駅)開業/1927年8月28日地下化/2013年3月15日 訪問日:2025年2月22日変化が進む渋谷駅周辺。現在は地下に潜った東
前回の田浦駅から、横須賀線に乗って大船駅まで。今回は大船駅と北鎌倉駅の間から分岐していた、JR東の車両センターへの線路跡を追います。大船工場引き込み線開業/1945年12月1日廃止/2006年3月31日(上記は工場の発足・廃止年月日)訪問日:2025年2月1日横須賀線をまたぐ跨
逗子駅から横須賀線に乗って田浦駅まで来ました。この駅からは、港のほうに向かって界隈では有名な廃線跡が存在しています。やっと見に行くことができました!田浦駅の専用線(旧海軍専用線→米軍、相模運輸倉庫専用線)開業/1943年頃?使用中止/1998年貨物取扱廃止/2006年5
逗子市にあった弾薬庫へ続く線路跡の後編です。ここから線路跡の痕跡が多く残るエリアへ!前回見たビジターセンターの裏手には奥行きのある土地、というか谷が伸びています。足元には線路が埋まっているのが見えますね…!また、ここから左側には線路が分岐していました。そ
タイトルにある通りですが、びゅうトラベルのダイナミックレールパックを使って往復新幹線+ホテル一泊の旅行を予約したら行きの新幹線が途中から運転見合わせになってしまい、途中で引き返してきたので腹いせにつらつらと書いていきます…笑結果的にはキャンセル料もかからず
神奈川県の逗子に、日本の海軍によって設置され、戦後は米軍に使われていた弾薬庫があります。その弾薬庫まで伸びていた引き込み線の痕跡を追いました。池子弾薬庫への引き込み線開業/?(倉庫の設置は1938年)廃止/1977~78年ごろ 訪問日:2025年2月1日横須賀線の逗子駅から
岐阜県多治見市を走っていた、東濃鉄道笠原線の後編です。市之倉口駅があった工場を過ぎた先。線路跡の遊歩道が真っすぐ伸びていきます。右側に「2」と彫られたコンクリの柱があります。新多治見駅からの距離的に、キロポストでしょうか。いかにも踏切があったような場所。警
廃線跡巡りでは岐阜県に初進出です。名古屋で線路跡を見た後に愛岐トンネル群を歩き、そのまま多治見で一泊した翌朝に行きました。笠原線開業/1928年7月1日廃止/1978年11月1日 訪問日:2024年12月1日多治見駅から名古屋方面に進む中央線を見る。今回の路線は私鉄ですが、国
前回に続き、函館の廃線を見て回ります。時代も用途も様々な線路がたくさんあり、いかに貨物が盛んだったのかがわかります。市営第二専用線開業/1948~63年の間廃止/1977~88年の間(前回の第一専用線と同じく、航空写真で見た限りの年代です。今昔マップを見ると、平成元年修正
今年のGWは函館に行ってきました。アニメの聖地巡りをしたり、近代建築を見たりと忙しかったのですが廃線もいろいろとしっかり見てきました。大きな港町らしく、こまごまとした路線がたくさんありましたので、まずはこの二路線を。訪問日:2024年5月3日青函連絡船開業/1925年
東京の水がめ、小河内ダムの建設の際に敷設された小河内線の後半です。多摩川沿いの旧青梅街道(奥多摩むかし道)をメインに歩いてダムを目指します。桧村橋のあたり。下に見える川の右側に、むかし道と線路がありますが、線路はほとんど見え無さそうだったのでショートカット
東京都の西の果て、奥多摩町へやってきました。ここでは去年ドライブついでにロープウェイの跡を見てきましたが、そのときに見て回ることも検討していた廃線があります。それがこちら、奥多摩湖を生んだダム建設の際に敷かれた小河内線です。東京都水道局 小河内線開業/1952
前回の西武多摩川線から、歩いて南武線のほうへ。前回も取り上げた多摩川の砂利採取線の痕跡を見に行きます。そもそも南武線は砂利の採取を目的として敷設されたということもあって、地域性が出ていると思います。訪問日:2024年3月23日南武是政駅跡近くからの分岐線開業/194
東京都の小金井市・府中市に、西武鉄道の多摩川線があります。この路線は西武でありながら他の西武路線と全く繋がっていないというところがおもしろいのですが、ここから何本か貨物用の線路が伸びていました。今回はそれらを一気に見に行きます。訪問日:2024年3月23日新小金
先々週は荒川区にある都電おもいで広場の保存車両を取り上げましたが、今回はその続き。北区と豊島区にある保存車両を見てきました。訪問日:2024年3月17,20日飛鳥山公園・6000形 6080号車まず最初は、北区の飛鳥山公園にある6000形の6080号です。飛鳥山はその名の通り小高い
3月の半ばごろ、横浜にある山下臨港線の廃線跡の遊歩道、汽車道のウッドデッキ部分にある線路が工事で露出しているということが話題になりました。その後どうなるのかと思っていましたが、先日ちょうど横浜に行く用事があったので見てきました!訪問日:2024年3月31日桜木町
ブログ開設から本日で11年ということで、記念にもうすぐ廃止される交通機関を取り上げます。去年の年末に広島へ行ってきましたが、その時にスカイレールサービス広島短距離交通瀬野線、通称スカイレールに乗ってきました。こちらの路線は、世界でもここにしかない機構の乗り
今回から都電の保存車両特集です。荒川区にある車庫に併設されている都電おもいで広場と、他二か所の保存車両を見てきましたが、思ったよりたくさん写真を撮っていたので二回に分けて取り上げます。訪問日:2024年3月17日かつて都心じゅうに張り巡らされていた東京都電の生き
鉄道の電化に伴って大量の電気が必要となり、国鉄は自前の発電所を建設しました。少し前に見に行った信濃川発電所はその一例ですが、その前に稼働していた発電所がかつて赤羽にありました。今回はその発電所へ伸びていた専用線です。赤羽発電所専用線開業/1920年?廃止/1958
前回、太平洋セメント(旧日本セメント)埼玉工場は二方向へ専用線が伸びていたことを少し触れましたが、そのもう片方です。こちらは東武の線路から伸びていたもので、今回は工場から東武線方面へ進んで行きます。日本セメント埼玉工場専用線(東武)開業/1963年5月16日廃止/19
埼玉県の山のほうでは石灰がたくさん採れます。今回の専用線は、その石灰を加工する工場への路線です。この工場からはJRと東武の二路線へ専用線が伸びていましたが、今回はJR側を取り上げます。太平洋セメント埼玉工場専用線(高麗川駅)開業/1963年5月16日廃止/1999年9月20
短い路線ですが、JR川越線の川越駅から、西武新宿線の本川越~南大塚間を結んでいた線路跡があるということで、安比奈線のついでに見てきました。この路線はWikipediaの本川越駅のページに記載がありますが、ほとんど情報がありません。どうやら太平洋戦争中に使われた路線の
西武鉄道安比奈線の後編です。終着であった、入間川の河川敷にある安比奈駅跡まで向かいます。踏切跡。舗装はきれいになっていますが、レールは露出したままです。下手に埋めるとそこから亀裂が生じたりするからでしょうか。この区間は線路跡沿いに道路があるので見やすい。
今回の路線は、実質廃止と言えるくらいに長い長い休止期間の果てに、最近になって正式に廃止となったというエピソードが有名だと思います。列車が走らなくなってからかなり経っていますが、廃止ではなく休止だったということで、遺構は多かったです。安比奈線開業/1925年2月1
前回に引き続き、高島線の廃線跡です。この路線は正式には東海道本線の貨物支線なのですが、さらに多方向に支線が分岐していたので航空写真を見ているとおもしろいです。東海道本線貨物支線(東高島駅へ)開業/1911年12月10日廃止/1959年4月1日横浜市場への専用線開業/1931年1
横浜市には海沿いを行く高島線(東海道本線の貨物支線)という貨物線がありますが、かつては今よりも支線がたくさんありました。今回はその一つ、かつて米軍専用線として使用され、2021年に返還された瑞穂埠頭の専用線の様子を見に行きました。高島線・瑞穂埠頭の専用線開業/19
先月、広島県を初めて歩いてきました。最後に寄った尾道に、かつて臨港線的な専用線があったということで辿ってみました。尾道駅専用線開業/1950年12月2日廃止/1983年12月24日(廃止についてはWikipediaに載っていませんが、いくつかのサイトで取り上げられていた日付を参考に
信越本線の旧線も今回で最終回です。笠島駅からお隣の青海川駅のあたりまでの旧線をたどります。笠島駅の裏手の細い通路を通って米山第5号トンネルまでやってきました。レンガと石材の組み合わせが素敵なポータルですね~すぐ左側には現役のトンネルがあります。おそらく約20