形式名詞「もの」に助詞がついて一語化したものです。もともとはどれも「逆接」の使い方が主流でしたが、「ものから」「ものゆゑ」に関しては、次第に「順接」の使い方も見えはじめ、近世になると「順接」がだいぶ増えてきます。
勝手に変わっていっていやだね 意味 (1)ますますひどく・なぜだかしきりに・どういうわけかいっそう (2)異様に・あやしく・気味悪く (3)いやに(いやなことに)・不快に(不快なことに)・情けなく ポイント 「転(うたた)」と同根の語です。
「転(うたた・うたて)」が形容詞になったものです。「転」の字のとおり、「意図や期待に反して、事態が進んでいってしまう状態」に用います。
『徒然草』「つれづれなるままに」の現代語訳です。
『伊勢物語』「あづさ弓」の現代語訳です。
『沙石集』「ねずみの婿とり」の現代語訳です。
京なる医師のがり率ゐて行きける道すがら、人のあやしみ見ること限りなし。(徒然草)
『徒然草』の一節です。ポイントは、助動詞「なり」、形式名詞「がり」、動詞「率る」、助動詞「けり」、接尾語「すがら」、動詞「あやしむ」、形容詞「限りなし」です。
〈問〉次の傍線部を現代語訳せよ。 国の守、まなこ賢くして、「この主は不実の者なり。この男は正直の者」と見ながら、不審なりければ、かの妻を召して別の所にて、事の子細を尋ぬるに、夫が状に少しもたがはず。「この妻は極めたる正直の者。」と見て、か
「数が多い」という意味で使用された上代後「まねし」に、接頭語「あ」がついた語ではないかと考えられています。「あまりにも数が多い」ということから、「広く行きわたって、残すところがない」という意味で使用されます。
「止む+事+無し」で「やむごとなし」になりました。「止む」が「止まる」「中止になる」ということですから、「やむごとなし」は「(作業を)やめてはいけない物事」や、「(扱いを)やめてはいけない対象」に使用します。
「る」「れ」の識別です。
目指す先まで続いているはずの糸のような「道筋」があって、それをたよりに対象に近づこうとするイメージの動詞です。「目的の事物」に近づくということで「探し求める」/「目的の情報」に近づくということで「調査する」/「質問する」「目的の場所」に近づくということで「訪問する」などという意味になります。
『徒然草』「これも仁和寺の法師」の現代語訳です。
『方丈記』「行く河の流れ」の現代語訳です。
『古今和歌集仮名序』「やまとうたは」の部分の現代語訳です。
住の江の岸に寄る波の「よる」ではないが、夜までも夢の通い路をあなたが通って来ないのは【私たちが逢えないのは】、あなたが人目を避けているからだろうか。
もともと、「精神的な困惑」を意味します。それが「身体的な不調」で用いられれば「病気になる」などと訳し、「困惑を伴う行為」に用いられれば「苦労する・難儀する」などと訳します。
へなへな~ くたくた~ 意味 (1)苦労する・難儀する・困る (2)病気になる・病に苦しむ (3)非難する ポイント 「萎なゆ」と同根の語であると言われます。「ぐったりする」「柔らかくなる」という意味の「萎ゆ」に、「~のような状態になる」「
「直(なほ)」「去り(さり)」の複合語という説があります。その説に則ると、「何もせず離れる」ことだといえるので、「いいかげん・おろそか」という意味になります。「猶なほあり」が音変化したものとも言われていますが、その場合でも「依然としてそのままある」ということになりますから、「いいかげん・おそろか」という意味につながっていきますね。「注意をはらわない」という意味の漢語である「等閑とうかん」を訓じる際には、「なほざり」と読みました。
「大殿」は「宮殿」を指しまして、特にその寝所を意味することが多いです。したがって、「大殿籠る」は「天皇が寝所におこもりになる」ということになります。訳は「お休みになる」で大丈夫です。
上一段動詞「見る」の未然形「み」に、尊敬の助動詞「す」がついて「みす」となったものが、やがて「めす」になったと言われます。もとは「呼ぶ」「呼び寄す」の尊敬表現ですが、「食ふ」「着る」「飲む」の尊敬表現として、(4)の意味で使うことも多いです。
ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは (在原業平朝臣)
不思議なことが多かった神代の昔にも、これほどのことは聞いたことがない。竜田川に、紅葉したもみじが敷かれ、水面をくくり染めにしているとは。
たち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む (中納言行平)
あなたがたとお別れして因幡国に行っても、その国の稲羽山(稲葉山)の峰に生える松ではないけれど、あなたがたが「待つ」と聞こえてきたら、すぐに帰って来よう。
きみがため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ (光孝天皇)
あなたのために、春の野に出かけて若菜を摘む私の袖に、雪はしきりに降りかかっている。
陸奥の しのぶもぢずり たれゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに (河原左大臣)
陸奥の織物である「しのぶもじずり」が乱れ模様に染まるように、いったい誰のせいで私の心は乱れ始めてしまったのか。私のせいではないのに。(あなたのせいなのに。)
筑波嶺の 峰より落つる 男女川 恋ぞつもりて 淵となりぬる 陽成院
和歌 (百人一首13) 筑波嶺の 峰より落つる 男女川みなのがは 恋ぞつもりて 淵となりぬる 陽成院 『後撰和歌集』 歌意 筑波嶺の峰から落ちる男女川のように、私の恋心も積もって、淵となってしまった。 作者 作者は「陽成院」です。清和天皇の
「わざと」は、意図をもってする行為につきます。多くの場合は、(1)のように「わざわざ・故意に・意図的に」と訳せば文意に合います。逆に、「わざとなし」「わざとならず」などと表現されている場合は、意識的ではない行為を指すと考えましょう。「わざと」は、「意図的である」ということから、(2)のように「本格的」と訳したり、(3)のように「特別」と訳すこともあります。
『堤中納言物語』「虫愛づる姫君」の現代語訳(2)です。
『堤中納言物語』「虫愛づる姫君」の現代語訳(1)です。
『堤中納言物語』「虫愛づる姫君」の現代語訳(1)です。
「他人と比較して自分が劣っていると感じる気持ち」を意味します。自分の感情に使用している場合には、(1)の意味になります。対して、会話の相手や第三者に対して使用している場合は、(2)の意味になります。
もとは「外形」「輪郭」などを意味する語ですが、中古では特に「顔形」を意味することが多くなりました。「かたち」だけで「美しい顔」「美しい容姿」を意味することもあり、その場合「美人」と訳したりもします。
男こそ、~ 男こそ、なほいとありがたく、あやしき心地したるものはあれ。いときよげなる人をすてて、にくげなる人をもたるもあやしかし。公所おほやけどころに入りたちたるをとこ、家の子などは、あるがなかによからむをこそは、えりて思ひたまはめ。およぶ
「にて」の識別です。
「が」の識別です。
上代では「しのぶ(上二段活用)」と「しのふ(四段活用)」という別の語であり、活用が異なりました。濁音/清音の違いもありました。「忍ぶ」は「隠す・こらえる」ということで、「偲ぶ」は「懐かしむ・思い慕う」ということであり、意味も別々の語です。ただ、語形も意味も似ていることから、中古では混同が起きて、本来「上二段」である「忍ぶ」が「四段」でも用いられるようになり、逆に本来「四段」である「偲ぶ」が「上二段」でも用いられるようになっていきました。そのため、活用で区別することは困難です。漢字で書かれていればその時点で判別可能ですが、ひらがなで書かれている場合には、がんばって文脈判断しましょう。
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形式名詞「もの」に助詞がついて一語化したものです。もともとはどれも「逆接」の使い方が主流でしたが、「ものから」「ものゆゑ」に関しては、次第に「順接」の使い方も見えはじめ、近世になると「順接」がだいぶ増えてきます。
形式名詞「もの」に助詞がついて一語化したものです。もともとはどれも「逆接」の使い方が主流でしたが、「ものから」「ものゆゑ」に関しては、次第に「順接」の使い方も見えはじめ、近世になると「順接」がだいぶ増えてきます。
ひともをし ひともうらめし あぢきなく よをおもふゆゑに ものおもふみは和歌 (百人一首99)人もをし 人も恨めし あぢきなく 世を思ふゆゑに もの思ふ身は後鳥羽院 『続後撰集』歌意人がいとおしい、一方では人が恨めしいと思う。つまらないとこ...
この世の中は、いつまでも変わらないものであってほしいなあ。波打ち際を漕ぐ漁師の小舟の綱手を、漁師たちが引いている様子はしみじみといとおしいものだ。
行き届いているフルハイビジョン意味(1)きめこまやかだ・繊細だ(2)綿密だ・くわしい・こまごまとしている(3)心がこもっている・愛情深い・懇切丁寧だ(4)色が濃い(5)にこやかに *「笑ふ」を修飾してポイント繊細で綿密なようすを意味してい...
「こそあらめ」は、係助詞「こそ」+動詞「あり」の未然形+助動詞「む」の已然形です。「こそあれ」は、係助詞「こそ」+動詞「あり」の已然形です。どちらも、多くは「逆接構文」をつくるので、基本的には「~けれど」という逆接のかたちで訳しましょう。
~けれど、~~!!意味~こそ(ー已然形)、 *前提句となる(1)~は(こそ)ーけれど、 / ~は(こそ)ーものの、 *逆接強調~こそ(ー已然形)。 *前提句とならない(2)~は(こそ)ー *単純な強調 ポイント「こそー已然形」は、もともとは...
あるけれど意味こそあれ(1)~はあるけれど / ~こそあるものの(2)~であるけれど / ~ているけれどポイント「こそあれ」は、係助詞「こそ」+動詞「あり」の已然形です。「こそー已然形」は、もともとは「逆接」をつくる構文なりますので、そこで...
よのなかよ みちこそなけれ おもひいる やまのおくにも しかぞなくなる和歌 (百人一首83)世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる皇太后宮大夫俊成 『千載集』歌意この世の中よ、つらさから逃れる方法はないのだなあ。思いつめ...
おもひわび さてもいのちは あるものを うきにたへぬは なみだなりけり和歌 (百人一首82)思ひわび さても命は あるものを 憂きに堪へぬは 涙なりけり道因法師 『千載和歌集』歌意つれない人を思い悩み、それでもやはり(死にもせず)命はまだあ...
ほととぎすが鳴いた方角を眺めると、(ほととぎすの姿はすでになく)ただ有明の月が空に残っている。
まずはいつもの「敬語の種類」をあげておきます。〈尊敬語〉 主体(行為者)に敬意を示す 「おはす」「たまふ」など〈謙譲語〉 客体(行為の受け手)に敬意を示す 「申す」「参る」など〈丁寧語〉 聞き手・読み手に敬意を示す 「はべ...
まずはいつもの「敬語の種類」をあげておきます。〈尊敬語〉 主体(行為者)に敬意を示す 「おはす」「たまふ」など〈謙譲語〉 客体(行為の受け手)に敬意を示す 「申す」「参る」など〈丁寧語〉 聞き手・読み手に敬意を示す 「はべ...
まずはいつもの「敬語の種類」をあげておきます。〈尊敬語〉 主体(行為者)に敬意を示す 「おはす」「たまふ」など〈謙譲語〉 客体(行為の受け手)に敬意を示す 「申す」「参る」など〈丁寧語〉 聞き手・読み手に敬意を示す 「はべ...
辞書によっては「謙譲語Ⅱ」っていうのが登場するんだけど、あれはいったい何なの?「謙譲語Ⅱ」は別名「丁重語」とか「荘重体敬語」とも言いまして、ちょっと特殊な用法になる謙譲語です。ひとことで言うと、「行為を丁重な表現であらわすことで、その発言の...
じっと見つめる・・・ 意味 (1)見守る・じっと見つめる (2)見定める・うかがう (3)守護する・大事にする ポイント 「目(ま)+守る(もる)」が一語化したもので、「目を離さずじっと見る」ということです。「まぼる」というときもあります。
日もいと長きに、~ 日もいと長きに、つれづれなれば、夕暮れのいたう霞かすみたるに紛れて、かの小柴垣のもとに立ち出で給ふ。人々は帰し給ひて、惟光朝臣これみつのあそんとのぞき給へば、ただこの西面にしも、持仏据ゑ奉りて行ふ尼なりけり。簾すだれ少し
もともとは水上を移動して、水面で隔てられた向こう側に移動することに用いられました。中古では、水上に限らず、地面や空中を移動することにも広く用いられるようになります。類義語「わたす」のほうは、中古になっても「水上」を移動することにほぼ限定されます。
『徒然草』百二十九段の現代語訳です。
成り立ちははっきりしませんが、「みそか盗人」「みそか心」といったことばもあります。「密(みつ)か」が「みそか」に音変化したのではないでしょうか。用例としてはほとんどが「みそかに」という連用形のかたちですね。ちなみに「みそかなり」はおもに和文で使用され、漢文訓読体では「ひそかなり」と読みます。これは「ひそまる」「ひそむ」という語と関係があるとされます。
「宮廷風」である「みやぶ」「みやび」の対義的な語です。「ゐなか(田舎)」の「ゐな(wina)」と「ひな(fina)」でそもそも音がかなり近く、ほぼ同じことを意味している語だと考えられます。
語源は未詳ですが、「大気(おほけ)」に、「はなはだしくそうである」ことを意味する接尾語「なし」がついて「おほけなし」になったとする説があります。「大それている」というようなニュアンスで「身のほど知らずだ・身分不相応だ」などと訳すことが多いです。
宮廷風! 意味 (1)優雅・風流・上品 ポイント 上二段動詞「みやぶ」が名詞化したものです。「みやぶ」は「宮ぶ」であり、「宮廷のような状態になる」「宮廷風の行いをする」ということです。 フランス的にいうと、「ヴェルサイユ宮殿風」みたいな感じ
「面(おも)」は「正面・面前」のことであり、「白(しろ)」は「ぱっと明るい状態」を意味します。つまり、「目の前のことがパアーっと明るく見える」ということであり、もともとは「すばらしい景色」を形容することによく使用されました。平安時代には、景色だけでなく、音楽や芸術などにも広く用いられました。
もともとは「名詞」+「格助詞」であり、「世の中に」「世間では」の意味になります。「この世の中で~である」「この世の中で~ない」という言い方は、「実際の世間」を意味しているわけではなく、一種の強調表現のような言い方として用いられることもありますよね。その場合の「よに」は、「副詞」として分類して、「実に~だ!」「決して~でない!」という意味で訳します。
「心」に接尾語「ばせ」がついた名詞とされます。同じ構造のものに「かほばせ(顔ばせ)」などがありますね。あるいは、「心」+「馳す」が名詞化して「心馳せ」になったという考えもあります。その考えにしたがえば、積極的に対象に向かうような「活発な心の性質」を表しているといえます。
動詞「次ぐ(つぐ)」+接続助詞「て」の「次ぎて」が音便化して、「ついで」になったと考えられています。「出来事A」に次ぐかたちで「出来事B」がある、というような「流れ」を意味する場合は、(1)のように「順序・順番」と訳します。「出来事A」があって、次いで何かが発生する「タイミングとしての点的なポイント」を意味する場合は、(2)のように「機会・場合」と訳します。
動詞「次ぐ(つぐ)」+接続助詞「て」の「次ぎて」が音便化して、「ついで」になったと考えられています。「出来事A」に次ぐかたちで「出来事B」がある、というような「流れ」を意味する場合は、(1)のように「順序・順番」と訳します。「出来事A」があって、次いで何かが発生する「タイミングとしての点的なポイント」を意味する場合は、(2)のように「機会・場合」と訳します。
接触する部分が固くてごつごつしていることを意味します。類語に「こはごはし(強強し)」がありまして、ほぼ同じ意味で用いられます。
「知る」「記す・徴す」と同根のことばです。一説には「白」とも関係するといわれます。何らかのかたちで明白に認識できること(もの)を示す語であり、根本的には「徴候」「兆し」といった意味になります。
姉妹サイト「減点されない論理国語」を作ってみたので、余裕のある時に更新していきます。 「減点されない古文」がおろそかにならないように気をつけます!
姉妹サイト「減点されない論理国語」を作ってみたので、余裕のある時に更新していきます。 「減点されない古文」がおろそかにならないように気をつけます!
「知る」「しるす」などと同根の語とされます。一説には、「白」「白し」とも関係があるとされます。何かの兆候がはっきりとあらわれて、しっかりと認識できるようなようすを形容するのに用いられました。
「いぶ」ということばに「はれない(はっきりしない)」という意味合いがありまして、「いぶし」は、それを「気がかり」に思う心情面のことばとして使用されます。「気がかり」であるがゆえに、その内容を確認したい心情として「見たい・聞きたい・知りたい」などと訳すこともあります。また、「疑い」の気持ちが強ければ「不審だ」などと訳します。
「いぶ」ということばに「はっきりしない(はれない)」という意味合いがありまして、「いぶせし」は、その「内にこもった鬱屈した状態」を表します。その点で(1)の意味が本義です。(2)(3)の意味は中世くらいから出てきます。
シンプルに「道が平らだ」ということなのですが、「心」が「平ら」であることや、「凸凹のトラブルがない」ことを意味するようになりました。用例としては(3)の「無事だ・平穏だ」という意味で用いることが多いです。
「こち」は「骨」であり、「ゴツゴツしているさま」「四角四面なさま」「洗練されていないさま」を表します。それに形容詞を成立させる接尾語「なし」がついて「こちなし」となりました。「骨っぽい!」ということであり、「洗練されて角がとれたようす」とは逆のイメージです。そのため、「無作法」「無風流」などと訳します。
「長(をさ)」を重ねたことばです。「をさ」は、年齢や能力が長じていることを示しますので、どちらかというと(2)の「しっかりしている」「きちんとしている」という意味のほうが原義に近いです。たとえば、「幼し(をさなし)」という語は、この「長(をさ)」が「無し」であることを示すことから、「年少だ・幼稚だ」という意味になります。ただ、実際の用例としては、下に打消表現を伴い、(1)のように「めったに(~ない)・ほとんど(~ない)・なかなか(~ない)」という意味で用いることがほとんどです。
「目」+「安し(易し)」で一語化した形容詞です。「見た目が穏やかである」ということから「感じがよい」と訳すことが多いです。記述問題なら「見た目が」をつけておいたほうが無難ですが、内からにじみ出る感じのよさを表すこともあり、選択肢問題ではシンプルに「感じがよい」と訳していることもあります。また、「すんなり見ることができる(見るのに抵抗がない)」というニュアンスで「見苦しくない」と訳すこともあります。
『今鏡』より、「用光と白波」の現代語訳です。