わが命よ、絶えてしまうのなら絶えてしまえ。このまま生き長らえているならば、堪え忍ぶ心が弱まると困るから。
助動詞「つ」に、願望を示す終助詞「しか」がついて、さらに、詠嘆を示す終助詞「な」がついたものだと言われています。単純な希望(願望)というよりは、実現が困難なことや、普通に考えると不可能なことについて、「~したいものだなあ」と望む場合に用いられます。ベースとなっている終助詞「しか」だけで「願望(希望)」を示すのですが、「しか」は、過去の助動詞「き」の連体形「し」に、疑問や感動(詠嘆)を表す「か」がついたという説があります。
いかでこの人に、思ひ知りけりとも見えにしがなと、常にこそおぼゆれ。(枕草子)
『枕草子』の一節です。ポイントは、副詞「いかで」、助動詞「けり」、動詞「見ゆ」、連語「にしがな」、動詞「おぼゆ」です。
ラ変動詞「あり」に、推量の助動詞「む」が接続詞、「あらむ」となったものから、「あ」が欠落して「らむ」となり、一語の助動詞として認識されていったものだと考えられています。「む」が主に「未来」を推量するものであるのに対して、「現在」を推量するものが「らむ」であり、「過去」を推量するものが「けむ」です。
「あなうらやまし。などか習はざりけん」といひてありなむ。(徒然草)
『徒然草』の一説です。ポイントは、感動詞「あな」、副詞「などか」、助動詞「けん」、連語「なむ」です。
過去の助動詞「き」の古い未然形「け」に、推量の助動詞「む」がついて一語化したものと考えられています。過去のことを推量する場合は「けむ」、現在のことを推量する場合は「らむ」、未来のことを推量する場合は「む」を用います。
『宇治拾遺物語』より「児のそら寝」を教材にして、動詞の活用行を確認しましょう。
『宇治拾遺物語』より「ちごのそら寝」の現代語訳です。
「憂鬱」の「憂」のイメージどおりの形容詞です。動詞「倦む(うむ)」と同根のことばと考えられています。思い通りにいかないことに対しての「嫌になってしまっている状態」を示します。訳としては、「つらい・嫌だ」といったように、心情語として訳すことも多いです。
心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、ただひとりかちより詣でけり。(徒然草)
『徒然草』の一節です。ポイントは、形容詞「心うし」、動詞「おぼゆ」、連語「かちより」、動詞「まうづ」、助動詞「けり」です。
「憂し(うし)」に「心」がついたものが「心憂し」です。
『大和物語』の一節です。ポイントは、副詞「いと」、形容詞「むつかし」、形容詞「心もとなし」、敬語動詞「はべり」、動詞「参る」、完了「つ」です。
意味① 【完了】 ~てしまう・~た② 【確述・確認・強意】 きっと~・たしかに~③ 【並列】 ~たり、~たりポイント助動詞「ぬ」については、「つ」とセットで考えるとよいので、まとめたページをご覧ください。
意味① 【完了】 ~てしまう・~た② 【確述・確認・強意】 きっと~・たしかに~③ 【並列】 ~たり、~たりポイント助動詞「つ」については、「ぬ」とセットで考えるとよいので、まとめたページをご覧ください。
意味① 【自発】 自然と・ふと~② 【受身】 ~れる・~られる③ 【可能】 ~できる *主に打ち消しの文脈で使用➃ 【尊敬】 お~になる・~なさるポイント助動詞「らる」については、「る」といっしょに考えたほうがいいので、まとめたページをご
意味① 【自発】 自然と・ふと~② 【受身】 ~れる・~られる③ 【可能】 ~できる *主に打ち消しの文脈で使用➃ 【尊敬】 お~になる・~なさるポイント助動詞「る」については、「らる」といっしょに考えたほうがいいので、まとめたページをご
意味① 【使役】 ~させる② 【尊敬】 お~になる・~なさる・~ていらっしゃるポイント助動詞の「しむ」は、「す」「さす」といっしょに考えたほうがよいので、まとめたページをご覧ください。
意味① 【使役】 ~させる② 【尊敬】 お~になる・~なさる・~ていらっしゃるポイント助動詞の「さす」は、「す」「しむ」といっしょに考えたほうがよいので、まとめたページをご覧ください。
意味① 【使役】 ~させる② 【尊敬】 お~になる・~なさる・~ていらっしゃるポイント助動詞の「す」は、「さす」「しむ」といっしょに考えたほうがよいので、まとめたページをご覧ください。
『大和物語』の一節です。ポイントは、名詞「みだり心地」、動詞「おこたる」、動詞「はつ」、助動詞「ず」です。
助動詞「む」のク語法未然形「まく」に、「欲し」がつき、「まくほし」となったものが、「まほし」になっていったと考えられています。「む(まく)」によってイメージされている状態を「欲している」ことになりますので、「したい」「てほしい」という「希望」を表すことになります。
『源氏物語』の一節です。ポイントは、動詞「はべり」、助動詞「む」、動詞「思し出づ」、連語「なむや」です。
『平家物語』の一節です。ポイントは、連語「さて」、副助詞「しも」、助動詞「べし」、助動詞「ず」、接続助詞「ば」です。
『枕草子』の一節です。ポイントは、名詞「上」、接頭語「うち」、動詞「おどろく」、連語「せたまふ」です。
動詞「おもふ」に上代の助動詞「ゆ」がついて、「おもはゆ」になり、「おもほゆ」を経て「おぼゆ」と一語化したものです。「ゆ」は「自発・受身」の意味がありましたが、平安時代には動詞の一部に残っただけで、助動詞としてはなくなりました。代わりに用いられたのが「る」です。そのことから、「おぼゆ」は、「おもふ」に「自発」「受身」のニュアンスを付け加えて理解するとよいとされます。とはいえ、肯定文の場合、ほとんどは「自発」の意味で、「思われる」と訳せばよいケースが多いです。否定文の場合、「思い出せない」といったように、「可能」の意味合いが含まれることがありますが、多くはありません。
『源氏物語』の一節です。ポイントは、助動詞「さす」、助動詞「む」、副詞「うたて」、動詞「おぼゆ」です。
『源氏物語』の一節です。ポイントは、敬語動詞「聞こゆ」、助動詞「まほし」、助動詞「き」、下二段活用の「たまふ」の訳し方です。
『今物語』の一節です。ポイントは、動詞「しる」、動詞「たぶ」、助動詞「たり」、助動詞「けり」、係助詞「なん」です。
『源氏物語』の一節です。ポイントは、接続助詞「ば」、連語「さてもあり」、連語「ぬべし」です。
しる【知る・領る・治る】 動詞(ラ行四段活用・ラ行下二段活用)
現代語の「知る」と同じで、「理解する」「わかる」という意味で使うことも多い語ですが、古語としては「領る・治る」のほうの「治める」「支配する」「領有する」といった意味に注意です。その土地のことを隅々までくわしく「知る」ことができるのは、そこを「治めている」からだと言えますので、「しる=治める」という意味が成立していったという説がありますが、まったく別々に成立した語で、たまたま音が似ているだけという考えもあります。いずれにしても、「しる」とひらがなで書かれていたら、「知る」なのか「領る・治る」なのか文脈判断する必要がありますね。
『増鏡』の一節です。ポイントは、接頭語「うち」、助動詞「す」、敬語動詞「給ふ」、助動詞「り」、動詞「まどろむ」、助動詞「る」、敬語動詞「給ふ」、助動詞「ず」です。
『徒然草』より、「家居のつきづきしく」の現代語訳です。
世に語り伝ふること、まことはあいなきにや、多くは皆そらごとなり。(徒然草)
『徒然草』の一節です。ポイントは、名詞「まこと」、形容詞「あいなし」、助動詞「に」、助詞「や」、名詞「そらごと」です。
「双無し」であれば、「比べるものがない」ということであり、「比類ない」「すばらしい」などの「ほめ言葉」になります。「左右無し」であれば、「左とも右とも言えない」という意味合いで、「どちらかに決められない」などと訳します。あるいは、「左…右…とあれこれ考えずにできてしまう」という意味合いで、「たやすい」「簡単だ」「造作もない」などと訳します。
『伊勢物語』より「初冠」の現代語訳です。
天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ(僧正遍昭)
空を吹く風よ、雲のなかの通り路を 吹き閉じておくれ。美しい舞姫の姿を、もう少しの間ここに【地上に】とどめよう。
「強ちなり」という漢字をイメージできれば、意味はそのままの形容動詞です。「あな」はもともとは「自己」を意味したと言われます。「がち」は「勝ち」です。現在でも、「ためらいがち」「無駄話をしがち」などという使い方がありますが、それらは「がち」の上の語が勢いを持っていて、その傾向が強いことを意味します。そのことから、「あながちなり」は、「相手を抑え、自分(自己)が勢いを持っていること」を意味します。「俺が! 俺が!」という状態を表すので、「強引」「身勝手」「利己的」というニュアンスになります。
「になき」「になく」「になし」など、ひらがなで書かれるとわかりにくいのですが、「二無」という漢字をそのまま訳し、「二つとない」という意味で解します。「似無」をあてることもありますが、意味は同じで、「似たものがない」ということです。どちらの場合でも、「同等のものがないほど最上である」という超プラスの意味になります。
「あだ」は、もともと「花が咲いても実を結ばない様子」を示すことが多く、「不実なさま」を意味しました。人間にあてはめると、「誠実でない」ことを示しますので、「浮気だ」と訳す場合が多いです。「実を結ばない」ということは、やがては消えることになるので、「はかない」「いいかげんだ」「むだだ」などと訳すこともあります。「あだ」の対義語のように使われることばは「まめ」です。こちらは、「誠実」「真面目」「自直」などの意味になります。
わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣船(参議篁)
広い海原を、たくさんの島を目指して漕ぎ出してしまったと、都にいる人に告げてくれ。漁師の釣舟よ。
根本的な意味は「日常とは別のことに心身を開放して熱中する・陶酔する・楽しむ」ということで、「音楽・遊戯・狩猟」などに興じることを広く意味します。ただ、圧倒的に多いのは、①の「管絃の遊びをする」という意味です。
「き」は、終止形は「来き」から、他の活用形は「為す」からきているという説があります。そのため活用は、次のように「サ行」「カ行」を併せ持ったものになります。
今見る人の中に思ひよそへらるるは、誰もかくおぼゆるにや。(徒然草)
『徒然草』の一節です。ポイントは、動詞「思ひよそふ」、助動詞「らる」、動詞「覚ゆ」、助動詞「なり」、係助詞「や」です。
「その御顔はいかになり給ふぞ」ともえ言ひやらず。(堤中納言物語)
『堤中納言物語』の一節です。ポイントは、副詞「いかに」、敬語動詞「給ふ」、副詞「え(~ず)」、動詞「やる」、助動詞「ず」です。
「やる」は、「こちらから向こうに行かせる・送る・届ける」といった意味です。漢字で書くと、「遣隋使」「遣唐使」でおなじみの「遣る」となります。「遣」を「おこす」と読むこともありますが、その場合、「向こうからこちらに送ってくる」という意味になりますので、ベクトルが逆になりますね。これは現代語では「よこす」と言います。
これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関(蝉丸)
和歌 (百人一首10)これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関蝉丸 『後撰和歌集』歌意これがあの、(東国へ)行く人も(都へ)帰る人もここで別れては、知っている人も知らない人もここで出会うという逢坂の関なのだよ。作者作者は
「けり」は、「来きあり」がつまったものだと言われています。「語り手」のところに「出来事がやって来て、いま存在している」というのが、「けり」の本質的な意味です。したがって、「けり」は、次のような場合に使用されやすいです。① ある事実にいま・・気がついたということ(詠嘆・気づき) ② かつてどこかであった出来事をいま・・語り起こすこと(伝聞過去・伝承過去)
花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに(小野小町)
花の色は、色あせてしまったなあ。むなしく長雨が降っていた間に。私自身がむなしく時を過ごし、もの思いにふける間に。
「長目」あるいは「長見る」といったことばが、動詞化したのではないかと言われています。文字通り「長時間ものを見る」ということは、シャカリキに動いているわけではありませんから、「もの思いにふけりながらぼんやりしている」という意味で用いられるようになっていきました。
「要(えう)」が「無し」ということで、文字通り「必要がない」という意味になります。
「傍ら」「痛し」という文字のとおりの状況を示します。もともとは、「痛々しい状況である人」に対して、そばで見ていてはらはらしてしまう心情を示します。批判的なニュアンスであれば「みっともない・見苦しい」と訳しますが、シンプルに同情しているような場合には、「気の毒だ・心苦しい」などと訳します。そのうち、「自分自身が痛々しい状況になっているとき」に、近くで人に見られるのが「恥ずかしい・きまりが悪い」という心情でも使用されるようになりました。
形容詞「甚し(いたし)」と同根の語と言われています。「いと」は、形容詞や形容動詞を修飾することが多く、その場合、「状態・性質」がはなはだしいと言っていることになります。一方、形容詞「いたし」の連用形「いたく(いたう)」のほうは、具体的な「動作・作用」のはなはだしさを述べる場合が多いです。この「いたく(いたう)」を副詞と考えることもあり、そうすると「いと」と「いたく(いたう)」は意味的には類義語のような関係になりますね。
「あく」は「本来いるべき場所」であり、そこから「離る(かる)」ということになります。
『徒然草』「悲田院の尭蓮上人は」の現代語訳です。
「即ち」は、「即」の漢字の意味でおさえておきましょう。「即」は、「皀」が「ごちそう」を表し、「卩」が「ひざまずく人」を表しているといわれます。
我が庵は 都のたつみ しかぞすむ 世をうぢ山と 人は言ふなり(喜撰法師)
私の庵は、都の東南にあって、このように(穏やかに)住んでいる。(しかし)世を憂いて隠れ住んでいる宇治山だと、人は言うようだ。
動詞「あり」に「し」がついて、「あらし」という形容詞になり、「存在する状態だ・様子だ」ということを示しました。それが助動詞化していく過程で、「あ」が取れて「らし」になっていったと考えられています。ある根拠を持って、何らかの現象が「あるにちがいない」と推定するときに、「らし」が用いられました。ただ、平安時代には、「現在推量」の「らむ」や、「(視覚)推定」の「めり」を多く用いるようになっていったことから、「らし」は、和歌特有のことばになっていき、鎌倉時代以降はほとんど使われなくなりました。
この頃、物怪にあづかりて、困じにけるにや、居るままにすなはち、眠り声なる、いと憎し。(枕草子)
『枕草子』の一節です。ポイントは、動詞「あづかる」、動詞「困ず」、助動詞「なり」、係助詞「や」、副詞「すなはち」です。
「推量・意志」の助動詞「む」に「し」がついて、やがて「まし」になったという説があります。たとえば、「行く+し」で「ゆかし」という語が生まれましたが、それは「心がそちらに行きたがっている」ということです。同じような構成として、「む+し」の「まし」は、「む」で想定される「イメージ」に向かって、「そうなってほしいと思っている」ということを意味しています。「まし」は、「現実」と「イメージ」との間に「距離・隔たり」があるため、現実的ではないことを夢想するような場合に多く用いられます。
『土佐日記』より、「阿倍仲麻呂」の現代語訳です。
天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも(安倍仲麿)
大きく広がる空をふり仰いではるか遠くを見ると、(そこに見える月は、)かつて見た春日にある三笠山に出ていた月なのだなあ。
今は昔、安倍仲麿といふ人有りけり。遣唐使として物を習はしめむがために、かの国に渡りけり。数たの年を経て、え返り来ざりけるに、またこの国より藤原清河といふ人、遣唐使として行きたりけるが、返り来けるに伴ひて返りなむとて、明州といふところの海の
かささぎの 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける(中納言家持)
かささぎが(恋人たちを会わせるために)天の川に橋を渡したというが、いま宮中の階(鵲橋)におりる霜の白さを見ると、夜もすっかり更けたのだなあ
上代では「な・に・ぬ・ね」が直前を打ち消すはたらきをする助動詞として使用されていました。その連用形「に」に「す」がついて、「にす」となり、やがて「ず」になったと考えられています。
奥山に もみぢ踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき(猿丸大夫)
和歌 (百人一首4)奥山おくやまに もみぢ踏み分け 鳴く鹿の 声こゑ聞く時ぞ 秋は悲しき猿丸大夫 『古今和歌集』歌意人里離れた奥山で、散った紅葉を踏み分けて鳴いている鹿の声を聞く時こそ、秋は悲しいものと感じられる。作者作者は「猿丸大夫」です
単語を覚えるための最良の手段は、「文章を読んでいきながら、わからない単語について辞書を引く」という「地道な作業」です。ただ、「入試においてどのくらいの量を覚える必要があるかという指針」のために、また「定着したかどうかの確認」のために、やはり
田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ(山部赤人)
和歌 (百人一首3)田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ山部赤人 『新古今和歌集』歌意田子の浦に出てみると、真っ白な富士の高嶺にしきりに雪が降っているよ【降り積もっているよ】。作者作者は「山部赤人やまべのあかひと
大学入試に臨むにあたり、古語辞典は必須です。国立二次試験や難関私大の古文を読解するためには、どうしても辞書が必要です。辞書「辞書」については、「入試」の水準でいえば、本格的なものではなく、「コンパクト版」で十分です。むしろ、「コンパクト版」
「文法」って難しいですよね。でも、「無駄に難しく考えすぎて嫌いになっている」という状態に陥っている場合も少なくありません。もし今、文法に苦手意識があるのであれば、次の2冊のうちどちらかをやってみることをおすすめします。受験期の基礎をつくって
「したたかなり」と同根の語と言われています。「したたか」は、「しっかりしている」「手ぬかりがない」「きちんとしている」という意味です。類義の動詞である「したたむ」は、「しっかりとする・きちんとする」ということであり、行為としては「(しっかりと)処理する」「(きちんと)整理する」ということになります。何かのイベントの事前であれば「準備する」と訳すこともありますし、事後であれば「後始末する」と訳すこともあります。文脈的に「食事」を「したたむ」のであれば「食べる」などと訳し、「文」を「したたむ」のであれば「書き記す」などと訳します。
長き夜のすさびに、何となき具足とりしたため、残し置かじと思ふ反古など破り棄つる中に、(徒然草)
『徒然草』の一節です。ポイントは、名詞「すさび」、名詞「具足」、動詞「とりしたたむ」、助動詞「じ」、名詞「反古」です。
「スサ」が「思うままにふるまう」ことを示しており、「すさぶ」は「勢いのおもむくままにふるまう」という意味になります。「気の向くまま」のほうに力点があれば「慰み楽しむ」という意味になり、「勢い」のほうに力点があれば、「激しくなる」といった意味になります。
本文静かに思へば、よろづに過ぎにし方の恋しさのみぞせんかたなき。人静まりて後、長き夜のすさびに、何となき具足とりしたため、残し置かじと思ふ反古ほうごなど破やり棄すつる中に、亡き人の手習ひ、絵かきすさびたる、見出でたるこそ、ただ、その折の心地
上代に使用された「ましじ」という助動詞がつまったものと考えられています。意味としては、「べし」と対になるイメージであるため、「当然そうなるはず」という意味をひっくり返して、「当然そうならないはず」という意味合いになります。
打消の助動詞「ず」には、もともと「ヌ系列」の活用(な・に・ぬ・ね)がありまして、その連体形「ぬ」に、接尾語「し」がついて「ぬし」になったものが、やがて「じ」になったと言われています。意味としてはちょうど「推量・意志」の助動詞「む(ん)」と対になる使用法が多く、「~ないだろう」「~ないつもりだ」などと訳します。
「さればこそ、申し候はじとは申して候ひつれ」(宇治拾遺物語)
『宇治拾遺物語』の一節です。ポイントは、接続詞「されば」、動詞「申す」、動詞「候ふ」、助動詞「じ」、助動詞「つ」です。
あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を ひとりかも寝む(柿本人麻呂)
和歌 (百人一首3)あしひきの 山鳥の尾をの しだり尾をの 長々し夜を ひとりかも寝む柿本人麻呂 『拾遺和歌集』解釈山鳥の尾の長く垂れさがっている尾のように長い長い夜を、(恋しい人も近くにおらず)一人で寝るのだろうか。修辞◆枕詞 ◆序詞作者
春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天の香久山(持統天皇)
和歌 (百人一首2)春過ぎて 夏来にけらし 白妙しろたへの 衣干すてふ 天あまの香久山かぐやま持統天皇 『新古今和歌集』作者作者は「持統天皇」です。天智天皇の第二皇女で、天武天皇の皇后でした。天武天皇の崩御後に即位し、都を藤原京に遷都しまし
動詞「這ふ(はふ)」に「あり」がついて「這ひあり」となったものが、やがて「はべり」になったと言われています。貴人に対して「平伏して仕える」ということから、「お仕えする」「控える」という謙譲語の役割を担いました。「主体を低くする謙遜表現」として、次第に丁寧語で使われることが多くなりました。補助動詞の場合は100%丁寧語と考えます。
指示語「さ」に、動詞「守もる」がつき、さらに反復・継続を示す「ふ」がついて、「さもらふ」という動詞として使用されていました。構成要素から考えると、「そちらを守り続ける」という意味になります。ここでの「さ」という指示語は、「守るべき対象」であるので、「高位の者」になります。そこから、「お仕えする・おそばに控える」という謙譲語の意味で使用されました。この「さもらふ」が「さぶらふ」となり、やがて「さふらふ」「さうらふ」となっていきます。
秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ 我が衣手は 露に濡れつつ
百人一首①秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ 我が衣手は 露に濡れつつ天智天皇 『後撰和歌集』現代語訳秋の田の ほとりの仮宿の 苫(の網目)が荒いので 私の衣の袖は 夜露に濡れることだ作者天智天皇が農民の労苦を思いやって詠んだとされています
「音」に接尾語「なふ」がついて一語化したものです。「なふ」は、その動作や行為をするということで、「音なふ」の場合は「音を出す」ということになります。誰かを訪問するときは、音を立てて来訪を知らせますので、平安時代には、そのまま「訪問する」という意味でも用いられました。
上代によく使われていた尊敬語「坐ます」を重ねると「坐まします」になります。さらに敬意を足すと「大坐おほまします」となり、これがやがて「おはします」になりました。ここから「ます」が落ちたのが「おはす」と考えられています。先に「おほます」から「おはす」ができて、そこに「ます」がついて「おはします」になったという説もあります。
「あり」「をり」などの尊敬表現として、「坐ます」という尊敬語があります。これを重ねると、「坐まします」になります。
「増さる」の意味であれば、「ふえる・多くなる」と訳します。「勝る・優る」の意味であれば、「まさる・優れる」などと訳します。ひらがなで書かれることが多いので、「増」なのか「勝・優」なのか、文脈判断しましょう。
本文今は昔、小野篁といふ人おはしけり。嵯峨の帝の御時に、内裏に札を立てたりけるに、「無悪善」と書きたりけり。帝、篁に、「読め」と仰せられたりければ、「読みは読み候ひなん。されど、恐れにて候へば、え申し候はじ」と奏しければ、「ただ申せ」と、た
「むく」ということばが、「不気味なもの・様子」を示していると言われます。たとえば、「むく」に「めく」がついた「むくめく」は、「(虫や蛇などが)不気味に動いている」ことを意味しています。また、「むく」を2つ重ねた「むくむくし」は、「なんとも気味が悪い」「あまりにも不気味」といった意味になります。「むくつけし」の場合は、「理解ができないために、恐ろしくて気味が悪い」というニュアンスが強いです。「正体不明」なものに対して「なんだかゾッとするな……」と思うときに使いますね。
『枕草子』より「中納言参りたまひて」の一節です。
「音(ね)+あり」がつまったものです。活用語の「終止形」について、「~という音がある」という意味をつけるようなイメージですね。そのため、何か実際に音が聞こえている場面であれば、「~の音(声)がする」「~が聞こえる」などと訳します。聞こえてきた音を「根拠」にして、(音がするということは……)「~ようだ」と訳すのが「推定」の用法です。「音」が「人々のうわさ・評判」などを意味していれば、「伝聞」の用法です。「~という」「~そうだ」などと訳します。
『枕草子』より「中納言参りたまひて」の現代語訳です。
『徒然草』より「名を聞くより」の現代語訳です。
「体言+に+あり」がつまって、「体言+なり」となっていきました。「あり」がベースなので、活用は「ラ変型」になります。「体言」につく助動詞ですが、直前の語が活用語である場合には「連体形」につきます。
「言ふ+甲斐+無し」なので、「言う価値がない」「言っても効果がない」という意味になります。表現的には「言っても仕方がない」ということですが、そのくらい「無価値であるさま」を形容していますので、文脈にあわせて、「取るに足りない」「つまらない」など、様々な訳し方をします。
物語などこそ、あしう書きなしつれば、言ふかひなく、作り人さへいとほしけれ。(枕草子)
『枕草子』の一節です。ポイントは、形容詞「あし」、動詞「書きなす」、形容詞「言ふかひなし」、副助詞「さへ」、形容詞「いとほし」です。
助動詞「む」+格助詞「と」+サ変動詞「す」=「むとす」がつまって「むず」になりました。意味は「む(ん)」と同じと考えて大丈夫です。
「連れ」が「無し」なので、「周囲との関係がない」ということを意味しています。シンプルに「周囲の影響を受けない/影響を持とうとしない」という意味であれば「平然としている」「素知らぬふうだ」「さりげない」などと訳します。そういった態度にマイナスの意味がこもっていれば、「冷淡だ」「薄情だ」などとふみこんで訳すことになります。
『徒然草』の一節です。ポイントは、副詞「さすがに」、接続助詞「ば」、助動詞「なり」、助動詞「べし」です。
指示語「さ」+動詞「す」+上代の助詞「がに」が一語化し、「さすがに」という語がよく使われました。その後、「さすがなり」という用い方が出てきたようです。そのことからも、②「さすがに」というかたちは、副詞と区別できない用例も多いです。ある出来事を前提として、「それはそうであるが」といったん受け止めつつも、語り手の心情としては「そうするわけにはいかない」「そうもいかない」などと、何か屈折したことを考えているときに使用することが多いです。
助動詞「む(ん)」は、その出来事が「未確定・未確認」であることを示します。「これからしようと思っていること」や「おそらくそうだろうと思っていること」などを、「む(ん)」で表していることになります。文末用法の場合、だいたい次のように区別します。/一人称⇒意志/二人称⇒適当・勧誘/三人称⇒推量/ただ、一人称行為であっても「推量」がふさわしい場合などもありますので、上の区別は「絶対」ではありません。
「得」は、漢字のとおり、何かを入手することを意味しています。シンプルに「手に入れる」という意味だけではなく、「(知識を)得る」「(能力を)得る」という意味合いで使用されることも多い動詞です。獲得するものが「知識」であれば、「理解する」などと訳し、「能力」であれば、「~できる」とか「得意とする」などと訳します。
感動詞「あや」が、そのまま形容詞になったと考えられています。「あや~」と不思議に思うほど、自分の理解を超えた現象などに用います。多くは、「不思議だ」という意味で使用しますが、「身分が低い」という意味でも使用します。
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わが命よ、絶えてしまうのなら絶えてしまえ。このまま生き長らえているならば、堪え忍ぶ心が弱まると困るから。
心ならずもこのはかない現世に生きながらえるならば、恋しく思い出されるにちがいない、そんな夜更けの月だなあ。
(あなたが来ないとわかっていれば)ためらわずに寝てしまっただろうに。(あなたを待っているうちに)夜が更けて、とうとう西にかたむくまでの月を見たことだよ。
もろともに あはれとおもへ やまざくら はなよりほかに しるひともなし 和歌 (百人一首66) もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし 前大僧正行尊 『金葉和歌集』 歌意 私がおまえをしみじみいとしいと思うように、おまえ
つつみ隠していたけれど、顔色や表情に出てしまっていたのだなあ、私の恋は。恋のもの思いをいているのかと、人が尋ねるくらいまで。
こひすてふ わがなはまだき たちにけり ひとしれずこそ おもひそめしか 和歌 (百人一首41) 恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか 壬生忠見 『拾遺和歌集』 歌意 恋をしているという私のうわさは早くも立ってしま
『沙石集』より、「歌ゆゑに命を失ふ事」の現代語訳です。
『平家物語』より、「忠度の都落ち(ただのりのみやこおち)」の現代語訳です。
「こそあらめ」は、係助詞「こそ」+動詞「あり」の未然形+助動詞「む」の已然形です。「こそあれ」は、係助詞「こそ」+動詞「あり」の已然形です。どちらも、多くは「逆接構文」をつくるので、基本的には「~けれど」という逆接のかたちで訳しましょう。
『平家物語』より、「能登殿の最期」です。
「おきつ」の「おき」は、「置く」と同根と言われています。「これからしようとすることを心の中に置く」というイメージであり、実際、「おもひおきつ」「おぼしおきつ」のかたちで使われることが多いです。
『大鏡』より、「行成の器量」「行成とこま」の現代語訳です。 「行成」は「藤原行成」のことです。能書家の達人として、小野道風・藤原佐理・藤原行成を「三蹟(三跡)」といいます。 空海・嵯峨天皇・橘逸勢の「三筆」っていうのも日本史で出てきたね。
漢語「労」を重ねて形容詞化したことばだと言われています。「労」は「年功・熟練」などを意味し、多くの経験を積んだがゆえの「物慣れた巧みさ」を示しています。そういった「熟達性」は、周囲からすると気品があって美しく見えますので、「上品だ」という意味でも用います。なお、「老老じ」を語源とする説もあります。あるいは、「リョウリョウジ」と記す写本もあることから、「良良じ」を語源とする説もあります。
動詞「侮る(あなづる)」が形容詞化したものです。「あなづる」の「軽蔑する・見下げる」という意味がそのまま生きているのが(1)の意味です。「軽く扱ってよい」ということは、「敬意を持たなくてよい」ということなので、やがて「遠慮しなくてよい」「気を遣わなくてよい」という意味でも使われるようになりました。それが(2)の意味です。
「しる(知る・領る)」に、尊敬の「す」がついた「しらす」という語がありましたが、さらに「召す」が付くことによって、非常に高い敬意を示す語として用いられました。もとは「しらしめす」ですが、中古以降は「しろしめす」と言いました。もともと「しる」には、主に「知る/(領地などを)治める」という意味がありますので、その尊敬語として考えておけばOKです。
「たぎたぎし」という語から転じた語という説があり、その場合「怠」は中世以降の当て字といわれます。「たぎたぎし」の「たぎ」は、岩肌を屈折しながら落ちる「滝」と同根で、「道のりが屈折している」「道がデコボコである」「足がぎくしゃくする」といった意味になります。「デコボコ道」を進んでいくことが面倒で困ることであるように、(1)「不都合だ」という意味で使用されます。そういった「平らかに物事が進行しない」状況に対して非難めいた気持ちを込めて用いる場合には(2)「もってのほかだ・とんでもない」と訳します。その説とは別に、漢語「怠」を重ねて成立したという考え方もあります。
『栄花物語』より、「今さらのご対面」の現代語訳です。
つげる! 意味 (1)言う・告げる・宣言する ポイント 主に上代につかわれたことばでです。「言う」と訳して問題ありませんが、「普通のことば」ではなく、「神聖なものにかかわる呪力をもった発語」に用いられました。もともとは神が大切なことばを表明
『栄花物語』より、「世の響き」の現代語訳です。
『大鏡』より、「宣耀殿の女御(せんようでんのにょうご)」の現代語訳です。
助動詞「つ」に、願望を示す終助詞「しか」がついて、さらに、詠嘆を示す終助詞「な」がついたものだと言われています。単純な希望(願望)というよりは、実現が困難なことや、普通に考えると不可能なことについて、「~したいものだなあ」と望む場合に用いられます。ベースとなっている終助詞「しか」だけで「願望(希望)」を示すのですが、「しか」は、過去の助動詞「き」の連体形「し」に、疑問や感動(詠嘆)を表す「か」がついたという説があります。
『枕草子』の一節です。ポイントは、副詞「いかで」、助動詞「けり」、動詞「見ゆ」、連語「にしがな」、動詞「おぼゆ」です。
ラ変動詞「あり」に、推量の助動詞「む」が接続詞、「あらむ」となったものから、「あ」が欠落して「らむ」となり、一語の助動詞として認識されていったものだと考えられています。「む」が主に「未来」を推量するものであるのに対して、「現在」を推量するものが「らむ」であり、「過去」を推量するものが「けむ」です。
『徒然草』の一説です。ポイントは、感動詞「あな」、副詞「などか」、助動詞「けん」、連語「なむ」です。
過去の助動詞「き」の古い未然形「け」に、推量の助動詞「む」がついて一語化したものと考えられています。過去のことを推量する場合は「けむ」、現在のことを推量する場合は「らむ」、未来のことを推量する場合は「む」を用います。
『宇治拾遺物語』より「児のそら寝」を教材にして、動詞の活用行を確認しましょう。
『宇治拾遺物語』より「ちごのそら寝」の現代語訳です。
「憂鬱」の「憂」のイメージどおりの形容詞です。動詞「倦む(うむ)」と同根のことばと考えられています。思い通りにいかないことに対しての「嫌になってしまっている状態」を示します。訳としては、「つらい・嫌だ」といったように、心情語として訳すことも多いです。
『徒然草』の一節です。ポイントは、形容詞「心うし」、動詞「おぼゆ」、連語「かちより」、動詞「まうづ」、助動詞「けり」です。
「憂し(うし)」に「心」がついたものが「心憂し」です。
『大和物語』の一節です。ポイントは、副詞「いと」、形容詞「むつかし」、形容詞「心もとなし」、敬語動詞「はべり」、動詞「参る」、完了「つ」です。
意味① 【完了】 ~てしまう・~た② 【確述・確認・強意】 きっと~・たしかに~③ 【並列】 ~たり、~たりポイント助動詞「ぬ」については、「つ」とセットで考えるとよいので、まとめたページをご覧ください。
意味① 【完了】 ~てしまう・~た② 【確述・確認・強意】 きっと~・たしかに~③ 【並列】 ~たり、~たりポイント助動詞「つ」については、「ぬ」とセットで考えるとよいので、まとめたページをご覧ください。
意味① 【自発】 自然と・ふと~② 【受身】 ~れる・~られる③ 【可能】 ~できる *主に打ち消しの文脈で使用➃ 【尊敬】 お~になる・~なさるポイント助動詞「らる」については、「る」といっしょに考えたほうがいいので、まとめたページをご
意味① 【自発】 自然と・ふと~② 【受身】 ~れる・~られる③ 【可能】 ~できる *主に打ち消しの文脈で使用➃ 【尊敬】 お~になる・~なさるポイント助動詞「る」については、「らる」といっしょに考えたほうがいいので、まとめたページをご
意味① 【使役】 ~させる② 【尊敬】 お~になる・~なさる・~ていらっしゃるポイント助動詞の「しむ」は、「す」「さす」といっしょに考えたほうがよいので、まとめたページをご覧ください。
意味① 【使役】 ~させる② 【尊敬】 お~になる・~なさる・~ていらっしゃるポイント助動詞の「さす」は、「す」「しむ」といっしょに考えたほうがよいので、まとめたページをご覧ください。
意味① 【使役】 ~させる② 【尊敬】 お~になる・~なさる・~ていらっしゃるポイント助動詞の「す」は、「さす」「しむ」といっしょに考えたほうがよいので、まとめたページをご覧ください。
『大和物語』の一節です。ポイントは、名詞「みだり心地」、動詞「おこたる」、動詞「はつ」、助動詞「ず」です。
助動詞「む」のク語法未然形「まく」に、「欲し」がつき、「まくほし」となったものが、「まほし」になっていったと考えられています。「む(まく)」によってイメージされている状態を「欲している」ことになりますので、「したい」「てほしい」という「希望」を表すことになります。