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2021/07/23

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  • 仕事も家庭も勉強も、し始めは緊張するものですがやり続けていれば退屈に思う日もあるものです

    今日は、自宅内の部屋から部屋への引っ越しをしていました。 のんびりした日でした。 人生には忙しい時期もあればのんびりした時期もあります。 仕事も家庭も勉強も、し始めは緊張するものですがやり続けていれば退屈に思う日もあるものです。 何を言いたいのかと言いますと、目先の出来事で全ては決まらないと言うことです。 一点だけの失敗や過ちや罪で人生の全てが決まるわけではないです。 過ちや罪がありましてもその後の生き方の内容を真我は見ていてくれます。 被害者への謝罪の心、感謝の継続、善意、思いやり、具体的に行動ができなくとも慈悲の視線、慈悲の心で相手を見る習慣。 地球から生まれて、死んで土に帰るだけ。 何をあわてることがありましょうか。 ありがとうございます。仕事も家庭も勉強も、し始めは緊張するものですがやり続けていれば退屈に思う日もあるものです

  • 自分を嫌うな

    本日は引っ越し中のため本文が短くなります。自分の素晴らしい価値とは、今のままで十分高かったのです。自分の価値を高める必要もなく達成することもなく、今のままで十分高い価値がありました。自分は無価値だとするのは自分で自分を低く見ていたのでした。つまり自分を悪く思っていたのです。けど本当は逆で、自分の価値は高いままだったのです。皆様の参考になれば幸いです。ありがとうございます。自分を嫌うな

  • 今日もあっはっはと気楽に笑っていましょう

    この時代に生きる上で大切なことで浮かんで来るのはこの言葉です。 ・諦めること・執着しないこと この言葉が浮かびます。 生活をする上での努力は大切ですが、努力した上での諦め、執着しないことはよいのです。 想像や、理想とは違った生活かもしれませんが、今の生活が自分にはちょうど良いのです。 その生活の中で努力をすることが大切です。 最高の努力して諦めることが大切です。 物やお金や異性や仕事が思い通りにならないものです。 けど無料で笑うことはできます。 貧乏なら不健康なら、その中での努力です。 自分なりで良いのです。 貧乏のとき、不健康のときには笑いが大切です。 ギャグ漫画家の赤塚不二夫さんは貧乏の中、ひどいいじめの中で笑いのセンスを磨かれました。 喜劇王のチャップリンは貧乏の中で笑いの素質を学びました。 執着は...今日もあっはっはと気楽に笑っていましょう

  • 自分を励ます言葉はあるか?

    苦しいとき、泣きたいとき、頑張っているとき。。。 その時に自分を鼓舞する言葉があるでしょうか? 自分を励ます言葉があるでしょうか? 大好きな自分がピンチの時に大好きな自分を鼓舞し、励ましたいものです。 まだまだ頑張れる。 まだまだやれる。 見てやる。 聞いてやる。 自分から身を乗り出す言葉は勇気がふつふつを湧いてきます。 私はこんなもんじゃない。 私もまだまだ頑張れますよ〜 ありがとうございます。自分を励ます言葉はあるか?

  • 「もういいや。いらない」と思ってみる

    意外とあんなに欲しかったものがなくてもそれなりに生きられるものです。他人の好意がなくても生きられますし、人からの評価や自分を認められなくても生きて生きられますし、お金も多く持っていなくても生きられますし、欲しかったものが手に入らなくてもそれなりに生活できるものです。「もういいや。いらない」そう思うだけでも心が軽くなるのがわかります。他人に自分が幸せに見られなくてもいいんだよ。欲しいものに執着する気持ちが自分を苦しめていたのです。欲しいものを努力することは大切ですが自分なりに努力したならばあとはおまかせで良いです。意外と諦めた方が手に入りやすいかもしれません。「もういいや。いらない」欲しいものを努力しながらの参考にしていただければ幸いです。「もういいや。いらない」この言葉だけでも肩が軽くなるのがわかります。...「もういいや。いらない」と思ってみる

  • お休み

    本日の記事の更新はお休み。 楽しみにされていた方申し訳ないです。」お休み

  • 自分なりに頑張ったならもう諦めていいよ。

    自分で自分を評価できるくらいで十分です。もし、自分を評価する以上の評価を他人に求めたら心が苦しいと思います。幸福とは、自分でできるくらいで十分なのでしょう。他人に自分は幸福だと思われたい気持ちがないか?これを辿っていくと、他人に自分が自分にするより良い評価をして欲しいところに行き着くと思います。けど、今ある自分の実力、力、能力で十分なのです。自分が出した結果なら、その結果が今の自分の実力なのです。もっと良い結果がいいと言いましても今はこのくらいなのです。何を言いたいのかと言うと結果ばかりを見るのではなくて、結果を出した自分の頑張りを見て欲しいのです。結果を出すまでに使った時間、労力などです。もっともっと良い結果がよいと思うかもしれませんが、今の結果が今の自分にちょうどいいのです。自分なりに頑張ったならもう...自分なりに頑張ったならもう諦めていいよ。

  • 御笑いを意識できたらいいね

    ギターの弦を張り詰めて張り詰めて緊張させ続けますとやがて弦が切れてしまいます。 小魚は強火で煮ると形を崩してしまいます。 なので弱火で静かに力ともえいぬ力で煮詰めていきます。 人も同じです。 人も緊張の連続だといつか壊れてしまいます。 そうなる予防として 肩の力を抜きます。 感情の力を抜きます。 心の力を抜きます。 最後は最高の努力をしたら結果はおまかせします。 心が壊れる予兆は、笑いが少なくなってくるものです。 御笑いを意識できたらいいね。 今日は一休みです。 あわてないあわてない。 一休み一休み。 ありがとうございます。御笑いを意識できたらいいね

  • 老子、釈尊もほどほどの中道を指摘しています

    ある他人と関わると悩みが増える、自信がなくなる他人というのがどこにでもいるものです。 これはどこにでもそういう他人がいるのです。 悩みが増えたり自信がなくなるのを他人の問題にしても、どこにでもそういう他人がいるので他人のせいにするのは得策ではないです。 では、何が原因なのか? 自分が原因です。 自分が原因ならばいくらでも改善ができます。 幸運に気づけたことを感謝します。 もしかしたら 自分が「他人を見過ぎ」 自分が「他人の言葉を聞き過ぎ」 かもしれません。 嫌な他人と離れていてもいつまでも自分が「他人を考え過ぎ」なのです。 これを知るだけでも心が楽になりませんか? このことからもわかる通り自分が原因だったのです。 これがわかりましたのでほどほどを心がけます。 老子、釈尊もほどほどの中道を指摘しています。 ...老子、釈尊もほどほどの中道を指摘しています

  • 幸運とは偶然の顔をして、気づかないようになっているのかもしれません。

    幸運とは偶然の顔をして、気づかないようになっているのかもしれません。 私は幸運とは、感謝の継続の結果だと思っていますが、幸運とは無難に、さりげなく、何気なく訪れる物です。 ですから自分が気づかないような幸運などは畏多い物です。 感謝したくても感謝しきれない物です。 幸運のもったいなさに気付きます。 自分の心とは永遠の存在です。 生かされる感謝する心もも永遠です。 生かされる感謝ができるとは幸運の継続です。 誰が幸運を与えてくれたかは分かりませんが、この幸運に感謝です。 つまり、生かされていることに感謝が継続できていれば幸運が続いているということです。 ありがとうございます。幸運とは偶然の顔をして、気づかないようになっているのかもしれません。

  • あの時の誰かごめんなさい。

    謝れる相手がいること、謝ることができる。 これは幸運であり幸福です。 誰だって罪を犯したくて罪を犯しているわけではないです。 時代が、社会が、家庭が、学校が、職場が、そのストレスでつまらないことをしてしまうものです。 その時、相手がご年配の方だった場合に、自分が罪を犯してしまったことに気づいてもご年配の方ならもうこの世にはいないかもしれません。 つまり、謝りたくても謝れる相手がいないのです。 これは大変辛いことです。 しかし、深く深く自分の罪を反省したならば、自分の犯した罪以上に善行をすれば良いのだと思います。 いつの日か真我に許される日が来るかもしれません。 もし、相手の人の怒りが頂点に達して、謝罪を受け入れてくれることがなければ注意です。 これは本当に怖いことです。 自分の罪の精算ができないままあの世...あの時の誰かごめんなさい。

  • 今日も自分のできることを自分のペースで頑張ります

    深く深く悟りますと、逆に黙ることでしょう。 それでいい、これでいいということを体験で知るからです。 そして、人の原点へ戻ります。 悟らなくてもよかった、ということに気づきます。 感謝の継続の生活が悟っても悟らなくても在るだけなのです。 つまり、日々の生活で感謝の継続ができればそれで良いのです。 そして、社会の人々との触れ合いを楽しみます。 仕事、学校、家庭へ帰って生きます。 老子や釈尊はそのことを知っていました。 今日も自分のできることを自分のペースで頑張ります。 ありがとうございます。今日も自分のできることを自分のペースで頑張ります

  • お休み

    本日の記事の更新はお休みです。楽しみにされていた方申し訳ないです。お休み

  • 愛も安心も「もう、いらない」

    愛も安心も「もう、いらない」と思うだけでも心が安らぎます。つまり人は母性を求めていたのですね。求めても期待通りにならないことの方が多いです。飽きて次の刺激を求め始めるからです。そうではなくて、自分が母性なのだと気づくこと、すでに宇宙という母性の中にいたことに気づくこと。気づくとは知識でなく体験です。気づくための言葉が愛も安心も「もう、いらない」です。けど、目の前のことを努力することは大切です。その上での「もう、いらない」です。なにか皆様の参考になれば幸いです。ありがとうございます。愛も安心も「もう、いらない」

  • これからは若い人の時代

    今日は、親戚一同が自宅に集まっていました。子供の頃から親戚が集まるのが子供時代の私の楽しみ出した。しかし、大人の中ではいろいろあったみたいです。それでも今年もこうやって親戚一同なんとか集まれたことに感謝します。もし、それぞれに都合やなにかありましても一同が会えないものです。家系の深い繋がりを思います。お昼に一緒に食事をしました。いろいろと話で盛り上がりました。食事をいただけるご縁と歓談で笑顔になれる幸運に感謝しました。近代の聖者ラマナマハルシも叔父を自分の住まいに呼んで一緒に生活していたと思います。私の叔父は数年前に亡くなりました。優しい叔父でした。亡くなった叔父は穏やか性格の人でした。大切な叔父であり今でも感謝しています。私は家庭的な愛情は薄いですが人に恵まれてました。今日は書きたいことがあるというより...これからは若い人の時代

  • 真我に目覚めるとは自分の身一つで十分です。

    釈尊、老子、ラマナマハルシ、マハラジ。 彼らは自己への探究で覚醒しました。 ですから釈尊は自灯明と発言し、マハルシは「私は誰か?」と探究し、マハラジも老子も同じです。 正しい自己への探究は物も他人も必要ありません。 自分一人でできます。 だから私のブログも本来は不要なのです。 けどこれからも書かせてね笑 書かなければいけないような気がするのです。 自己への探究は、自分の家系の先祖に向かうのも正しいです。 日々の先祖供養と感謝の継続が覚醒へ導きます。 物や他人に依存することはないです。 身一つで十分です。 今日も感謝を継続して行きましょう。 ありがとうございます。真我に目覚めるとは自分の身一つで十分です。

  • 御蔭様のおかげで今まで生きてくることができました。

    人生に答えない。 しかし、真我を思い出し、感謝を継続するという答えがあります。 この答えは、全ての人に共通することだと思います。 「私」という夢を見ています。 私とは=時間の経過、空間の拡大 です。 私という夢はいつ始まるのか? これを探求してみたいと思います。 大人になった今、大人になるまでの御蔭様がありました。 誰もに共通するのは、自分が赤ちゃんの頃です。 赤ちゃんの頃は完全に周りの環境の流れに身をまかせています。 母乳(粉ミルク)をいただきました。 オムツを替えていただきました。 入浴をして心身を生活にしていただきました。 泣いたときにはあやしていただきました。 一緒に遊んでいただきました。 数えればまだまだありそうです。 これらをしてくれた大人がいるのです。 赤ちゃんの頃の自分が求めればしてくれた...御蔭様のおかげで今まで生きてくることができました。

  • お休み

    本日の記事の更新はお休みです。 楽しみにされていた方申し訳ないです。お休み

  • 食事をいただけるご縁に感謝です。

    私は食事をいただく時には、食前に食材と神様と先祖への感謝が日課です。 今では日課ですが私は忘れっぽいのでいただきますとご馳走様です、が定着するまで数年かかりました。 御蔭様で外食するといただきますとご馳走様をするのは私くらいなものです笑 それだけ無意識にしてしまうくらいに定着していました。 私は継続に神を見ます。 感謝をすると何も起きませんが、「無言」だから良いのです。 もし感謝をして自分と会話する存在があればそれは注意です。 奇異がないのが神がかりです。 ですから私は祈願、占い、霊能にはノータッチです。 この話が皆様の参考になれば幸いです。 ありがとうございます。食事をいただけるご縁に感謝です。

  • 時間を、感情を、それらは人生からのプレゼントだからです。

    人生を楽しむということを考えてみました。 誰にでもあって、どんな時にも楽しめるもの。 それは感情や、他人を喜ばせるために使っている行動、時間。 人を思い遣っている行動、時間。 などだと思いました。 苦しい時間もあれば安らぎの時間もあります。 心配している時間もあれば不安な時間もあります。 怖がっている時間もあれば安心している時間もあります。 苦しい感情のときもあれば安らぎの感情のときもあります。 心配している感情の時間もあれば不安な感情のときもあります。 怖がっている感情のときもあれば安心しているときの感情のときもあります。 これらの時間を、感情をプレゼントしていただいています。 これを楽しめば良いのだと思います。 怖いときは怖がれば良いのです。 心配しているときは心配すれば良いのです。 楽しいときは楽し...時間を、感情を、それらは人生からのプレゼントだからです。

  • 自分が変わるときは一瞬です。

    自分や他人へのイメージというのはコロコロ変わるものです。 自分へのイメージが変わるということは、他人にならなおさらです。 自分が自他にする善悪の評価もコロコロ変わるものです。 だから自分が変わるときは一瞬です。 きっと前触れもなく一瞬で変わることでしょう。 真我への目覚めも同じです。 いつの間にか一瞬で真我に目覚めているものです。 今日は、自分が人から悪い評価をつけられることを必要以上に怖がらなくていいよということを書きたいと思います。 他人は自分への善悪の評価を「その時の気分」で付けて、変えていくものです。 自分が気にしている他人から得た善悪の評価も、他人は評価したことを忘れているものです。 つまり、評価とはそれだけ曖昧なものなのです。 子供の頃に欲しかったおもちゃは欲しいおもちゃですが、大人になってか...自分が変わるときは一瞬です。

  • 自分というイメージはすぐに変わります。だから自分を信じて上げましょう。

    明日捨ててしまう生ゴミなのに誰が前日に生ゴミの中身を確認するでしょうか?そう発言する聖者が過去におられました。生ゴミとは自我(エゴ)のことです。つまり、対象の私のことです。私も人類は最後にはみな自我を明け渡して、真我に気づくと信じています。ところで私と言う対象とは誰のことでしょうか?それは真我が私という個性を想像したときに出来上がる「私とは〇〇である」という自分像です。夢の私です。このイメージは簡変わります。子供の頃に思っていた自分というイメージは、大人になった今の自分イメージは違います。今、流行りの自己評価や自己肯定感は変わりやすくあり、自分で変えて良いのです。周りからの評価はコロコロ変わるし、変わっていって良いので自分への評価を肯定して良いのです。つまり、自分を信じるということです。自分は、価値ある評...自分というイメージはすぐに変わります。だから自分を信じて上げましょう。

  • 行き着く先は同じだったのです

    人生の喜びと苦しみもプレゼントだと私は思っています。これが深くわかりだしますと、人は黙るのではないでしょうか?地獄を見ても人は黙ります。あれ?喜びも苦しみもいただいても地獄を見ても黙るのです。行き着く先は同じだったのです。これでいい、ちょうどいいというのがわかるのです。そんなに人生をあせらなくても今の自分にちょうどよいのです。ならば、この地獄に肩までつかっていればよいのです。地獄まで共に参ります、で良いのです。意外とこの方が早く地獄から抜け出せるかもしれませんよ?喜びにも苦しみにも感謝していましょう。行き着く先はみな感謝です。ありがとうございます。行き着く先は同じだったのです

  • お休み

    本日の記事の更新はお休みです。楽しみにされていた方申し訳ないです。お休み

  • 今日という日常を一緒に頑張りましょう

    ここ数年間ほぼ毎日ある男性の意識に変わります。 良い思いならば良いのですが、嫌な印象が残る意識なのです笑 相手の方は、事情のある方なので相手が死ぬまで続くと思っています。 しかし、よくよく考えてみますと、人類も大自然もせっかく地球が作って残してくれたものです。 生きているから体験できることを思えば感謝ができそうなものです。 「いや、あの人はとんでもない人で私は感謝できないです」 という人もおられると思います。 私は、それでも良いと思います。 感謝をするか、しないかは個人の自由に思うからです。 感謝できなくても良いので相手の悲しい背景、寂しい生活環境を思いやってはどうでしょうか? 物理的な距離は置くけれども心は相手への慈悲を向けます。 私は、勉強をするのも、当たり前の感謝に気づくためだと考えています。 同じ...今日という日常を一緒に頑張りましょう

  • 音楽は、心にポツンと音が落ちて静かになるのが好きで好んで聞きます

    たまには音楽を聞いてみてもいいね。 動画サイトで無料の音楽があるので、自分に合った音楽もいいね。 私は日常的に音楽を聞きますが、音楽を聞くのが日々の楽しみです。 ショパン、バッハ、モーツァルトを聞きます。 その時の気分に合わせて洋楽、邦楽、アニソンなども聞きます。 特に最近聞くのがライアーとシタールの楽器の曲です。 これは心にポツンと音が落ちて静かになるのが好きで好んで聞きます。 本来の静寂を思い出させます。 あわてないあわてない。一休み一休み。 ありがとうございます。音楽は、心にポツンと音が落ちて静かになるのが好きで好んで聞きます

  • 2度とない現在を転げ回って生きてやりましょう。

    最近に思いますのは、幸福にせよ、不幸にせよ現在の体験が2度と来ないことを私たちは知っているのではないでしょう。 だから幸福には感謝して喜びます。 不幸には因果の精算がこれで済んだと泣いて喜ぶのでしょう。 物質的に恵まれても、心が安心していても、いつも考えているのは地球のことであり他人のことです。 この世には自分一人だけしかいないのが真実です。 しかし、それでも地球や他人のことを考えてしまうのです。 あれほど自分のことばっかりだったのに欲望の対象が変わるだけで人はころっと変わってしまいます。 その人にはその人の人生のテーマがあると思います。 感謝をするテーマだったり、素直になることだったり、謝ることだったり、因果を精算のするテーマだったり。 私はすべてに共通する人生のテーマが感謝の継続だと思っています。 仕...2度とない現在を転げ回って生きてやりましょう。

  • お休み

    本日の記事の更新はお休みです。楽しみにされていた方申し訳ないです。お休み

  • 喜びはすぐに忘れてしまうので感謝の継続がをすれば良いと思います。

    どんなことも思い出になります。 苦しみは、渦中は苦しいですがやがて思い出になります。喜びは、最中は嬉しいですがやがて思い出になります。 つまり、現在、苦しいということは、喜んでいるということは、思い出になることが決まっているのです。 喜びはすぐに忘れてしまうので感謝の継続がをすれば良いと思います。 けど、苦しみはすぐには忘れないし、時間の経過と共にただの苦しみに色がついて余計苦しくなることがあります。 けど、いつか思い出になることが決まっています。 ですから、受け取ってしまった苦しみならば、苦しみを体験できることに感謝すれば良いのだと思います。 せっかく受け取ってしまった苦しみが「有る」のですから感謝していただきましょう。 有るものだから体験して行きましょう。 この世は、苦しみと言います。 喜びもやがて苦...喜びはすぐに忘れてしまうので感謝の継続がをすれば良いと思います。

  • 人は、裸で生まれて、裸で死んで行きます。

    人は、裸で生まれて、裸で死んで行きます。 歴史の教科書では、人類の初期はほら穴での生活でした。 寿命で死ぬのも30代頃だと推測されています。 つまり、悲しめるのも苦しめるのも損したり、失っているように感じますが、逆に悲しみも、苦しみも得ているといえないでしょうか? 悲しみも苦しみも逆の感情を知っているからこその悲しみであり苦しみです。 つまり私たちは自分なりの幸福を知っているのです。 あの人のような幸福でなくても自分なりの幸せがあります。 それは悲しみを体験する人生かもしれませんし、苦しみを体験する人生かもしれません。 楽しい人生もあるかもしませんが、楽しみの裏では幸運を使って減らしているかもしません。 今が楽しい人は、感謝の継続です。 これが幸運を減らさない生き方です。 今が不幸だ、苦しい人は、現在に幸...人は、裸で生まれて、裸で死んで行きます。

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