chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
たぬきでもわかるコトノハじてん「ラクショナリー」 https://ractionary.com/

コミカルなキャラがゆるーく会話しながら日本語を勉強していくサイト。 普段何気なく使っている言葉が実は誤用だったり、わかりそうでわからない言葉の由来を調べたり、ゆるく読みながらも言葉の雑学が学べるサイトです。

たぬき辞典
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2021/04/15

arrow_drop_down
  • 関の山 とは?

    「関の山」とは「一生懸命やってできる可能な限度。精いっぱい。」と言う意味で使われている言葉である。関町の山車に由来しており、祭りに出た「山」がたいへん素晴らしい出来栄えであったことから、これ以上贅沢な「山」は作れないだろうと、これが精一杯の限度として「関の山」と言われるようになった。今では「どれほど頑張ってもこれ以上はできない」というような力の限界を表し、否定的なニュアンスで使われている。

  • 二枚目 とは?

    「二枚目」の意味 「二枚目」とはどういう意味かご存じでしょうか? 「二枚目」の意味 「二枚目」とは と言う意味で使われている言葉です。 美男、やさおとこ、色男、ハンサム。 つまり、今でいう「イケメン」のことです。 昔はイ […]

  • 同じ穴の狢 とは?

    「同じ穴の狢」とは「一見関係がないようでも実は同類・仲間であることのたとえ。多くは悪事を働く者についていう。」という意味のことわざである。狢はアナグマの別名であり、狢とタヌキが同じ穴で生活することが由来だと言われている。両者とも悪いイメージがあることから「悪いことをする仲間である」というような意味になった。

  • ぞっとしない とは?

    「ぞっとしない」とは本来「おもしろくない。あまり感心しない。」という意味であった。しかし、「恐ろしくない」という意味だと思う人が増えてきた。

  • 「手を染める」のに「足を洗う」?

    「手を染める」とは「関係をもちはじめる。手をつける。」という意味の言葉である。「染める」は「初める(そめる)」が語源だと言われており、なかなか抜け出せないことや、一度手を染めると色が落ちないことから悪いことが連想されるからか、悪いことを指す言葉として使われるようになった。また、「足を洗う」とは「悪い仲間から離れる。好ましくない生活をやめる。職業・仕事をやめる場合にも用いる。」という意味のことばである。修行僧が寺に帰ってきたときに足を洗い流すとことで俗世間の煩悩なども洗い清めていたことから、「悪いことをやめる」という意味合いになっていった。つまり、この二つの言葉は全く別の語源から生まれたものであり、対をなすような言葉ではない。

  • 万引き の由来とは?

    万引きとは「買い物客を装い、商品をさがすふりをして盗むこと。また、その者。」という意味の言葉である。万引きの由来は「間引き」という言葉で、商品を間引いて盗むことからそう言われるようになった。そのほかにも諸説ある。

  • にやける とは?

    「にやける」とは本来「男が変にめかしこんだり、色っぽいようすをしたりする。なよなよしている。」という意味であった。しかし、「俗に、にやにやする。口許がゆるんで笑顔になる。薄笑いを浮かべている。」という意味で使われることが多くなった。

  • 窮鼠猫を嚙む とは?

    「窮鼠猫を嚙む」とは「追いつめられた鼠が猫にかみつくように、弱い者も追いつめられると強い者に反撃することがある。」という意味のことわざである。この言葉には「弱いものを侮ってはいけない」「追い詰めすぎてはいけない」という二つの意味があると言われている。中国・前漢時代に桓寛がまとめた書物である「塩鉄論(えんてつろん)」の中の「死すれば再びは生きず、窮鼠も狸を噛む」という記述に由来している。

  • 曖昧模糊 とは?

    「曖昧模糊」とは「はっきりせず、ぼんやりしているさま。あやふやなさま。」という意味で使われている四字熟語である。どちらも不明瞭な様を表しており、この二つの言葉を組み合わせることで、より強調した言葉となっている。

  • 臍を嚙む とは?

    「臍を嚙む」とは「後悔する。すでにどうにもならなくなったことを悔やむ。」という意味で使われている言葉である。「臍」とは腹にあるへそのことであり、自分のへそを噛もうとしても届かない、悔しい、という気持ちからそう言われるようになった。また、中国の歴史書「春秋左氏伝」の故事に由来している。

  • 鯖を読む の由来とは?

    「鯖を読む」とは「実際より多く言ったり少なく言ったりして数をごまかす。」という意味で使われている言葉である。サバは特に傷みやすいため、水揚げしたサバを出荷する時は急いで数えていたのでよく数え間違いしていたからという説と、魚市で早口で小魚を数えることを「いさばよみ」といい、それが省略されたという説など、由来には諸説ある。

  • 伸るか反るか とは?

    「伸るか反るか」とは「成否は天にまかせ、思い切って物事を行うこと。いちかばちか。」という意味で使われている言葉である。矢作りで、伐り出した竹を型にはめて矯正するが、竹がまっすぐに伸びているか反ったままか、使い物になるかならないかは、型から取り出すまでわからないということに由来している。

  • おもむろに とは?

    本来「おもむろに」とは「落ち着いて、ゆっくりと行動するさま。」という意味で使われている言葉である。しかし最近は「いきなり」「突然に」「不意に」というような意味で使われていることが多いが誤用である。

  • やぶさかではない とは?

    「やぶさかではない」とは「~する努力を惜しまない。喜んで~する。」という意味の言葉である。「やぶさか」は漢字で「吝か」と記し、「物惜しみするさま。けちなさま。」という意味がある。この「吝か」に否定形の「ない」を足すことで「〜する努力を惜しまない」「喜んで〜する」という意味になる。しかし、最近は「仕方なくする」「気は進まないがしぶしぶする」という意味で使われることがあるが誤用である。

  • しどろもどろ の由来とは?

    「しどろもどろ」とは「言葉の使い方や話の内容などが、とりとめなく、ひどく乱れたさま。」という意味で使われている言葉である。「乱れているさま」という意味の「しどろ」に「もどろ」を組み合わせると強調の意味になり、「しどろもどろ」と言われるようになった。

  • 堂々巡り とは?

    「堂々巡り」とは「①祈願のために、仏堂などのまわりをぐるぐるまわること」「②同じようなことが何度も繰り返され、進行しないこと」「③国会で投票によって議決するとき、議員が演壇上の投票箱に順次投票することの俗称」という意味で使われている言葉である。②の意味で使われることが多く、あまり良くないニュアンスで使われている。仏教寺院で祈願のために、本堂の周りを何度も回る儀式を指した言葉に由来している。

  • 食指が動く とは?

    「食指が動く」とは「何かをしたい、手に入れたいという欲望が起こることのたとえ。また、野心を抱くこと。」という意味の故事成語である。中国の史書『春秋』の「春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)」に由来している。

  • 猫も杓子も とは?

    「猫も杓子も」とは「だれもかれも。なにもかも。」という意味のことわざである。由来は諸説あり、正確なものは分かっていないが、「一休咄(いっきゅうばなし)」説、「禰宜も釈氏も(ねぎもしゃくしも)」説、「女子も弱子も(めこもじゃくしも)」説、「猫と主婦」説の4つが有名な説として知られている。

  • アルプススタンドの由来とは?

    「アルプススタンド」とは「兵庫県西宮市の甲子園球場の内野席と外野席の間にある大観覧席」のことである。50段になった新設のスタンドは白いシャツを着た生徒で埋め尽くされ、それを見た岡本一平は「ソノスタンドハマタ素敵ニ高ク見エル、アルプススタンドダ、上ノ方ニハ万年雪ガアリサウダ」と新聞に掲載したことが始まりである。「アルプススタンド」と表現した経緯は、登山家でもあった藤木九三説と、岡本一平の息子である芸術家の岡本太郎説という2つの説が存在している。

  • 堅忍不抜 とは?

    「堅忍不抜」とは「どんなことがあっても心を動かさず、じっと我慢して堪え忍ぶこと。」という意味の四字熟語である。中国の書家である蘇軾(そしょく)の「鼂錯論(ちょうそろん)」に由来している。

  • 左団扇 とは?

    「左団扇」とは「利き手でない左手でゆうゆうとうちわを使うこと。転じて、安楽に暮らすこと。ひだりおうぎ。」という意味の言葉である。利き手ではない左手で団扇をゆっくりあおぐのは、ゆったりとした生活を送っているようにみえるからなど、由来は諸説ある。ハエや蚊や、災いを打ちはらうという役目もあった「打つ翳(は)」が変化し、「団扇」になった。

  • 流れに掉さす とは?

    「流れに掉さす」の本来の意味は「流れに棹をさして水の勢いに乗るように、物事が思いどおりに進行する。」である。しかし最近は「流れに逆らって勢いを失わせる」「邪魔をする」という意味で使われていることが多いが、誤りである。邪魔をするという意味の「水をさす」という言葉と混同しているからかもしれない。

  • 天地無用 とは?

    「天地無用」とは「荷物の梱包の外側に記載して、荷物の上下を逆さまにすると破損する恐れがあるからしてはならないと警告することば。」という意味で使われている言葉である。運送業界で使われていた業界用語が由来であり、もともとは「天地(入れ替え)無用」「天地(逆にすること)無用」という言葉が使われていたが、短縮された言葉である。本来の意味ではない「上下を気にしないでよい」という意味で使う人が3割程いる。

  • 手塩にかける とは?

    「手塩にかける」とは「みずからいろいろと世話をして大切に育てる。」という意味で使われている言葉である。「手塩」は清めの塩として、膳の不浄を祓うために小皿に盛って添えられた塩を指していた。その後、食膳に添えられた少量の塩を「手塩」と呼ぶようになり、「手塩」を使って料理を自分好みの味付けにしていたことが由来となり、「自ら面倒を見ること」を「手塩にかける」と言うようになった。「手塩をかける」と使われることがあるが、誤用である。

  • 白羽の矢が立つ とは?

    「白羽の矢が立つ」とは、最近では「大勢の中から抜擢されること」「知識や経験が認められて特別に選ばれること」というような良いときに使われることが多い。しかし本来は「多くの中から犠牲者として選び出される。また、一般に多くの中から特に選び出される。」という悪い意味で選ばれるときに使われていた。人身御供(ひとみごくう)を求める神様が、その望む少女の家の屋根にしるしとして白羽の矢を立てるという俗説が由来だといわれている。

  • 舌鼓を打つ とは?

    「舌鼓を打つ」とは「 あまりのおいしさに舌を鳴らす。舌鼓を鳴らす。」「不満げに舌打ちをする。」という意味があるが、前者の意味でよく使われている。 本来の読みは「したつづみ」だが間違えて「したづつみ」と読む人が多いことから認められ、誤りではないとされた。

  • 皮肉の由来とは?

    「皮肉」とは主に「遠まわしに意地悪く相手を非難すること。」「期待していたのとは違った結果になること。また、そのさま。」という意味で使われている言葉である。「皮肉」は「達磨大師」が弟子たちに伝えた言葉である「皮肉骨髄」という仏教語に由来している。皮と肉は「表面的な理解」を意味し、骨と髄は「本質的な理解」を意味している。「我が皮を得たり」は褒めていると見せかけて「まだまだ修行が足りませんね」と遠回しに非難していることから「皮肉」という言葉だけが残り、遠回しに欠点を指摘するような意味合いとして使用されるようになった。

  • 福神漬けの由来とは?

    「福神漬け」とは「漬物の一種で、ダイコン、ナス、ナタマメ(鉈豆)、レンコン、キュウリ、シソの実、シイタケまたは白ゴマなどの7種の下漬けした野菜類を塩抜きして細かく刻み、醤油と砂糖やみりんで作った調味液で漬けたもの。」である。

  • 二つ返事 とは?

    「二つ返事」とは「『はい』を二つ重ねて返事をすること。」「 気持ちよく、すぐに承諾すること。」という意味の言葉であり、しぶしぶ承諾するのではなく、「躊躇することなく、素早く返事すること」という意味でよく使われている。 「一つ返事」という言葉も定着しているが、「二つ返事」の誤用である。

  • 心頭を滅却すれば火もまた涼し

    「心頭を滅却すれば火もまた涼し」とは「無念無想の境地に至れば、火も熱くは感じなくなる。どんな苦難にあっても、それを超越した境地に至れば、苦しいとは感じなくなるものである。」という意味のことわざである。

  • 青二才の由来とは?

    「青二才」とは「経験の浅い年若い男。あざけりや謙遜の気持ちを込めていう。」という意味で使われている言葉である。相手をあざけたり叱咤激励するときや、自分のことを謙遜して言うときに使う。男性に対してのみ使われる言葉であり、女性に対しては使えない。「青二才」の由来は「青」と「二才」に分けて考えられ、「青は」未熟なこと、若いことを表す。「二才」については「出世魚説」、「日本の古語説」「中国語説」など諸説ある。

  • 火蓋は「切る」のか、「切って落とす」のか?

    「火蓋を切る」とは「火蓋を開いて点火の準備をする。転じて、戦いや競争を開始する。」という意味の言葉である。「火蓋を切る」は火縄銃に由来しており、「火蓋」とは「火縄銃の火皿の火口をおおうふた」のことである。「火蓋を切って落とす」と使われることもあるが、これは誤用であり、「幕を切って落とす」という言葉と混合したのだと考えられる。

  • 舌を巻く とは?

    「舌を巻く」とは「あまりにもすぐれていて、ひどく驚く。感嘆する。」という意味で使われている言葉である。「舌を巻く」は、中国の『漢書・揚雄伝』という書物の「舌巻」に由来しており、驚いたり感心した時には声も出せないような状態になってしまうので、「舌巻」のように舌を巻いて話せない状態に例えたと言われている。

  • 噴飯もの とは?

    「噴飯もの」の本来の意味は「食べかけの飯をこらえきれずに噴き出してしまうほどに、おかしくてたまらない出来事。もの笑いのたねになるような、みっともない事柄。」である。しかし最近は「腹立たしくて仕方ないこと」という意味で使われることが多い。

  • 斜に構える とは?

    「斜に構える」の本来の意味は「身構える。改まった態度をする。」という意味である。しかし最近は「物事に正対しないで、皮肉やからかいなどの態度で臨む。」という意味で使う人が多い言葉である。

  • 焼きが回る とは?

    「焼きが回る」とは「焼き入れの際の火が行き渡りすぎて、かえって刃物の切れ味が悪くなる。」「頭の働きや腕前が落ちる。年をとるなどして能力が鈍る。」という意味の言葉であり、刀鍛冶の焼き入れに由来している。火が回りすぎてしまうことを「焼きが回る」と言うようになり、転じて、年をとるなどして能力が鈍ることを「焼きが回る」と言うようになった。

  • 会稽の恥 とは?

    「会稽の恥」とは「敗戦の恥辱。以前に受けたひどい恥。」という意味の故事成語である。また、その恨みを晴らすことを、「会稽の恥をすすぐ」という。史記の「越王勾踐世家」に由来しており、「臥薪嘗胆」も同じ故事から生まれた言葉である。

  • 「予想だにしない」の「だに」とは?

    「予想だにしない」などの「だに」とは、強調するために使われており、「すら」や「さえ」と置き換えることができる言葉である。「予想だ/に/しない」と区切るのは間違いであり、正しくは「予想/だに/しない」と区切る。

  • けりをつけるの由来とは?

    「けりをつける」とは「結末をつける。決着をつける。」という意味で使われている言葉である。和歌や短歌などの古典では「~けり」というように助動詞「けり」を文末につけて終わらせていることが多かったことが由来だと言われている。「けりをつける」と「片を付ける」は似た意味だが、「片を付ける」はお金を使って物事の決着をつけることでよく使われている。

  • 青天の霹靂 とは?

    「青天の霹靂」とは「急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。」という意味の言葉である。「青天」は青空、「霹靂」は雷という意味があり、中国南宋の有名な詩人「陸游(りくゆう)」の『九月四日鶏未鳴起作(九月四日鶏未だ鳴かず起きて作る)』という詩の中の、「青天に霹靂を飛ばす」という一節が由来だと言われている。「青天」を「晴天」と間違われることがあるので注意が必要である。

  • 舌先三寸 とは?

    「舌先三寸」とは「口先だけの巧みな弁舌。うわべだけのうまい言葉で、心や中身が備わっていないこと。」という意味の四字熟語である。由来は諸説あり、「史記」出典の故事成語という説や、三寸を長いと捉えるか短いと捉えるかで多々ある。口先三寸と間違えることが多いので注意が必要である。

  • 胡散臭いの由来とは?

    「胡散臭い」とは「どことなく怪しい。疑わしい。油断ができない。」という意味で使われている言葉である。由来は、天目茶碗の「烏盞(うさん)」からという説と、漢語の「胡乱(うろん)」という言葉が変化したものという説など、諸説あるが正確なことは分かっていない。

  • 針のむしろ とは?

    「針のむしろ」とは「一時も心の休まらない、つらい場所や境遇のたとえ。」という意味で使われている。「むしろ」とはイグサやわらなどを編んで作った敷物のことで、「針のむしろ」とは、「針を植えた敷物」の上に、座るようなイメージである。

  • 目がない とは?

    「目がない」とは「夢中になって、思慮分別をなくすほど好きである。」「 物事のよしあしを識別する力がない。」「よい機会や可能性がない。」という意味がある。 由来ははっきりとしないが、「目がないと何も見えないので物事を判断する力が落ちてしまうから」ということと、「その物事以外に目がいかないくらいに心を奪われてしまう」ということから「目がない」と表すようになったのであろう。

  • 生え抜き とは?

    「生え抜き」とは「その土地に生まれ、そこでずっと育つこと。また、その人。生っ粋。」「初めからそこに所属して今日に至っていること。また、その人。」という二つの意味がある。「生まれたこと」「成長すること」という意味の「生え」と、「貫く、やり通す、やり抜く」という意味の「抜き」が組み合わさって出来た言葉である。

  • 鴨が葱を背負って来る とは?

    「鴨が葱を背負って来る」とは「好都合であること、おあつらえむきであることのたとえ。」という意味のことわざである。鴨が自分で葱まで背負ってやって来てくれれば、鴨鍋に必要な材料が揃って、非常に好都合な状況になることに由来している。

  • 眉唾物 とは?

    「眉唾物」とは「だまされる心配のあるもの。真偽の確かでないもの。信用できないもの。」という意味で使われている言葉である。狐や狸に化かされないためには、眉に唾をつけると良いという言い伝えに由来している。

  • 二の舞 とは?

    「二の舞」とは「人のあとに出てそのまねをすること。特に、人のした失敗を繰り返すこと。」という意味で使われている言葉である。 「二の舞」は面をつけて行う雅楽の曲名の一つであり、「安摩(あま)」の答舞となっている。 安摩の舞のあとで、それを見ていた咲面 (えみめん) の老爺と腫面 (はれめん) の老婆が、安摩の舞をまねてわざと失敗しながらこっけいに舞うことから、前の人をまねて同じことをしたり、同じ失敗を繰り返すことを「二の舞」と言うようになった。 「二の舞を踏む」は誤用だといわれてきたが、近年では「二の舞を演じる」と同様に使われている。

  • 駄々をこねる の由来は?

    「駄々をこねる」とは「子供などが甘えて無理やわがままを言う。」という意味で使われている言葉である。「駄々をこねる」の「駄々」は当て字で、悔しさや怒りで激しく地面を踏む「地団駄(じだんだ)」が変化した語だと言われており、「じだんだ」が省略されて「だだ」になったという説が有力である。

  • お茶を濁す とは?

    「お茶を濁す」とは「いいかげんに言ったりしたりしてその場をごまかす。」という意味で使われている言葉である。お茶の作法を知らない素人は、抹茶を適当にかき混ぜ濁らせて、それらしい抹茶に見えるように取り繕ったことからこの言葉が生まれたと言われている。

  • 一衣帯水 とは?

    「一衣帯水」とは「一筋の帯のように、細く長い川や海峡。転じて、両者の間に一筋の細い川ほどの狭い隔たりがあるだけで、きわめて近接しているたとえ。」という意味の故事成語である。『南史・陳後主紀(ちんこうしゅき)』の「我為百姓父母、豈可限一衣帯水、不拯之乎」に由来している。

  • 羽目を外す とは?

    「羽目を外す」とは「興に乗って度を過ごす。調子に乗って度を超す。」という意味で使われている言葉である。由来は諸説あるが、馬がくわえている「馬銜」(はみ)からきているという説が有力だと言われている。馬銜を外すと馬をコントロールできなくなり、馬が自由に走り回り、手が付けられなくなることが由来だと言われている。

  • 御の字 とは?

    「御の字」の本来の意味は「非常に結構なこと。望んだことがかなって十分満足できること。最上のもの。」である。しかし最近は「一応、納得できる」という、妥協を表す意味で使う人も多い言葉である。

  • 油を売る とは?

    「油を売る」とは「むだ話などをして仕事を怠ける。」という意味で使われている言葉である。江戸時代の油売りが桶からひしゃくで量って、客の家にある器に油を移していたが、粘着力が強く、垂れ終わるまでに時間がかかるため、間をもたせるために世間話をしていた。それを見た人は、「仕事をサボって長々と女の人と話をしている」と思い、そのことから、「仕事中に怠けたり、無駄話をすること」を「油を売る」と言うようになった。

  • 大盤振る舞い とは?

    「大盤振る舞い」とは「盛大にごちそうしたり、気前よく物を与えたりすること。」という意味で使われている言葉である。本来は「椀飯振る舞い(おうばんぶるまい)」と言っていたが、「おおばん」と聞き違えられ、次第に「大皿」を意味する「大盤」となっていった。「大盤」という字は当て字であり、「大判」は誤用である。

  • ごぼう抜きとは?

    「ごぼう抜き」とは「牛蒡を引き抜くように、棒状のものを力を入れて一気に引き抜くこと。」「座り込みの人などを一人ずつ排除したり、人材を引き抜いたりするように、多くの中から一つずつを勢いよく抜くこと。」「競走などで、数人を一気に抜くこと。」という意味で使われている言葉である。「ごぼう抜き」の由来はその名の通り、「ごぼうを抜くように」という形容の意味からと考えられている。

  • こけら落とし とは?

    「こけら落とし」とは「新築または改築した劇場の初興行。また、開場行事。」という意味で使われている言葉である。「こけら」とは木を削るときに出る削りくずのことであり、昔の劇場の屋根は「こけら葺き」で作られていたため、完成した時に木くずを屋根から払い落してお披露目をしていたことから、劇場などで初公演することを「こけら落とし」と言うようになった。

  • とんちんかんの由来とは?

    「とんちんかん」とは「物事のつじつまが合わないこと。見当違いであること。また、そのさま。」「間のぬけた言動をすること。また、そのさまや、その人。」という意味の言葉である。由来は鍛冶屋の音からきており、まだ不慣れな弟子が打つ場所を間違えたりタイミングを外したりすると、鉄を打つ2つの音がちぐはぐに聞こえ音が揃わないことから「ちぐはぐである、的外れである、間抜けな言動」という意味になった。

  • 後の祭りとは?

    「後の祭り」とは「祭りのあとの山車 (だし) のように、時機遅れで、むだなこと。手遅れ。」という意味の言葉である。 物事が終わった後に後悔してもすでに手遅れである、騒いでもどうすることもできない、ということを意味している。 京都八坂神社の祇園祭説、祭りが終った後の山車説、故人説など、由来は諸説ある。

  • なし崩し とは?

    「なし崩し」の本来の意味は「借金を少しずつ返すこと。物事を少しずつかたづけていくこと。」である。しかし最近は、「なかったことにする」というマイナスイメージで使う人も多い言葉である。

  • なしのつぶて とは?

    「なしのつぶて」とは「投げられた礫(つぶて)のように、便りをやったのに返事のないこと。」という意味で使われている言葉である。漢字では「梨の礫」と書き、「礫」は投げた小石を意味し、「投げたっきり返ってこない小石を、手紙や連絡などが返ってこない様子」に例えるようになった。「梨」はそもそも「無し」だったが、語呂合わせで変えられたため、「梨」とは何の関係もない。

  • 朴念仁とは?

    「朴念仁」とは「無口で愛想のない人。また、がんこで物の道理のわからない人。わからずや。」という意味で使われている言葉である。「朴念仁」という字から「飾り気や思いやりのない人」という意味で使われていたが、転じて、「無口で愛想のない、わからずやな人」を表すようになった。これが由来だろうと言われているが、はっきりとしていない。

  • 遮二無二とは?

    「遮二無二」とは「一つのことをがむしゃらにすること。」という意味の四字熟語である。「一つのことに集中している」という意味の「遮二」と、「後先のことを考えない」という意味の「無二」、この二つの言葉を合わせて「後先のことを考えず、一つのことに集中している」という意味の言葉になったのが由来と言われている。また「(差里無理)しゃりむり」という言葉が音変化したという説もあるが定かではない。

  • 身も蓋もないとは?

    「身も蓋もない」とは「言葉が露骨すぎて、潤いも含みもない。にべもない。」という意味のことわざである。「身も蓋もない」の「身」とは物を入れる容器のことを指している。「身」も「蓋」も無いということは、中身である「物」自体がむき出しになっている状態である。この様子から、「露骨すぎて含みがない、情緒がない」というような意味を表すようになった。

  • タガが外れるとは?

    「タガが外れる」とは「外側から締め付けて形を維持しているものがなくなり、それまでの秩序が失われること。緊張を解いて羽目を外すこと。」という意味の言葉である。 「タガ」は漢字で「箍」と書き、「竹を割き、編んで輪にしたもの。桶 (おけ) ・樽 (たる) などの外側にはめて締めかためるのに用いる。金属製のものもある。」という意味がある。

  • 藪から棒とは?

    「藪から棒」とは「突然に物事を行うさま。だしぬけ。唐突。」という意味のことわざである。「藪から棒を突き出す」を略したもので、藪から突然に棒が飛び出してきたら驚くことから、予想もつかないような意表をつく行動をすることのたとえとして使われている。

  • こけにする とは?

    「こけにする」とは「踏みつけにする。ばかにする。」という意味の言葉である。「こけ」は漢字で「虚仮」と書き、「思慮の浅いこと。愚かなこと。」「真実でないこと。外面と内心とが一致しないこと。」という意味があり、仏教用語に由来している。

  • 忸怩たる思いとは?

    「忸怩たる思い」の本来の意味は「自ら恥じ入る気持ちに駆られること。またはそのような感情。」である。しかし最近は「くやしい、腹立たしい気持ち」や、「うじうじした気持ち」といった誤用をされることもある。

  • 不俱戴天とは?

    「不俱戴天」とは「同じ天の下には一緒にはいない、同じ天の下には生かしておかない意で、それほど恨みや憎しみの深いこと。」という意味の故事成語である。『礼記(らいき)・曲礼上』の、「父の讐(あだ)は倶(とも)に天を戴(いただ)かず」に由来している。

  • 木偶の坊の由来とは?

    「木偶の坊」とは「あやつり人形。役に立たない人。気のきかない人。人のいいなりになっている人。また、そのような人をののしっていう語。」という意味で使われている言葉である。由来は、泥人形の「泥偶(でいぐう)」から「でく」と略され、「手足を働かさないなまけ者」のことを「人形のような奴」という意味で、「木偶の坊(でくのぼう)」と呼ぶようになったという説や、「傀儡(くぐつ)」という木彫りの操り人形から来た言葉だという説など諸説あるが、正確なことは分かっていない。

  • 虚心坦懐とは?

    「虚心坦懐」とは「心になんのわだかまりもなく、気持ちがさっぱりしていること。心にわだかまりがなく、平静に事に望むこと。また、そうしたさま。」という意味の四字熟語である。どちらも同じ意味である「虚心」と「坦懐」を合わせることで意味を強調している。

  • ぬか喜びとは?

    「ぬか喜び」とは「あてがはずれて、あとでがっくりするような一時的な喜び。」という意味の言葉である。「ぬか喜び」の「ぬか」は、玄米などを精白する際に果皮・種皮などが破けて粉になった「糠」のことである。由来は諸説あるが、「糠」が「小さい」という意味から派生して、「頼りない」「はかない」などの意味も持つようになり、はかない喜びを「ぬか喜び」というようになった、という説が有力である。

  • 乾坤一擲とは?

    「乾坤一擲」とは「運を天にまかせて、のるかそるかの大勝負をすること。」という意味の故事成語である。中国唐代の詩人・韓愈(かんゆ)の『鴻溝(こうこう)を過ぐ』という詩に由来している。

  • 煮え湯を飲まされるとは?

    「煮え湯を飲まされる」の本来の意味は「信用していた人から裏切られてひどい目に遭わされる。」である。しかし最近は、相手を信用していなくても、「敵からひどい目に遭わされる」ときに使う人も多い言葉である。

  • 花冷えとは?

    「花冷え」とは「桜が咲くころの、一時的な冷え込み。」である。本州の桜の開花時期と同じころである、3月下旬から4月上旬ころに使われる。春特有の気圧配置が原因とされている。

  • 四の五の言うの由来とは?

    「四の五の言う」とは「なんのかんのと文句や不平を言う。」という意味の言葉である。由来は諸説あるが、サイコロの賭博用語で『一か八か』の対語として生まれた言葉で、サイコロの四と五の目の形が似ていたことから丁・半のどちらを選ぶかで迷っているさまを意味していたという説が有力である。

  • エイプリルフールの由来とは?

    「エイプリルフール」とは、毎年4月1日には嘘をついても良いという風習のことである。由来は不明であるが、フランス起源説「嘘の新年」が一番有力視されており、他にも、インド起源説「揶揄節」、イギリス起源説「オークアップルデー」など様々なものがある。

  • 山を張る とは?

    「山を張る」とは「万が一の幸運をねらって物事をする。そうなるであろうと予想して準備する。」という意味の言葉である。由来については諸説あるが、山師からという説と、山本勘助からという説がある。「山を張る」は「山を掛ける」ともいう。

  • うだつが上がらないとは?

    「うだつが上がらない」とは「地位・生活などがよくならない。ぱっとしない。」という意味の言葉である。「うだつ」は漢字で「梲」もしくは「卯建」と書き、日本家屋の屋根に取り付けられる小柱、防火壁、装飾のことを指す。「うだつ」を上げるために、けっこうな費用が必要だったことからという説と、梁と棟木の間に立てる柱を「うだつ」といい、「うだつ」が上から押さえつけられているように見えることからという説がある。

  • さわり とは?

    「さわり」の本来の意味は「見どころ・聞きどころ。話や文章などで最も感動的、印象的な部分。要点。」である。しかし最近は「話などの最初の部分のこと」という意味で使われることも多い。

  • 勝手口の由来とは?

    「勝手口」とは「台所の出入り口、外から台所に通じる出入り口」または「茶室で、亭主や客が出入りする口」のことである。由来は諸説あり、台所や茶室で茶の湯をしまっておくところを「勝手」ということから、家の者が人目につかずに出入りする口ということで言われたという説。もう一つは弓道に由来しており、左手の「押手(おして)」は弓を押さえていて自由が利かないが、右手の「勝手」は自由が利き、都合よく動かせることからという説である。

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、たぬき辞典さんをフォローしませんか?

ハンドル名
たぬき辞典さん
ブログタイトル
たぬきでもわかるコトノハじてん「ラクショナリー」
フォロー
たぬきでもわかるコトノハじてん「ラクショナリー」

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用