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キツツキゲーム https://nukegara000.hatenablog.com/

後悔は気付き、気付きは教訓、教訓は学び、学びは成長。 後悔も気付きも傷付きも、すべては自分という人間を築かせてくれるゲームである。 日常の発見や思想の記録。 主に研鑽と啓発を目的とした自己対話ブログです。

えみ
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2021/04/08

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  • 誰かに「してあげたい」と思うのは、自分に「させてあげたい」と思えるのと同じなんです

    人生を懸けて【想える人】が居るって、 生涯を懸けて【自分の心を喜ばせてあげられる】という事でもあるんだよなぁ。

  • 「止め」や「跳ね」や「払い」を以て、文字も人も表現を持ち、【表情】を持つ事が出来るんです

    例えば文字を書くにしたって、同時に二画は一緒に書けない。書けるのは常に【一画】ずつ。その一画は時に「止め」も「跳ね」も「払い」もしますが、そのどれもが「文字」という【表現】を表す上で欠かす事の出来ない【要素】であって、 失ってはいけない【一面】なんです。その【一画】が一本でも抜けたなら、表現一つ出来なくなる。思い描く表情一つ、表したい感情一つ、届く事が出来なくなるのかも分からない。様々な【一画】や【一面】を併せ持つ事で、それらが互いに守り、補い、支え合い、引き立て合う事で、文字も人も個性を持ち響きを持ち、味わいを持って量感を増すのだとも思うんです。成長とは、常に【一段】の繰り返しです。目の前に…

  • 2021.10.17(Sun)佐藤 翔真 2nd ONE MAN LIVE~さとうしょうまが観せたい景色~

    自分が応援させて頂いているシンガーソングライター 佐藤翔真さんの2nd ONE MAN LIVE~さとうしょうまがみせたい景色~ が10月17日(Sun)に延長が決定致しました🙇🏻‍♀️💐 元々は6月19日(土)の予定ではありましたが、緊急事態宣言延長により決行を見送り。 完全オンラインライブとして敢行する案もありましたが、 皆さんと同じ場所で、 皆さんの顔を直接見て、 皆さんに自分の歌を手渡させて欲しいという翔真さんの強い意志と願いのもと、 この決定を下すに至った次第です。 障害や障壁は、近くで見れば段差であり躓きなのかも分かりませんが、 遠くから俯瞰した時、段々と連なるそれは、 【段差】…

  • 常に【最幸】を目指せているのだから、その道すがらに出くわす出来事や感情が「最」にならない訳がないんです。

    「不幸になりたい」と願う人なんて居ないんです。 皆幸せに成りたいんです。幸せを目指して生きてるんです。「目指せている」という事はつまり、そこに向かって歩けているという事です。ピントを合わせられているという事で目標を置けているという事でもあって指針を刺せているという事なんです。常に【最幸】を目指せているのだから、それを願えているのだから、 その道すがらに出くわす出来事や感情が「最」にならない訳がないんです。最善で最悪で、最愛で最上で最高で最低。【最幸】を目指し続けるから、人は「最」を味わう事が出来るんです。自分に伝える事が出来て、教える事が出来るんです。

  • Style-3!というアーティストグループ

    まだ路上ライブや箱ライブに行った事が無かった20代半ばの頃、 偶々出掛けた地元のショッピングモールで、 お会計を済ませている背中に爆音で覆い被さって来たのがstyle-3!さんの【花雷】でした。 買い物袋を提げたその足で、 今しがた始まったらしい中央公園の野外イベントを覗きに行ったのが多分最初。 当時は二階から下を覗いて観ているだけだったけど、 それでも重奏で駆け上がるアクロバットな演奏は、 体中のテンションを瞬間沸騰させる程の白熱さと情感と「安全な危うさ」が感じられた。 黒山の人だかりの向こう側で、 高嶋さんの軽快な跳躍と、 時に刀を扱う様に慎重にヴァイオリンを抱く姿が一等印象的でした。 y…

  • 「悩める」という事は、それ以前の選択肢である「やる」「やらない」や「やりたい」「出来ない」といった選択肢を介した先で、漸く手に取る事の出来る【感情】で、選ぶ事の出来る「悩み方」という【自由】なんです。

    生きている事が既に大義なのにそこに【夢】を上乗せ出来るって、メーターの針振り切れる程に「極まりない」事なんです。夢を持っている、持っていないに関わらず、その有無を問える現状に居られるという事がその選択肢を有しているそれ自体がこの身に余している「どの悩みを選ぶか」という贅沢なんです。

  • 「悩める」という事は、それ以前の選択肢である「やる」「やらない」や「やりたい」「出来ない」といった選択肢を介した先で、初めて踏む事の出来る【贅沢】であり【自由】なんです。

    生きている事が既に大義なのにそこに【夢】を上乗せ出来るって、メーターの針振り切れる程に「極まりない」事なんです。夢を持っている、持っていないに関わらず、その有無を問える現状に居られるという事がその選択肢を有しているそれ自体がこの身に余している「どの悩みを選ぶか」という贅沢なんです。

  • 「悩める」という事は、それ以前の選択肢である「やる」「やらない」や「やりたい」「出来ない」といった選択肢を介した先で、初めて踏める【自由】なんです。

    生きている事が既に大義なのにそこに【夢】を上乗せ出来るって、メーターの針振り切れる程に「極まりない」事なんです。夢を持っている、持っていないに関わらず、その有無を問える現状に居られるという事がその選択肢を有しているそれ自体がこの身に余している「どの悩みを選ぶか」という贅沢なんです。

  • こうした出会いや結び合いと言うものはやはり、 どうしても強い【ご縁】や【引き合い】の様なものを感じずには居られません

    普段身に着けているブレスレットの一つに、 「モルダバイト」という品種の天然石があります。 深緑色の綺麗なガラス。 これの起源は1,450万年程前で、 小惑星が地球に衝突した際に、溶け出した地表と隕石が混ざり合う事で生まれた鉱物だと言われています そんな石が今自分の手首や胸元に納まっているのかと思うと、 とても壮大で不思議な気持ちにさせられます。 少なくともこの子が生まれたのは今から一千万年以上前で、 もし生まれ変わりというものがあるのなら、前世も前々世もそのまた前も更に前も、私が何度も死と転生を繰り返している間にも、 この子はずっとこの子のままで。 だから私にとってのこうした石達は何となく、…

  • 皮膚が柔らかいのと同じ様に、心だって柔らかいものなんです。体に血が通っているのと同じ様に、心には常に感情が通い続けるものなんです。人はそれを、「生きている」と言うんです。

    「傷付き易い」や「落ち込み易い」とは言うけれど、 元来、傷付く事に心身の差は無いんです。 押されれば体もグラつくし、 ぶつかればちゃんと痛いんです。 特別とか劣ってるとかじゃなくて、それが普通。 それが人間。 それが生き物。 それが「生きてる」って事。 【生きている事】を、そんなに責めないであげてほしい。

  • 失敗や痛みを経験出来るという事は、その人の痛みやその人の後悔、その人の感情を「ひとり」にさせずに済むという事。

    人は多分何でも出来る。 【自分に出来る事】をしてあげられる。 だから失敗する事だって出来る。 失敗を許してあげられる人でなければ、【失敗する事】は出来ない。 【失敗を越えて行ける】人でなければ、失敗する事は許されない。 「失敗出来る」という事は、 それに耐え、それを受け止められる「心の柔さ」を育ててあげられるということ。 そしてその「柔さ」こそが、 自分を含めた誰かが失敗した時に、叱咤と共に【許す】という次へのチャンスに繋いであげられる【続き】をつくってあげられる。 その人が立ち直れる為のクッション、或いは再び踏み切れる為のバネの一つに、【許す】というステップはあるということ。 【許す】事が…

  • 地層に触れる事が出来るのは、それまで積み重ねて来た塵やほこり不純物や、一見「無駄」だと思える99%を重ねて来たからなんですよね。

    「気付けた」という事は、それは既に自分の中にあったという事。只それが表面化して【自覚化】しただけで、潜在的な部分ではずっと自分の中にあったという事。それを引き出せる切っ掛けに展開や会話があったのであって、水面に上がる事が出来たのは、それまで重ねて来た地層があったからでもあるんですよね。

  • 「自分は心が弱い」だなんて、それこそただの過信ですよ。

    身体の傷だって完治までに何日もかかるのに、 心の傷だけ数日で治れる訳ないんですよね。 「自分は心が弱い」だなんて、 膝を擦り剥いて3日経っても治らなくて、 「自分は身体が弱い」と口にしているのと同じこと。 それこそただの過信ですよ。

  • 会社とは【人】が居てこそ成り立つ組織なのであって、人が倒れれば会社もまた瓦解する

    友達から以前勤めていた職場の近況を耳にする。相変わらず皆大変そうで、最近まで約8ヶ月間、ひと月あたり60時間の残業が続いていたらしい。職柄としてやむを得ない部分はあるだろう事は理解しているけれど、正直聞いていて胸が痛む。クラスター以前に過労で倒れていないだろうか。「感染者は出なかった」と聞かされたようだけど、繁忙な時期で誰もが殺気立っている環境で、例え感染していたとしても「陽性でした」と自ら手を挙げられない状況をつくっているのは企業そのものじゃないのか。仮に稼働や労働を止められないなら出勤時間をずらしたり出社人数を制限したり、それ相応の対応なり打開策を講じるのが「人」を雇う者の務めであり「命」…

  • 「幸せになる」ってきっと、 宝探しみたいなものなんです

    身に感じる幸せって、上へ上へとそのレベルを求めて行きがちだったのですが、 そうじゃなかったんですね。 幸せを追求するベクトルって多分、「上」ではなくて「下」だったんです。 どれだけ小さな幸せを拾えるか。 足元の支えや営みや、 今自分がこうして立っている【地面】の心強さに気付けるか。 噛み締められるか、味わえるか。 「より大きな幸せを」と求めて行くと、 上へ上へと伸ばして行くと、 少しずつ今持っている【小さな幸せ】を切り離して行ってしまうんです。 疎遠になって行ってしまう。 次第に距離を置いてしまう。 身近な豊かさがいつの間にか「普通」になって「日常」になって、 「ベース」になって自分の生活の「…

  • 最低な【励まし】

    物凄く性格の悪い事を言いますね。私は自分がしんどい時、誰かが「辛い」と言ってくれるとホッとするんです。私にとっての近しい人が、堪らず「苦しい」と零してくれると安堵さえ覚えてしまうんです。傷の舐め合いなんてまるで望んでいませんが、今自分と同じように底に足を着いた人の存在を知った時。自分だけだった世界に急に【隣人】が現れたような、そんな【心の杖】を感じずには居られません。悩みの種類も内容も、状況も経緯も取り巻く環境も何一つと被るものは無いけれど、決して同じ【痛み】を感じられる訳では無いけれど、交換出来るでも無いのだけれど、誰か大切な人が「辛い」と告白してくれると、勝手に痛みを肩代わり出来たような心…

  • 区別出来るものがあるからこそ、【自分】は空や景色や人波から浮き彫る事が出来るんです

    仮に一人で生きて行く事が出来たとして人はきっと、【一人】なら居ないのと同じなんです。世界に自分一人しか居ないなら自分を「認知」したり「比較する」必要も無いんですから。繋がりを結んで行けるからそこに【人垣】が出来るからこそ人は大勢の中で「自分を知る」事が出来るのだと思います。異なる意見や価値観やそれぞれの思想という波の中で意思や言葉を【見出す】事が出来るのだとも思うんです。誰かと比べる事が出来て、自分を【認知】出来るんです。アイデンティティーや個性や特性や自己の確立を育てて行く事が出来るのは、自分以外の知性や感性に触れられるからでもあるんですよね。

  • 太公望といいルツといい、焦凍君といい井宿といい、自分の偏愛傾向がよく分かる

    初っ端の先生同士の会話に持って行かれました。「おまえ、意外と甘いよな」「…そうですね」って。人命救助訓練の時から相澤先生の事は好きだったけど、心操君との師弟関係でそれに更に拍車が掛かった気がします。「俺は無駄なことに時間をかける人間じゃない」は間違いなく最上級の激励だよなぁ。心操君の腑抜け顔や活き活きした表情を見られる事がとても感慨深い。焦凍君の時もそうだったけど、 体育祭の時はあんなに辛い目してた子が感情を解放出来る様になってくれた事が観る側としては嬉しいんですよね。物間君がひとりでに見せた「心操君ごめんね。隙出来たかなァ」は大分グッと来ました。

  • 自分の不調に気付けるって、体からの声を一方通行にするのではなく、【自分自身】から差し伸べられた手を取ってあげられるという事でもあるのだと思います

    心なり体なり、私達の身体って、 きっと自分が思っている以上に脆いのだと思います。 裏を返せば、取り返しがつかなくなる遥か手前で、 体が危険信号を出してくれているとも言えるのかも分かりません。 動けなくなってしまう前に、 自分がまだ動ける内に、自分を止めてくれている。 体調不良という形を使って、 他の誰でもなく自分の身体が【自分が動ける為の符牒】を出してくれているという事でもあるのですから、 それは「まだ終わらないぞ」、「ここからだぞ」という 【自分自身】からの何よりものエールなのではないでしょうか。

  • 平日の【穏やか】をくれる切っ掛けの人。

    ここ二、三ヶ月程お見掛けしていなかったコンビニの店員さんと久方振りに再会。お会計時に「髪染めたんですか?」とご自身の髪に触れながら微笑んでくれたそのお心遣いと表情で、自分の【穏やかメーター】は斜め60°の急勾配で絶賛うなぎ登り中です。

  • 体感4秒の白昼夢

    会社の備品の買い出しで外に出ていた時の事。 コンクリート張りの商店街の向こうから、 黒と藍色の綺麗な模様のアゲハ蝶が、宙を泳ぐ様にこちらまで流れて来たんです。 目の前でヒラヒラ舞っていたと思ったら、 自転車を押していた私の左手に一瞬だけ留まって、またすぐ飛び去って行きました。 留まる瞬間に感じた風がとても小さくて柔らかくて 指に留まった時の感触がほんの少しだけ擽ったくて 花びらが翻る様に飛び立つ姿がとても優美で余韻を引いて 何の事は無いのですが、 只それだけの話なのですが、 あのものの数秒で色んなものが取り払われて行った様な、 純化した様な心持ちがしたんです。

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