若年性アルツハイマーの50代の父の介護と自閉症の息子(幼稚園生)のダブルケアをしています。日常生活で気づいたことなどを綴ります。
父の若年性アルツハイマーは進行性の病気で治ることはない。 息子の障がいも治らない。 そして自分のメニエール病も治るか分からない。 日常生活に支障が出るほどのめまいと難聴。 この状況では、もう働けるのかさえ分からない。 将来のことを考えると恐ろしくて、希望など持てる状態ではなかった。 もうダメだ。 私の人生は詰んでしまっているのではないか。 どうやって未来に希望を見出せというのか。 絶望的じゃないか。 母や主人は私が倒れてから、休みを沢山とってしまい、仕事が余計に忙しくとても相談できる状況ではなかった。 一人で毎日ネガティブなことを考えてしまい、ついに もう消えたいと思うようになった。 いやダ…
父の介護、息子の自閉症に加えて、自分自身もいつ治るか分からないような病気になってしまった。 一日中不快な耳鳴りとめまいに襲われるのは、大変なストレスだった。 父が私の代わりに英太を沢山見てくれて、本当に助けてもらった。 だけど、父の物忘れは悪くなる一方で、水を流せば流しっぱなしにしてしまったり、 冷蔵庫を開けたら、冷蔵庫の警報が鳴ってても開けっぱなしにしてしまったりと、 声かけが必要な状況だった。 私は息子が自閉症の疑いがあると判明してからすぐに、メニエール病になってしまった。 その為、家族と息子の病気についてきちんと話す間も無く、めまい発作がおきてしまい、誰かと会話するのもままならなくなっ…
メニエール病になってから、日常生活を送るのが困難になった。 歩くこともままならないので、這って移動。 常に吐き気があり洗面器が手放せなかった。 横になっても目が回ってしまう。 目を瞑っても、部屋が斜めになっている感覚がして中々眠ることも出来なかった。 起きていても、寝ていてもずっと目が回っている。 主人と母が交代で仕事を休んで英太を見てくれていた。 でもメニエール病は短期間で完治する病気ではないので、 二人にこれ以上仕事を休んでもらうわけにもいかず、 父と英太と三人で過ごすことした。 (次回に続く) ↓ポチッと応援お願いします にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net
メニエール病の発作の怖さはこれだけではなかった。 五時間、強烈な目眩に耐えた後、私の三半規管が完全におかしくなってしまった。 強烈な目眩がおさまっても、数ヶ月間フワフワ宙に浮いているような目眩はおさまらなかった。 まっすぐ歩けない。 常に揺れている感じがする。 さらにこの病気の厄介なところは、この発作を繰り返してしまうのだ。 発作が起きてから四ヶ月後には完治と言われたが、その二ヶ月後すぐに再発した。 再発と完治を何度も繰り返しながら、ようやくめまいがほとんどなくなったと感じたのは3年後になる。 それでも、エレベーターやエスカレーターといった日常で使うような乗り物に乗っただけですぐに酔ってしま…
ついに恐れていたメニエール病の発作が起きてしまった。 まるでバンジージャンプをずっと繰り返しているような気持ちの悪さだった。 今まで経験したことのないような、目が回る感覚だった。 床から頭を一ミリも動かせない。 めまい発作は五時間近く続いた。 一歩も動く事が出来なかった。 (次回に続く) ↓ポチッと応援お願いします にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net
聴力が低下すると、聞こえにくいことに加えて 耳鳴りがしたり、音の距離感が全く掴めなくなった。 どこで音がしているのかが全く分からなくなってしまった。 遠くで聞こえるはずの音が耳元で大音量で聞こえたり、 耳鳴りが激しく、真冬なのに常に鈴虫や蝉が鳴いているような音が耳から聞こえた。 耳鳴りは眠る時は特に気になってしまい、中々寝付けずに睡眠不足になった。 そしてついに恐れていたメニエール病のめまい発作が起きてしまった。 (次回に続く) ↓ポチッと応援お願いします にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net …
一週間前から耳が聞こえにくくなっていたけど、そのうち治るだろうと思って 病院に行かなかった。 一週間後にさらに聴力が落ちてしまい、低い音がほとんど聞こえなくなってしまった。 病院に行くと、「メニエール病」と診断された。 めまいと難聴の病気と聞いて、とても怖かったけど、その時はめまいの自覚は無かった。 メニエール病の治療薬が処方された。 いつめまい発作が起きてしまうのか、聴力は元に戻るのかとても不安だった。 (次回に続く) ポチッと応援お願いします↓ にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net
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発達外来にて、英太に自閉症の疑いがあることが判明した。 一歳半検診受けてから、頭の中では、おそらく英太は自閉症なのだろうと分かっていたけど、心のどこかで、何かの間違いであって欲しいと願っていた。 家族みんなに英太が発達障がいだって分かって欲しい気持ちと、病院の先生から「発達障がいじゃありません」と否定してもらいたいという矛盾した気持ちをずっと抱えていた。 「自閉症の可能性が高い」と告げられて、 「早めに分かって良かったです」と 先生の前ではそう言ったけど、心の中はとてもじゃないけど受け入れたくないという気持ちが強かった。 嘘だ。 何かの間違いだ。 絶対に違う。 そんなはずない。 先生の言葉を…
英太の発達外来の日、私は 「これでやっと皆んなが英太の発達障がいを認めてくれるはずだ」 と思っていた。 病院では家庭での様子や生まれてからの発達の様子などの問診があった。 その後、先生はおもちゃのある部屋に行き、英太の遊ぶ様子を見ていた。 十分ほどして先生から 「自閉症の疑いがある」と告げられた。 (次回に続く) ポチッと応援お願いします↓ にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net
前回のブログにて「児童発達支援見学」について記載したので、今回は児童発達支援を利用するまでの流れをまとめました。 あくまでも、私の住む地域の利用の流れをまとめたものなので、お住まいの自治体にご確認いただければと思います。 ①利用を希望する事業所を決める 私の住む地域の場合は、障がい福祉課にて「事業所一覧表」を作成しており、窓口でもらうことができます。 私の場合は、そもそも「児童発達支援」自体を知りませんでした。 息子が通っている事業所のホームページを偶然見つけて、利用したい事業所を決めた上で市役所に行きました。 今思えば、最初に福祉課に行き、どんな事業所があるのか相談した方が、他の事業者を比較…
初めて英太の成長について「一緒に考えよう」と言ってくれる人に出会えた。 これまで英太の発達障がいについて様々な人から 「様子見」と言われ続けていた。 私一人で頑張るしかないと思っていたけど、児童発達支援の先生が寄り添ってくれて、 一歳半検診の直後に先生に出会えていたら、どんなに心強かっただろうと思った。 (次回に続く) ↓ポチッと応援お願いします にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net
英太の誕生日プレゼントを買いに市外のおもちゃ屋さんに行った。 帰りに信号待ちをしていると、「発達外来」と看板に書いてあるのを見つけた。 県内で発達を診てもらえるのは、大きな病院しかないものだと思い込んでいたため、小児科でも診てもらえる所があるのだととても驚いた。 電話で問い合わせると、英太は数ヶ月後に発達専門の大きな病院の初診を控えていたため、診断はできないけど、心配なら発達の様子を診てもらえるとのことだった。 偶然キャンセルが出て数日後に診てもらえることになった。 大きな病院の初診を数ヶ月後に控えていたけど、当時の私はとにかく英太が話さない理由やコミュニケーションが取れない理由を一刻も早く…
心も体もボロボロなのに、 「まだ大丈夫」 「耳鳴りもそのうち治るはず」と放置してしまった。 精神的に限界になってしまうと、 「人に頼る」 「相談する」 という行為さえ出来なくなってしまうのだと分かった。 人に頼るのも、人に悩みを話すのも、実はとても体力、気力がいることだと思う。 当時は、具体的に 「何が辛いのか」 「今後どうしたいのか」 など頭の中で自分の考えをまとめることが出来ない状態だった。 ただただ毎日が辛い。 ただただ父の病気や息子の障がいについて考えると、未来がどうなるか分からなくて辛い。 漠然とした悩みほど、 「誰かに話しても解決するものではない」と思ってしまった。 だから 何を…
泣きながら寝た夜、起きると体に異変が起きていた。 片耳に水が入ったような感覚で、人の声(特に低い声)が聞こえにくくなっていた。 でもその時は、耳に水が入ったのだと勘違いして、一週間も放置してしまった。 そして、片耳からは常に蝉の鳴き声のような音がしていた。 (次回に続く) ↓ポチッと応援お願いします。 にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net
(次回に続く) とても暗い内容になってしまい、申し訳ありません。 描いていても、とても苦しい内容ですが、当時はこのようなことを思ってしまいました。 現在は何とか前向きに生きておりますので、 前向きになれたきっかけや出来事などを今後描いていく予定です。 それまで読んでいただけたら嬉しいです。 自分が伝えたいことを伝えるまで、頑張って漫画を描いていきます。 ポチッと応援よろしくお願いします。↓ にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net
息子の二歳の誕生日の前日、私は「寝たきりになりたい」と思ってしまった。 今まで感じたことのない不安襲って来て泣きながらいつの間にか眠ってしまった。 この日の出来事を以前記事にしたのでリンクを貼り付けておきます。 momofamily.net (次回に続く) 前回のお話 momofamily.net 孤独な子育て momofamily.net 療育園に通いたかった頃 momofamily.net
親子教室の翌日は英太の誕生日だった。 一歳の誕生日の時は、英太が歩けるようになり、成長を沢山感じて心からお祝い出来た。 でも二歳の誕生日は、「もうすぐ二歳になってしまう」という不安な気持ちの方が大きかった。 二歳なのに喋らない。 二歳なのに指差ししない。 二歳なのに意思表示できない。 できないことばかりに目がいってしまい、英太の小さな成長や出来るようになったことを見逃してしまった。 (次回に続く) ↓ポチッと応援お願いします にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net 孤独な子育て momofamily.net 療育に通いたかった頃 momofamily.net …
親子教室での出来事で、心が打ちのめされてしまった。 (次回に続く) ↓ポチッと応援お願いします にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net 孤独な子育て momofamily.net 療育に通いたかった頃 momofamily.net
親子教室は、何も参加できないまま帰りの時間になった。 ママ友ができるかもと期待して来たけど、誰とも話す事なく終わった。 ただただ、より一層英太が他の子よりもパニックが酷いことを改めて認識するだけだった。 保健師さんは、英太をなだめるのを手伝ってくれたり、帰り際に色々と優しい言葉をかけてくれたけど、私はいっぱいいっぱいで何も聞こえない状態だった。 エレベーターに乗って鏡を見ると、ボロボロになった自分が映っていた。 (次回に続く) ↓ポチッと応援お願いします にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net 孤独な子育て momofamily.net 療育に通いたかった頃 momofami…
楽しみにしていた親子教室。 友達できるかもしれないとワクワクしていた。 なのに、現実は、、、 英太は泣いてパニックを起こし、 親子教室の間ずっと泣いていた。 私と英太は二人だけ別室での対応となったが、 別室でも英太は泣き続けた。 私は親子教室が楽しみで、おしゃれしていこうと、お気に入りのシュシュを付けていった。 お気に入りだったシュシュは、英太に壊されてしまった。 こうなるって心のどこかでわかってたはずなのに、 おしゃれなんてして、浮かれてバカみたい。 虚しい。 悲しい。 ここでも、独りぼっちなんだ。 言葉では言い表せない感情が込み上げてきた。 (次回に続く) ↓ポチッと応援お願いします にほ…
英太は親子教室の間ずっと泣きっぱなしだった。 愚図ったり泣いている子はいなかった。 発達が遅れている子向けの教室のはずなのに、 みんな言うことを聞いて椅子に座っていた。 もしかして英太は自分が思っているよりもずっと発達が遅れているのではないか。 大きな不安が襲ってきた。 英太一向に泣き止まないことから、発達教室の先生の配慮で 私と英太の二人だけ別室での対応となった。 (次回に続く) ↓ポチッと応援お願いします にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net 孤独な子育て momofamily.net 療育に通いたかった頃 momofamily.net …
半年待った市が開催する親子教室。 初めての療育。 親子教室では、リトミック、ダンス、手遊びなど様々な療育が行われていた。 みんなが楽しそうにダンスする最中、英太は泣き続けた。 せっかくの療育。 半年も待った療育。 英太は何一つ参加する事が出来なかった。 次回に続く ↓ポチッと応援お願いします にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net 孤独な子育て momofamily.net 療育に通いたかった頃 momofamily.net
親子教室の翌日は英太の2歳の誕生日だった。 市が月に一回発達が遅れている子のために開いている親子教室。 半年間も待った。 やっと、やっと親子教室の日が来た。 初めての療育。 初めて、同じ境遇の人に会える。 英太と同じような子供に会える。 親子教室で、もしかしたら同じ境遇の友達が出来るかも知れない。 友達まではいかなくても、気持ちを共有できるんだと期待に胸が膨らんだ。 私は気持ちが浮き足立って、お気に入りのシュシュを付けていった。 家族以外との交流を経ってしまった分、 誰かと話ができる事自体が嬉しい事であった。 まさかこの日の出来事がきっかけで自分が病気になるなど夢にも思わなかった。 ↓ポチッと…
児童発達支援の見学の予約はすぐにできて、 市役所で受給者証が発行できればすぐに利用できるとのことであった。 自治体の療育園は半年以上待っていても、満員で入れない状況だった。 本当に偶然だけど、知れて良かった。 一歳半から利用できる施設もある。 こういった施設もあると知っていれば、 一歳半から半年間、 あんなにも孤独で辛い思いをしなくて済んだのではないかと思ってしまった。 一人でやみくもに、手探り状態のまま発達障害の息子と接するのと、 専門家にアドバイスをもらったり、指導してもらいながら育児をするのとでは、 大きな違いがある。 田舎だから、都会だからなど関係なく、必要な情報が、必要な人に届いて…
児童発達支援というものがあるのを偶発的にインターネットで知り、 すぐに問い合わせをしてみた。 隣の市でも通うこともできるし、 送迎もしてもらえるとのことだった。 市役所で「受給者証」を発行してもらえれば 療育に通えるんだ。 全く知らなかった。 「受給者証」というものがあることも、初めて知った。 自治体の療育施設が満員でいつ入れるか分からないと断られてから半年もの間、 療育に通いたいと思っていても 情報が全く無いため 児童発達支援の事業所に問い合わせすらできない状況であった。 ※児童発達支援の利用の流れ等は、あくまで息子の通う施設の話なので、 各事業所のホームページ等をご覧いただければと思いま…
児童発達支援事業所の存在を私は全く知らなかった。 このように、私はのどかな町に住んでおり、市内に児童発達支援の施設は無い。 そのせいか、情報が全く入ってこなかった。 一歳半の時点で、もしくはもっと早くこの情報を知りたかった。 ↓ポチッと応援お願いします にほんブログ村 この件に関しては、以前のブログで掲載しております momofamily.net 前回のお話 momofamily.net 療育に通いたかった頃 momofamily.net
私は独りじゃなかった。 忘れっぽくなった父を私がフォローするのと同様に 父も私を支えてくれていた。 (孤独な子育て 完) 次回に続く ポチッと応援お願いします↓ にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net 療育に通いたかった頃 momofamily.net 一歳半検診の様子 momofamily.net
家族に八つ当たりをしてしまった。 だけど、誰も英太が発達障害だとは思っていなかった。 私一人だけが気付いている状況。 英太が発達障害の可能性が高い根拠を言っても、 年齢も低いし、発達障害のチェック項目全てに当てはまるわけではなかったので、 誰かに理解してもらうのは、難しい状況だった。 自分一人だけが英太の発達障害に気付いている状況で、 「誰にも分かってもらえない」と精神的にも孤立してしまった。 友達も避けてしまい、私はどんどん孤立していった。 主人や母は、後になって 「あの時、ももが早く気付いてくれて良かった」と言ってくれた。 今となっては、 「もー誰も気付かないから、本当辛かったんだからね…
同じ境遇の人を探しても、そう簡単には見つからなかった。 同じ境遇の人と話をしたい。 辛さや大変さを分かち合いたい。 どこにいけば、そんな人と会えるのだろうか。 英太と二人だけ。 二人でずーっと水溜りを眺めたり 石並べを何時間もしたり 英太とどうやって関わったらいいか分からなかった。 「一緒にやろう」 「公園で遊ぼう」 何と声を掛けても無反応。 一緒に石並べで遊ぼうとしても 英太が並べている石を触ったり、少しでもズレると癇癪を起こす。 一緒に遊ぶのも難しい。 隣の公園からは 「ままー、こっちー」 「あはは」 楽しそうな親子の声が聞こえてきた。 私だって、本当は英太と一緒に遊びたい。 孤独感が襲…
息子に「障がい」があるかもしれない。 その言葉に囚われて 私の心は壊れていった。 というよりも、醜く腐っていった。 人の優しさを受け入れられなかった。 「なぜあの子は定型児なのに、英太なのだろう」 人を羨んだり、妬んだり、拒絶したり、心がどんどん荒んでいった。 私は、昔から祖母に 「ももちゃんは優しい子だね。」 「ばあちゃんは、ももちゃんが優しい子に育ってくれて嬉しいよ」と よく言ってもらっていた。 でも、私は祖母が思っているような優しい人間ではなかった。 自分の中に、醜い感情が芽生える度に、祖母の言葉が思い浮かんで 苦しかった。 (次回に続く) こんな暗い内容ですみませんm(_ _)m ポ…
友達だけでなく、知らない人と会話するのも疲れるようになってしまった。 何気ない日常会話さえも、ほとんどが「普通の人」用の会話に聞こえた。 「幼稚園はどこ希望なんですか?」とか 「2歳になったら、うるさいくらいしゃべるよ」とか 発達障害の可能性が高い息子とは、そもそも価値観が異なるのだ。 幼稚園さえ入れるか分からない。 小学校だってどうなるの。 いつか話せるようになるのだろうか。 周りの人から見たら、英太は「普通の子供」に見える。 普通の会話をするのも疲れる。 だって、もう英太は普通というカテゴリーではなくなってしまったから。 話を合わせるのも疲れてしまった。 それなら誰とも会わなければいい。…
英太が赤ちゃんの頃、毎日のように子育てサロンに通っていたので、たくさんママ友ができた。 みんなで一緒に公園に行ったりもした。 だけど、英太はもうみんなとは違う。 みんなが想像している子供とは違うんだ。 子育てサロンに行った時、 英太がパニックになってて、私が焦ってたら ママ友が 「ちょっとくらい泣いても大丈夫だよー」 とか 「うちもすぐ泣くから一緒だよ」と 優しい言葉をかけてくれた。 でもね、英太はみんなと違って切り替えが出来ない。 何時間も泣き続けるの。 疲れて寝るまで泣き続けるの。 言葉が伝わらないの。 みんなの子は、泣いてもあやせば泣き止むよね? 何時間も泣く子いないよね? だから英太…
一歳半検診が終わってから、療育施設を一ヶ月探し回ったけど、少なくとも半年以上は通えない状況だった。 療育施設を探し回っていたわずか一ヶ月の間にも英太の自閉症の傾向は強くなっていった。 より一層こだわりが激しくなり、おもちゃを並べる順番が少しでも自分の思い通りにならないと癇癪を起こした。 私はこの頃から人目を避けて行動するようになった。 大きな公園や子育てサロンには、行かなくなった。 誰もいない公園。 誰もいない広場。 誰もいない場所ばかりを選んだ。 誰にも会いたくない。 他の子供と比べてしまうのが嫌だ。 ママ友にも、もう会いたくない。 だって、もう私はみんなとは価値観が違うから。 みんなが楽…
いつもこちらのブログをご覧いただき、ありがとうございます。 最初は、「ちゃんと続けられるかな」と 不安な気持ちで始めましたが、 休み休み、何とか三ヶ月続ける事が出来ました。 私がこのブログを通して伝えたいことの一つであった 「民間療育の存在」を発信したいということについても、 昨日記事を書く事が出来、個人的に一つの目標を達成できて良かったと思っています。 漫画の方も、自分が描きたいことを描き終えるまで、頑張って続けていけたらと思います。 三ヶ月間、ストック使いながら何とか週4くらいのペースで描いてきましたが、 今後は自分のペースで描いていきたいなと思います。 また、父は今月退院予定でしたが、…
私にはもっと早く知っていれば良かったと思う情報が二つあります。 一つ目は、地域包括支援センターの存在。 momofamily.net 二つ目は、民間の療育施設の存在。 療育施設とは、発達に遅れがあったり、成長に心配のある子供のため、様々な支援をしていくところです。 自治体が運営する療育施設の他に、民間が運営する療育施設があります。 私は息子が二歳になる直前まで、民間療育の存在すら知りませんでした。 そもそも市内には、自治体が運営する療育施設はあるけど、民間の療育施設自体ありません。 でも隣の市には、民間の療育施設があり、息子は二歳からそちらの施設を利用しています。 英太は運動が著しく苦手なので…
療育を受けたい。 そう思って一歳半検診を受けてから一ヶ月近く、色々な施設を探し回ったけど、 月に一度の教室でさえ半年待ちと知り、心が折れてしまった。 もう疲れた。 もういいや。 諦めるしかない。 あと半年頑張るしかない。 でも。 頑張れるかな。 私はまだ頑張れるのだろうか。 もう頑張る力など残されていなかった。 そして、私はこの時「民間療育」の存在を知らなかった。 知っていれば、育児でこれほどまでに悩み、苦しまなかったかもしれない。 このブログを始める動機の一つに「民間療育の存在を知って欲しい」という思いがある。 なので、次回は民間療育について記述する予定です。 (療育を受けたい 息子の自閉…
保健師さんは、私の話を丁寧に聴いてくれた。 そして、発達が遅れている子ども向けに、市が月に一回開いている教室を紹介してもらえることになった。 「月に一回だけだけど、今出来ることは限られているから、やれるものは全部やろう」 そう思った。けど。 次回に続く ↓ポチッと応援お願いいたします。 にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net 一歳半検診の様子 momofamily.net 発達障害かもと疑い始めた頃の様子 momofamily.net 一歳を過ぎた頃の様子 momofamily.net 赤ちゃんの頃の様子 momofamily.net …
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一度専門の病院に英太を診てもらえれば、もしかしたら療育に繋がるかもしれない。 そんな期待をしてたけど、市内に発達を診てもらえる病院は無かった。 市役所に行き、発達を診てもらえる病院がないか相談したところ、県内の大きい病院を紹介してもらえることになった。 しかし、そこは初診まで8ヶ月待ちだった。 Twitterなど見ていると、私の住んでいる県だけでなく、他の県も発達専門の病院は予約でいっぱいで、長期間待たなければならないという声が多いように感じる。 発達障害の世界は、療育にしろ、病院にしろ、とにかく「待つ事」多いと思った。 この待ってる時間に劇的に息子が成長して言葉を話せるようになったり、コミュ…
英太に療育を受けさせたい。 その一心で、市内にある子育ての相談ができる施設行き、療育に関する情報と、息子の発達を相談して回った。 しかし、市内は療育園は一箇所しかないので、療育に通えるようになるのには時間がかかるかもしれないと教えてもらった。 また英太の発達に関しては、年齢が小さい為、発達障害かどうかは判断が難しいとのことだった。 いつ療育に通えるのか。 いつまで様子を見たらいいのか。 中々見通しが立たず、もやもやした気持ちでいた。 (次回に続く) ↓ポチッと応援お願いいたします にほんブログ村 念のため補足 前回のお話 momofamily.net 一歳半検診の様子 momofamily.…
療育に通いたい。 他に療育を受けられる施設はないか、毎日のように調べた。 補足 私の住む地域はのどかな田舎町なので、 そもそも療育施設や福祉施設はとても少ないです。 あくまでも私の住んでいる地域の場合はとしてご覧いただければと思います。 にほんブログ村
療育を受けられるかもしれない。 そうすれば、英太のパニックが少しは落ち着くかもしれない。 そんな希望を抱いていた。 でも、実際は療育園は希望者がいっぱいで、すぐに入れる状況ではなかった。 それでも、英太にしてあげられることはしてあげたい。 出来る事があるなら、やりたい。 他に療育施設があるなら通いたい。 そう思っていたけど、保健師さんから今の段階では様子を見るしかないとの説明を受けた。 私に出来ることは、何もないのだろうか、、、 様子を見るしかないと言われたけど、「療育」という言葉を知った以上、 私は諦めることが出来なかった。 どうしても英太に療育を受けさせたい。 とにかく今の自分に出来るこ…
(次回に続く) ↓ポチッと応援お願いします にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net 息子が発達障害かもと疑い始めた頃 momofamily.net 一歳を過ぎた頃の様子 momofamily.net 赤ちゃんの頃 momofamily.net
臨床心理士さんの面談でも、英太はずっとパニックで泣いていた。 臨床心理士さんは、英太の様子をしばらく見ていた。 私は普段の様子などを伝え、英太が発達障害かもと思っていることを打ち明けた。 臨床心理士さんからは、発達障害について 「年齢が小さ過ぎて、今の段階だと発達障害などの判断は難しい。」 「このくらいの子だと、いきなり伸びる可能性もある。」 との説明を受けた。 そして 発達に心配があるなら「療育」を受けてみたらどうかと提案してもらった。 私は今まで発達障害についてインターネットで調べていたけど、 発達障害のチェックシートばかりに目がいってしまい、 「療育」という言葉を聞いたのはこの時が初めて…
一歳半検診で英太はパニックになってしまい、 「積み木はできる?」 「ワンワンどれか指差しできる?」 など保健師さんに色々聞かれたけど、泣いてしまい検査自体を行う事ができなかった。 身体測定も暴れてしまって、大人三人がかりで何とか測定できた。 保健師さんとの問診も、泣き声が大きくてやりとりが全く出来なかった。 保健師さんのすすめで、臨床心理士さんと面談することになった。 (次回に続く) ↓ランキングに参加しています。ポチッと応援して頂けると嬉しいです。 にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net 息子が発達障害かもと疑い始めた頃 momofamily.net 一歳を過ぎた頃の様子…
複雑な気持ちで迎えた一歳半検診。 会場では、ほとんどの子が椅子に座って落ち着いて順番を待っていた。 もちろん泣いている子もいたけど、 英太のように最初から最後まで泣き叫ぶ子はいなかった。 私は小さい頃から何かと人と比べる癖があり、この時も 英太と他の子供たちを比べていた。 「絶対に泣き叫ぶんだろうなと思ってた。 こうなることは分かってた。 想定してた。 分かってた。 分かってたけど、、、 苦しい。」 他の子が落ち着いて待っている中、 英太だけが泣き叫んでいるのを目の当たりにすると、 胸がギュッと苦しくなった。 (次回に続く) 余談 物語の構成上、英太の泣き顔ばかりイラストで描くことになってし…
最初は一歳半検診で専門家に診てもらえば、大変な日々の何かが変わるかもしれないと希望を抱いていた。 だけど、検診日が近づくにつれ 「発達障害がもし判明したら、この子の将来はどうなるんだろう」 「そもそも幼稚園に入れるのだろうか」 考えれば考えるほど、漠然とした不安が募っていった。 「発達障害」という言葉が、日に日に重く感じていった。 (次回に続く) ↓ポチッと応援お願いします(^ ^) にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net 発達障害かもと思い始めた頃の様子 momofamily.net 一歳を過ぎた頃の様子 momofamily.net 赤ちゃんの頃の様子 momofamil…
英太がパニックになる度に、色々な視線を感じた。 私は直接誰かから 「静かにさせて」 と言われたことはないのに、 ずっと誰かに向けて 「すみません、すみません」 と謝っていた。 誰に謝っているのか分からなかったけど、 騒いでしまって申し訳ない気持ちと どうしてこの子はこんなに泣きわめくのだろう そんな気持ちでいっぱいだった。 英太がパニックになる度に、毎日のように誰かに謝ってる。 今思えば、きっと中には優しい気持ちで心配してくれる人もいたと思う。 だけど当時は英太をなだめるのに必死で、 そういう目線には気づく事ができなかった。 (次回に続く) ↓ランキングに参加しています。ポチッとして頂けると…
私は小さい頃から引っ込み思案で、目立つことが苦手だった。 極力人に合わせて生きてきた。 周りの目ばかりを気にしていた。 それは英太を産んでからも変わらなかった。 「躾がなってないと思われたくない」 「きちんとしてると思われたい」 そんなことを思っていた。 だけど英太といると、必然的にとても目立つ。 私は目立たないようにしたいのに。 英太がパニックを起こす度に、みんなが英太と私を見る。 英太はみんなより泣き声が大きい。 私がいくらなだめても泣き止まない。 悪い意味でとても目立つ。 人と違う。 みんなと違う。 ただそれだけのこと。 だけど 違うってことは、みんなから色々な目で見られるということだ…
一歳半検診の問診票を記入していると、英太は出来ないことがほとんどだった。 実際に書いてみると、より一層 「英太はやっぱり発達障害かも」という気持ちが強くなった。 少しずつ、少しずつみんなと離れていく。 みんなと違っていく。 普通から離れていく。 私は英太がみんなと違っていく事が、とても怖かった。 (次回に続く) ↓ポチッと応援して頂けると嬉しいです にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net 一歳を過ぎたの頃 momofamily.net 赤ちゃんの頃 momofamily.net …
ダブルケアの問題点 ①相談できる人がいない ダブルケアの問題点 ②家族の間もないままいきまり介護が始まる ダブルケアの問題点 ③金銭的負担が大きい ダブルケアの問題点 ④ハードスケジュールになってしまう 父は先月から薬の調整のため入院中ですが、父が入院するまでは、育児か介護どちらかを選択しなければならない状況も沢山ありました。 本来であれば、息子の母子療育を優先したい場面でも、父の体調が悪かったりすると身動きが取れず、療育をお休みしてしまう日もありました。 育児も介護もどちらもやらなければならないのがダブルケア。 今回息子が生まれてからダブルケアをしてきて、何よりも 「事前に備えておく」ことが…
介護と子育てが同時期に重なるダブルケア。 介護はある日突然やってきます。 最初のイラストのような日々がずっと続きます。 息子が幼稚園に行くまでのお昼の時間は、毎日このような感じでした。 そして私はこの時、父を介護している自覚はありませんでした。 麦茶につけて蕎麦を食べてしまう父に、麺つゆを渡して、麦茶のコップを洗って、また麦茶を父に出して、、 父を介護しているのに気づくことが出来ませんでした。 この時、「ダブルケア」をしていることに気づけば、もっと早く家族に助けを求められたのに。 介護している自覚があれば、もっと早く地域包括支援センターなどの公的機関を頼りにできたのに。 だから私は「ダブルケ…
自分のブログを更新するにあたって、当時の育児日記を読み返していた。 すると、「育児日記」のはずなのに、半分近くが父の介護の悩みが書かれていることに気付いた。 この日記こそダブルケアの問題そのものではないだろうか。 私は自分が介護していることやダブルケアの状態になっていることに中々気付けなかった。 特に父のような若年性アルツハイマーという病気は、何月何日から介護になったか明確ではない。 少しずつ色々なことが出来なくなる。 いつの間にか「パソコンが出来なくなった」から始まり、 「細かい地図を書くこと」、「DVDの再生」など日常生活にあまり差し障りのないような事から出来なくなった。 お風呂の入り方で…
父の病気と息子が発達障害かもしれないという二つの問題が重なり、精神的な負担がとても大きかった。 何で息子が 何で父が どうして病気や障がいがほぼ同時に襲ってくるんだろう しかも自分じゃなくて、よりによって大事な息子が 若年性アルツハイマーだって、症例の少ない病気のはずなのに、何でお父さんなの 何で二人同時なの 私には受け止めきれないよ 納得なんてできない 受容なんてできない 私は弱い 強くなんてない 毎日泣いてばかりだ 優しくもない 健常児を見たら羨ましくて羨ましくて仕方ない なんであの子じゃないの、なんでうちの息子なのって 心の中で思っている こんな醜いことを思ってしまう自分の心の醜さ、弱さ…
今まで英太が自閉症かもしれないと思っても、確証が無かったし、何より私自身英太が自閉症だって信じたくない気持ちもあって、一人で悩んでいた。 パパに今までの経緯を泣きながら説明した。 パパから「とにかく専門家に診てもらおう」 「素人目じゃ判断できない事もあるし、専門の第三者から意見をもらおう」と諭され、 私は徐々に落ち着きを取り戻した。 一歳半検診の案内をよく見てみると、 「発達に心配なことがある方は、当日臨床心理士に相談できます」 と記載されていた。 「専門家に直接相談できるんだ」 それは私にとって希望の光のようなものであった。 この大変な日々を何か変えられるかもしれない。 「一歳半検診までは…
これまで、自閉症の子供の行動や特徴をたくさん調べて、当てはまるものばかりで不安だったけど、唯一「英太はクルクル回らないから自閉症じゃない」ということが心の支えとなり、必死で「英太は自閉症じゃない」と言い聞かせてきた。 しかし、ある日を境に英太は事あるごとにクルクル回るようになった。 最初は気のせいだって思いたかったけど、クルクル回る頻度が日に日に多くなっていった。(英太の場合、クルクル回る行動は2歳ピークに4歳までには消失した ※クルクル回る=自閉症というわけではありません) この行動も含めて、インターネットで調べる限り、英太はほとんど全ての発達障害のチェック項目に当てはまることとになった。…
毎日、毎日「英太は自閉症かもしれない、いや違う」と自問自答していた。 まさか、英太に限って、、でも、、もしかしたら 発達障害について調べては一喜一憂していた。 今までだったら英太が昼寝すると私も一緒に寝ていたのだが、 いつしか英太が昼寝した時間、スマホで発達障害について調べるようになっていた。 もしかしたら自閉症かもしれないと思うたびに、不安をかきけせる要素を探して、スマホと睨めっこしていた。 次回に続く ポチッとして頂けたら嬉しいです↓ にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net 息子の自閉症が判明するまで 一歳を過ぎた頃 momofamily.net 赤ちゃんの頃 momof…
※あくまで英太の場合です。 インターネットで発達障害のチェック項目を見ていて、一番これはと思ったのが「クレーン現象」と呼ばれる特徴だった。(クレーン現象は自閉症の子供だけに見られる特徴ではありません) 相手の手を使って取ろうとする動作がクレーンに似ていることから、クレーン現象と呼ばれている。 私から見れば、欲しいものがあるなら指差し、または指差しができないなら手差しなどをして伝えれば早いのに、わざわざ私の手をつかんで冷蔵庫のドアを開けさせるのは何でだろうと思っていた。 私の腕を物を取る道具として使っているのだ。 ずっと不思議だった英太の行動が、発達障害の子供の特徴のひとつと分かり、震えが止まら…
※あくまで英太の場合です。 当てはまる=発達障害というわけではありません。 インターネットで発達障害のチェック項目を調べたら、思い当たることばかりだった。 ↓ポチッと応援お願いします。 にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net 息子の自閉症が判明するまで 一歳を過ぎた頃 momofamily.net 息子の自閉症が判明するまで 赤ちゃんの頃 momofamily.net
英太の言葉の遅れや、指差ししないことはずっと気になっていたが、 ただ発達が少し遅れているだけで、まさか発達障害のはずがないと思い込み 今まで調べることをしてこなかった。 というより、その頃は睡眠不足でまともに寝れない日が続き、 息子がお昼寝して時間ができたら自分も寝るという生活を送っていたので、調べる余裕がなかった。 しかし一歳半をもうすぐ迎えるのに、一向に話さないし指差しをしないことが気になり、発達障害についてインターネットで調べてみることにした。 調べてみると英太に当てはまることばかりだった。 (次回に続く) ↓ポチッと応援お願いします。 にほんブログ村 前回のお話 momofamily.…
「寝たきりになりたい」自閉症の息子の育児と介護が重なり思ったこと
「寝たきりになりたい」 息子が2歳の時私はこんな恐ろしいことを考えてしまった。 だけどその時は本気でそう思っていた。 息子が二歳になる頃、私は息子は自閉症だと確信していた。 しかし、誰に相談しても 「大丈夫」 「様子見」 と言われ こんなに子育てが大変なのは自分がおかしいからだろうか。 息子は私が話しかけても一切こちらを見ない。 一度パニックを起こすと何時間も泣いている。 二歳になって、周りの子はママと楽しそうにコミュニケーションをとっているのに、息子は一切私を見ない。 夜も数時間おきに起きて眠りが浅い。 私は二年間まともに寝たことがない。 それでも皆、息子は普通の子だと口を揃えた。 私が人間…
いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。 実は先日、父が検査と薬の調整のため入院しました。 来月には退院できるそうですが、また家に帰れるのか、どうなるのかまだ分かりません。 入院も急きょ決まったことで、私も母もまだ家に父がいるような感覚から抜け出せないでいます。 父のために頼んだ宅配のゼリーが今日届いたり、 徘徊を防ぐため、玄関を何重にもロックしていて普段は裏口から出入りしていたけど、 もう玄関から出入りできるんだと不思議な感覚になったり、 まだまだ父が家にいるような気がしています。 息子もふとした時に 「おとしゃーん、どこいったー?」 と言っていたり、父がいない感覚にみんなが戸惑っ…
当時を思い出しながら描いたら、とんでもなく暗い展開になってしまいました。 どうやって英太に教えればいいのか、 模索しても伝わらなくて、他のお母さんだったら もっと上手に英太に色々なことを教えられたのではないかと思ってしまいました。 ↓漫画を描いているときの心境 英太が二歳で療育に通うまでは、さらに病んでいく展開になります。 現在は私も英太も毎日楽しく過ごしております。 引き続き頑張って描いていきますので、また漫画を読んでいただけたら嬉しいです。 (息子の自閉症が判明するまで 一歳を過ぎた頃 完) (次回 うちの子もしかして発達障害? に続く) 月曜日、火曜日に予定が入ったため、振替で本日ブロ…
頑張っても、頑張っても英太は一向に話さない。 頑張って声を掛けても、名前を呼んでも反応しない。 どうすればいいんだろう。 どうしたらこの子に声が届くんだろう。 毎日そんなことを考えていた。 (次回に続く)ポチっと応援お願いします↓ にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net
英太がしゃべれないのは、私の声掛けが足りなかったのかもしれない。 頑張らなきゃ。 私が頑張らなきゃ。 息子の発語がないのを自分の声掛けが足りないから、頑張りが足りないからだと思い込んでしまった。 だけど、どんなに英太に声を掛けても、英太は私を見ない。 頑張らなきゃという思いと、中々話さない息子に焦りを感じた。 お願いだから、こっちを見てよ。 私がママだよ。 ママを見て。 どんなに声を掛けても、息子の反応は薄く、苦しかった。 (次回に続く)↓ランキングに参加しています。ぽちっと応援お願いします。 にほんブログ村前回のお話momofamily.net
子育てサロンにて、保健師さんによる発達相談に行った。 保健師さんは息子の様子をしばらく観察して 「見てる感じだと、特に成長に問題はないよ。」 「お母さんの声掛けや言葉のシャワーを沢山浴びせることが、 お子さんの言葉の発達を促すの。」 と言った。 私は 「まだ頑張らなきゃダメなんだ、、私が頑張らなきゃ。 英太が話せるように私が沢山声掛けをしなきゃダメなんだ。 英太の発達が遅れているのは私の声掛けが足りなかったのかもしれない。 頑張らなきゃ、頑張らなきゃ。」 という気持ちでいっぱいになった。 (次回に続く)↓ポチっと応援お願い致します。にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net
息子の発達が遅れているのではないかと思い、 周囲の人に相談したけどみんな 「大丈夫だよ」 「気にしすぎだよ」 と言っていた。 皆から大丈夫と言われたけど、 私はどうしても息子の発達が気になった。 子育てサロンに市役所の保健師さんが巡回して来てくれる日があるというのを知り、 予約して息子の発達を見てもらうことにした。 (次回に続く)ランキングに参加しています。ポチっとして頂けたら嬉しいです。↓ にほんブログ村 前回のお話momofamily.net
一歳を過ぎて数ヵ月が経っても 息子は一向に言葉が出なかった。 指差しも全くせず、心配は募るばかりであった。 パニックも体が大きくなればなる程、声も大きくなり激しさが増した。 相変わらず、「英太」といくら呼んでも振り向かない。 「やっぱり英太は発達が遅れているのかも」 そう思い、周囲の人に相談することにした。 (次回に続く)ポチっとして頂けたら嬉しいです。↓ にほんブログ村前回のお話 momofamily.net 普段土日はブログをお休みしておりますが、明日月曜日は予定がありブログの更新が出来ないため、振替で本日更新しました。
英太のパニックで一番印象に残っているのが、 子育てサロンでお気に入りのおもちゃがいつものおもちゃ箱に無くて、大パニックを起こしたことだ。 周りの子どもたちが大人しく遊んでいる中、英太の 「うぎゃー」という泣き声がサロンに響き渡った。 保護者や子供たちが一斉に英太を見て 「ねえ、すごい泣いてるね」 「どうしちゃったの」 というザワザワした声が聞こえてきた。 「何で英太だけいつもパニックになるの」 「何で他の子どもたちみたいに遊べないの」 そんな思いで頭がいっぱいになり、恥ずかしくて英太を抱っこしてサロンを後にした。 「私の躾が悪いの?」 「どうやってパニックに対応したらいいの?」 「何でこの子は…
英太とコミュニケーションをとるのが難しいことに加え、 この頃から英太のパニックはますますひどくなる一方だった。 赤ちゃんの頃よりも体が大きくなって、声も大きくなって 抱っこしても何をしてもおさまらないパニックに私はどうしたらいいのか毎日悩んでいた。 人目のつく場所で英太がパニックになる度に 「すみません」と言いながらその場を離れた。 スーパーに行ってパニックになった日は、何も買わずにそのまま帰ったこともある。 他のお子さんがお母さんと楽しく過ごしている姿を見ると、とても羨ましく感じた。 (次回に続く)↓ポチっとして頂けると嬉しいです。 にほんブログ村前回までのお話momofamily.net
英太は私が叱ってもニコニコして、 私の感情や言っていることが伝わっていないようだった。 他のお子さんを見ると、同じ月例の子は大人の言っていることを何となく理解し、 反応を示していた。 「公園に行こう」 「おやつ食べる?」 英太に何を話し掛けても反応がなく、 英太とコミュニケーションをとるのがとても難しく感じた。 (次回に続く) ↓ランキングに参加しています。いつも応援ありがとうございます。にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net
息子が一歳を過ぎたころから、気になる行動が出始めた。 車のおもちゃで遊んでも、他の子どもたちのように車を走らせるのではなく、 車を横一列にずらっと並べて遊んでいた。 後に専門の病院に行った際、自閉症の子の遊び方の特徴の一つと先生から教えてもらったのだが、(全てのお子さんに当てはまるわけではありません) この時は 「独特な遊び方だなあ」 くらいにしか思っていなかった。 子育てサロンに行くと、 他のお子さんがママを求めて 「ママ」と呼んだり 「ママ」見てと言わんばかりにニコニコとママを見つめている顔が羨ましかった。 英太はいくら名前を呼んでも振り向かない。 ママを求める仕草もない。 早く他のお子さ…
息子の子育ては夜寝ないこともあって本当に大変だったけど、 体の発達はとても順調だった。 毎月のように育児雑誌を購入し、 「生後何か月でこれができるようになる」など、 成長に遅れがないか確認しながら育児をしていた。 歩くのはとても早くて、息子は一歳前には歩き出し、 誕生日のお祝いは一升餅を背負って数歩歩いた。 誕生日の日はパパも戻ってきて、みんなで盛大にお祝いした。 「ねえ、英太早く「ママ」って話さないかなあ」 「もう少しだよ」 なんて会話をパパと話したことを覚えている。 だけど英太は一歳を過ぎても一向に言葉が出なかった。 指差しをしないのも、とても気がかりだった。 (息子の自閉症が判明するまで…
息子は赤ちゃんの頃から2歳過ぎまで夜中二時間おきに起きた。 一度スイッチが入ると、おむつを替えてもミルクをあげても、抱っこしても何時間も泣いた。 さらにひどい偏食で食べられるものが限られていた。 現在は少しづつ食べられるものが増えてきたが、 赤ちゃんの頃はほとんどのものを口に入れてもすぐ出してしまった。 自分の離乳食の作り方が下手なのではないかと、育児雑誌を読み漁り、 様々な種類の離乳食を作ってみたがどれもすぐに口から出してしまった。 赤ちゃんの頃私は慢性的な睡眠不足だった。 英太が赤ちゃんの頃は、父は忘れっぽいだけで日常生活に支障はなく、 よく英太を抱っこしたり、日中私を休ませてくれたりと、…
ゴールデンウィークが明けて、本日からブログを再開します。 ゴールデンウィーク中に息子の育児についての話をまとめていました。 当初はプライバシー保護のため、父と母と息子、私以外はブログに登場させない予定でしたが、 息子の自閉症が判明するまでの話を書くにあたって、主人を登場させないでブログを書くのが困難と判断し、 主人も必要に応じて少し登場します。(主人は快諾してくれました) 主人の紹介 パパはたまに登場します。 前回のブログの続き~息子の自閉症が判明するまで③~ 息子が生まれた時、私もパパも 「この子を守りたい」 「幸せになってほしい」 と思った。 パパは激務のため、この後息子が生まれて二時間後…
今日でブログの記事を書き始めて一か月経ちました。 以前からにブログをやりたいなと思っていて、今年の2月からイラストの練習を始めました。 ブログを一か月は頑張って続けようと、2月から記事をストックし何とか毎日更新することが出来ました。 そのストックも尽きてきてしまったので、今後は基本的に土日祝日はお休みし、平日に更新していこうと思います。 本日からゴールデンウィーク明けまではお休みする予定です。 またゴールデンウィーク明けにブログをご覧いただけたら嬉しいです。 今後もよろしくお願いいたします。 ↓ポチっと応援お願いいたします。 にほんブログ村
息子は妊娠中も出産時も特に問題なく、無事に生まれてきてくれた。 妊娠中は毎日のように、「ちゃんと動いているかな、無事に産めますように」と思っていたので、 無事に息子が生まれてきてくれた時は、嬉しくて涙が出た。 この時はまさか息子に障がいがあるとは全く思っていなかった。 (次回に続く) 大事なことなのでしつこく何度も書きます。 もしお子さんの発達を心配をして私のブログにたどり着いて下さった方がいたら、 私の息子の発達過程を読んで 「この子と違うから自分の子は大丈夫」 と安心して頂くために、息子の成長過程を描いているわけではありません。 私が一番伝えたいのは、もしお子さんに自閉症などの発達障害が今…
父が軽度認知障害と診断されて以降、 父の病気が進行していくのが目に見えて分かるようになった。 父は食事をした記憶がすっぽり抜けてしまっていて、 一日に何度もご飯や冷蔵庫にあるものを食べてしまうことがあった。 父の病気も心配だったけど、同時に、私は息子の発達の遅れが気になっていた。 (次回、息子の0歳の頃の様子に続く)↓ポチっと応援して頂けたら嬉しいです。にほんブログ村
私が描いている四コマ漫画が、明日から息子の障がいが判明した頃にさしかかる。 父が患っている「若年性アルツハイマー」という病と、 「自閉症」の息子について、 そして育児と介護の「ダブルケア」についてこのブログで描いていく予定だが、 息子の障がいについて書くのには、 どう表現していくかを考えなければならないなと感じた。 お子さんの自閉症について心配したご家族が、私の四コマ漫画を見て、 私の息子と自閉症の症状が違うからといって安心してそこで 障がいに気づく機会を奪ってしまうことにならないように表現していかなければと思う。 早期療育がいかに大切かを身をもって知っているから、 私の四コマ漫画でその機会を…
若年性アルツハイマーの父と 病気の進行を遅らせようとやってきたこと
父の患っている若年性アルツハイマーという病気は完治できる病気ではないので、いかに今の生活レベルを保てるかが重要だと感じています。 私たち家族は、完治できない病気と聞いて、そこで諦めるのではなく、抗って、抗って、抗ってきました。 私たちは、どうやったら病気に抗えるか、どうしたら生活レベルを保てるのか、お医者様の意見を参考に色々なことを実践してきました。 今日はその中でも、やって良かったなと思えたものを紹介します。 新聞コラムの写し書き 若年性アルツハイマーの父は、2年前まで何とか文字を書くことができ、今もゆっくりなら何とか読める文字もあります。 現段階で文字が読めるのは、父と実践した「新聞のコラ…
MCI(軽度認知障害)と診断されてから取り組んできたこと 母手記
母手記 「そうそう、ここが違うね」 「早いね」 二人でよく脳トレの間違い探しをやっていました。 車で出かける時は、しりとりをしたり、二人でよく歌いました。 薬をきちんと毎日飲み、あまり負担にならないようにと思いつつ、 大好きな花や鳥の塗り絵や新聞のコラムをノートに写したりしていました。 「アレ?、アレ?」が増えてきても、この頃の私はMRIでとどまっている人もたくさんいるという本やネットの情報を信じていました。 絶対大丈夫。 進行なんかさせないと本気でした。 「アレ?」は全く偶然に知ることもありました。 自分のバックをよく置き忘れたりして、みんなで探すことも結構ありました。 見えることは目立つの…
母は休みの日はできるだけ父と散歩に出かけた。 適度な運動、食事にも気を配り、きちんと薬を飲ませることも忘れないようにしていた。 父は新聞のコラムの記事を毎朝写し書きし、日課にしていた。 その日あった出来事を一言書いていた。 また母の勧めで大人の塗り絵も始めた。 病院の先生からの 「できるだけご本人の好きなことをさせてください。」 というアドバイスのもと、塗り絵は父の好きな花や鳥の絵を選んだ。 今できることをとにかくやる。 絶対に病気を進行させないという母の思いはとても強いものであった。 父も、新聞のコラムの写し書きは、文字が書けなくなる限界まで毎日続けていた。 文字が書けなくなったあとも、新聞…
母は父が「MCI(軽度認知障害)」と診断されてとても驚いていた。 母は毎日のようにインターネットや本でMCIについて調べた。 MCIのまま長年とどまっている人もいると知り、 「絶対進行させない」 と、脳トレドリルに加え父のためにできることやれることを取り組んだ。 病気に抗おうと必死だった。 病院の先生から 「ご本人の好きなことがいいですよ」 とアドバイスを受けたため、一緒に散歩に出かけたり、休みの日は二人でバス旅行に行ったり父の好きな場所へ沢山出かけた。 (次回に続く)↓ポチっとお願いします にほんブログ村
私たち家族は、担当の先生と相談し父には「MCI(軽度認知障害)」を患っていることを言わないことにした。 今でもその決断が正しかったのか、間違っているのか分からない。 父も自分の異変に気付き一度だけ「俺は馬鹿になった」と言った。 その時は 「お父さんはお父さんだよ。」 「毎日家族みんなで穏やかに過ごしていこう。」 「楽しいことを沢山して一緒に過ごしていこう。」 と母が言った。 それ以来父とは一切病気の話をしたことがない。 これで良かったのか。 話していたら何か変わったのか、何が違ったのかは分からない。 きっと父に話した方が良かったのにという方もいるかもしれない。 この頃は、病気について私も母も誰…
笑って過ごして下さいの意味 母手記 主人がMCI(軽度認知障害)と診断されて
「笑って過ごしてください」の意味 母手記 MCI(軽度認知障害)と主人が診断を受け、進行していく姿に病院の先生に 「何をやったらいいですか?どうやって過ごしたらいいですか?」 と聞いた時の先生の答えでした。 私は何か具体的にこれをやるとよい、こうするといいよ的なアドバイスが欲しかったのだと思います。 その時は、正直 「困っているのに笑えないし、笑えないから困っているのに」 となんだか気の抜けたようながっかりしたようなそんな気分でした。 しばらくしてその答えがぱっと見える時が来ました。 ケアマネさんや病院のスタッフの方、専門家の方に同じ病気を持つご家族の方を紹介して頂き、お話を伺う機会を頂きまし…
「笑って過ごしましょう」の意味 医師からのアドバイス MCI(軽度認知障害)と診断された時
父がMCI(軽度認知障害)と診断され、心配した母が先生に 「これからどう過ごしたらいいのか」 と尋ねた時、先生は 「笑って過ごしましょう」 「好きなことを沢山して下さい」 というアドバイスを下さいました。 当時は「どうして当たり前のことを言うんだろう」と疑問を持ちましたが、今なら分かります。 仮に私がどなたかからアルツハイマーの初期の段階でどうしたらいいか相談されたとしたら、先生と同じように答えます。 笑って過ごしましょうの意味 若年性アルツハイマーの父は、以前に比べて表情が乏しくなってきました。 以前は楽しく笑い合っていたことでも、同じ出来事のはずなのに、今は笑い合うことができない事もありま…
父が軽度認知障害と診断されて、 「進行させないためにはどうしたらいいか。」 と母が先生に聞いたところ 「毎日笑って過ごしてください。」 「好きなことを沢山してください。」 との回答だった。 当時、母は 「具体的に何をしたらいいか聞きたかったんだけどなぁ。」 と思ったそうだ。 私も 「先生はどうして当たり前のことを言ったんだろう。」 と疑問を持っていたが、 「毎日笑うこと」「好きなことをすること」は全然当たり前のことではないと今なら分かる。 先生がなぜそのようなアドバイスをして下さったのか、 母と私、それぞれ考えて今になって分かったことがあるので明日と明後日は私と母の各々の手記を載せようと思う。…
父の物忘れの症状が出始めて二年が過ぎた頃、ついに父の病名が判明した。 「MCI(軽度認知障害)」だった。 私は、「やっぱり」という気持ちと「若年性アルツハイマーにはなっていないんだ」と少し安堵した気持ちが入り混じりとても複雑だった。 母は、ずっとストレスからくる物忘れだと信じていたため、とても驚いた様子だった。 その時はその病名を受け入れるので精いっぱいで、何を考えていたのかよく思い出せない。 ただ、とにかく「何とかしたい」「進行を遅らせたい」と焦っていたのはとてもよく覚えている。 進行を遅らせるのに自分に何ができるのか、何をしたらいいのかとにかく情報が欲しかった。 (次回へ続く)↓ポチっとし…
MCI(軽度認知障害)と診断された頃① ~父が若年性アルツハイマーになった第三章~
父の物忘れは進行する一方だった。しかし、母は諦めず「必ず良くなる」と信じていた。このような感じの脳トレ系のドリルを購入し、毎日のように続けていた。 (function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a;b[a]=b[a] function(){arguments.currentScript=c.currentScript c.scripts[c.scripts.length-2];(b[a].q=b[a].q []).push(arguments)};c.getElementById(a) (d=c.createElement(f),d…
この頃父は、物忘れがある以外は日常生活に支障はなかった。この頃は息子の育児の方がはるかに大変だった。息子が夜泣きで何時間も泣き止まない日が多々あり、父が私の代わりに息子を抱っこしてくれた。日中も育児を手伝ってくれた。三人で毎日のように公園や動物園、市外の観光地など様々な場所へ出掛けた。私は父が若年性アルツハイマーかもしれないと疑念を抱いていたが、心のどこかで「父なら大丈夫だ」と信じていた。まさか父が介護が必要なり、介護と育児を同時にしなければならない「ダブルケア」を自分がすることになるとは想像すらしていなかった。 (父が若年性アルツハイマーになった 第二章 ダブルケアの始まり 完) (次回 第…
父は6年前から若年性アルツハイマーを患っています。 だけど、「なんで自分が」と言いません。 どんどん出来ないことが日に日に増えていく病気です。 様々なことを忘れてしまいます。 本人も支える家族も大変辛い病気です。 辛い中、私や母が何とかここまで父を支えてこれたのは父の強さもあったのかなと思います。 「何でお父さんが」 私は父が若年性アルツハイマーを患っていると知った時、 「何でお父さんが」 と何百回、何千回も思いました。 「何で優しいお父さんが」 「みんなから好かれて真面目に家族のために働いてきたのに」 何を恨んだらいいのか分からない、やり場のない怒りや悲しみでいっぱいでした。 毎日、毎日涙が…
「父が若年性アルツハイマーかもしれない」 そんな不安が頭から離れず、一人で隠れて何日も涙を流す日々が続いた。 だけど、どんなに涙を流しても生きていれば明日はやってくる。 父はずっと明るく日常を過ごしていた。 父が病気について語ることはなかった。 「カレーうまいな」 と沢山好物のカレーを食べたり 「それー、それー」 と、孫と遊んで笑ったり 父は日常生活を普段通り過ごしていた。 そんな父の姿を見て、 私は「父が若年性アルツハイマーかもしれない」 と不安を抱きながらも段々と落ち着きを取り戻し、隠れて泣くことはなくなった。(次回へ続く)↓ポチっと押していただけると嬉しいです。にほんブログ村
「神様、どうかお父さんが若年性アルツハイマーじゃありませんように」 何度願ったことか分からない。 どうしてこんなに優しい人が。 どうしてお父さんなの。 家族のために一生懸命働いてきて、退職したらお母さんと沢山旅行に行く予定だったんでしょ。 悪い夢なら早く覚めてほしい。 何か防げる手立てはあったのだろうか。 何が原因だったのか。 私たち家族は父のためにベストな選択をできていたのか 今でも分からない。 父は、自分の父親だからという忖度抜きに稀に見る「優しい人」だ。 こんなに優しい人がこんな病気になる道理とは何だろう。 考えても考えてもわからない。 だけど私に今できることは、二つある。 一つ目は「父…
まさか父が50代なのに認知症を発症するはずがないと思って、インターネットで調べた。「若年性アルツハイマー」という記事が目にとまり、震えが止まらなかった。まさか、父が。いや、違う。そんなはずない。頭の中でグルグルと何日も何日も考え続けた。(次回へ続く)↓ポチっとして頂けると嬉しいです にほんブログ村
当時、私は父の物忘れがストレスが原因ではなく何か脳関係の病気が原因なのではないかと疑念を抱き始めた。一方で母は、ストレスが原因だと信じていた。父はよく財布を無くし家族みんなで探し回ることがよくあった。バックの中身も、出先から帰ると全部だしてしまい、財布以外の無くしものも増えた。病院に行く度に薬が増えたが、物忘れが良くなる気配はなかった。(次回へ続く)↓ポチっとして頂けると嬉しいですにほんブログ村
ダブルケアの始まり① (ダブルケアが始まった日 父が若年性アルツハイマーになった第二章 全6話)
まさか自分が二十代で父の介護をするなんて思っていなかった。 母は父に代わり仕事に出ていたし、主人も仕事の都合で基本家にいない。(プライバシー配慮のため主人についてはこれ以上書きません) こうして息子が生まれたのと同時に、育児と介護のダブルケアが始まった。 ダブルケアが始まった当初は父の介護と言っても、まだまだ父は「物忘れが少しある」程度で特に何も診断はついていなかった。 日常生活も送れていたし、息子の育児も沢山手伝ってくれた。 当時、まさか父が若年性アルツハイマーを患い始めているなんて思ってもいなかった。 しかし、出産後の退院日、父が迎えに来てくれたが、荷物だけを車に乗せて私と息子を置いて帰っ…
父の元にはがきが届いた。 幼馴染みのCさんからだ。 「元気か?また電話する」と一言だけ書かれた手紙だった。 父も、母も、私もその一言がとても嬉しかった。 父とCさん 父は50代で若年性アルツハイマーになった。 病気の前、父はとても優しくてアクティブな人だった。 父の幼馴染みのCさんとは、家族ぐるみの付き合いがあり、私も小さい頃はよくCさんの家に遊びにいったり、スキーや登山に一緒に連れていってもらった。 父が若年性アルツハイマーになってすぐは、二人でよくハイキングや登山を楽しんでいた。 父はCさんと出掛ける日はとても嬉しそうで、出掛けて帰ってくると、Cさんと見つけた鳥の話を沢山してくれた。 だけ…
初診から一年後、物忘れの症状が良くなるどころか少しずつ進行したため、再び物忘れ外来を受診することにした。 初めて病院を受診した時は、物忘れの原因はストレスだから、休めば良くなると思っていた。 しかし父の症状は少しづつ進行し、物忘れが増えていった。 医師に相談したところ、病院で様々な検査を受けたが、全て正常の範囲内だった。 脳に異常が認められたのは、初診から3年も後の事だ。 若年性アルツハイマーを初期段階で見つけるのは本当に難しいことだと思う。 物忘れの症状があるため、認知症薬「アリセプト」が処方された。 (次回へ続く)↓応援して頂けると励みになります にほんブログ村
最初は父の物忘れは、ストレスが原因だろうと皆が思っていた。 父は休職した後は、一人で旅行に行ったり、家事をしたりして過ごしていた。 本を沢山読んだり、バイクで出掛けたりして趣味を思い切り楽しんだ。 最近、母と「あの時お父さんを一人で旅行に行かせてあげられて良かったね」と言っている。 しかし、病気は着実に進行し、パソコンの操作が出来なくなったり、お金の管理が出来なくなった。 最初に物忘れ外来を受診して、一年後に再び物忘れ外来を受診することにした。 (次回へ続く)ランキングに参加しています。↓ポチっとして頂けたら嬉しいです。にほんブログ村
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