若年性アルツハイマーの50代の父の介護と自閉症の息子(幼稚園生)のダブルケアをしています。日常生活で気づいたことなどを綴ります。
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父の若年性アルツハイマーは進行性の病気で治ることはない。 息子の障がいも治らない。 そして自分のメニエール病も治るか分からない。 日常生活に支障が出るほどのめまいと難聴。 この状況では、もう働けるのかさえ分からない。 将来のことを考えると恐ろしくて、希望など持てる状態ではなかった。 もうダメだ。 私の人生は詰んでしまっているのではないか。 どうやって未来に希望を見出せというのか。 絶望的じゃないか。 母や主人は私が倒れてから、休みを沢山とってしまい、仕事が余計に忙しくとても相談できる状況ではなかった。 一人で毎日ネガティブなことを考えてしまい、ついに もう消えたいと思うようになった。 いやダ…
父の介護、息子の自閉症に加えて、自分自身もいつ治るか分からないような病気になってしまった。 一日中不快な耳鳴りとめまいに襲われるのは、大変なストレスだった。 父が私の代わりに英太を沢山見てくれて、本当に助けてもらった。 だけど、父の物忘れは悪くなる一方で、水を流せば流しっぱなしにしてしまったり、 冷蔵庫を開けたら、冷蔵庫の警報が鳴ってても開けっぱなしにしてしまったりと、 声かけが必要な状況だった。 私は息子が自閉症の疑いがあると判明してからすぐに、メニエール病になってしまった。 その為、家族と息子の病気についてきちんと話す間も無く、めまい発作がおきてしまい、誰かと会話するのもままならなくなっ…
メニエール病になってから、日常生活を送るのが困難になった。 歩くこともままならないので、這って移動。 常に吐き気があり洗面器が手放せなかった。 横になっても目が回ってしまう。 目を瞑っても、部屋が斜めになっている感覚がして中々眠ることも出来なかった。 起きていても、寝ていてもずっと目が回っている。 主人と母が交代で仕事を休んで英太を見てくれていた。 でもメニエール病は短期間で完治する病気ではないので、 二人にこれ以上仕事を休んでもらうわけにもいかず、 父と英太と三人で過ごすことした。 (次回に続く) ↓ポチッと応援お願いします にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net
メニエール病の発作の怖さはこれだけではなかった。 五時間、強烈な目眩に耐えた後、私の三半規管が完全におかしくなってしまった。 強烈な目眩がおさまっても、数ヶ月間フワフワ宙に浮いているような目眩はおさまらなかった。 まっすぐ歩けない。 常に揺れている感じがする。 さらにこの病気の厄介なところは、この発作を繰り返してしまうのだ。 発作が起きてから四ヶ月後には完治と言われたが、その二ヶ月後すぐに再発した。 再発と完治を何度も繰り返しながら、ようやくめまいがほとんどなくなったと感じたのは3年後になる。 それでも、エレベーターやエスカレーターといった日常で使うような乗り物に乗っただけですぐに酔ってしま…
ついに恐れていたメニエール病の発作が起きてしまった。 まるでバンジージャンプをずっと繰り返しているような気持ちの悪さだった。 今まで経験したことのないような、目が回る感覚だった。 床から頭を一ミリも動かせない。 めまい発作は五時間近く続いた。 一歩も動く事が出来なかった。 (次回に続く) ↓ポチッと応援お願いします にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net
聴力が低下すると、聞こえにくいことに加えて 耳鳴りがしたり、音の距離感が全く掴めなくなった。 どこで音がしているのかが全く分からなくなってしまった。 遠くで聞こえるはずの音が耳元で大音量で聞こえたり、 耳鳴りが激しく、真冬なのに常に鈴虫や蝉が鳴いているような音が耳から聞こえた。 耳鳴りは眠る時は特に気になってしまい、中々寝付けずに睡眠不足になった。 そしてついに恐れていたメニエール病のめまい発作が起きてしまった。 (次回に続く) ↓ポチッと応援お願いします にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net …
一週間前から耳が聞こえにくくなっていたけど、そのうち治るだろうと思って 病院に行かなかった。 一週間後にさらに聴力が落ちてしまい、低い音がほとんど聞こえなくなってしまった。 病院に行くと、「メニエール病」と診断された。 めまいと難聴の病気と聞いて、とても怖かったけど、その時はめまいの自覚は無かった。 メニエール病の治療薬が処方された。 いつめまい発作が起きてしまうのか、聴力は元に戻るのかとても不安だった。 (次回に続く) ポチッと応援お願いします↓ にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net
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発達外来にて、英太に自閉症の疑いがあることが判明した。 一歳半検診受けてから、頭の中では、おそらく英太は自閉症なのだろうと分かっていたけど、心のどこかで、何かの間違いであって欲しいと願っていた。 家族みんなに英太が発達障がいだって分かって欲しい気持ちと、病院の先生から「発達障がいじゃありません」と否定してもらいたいという矛盾した気持ちをずっと抱えていた。 「自閉症の可能性が高い」と告げられて、 「早めに分かって良かったです」と 先生の前ではそう言ったけど、心の中はとてもじゃないけど受け入れたくないという気持ちが強かった。 嘘だ。 何かの間違いだ。 絶対に違う。 そんなはずない。 先生の言葉を…
英太の発達外来の日、私は 「これでやっと皆んなが英太の発達障がいを認めてくれるはずだ」 と思っていた。 病院では家庭での様子や生まれてからの発達の様子などの問診があった。 その後、先生はおもちゃのある部屋に行き、英太の遊ぶ様子を見ていた。 十分ほどして先生から 「自閉症の疑いがある」と告げられた。 (次回に続く) ポチッと応援お願いします↓ にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net
前回のブログにて「児童発達支援見学」について記載したので、今回は児童発達支援を利用するまでの流れをまとめました。 あくまでも、私の住む地域の利用の流れをまとめたものなので、お住まいの自治体にご確認いただければと思います。 ①利用を希望する事業所を決める 私の住む地域の場合は、障がい福祉課にて「事業所一覧表」を作成しており、窓口でもらうことができます。 私の場合は、そもそも「児童発達支援」自体を知りませんでした。 息子が通っている事業所のホームページを偶然見つけて、利用したい事業所を決めた上で市役所に行きました。 今思えば、最初に福祉課に行き、どんな事業所があるのか相談した方が、他の事業者を比較…
初めて英太の成長について「一緒に考えよう」と言ってくれる人に出会えた。 これまで英太の発達障がいについて様々な人から 「様子見」と言われ続けていた。 私一人で頑張るしかないと思っていたけど、児童発達支援の先生が寄り添ってくれて、 一歳半検診の直後に先生に出会えていたら、どんなに心強かっただろうと思った。 (次回に続く) ↓ポチッと応援お願いします にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net
英太の誕生日プレゼントを買いに市外のおもちゃ屋さんに行った。 帰りに信号待ちをしていると、「発達外来」と看板に書いてあるのを見つけた。 県内で発達を診てもらえるのは、大きな病院しかないものだと思い込んでいたため、小児科でも診てもらえる所があるのだととても驚いた。 電話で問い合わせると、英太は数ヶ月後に発達専門の大きな病院の初診を控えていたため、診断はできないけど、心配なら発達の様子を診てもらえるとのことだった。 偶然キャンセルが出て数日後に診てもらえることになった。 大きな病院の初診を数ヶ月後に控えていたけど、当時の私はとにかく英太が話さない理由やコミュニケーションが取れない理由を一刻も早く…
心も体もボロボロなのに、 「まだ大丈夫」 「耳鳴りもそのうち治るはず」と放置してしまった。 精神的に限界になってしまうと、 「人に頼る」 「相談する」 という行為さえ出来なくなってしまうのだと分かった。 人に頼るのも、人に悩みを話すのも、実はとても体力、気力がいることだと思う。 当時は、具体的に 「何が辛いのか」 「今後どうしたいのか」 など頭の中で自分の考えをまとめることが出来ない状態だった。 ただただ毎日が辛い。 ただただ父の病気や息子の障がいについて考えると、未来がどうなるか分からなくて辛い。 漠然とした悩みほど、 「誰かに話しても解決するものではない」と思ってしまった。 だから 何を…
泣きながら寝た夜、起きると体に異変が起きていた。 片耳に水が入ったような感覚で、人の声(特に低い声)が聞こえにくくなっていた。 でもその時は、耳に水が入ったのだと勘違いして、一週間も放置してしまった。 そして、片耳からは常に蝉の鳴き声のような音がしていた。 (次回に続く) ↓ポチッと応援お願いします。 にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net
(次回に続く) とても暗い内容になってしまい、申し訳ありません。 描いていても、とても苦しい内容ですが、当時はこのようなことを思ってしまいました。 現在は何とか前向きに生きておりますので、 前向きになれたきっかけや出来事などを今後描いていく予定です。 それまで読んでいただけたら嬉しいです。 自分が伝えたいことを伝えるまで、頑張って漫画を描いていきます。 ポチッと応援よろしくお願いします。↓ にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net
息子の二歳の誕生日の前日、私は「寝たきりになりたい」と思ってしまった。 今まで感じたことのない不安襲って来て泣きながらいつの間にか眠ってしまった。 この日の出来事を以前記事にしたのでリンクを貼り付けておきます。 momofamily.net (次回に続く) 前回のお話 momofamily.net 孤独な子育て momofamily.net 療育園に通いたかった頃 momofamily.net
親子教室の翌日は英太の誕生日だった。 一歳の誕生日の時は、英太が歩けるようになり、成長を沢山感じて心からお祝い出来た。 でも二歳の誕生日は、「もうすぐ二歳になってしまう」という不安な気持ちの方が大きかった。 二歳なのに喋らない。 二歳なのに指差ししない。 二歳なのに意思表示できない。 できないことばかりに目がいってしまい、英太の小さな成長や出来るようになったことを見逃してしまった。 (次回に続く) ↓ポチッと応援お願いします にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net 孤独な子育て momofamily.net 療育に通いたかった頃 momofamily.net …
親子教室での出来事で、心が打ちのめされてしまった。 (次回に続く) ↓ポチッと応援お願いします にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net 孤独な子育て momofamily.net 療育に通いたかった頃 momofamily.net
親子教室は、何も参加できないまま帰りの時間になった。 ママ友ができるかもと期待して来たけど、誰とも話す事なく終わった。 ただただ、より一層英太が他の子よりもパニックが酷いことを改めて認識するだけだった。 保健師さんは、英太をなだめるのを手伝ってくれたり、帰り際に色々と優しい言葉をかけてくれたけど、私はいっぱいいっぱいで何も聞こえない状態だった。 エレベーターに乗って鏡を見ると、ボロボロになった自分が映っていた。 (次回に続く) ↓ポチッと応援お願いします にほんブログ村 前回のお話 momofamily.net 孤独な子育て momofamily.net 療育に通いたかった頃 momofami…
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