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  • レイクサイドライン・バタデン。

    (出雲の母なる湖@宍道湖)二日間の日程で借り出したレンタカーを使っての宍道湖ドライブ。宍道湖の大きさは東西17km・南北6kmの長方形の湖で、大きさでいえば日本第7位。あまり大きい湖を見慣れていない目には、これで日本の7番目なの?と思うほどの大きさなのだが、お隣の中海の方が大きさ的には大きいのだとか。中海の境水道を通して日本海と繋がっているせいで、水質は僅かに塩分を含む汽水湖となっているのはご存じの通り。その絶妙な海水と淡水の混じり具合が、多彩な生物のゆりかごとなり、そして太古の時代から、豊かな水産物の恵みを沿岸の人々にもたらして来ました。特にスズキ・シラウオ・コイ・ウナギ・シジミ・ワカサギ・モロコエビは「宍道湖七珍(しっちん)」と呼ばれ、季節ごと出雲の郷土の味として通人に親しまれています。さて、一畑電車...レイクサイドライン・バタデン。

  • 夏出雲、神々の住む国へ。

    (旅立ちの夜に@東京駅八重洲口)のんびりと7月の播州の鉄道旅を綴っているうちに、もう次の旅が始まっていた。8月、人並みながら夏休みをいただいた私、どこへ行こうか思案投げ首。昨年は京都丹後鉄道で夏の一日を過ごしたのだが、今年はさらにもう少し山陰の向こう側、出雲方面へ足を延ばしてみることにしました。去年はクルマで行ったんだけども、今年はガソリンがとにかく高いこと、そして距離も京丹後よりさらに延びることもあったので、JRバス中国が運行する夜行高速バス「スサノオ号」で行って現地でレンタカー借りることにしました。え~?出雲なら「サンライズ出雲」なんじゃないの?というのもあるんですが、夏休みの土曜の夜の東京発なんて直前で取れるわけなかろうが(笑)。JRバスらしく、サイドにあしらわれた伝統のスワローマークがカッコいい。...夏出雲、神々の住む国へ。

  • うつろう、正しき、日本の四季よ。

    (復活の交換駅@法華口駅)国鉄北条線から北条鉄道に至るまで、起点の粟生から北条町までの13.8kmに交換設備が一つもなく、全線1閉塞で運行を続けてきた北条鉄道。片道30分程度の道程とは言え、全く交換場所もないので列車の増発も出来ないし、北条町発/粟生発もそれぞれ列車間隔は詰められて約一時間くらいが限界。日中はそんくらいの間隔でもいいけど、朝のラッシュ時間も一時間間隔では、さすがに乗客の利便性が図られているとは言えない状態にありました。そのため、2020年に同線のほぼ中間に当たる法華口駅に交換設備を整備。列車の増発が可能になっています。元々、国鉄時代は交換駅だったらしい法華口の駅。今でも相対式のホームの跡が残されているのですが、交換設備は現駅舎のホームの途中からレールを分岐させて、北条町寄りに改めて新設され...うつろう、正しき、日本の四季よ。

  • 白砂利の 瞼に見えた 白昼夢。

    (書き文字に歴史ありて@播磨下里駅)北条鉄道ぶらぶら旅。お次は網引から三つ戻って播磨下里駅。ここの駅もたいそう古い播州鉄道時代からの年代物の木造駅舎が残されている。そしてその駅の壁に掛けられている駅名標の年代モノっぽいところは凄い。何度も書き直されては使われているものと見えて、下に右書きの駅名が透けて見える。右書きって事は相当昔なので、これも開業当時からのものなのかな?と思ったのだけど、この播磨下里駅、開業当時は播鉄王子(ばんてつおうじ)駅という名前だったそうな。なにそのカッコいい駅名。ハンカチ王子とか青汁王子みたいじゃん(笑)。播磨下里の駅前。砂利敷きの車寄せに渋焦げ色の木造駅舎。自動販売機が少し無粋ですが、この時期コイン一つで水分が摂取出来るシステムというものはたいそうありがたいものです。焼けつくよう...白砂利の瞼に見えた白昼夢。

  • 鎮魂す ああ白鷺の 大翼や。

    (緑のトンネル@田原~法華口間)北条鉄道、粟生から北条町の約15kmを、機織り型でウロウロ。線路際に展開するにはあまりにも暑く、そして当初に目論んでいたレンタサイクルが借りられなかったという誤算もあり、ある意味腰を据えて駅撮り&車内撮りに勤しむこととする。起点から終点まで一貫して平板な北播の平野を走る北条鉄道、車窓のアクセントは乏しいのですが、ほんの一瞬、法華口の駅から田原の駅の間で涼やかな森のトンネルを抜ける。大きな川も渡らず、大きな山も越えない北条鉄道ですが、ここが唯一、沿線で一つだけのトンネルじゃないかな。夏の日差し降り注ぐ網引駅のホーム。加古川側の起点である粟生の駅から一つ目の駅。車輪が削ったレールの鉄粉がしみ込んだ赤茶けたバラストとホームが、強い日差しに焼き付いている。網引と言われて、海辺でもな...鎮魂すああ白鷺の大翼や。

  • 私の心は夏模様。

    (少年時代@北条町~播磨横田間)夏を音楽で語るならば、「夏が過ぎ風あざみ・・・」と歌った井上陽水の「少年時代」を思い出す人も多かろう。だが、歌詞冒頭にやって来るこの「風あざみ」という言葉がずーっと頭に引っかかってはいた。風?あざみ?なんとなく、なんとなくだけど、アザミ(薊)の咲く夏草の道を麦わら帽子の男の子が駆けて行くような、そんな夏を想像していたのだが、ひょんなことからこの歌詞がやはり植物のアザミを意識して書かれたものであることを知って、我が意を得たりと思ったものだ。北条町を出た列車は、そんな井上陽水が奏でる夏のような世界の中を走って行く。ちなみに陽水自身、この風あざみ、という言葉はなんとなくのフィーリングの表現で出て来た造語なのだと語っている。元々、彼の作詞はフィーリングと語感とリズムで音楽に乗っけた...私の心は夏模様。

  • 夏たけなわの、虫の知らせ。

    (小私鉄の終着駅@北条町駅)北条鉄道の終着駅・北条町の駅を傍らの踏切から遠望してみる。旅客の着発線が1面1線あるほかは、安全側線代わりの留置線が一本と、ホーム裏に修繕作業用のピットが1線あるのみの非常に小ぢんまりした設えである。留置線とピットで同じ形のNDCが3両寛いでいますが、その他に1年前にJR秋田支社より導入した国鉄型のキハ40が1両在籍しています。このキハ40の導入効果で、鉄道ファンには俄然注目度の高まった同鉄道。どうやら週末はキハ40の終日運用になるケースが多いようなので、私もそこら辺の走行シーンを含めて乗り撮りしたいな・・・なんて希望もあってやって来たところだったのですが、この日は朝の3往復で上がりという運用になっていて、どうやらもうすぐ粟生からやって来るキハ40が到着即入庫→車交でNDCのフ...夏たけなわの、虫の知らせ。

  • 神姫一転、豊穣の鉄路へ。

    (日本の名城・白鷺城@姫路市・姫路城前)前日は夜遅くに山陽姫路駅近くのホテルにしけこんで、シャワーだけ浴びて横になったのだがやはり旅の空というものは体が疲れていても神経が昂っているせいかあまりよく寝付けないものだ。それに加えて、泊まったホテルのエアコンがご丁寧に効きすぎていて正直寒かった(笑)。まあね、毎日35℃を超えるような猛烈な暑さだから、そらエアコン効いてないよりは効いてたほうがいいんだけども、モノには程度ってのがあるんだよなあ。とりあえずシャワーでもう一回温まって、短き姫路の一夜の宿を辞す。一応姫路まで来たので、朝から姫路城まで歩いてみたり。それにしても朝から暑い・・・姫路駅前から大通りの向こうにデンと聳える姫路城は、改めて目の前まで行ってみるとまあデカいね。手前を歩いてる朝の散歩の姫路市民と比べ...神姫一転、豊穣の鉄路へ。

  • 神戸・平家の宵祭り。

    (炭酸泉に癒されて@神戸・湊山温泉)猛暑の中、一日神戸電鉄を撮り歩き夜になった。夜になったらなったで、お腹も空いているのだけど、とにかく暑い中で歩き回った汗と汚れを洗い流したくてねえ。三木上の丸から乗った電車を長田で降り、そっからは神戸市営バスに乗り換えて、六甲山の麓にある「湊山温泉」へ。見た目は関西の銭湯らしく電飾ハデハデネオンギラギラの大衆銭湯ながら、温泉自体は平清盛の御前湯として開湯800年以上の歴史を持つ名湯で、この温泉も創業1891年とおよそ130年以上の伝統を持つ老舗銭湯である。源泉温度27℃の含鉄ナトリウム・カルシウム-炭酸水素塩・塩化物泉が加温及びかけ流しで利用されていて、この真夏の時期に源泉そのままの樽風呂や源泉浴槽の絶妙な冷たさは最高に心地いい。浴場では加温浴槽などはそっちのけでひたす...神戸・平家の宵祭り。

  • 播州の 城下に降りや 蝉時雨。

    (カーブの駅で小休止@三木駅)美嚢川のほとり、福有橋という橋のたもとにある三木駅。粟生方面に向かって大きくホームは右カーブしている。傾くのが遅い日差しの夕方、最新車両の6500系と1100系の交換シーン。神鉄の三木駅、以前はいかにも郊外電車の駅らしい雰囲気のモルタル造りの駅舎があったのだけど、何年か前に駅の隣の古民家から出た火事が延焼して焼けてしまいましてね。その後どうなったのか気になっていたのですが、それなりに立派な駅舎が再建されていました。まあね、新築だから、今風のどこでもあるような駅に見えてしまったんだけども、失ったものの思い出は美化されてしまっているのかなあ・・・新しい駅舎がなんかおさまりが悪く見えてしまったのも、そもそも北播の城下町・三木の街は、街並みが古いのだ。三木の駅から美嚢川沿いに歩くと、...播州の城下に降りや蝉時雨。

  • 夏草青く、粟生の細道。

    (夏草のカーブにて@市場~大村間)午後の日差し傾き、少しは風も涼しくなってくるのかと思いきや、北播の夏はその温度を緩めることもなく・・・三木を過ぎると、粟生線の本数は更に少なくなってしまうので、いきおい線路端に立っている時間も長くなってしまう。小野から先は基本的に毎時1本になってしまうのは、まがりなりにも神戸都市圏の交通を担う鉄道会社というには何とも心もとない。取り立てて何がある訳でもないような半農半住の住宅街の片隅で立っていると、虫取り網を持った子供たちが自転車で颯爽と通過していった。なかなかにしんどい神鉄行脚だが、30分以上待ってようやく現れた新開地行きの電車が、夏草の向こうからやって来た。夏草青く、粟生の細道。

  • 戦国の 播磨に咲いた 深情け。

    (城下の停車場@三木上の丸駅)三木城跡の高台の下にある三木上の丸駅に、粟生行きの電車がやって来た。三木城は、1400年代に別所氏の居城として建てられた北播州の平山城で、三木の街はその城下町として発展してきました。時は戦国に至り、全国統一を目指す羽柴秀吉の攻勢を受け、周囲から攻め立てられた三木城では、攻め立てる羽柴軍に対して別所軍による二年に亘る籠城戦が展開されたそうです。城内の住民や兵士が、生き延びるために城の塀に混ぜ込まれた藁まで食べたとも伝えられる究極の籠城戦は「三木の干殺し」と言われ、その結末はついぞ観念した別所長治が、城下の臣民と兵士たちの身の安全を保障させた上で、割腹した上で自らの首を差し出すという形で戦いの幕が降りたのでありました。三木上の丸駅を中心に、市役所や文教施設が広がるのが東側の上の丸...戦国の播磨に咲いた深情け。

  • モダン・タイムス、坂道の街。

    (坂道シリーズ@鈴蘭台西口駅)この日の午後は粟生線方面へ。鈴蘭台から一つ目、鈴蘭台西口駅。未だにピッカピカのダイエーが聳え立つ神戸電鉄の心臓部・鈴蘭台の駅からたった一駅で、とても静かな裏六甲の住宅街である。いかにも郊外電車の駅らしい佇まいが好ましい駅舎は、平屋造りで間口が大きい。朝のラッシュ時間だったら、次から次と通勤通学客が押し寄せるのだろうか。まあそれにしても、駅前から住宅街に向かう坂道の急なこと。かくいう私も、生まれも育ちも駅から坂道ばかりの街であるので、妙に親近感が湧く。行きはよいよい下り坂、帰りは怖い登り坂。この手の街だとタクシーが結構幅を利かすんだけど、タクシープールはなかった。どうせ乗るなら、隣の鈴蘭台から乗ってしまうんだろうな。西鈴蘭台から50‰の勾配を登ってくる新開地行きの準急。粟生線の...モダン・タイムス、坂道の街。

  • 夏なれど、色はセピアの山の街。

    (昔からこの名前です@山の街駅)「こないな駅、カメラで撮ってどうするーん?」・・・通りすがりのオカンに言われた強烈ジャブ。なんか味があっていいと思うんだけどね・・・急勾配に挟まれた、その名の通りの「山の街」駅。山の中の新興住宅街に出来た新設駅みたいなイメージを勝手に持っていたのだけど、どっこい開設当時の昭和11年からこの名前らしい。そもそものこの駅、当初は鈴蘭台駅と箕谷駅の間にあった信号場で、その名も「峠信号場」という名前だったそうな。「とうげのしんごうじょう」から「やまのまち」なんて、何ともプラレールチックなネーミングだなあと思う。よく見ると、有馬口側の出口に立っている駅舎は、望楼のような二階建てになっていて、かつての信号場の建物っぽいんだよねえ。神戸電鉄に詳しい方、連絡お待ちしています。夏休みも近い、...夏なれど、色はセピアの山の街。

  • 万葉の、歴史ゆかしき名湯へ。

    (温泉場への乗り換え口@有馬口駅)神鉄の電車は、そもそもが「神戸有馬電気鉄道」として、神戸市街から有馬温泉を結ぶ鉄道として建設された経緯があることから、湊川から有馬温泉が有馬線、有馬口から三田が三田線と分かれています。本来であれば湊川~有馬温泉が本線格となりましょうが、普段の電車は三田方面に直通してしまうので、有馬温泉へ行く客はここで構内踏切を通ってお乗り換えになります。浦賀へ行く京急本線と久里浜線の関係みたいなものだろうか。有馬口駅に同時進入する、区間運転の温泉ローカルと新開地行き。日中の有馬温泉~有馬口間は、時間4本の15分間隔。2編成を使用し、有馬口の4番線で発着。有馬口で上下の電車との接続を取り、有馬温泉駅の1面2線のホームを使って交換を行います。この日は6500系の3連と1100系の3連が交互に...万葉の、歴史ゆかしき名湯へ。

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