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  • 鷹の羽ばたき、岬へと。

    (グランド照らす太陽の・・・@銚子電鉄・仲ノ町駅)GW前半戦は福島に行って阿武隈急行と福島交通を探訪して来たのだが、GWの後半は受験勉強と部活でほぼ全てを潰す勢いの子供から、唯一開いた一日に「どこかへ連れて行って欲しい!」というオーダーを受けたので日帰りで銚子電鉄に。銚子に行くのもだいぶ久し振りの話である。成田回りで電車で行ったのだが、カシマスタジアムでJリーグの試合があったようで、成田から佐原まで鹿島サポでもみくちゃになった。さすがのGWである。というか、銚子って遠いんだったっけ。千葉からでも二時間かかりますからねえ。209系の固い椅子にお尻が悲鳴を上げる頃合い、ようやく到着した銚子の駅。弧回り手形を買って仲ノ町に出れば、2024年・銚子電鉄の期待の新車「シニアモーターカー」こと銚子電鉄22000形(元...鷹の羽ばたき、岬へと。

  • 阿武急の、明日はどっちだ。

    (ちょっぴりレトロな「電車のりば」@阿武隈急行・福島交通福島駅)JR福島駅の東口からビル一本隔てた場所にある、阿武隈急行と福島交通の福島駅入口。県庁所在地の新幹線停車駅である福島駅には立派な駅ビルが建っていますが、ちょいと掠れたままの看板が波板トタンの通路の上に掛かっている。福島交通と阿武隈急行、福島駅からはどちらの路線も学生の利用が目立ちます。福島交通の探訪を軽く終えた後、ちょっと駅ビルの一階で軽くノンアルとお腹に入れるものを買って再び阿武隈急行へ。駅前で遊んできたのだろう、楽しそうな声を響かせながら、女子高生が仲良く二人、阿武隈急行のホームに向かって行った。福島発、20時台の下り電車槻木行き。折角来たからには乗り鉄はしておかないとね、ということで、改めて8100形の運用を狙って乗ってみた。福島からは買...阿武急の、明日はどっちだ。

  • 信夫山麓、翼を広げて。

    (飯坂電車の主幹駅@曽根田駅)福島駅から目と鼻の先にある曽根田駅。JRに間借りした形の始発駅とは異なり、小さいながらもしっかりとした造りの木造駅舎。もともとは電鉄福島駅という名前の駅で、構内には車庫を備え鉄道業務の中枢機能が置かれていました。現在は時間帯を区切っての有人駅ですが、かつての駅舎のスペースの一部にはお洒落なカフェが入っています。福島駅からは歩いても5分程度。駅の隣りには「ダイユーエイト」という南東北によく見る福島資本の大型ショッピングセンターがあり、人通りはそれなりに多い。街を往く人が電車に乗らずとも、立ち寄って、カフェのドリンクやスイーツを買い求める姿がありました。そう言えば、東急7000系時代は「ダイユーエイト」の広告がデカデカと入ったラッピング車両があったような気がするのだが、今は福島交...信夫山麓、翼を広げて。

  • おくのほそ道、細いホームと名刹と。

    (ハナミズキの咲く道を@花水坂~医王寺前間)飯坂の温泉街を背に、小川の鉄橋を渡って行く「いい電」リバイバル。小川というのは抽象的な名称ではなく、川の名前が「小川」という川で、摺上川の支流に当たります。この小川と摺上川の間に湧いているのが飯坂温泉。上流の穴原温泉と並んで、奥州三名湯に数えられる東北屈指の古湯です。飯坂と言えば、昭和の時代はいわゆるお色気的歓楽要素が強く、大勢の芸者衆がお座敷にかかった温泉場。北陸の加賀・山城もそうですけど、いわゆる「男の甲斐性」的な会社の慰安旅行なんかで賑わいを見せた温泉場ってのは、団体客やツアー客狙いの大型の観光ホテルを中心にした宿泊施設が多く、そういったものが時の趨勢により段々に衰退して行きました。大箱のホテルは廃業するか中国資本に買われ、あるいは伊東園ホテルズみたいな再...おくのほそ道、細いホームと名刹と。

  • 花水坂、春の熱湯コマーシャル。

    (終着駅の一つ前@花水坂駅)福島駅から走り出した飯坂電車。東北本線を乗り越し、福島市の郊外を北へ。左側に走る県道に沿って伸びる住宅街と、ロードサイドの店舗を眺めながら走る風景はちょっと退屈。その分、それなりに乗客は多く、各車両に立ち客を乗せながら短い区間で設置された駅にこまめに停車して行く。車庫のある桜水で運転士が交替。福島交通飯坂線、この規模の私鉄では珍しくツーマン運行。駅に停車するたびに乗客からキップを回収するために車掌がホームに降りて行く。一応「NORUCA(ノルカ)」という福島交通限定の鉄道・バス共通のICカードも導入されているんですが、Suicaのように全国共通のICカードではないのでそこまで普及はしていない様子。先日熊本市交通局では「全国共通ICカードからの脱退」の方針を打ち出し、クレジットカ...花水坂、春の熱湯コマーシャル。

  • Good Train いい電車。

    (シティトレイン8100@保原駅)福島交通軌道線・掛田駅の訪問を終え、阿武急の保原駅へ。福島行きの8100形に乗って、街へ出よう。GWの中日、電車の中は、市内に向かう高校生や若いカップル、そしてGWでも商用に勤しむ背広組などの様々な人種が席を埋めていた。阿武隈急行、福島県内区間は学生の利用によってそれなりの乗客数が確保できてはいるものの、やはり少子高齢化と過疎化による乗客減の波には抗えてはいません。単純な地方の少子高齢化による過疎化に加え、2011年の東日本大震災と、その後の福島第一原発事故では沿線住民の転出を招きましたし、以降も2019年の台風19号による福島~宮城県内における大規模な阿武隈川の氾濫、2022年の福島県沖地震と度重なる災害で、その都度長期の運休と10億円を超える規模の災害復旧費用を支出し...GoodTrainいい電車。

  • 馬面の 信夫文知摺 永久に。

    (バスなのに、駅?@福島交通掛田駅)さて、春の阿武急&福島交通探訪ツアー、阿武急の線路際を少し離れて、伊達郡の旧霊山町市街にやって来ました。現在は伊達市に組み込まれていますが、古くから「修験者の山」として信仰の対象となっていた霊山(りょうぜん)の麓の街。その町の中心地がこの掛田(かけだ)という地区なのですが、大通りに面した福島交通のバスターミナルとなっている営業所の事務所兼待合室は、木造の鉄道駅舎のような構え。よくよく見ると、建物の入口に掲げられた看板には「掛田驛」の文字が読めます。ここは、かつての福島交通軌道線の終着駅・掛田駅でした。福島交通の開業90周年記念事業として、鉄道が通っていた頃の姿に復元。建物の内部を「軌道線ミュージアム」とし、当時の鉄道備品や写真を展示。その記録を後世に残す取り組みが進めら...馬面の信夫文知摺永久に。

  • 阿武急に、キハのいた時代。

    (角田盆地を真っ直ぐに@横倉駅)横倉駅を見降ろす陸橋から。穀倉地帯の角田盆地を真っ直ぐ南北に貫く阿武隈急行。槻木から丸森までの17.4kmは、かつての国鉄丸森線として開通した区間です。将来の福島延伸を見込んで建設に着手した丸森線は、昭和43年に槻木~丸森間を開通させた後、長い間国鉄の財政悪化に伴って未成部分の開通に漕ぎ付けることが出来ず、盲腸線のまま放置されていました。昭和61年7月に、福島までの路線延長は地元の手に託すことを視野に入れ、国鉄丸森線は第三セクター化。受け皿会社として設立されていた「阿武隈急行株式会社」に引き取られたのですが、阿武隈急行が昭和63年7月に福島開業を果たすまでの約2年間、槻木~丸森間は非電化のまま暫定開業となっていました。国鉄からキハ22のリースを受け、白地に青のラインを入れた...阿武急に、キハのいた時代。

  • 山青く、水は緑の猿翅峡。

    (阿武隈山地の緑を集めて@阿武隈渓谷)福島・宮城県境の阿武隈川は、蔵王山脈の南麓と阿武隈高地の北端のせめぎ合う場所を渓谷を刻んで流れています。これが阿武隈渓谷なのですが、切り立った崖と深い谷というよりは、岩肌を露わに早瀬が続く急流という感じ。関東で言えば、埼玉の長瀞あたりの風景に近いですかね。阿武隈渓谷も長瀞も、盆地から平野の間の山間部の渓谷ということで、形成される地形の雰囲気が似てしまうのでしょうね。ちなみに、長瀞と同じようにこの阿武隈渓谷にも「ライン下り」があります。阿武隈渓谷のライン下りは、もう少し下流の宮城県の丸森町から出ているのですが、動力船による周遊のようなスタイルなので、船頭さんが竿を使って船を操り、流れを下って行く・・・というものではありません。GWということで船着き場は賑わっておりました...山青く、水は緑の猿翅峡。

  • コードネームはABQ。

    (ハナミズキの並木を横目に・・・@新田駅)近代的な集合住宅が立ち並ぶ新田の駅を出て行くAB900形。ハナミズキの桃色が鮮やかである。阿武隈急行の主力車両であるAB900形は、JR東日本の東北地区の最新型車両であるJRE721系の三セクバージョンです。日本全国どこへ行っても古い車両にシンパシーを感じてしまう私は、どうしても8100形ばかりを追い掛けてしまうのですが、圧倒的に多数はこちら。JRE721系は、阿武隈急行の他にも仙台高速鉄道や青い森鉄道にも投入されている車両ですが、各社ともJR線への乗り入れをおこなう業者なので、規格が揃っていた方が扱いやすいのでしょう。ちなみに、AB900形は、「A=あB=ぶ900=きゅう」の語呂合わせなのだそうで。ダジャレか。春の阿武隈路を、レッドフェイスのAB900形が走って...コードネームはABQ。

  • 絹の糸、思い出紡ぐ綿帽子。

    (残雪の山遠く@新田~梁川間)阿武隈急行線は、旧国鉄の丸森線として作られた槻木~丸森間以外の区間は昭和63年(1988年)に作られた完全なる新設路線です。三陸鉄道、秋田内陸縦貫鉄道や野岩鉄道などの東北の他の第三セクターと同様に、国鉄時代からの計画を地元が引き受けて鉄建公団線として開通させたもので、線路は盛り土や高架、掘割を積極的に取り入れ、その他の部分でも交差する道路はオーバーパスかアンダーパスをしていて、とにかく踏切がありません。いきおい、撮影地として選定されるのは線路をまたぎ越す陸橋からの撮影が多くなるのですが、田んぼの中の高架橋に上がると、春霞の信達平野からは僅かに雪を残す栗子連峰が望めました。午前中の富野ローカルで福島へ折り返していく8100系。東北本線のバイパス的な要素を持たせ、輸送力増強と、災...絹の糸、思い出紡ぐ綿帽子。

  • 若葉青葉の満漢席。

    (阿武隈渓谷の秘境駅@兜駅)阿武隈急行は、福島盆地から阿武隈川に沿って宮城平野へ向かう路線ですが、その福島盆地から宮城平野の間には、奥羽山脈の南端にある蔵王連峰と阿武隈山地の山が迫り出した隘路があります。東北本線では、藤田から貝田にかけての国見越えに当たる部分になりますが、阿武隈急行はここを阿武隈川が刻む渓谷とともに進んで行きます。官営鉄道が白石回りになったのは、この阿武隈渓谷沿いの隘路を切り開くだけの土木技術がなかったから・・・という説が有力ですが、阿武隈急行は富野から丸森にかけての渓谷の区間を、高架橋と断続的なトンネルで交わしていきます。この区間は県境の山間部ということで差し当たって目立つ集落や街もなく、各駅間の間隔も非常に長くなるのですが、そんな場所にあるのがこの兜駅。渓谷を望む片面ホームが高台にあ...若葉青葉の満漢席。

  • 阿武隈の、水と緑のストライプ。

    (あの光るのが、阿武隈川@阿武隈急行・向瀬上~瀬上間)遥か那須岳の北麓に源を発し、福島県の中通りから宮城県の南部を流れ太平洋に注ぐ阿武隈川。その長さは約240km。東北では北上川に続く第2位、全国でも6番目の長さである。高村幸太郎が「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川」と智恵子抄に書き記した、福島の心のふるさととも言える南東北の大河です。朝の少し冷たい空気の中、長い長いトラス橋が、揺らめく川面に写っている。時刻は朝6時を少し前、梁川発の始発電車が、幾何学模様の造形美の中を駆けて行きます。と言う訳で、話は今年のゴールデンウィークに。今年は前半三連休・後半四連休という分かれ方をしていたのですが、比較的天気が良く行楽日和が続きましたね。そんなGWの前半戦を使って、福島県の二路線・阿武隈急行と福島交通を探訪し...阿武隈の、水と緑のストライプ。

  • 高津戸の桜、春風に舞う。

    (桜屏風を見降ろして@上神梅~大間々間)すっかりホルモンとビールでいい気分になって、もうこれで帰ってしまってもいいかな・・・という気分を巻きなおして桜の撮影地へ。渡良瀬川が高津戸ダムによって流れを緩める淵に「戸沢」という集落があるのですが、その入口から築堤を走る線路沿いに立派な桜並木があります。ちょうど線路がカーブする辺りに覆いかぶさるように桜が咲いていて、見上げる形になる水沼の桜並木とは違った趣があります。まだお目当てのトロッコが来るにはだいぶ前の時間なのですけど、早くも三脚を立てて構える人も多く、名撮影地なんだなあと。まあ、この桜の咲きぶりを見れば、誰でもそうなりますかね。満開の桜を横目に走り去るわ鉄の普通列車。おそらくクラツーで使われた増結対応がこの日はそのまま運用に入っていた。トロッコ以外の列車も...高津戸の桜、春風に舞う。

  • 花の賑わい、豚の味わい。

    (花の駅、「こうべ」じゃなくて「ごうど」だよ@わたらせ渓谷鉄道・神戸駅)桜の水沼を後にし、やって来た列車は、後部に増結車を配した2連。日帰りバスツアーの団体客の入れ込みがあった模様で、春の桜と秋の紅葉はやはりわたらせ渓谷鉄道の一番の書き入れ時であることを実感する。到着した神戸駅は、満員の2両編成から吐き出された観光客で大混雑。始発駅の桐生から乗り越してきた客で車掌さんも大わらわ。花の駅である神戸駅、桜は満開であったが、残念ながらハナモモは終わっていた。それにしてもこの人混みよ。「ぐんまワンデーフリーパス」はこの先の沢入(そうり)駅までなので、ここで東武DRCを使った列車レストラン「清流」で食事でもして折り返そうかな・・・なんて思ってたんだけど、とてもそんな状況じゃないのであった。花見客で賑わう神戸駅。増結...花の賑わい、豚の味わい。

  • 春のうららの黒保根に。

    (わたらせの桜満開@黒保根運動公園)水沼駅に隣接する黒保根運動公園の桜。現在は桐生市に合併していますが、昔はここは勢多郡黒保根村。ここ水沼の駅前に村役場が置かれていました。わたらせ渓谷鉄道線に沿って、駅周辺に続く桜並木が見事です。この日は晴れ予報ということで勇んで出かけて来たんだけど、青空が見られたのはほんの少し。この時期は晴れていてもガスったり、中国の方から黄砂が飛んできたりとなかなかすっきりとした青空を望む事が出来ません。まあ、雨が降らなかっただけマシということか。満開を少し過ぎ、爛熟の桜に風が吹けば、はらはらと風に散る花弁。年配の夫婦がのんびりと歩く後ろ姿。黒保根の、麗の春です。桜並木の中を、わたらせ渓谷鉄道の看板列車である「トロッコわたらせ号」がやって来た。DE10に、12系客車と京王5000系を...春のうららの黒保根に。

  • さくらのわてつ。

    (桜とハナモモ、覇を競い@水沼駅)満開のシーズンは短かった今年の桜ですが、美濃方面ともう一つ・・・ということでチョイスしたのが、わたらせ渓谷鉄道の桜。天気は一応、花曇りという感じの明るい曇りでした。今年の桜、結局青空で拝むことは出来ませんでしたね。わたらせ渓谷鉄道は、群馬県の桐生市から足尾銅山で有名な栃木県の旧・足尾町(現・日光市)の間藤までを結ぶ第三セクター。奇しくも、今年は樽見鉄道・長良川鉄道・そしてわたらせ渓谷鉄道と、国鉄ローカル線が三セク転換された路線の桜を巡ることになりました。今までは、割と純粋な民間資本の地方民鉄を回ることが多かったんですけど、三セク会社にも、ロケーション的には非常に素晴らしい路線が多く眠っているのも確かではあります。この日は「ぐんまワンデーパス」を使って動いていたんだけど、沿...さくらのわてつ。

  • 美濃の春、咲くや桜花のそれぞれに。

    (中濃の町、宵闇の桜@富加駅)柳屋食堂の「とんちゃん・けいちゃん」でお腹を満たし、やって来たのは富加の駅。前回長良川鉄道を訪問した時、雰囲気ある木造駅舎と桜の木があったのを覚えていたんですよね。日が暮れて、宵闇が辺りを包み始めた頃合いの空の色が好きだ。ちょっと洒落た言い方をするとブルーモーメント、なんていうんだけどね。以前はライトアップをしていたらしい富加の桜、今年は自然光と、暮れて行く空の下で、淡く白い花びらを咲かせていました。長良川鉄道の駅は、この駅のみならず構内踏切が駅の真ん中にあることが多い。上下の列車は、踏切を挟んでシンメに停車するんですけれども、おそらくこれは列車の鼻面を揃えて、通票(スタフ)の交換をしやすくしていた時代の名残りなんでしょうけど。構内踏切のブザーが鳴って、美濃太田行きの気動車が...美濃の春、咲くや桜花のそれぞれに。

  • 関下有知、圧巻の桜並木。

    (圧巻の桜並木@長良川鉄道・関下有知~関市役所前)樽見鉄道と、名鉄谷汲線の桜を巡りながら撮り歩く桜の旅。谷汲山でお参りを済ませた後は、大きく場面転換をして長良川鉄道に転戦しました。樽見鉄道に負けず劣らず、長良川鉄道の沿線も桜の美しいことでは非常に有名な路線。本当であれば、一日は樽見鉄道+谷汲線、もう一日が長良川鉄道というスケジュールでじっくり回れればよかったのだけど、日帰りの身ではそういう訳にも行かず・・・近場の美濃市以南の桜を見に行くことにしました。やって来たのは線路沿いの桜並木が見事な関下有知駅の桜。長良川鉄道の桜と言えばここかな?というくらいには有名な場所です。花の咲きぶりとしては満開に少し早く、八分から九分くらいの咲きぶり。それでも長いタマを使って圧縮すればより迫力が出ますね。それにしても谷汲から...関下有知、圧巻の桜並木。

  • 愛岐の名車、桜と眠る。

    (名鉄600V、北縁の防人@モ755)樽見鉄道沿線の桜を愛でつつ、再び名鉄の谷汲線沿線まで戻って来ました。訪れたのは終点の谷汲駅。ここには、モ755とモ514という名鉄600Vを代表する2両の名車が、今でもきれいな形で保存されています。廃線の後、郷土の鉄路の歴史を残すための鉄道保存の取り組みについては、村の議会では負担が重すぎるとして予算が付かなかったのだそうです。現在の谷汲駅での車両保存は、村の議会でいったんは否決されながら、地元有志の熱心な働きかけによって名鉄からの譲渡に漕ぎ付けられたもので、それだけ谷汲村民にとってこの赤い電車が大きな存在だった・・・ということが分かるエピソードでもあります。西国三十三か所霊場巡りの中では、一番東に位置する谷汲山華厳寺。名鉄谷汲線の前身である谷汲鉄道が、谷汲山への参詣...愛岐の名車、桜と眠る。

  • 高科、桜盛りの里にて。

    (瀬をはやみ、根尾の流れに@日当~鍋原間)桜の写真を中心に撮り歩く根尾谷・樽見鉄道の旅。今年は桜の開花が遅かったせいか、桜と山々の芽吹きが同時に訪れている。そんな根尾川の谷は深く、そしてその水は蒼く清冽に流れております。第6根尾川橋梁を行く「うすずみ観桜号」。樽見鉄道は終点の樽見までに根尾川を10回渡るのだが、そのうちの8回は神海から先の新線区間。橋を作る事やトンネルを作る事に関して、安定的な土木技術が確立した時代の路線ということが出来ます。根尾谷にこだまするNDCのタイフォン、あっという間に車両は足元の舟山トンネルに吸い込まれて行きました。桜の高科駅。樽見鉄道の各駅、この時期どこの駅にも桜が咲いていて訪れる人の目を楽しませてくれている。開業したのが平成の初期、植樹されたのもその頃だとすると、樹齢としたら...高科、桜盛りの里にて。

  • 世界に轟く「根尾谷」の名。

    (飲んで、乗り過ごして、あれ・・・?@高尾駅)神海から先の新線区間。深い谷を刻む根尾谷に沿って、トンネル&鉄橋&トンネル&鉄橋でストレートに樽見を目指すその途中、根尾川に沿った僅かな明かり区間の途中にある高尾駅。この「集落の位置と合わない高い位置にある森の中の小駅」というのは、いかにも「昭和の鉄建公団線の設計だなあ」ともいうべきバリアフリーのなさという感じがします。この時代の鉄建公団線、例えて言うならA市とB市をなるべく真っすぐトンネルと鉄橋で結んで連絡させることに重きを置いていて、その通過途中にある小駅についての利便性は特に考慮されていないのが特徴。なので、駅の名前になっている集落が駅から平気で2kmくらい離れてたり、主要国道から細道をたどった先の山の中にあったり、およそ地元の普段使いに馴染まない場所に...世界に轟く「根尾谷」の名。

  • 日当、桜の仁義。

    (日の当たる駅@日当駅)国鉄時代の樽見線は、美濃神海より先にも延伸計画があり、昭和40年代中期から実際に新線区間の工事も開始されていました。しかしながら、大量の赤字ローカル線を抱え過剰債務に陥っていた国鉄の再建計画の余波を受け、昭和50年代になってその工事が凍結。大量の未成区間を残したまま、特定地方交通線入りしてしまいました。その後、昭和59年の第三セクターへの移管を経て工事が再開され、終点の樽見までの10kmあまりが開通したのが1989年(平成元年)のこと。おりしも昭和の末期から平成にかけて、「ふるさと創生」なんて言葉が日本列島を駆け抜けた時代でもあります。本当であれば、特定地方交通線の延伸計画区間ってのはそのまま工事凍結→事業中止となる訳なんですけども、確か地元が路線を引き受けて運営する意思を示せば無...日当、桜の仁義。

  • 花弁舞い散る、記憶舞い戻る。

    (桜の駅、賑わい@樽見鉄道・谷汲口駅)名鉄谷汲線の廃線跡に、在りし日の憧憬を追う桜旅。少し廃線跡から離れ、根尾川を渡って樽見鉄道の谷汲口駅へ。岐阜県の西域を流れる根尾川の流域は、「根尾の淡墨(うすずみ)桜」で名高い桜の里。この時期は「桜ダイヤ」として日中の増便増車がかけられ、年で一番のお祭りムードになります。そして、花の便りに沸く樽見鉄道沿線でも随一の「花の駅」がこの谷汲口駅。根尾谷に春を告げる淡墨桜はエドヒガンの大きな一本桜ですが、この駅はソメイヨシノの系統。この時期、駅の周辺に植えられた桜が一斉に咲き誇り、普段は人影少ない簡素な造りのローカル線の駅に、多くの観光客が訪れます。花曇りなのが少し残念ながら、時を今かと待ちわびたように、ときめく春を謳歌する谷汲口の桜。駅を望む北側の踏切からの定番構図。現在は...花弁舞い散る、記憶舞い戻る。

  • 憧憬の 春に桜が 咲き乱れ。

    (来ない列車を待つ桜@旧名鉄谷汲線・更地駅跡)旧名鉄600V線区を辿る旅は、黒野から北へ。根尾川に沿って、谷汲へ向かう参詣鉄道の廃線跡を辿ります。根尾川沿いに開けた平野がやや狭まり、視界に山が近付きつつあるあたり。県道を少し折れた集落の路地裏に、ひっそりと一本のホームがありました。これが旧名鉄谷汲線・更地(さらぢ)駅跡。ここに駅があったことを示すかのように、ホームの傍らに立つ一本桜。谷汲線が現役だった頃は、春になるとこの一本桜とオールドタイマーの赤い電車の組み合わせを求めて、多くの鉄道ファンがこの駅を訪れたそうです。電車が来なくなってはや四半世紀弱、今年も春を迎え、今年も桜が咲き、そして駅のホームが静かに来ない電車を待っていました。名鉄谷汲線の更地駅。何年か前、この駅で撮られた写真の数々に触れる機会があり...憧憬の春に桜が咲き乱れ。

  • ああ追憶の600V。

    (ああ、追憶の名鉄600V@黒野レールパーク)北陸新幹線の敦賀開業前の話をしていたら、既に年度末が過ぎ、桜の時期になってしまった。今年の桜は例年に比べると咲く直前の天候の悪さで花の進みが遅く、新年度に入ってからようやく咲き始めるという体たらくであった。まあ自然の摂理に「体たらく」も何もないもんだが、この時期は桜の開花に合わせて撮影行動を取るのがカメラ趣味のあるある。ウェザーニュースの予報を眺めながら、「今年は3月22日過ぎに開花からの3月27日~28日満開」と読み、この年度末のクソ忙しい時に後ろ指を指されつつ有給の申請まで出したのに花の気配が全くなく・・・(その後有給は「忙しくって休めないっすよね!」みたいな感じでカジュアルに取り下げてしまった)。改めて仕切り直しの新年度。どこへ行くかは天気と花の咲き具合...ああ追憶の600V。

  • 車窓の闇に酔いしれて。

    (波止の終着駅@三国港駅)三国芦原線の終着、三国港駅。かつては金津から出ていた国鉄三国線が、京福電車の線路と並んでこの港町まで足を延ばしていました。福井県では、永平寺と並んで・・・というか、一番の観光地になる「東尋坊」の最寄り駅。もっとも、距離的には近くとも、バスは一つ手前お隣の三国駅からの方が本数も多い。便によっては三国港駅前も通るので、アクセスできないことはないのだが。どっちかと言えば、この駅は水産物を中心にした物資の運び出しのために作られた駅という雰囲気が強く、今でも残る錆びた機回し線が「貨物の駅なんだなあ」という雰囲気を醸し出している。木造瓦屋根の渋い駅舎が、いかにも地方私鉄の終着駅らしい。えち鉄の終着駅は、勝山も三国港も、どちらもいい駅舎を持っていますよね。駅前の道路を隔てると、九頭竜川の大きな...車窓の闇に酔いしれて。

  • 便利さと、使いやすさとプラスワン。

    (変わる分岐駅@福井口駅)勝山永平寺線と三国芦原線の分岐駅である福井口の駅。地上時代は、路線別でそれぞれのホームがあり、勝山から三国港方面に向かうには構内踏切を渡って乗り換えなくてはならなかったのを思い出す。現在は三国行きも勝山行きも同じ番線から発着するので、バリアフリーの観点からは便利になった。高架後のホームの構造は島式ホーム1面2線と地上時代に比べて番線は減っているのだが、非常時の折り返し用のためなのか勝山/三国側に切り欠きのホームがある。通常ダイヤでこのホームを使う列車はなく、普段は車庫への出入区線として使われているようです。三国芦原線は、勝山永平寺線よりもより郊外の住宅地の路線という性格が強い。特に九頭竜川の南側である新田塚駅の辺りまでは、何の変哲もない福井市内の住宅街が続いている。福井鉄道とえち...便利さと、使いやすさとプラスワン。

  • 趣のある街の駅。

    (昔は町の中心駅@松岡駅)現在はお隣の永平寺町と合併してしまったものの、以前は福井県吉田郡松岡町、五万石の石高を持った越前松岡藩の中心地にある松岡駅。駅の風格やよし、おそらくは越前電気鉄道として開業した当時からの、由緒正しき木造駅舎。永平寺口駅の旧駅舎と同様、車寄せの部分に丸い意匠がデザインされた瀟洒な駅舎である。行きがけの車窓から見て「おっ」と思わせるような雰囲気があった。こういう駅の持つ「街の顔」としての表情の良さ、末長く大事にしてもらいたいもの。越前松岡藩は、福井藩の藩主であった越前松平氏の一族が治めた城下町でありましたが、その越前松平藩は一枚岩とは言えず・・・度重なるお家騒動の末に、この松岡藩のような小さな藩を小分けに小分けに一族に分け与えるという財産分与のような形で半世紀に亘って迷走を続けました...趣のある街の駅。

  • 比島百景。

    (残雪の勝山盆地を行く@比島~発坂間)前に来た時にも、この辺りの線路際の路地をウロウロと撮り歩いていた記憶がある。その時の比島は夏だったのですが、今回の2月の終わりの訪問だったので、それなりの雪景色を期待していたんですけども、殺風景な冬枯れの風景はサマになっているとは言いがたいものがありますね。とにかく色がない。と言う訳で比島で昼近くまでああでもない、こうでもないとブラつきながらお腹が空くまで比島界隈でシャッターを切る。この日は、結局最後は比島から勝山駅まで歩いてしまった。チンタラ歩いても25分くらいだからどうということはない。普段は「25分も歩く」なんて言われたらウゲェ~ってなってしまうのだけど、とにかく旅先の撮り鉄はよく歩く。いつもの生活でもこのくらい歩けば、体重も今よりだいぶ少なくて済んだだろうにな...比島百景。

  • 比島、箱庭の路地裏物語。

    (おなじみ、終着駅の前の駅@比島駅)「終着駅の一つ前は、良い駅の法則」。それをことさらに意識したのが、このえちぜん鉄道の比島駅に降り立ってからだったろうか。永平寺口から先の勝山方面はガクッと乗客の流動が落ちる勝山永平寺線、九頭竜川の右岸に広がる勝山市街に対して、線路はわざわざ(?)人の少ない山裾の左岸を細々と走っている。暴れ川である九頭竜川に架橋することを避けたルート取りが昔からこの路線のネックになっていて、福井県で一番人口の少ない都市(人口2万人程度)とはいえ、勝山市街からの乗客を拾いきれない弱さみたいなものがあるんですよね。勝山へ向かう電車が軒を掠めるように小さい集落を通り過ぎるとき、忘れないで!と囁くように佇む比島の駅。福井から30分おきにやって来る電車も、2本のうち1本しか停車しない。わざわざこの...比島、箱庭の路地裏物語。

  • ジャンジャンと 鐘が鳴るなり 永平寺。

    (かつての乗り継ぎ駅のいま@永平寺口駅)前回えちぜん鉄道を訪問した際には訪れなかった場所をゆるりと回って行くことにして、でもどこで何を見る?とか特に決めていなかったのでなんとなく永平寺口駅で下車してみる。九頭竜川が大野盆地から勝山市を流れて福井平野に出る寸前、扇のかなめのような場所にある永平寺口の駅。地鉄で言うと愛本みたいな位置にある(分かりにくい)。今でこそ、勝山に向かう勝山永平寺線の中間駅でありますが、かつてはここから永平寺へ向かう永平寺線が分岐しておりました。その時は、駅名も「東古市(ひがしふるいち)」でしたよね。永平寺線が永平寺まで走っていた頃、確か中学生くらいの頃だったと思うのだが、何故か家族で真冬の高山と永平寺と東尋坊を見るツアー?みたいなのに行った記憶がありまして、その時の観光バスの車窓に映...ジャンジャンと鐘が鳴るなり永平寺。

  • 越前福井の夜明け前。

    (福井の美味いもの晩餐@福井駅前・福福茶屋)福井の夕食は、福井駅前にある「ハピリン」という名前の商業ビルの中にある「福福茶屋」で。この日は平日で、平日では通常の福鉄の一日フリー乗車券は使えないのだ。そのため、平日でも利用可能な「福福茶屋食事券付1日フリー乗車券(1,840円)」を購入していたのであった。ただまあ、フリーきっぷで1,480円の「福井名物定食」がいただけるし、夜7時以降の入店だとグラスビールが1杯サービスになるし、実質はフリー乗車券の部分がおまけになっているような(?)なかなかご機嫌なチケットである。撮り鉄、こういうイベント的なキップがないとひたすらコンビニメシで電車撮り続けてしまうからちょうどいいのよ。大好きな越前おろしそば、ミニ海鮮丼、昼に続いてのソースカツ丼のミニ丼三つに小鉢三種。のんび...越前福井の夜明け前。

  • シン・ジャパニーズトラム、見参。

    (FUKURAMを超えろ、ジャパニーズトラム@福井駅前~福井城址大名町間)福井城址大名町で青色のFUKURAMと交換するのは、「FUKURAMLiner」こと福鉄2000形。2023年2月に導入された、福井鉄道の最新型車両。2013年からFUKURAMこと福鉄F1000形を導入し、低床型新型トラム車両の導入に舵を切った福井鉄道。生え抜きの福鉄200形や、名古屋市交の改造車である600形などのステップ付きの経年の高床車を置き換え、「ああ、200形の引退は大変残念だけど、このまま福鉄はFUKURAMを軸にした車両の導入を続けて行くんだろうなあ」なんてぼんやり思っていたのですが、FUKURAMの導入は第4編成である1004Fまでで一旦お休みとなり、この「FUKURAMLiner」が1編成追加で投入されました。流...シン・ジャパニーズトラム、見参。

  • ヒゲ線今昔模様。

    (鉄軌分界点を行く@赤十字前~商工会議所前)北府駅で福鉄200形とのご対面を果たした後は、家久の駅で途中下車してJR北陸本線の日野川橋梁に行ってみたり・・・一応、北陸路を駆ける最後のサンダーバードの雄姿などを撮影したのだが、どうにも天気がどん曇りのままで冴えない写真を無駄に量産するだけに終わる。あ、そうそう、3月16日の土曜日に北陸新幹線はめでたく金沢~敦賀間が延伸開業したそうで、おめでとうございます。北陸本線の金沢~敦賀間はIRいしかわ鉄道と第三セクター・ハピラインふくいというキラキラネーム臭のする新設第三セクターが並行在来線として開業しました。今までは特急サンダーバードと特急しらさぎが毎時2本ずつ走っていましたから、線路容量の空いた分を使って増発したダイヤを組んでいて、地元密着の生活路線としての姿勢を...ヒゲ線今昔模様。

  • ずっとあなたが好きだった。

    (永遠のマイラバトレイン@福鉄200形)はい、北府駅に降りたのは、この駅で静態保存されている福鉄200形を見たかったからです。というか、福鉄に乗りに来た中の半分くらいはこのイベントで占められていたといっても過言ではない。高度経済成長期を飾った福鉄の誇る名車は、エバーグリーンな輝きを誇りながら活躍を続けていましたが、路線自体の低床化車両への統一を図るため、FUKURAM(福鉄1000形)の導入と引き換えに残念ながら平成28年に惜しまれつつ引退。その後は西武生の車庫でずーっと雨ざらしにされていましたが、福鉄を代表する車両かつイメージリーダーとして鉄道ファンや地元民から保存を望む声が非常に大きく、クラウドファンディングで資金を募った上で再塗装がかけられ、北府駅の入口の脇に保存されることとなったものです。福鉄20...ずっとあなたが好きだった。

  • 武生新からたけふ新。

    (元祖福井か、分家敦賀か@敦賀ヨーロッパ軒)敦賀の鉄道資料館のボランティアスタッフの方々に、「敦賀に来たら、お昼はカツ丼ですか?」なんて言われたので、駅の近くにあった「ヨーロッパ軒」に入ってみる。あれ?カツ丼で有名なヨーロッパ軒って福井市じゃなかったっけ?と思ったのだが、敦賀にも「ヨーロッパ軒」があった。調べると、元々の福井の店から出たのれん分けが敦賀のお店で、現在はそれぞれがチェーン展開して福井全県にその存在を見ることが出来るのだそうで・・・恥ずかしながら、ヨーロッパ軒って福井の本店の1店舗しかないのだと思っていたよ。意外に嶺北と嶺南でその味は微妙に違うらしく、福井県民的にも「どっちが好みか」みたいな話で北陸トンネルを挟んでバチバチやり合っているらしい。ヨーロッパ軒のカツ丼は、明治の時代に店主の高畠さん...武生新からたけふ新。

  • 欧州に続いていた波止場。

    (雨上がりの街を歩く@敦賀市内・気比神宮前)敦賀駅から、市内を循環する路線バスに乗ろうと思ったのだが、駅前に出る直前に行ってしまったらしい。敦賀の駅は、街の一番南端にあるので、中心部に出るには駅から徒歩10分程度の時間がかかる。駅前にいた福鉄バスのドライバーに話を聞いたら、「神宮の前は通る」ということで、ひとまず敦賀の街の鎮守様ともいうべき気比神宮に行ってみることに。バスの中から眺める雨上がりの敦賀の街、お出かけを決めた週はどこに行ってもずーっと天気が悪い予報で雨を覚悟していたのだが、雨こそ降らねど風が強く寒い。北陸道の総鎮守、そして越前の国の一之宮である気比神宮。正確には「氣比神宮」と書くらしい。創建は古墳時代に遡るというが、定かではない。相当歴史のある神社なんですねえ・・・その割に社殿がパリッとして見...欧州に続いていた波止場。

  • 鉄路の要衝、昔もそしてこれからも。

    (開業を待つ@敦賀駅コンコース)敦賀駅コンコースには、開業を待つ北陸新幹線の延伸区間の路線図が大きく掲示されている。今回延伸となるのは金沢~敦賀間のおよそ130km。今までは、特急サンダーバードで最速1時間10分程度だった同区間が、50分程度と約20分短縮されます。敦賀から東京までがシームレスに繋がることで、特に福井県の嶺北地域に与える影響度は非常に大きいものになりそうです。2月以降、北陸新幹線の延伸を伝えるテレビコマーシャルなどもかなり多くなってきましたよね。内容はまあ、延伸される地域の観光のアピールみたいな「どっかで見たな」系のものなのですが、BGMに使われているスカパラの「愛の讃歌」がよい。このブログを書いている時点で開業まであと一週間、開業後の敦賀は、どのように変わるのでしょうか。北陸新幹線の敦賀...鉄路の要衝、昔もそしてこれからも。

  • 北陸の翼・日本海縦貫線を駆る。

    (羽ばたく「THUNDERBIRD」@北陸本線・金沢駅)今回の旅行は、金沢ではなく福井への旅。かがやき501号から乗り換えるのは、北陸本線の特急列車たち。手にした「北陸応援フリーきっぷ」は、フリーエリアでは特急列車の自由席が乗り放題ということもあるのか、乗り継ぐ「サンダーバード14号」の自由席列はかなり長い。頭上の電光掲示板に踊る「THUNDERBIRD」の文字。何だか、アルファベット表記にすると、日本の列車ではなく、欧州の国際特急にでも乗り込むような不思議な感覚がある。日本海縦貫線を走るのも、残りあと一ヶ月となった特急サンダーバード。北陸と関西・中京を結ぶ動脈としての特急群、首都圏に住んでいるとなかなか使う機会もなく、使ったことがあるのは新幹線乗り換えで名古屋~米原回りの「しらさぎ」だけなんですよね。正...北陸の翼・日本海縦貫線を駆る。

  • 君が思い出になる前に。

    (北陸敦賀の一之宮@気比神宮)2月の半ばに、過日休日出勤をした代休を消化するということで天皇誕生日と合わせて5連休があったのですが、さすがに5連休も貰って何もしないのも勿体ないことこの上ない。2月の閑散期なので、飛行機なんかを取って四国とか九州とか行ってみたかったんだけど、正月に発生した能登半島地震で観光需要が収縮してしまった北陸地域への客入れを応援するべく、JRで「北陸応援フリーきっぷ」なるものが発売されているのを知る。東京都区内から北陸三県(富山・石川・福井)のJR・第三セクターが乗り放題で2万円ポッキリという好条件に乗っかって、3月16日に北陸新幹線の敦賀開業を控える福井県へ行ってきました。新幹線の開業により、敦賀から金沢までの「北陸本線」は、県営の第三セクター「ハピラインふくい」と「IRいしかわ鉄...君が思い出になる前に。

  • 信州の、メトロはレトロ。

    (ナガノメトロを滑るよに@権堂駅)元東急の8500系が滑り込む、夜の権堂駅。特徴的な地下駅の構造を支える細かい柱をスリットに見立てて一枚。権堂と言えば、昔も今も信州長野の最大の繁華街。長野電鉄の本社がある基幹駅でもあります。以前の権堂駅には、駅直結の商業施設として「イトーヨーカドー長野店」がありましたが、そのイトーヨーカドーが何年か前に撤退。善光寺に向かう大通りに建つ大きな建物もいつの間にか減築が行われ、現在はヨーカドーの後には綿半が入っています。最近、流通業界の大きなニュースになりましたが、イトーヨーカドーの店舗戦略が大きく見直され、北海道から東北、甲信越にかけての店舗は基本的に撤退方針という話が伝わって来ました。弘南バスの弘前ターミナルに隣接する弘前店や、同じ長野県内では上田電鉄の千曲川の鉄橋のそばに...信州の、メトロはレトロ。

  • 村山、旧駅舎慕情。

    (開業当時のそのままで@村山駅)村山橋の東詰め、川を渡って須坂市内入った場所にある村山駅。1926年(大正15年)に長野電気鉄道によって開業した当時のままの木造駅舎が残っている。屋代線・木島線が過去の思い出の中に消え去ってしまった今、長野電鉄の中で開業当時の駅舎を残しているのは長野側から桐原・朝陽・村山・中野松川・信濃竹原の五つのみになっている。長野電鉄を訪問する際、あまり訪問する機会のなかった駅ですが、弱い冬の夕暮れに千曲川の風が冷たく吹き抜けるこの駅の風情は、なかなかに豊かなものがあります。現在は無人駅になってしまいましたが、突き出した石油ストーブの煙突が郷愁を誘う。貨物ホームを擁する広い構内があった駅で、現在は、貨物ホームの跡が保線基地として使用されています。ホームから駅舎を眺める。古錆びたトタン屋...村山、旧駅舎慕情。

  • 内需を超えたインバウンド。

    (ああ、美わしの志賀高原@湯田中駅)週末の午後遅く、湯田中・渋温泉郷や志賀高原を訪れる観光客が、「ゆけむり号」に乗って続々と到着する。暫しの賑わいの中にある湯田中駅。コロナ禍を過ぎて外国人観光客も日本に戻りつつあるようだし、そして後押しする「円安」もあって、海外勢にとっての日本は「安くて・楽しく・安全」な観光地であるようだ。大きなバゲージを引きながら改札を出て来る彼らを出迎えるのは、雪国仕様の四駆のハイエースで乗り付けた宿の送迎係たち。お宿のお迎えという光景は、昭和の時代とそう変わらないのかもしれないけど、何が違うかと言えばご丁寧に英語で書かれた宿の幟旗だろうか。それこそ「スノーモンキー」で一世を風靡した地獄谷野猿公苑を擁する湯田中・渋温泉郷。インフレの中にあって内需を喚起しても日本人が踊らない中では、多...内需を超えたインバウンド。

  • 村山橋今昔物語。

    (上信国境を仰ぎ見て@村山~柳原間)上信国境の雪山をバックに、千曲川に架かる村山橋を越えて行く「ゆけむり号」。長野電鉄の前身、長野電気鉄道が県と共同で事業資金を拠出して建設した道路併用橋です。官営鉄道の走る県都・長野へ向けての鉄道の開通は須坂の街の人々の悲願であったのですが、日本一の長さを誇る千曲川(信濃川)に800mを超える長さの鉄道橋を建設することは当時の長野電気鉄道の財力では容易ではなく、電鉄側が架橋を県に請願した結果、同じような場所に道路橋の建設を計画していた県と利害が一致。「鉄道と県道の併用橋」とすることで県が6割・長野電気鉄道が4割を負担し、大正15年(1926年)に完成したものです。かつて、須坂の街から対岸の柳原村(当時)に渡るためには、千曲川に浮かべた船を板で繋いだ舟橋に頼らざるを得ず、少...村山橋今昔物語。

  • 信州「ロマンスカー」の系譜。

    (かつての本線筋を往く@桜沢~都住間)本来であれば、雪景色&ゆけむり号の組み合わせを求めて信州中野~湯田中間を中心に撮影をする予定だったのですが、あまりにも雪が少ないため里に降りてきてしまった。里は、より一層雪が少なく、色のない季節でよりモチーフ選びが難しい。桜沢から都住にかけての田園地帯、長電の中では比較的スピードの出しやすい高速ストレートが続く区間で「のんびりゆけむり号」を。古めかしい開業当時からの架線柱と、たくさんの碍子に通信ケーブルをくくりつけた「ハエタタキ」風の補助電柱がいかにも地方私鉄らしい風景である。現在の長野電鉄は、長野から湯田中間を一貫して「長野線」と称していますけども、開業時は屋代から須坂を経由し木島まで、千曲川の右岸を結んだ「河東鉄道」が建設した河東線がかつての本線筋でした。須坂から...信州「ロマンスカー」の系譜。

  • 雪よいずこ、冬よいずこ。

    (高社山雲隠れ@夜間瀬~上条間)折角スタッドレスを履いているので、冬だし、雪のあるところでしっかりと冬らしい写真を撮りたい。ということで、急に思い立って夜中に家を抜けだした深夜1時。雪を見るなら信州に行って、久し振りに小田急HiSEこと長電1000系ゆけむり号でもサクッと摘まんでこようかなというお手軽プラン。深夜の高速は最寄りのICから下仁田まで。先日冷やかした下仁田の駅をちらりと横目に、グイグイと真夜中の内山峠。佐久。雪なし。温泉休憩で早朝の戸倉上山田。雪なし。千曲から長野市内。当然のように雪なし。中野を過ぎて、夜間瀬川の扇状地に上がったあたりでようやっとリンゴ畑にうっすらと雪が積もっているという状態。地元民に言わせれば、降らないわけではないということなんだが、とにかくの異常な暖冬で降ってもすぐ溶けて全...雪よいずこ、冬よいずこ。

  • 雪よいずこ、冬よいずこ。

    (高社山雲隠れ@夜間瀬~上条間)折角スタッドレスを履いているので、冬だし、雪のあるところでしっかりと冬らしい写真を撮りたい。ということで、急に思い立って夜中に家を抜けだした深夜1時。雪を見るなら信州に行って、久し振りに小田急HiSEこと長電1000系ゆけむり号でもサクッと摘まんでこようかなというお手軽プラン。深夜の高速は最寄りのICから下仁田まで。先日冷やかした下仁田の駅をちらりと横目に、グイグイと真夜中の内山峠。佐久。雪なし。温泉休憩で早朝の戸倉上山田。雪なし。千曲から長野市内。当然のように雪なし。中野を過ぎて、夜間瀬川の扇状地に上がったあたりでようやっとリンゴ畑にうっすらと雪が積もっているという状態。地元民に言わせれば、降らないわけではないということなんだが、とにかくの異常な暖冬で降ってもすぐ溶けて全...雪よいずこ、冬よいずこ。

  • 上野の国の一之宮。

    (貫先神社の最寄り駅@上州一ノ宮駅)西毛に夜の帳が降りて、上州一ノ宮の駅。「ゆかりは古し貫前神社」と上毛かるたに謡われる、上野の国の一之宮・貫前(ぬきさき)神社の最寄り駅。富岡の街の西のはずれ、鏑川が刻んだ河岸段丘の上にあり、1500年の歴史を持つ、まさに「ゆかりは古し」神社なのですが、今の社殿も江戸時代に三代将軍徳川家光が建立したものと言われていて、「一之宮」としての格式の高さみたいなものが感じられますね。そんな神社の最寄り駅であるこの駅も、小さいながら立派な風格のある駅舎を持っており、平日は駅員さんも常駐しています。仕事帰りと思しき男性が、出札窓口でキップを購入。平日の午後6時過ぎ、上り電車に10人程度の乗客。上信電鉄らしい特徴のある独特の太文字で書かれた駅名票が目を引く。何というか、こう、ウナギが元...上野の国の一之宮。

  • 夕映え、学生の家路。

    (長い翳伸びて@上州福島駅)上州福島駅の線路脇に立つ、福島変電所。地方私鉄の線路端にある変電所、意外にも建設当時のモノがそのまま使われていたりして雰囲気がありますよね・・・。ここ、福島変電所も上信電鉄の社紋が白壁にくっきりと浮かんでいて。少し破れかけた変電所の窓のカーテンも、まあ地方私鉄の設備ってこんな感じだよなあという妙な納得感のある風情で。冬の西日に当てられる、白壁に伸びる架線柱の長い影が不思議な造形を結んでいます。西日を浴びて、側線に佇む廃貨車。レールの上に置かれている以上、「廃」ではないのかもしれないが・・・西上州の物資輸送を担う貨物の取り扱いも活発であった上信電鉄、自社発注の貨車もテム1~10の10両を製造しており、下仁田の白石工業から水濡れ厳禁の袋詰め生石灰を運んでいたそうだ。同じ下仁田からは...夕映え、学生の家路。

  • 西毛に、独立独歩で生きて来た。

    (こちらも貴重な自社発注車@上信6000系)単行運転が可能なデハ250系列に次いで、自社発注車の6000系がやって来ました。昭和50年代中期、まだまだ地方私鉄に元気があって、投資意欲も相応にあった頃に、新潟鐵工所で肝入りで製造された新型通勤電車です。その頃の上信電鉄は、世の中がクルマ社会へと変貌して行く中で群馬県の補助金を利用した近代化を進めていて、下仁田~高崎間に準急・急行を設定したり、2ヶ所の信号所(新屋・赤津)を整備して交換設備を増設したりと、スピードアップとフリークエンシーを高めて利用者の回復を懸命に図っていました。上信電鉄で一番輸送人員が多かった時代は昭和40年代前半の頃で、その当時は年間800万人を輸送していたのだから驚く。この6000系が出た頃くらいに上信電鉄は年間輸送人員が500万人を切り...西毛に、独立独歩で生きて来た。

  • 待てば海路の鏑川。

    (浅間遥かに鏑川@馬庭~吉井間・鏑川橋梁)下仁田のコロムビアで豚すき焼き定食をいただいた後は、すっかりいい気分になって当初の目的であったデハ251+クハ1301のコンビのことなんぞどっかへ行ってしまった。やはり美味いものというのは偉大である。食というもので十分な仇を討ったという気持ちで、とりあえず今日は終わりにしちゃっていいかな!みたいな(笑)。高崎に入庫してしまった運用がどこへ繋がるか分かりませんですし、いつ来るかも分からない状態で、沿線に繰り出して寒い中で出て来るのを待ってたら風邪ひいちゃうかもしんないし。持ってる「ぐんまワンデーローカルパス」は県内どこでも使えるから、高崎に戻って吾妻線で金島の金島温泉とか小野上温泉辺りまで行ってみようかなあ・・・と割り切った気分ではありました。一応SNSで上信の運用...待てば海路の鏑川。

  • 鉄鍋の中の下仁田。

    (西上州の@下仁田駅)お目当てのデハ251に入庫されてしまった自分。方向性を見失ったまま、ただただひたすら西上州をガタゴトと走る田舎電車に乗って、終点の下仁田に着いた。下仁田、何度目の訪問だろう。列車別改札の駅で、駅に着いたら駅員さんに急き立てられるようにとっとと改札を出なくてはいけないのはいつもの通り。まあ、断わってホームの風景を撮影することも出来るのだろうけど、マニアの割にはそういうことをあまりしたくない人間でもある。馬庭から乗って来たのは上信の現在の主力である元JR107系の700形。300形を中心とした上信電鉄生え抜きの旧型車の一掃のため、JRから107系を大量導入したのは2017年のこと。JR時代は新前橋電車区に所属して、両毛線&吾妻線や高崎~水上間の上越線ローカル運用に起用されていましたが、同...鉄鍋の中の下仁田。

  • 旅の始まりは、0番線から。

    (とある冬の日、0番線ホーム@上信電鉄・高崎駅)とある冬の日。ふらりと家を出て、湘南新宿ラインに乗り、高崎の駅までやって来た。最近、上信電鉄という私鉄が好きだ。地方私鉄で営業に供されている車両、最近はどこも基本的には大手私鉄のセコハンという流れにある中で、未だにそれなりの数の自社発注車が在籍していて、しかも東京から日帰り圏内の場所にある。最近になって、その中でも一番のお気に入りである自社発注車のデハ251(昭和の復刻上信ストライプ塗装)が久々にクハ1301とコンビを組んで【デハ+クハ】で運用に入っているという話を聞き及び、ついホイホイとわざわざ2時間半もかけて上州のからっ風に吹かれにやって来たのである。上信訪問でまずやるべきは、高崎線の車窓からの、上信電鉄車庫チェック。留置されているのは700がハムサンド...旅の始まりは、0番線から。

  • 富士だけは、変わらず僕を待っていた。

    (15年の時が流れ@JR御殿場線・御殿場~足柄)新東名高速道路の建設現場で日本の土木技術を堪能した後は、R246をそのまま御殿場方面に。この辺り、かつては沼津まで走っていた特急あさぎり、小田急のRSE20000系やJR東海の371系を追ってよく来ていたものだ。PCのフォルダから引っ張り出す15年前の写真。当時、まだ一眼レフを持ってから間もなく、連写の利かない入門用のカメラで一枚一枚パシャリ、パシャリと撮影していたのを思い出す。今見ると、色々と構図の詰め方が甘くて「?」ってなる写真なのだが、その時はこれでもきれいに撮れた!なんて思っていたのだから、今の機材を持って当時に帰りたくなる。もう「あさぎり」が沼津まで走っていたことを知らない若い子なんかもいるのだろうな。あさぎり自体は新宿~御殿場へ短縮されて先祖返り...富士だけは、変わらず僕を待っていた。

  • 土木で日本を変えて行く。

    (もはや神々の領域か@新東名高速道路・河内川橋)一応クルマ好きの嗜みとして、冬になったらスタッドレスに足元を履き替えて、何があってもいいようにはしているのですけど、昨年来全くこの冬寒くもなりませんでねえ。今んところ雪国に行く理由もないし、用事もなかったものだから、裏の倉庫にスタッドレスを仕舞いっぱなしにしていたんですよね。ただ、さすがにこのままではシーズンにスタッドレスに履き替えないまま終わってしまいそうだなって思ったので、重い腰を上げて1月半ばに足回りを冬モ-ドに変更して来ました。どうせ3月ごろには暖かくなってノーマルに戻してしまうことを考えると無駄な出費だなあと思うのですけど・・・。閑話休題、そんな理由もありまして、折角スタッドレスに履き替えたのだから少し山の方へ足を伸ばしてみようかなと、履き替えたそ...土木で日本を変えて行く。

  • いつものように、普段通りに。

    (マイ・ホームタウン・トレイン@大宮駅)日が暮れて、夜の帳の降りた大宮の駅。8111Fが、家路を急ぐ乗客たちの待つホームにゆっくりと入線して来た。東武野田線の大宮駅のホームは、串型の行き止まりの1面2線。昔っから大宮駅の一番東側にあって、ずーっと変わらない佇まい。そういう意味では、勝手知ったる風景だろうか。乗客の方も、特に変わったことはないような素振り。復帰してからの姿もすっかり馴染んでいるのか、それとも普段使いの人々はいちいち車両の動向など気にしないのか。逆に言えば、何の不思議なくいつものように普段通りに淡々と乗客を運ぶその姿が、東武鉄道を代表する通勤型車両としての矜持なのかもしれない。それでも、たまーに全くテツ要素のなさそうな若い女性が、あっ、なんだかいつもと違う珍しい電車だ!レトロな色遣いでカワイイ...いつものように、普段通りに。

  • 還暦が運ぶ、成人の誉れ。

    (カッチリ駅撮りで・・・@春日部駅)午後になってすっかりどん曇りを引き当ててしまったので、夕方便は大人しく春日部駅の大宮方で駅撮り。野田線の駅撮りとしては有名な場所だそうですが、島式ホームの広いところで割と安全に撮れるのでいいですね。この日も曇天にも関わらず白レンズ持ちの親子連れが撮影を楽しんでおりました。ホームドアの設置の進展や、撮影者の殺到による安全面や一般乗客への影響などの観点もありますし、そもそもの運転士氏の個人情報への配慮から、この手の駅撮りって文化も白眼視されてはいますけれども、まあ鉄道会社や一般客のご迷惑にならない範囲であれば・・・という気がしないでもない。最近の鉄道写真撮影は、「もう無理だよ」というキャパでも構わず撮影に飛び込む見境のない撮影者側の撮影態度に問題があって。オーバーフォトリズ...還暦が運ぶ、成人の誉れ。

  • 越すに越されぬ、利根運河。

    (水運の歴史と冬ざれと@利根運河)午後になってすっかり曇りベースの東葛地方。東武野田線を、運河の駅で降りてみる。「運河」って何ともそのまんまの駅名だよなあ。で、運河なんてどこにあるんだ!って遠来の人は思うのでしょうけど、ちゃんとあるんです。駅の隣りを流れる利根運河。江戸時代に完了した利根川の東遷事業により、銚子から利根川を遡行し、江戸川を下る水運ルートが確立しましたが、さらなる利便性向上のため、明治初期に利根川と江戸川の間を開削して完成したものです。今となっては運河らしい威厳はなく、水の乏しい住宅街の小川という感じなのですが、堀の深さだけが運河の名残りでしょうか。日本の運河って、京浜工業地帯みたいな海岸沿いの埋立地の中には結構あるけれども、ここまで明確に内陸部にある運河というのは珍しいですね。ただし、明治...越すに越されぬ、利根運河。

  • 右岸から、ご庄和願います。

    (国境のトラスを越えて@川間~南桜井間)江戸川の左岸で8111Fを撮影した後、今度は右岸に向かって撮影地を展開することに。江戸川の対岸に渡ること、いちいち駅まで戻らなくてもどっかに橋くらい架かってるだろと思っていたのだが、この辺り千葉側から埼玉側に行くための人間が通れる橋が全くなく、北に大きく迂回して1.5km先の国道16号の金野井大橋を渡る以外に方法がない。対岸500mくらい先に行くのに、お手元のGoogleマップで調べると「徒歩50分」とあるので、おとなしく川間の駅に戻って電車で対岸に渡ることにしました。多摩川や相模川あたりの感覚で橋があることを想像していると、利根川水系の橋のなさは結構驚く。利根川とか、10km単位のオーダーで橋がないのなんかざらだしね。それだけ川幅が広いってことなんでしょうけど。川...右岸から、ご庄和願います。

  • からっ風と、筑波おろしの中を。

    (首都圏最終防衛ライン@川間駅)8111Fを、東武野田線随一の撮影地である江戸川の鉄橋で撮影するべく、電車を川間の駅で降りる。以前、クルマに乗って撮りに来たことのある場所だけど、電車で来るのは初めてだな。川間の駅前、駅前に「ちばぎん」があるので千葉県であることが分かるのだが、雰囲気としては東葛・・・というよりは北埼玉寄り。駅前からは関宿方面に向かうコミュニティバスが出ていた。首都圏の北東方向の周縁部をなぞるように走る東武野田線は、東京を中心とする鉄道交通の最後の防波堤という感じがあって、アーバンパークラインっつーか首都圏最終防衛ラインって感じなんだよな・・・野田線の外側、特に柏~春日部のラインから外側って以前はかなりの鉄道交通僻地でしたよね。今は野田市と合併してしまったけど、旧関宿町の住民だけでなく、利根...からっ風と、筑波おろしの中を。

  • 変わらぬ味をいつまでも。

    (ひだまりトレイン大宮行き@東武8111F)この日一日、夜までは運用が確定している8111F。柏の駅でお出迎えを済ませた後は、撮ろうか乗ろうか逡巡しているうちに、車掌さんが発車の合図を出した。瞬間、脊髄反射で飛び乗った各駅停車の大宮行き。三連休の中日、まだ正月明けの雰囲気が残る朝の電車に冬の陽射しが注ぐ。11年ぶりに営業運転に充当されることも含め、現役復帰にはそれなりのリフォームが必要だったと見え、床張りなんかは新しくなってます。それでも、鋼鉄の塗りドアってのも今となっては珍しいですね・・・とても大手私鉄の令和の風景とは思えないのですが。そもそも、鉄道記念物的に保存されていた車両が11年も経って復帰すること。蒸気機関車とかではあるのかもしれないけど、大手私鉄の通勤電車でそんなことやった事例なんて聞いたこと...変わらぬ味をいつまでも。

  • 三度目の正直、8111F。

    (三度目の正直@東武8111F)元日の夕方に起きた能登半島地震、そして二日に起きた羽田の航空機事故。なんとも暗澹たる気持ちとやるせなさに明けた2024年の三が日。本当であれば、この三連休と合わせて比較的ゆったりした日程の正月休みだったんじゃないかと思うのだが、どうにも気持ちが落ち着きませんでね。家にいると、直接の被害を受けたわけでもないのに、どうしても被災地の情報を探したり地震のメカニズムなんかを調べたりしてしまうので、ちょっとこれじゃあいかんよなと。心がそっち方面に行ってしまって、ひたすらテレビとネットの情報に溺れているだけの正月じゃあなんともならないなと。現在進行形で被害が拡大している震災のことを忘れる訳ではないんだが、とりあえず外の空気を吸いに出掛けてリセットしたいよなと。一緒にめげてちゃしょうがな...三度目の正直、8111F。

  • 龍暴れる年明けに。

    (2024年初乗車@十国峠ケーブルカー)2024年、新年あけましておめでとうございます。元旦は朝の4時半に起きて、上の息子と静岡県は熱海市の十国峠まで初日の出を見に行ってきました。いつもは朝9時からの営業のケーブルカーも、この日ばかりは元旦の初日の出営業で朝5時から運行を開始しております。日の出の時間は6時50分頃と聞いておりましたんで、小田原厚木道路と箱根新道を登って現地到着は朝の6時。既に十国峠の駐車場は満車に近い盛況っぷり。去年は大山阿夫利神社の境内で初日の出を迎えたのですが、今年も乗り始めは鋼索線。淡い水色と白のパステルカラー&金太郎塗りのカラーリングがなんともかわいらしいケーブルカーは、昭和31年日立製作所製造の年代モノ。昔は青と赤の金太郎塗りだったような気がするんだけど、経営が伊豆箱根鉄道から...龍暴れる年明けに。

  • 行く年に寄せて。

    (来年こそは8111F@東武野田線・高柳駅)2023年の大晦日は朝から雨模様。基本的に大晦日なんてのは乾いた冬晴れになるのが関東地方の常なのですが、雨が降るというのは大変珍しい。調べてみたら2004年の12月31日に雪が降ったのが最後の降水記録らしく、1mm以上の雨(ないしは雪)の大晦日は19年ぶり。そうそう、この2004年の12月31日は南岸低気圧の通過で、北関東を中心に大雪になりましてね。大学のみんなと宇都宮競馬にとちぎ大賞典をクルマで見に行ったら、雪に降られてクルマが動かせずに帰れなくなったんでした。独身の時代は年末年始と言えども遊びに出かけて、それこそ水沢競馬に行ったり宇都宮競馬行ったり色々やってましたけども、家庭を持ってからは最近は正月休みに動くようなこともなく、31日は年越しそばを食べ、元日は...行く年に寄せて。

  • 霜月・山崎/師走・海芝浦

    (晩秋は黄金の輝き@玉野~山崎間)11月。・・・というか正確には12月の初めである。このブログでは触れていないのだが、12月の初めに、愛知県は稲沢市(旧祖父江町)に「祖父江のイチョウ」を撮影しに行った。小田原から豊橋まで新幹線、豊橋からは勝手知ったる名鉄の「まる乗り1DAYフリーきっぷ」で一宮へ。名鉄の尾西線は、一宮から津島に向かう名鉄の中では非常に地味な路線なのだけど、この時期だけは文字通り黄金の輝きを見せる。山崎から森上にかけての沿線にびっしりと植えられたイチョウの畑のなかを走る真っ赤な名鉄電車。個人的に、紅葉の中でもイチョウの葉の色付き(黄葉ですが)というものが非常に好きで、この「祖父江のイチョウ」には何年か前から行ってみたいなあと思っていたのですよね。黄色と赤のコントラストが非常に美しく、素直に「...霜月・山崎/師走・海芝浦

  • 長月・美濃高田/神無月・宇都宮

    (彼岸花咲く、西濃の土手@烏江~美濃高田間)9月。というか正確には10月の上旬なのだが、養老鉄道を訪問。8月のお盆過ぎから会社が忙しくなり、天候不順もあいまった9月はろくすっぽカメラを触っていなかったようだ。今回、改めて2023年の撮影成果のフォルダを眺めていたのだけど、いっちばん薄いのが9月なんですよね。連休2回もあったのに何があかんかったんだろうねえ。そうそう。この9月には5年連続で富山に行ってたんだよね。その記録も崩れてしまったんだよなあ・・・という9月の消化不良を抱えながらの養老鉄道。実は、そんなに積極的に行きたい!みたいな感じもなかったんです。富山になんとなく行きそびれて、その代替で訪問を決めたようなそんな感じ。それでも、近鉄や東急のオールドタイマーたちが活躍している姿を見るのは嬉しいこと。そう...長月・美濃高田/神無月・宇都宮

  • 文月・妙見ケーブル/葉月・秋鹿町

    (最後の夏を昇り降り@妙見ケーブル)7月は、三連休を利用して久々の関西遠征を。朝一番の新幹線に乗って、初日は7年ぶりくらいに神戸電鉄を訪問。新開地のホルモン屋でビールを煽って翌日は北条鉄道→能勢電鉄と回った関西2days。そうそう、このブログでは北条鉄道までしか触れなかったんですけど、能勢電が動かしている妙見ケーブルが年内で営業を終える・・・と聞いて、んじゃあ行くかってことで午後の三宮から「妙見の森きっぷ」を持って向かったんですよね。宝塚線の急行って名前ばっかりの急行なんで、十三から川西能勢口って案外時間がかかってしまい、能勢電を山下で乗り換えて妙見口の駅に着いたのが午後遅く。妙見ケーブルに向かうバスはとっくに終わってしまっていた。汗を拭き拭きカンカン照りの里山の道を歩くこと20分、兵庫県と大阪府の県境を...文月・妙見ケーブル/葉月・秋鹿町

  • 皐月・岩峅寺/水無月・西浦

    (自社発注車のご尊顔@岩峅寺駅)5月。GWは息子と一緒に一日だけJR東海の「休日きっぷ」と名鉄の「まる乗り1DAYフリーきっぷ」を使って熱田神宮やらセントレアやら犬山城なんかに行ったりしていた。割と2023年は中京地区・・・特に名鉄にお邪魔する機会が多かったように思う。神奈川県に住んでいると、割と名古屋近辺って新東名かっ飛ばしても新幹線乗っても近いよなあ。それに比べると、今年は割を食ったのが富山、ということが出来るかもしれない。ここんとこ年2~3回は行ってたんだけど、今年は1回しか行かなかった。自分的な興味が薄れている・・・と言うことでもないと思うのだが、さすがに行き過ぎた反動が出たということなのだろうか。理由を考えてみたのだが、なんとなく電鉄富山駅が高架工事中で以前のような雰囲気でなくなってしまったのと...皐月・岩峅寺/水無月・西浦

  • 弥生・藤の牛島/卯月・桐生球場前

    (弥生・春雨の大落古利根川@藤の牛島~春日部間)桜三月散歩道。三月は花の季節。初旬は梅で、下旬は桜。この時期は、天気はともかく花に合わせて動きまくっていた。晴天に恵まれた桜の三岐鉄道、宇賀川の桜も良かったけど、今回はあえて東武野田線・藤の牛島の桜を。満開の桜咲く大落古利根川のプロムナード。駅の近くで買った謎のお好み焼き屋のお好み焼きを齧りながら眺めた桜並木。8000系が元気に活躍する姿を映しておきたくて・・・なんて思いもあって撮影しに行ったのだけど、半年後に南栗橋で眠っていた8111Fが11年ぶりに本線に復帰するとは思わなんだ。ちょっとタイミングが合わなくて撮りに行けてないんだけど、今一番関東でアツい案件は東武野田線だと思う。来年の大落古利根川、8111Fと満開の桜を狙ってものすごい数のカメラが並びそうで...弥生・藤の牛島/卯月・桐生球場前

  • 睦月・夜間瀬/如月・東吾野

    (走れ!僕らのヒーロー@夜間瀬~上条間)おまっとさんでした、ということであっという間に2023年も12月となりまして、来年のカレンダーを作りながら今年を振り返って行こうという恒例の企画。こないだの土曜日あたりは半袖でもいいくらいの暑さで、とても年末なんて感じもしなかったのですが、それから二日三日であっという間に最高気温が10℃以下。あまりにも寒暖差が激しすぎて嫌になる。日本は夏と冬しかない「二季」の国になったなんて言われますけども、その二季が一週間の中で行ったり来たりするのはさすがに異常だと思う。私の写真のモットーは、なるべく風土と季節を上手に取り込みながら、見た人に「あ、ここ行ってみたいな」と思ってもらえるような・・・フワっと言うなれば「旅心をそそる」ような写真なのですが、このままでは季節もへったくれも...睦月・夜間瀬/如月・東吾野

  • 野岩の魅力と聖地化と。

    (野岩国境を往く@中三依温泉~上三依塩原温泉口間)会津西街道の山里に日暮れの訪れは早く、既に藍を流したような夕暮れが迫っていました。鬼怒川の上流に当たる男鹿川の源流部の河原に三脚を立て、列車の登場を待つ。寒いのと、クマでも出てきたらたまらないので、通過までは安全を期して車内にて待つことに。列車が湯西川温泉の駅を出た頃合い、時計を見計らって外へ出る。男鹿川を斜め一直線に渡って行くリバティ会津。車内の明かりに河原のススキが光る。新藤原駅の静かな夜に、野岩鉄道・61102Fを眺める。東武6050系、首都圏と会津のリレーランナーとして、平成時代を駆け抜けた会津快速の最後の末裔であります。野岩鉄道サイドも、この車両の今後の活用方法を模索する中で、クラウドファンディングを募って現在休車になっている61101Fの復活を...野岩の魅力と聖地化と。

  • 法衣、三依の帰依。

    (歴史の碑、秋に眠る@中三依温泉駅前)既に初冬の雰囲気のある、冷たい風の中三依温泉駅前。人跡未踏の山岳地帯を往く野岩鉄道の駅の中では比較的集落の中にある駅なんですが、駅前のロータリーの片隅に、ひっそりと植え込みに覆われた石碑がありました。「野岩鉄道会津鬼怒川線開通記念碑昭和六十一年十月九日中三依駅祝賀行事実行委員会」とある。当時は「温泉」はついてなくて、中三依温泉駅は中三依駅、お隣の上三依塩原温泉口駅は下野上三依駅という名前でした。野岩鉄道開通当時の時刻表を見ると、新藤原始発はなく、新栃木発や下今市で分割された東武電車がそのまま野岩鉄道まで乗り入れてくるダイヤだったようです。そして、中三依折り返しが一日3本。この辺りまでは沿線住民の乗車需要が高かったということなのだろうか。ただこんな石碑を残すくらいだから...法衣、三依の帰依。

  • 陰と陽。

    (山影に沈む@川治温泉~川治湯元間)午前中に撮影した川治湯元駅手前の第一鬼怒川橋梁。川治ダムの展望台から望む大俯瞰の構図。三年前の秋に訪れた際、素晴らしい紅葉の大パノラマを手中に収めたとてもいい思い出があり期待をしていた場所。しかしながら、秋の日は釣瓶落としとも言いますが、午後のそんな遅い時間ではないものの早くも山影に沈みかけていた。日の短い時期の山間部での撮影、晴れていた方が当然紅葉は映えるのでありますが、そうなるとどうしても本当に狙った光線で撮れる時間は短くなる。割と撮影の際は色々な場所で手数を出して行きたいタイプなので、こういうシチュエーションはいっそのこと曇ってしまった方が楽。いっそのこと、な川治ダム俯瞰。山の端から差す光線は紅葉の山々には届かず、僅かに橋の天板を照らすのみ。陰と陽のコントラストが...陰と陽。

  • 柚子の香ほのか、藤原の町。

    (野岩の拠点・野岩の要衝@新藤原駅)野岩鉄道、秋の臨電が新藤原のホームに憩う。一往復目の中三依温泉への行路が終了した61102Fが、今度は会津高原尾瀬口行きの二往復目の出発待ち。閑散としたホームに人影はなく、たまに起動するコンプレッサーの音だけが、昼下がりの駅に響いています。そうそう、そもそも野岩鉄道の車両って今までは野岩・会津持ちの6050系をひっくるめて東武の新栃木検車区でメンテの面倒を見てたはずなんだが、今後はどうするのだろう?日常の検査は新藤原でやって、重要部検査だけは新栃木とか南栗橋まで行ってやるのだろうか。もともと、野岩鉄道は運行や車両整備については東武と一心同体の会社なので、そこら辺の機能をほとんどアウトソースしてしまっているんですよね。駅舎に近い行き止まりのホームと、上下線がそれぞれの方向...柚子の香ほのか、藤原の町。

  • 龍王鬼怒の流れに遊ぶ。

    (シャンパンゴールドの競演・・・@龍王峡駅)秋の龍王峡にて。名もなき沢のせせらぎポイントでもう少し頑張ってみる。このせせらぎの横を通るハイキングコースは、紅葉狩りをする多くのハイカーがたくさん。沢に降りて三脚を構えている自分のことを、ちょっと興味本位で眺める人、私も撮ってみようかなんて、同じようにスマホを取り出し撮影をしていく人。お昼になって、トップライトに近づいて行く光線が明るく森を彩る。苔生す岩の間を流れる清冽な水と、小網トンネルを抜けて来た特急リバティ。どちらもシャンパンゴールドの色を成して流れて行きます。小網トンネルからひょっこりと顔を出す野岩鉄道の6050系。先ほどせせらぎで見送った中三依温泉行きが折り返してきたようだ。国鉄の新線計画の中で開業するはずだった野岩線は、鉄建公団の建設により福島県と...龍王鬼怒の流れに遊ぶ。

  • 黄金の淵に水湛え。

    (龍王峡・黄金のせせらぎ@龍王峡~川治温泉間)野岩鉄道は、何度もお話させていただいている通り鉄建公団が建設した高規格路線でありますが、趣味者における鉄建公団線の問題点というのは、とにかくルート上の障害物に関してはトンネルと高架橋でなんでもクリアしてしまうので、撮影する場所が極めて限られるということにあります。とにかく踏切を極端に避ける傾向と、住宅がある場合は人工掘割か地下に潜ってしまうし、山が近づけば勾配で交わそうとせずに長いトンネルを掘ってしまうし、川や谷に関しては高い高架橋で一跨ぎ。通常の鉄道路線のような「レベルの目線」で撮影出来そうな場所がほとんどないのだ。そうなると、実際に撮影できる場所というのは非常に限られていて、自由なアングルは組みにくい。取りうる手段と言えば、駅で撮影するか、高い場所から見下...黄金の淵に水湛え。

  • 土木と自然のマリアージュ。

    (野岩国境、天空を渡る@川治温泉~川治湯元間)川治向トンネルを抜け、川治ダム直下部の第一鬼怒川橋梁を渡る会津田島行きの特急リバティ。鬼怒川の刻む谷にかかるT字のやじろべえのようなPCコンクリートの高架橋、谷底からの高さはいかばかりか。野岩鉄道は、新藤原から会津高原尾瀬口までに三回鬼怒川を渡りますが、橋梁の附番やトンネルの番号は会津高原側を基準に付けられています。鉄道の「上り・下り」とかもそうだけど、基本的には首都圏基準でモノを考える鉄道会社の整理の仕方としては珍しい。建設が会津側から始められたことも要因なのだろうか。野岩鉄道は、国鉄の「野岩羽線」構想を元にした計画により国鉄新線として計画され、実際に着工も始まっていましたが、国鉄再建法に基づき新線の計画が差し止められ計画が凍結。全国に同様の未成線が多数発生...土木と自然のマリアージュ。

  • 川治湯元の秋景色。

    (温泉場の駅@川治湯元駅)野岩鉄道に唯一残る、東武6050系の忘れ形見61102編成が、まっすぐな高架橋を渡ってやって来ます。2017年まで、長年に亘り浅草~会津田島間の通称「会津快速」に充当される車両として、一都三県を跨いだ活躍を続けて来ました。東武・野岩・会津の三社を一気通貫で結んでいたため、その走行距離と輸送規模などを勘案し、東武6050系モデルを野岩が3編成・会津鉄道が1編成を持ち合い、全体としては一括の運用で使用されていました。このように、相互乗り入れにかかる車両の貸出料金を相殺するために、お互いに同一形式の車両を持ち合ったりリースしたりというのは珍しくなくて、京成-北総-住都公団とか、南海-泉北とか、相互乗り入れに絡んで色々な事例があります。野岩と会津の6050系は、それぞれが60000番台を...川治湯元の秋景色。

  • 五十里湖に 染まり切らずに 葉は落ちて。

    (五十里、秋深、陰陽。@中三依温泉~湯西川温泉間)冬枯れも近しと思しき野岩鉄道の秋。令和2年の秋に来て以来、3年ぶりの訪問となりました。およそ半月も経たないインターバルで、再び栃木県くんだりまで出かけてった訳ですが、秋になると色付いた山々を目当てに群馬とか栃木方面に行くってのはルーティンワークになりつつありますね。さてさて、今年の紅葉の色付きはいかばかりか、と夜更けの新4号国道をひた走り、五十里湖の八汐大橋に陣取ったのが朝7時。どうやら今年の紅葉、夏が暑すぎて葉の傷みがひどく、あまりいい感じの色付きでもないというのは事前に聞いてはいたんですよね。色付く前に散ってしまうか、上手く染まらず茶色に枯れるかの傾向にあって、どうにも「錦秋」という雰囲気には程遠い・・・という感じでしたねえ。そもそも、11月の中旬にも...五十里湖に染まり切らずに葉は落ちて。

  • 「街」のグランドデザインを考える。

    (秋の日の午後、鬼怒通り@峰電停)ジャンボ餃子定食を美味しくいただいた親子二人、再びライトレールに乗って宇都宮の街へ。駅へ向かう地元民らしい高校生の姿。鉄道マニアだけでなく、こういう人たちが乗ってこその新設LRTである。この鬼怒通り、沿道のお店がLRTの開業に合わせて再開発されていて、新しいお店やマンションが多く活気がある。ライトレール沿線のゆいの杜地区と同様、再開発の進む駅東口地区に若い世代の流入が進めば、さらなる街の活性化に期待が持てます。宇都宮ライトレールの沿線のコア層は、ゆいの杜地区に居住するファミリー層や工業団地へ通う労働者層と、今まではあまりクローズアップされなかった宇都宮駅東側の住民たち。今まではクルマかバス以外の移動の選択肢がなかったところに、駅周辺の商業地域との回遊ルートを提供したことに...「街」のグランドデザインを考える。

  • 宇都宮の、美味しい生活。

    (おいしいライトレール@峰電停)飛山城跡から鬼怒川を渡り、再び宇都宮の市街に戻って来ました。時間はお昼を少し過ぎたあたり、朝早く出て来た息子もそろそろお腹が空いている。宇都宮でメシということになると、そりゃあなんたって名物の餃子になるに決まっている。まあ何のひねりもない実に観光客っぽい行動なのだが、おそらくライトラインに乗りに来る人々も、往復乗車&街歩き&餃子というコンボで攻めに来る人が相当多いだろうということでご容赦願いたい(笑)。宇都宮の餃子屋さん、お手軽に済ませるなら駅ビルの中に「来らっせ」という餃子屋さんが何店舗か固まったフードコート的なものがあるのだけど、それじゃあさすがに面白くない。折角なら、ライトレール沿いに餃子屋がないかなあ・・・と思って探していたら、ありました。峰電停の真正面、「びっくり...宇都宮の、美味しい生活。

  • 鬼怒の川風、男体遥か。

    (撮る人・二態@芳賀・高根沢工業団地電停)工業地帯の大通りにある、芳賀・高根沢工業団地の電停を折り返して行くLRT。お試し乗車なのだろうか、出発する車両をバックにスマホで記念撮影する妙齢のご夫婦たち。そして、通りから狙うスーツ姿の男性。撮る人二態。この辺りまで来ると土休日では車通りは薄く、存分に併用軌道を走行するLRT車両を撮影することが出来ます。バックの森は「かしの森公園」の里山の森。大きく開発された工業団地も、もとは雑木林の広がる農村地帯であったのだろうと思われ、森の向こうにアーチ形の本田技研工業の栃木体育館が見える。福利厚生施設でこの規模なのだから、さすがは世界的自動車メーカーである。研究所の周辺は、ホンダ関連の従業員が使用する駐車場が谷を越えて丘の向こうまで続いている。従業員のクルマだけでなく、日...鬼怒の川風、男体遥か。

  • 何だろうこの既視感、2023秋。

    (高原遥かに鬼怒流れ@平石中央小学校前~飛山城跡間)宇都宮ライトレールで一番大きな土木構造物である、鬼怒川橋梁を渡って行く電車。2018年に着工し、2021年まで3年の工期を経て完成した鬼怒川橋梁は、橋長は646m、総工費が橋梁部分のみで46億円というのだから相応に巨大な土木構造物である。路面電車が長い鉄橋を渡る・・・というのは、富山県射水市の万葉線庄川橋梁が有名ですが、あちらが橋長417mなので、今回めでたく宇都宮ライトレールの鬼怒川橋梁が日本一長い路面電車(ないしはLRT)専用の鉄道橋と言うことになりました。この辺り、鬼怒川の右岸も左岸も河川敷に続いて長閑な農地が広がっていて、車窓からは釣り堀なんかが見えたりします。釣り堀のお客さんがライトレールに向けて手を振ってたりしてほっこりするね。宇都宮ライトレ...何だろうこの既視感、2023秋。

  • 「コンパクトシティ」の意味を考える。

    (家族のちょっとしたお出かけに@平石電停)宇都宮駅東口からの繁華街と住宅街の家並みが切れ、ぽっと田園地帯に出たところにあるのが平石電停。ここは、宇都宮ライトレールで唯一の2面4線の設備を持ち、将来的には急行運転と同時に緩急接続が予定されている電停になります。宇都宮駅行きを待つ家族連れの姿。宇都宮ライトレールの急行運転ってどういう考え方でやるのか気になるのだけども、急行だと宇都宮駅東口~平石を無停車でそこから先は各駅停車になるパターンかなあ。普通電車は宇都宮駅東口~平石の区間運転にして、平石で緩急接続すればそれなりに遠近分離にはなりそう。LRT車両の急行運転っていうと日本では福井鉄道がやってますけども、あちらは労働環境と賃金条件の厳しさによって運転士の流出が続いていて、この10月改正から急行運転のダイヤを組...「コンパクトシティ」の意味を考える。

  • 既に「ブーム」ではないLRT。

    (商売繁盛、開業ブーム?@宇都宮駅東口電停)開業してから一ヶ月半、そろそろ開業ブームも落ち着いて・・・?なんて思って訪れた秋の宇都宮行ではありますが、土曜日の午前中で12分間隔の列車を待つ宇都宮駅東口電停の乗客たち。思った以上の数の乗客は、我々みたいな記念乗車の物見遊山のマニア多めかと思いきや、普通に部活のジャージ姿の中学生やお使い姿のエコバッグのご婦人方も混じっており、早くも宇都宮の街の重要な交通インフラとなっているようです。開業直後は発着する電車の乗降に手間取り、現金客が捌けなくて大混乱に陥ったそうで、ホームには混雑対策であろう常駐の係員さんが配置されて、乗降客の整理を行っていました。到着する列車から乗客を降ろし、一度扉を閉めて運転士氏が車内巡回とエンド交換。改めて開扉を行って乗客を迎え入れるスタイル...既に「ブーム」ではないLRT。

  • 光よ届け、希望の轍。

    (久しぶりの二人会@JR上野東京ライン車内)小学生までは結構月イチくらいでやっていた長男の息子との日帰り電車旅。ご多分に漏れず、中学に入ってからは部活だ友達付き合いだ塾だと休みの日でも忙しく、暫く休日だけの親子の関係もご無沙汰でいた。そんな10月のある日曜日、金曜日で中間試験も終わり、翌日の塾も夜の7時からだということで「テストも終わったし、久し振りにどこかへ行きたい。なんかいいとこないの?」なんて言い出した。夜7時から塾となると、夕飯の時間も考えて帰宅は夕方6時がリミット。そうなると大したところには行けないでなあ・・・とも思ったのだけど、「早く起きれるか?」と聞いたらそこは部活の朝練で鍛えている頼もしさ、どうとでもなるという。「あんまり朝早くから出掛けてって塾の途中で寝ないでよ!?」なんていう嫁さんのク...光よ届け、希望の轍。

  • 木曽三川の風に吹かれて。

    (夜のホームに一人@美濃山崎駅)一応は養老鉄道のフリー乗車券を購入したものの、揖斐に行って帰ってくるくらいでまだ半分も権利行使をしていなかったこの日。夕方の入浴を海津温泉(しょっぱくてよく温まります)で済ませた後、ちょっと一往復電車に揺られてみることにしました。やって来たのはパークアンドライドが出来る美濃山崎の駅。駐車場にクルマを置いて、灯りも乏しい静かな集落の端にある暗がりのホームに立つと、揖斐川を渡って来た秋の夜風がスゥーっとレールの上を吹き抜けて行きます。美濃山崎駅の夜。この辺りは駅間距離が長いので、けっこう交換シーンのある駅です。桑名方面行はモ601を先頭にするトップナンバー編成。モ601を始めとする近鉄(養老)600系シリーズは、元々は本線筋で使われていたラッシュ時の増結車を支線用の編成に小さく...木曽三川の風に吹かれて。

  • 南濃、街並み、営み。

    (水神様の社の前を@大外羽~友江間)西日薄く迫る大垣の街外れ、田園地帯の鎮守の森を横目に走る東急7700。「水神社」と言う名前の神社がこの辺りにはそこかしこにあって、まっこと稲作に大切なのは水と言うことになりましょうか。方々を旅していると、どこの田園地帯にもまっ平らな稲穂の波の中にポッコリと木々に包まれたお社様があって、作物の豊かな実りが祈念されているのだけど、この地方だとまずはという万物をつかさどる「水」への思いが先に来るようだ。もちろん、農業において「降る時に降り、照る時は照る」ことは非常に大事なファクターなのだけど、それ以上に生活の基盤が水から守られていること=治水への思いが強いのではないか。宵闇に紛れる鎮守の森。こちらは石津駅隣の杉生神社。こんな雰囲気の、失礼を承知で言えば日本中どこにでもあるよう...南濃、街並み、営み。

  • 揖斐路秋色。

    (養老名物サイクルトレイン@養老北線車中)土休日はほぼすべての列車が自転車持ち込み可能になる養老線。取り組みがすっかり定着しているのか、結構利用者がいる。主に沿線の高校生が家から駅→最寄り駅から高校という流れの中で使っているようだ。走行中の電車がそこそこ揺れるので車内の安全にはご注意と言う感じなのだが、気にも留めずぞんざいにロングシートへ身を投げ出す高校生たち。午後ののんびりした空気、養老北線を走るラビットカー。ビュンと走り抜けるオレンジの風に、線路端のコスモスも揺れる。養老北線の大垣~揖斐間は、ラッシュだと20分間隔で走ってたりしますし、沿線は案外と住宅も建ち並んでいて、南線のそれとは違った郊外電車の趣がある。池野あたりでギリギリ名駅から一時間くらいだろうか。関東だと電車で一時間くらいって十分通勤圏なん...揖斐路秋色。

  • 水都大垣、伝統の涼味。

    (元祖金蝶製菓總本家@JR大垣駅前)養老鉄道の楽しみ。それは近鉄の残党のレトロな電車だったり、「養老焼肉街道」こと薩摩カイコウズ街道の焼肉だったりする訳ですけど、それと並んで大垣駅前の和菓子の名店「金蝶園の水まんじゅう」も、来たからには味わっておきたい水都・大垣の逸品。何年か前にも養老鉄道に親子で乗りに来た時に食べた金蝶園の水まんじゅう。あの時は真夏だったけど、10月までやってたっけ?一応水まんじゅうって夏の食い物だし、外はまだまだ暑いのだけど、どうなのかな。いつもだったら、駅前通りに面した外売りのカウンターで水を流しながら涼味たっぷりに売るのが金蝶園の水まんじゅうですが、この日は水こそ流れていたものの売り場に人の姿はなし。店内の売り場で尋ねたら、今日はもうこしあんの水まんじゅうしか残っていないとのこと・...水都大垣、伝統の涼味。

  • 産業路線の面影。

    (養老の「実務面の」顔@西大垣駅)養老鉄道の「顔」が養老駅なら、「実務上の顔」なのが西大垣駅。車庫への出入と乗務員交替のため、大垣~西大垣間の1駅だけの区間運転も多数行われます。駅前には日本有数の電子回路の基板製造を担う電子機器メーカー、イビデンの本社工場がありますが、イビデンも養老鉄道もルーツを辿ると「揖斐川水力電気」という電力会社を基にした同門の企業です。桑名方に向かって左側にある養老鉄道の乗務区と西大垣駅本屋。相対式ホーム2面の真ん中に中線が入っていて、ここで大垣駅から一旦引き上げた編成が小休止したりしているシーンを見ることが出来ます。昭和30年代に近鉄の名古屋線は改軌され、1435mmの広軌となった近鉄名古屋線ですが、かつての近鉄養老線は、西大垣や美濃青柳のイビデン、駒野の紡績工場、桑名の住友セメ...産業路線の面影。

  • 養老の 水は美酒にて かぐわしく。

    (威風堂々、養老の「顔」@養老駅)養老鉄道の「養老」は、当然養老山を中心とした養老山地のこと、そして「養老伝説」で有名な「養老の滝」のこと、そして養老郡養老町のことなのですが、その養老の滝の最寄り駅であるのがこの養老駅。まっこと威風堂々とした木造駅舎。車寄せから母屋に繋がる造りとか、二段に構えた瓦屋根にちょっと猫耳っぽいドーマー窓なんかが付いているところが非常におしゃれ。この日は近くの養老公園で「肉フェス」なんてのがやっておりまして、公園へ向かう観光客でごった返しておりました。養老鉄道も2往復の臨時便とコラボきっぷなんかを発売して集客に努めていましたね。風格ある養老駅の駅舎。駅名票の揮毫も非常に歴史を感じさせるものがあり。文献ではこの駅と駅舎の開業は大正年間と書いてありますが、岐阜県のHPだとこの駅舎が建...養老の水は美酒にてかぐわしく。

  • 養老伊吹を仰ぎ見て。

    (養老線唯一の高架駅@烏江駅)今回の養老線訪問、午前中は美濃高田周辺を中心に撮影したり、薩摩カイコウズ街道でお肉を買ったりしながらのんびりと。養老線は、基本的に養老山地に沿って西濃の山すそをタテ方向に移動していく路線ですが、美濃高田から烏江にかけて、ここだけ線路が東西に走って光線状態が良かったのと、大きく田園地帯が広がっていてアングルが組みやすかったのでねえ。養老線唯一の高架駅である烏江駅、駅下のパークアンドライド用の駐車場にクルマを止めて、ここからは養老線の電車に乗ってみます。既に全線完乗済みではあるのですが。結構高い位置にある烏江の駅。濃尾平野の西部は、極めてフラットな低湿地帯平野が延々と続いていて、その中を木曽・揖斐・長良の木曽三川がほぼ併走するような形で伊勢湾に向かって流れています。その揖斐川に流...養老伊吹を仰ぎ見て。

  • ミノでアカフクとカイコウス。

    (養老秋の肉祭り@薩摩カイコウズ街道)海津市(旧南濃町)の駒野から養老町を通り、関ヶ原町へ抜ける県道56号南濃関ヶ原線。鹿児島県と岐阜県が姉妹県になった縁で、鹿児島県の木である「カイコウズ」が街路樹として植えられているため、「薩摩カイコウズ街道」という愛称が付けられている。最初はこの「薩摩」も「カイコウズ」もよく分からなくて、何で岐阜に薩摩が?カイコウズって何?みたいな謎だらけの道だったのだけど、調べてみたら何のことはない理由で。と言うか、この道に関しては愛称の「薩摩カイコウズ街道」よりも、精肉店や焼肉店が立ち並ぶ「養老焼肉街道」として知る人ぞ知る存在なのである。美濃高田駅の北西2km程度、歩くとたぶん30分以上かかると思う。以前養老鉄道に乗りに来た際に、行ってみたかったんだけど少し駅から遠くて行けなかっ...ミノでアカフクとカイコウス。

  • 速いじゃないよ、ウサギだよ。

    (ジャガイモ畑、ウサギは跳ねる@美濃高田~烏江間)稲作が中心かと思いきや、線路沿いはジャガイモの畑が目立つ養老線沿線。夏場の猛暑が9月以降も長引いたせいで、全般的に野菜の類が異常に高いですよね。そろそろ鍋物も週末のメニューに加わるところで、白菜や長ネギ、ニンジンが肌感覚で通常の1.5倍くらいの値段になっている。もちろん気候だけじゃなく、物流費や小売りにかかる人件費なんかも含めての相対的な値上げが要因なのもあるのでしょうけど。ただ、その中でもジャガイモに関しては比較的値段が安定しているように思う。ジャガイモは野菜・・・と言うよりはどっちかと言うと穀物寄りの食物だと思っているけれども、何にせよこの時代で価格が安定しているというのは素晴らしいことで。かつて近鉄の南大阪線で走っていた「ラビットカー」。2両編成の両...速いじゃないよ、ウサギだよ。

  • 親のフトコロ、子の事情。

    (養老耕土を行く@烏江~美濃高田間)今年は夏が暑かったせいか稲の生育が早く、それでいて9月も暑かったもんだから、あんまり暑い中で実った稲穂をそのままにしておくのも悪くなってしまうという判断からか、どこも稲刈りが早かった。揖斐川の流れによってもたらされた肥沃な耕土によって作られた西濃の田園地帯。最後の稲刈りシーズンに間に合ったようで、半分くらい刈り入れが終わった田園に、乾燥のためかきれいに収穫後の稲が並べられていた。無人のコンバインが置かれた西濃の朝、この三連休で今日はもう半分をやっつける感じのご様子。刈り入れの途中で広大な田園が魅せる一瞬の幾何学アートを横目に、東急生まれの7700系が通り過ぎます。養老線整備機構によって導入された7700系。3連タイプと2連タイプがそれぞれ3編成ずつ、計15両が養老鉄道で...親のフトコロ、子の事情。

  • 秋の西濃、山の辺を行く。

    (西濃の秋清々し@美濃高田~烏江間)たらたらと一畑電車の話を一か月半も続けていたら、季節はすっかり秋になっていた。一畑の話が長引いたのは、なんだか夏からとみに忙しくなってしまい、9月の撮れ高が少なかったこともある。そうそう、毎年秋は富山に行くのが恒例になっていて、連休もあったんだけどなんだか足が向かなくてねえ。10月の連休で富山行くか!ってなったんだけども、やっぱり金曜日に早く帰れず・・・クタクタで夜通し運転したくないので、ちょっと仮眠して行こうかな、なんて思ったら結構ガッツリ寝てしまい起きたのが朝の3時半。ちょっと富山で朝からやるにゃあ遅い時間になってしまった。というグダグダな言い訳をしながら朝4時に高速に飛び乗り、全くノープランで西に向かって辿り着いたのは大垣IC。秋の一日を養老鉄道で過ごすことにした...秋の西濃、山の辺を行く。

  • 夏の一畑、エピローグに寄せて。

    (さよならのうたげ@松江駅前)レンタカーを返却して、東京行きのバスが到着するまでの一時間。松江駅前の居酒屋でささやかに夕食をいただくことに。クルマで回ってたから飲めねえし、暑かったからビールが美味いよね。突き出しのブリ?ハマチ?の炊いたの、煮込み、揚げ物、締めはガシラ(カサゴ)の煮付けにご飯とみそ汁。日本海側に来ていながらあんまり海鮮モノを口に出来ていなかったので、その埋め合わせをした感じ。グルメ、酒、温泉、鉄道、神社仏閣、いい景色とまとまった出雲の旅。祝勝会、と言ってもいいのではないでしょうか(笑)。松江駅20:00発の東京駅八重洲口行き「スサノオ号」。いい歳こいて往復夜行バスぅ~?みたいな意見はこの際無視無視(笑)。出雲から東京、サンライズで寝てくかスサノオで寝てくか。ちなみに松江発はサンライズが19...夏の一畑、エピローグに寄せて。

  • 夕映えの 水都に啼くや 浜千鳥。

    (宍道湖夕照@松江イングリッシュガーデン前~松江しんじ湖温泉)夕陽輝く湖面は、ちりめん皺のようなさざ波に包まれて。小さな岬のカーブを回って、一畑2100系の「楯縫」号が終着駅の松江しんじ湖温泉へ向かってのラストスパート。宍道湖の夕景と走る列車をうまくまとめるのには、併走する国道431号線の車の流れは引きも切らず・・・大型バスとかトラックが入ってしまったら台無しになっちゃうなあ、なんて思いながらファインダーを覗いていました。湖岸に佇む浜千鳥一羽。まずまずはまとまった一枚になった・・・かな??松江駅で借り出したレンタカーの返却時間は夜の7時。西の国の夕暮れは遅いのだけど、何とか宍道湖のいい夕暮れと一畑電車の写真を持って帰りたいなあと思いながら線路脇で奮闘。前日もそこそこいい夕陽が沈んだのだけど、温泉津温泉に向...夕映えの水都に啼くや浜千鳥。

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