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2020/12/27

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  • 不在という名の酒アブサン#02

    とりとめもなく重なっていくイメージの断片は、その一つ一つのパーツがかけ離れて居ればいるほど・・それが因果以外のもので切れ目なく繋がった時、ヒトはそこに何か強い隠喩的な意味を見出してしまうものらしい。 まるで赤ん坊が、三つの黒い点を、ヒトの・・母の顔のように思いこむように。ヒトは直感的に意味を見つけ出してしまうものらしい。 クリストフ・バタイユの「アブサン・聖なる酒の幻」三部作のひとつに「アロエALOÈ」というオレンジ色の女の話が出てくる。 昔パタゴニアには巨人Pathagoniがいた。あるとき、その巨人たちの浜に、何処からかアロエという女が流れてきた。アロエは波打ち際で踊るようになっ

  • 不在という名の酒アブサン#01

    フランス語で、absentアブサンは「不在」という意味にもなる。 「不在」という名の酒absintheは、ニガヨモギを中心に作る。これがまったくもって痛烈な幻覚作用を持つ酒で、飲めば酩酊と幻覚のダブルパンチをくらったという。もちろん今のアブサンに幻覚性はない。昔は有った。その幻覚性にロートレックやゴッホといった芸術家たちがハマった話は有名だ。 この「不在」という名の酒、欧米では20世紀初頭に製造禁止になっている。ところがだね。日本には有ったんですよ。サントリーがヘルメスリキュールのシリーズとして、ずっと販売していたんです。 僕が最初に飲んだアブサンも、このサントリー製のアブサンだった

  • The Incredible Bread Machine: A Study of Capitalism, Freedom, & the State

    1620年11月11日にマサチューセッツに到着したピルグリムたちは、食料や食糧をすべて "コモンストア "に置いた。 神に祝福された人々は、すべてを全員で所有し、お互いの世話をするべきだからだ。そして善意と奉仕の気持ちを持って"各人がその能力に応じて、必要なものを提供する"のが神の子として「正しい生き方」でからだ。 しかし、人々は飢えた。 「The Incredible Bread Machine: A Study of Capitalism, Freedom, & the Stat」eから引用しよう。 「最も悲しく嘆かわしいことは、2、3ヶ月の間に、特に1、2月は真冬で、家も

  • 新川酒飲み散歩#04

    酒問屋の仲間組合が組成されたのは1675年(延宝三年)である。1978年に正式に「酒問屋寄合」と命名されて、江戸市中の酒の販売はこの組合によって独占された。 実は、江戸幕府は一部の業種を除いて座や仲間組合の組成を禁じていた。商いは自由競争で良いとしたが、実際にはこのように早くから市内に幾つもの仲間組合が内分に作られていた。元禄年間に入ると、さまざまな問屋が同業種で集まり十組問屋を組成するようになっている。酒問屋はかなり早い時期から半ば公認されていた組合だったのである。 当時(元禄年間)の記録にみると、江戸の酒問屋は七十四軒。下り酒問屋七十九人、 出店問屋四十七人計百二十六人とある。取り

  • 新川酒飲み散歩#03

    昨日は散歩のスタートが遅かったからね、今日は昼過ぎに出た。それで昨日は寄れなかった新川大神宮へ出かけた。 もちろんキンギョのウンコつき(笑)あいかわらずウンコのほうが偉そうにしてる。 「この辺りは家康さんが来る前は、葦簀っ原が連々と繋がる江戸湊の水ッ溜まりだった。江戸中島とか呼ばれてたけど、小魚を獲るくらいしか役に立たないところだった。武蔵野台地の南の外れは今の上野あたりで、そっから先は長ぁい浅瀬だったんだ。利根川/坂東太郎は東京湾に流れ込んでたしね、あの大河が運ぶ土砂が積もりに積もって、広く大きな浅瀬が続くところだった。 家康さんは、最初っから江戸を1000年都市につもりだった。その

  • 新川酒飲み散歩#02

    マーケットが巨大化すれば、リスクはそのまま利益に歩成りする。江戸が徳川幕府の拠点として急成長すると、商いは急速に海上輸送が中心になった。菱垣廻船の時代になる。 これに対抗して伝法船問屋が大坂二十四組問屋から離脱して独自に樽廻船を始めたのが1730年(享保十五年)である。当然、菱垣廻船/樽廻船はコンペチターになった。 「菱垣廻船はな。荷物が満杯になるまで出航しなかったんだよ。だから平気でひと月ふた月は接岸されたままだったんだ。これじゃ酒屋は困る。酒は生ものだからな。夏場なんぞはあっという間に酢っかくなっちまう。それなんで、江戸側に作られた問屋、問屋十組・・と言ってもホントはもっとあった

  • 新川酒飲み散歩#01

    5年越しの腰の痛みを勝手にデブなための股関節痛だと思ってた。勝鬨から銀座まで歩くと痛くなったんだけどね、それがだんだん痛くなるまでの距離が短くなって、こりゃいかんなぁと思って腰痛クリニックへ行った。そしたら脊柱管狭窄というお札を頂いた。ついでに「先ずはこいつから」ということでブロック注射までされちまった。 ま、でも変わらんな。歩くと痛い。歩くと痛いと散歩が出来ない。こいつは困る。もうちっと、近所を歩きたいからなぁ。 こうなりゃ、最後の手段・・・やせるきゃないなぁ、と思った。 で。散歩。金魚のフン付きで。・・フンのほうがエラそうにしてるけど。 昨日のブラックフライデーのあと片付けをして

  • なぜそれほどまでヒトなる生き物は「能才」をいま必要としているのか?

    歴史は必ず合目的だ。 ヒトがこれほどまで個体数を増やした理由も「神の見えざる手」があると思うべきだろう。 本来の個体数で云えば、2億から4億くらいの間がヒトなるものの適正個体数に思える。「奴隷」なる階級を含めてもそのくらいが適量のように思える。 実際問題、穀物革命が起きたのちも、全世界合わせてもヒトはそのくらいの数だった。爆発的に増えたのは産業革命以降だ。 食べるものが増え、生存確率が飛躍的に高まったことが相まってヒトは80億個体数を超えた。 適正と思える数字のほぼ30倍である。 ・・ここで2億~4億が「適正か」の議論はしない。 なぜヒトはそれほどまでにヒトを必要としているのか???と

  • ロシアをSWIFTからの締め出した結果

    今回のG20の迷走はとても象徴的です。 日米欧と中ロの対立鮮明 世界経済、深まる「亀裂」 APEC・G20首脳会議(時事通信) - Yahoo!ニュース 【バンコク時事】19日閉幕したアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議は、日米欧と中ロの対立が激化する中、20カ国・ news.yahoo.co.jp ペトロダラーを支えていたのは、米国の軍事力でした。しかしそれもそれを必要とした王族があったからです。いかに世界一の軍事力を持とうと、侵略戦に使用しない限り、示威力としての機能には所詮限界があります。 日米欧と中ロの対立鮮明 世界経済、深まる「亀

  • 自国領土に戦火のないまま得た勝利がアメリカを「世界一」にした

    先の大戦以前は、国家間の取引は金の現物を中間に挟んで行われていました。互いの国の貨幣を保持してこを利用する場合もありましたが、大口の場合はどうしても金現物を利用していたのです。しかし大戦は、戦場となった国々を徹底的に疲弊させました。生産拠点が破壊され尽くしたからです。先の大戦参加国のなかで無傷だったのはアメリカだけでした。それが戦後アメリカの一人勝ちをもたらした大きな理由だったと言えましょう。 その過程の中で、金現物の代替え物としてドルを利用するという協定が結ばれました。それがブレストンウッズ協定です。 ブレトンウッズ協定でドルは1オンス=35ドルと同等としました。なぜそれが可能だった

  • 黒海の記憶#48/ルーシ人とルウイ族の、時間を超えた近似性#01

    ビザンツ人を悩ませ深く記憶に残ったハザール人とその王国は、新しい千年紀に入るとともに消え去った。代わってさらに北に在ったルーシの民Rus'/Rutheniaが黒海の北海岸を覆った。ビザンツ人は彼らを「ロソイRhosoi」と呼んだ。これが後代 「ローシアRhosia」となる。・・勇猛な人々である。しかし彼らも交易の民だ。ビザンツ人は彼らからも牛や馬あるいは羊を買った。遥か北方から来る彼らの商品は仲介者が間になかったため、ハザール人から贖うより安価だったからだ。ルーシ人も基本的には友好関係を維持しようとする人々だったが、力をつけて優劣が入れ替われば、いとも簡単に侵略に反転する民だった。

  • 黒海の記憶#50/失速していくビザンツ帝国

    こうしたルーシ人の拠点の中で最も栄えたのは、ドニエプル川の面して出来上がった街キエフだった。キエフは、川下の黒海北岸の諸都市と周辺川上諸地域を結ぶ中継都市として大いに繁栄した。黒海への河口にあるヘルソンまでは700kmあまり、キエフに集約した貨物の多くは川筋を辿って2日ほどで黒海海岸まで運ばれた。そしてその量が増えていくと共に、北岸で跋扈する商人は、大半がルーシ人になった。黒海における交易のイニシアティヴをルーシ人が握った。最初の千年紀最晩年の黒海は、まさに「ルーシ人のもの」になっていた。それはもいつのまにか、アラブの人々までが黒海を「ルーシの海bahr al-Rus」と呼ぶようになっ

  • 黒海の記憶#49/ルーシ人とルウイ族の、時間を超えた近似性#02

    力関係に優劣が有るところではルーシ人は残虐で無慈悲だった。彼らは黒海沿岸の各都市を死神のように食い散らかした。そして老若男女関係なく殺した。彼らの通った後には血の海しか残らなかったという。若者らは奴隷として捕獲され、商品としてビザンツ人や遥か西のイタリア半島から来る商人たちに売られた。奴隷を表すスレィブslaveは、彼らスラブ人slavを指す。 多くの奴隷は、黒海の南端・喉元であるコンスタンティノープルに集められ、同地で開かれる奴隷市で売られた。「交易相手」はビザンチン人/イタリア半島諸城塞都市から来る商人だった。 スラブ人に残酷・無慈悲だったルーシ人だったが、交易相手には通商の礼を

  • 赤い風は吹かなかったのか?

    結果からいうと今回も操作は有った。5%も人知れず投票数が自在に変えられると判っているドミニオンサーバーは、そのまま使用され。激戦区で共和党が有利な選挙区では20%も機械が故障した。同じ地区で同じ機械が同時に20%もです(笑) もちろんいつでもどこでも、管理は政権を持つものが握り、操作は自在です。だからそのことをグズグズいっても詮無い。いつでも正義は施政者に有り!です。 このままでいくと、下院も前回と同じ唐突な民主党のジャンプがおきますね。 過去、中間選挙は常に既成政権への不満を反映して、ほぼ90%位の確率で野党になったほうが勝利してきました。それがひっくり返るとなると・・これもエポック

  • トランピニストがすべきだったこと

    アメリカ人はインフレを今日の国が直面している最大の問題と見なしている。 トランピニストがすべきだったのは、避難中傷ではなく、インフレ対策への具体的方策の提示だった・・ということ。 それについて、ノーアイデアのまま大声だけで勝とうとしたこと。赤い波が起きなかった理由は、これに尽きる。 百合子ちゃんの都議選を思い出しませんか? すべきはディープステートを暴くことではない。そんなもんがあることは、もう知ってる・・という反応が今回のトランプが推した議員の多くが負けた理由だね。 ただし民主党への「ノー」は生きている。それがねじれ国会として出るならばそれは良いことだと言える。 不況はいとも簡単に社

  • GPIFの話をしよう

    GPIFは、国民の年金を基金として預ってこれを運用しているところです。運用は然るべきところに委託されている。木っ端役人どもがやってるわけではないことはわかっていますが、その「しかるべき」が何者だかは明らかにされていません。 運用額は22年8月末で194兆円です。内訳は、ドル建ての米国債と株が、ほぼ50%の97兆円、残りで円国債と日本株を買っています。 いまのところ年率平均3.56%の運用益です。 https://www.gpif.go.jp/operation/53297468gpif/2022_1Q_0805_jp.pdf 受益者は6700万人ていどです。世帯数では2532万世帯です

  • バイデン政権の「CHIPS and Science Ac」が齎すもの#02

    バイデン政権の「CHIPS and Science Ac」が齎すものについて続けて書く。 コラム:米国CHIPS and Science Act。量子技術への影響は? by Quantum Business Magazine blueqat [  U.S. President Joseph Biden Signing the CHIPS a blueqat.com バイデン政権はいま米国内における半導体産業をより大きく育てるために(軍産ネオコンが自由に使える)5年間で2800億ドルの枠を突作り上げた。 「CHIPS and Science A

  • バイデン政権の「CHIPS and Science Ac」が齎すもの

    バイデンが9月に最先端の中国製の半導体/コンピューターチップ/それらを製造するための設備機械の販売を禁止する処置を取った。もちろん米国内の軍産ネオコンを守るためである。同時に米国市民がこうした中国のコンピューターチップメーカーで働くことも禁止した。 理由は「国防」に強い影響があるというものだが、現実には軍事用途だけでなく、一般製品全般に対して影響を及ぼす処置だ・ 実際問題、たしかに米国の中国製半導体/コンピュータチップへの依存度は、石油やガスなどを買う支出よりもおおきい。具体的な数値で追うと2021年、中国からは4140億ドル相当のコンピューターチップを輸入しており、これは輸入総額の

  • トランプショックについて

    トランプショックの話をします。 トランプショックとは「米ドルの単独切り下げ」です。ニクソンの時のように「説明はしない。発表するだけだ」として、ある日突然起きます。 なぜなら、トランプショックを起こすのが、キッシンジャーが望んだトランプへの配役だからです。 彼は忘れていない。だから、します。 では。トランプがニクソンの時のように突然ドルを1/2に切り下げるとどうなるか? 米国は現在、対外債務を円換算すると4500兆円あります。それがその時から1/2になる。 比して対外資産は3277兆円です。これは全て現地通貨建てです。これは、その瞬間から2倍になる。 これがトランプショックです。 一方

  • 第二ブレストンウッズ体制について

    先の大戦以前は、国家間の取引は金の現物を中間に挟んで行われていました。互いの国の貨幣を保持してこを利用する場合もありましたが、大口の場合はどうしても金現物を利用していたのです。 しかし大戦は、戦場となった国々を徹底的に疲弊させました。生産拠点が破壊され尽くしたからです。先の大戦参加国のなかで無傷だったのはアメリカだけでした。それが戦後アメリカの一人勝ちをもたらした大きな理由だったと言えましょう。その過程の中で、金現物の代替え物としてドルを利用するという協定が結ばれました。それがブレストンウッズ協定です。 ブレトンウッズ協定でドルは1オンス=35ドルと同等としました。なぜそれが可能だ

  • 黒海の記憶#47/形骸化するビザンチンによる支配#03

    黒海西海岸をブルガリア王国に奪われたヴィザンチン帝国は、ほとんど同時期に黒海北海岸/黒海北のキプチャク草原をカスピ海北の草原を、チェネグPechenegsに握られている。 このペチェネグだが、おそらく単一民族ではない。複数の部族同盟である。彼らをヴィザンツ人はペチェネグPechenegと総称していた。しかし東よりハザール人とオグズ人が侵攻し、ペチェネグと呼ばれた複合部族は、すでに西側へ移動していたフィン・ウゴル系の遊牧民マジャル人(後のハンガリー人)やスラヴ系の農耕民ウールィチ人、ティーヴェルツィ人と黒海北西部で抗争/融合を繰り返し、最終的には拡散し融合して消えていく。 こうして7世紀

  • 黒海の記憶#46/形骸化するビザンチンによる支配#02

    折り重なる内部矛盾によって半壊したローマ。首都ローマさえ失ってしまったローマ。ローマ人が闊歩しないローマ。そして、その身を守るため黒海周辺に台頭した国家/民族へ阿るしか生きる道が無くなったローマ。 ローマにとって、黒海北海岸は安定したマーケット/ローマのものなら何でも買ってくれて、ローマが必要にものは何でも売ってくれる連中。そしてはるか北の蛮族との間の緩衝材となる連中・・という便利な輩ではなくなっていた。 いつのまにやら・・貢物はローマが周辺国から受け取るものではなく、ローマが周辺国へ配るものと変わっていたのだ。 なぜ、そんな反転が起きたのか?ステップの騎馬半農民族を駆逐できないほど

  • 黒海の記憶#45/形骸化するビザンチンによる支配

    ビザンツ人にとって黒海を挟んだ向こう側クリミア半島は、黒海沿岸諸都市どこよりも意味と価値をもっていた。 ケルソネソスKhersonisosである。ビザンツ商人たちは、ここを中継点としてステップ奥地から運ばれる木材・鉄製品・革製品そして奴隷を、衣料・ワイン・胡椒などと交換していた。仲介していたのはペチェネグPechenegs人だった。スラブslaves人である。彼らが使うスラヴ語はインド=ヨーロッパ語族の一つだが、出自はよくわからない。カルパチア山脈の北のヴィスワ川からドニェプル川にかけての一帯であろうと言われている。狩猟・半農耕種族である。4世紀ころから台頭するゲルマン民族に押されて次

  • 黒海の記憶#44/形骸化するビザンチンによる支配

    いままで「東ローマ人」という名称を使ってきたが、そろそろ「ビザンツ」と呼び名を替えたい。実は同時代、彼らは自分たちのことを「ビザンツ人」と呼んでいなかった。中世ヨーロッパの歴史家たちがそう呼んだのである。 たしかに彼らを、たとえ"東"という字をつけようが「ローマ人」と呼ぶのは息苦しい。ラテン人の血はほとんどなく、構成要員は大半がアナトリア系の人々で、言語もコイネー(汎ギリシャ語)の変形だったからだ。ローマに強い恋慕を潜在的に持っている中世ヨーロッパの歴史家たちが、このアナトリア/バルカン半島に遺ったローマ帝国の残滓を、ローマの正統的な後継者であるとするのは不快だったに違いない。彼らにと

  • 黒海の記憶#43/イスラム化への忌諱感

    イスラム化とは何か? を考えるとき、僕はその先鋭的な商業ネットワークが思いうかぶ。イスラム化するということは、すなわちアラーの門軍にひれ伏す事とともに、彼らの駅逓制度(バリード)金銀複本位制の貨幣。そして統一した度量衡を受け入れることなのだ。 イスラム国家は、中央で資産は管理されており金融仲介者(ジャフバズ)がそれを担った。各主要都市に公的資金を扱うジャフバズ置き、彼らが租税を受領して、これを為替(スフタージャ)を使って中央に送金していた。中央政府にあるジャフバズがその受け手になり国家全体の資金管理業務を行っていたのである。騎馬半農部族は、これに馴染まなかった。一方的な搾取にしか見えな

  • 閑話夜話16/大行は細謹を顧みず

    史記は範例の宝庫だ。 此処では司馬遼太郎の『項羽と劉邦』に触れよう。 司馬遼太郎は、この書で不世出の武人・楚の項羽と、不器用だが部下に恵まれた漢の劉邦を対比している。経営者が須く敬読すべき本だ。 その中の一大イベントである鴻門の会の中に「大行不顧細謹」という樊噲の言葉がある。彼のこの諫言によって劉邦は死線を越えた。細謹に走れば劉邦は癈いていた。重い言葉だ。 僕は人の上に立つ者に言う「細謹に拘れば大行を為さず」 使った金を数える暇があれば、それを凌駕する稼ぐ手立てを編み出せ・・と。指導者は「大行」を先ず見つめよ・・細謹は下の物に任せよと。部下に恵まれた劉邦は任せられた。 しかしだね

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