帰りのトラムでViarme-Talensacに向かう途中、窓の外に流れるナントの街並みをぼんやりと眺めながら、僕はひとつの問いにとらわれていた。なぜナントは、18世紀フランス最大の奴隷貿易港となったのか。その背後には、どれほど根深い「経済の必然」があったのか。 ナントが三角貿易に本格的に加わったのは18世紀初頭。ポルトガル人が先行して築いた大西洋貿易網を、フランスも国家戦略として採り入れた時期である。この三角貿易とは、ヨーロッパからアフリカへ布や武器を送り込み、現地で人間を奴隷として買い取り、カリブやアメリカのプランテーションに送り出し、そこで得た砂糖、コーヒー、ラムを欧州に持ち帰る