親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
両親の介護を通して、私が介護される側になった時への備えの重要性を書いていきます。両親の介護から葬儀までを振り返ります。
親に育てて貰い独立して家庭を持ち、親が老いて要介護になっても 当たり前の様に介護をしてきた子供でも自分が高齢となり体調不良になった時、果たして今までと変わらず親の介護を出来るのか? というと難しい。 親への愛情はあっても気力や体力がついてこない そんな時期が来るのです。
義理の母親の家庭でも義理の母親が介護施設に入所し、それを支える長男も体調不良で就労が不能となり体力的にも経済的にも親の介護を支えるのが困難な状況に陥っている状況です。
義理の母親が介護施設へ、同居していた長男が体調不良で退職。 さらに住まいが老朽化でリフォームの必要があるという三重苦。 改めて60歳からの体調管理の必要性を感じた。
義理の母親が介護施設に入所して 3年以上が経過したが、それまで同居していた長男が体調不良で会社を辞める事になった。 そんな状態で義理の母親の介護の事に心身ともについていけるのだろうか?
母親が亡くなり父親が母親に対して行った数多くの仕打ちを、母親の葬儀では悔い改め喪主を務めあげてくれると信じていたが、やはり父親は父親だった。『喪主なんて出来ない』と母親に対する最後の償い迄、放棄したのだ。
私は父親を親として認めていない。母親に何もかも押し付け、自身は仕事と趣味に没頭する生き方に耐えられなかったからです。 この気持ちは父親が要介護になっても変わりませんでした。
父親の自分勝手で嫌な事は人に押し付け、何のフォローもしない生き方に我が家は父親がいるのに母親、私、妹の家族3人で助け合って生きてきた片親家族の様でした。 それは自分が社会人となっても 会社の上司と父親を重ね合わせる時期もありました。
男親、父親は母親に比べて不器用であるが、仕事をしているからといって、他の事を家族に押し付ける事だけはしたくない。 家族で協力して家庭を築く事を 続けてきたつもりです。
父親の自分勝手な嫌な事は全て母親に押し付ける態度を見ながら育った私は、父親が要介護になっても愛情を持って介護は出来ませんでした。 ただ親だからという義務感だけですね。
親が年齢による衰えを感じたらまだ元気な内に、要介護になる前に 家族を集めて家に棚卸。 何を残し何を捨てるのか? それは何処にあるのかなど、 早期に決めておく事が大事です。
高齢となり定年退職等の節目が近付いてきたら、親として我が家に 余分な物を残さない様に、計画的に処分や譲渡をして、来るべき将来のもしも、まさかに家族に過度な負担を掛けぬ様するべき。
両親の家の断捨離は、どちらかの親が亡くなったら、または両親が健在の内に始めるべきです。 両親が要介護でも認知症でもない健常な時に断捨離する事により 何処に何があるか把握できるし、 何を捨てて何を残すのかを本人が確認しながら行えるのです。
親が介護の末に亡くなり実家に誰もいなくなれば、家を処分しなければなりませんが、問題は土地や建物を売却するにも家の断捨離が終わらなければ処分も出来ません。 誰もいない実家に独立している家族が通って途方もない時間をかけて、休みの度に実家の片付けをする。大変な作業です。
自分が高齢になったら、1日1つずつでも良いので断捨離をするべき。なぜなら断捨離をせずに要介護になればあなたの家族がやらねばならないからです。 無駄な購入は極力やめて生活必需品のみを購入するようなライフスタイルへの転換が求められます。
老後を楽しく生活したい人がお金をかけずに趣味を楽しむ方法に自治体の施設を格安に利用して共通の趣味や習い事をするサークルがありますが、ここにも高齢化の波が訪れ、仲間が1人、2人と要介護や認知症となり仲間が減っていく現状がある。
何度も繰り返される介護施設の 感染対策による面会禁止で、 介護施設に入所中の義理の母親も 家族との面会、会話、一時帰宅が 禁止となりストレスの溜まる生活が続く。
親が介護や葬儀で失敗してきたことを子供世代に伝えていく事は、 将来起こり得る事態に対して多くの選択肢を与える事となるので、 子世代に対して言葉や文章で伝える事が重要。
親の葬儀の失敗は葬儀における受付、香典の管理の説明不足により 参列者の続柄や香典額の把握が出来ず、葬儀後の参列者の把握に 時間をかけてしまいました。
親を介護の末に失い、初めて葬儀の手配をする事になった時、安さにつられて葬儀会社を選ぶと、 葬儀に伴う返礼品や供花、食事、 移動手段等が費用に含まれていない事があるので参列者に失礼がない様、細かい見積と説明をお願いすべきです。
親の介護を家族で分担する場合、 親の介護に関わる買い物のルールを家族間で決め、必ず領収書やレシートで何を買ったのか管理し 家族間で共有する事が長期の介護をトラブルなく続けるコツです。
初めての親の介護で何処から始めたらよいかわからない。不安ですよね。そんなときこそ周囲の親の介護経験者の失敗体験が介護の遠回りを防いでくれて、より良い自分の親に合った介護方法に導いてくれる。
親の介護が初めての人ほど周囲の介護経験者の知恵や経験が糧となるはず。 あの時勇気を出して親の介護をさらけ出していれば、遠回りな介護にはならなかったと思う。
親が要介護となり、その家族にとって初めての介護となる場合、 身近な親戚や友人の親の介護の経験者からの生の声、信頼できる人への我が家の介護の現状を質問して自分の親や家族にあった介護方針を決めましょう。
親が要介護となり、その家族が初めての親の介護をする事になった時、何からどう始めていいのかわからず不安ですよね。 そんな時頼りになるのが親の介護経験者の親戚や友人です。 自らの失敗体験を聞く事で親の介護をスムーズに行う為の助けになるでしょう。
親が要介護となり家族で分担する事になったが、それぞれ独立しており平等な親の介護も困難な時は 介護をする人、金銭負担をする人 それぞれ役割分担を課し、意見交換をしながらも、ルール作りをしてから親の介護をする事が家族間のトラブルを無くし、親の介護をする最低条件です。
親の介護とはいえ親の介護に伴う支出は親の財布で管理し、立替は必ずルールを作り必ず生産できるように家族間で決めておく事が大事です。
ご主人に先立たれ、子供もいない叔母は私達家族を家族同然に可愛がってくれた。両親の介護や療養中も、両親の葬儀も、そして私達子供も我が子の様に助けてくれた
叔母は経営者であり交友関係も広いから、叔母の遺志が『簡単な葬儀でよい』と言ったとしても、 沢山の参列者に見送られるような葬儀方法を考えなければならない。
老老介護の介護する側の家族も健康管理に留意しながら親の介護をする事になる。 そうでなければ老老介護は成り立たないし勤まらない。
母親そして叔母の介護、叔母が80歳を過ぎていつの間にか私の年齢も60歳を超えた。 老老介護に突入し今迄の様に 献身的に叔母の介護が出来るのか 自身がなくなりつつある。
母親の介護を終え父親の介護を挟んで両親亡きあと叔母の介護をしているが、私も50歳時の元気は亡くなり、介護をする私自身も要介護を意識する年齢、60歳代となり 改めて時間は限られていると実感する。
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親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
親の介護や自身の介護に対する ストレスの解消方法は立ち止まらずに将来の介護の備えを怠らない事
親の介護を終えて安堵した瞬間に 将来自分が要介護になる前に介護の備えをしておきたいという志が 忘れられ親と同じ介護ストレスの道を歩む事だけは避けたい。 親の介護で抱えたストレスを 次世代にかけてはいけない。
親の介護や自身の将来の介護を考える上で経済的負担もストレスになりますね。 日常生活費の他に介護や入院費用を工面するとなれば、それなりの貯蓄が必要でありストレスが蓄積される大きな問題です。
介護ストレスって親の介護をしている時だけではなくて、自分が老いた時の要介護に対する不安も介護ストレスだと思うんです。 親と同じ轍は踏みたくないと自分の介護に対する備えに思い悩むのも介護ストレスではないか?
定年退職を居て何をするでもなく 隠居している人は老化や要介護のスピードが速いものだと感じる。 ご近所の隠居の年金生活者は年々 足腰が弱くなり歩行スピードが遅く辛そうである。
退職して年金暮らしになった際に 気を付ける事は現役時代と同じ金銭感覚から身の丈に合った生活レベルへの見直しです。 生活費が少なくなったのに交際費や娯楽費などを散在していれば やがて破綻し要介護時の備えもない最悪のシナリオとなる。
年金を多く貰う為に繰り下げ受給 するか?健康で動ける余力を残して年金受給年齢を決めるのか? 年金額が増えても自身が要介護で 楽しめないなら、元気な内に新たな挑戦をする事も良し。
年金に頼った生活を始めるタイミングは出来れば要介護ではなく自分で身の回りの事が出来る健康な状態で始めたい。 それには健康管理、適度な運動や 適度な短時間労働で日父の関わりを絶やす事なく生活する事
年金受給年齢を繰り下げて年金受給額を増やす方もいます。健康のためにも社会と関わる為にも働く事は良い事ですが、健康寿命を過ぎてからの年金受給は、ただ介護や医療の為だけに年金を受給する事にならないか?
定年退職して年金暮しになったら 好きな頃をやって生活するぞ と思っている人も多いと思いますが、何をしたいのか?40年近くの時間をどう使うのかを考えないと ただ長いだけのつまらない40年に なり、身心も衰え、要介護になってしまう事にも繋がります。
定年して年金暮らしとなり初めて思い知った仕事以外の付き合いの なさを嘆いていても仕方ないので これから40年、要介護に負けない 身心を作り、仕事以外の生き甲斐を持ち続けるためにも、新たな気持ちで人の輪に飛び込む覚悟が必要だ。
定年後、年金暮し後に時間を持て余す人は、仕事以外の人間関係を疎かにしてきた人。会社時代の様にもう誰も私達の事を気にかける人はいないから。 要介護なく心身共に健康に過ごしたいなら、新人のつもりで人の輪に飛び込むしかない
定年退職後も生き甲斐を持ち生きる事は簡単なようで難しい。 現役時代の管理職のプライドが邪魔をして、新人のつもりで人の輪に入れなければ、定年後は1日が長く寂しい生活に終始する。 そして心身は日々衰え要介護に まっしぐらとなる。
退職は老後前の一つの区切りである。私は雇用延長で60歳以降も働いているが、責任ある職務から解放され生き甲斐という意味では物足りない日々だ。こんな気が抜けた状態がたとえ働いていても要介護に近付く要因となる。
親が認知症になり要介護となれば その家族にも生活のリズムを変えて親の介護の時間を作るべく覚悟が必要となります。 今まで育ててくれて寄り添ってくれた親への恩返しの時間は残りわずかです。
親の介護を今迄他の家族に任せていた長男が自身の早期退職により 時間が出来た事で親との面会や帰宅申請等の要求がエスカレートして、介護施設やケアマネとの交渉役の長女が悲鳴
親だから要介護や認知症は仕方ない等と考えるのでなく、自身も60歳を過ぎれば要介護や認知症にならないための取組や備えについて 考える事が重要です。
親が元気な内に感謝を伝えたり 行動で示しておかないと、認知症 になった親に恩着せしても、もはや要介護になった親に子供の愛情は伝わらない。
親が元気な内に親孝行すればいいものの、男家族って親が要介護や認知症になって初めて親孝行を意識する遅さがあります。 卒業他就職、結婚等親への感謝のタイミングはこれまで何回もあったのに。
親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
親の介護や自身の介護に対する ストレスの解消方法は立ち止まらずに将来の介護の備えを怠らない事
親の介護を終えて安堵した瞬間に 将来自分が要介護になる前に介護の備えをしておきたいという志が 忘れられ親と同じ介護ストレスの道を歩む事だけは避けたい。 親の介護で抱えたストレスを 次世代にかけてはいけない。
親の介護や自身の将来の介護を考える上で経済的負担もストレスになりますね。 日常生活費の他に介護や入院費用を工面するとなれば、それなりの貯蓄が必要でありストレスが蓄積される大きな問題です。
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退職して年金暮らしになった際に 気を付ける事は現役時代と同じ金銭感覚から身の丈に合った生活レベルへの見直しです。 生活費が少なくなったのに交際費や娯楽費などを散在していれば やがて破綻し要介護時の備えもない最悪のシナリオとなる。
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年金に頼った生活を始めるタイミングは出来れば要介護ではなく自分で身の回りの事が出来る健康な状態で始めたい。 それには健康管理、適度な運動や 適度な短時間労働で日父の関わりを絶やす事なく生活する事
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定年退職して年金暮しになったら 好きな頃をやって生活するぞ と思っている人も多いと思いますが、何をしたいのか?40年近くの時間をどう使うのかを考えないと ただ長いだけのつまらない40年に なり、身心も衰え、要介護になってしまう事にも繋がります。
定年して年金暮らしとなり初めて思い知った仕事以外の付き合いの なさを嘆いていても仕方ないので これから40年、要介護に負けない 身心を作り、仕事以外の生き甲斐を持ち続けるためにも、新たな気持ちで人の輪に飛び込む覚悟が必要だ。
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