chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
ふらんぼわーず
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2020/12/21

arrow_drop_down
  • 幼馴染だが性格は大いに違う二人、でもとても仲良しというこの不思議

    ローランスの前半の日程が、終了し、大阪に向かった。そこで、用を済ませた後は彼女の幼馴染のヴェロニックと合流する予定だった。彼女たちは、その後、広島や瀬戸内海の小さな島々を訪れるため、特にヴェロニックの大きな荷物をいったんわが家に置きに戻った。その日は私も夫も仕事で、荷物を預かることになったのは、英語もフランス語もわからない。80代後半の母だった。しかし、あとで聞いた話によると、二人は翻訳サイトを見せながら、コミュニケーションを取ったということだ。初めての体験に、母も内心は心配だったと思うが、明るい二人の対応に、まんざらでもなかったようだ。ローランスはフランスのノルマンディーに住んでいる。いわば地方である。しかし、このヴェロニックは、今もパリ郊外、ヴェルサイユや、サンジェルマンアンレーと言った、いわゆる高級...幼馴染だが性格は大いに違う二人、でもとても仲良しというこの不思議

  • ローランスの好奇心は旺盛で、陶芸体験。

    ローランスは夫の陶芸教室に行きたいといったので夫と一緒に出掛けて行った。クラブのメンバーには予告していなかったので、いきなりの参加だったが、過去にも何人かのフランス人を飛び込みで参加させてもらっていたので「ああまたか」程度の反応だった。彼女は初めての経験だったので、「紐づくり」という初歩の技法で手ロクロの上で作ることを教えた。手先は器用なようで大きな問題はなく、小さなカップ2つを作った。カップの側面には串で模様を描いていた。コップの底に大きなローマ字でサインも入れていた。休憩時間になるとみんなと一緒に珈琲やお茶を飲んだのであるが、言葉など皆目通じないのに、メンバーと一定のコミュニケーションはできるのだった。(夫が通訳しようにも夫はフランス語ができないので、つたない英語とあとはジェスチャーでなんとか出来たよ...ローランスの好奇心は旺盛で、陶芸体験。

  • ローランスの手作りケーキ!!

    ローランスはわが家に到着した後、私たちの仕事の都合もあり、京都でジョエルとジェシカと観光をすることになり、そのあとの2日間は奈良で、うち1日は、奈良を観光することになった。奈良観光は、京都から来るジョエルとジェシカと合流することにした。ローランスの後半の滞在で、ローランスっはローランスの友人と一緒の時に東大寺を案内することにしておき、この日京都からJRで来るジョエルとジェシカの2人は、2人だけで、先に東大寺を見学してもらい、そのあと合流した。東大寺のあとは、二月堂、春日大社から、飛火野、浮御堂、そして五重塔と回った。三人ともよく歩き、鹿にエサをあげたりしながら、秋日和の奈良を満喫していたようだ。ローランスは好奇心旺盛なので、昼食の時、かき氷も注文して、初めての味を楽しんだ。またこの日も一緒に我が家での夕食...ローランスの手作りケーキ!!

  • これも博愛の精神、アフリカの子供を養子に。

    ローランスは、実子のほかに養子縁組しているアフリカ系の兄妹がいる。今回は東京に住んでいるその兄を頼りに、アイルランドに住んでいる養女と一緒の初来日である。ジョエル(兄)ジェシカ(妹)も共に宿泊できたらということだったが、狭い我が家では、三人は無理かと、近くで探すことになった。コロナ後奈良の宿泊施設も様変わりし、適当な宿がなく、結局彼らは自分たちで京都の宿を探した。しかしそれではあんまりなので、夕食はうちで一緒にすることにした。奈良滞在の初日は東京からの移動日だったが、何しろ日本に住んでいるジョエルがいるので、問題なくわが家へ到着した。しかし、京都の宿に寄って来てからだったのですでに日が暮れかけていた。最寄り駅まで迎えに行き、そのまま夕食となった。この兄妹は大人しいが聡明であることはすぐにわかった。ジョエル...これも博愛の精神、アフリカの子供を養子に。

  • ハードスケジュールを承知の上で、全部引き受けるしかない!!10月

    2023年の10月は、大忙しだった。まずアヴィニョンのイザベルから、友人が来日するにあたり、奈良での滞在をお願いしたいということだった。2009年、彼女夫妻が来宅し、その結果友人を次々に紹介してくれたのがイザベルである。コロナ後初めての紹介は、奈良に10日間滞在するということだった。友人の女性と二人で来るとのこと。もちろん、イザベル夫妻からの紹介の人は、いい人に決まっているので、二つ返事でOKした。ニコルとクリスチーヌ。その次に、イザベルの友人でもあるノルマンディーはエトルタのヴィルジニからの紹介が来た。ローランスという女性が来日するにあたり、滞在したいという話だった。彼女は、本当にスーパーウーマンだった。ある意味、初めて出会うタイプのフランス人だと言えるかもしれない。来る前から連絡のため、スマホの電話が...ハードスケジュールを承知の上で、全部引き受けるしかない!!10月

  • 7人からのサプライズの国際航空便

    2024年の旅の記録が一段落したので、これからは、2023年にやってきた友人たちの続きを書いていきたいと思う。6月に絵描きの友人たち7人が来た後の続きもある。彼らが帰った後の10月の初めのこと、大きな郵便小包が届いた。何かなと開けてみてびっくり!!!!フランスのお土産がたくさん入っていた。南仏のお菓子、ラベンダーオイルは、絵描きのフランソワからだろう。南仏のセカンドハウスでバカンスを過ごし、お土産を買ってくれたのだと思う。またブルターニュ出身だといっていたバスチアンとエンマからは、ブルターニュのカンペール焼のカフェオレボウル2個、しかも私たちの名前が入れてあった。そして、他の三人からはパリのお土産が入っていた。それだけでもこんなサプライズに、感動したのに、まだあった。7人が来た時の写真を大きくプリントアウ...7人からのサプライズの国際航空便

  • 今回の旅行を振り返りながら、もう次のことを考えている。

    今回の旅で、失敗と言えば、帰国後1ヶ月くらい経ってから気づいたFreeのSIMの件だ。マントンで偶然見つけたFreeのショップで、SIMを購入し、1ヶ月の期間を指定したにもかかわらず、解約するまで継続の契約になっていたらしく、2ヶ月目の請求が来たのだ。これにはどう対応すればいいか、マルセイユのヴィルジニ、パリのソフィーにも最後には助けを求めたが、結局私が送った「1ヶ月で解約のはずが、そうなっていない」というメールで、ようやく解約への手続きになったようだ。Freeは便利だったが、店の電話番号も記載がなく、ヴィルジニも連絡のすべがなく、どうしようもなかった。ただこの二人から、私がFreeとやり取りしたメールから、「おそらく解約にはなっており、3ヵ月目の料金は請求されない。しかしこの2ヶ月目に関しては、書類上解...今回の旅行を振り返りながら、もう次のことを考えている。

  • 機内で乗り合わせた女性、羽田のヤマト宅急便の係の女性 伊丹のドラッグストアのおじさんに感謝。

    機内では、嬉しい出会いがあった。たまたま隣り合わせた若い女性は、なんと新婚旅行帰りだった。しかしご主人の姿はない。よく聞いてみると、彼女はマイレージを使いANAで、ご主人は別の航空会社での往復だそうだ。今頃、彼は北京辺りにいるとのこと。旅慣れた若いカップルは、新婚旅行でそういう合理的な対応ができるなんて、実に素晴らしい。パリの宿も、パリらしさを感じられる地区に取っていたのも、微笑ましい。何より、彼女はこんなフランス偏愛の私たちの話を上手に合わせて、相手になってくれ、フライト時間の長さを忘れさせてくれた。正直に言うと、友人宅を渡り歩く私たちの旅行は普通の旅行スタイルとは全く違うので、一般の人たちの旅行の参考にはあまりならない。だから話について来てくれる人はとても少ないのが実情だ。そんな私たちの話に最後まで付...機内で乗り合わせた女性、羽田のヤマト宅急便の係の女性伊丹のドラッグストアのおじさんに感謝。

  • シャルル・ドゴール空港ターミナル1のチーズ屋さんのムッシュ、ありがとう。

    無事空港に着いた後は、来たときとは違い、チェックインは機械で行い、荷物はカウンターで預け入れた。こんなにスーツケースに余裕があるのは、初めてに近いかもしれない。2人で23Kg×2=46Kgまで無料なのだが、合わせて10Kg以上余裕があった。改装後初めてのターミナル1を楽しみにしていたが、確かに建物はきれいになっていたものの、ブランドものショップには興味がないので、あまり見るところはなかった。円安の折、食品も高すぎて、買う気にはなれないものが多かった。そんな中で、チーズを売っていた販売員の男性が、「味見を」と言ったので、味見させてもらううち、彼は日本好きで、何度も来日しており、観光客があまり行かないような南の島などにも行き、島の人と交流した話などをしてくれた。夜は人も少ないこともあり、話が弾んだ。日本が好き...シャルル・ドゴール空港ターミナル1のチーズ屋さんのムッシュ、ありがとう。

  • タクシーの中でトラブルに遭遇も救世主が現れる。

    少し心配されたウーバーのタクシーとの約束の時間であったが、時間ギリギリにやってきた。そして、荷物を載せ、私たちも乗り込んだところで、発進。行き先はわかっているはずだった。しかしここで、大変な問題が。ターミナル1からの出発だったので、それを確認すると、「いや。ターミナル2と聞いている」「そんなことはない。ターミナル1を確認して予約を入れましたよ」そこで予約確認メールを見ると、なぜかシャルルドゴール空港としか出ていないのだ。予約をしたときには、確かにターミナル1を確認したのに。もういちど、予約を変更するようにと運転手は言う。試みようと思ったが、すでに走り出しているため、出発地点も変更する必要があり、何より「料金はどうなるのか」と心配になり、尋ねたところ、「わからない」というではないか。これは一大事!!どうもう...タクシーの中でトラブルに遭遇も救世主が現れる。

  • モノプリでの買い物と、マレ地区の小散歩

    帰国への出発当日、ソフィー宅から戻りったのはお昼前だった。取り急ぎ、すぐ近くのレアールのモノプリへ向かった。本来ならもう少しゆっくり見たいものもあったが、最低限の買い物だけにとどめた。冷蔵庫のものは私達の滞在を思って準備されたものだ。もちろん、しっかり昼ご飯としていただき、持って帰れるものは持って帰ることにした。そして、マレ地区をもう少し歩きたいと思っていたので、ほんの近場だけだが、マレを散歩した。マルチーヌと歩いた時、偶然日本人女性が店員として働いていた店に入ったので、そこを再訪。カマルグのお米を使った石鹸など置いてある店で、もちろん観光客向け価格ではあったが、記念に小さなものをいただくことにした。二年前、行きの飛行機内で知合ったやはり日本人が勤めるお菓子屋さんにも寄ったが、こちらは別の日本人女性がいて...モノプリでの買い物と、マレ地区の小散歩

  • ソフィー達にお別れ、 またきっと会えるだろう。

    翌朝、少し遅めの朝食をゆっくりいただき、名残を惜しんだ。赤いプラリネ入りのブリオッシュ、元々はリヨン名物で以前はリヨン以外で見かけることは少なかったが、今回は、マントンのパン屋でも、ここパリでも食卓に上がった。もちろん、私たちとしては、できるだけ早く、マルチーヌの家に戻り、帰国に備えて、スーツケースなどの準備をする必要もあったし、最終の買い物もしたかった。が、そう言うわけにはいかない。二泊したおかげで子供たちとかなり打ち解けてきたし、特に妹のエンマとは初めての対面だったが、笑顔がいっぱいの仲良しになれた。お別れだが子供たちは感傷的にはならず助かった。聞けば、ご主人のガブリエルは、この秋、仕事で東京への来日予定があるそうだ。もし時間が許せば、ぜひ関西へと話した。そして、彼らのおもてなしにお礼を言い、別れを告...ソフィー達にお別れ、またきっと会えるだろう。

  • 予定を変更して結局もう1泊することに・・・。

    ボンマルシェも2019年の春以来だが、ずいぶん高価なものが増えているように見えるのは、円安のせいなのだろう。時間に余裕がなくて、もしかしたら、効率よく見ることもできていなかったのかもしれない。とにかく興味深いものもなく、結局食料品の売り場でソフィーたちへのお土産だけを買って、ボンマルシェを後にした。どうやら、雨が降っていたらしい。ちょうど中にいて、傘を持っていなかった私たちはラッキーだった。メトロに乗り、ソフィー宅の最寄り駅の一つ手前の駅で降りた。そう言えば、この辺りはマルシェが有名らしい。もしかしたら、ずいぶん前に来た事があるのかもしれないが、記憶は定かではない。今回はかなわないが、ゆっくり歩いてみたいところでもあった。ソフィーの最寄り駅に近くなった時、ソフィー宅に向かい歩いていると、ソフィーが前を歩い...予定を変更して結局もう1泊することに・・・。

  • セーヌの左岸を散歩し、リュクサンブール公園へ。

    お昼をごちそうになったのち、ソフィーの提案で、左岸の散歩に行くことになった。もちろん何度か左岸も歩いてはいるが、意外と、右岸に比べると、左岸を歩いたことが少ないような気がする。左岸は、治安もよく、安心して歩けるところが多い。まずは、サンジェルマンデプレへと向かう。自宅からメトロまでの道で、エンマとラファエルは、トロチネットと呼ばれる乗り物を漕いでいたのだが、大人しいラファエルが、すいすい調子よく扱いでいたかと思うと、スピードが出過ぎて、お父さんからおしかりを受けていた。危険と隣り合わせなので「もう、家に帰りなさい」とかなり厳しく注意されていた。彼は坂道をスピードを出したまま下ったのだが、そのくだりの終わりが十字路になっていて左から何かが来ればぶつかるといった状況だった。細い道だったので自動車は来ないけれど...セーヌの左岸を散歩し、リュクサンブール公園へ。

  • エッフェル塔の周りを一周、怪しげな輩が寄ってきても無視

    ソフィー宅で一泊した翌朝、朝食後、エンマは演劇(ダンス?)のお稽古があるとのことで、ガブリエルが送って行った。私たちはソフィーと、ラファエルとともに、エッフェル塔のあたりに散歩に出かけた。ソフィー宅はエッフェル塔までわずか徒歩5分くらいの立地で申し分ない。以前は、東駅の近くに住んでいて、そこのアパートも広くてなかなか良かったのだが、子供たちの学校を考えて引っ越ししたということだった。お父さんのガブリエルがイタリア人、そしてお母さんのソフィーがフランス人なので、国際的な学校を選びたかったようだ。その結果、8歳のラファエルは英語もかなり上手なんだそう。もちろん、イタリア語とフランス語は家庭でも話している。エッフェル塔の周りにはさすがに観光客が多く、コロナ後は予約制だと聞いているが、それでも長蛇の列だった。そし...エッフェル塔の周りを一周、怪しげな輩が寄ってきても無視

  • ラファエルはいいお兄ちゃんに、妹のエンマはお転婆 ウフ!

    本来なら、この日はパリでの貴重なフリーの時間だったので、シャンゼリゼから別の地区などへも行きたかったのだが、マルチーヌから電話が鳴った。彼女はもう帰宅しており、オペラの約束の時間までまだあるという。つまり、私たちの帰りを待っていて、一緒に過ごし、彼女の約束の時間、そして私たちがソフィー宅へ行く時間がほぼ同じくらいなので、一緒に出ようということだった。お世話になるマルチーヌのそう言う気持ちに、やはりこたえなければ、と買い物などの用だけを済ませ、私たちは、またマルチーヌ宅へ向かい、しばし歓談をした。そして、出かける時間になり、お礼を言って、別れた。この時点では、私たちはソフィー宅で一泊した後、明日の遅くとも午後には戻ってくるつもりだった。メトロを1号線から6号線に乗り換え、ソフィーの最寄り駅に着いた。地図でも...ラファエルはいいお兄ちゃんに、妹のエンマはお転婆ウフ!

  • シャンゼリゼで修学旅行できた大阪の高校生に出会う

    シャンゼリゼまではメトロの市役所駅を使うと一本で行ける。目指すサッカーチームのPSGの店が凱旋門に向かって左側に大きな店だったのが,なくなっていた。これは向かって左側にあった店の前↓調べると、どうやら向かって右側に移転したようで、とても小さな店に代わっていた。それどころか、この辺りにあった店が大きく変わり、ロクシタンがシャンゼリゼにできており、その中にマカロンの店まであった。これもオリンピックのためなのだろうか。観光客を意識したお店が多くなった気がした。これは左側にあった店↓ルイヴィトンのトランクはホテルだそう↓そしてまた驚くことが。PSGの店の中には日本人観光客、しかも制服を着た高校生である。言葉から関西の学校であることが分かった。少し言葉を交わし、家族へのお土産のアドバイスももらい、この店を後にした。...シャンゼリゼで修学旅行できた大阪の高校生に出会う

  • ノートル・ダムの修復はフランスの威信をかけて着実に、慎重に行われていた。

    マルチーヌ宅で一泊した後は、朝ご飯を頂き、その後散策に出かけた。マルチーヌ宅はポンピドーセンターに近く(アパルトマンを出るとすぐそこに見える)、メトロランビュトー駅が最寄駅(1分くらい)だが、「Hoteldeville(市役所)」駅や、シャトレ駅も使えるパリの中心地で、本当に素晴らしい立地である。その分「狭いのよ」とマルチーヌは言っていたが、1人暮らしの彼女には十分である。フランス式の6階に住んでいるが、エレベーターもある。(前回はこのエレベーターが修理で使えなかったのだが)まずは市役所↓ということで、ここからは徒歩圏でかなりの観光地に行ける。なかでもノートル・ダムは歩いてすぐだ。ちょうど修復中のノートル・ダムは覆いが取れて、中には入れないが、外の様子はうかがえるということだ。サンルイ島の方へ向かって歩い...ノートル・ダムの修復はフランスの威信をかけて着実に、慎重に行われていた。

  • マレ地区の様子が少し変化、ちょっと残念

    パリのマルチーヌ宅につき、少し休憩して、Wi-Fi環境を確認すると、以前もそうだったが、彼女はとてもこういう面に弱く、あれこれ出して、「これかな」と見せてくれるのだが、結局どれもだめで、買い物に行くついでに、Freeのショップに行くことになった。二人で、彼女の家からリヴォリ通りにある店を目指したが、途中「POPSHOP」と呼ばれる期間限定の店が目についた。最近こういう店が多いらしい。また英語表記の店も増えたそうだ。ここマレ地区で、今まではあまり見なかったスタイルのカフェやショップが増えていて、彼女も言っていたが、私も少し残念に思った。若い人たちの志向なのか、パリオリンピックのためなのかはわからないが、「フランス語」を大切にするフランスが好きなので、こういう傾向はいただけない。今まで通り変わらないお店を見る...マレ地区の様子が少し変化、ちょっと残念

  • フランスのデモは激しい、しかし一方博愛の精神は生きている。

    マルセイユ12時2分発、定刻通りの出発でパリへ。途中、懐かしいTGVアヴィニョン駅を通過。二年前はここでドラマティックな、再会、お見送りを受けたグラブゾンのムッシュはどうしているだろうか。連絡がなかったので、来日はきっとまだ果たせてないのだろう。そんな思いを胸にTGVは、パリへ。マルチーヌが迎えに来ているはずだ。パリ・リヨン駅に。あー、変わらぬ笑顔。ニースのミッシェル夫妻と並ぶ古い友人だ。さて、ここからマルチーヌの家には、2018年にはバスで向かった。大きなスーツケース対策だ。その時はパリリヨン駅の近くに滞在していた時に予め、バス停をチェックしていた。しかし、今回は、主人が覚えていると言ったそのバス停は、2022年図書館夫妻の家に向かったバス停だった。あーあ。マルチーヌは「メトロで」と再三言ったが、バスが...フランスのデモは激しい、しかし一方博愛の精神は生きている。

  • プロバンスでは他の誰よりも、あなたたちと会うことを最優先、それはホント!!。

    マルセイユ最後の朝は、エンマの涙はない。彼女はもちろん、もう私たちがパリへ向かう日であることはわかっている。が、彼女は強い子だ。何もかも理解しているが、感傷的にはならない。それは少し寂しい気もするが、それがエンマだ。ヴィルジニとミッシェルさんがエンマを幼稚園に送っていく。エンマとはここでお別れ。その間に最後の荷物の点検を終えた。パリへ旅立つ準備は完了。彼らが戻ってきて、少し話をした。2022年は2泊3日でお世話になったが、今回は3泊4日。しかし、物価高騰、エンマの世話で、若くない2人の両親は、少し疲れているように見えなくもなかった。ミッシェルさんからは「物価が2年前と変わったことを感じるか」と聞かれ、円安のせいもあるので「もちろん」と言ったら「そうか、やっぱりな。何もかもだよ」と困った表情になった。また2...プロバンスでは他の誰よりも、あなたたちと会うことを最優先、それはホント!!。

  • エンマが泣いている。なんとかしなくっちゃ!

    スーパーに寄った後、もう一か所ファーマシーのような格安店にも寄ったが、ここでもまたレジに並んでいると、日本人だとわかるや否や、日本についていい感想を言ってもらえた。今回の旅行中、本当にこういうことが多く、ありがたい限りである。ここ20年ほどフランス人とお付き合いしているが、年々日本の好感度が上がり続けてきたが、最近は顕著にそれを感じる。エンマ嬢はこういう買い物のお付き合いが多いと、退屈でつまらなさそうだったので、帰宅後はまた主人がプールにお付き合いすることにした。やはりこの子の笑顔が見たい。キャッキャッと歓声を上げてプール遊びしてくれた。楽しんでもらえてよかった。今夜の最後の夕食は、料理上手のおばあちゃん直伝だというポワロ―ねぎのタルトだった。これは本当に美味しかった。一応レシピも聞いたが、ポワロ―ねぎ、...エンマが泣いている。なんとかしなくっちゃ!

  • エンマの買い物ごっこ

    このあとは、少し大きなマルシェへと向かった。ここでのエンマの行動が面白かった。彼女は退屈だったのだろう。試食用に置いてあるいちごをつまんで食べたり、ヴィルジニにビニール袋をもらいに行き、サクランボも味見をしては袋に入れいた。大人のように買い物ごっこをしているわけだ。レジ精算時に「ごめんなさいね。娘が勝手に取ったのよ」と袋を返そうとしたら、男の店員さんは「プレゼントだよ」というではないか。こんなかわいい子の買い物ごっこをどうこう言う無粋なことは全くない。エンマが袋に入れた量も大したこともないし。まあ、これくらいのおおらかさ?はフランス人なら誰でもあるはずだ。このケースと反対に、フランスではいい大人が試供品ではない化粧品やクリームなどを勝手に使い?減っていたりすることもあるようだ。これはいただけない。フランス...エンマの買い物ごっこ

  • レストランはオーナーが変わり、料理の味まで変わっていた。

    さて、マルセイユ最終日。最初の予定では、小さな村を訪問するとかと言っていたのだが、急遽予定変更になったようで、まずエンマのバレエレッスンの送迎から始まった。私たちもそう言う光景も見てみたかったし、小さな村はまたの機会もあるだろうと思い、快諾した。エンマのレッスン中に少し小さなスーパーに買い物に行った。ここで、日本の「あられ」のようなお菓子を見た。初めてこういう甘くない日本のお菓子をフランスで見たのだが、そのくらい日本のお菓子も人気が出てきているということだ。直訳すると「日本ミックス」という名前がついている。↑このレジで並んでいるときも、目と目が合ったお客さんと話し、日本から来たというと、にっこりして「いい国だわ。私も行った事があるのよ。」と日本と日本人に好感を持っていてくれることをはっきり感じた。そしてエ...レストランはオーナーが変わり、料理の味まで変わっていた。

  • ソフィアローレン風に唇を厚くする子が増えているのだそうな

    ランチに選んだ店は、アジアの料理の店でヴィルジニも時々食べに来る事があるという店だった。彼女はタイ料理を選んでいた。私は普通なら日本料理を選ぶことはないのだが、お腹にやさしいだろうと、お寿司を選んだ。フランスで食べた事があるお寿司は、友人たちと行った同じようなアジア料理や中華系のビュッフェスタイルの中での一品として、またスーパーで売られているものや、空港でだが、今まで食べたことがある中では、一番お寿司らしかった。もちろん日本人が作ったものではない。何よりお店の人の接客もよかった。このお店はビジネスマンたちも多く訪れていて、その様子がうかがえるのも興味深かった。さてお腹が膨れて、ちょうどこの建物の向かいにも大型の複合商業施設があって、そこへ向かって歩くことになった。そこでは海の景色も楽しめるそうだ。その中に...ソフィアローレン風に唇を厚くする子が増えているのだそうな

  • 「モンテ・クリスト伯」つまり「巌窟王」で有名なイフ島とはこれだ!

    前夜お腹が苦しいまま、床に就き、一時は朝起きても体調が悪かったら、臥せっていることになるかもしれないと思ったが、朝起きたら薬も効いたのか、すっかり回復していた。起きてみると、エンマはすでに幼稚園に行っていなかった。今日は、ヴィルジニが船に乗せてくれるらしい。短い距離とは言え、地中海で船に乗るのは初めてのことだ。ミッシェルさんの車で、Lepointrouge(ルージュ港)というところまで送ってもらい、そこからマルセイユの旧港へと向かう。着いたらまだ誰もいず、もしかしたら私達だけ?と思ったが、出発時間が近くなるとどこからともなく人々がやってきて、そこそこの人数になった。自分の船を操縦するミッシェルさん曰く、「船に乗れるかどうかは、あらかじめ決められない。海の状態(つまり天候によるところが大きい)が決めることだ...「モンテ・クリスト伯」つまり「巌窟王」で有名なイフ島とはこれだ!

  • 幼稚園から出てきたエンマは、ちょっと照れ気味

    さあ、エンマのお迎えの時間だ。二年前も何度か行った幼稚園へと向かう。そして、時間。私たちを見つけ、にこっとしたエンマ。嬉しいような恥ずかしいような、というような表情だった。この子は5歳だが、天真爛漫な中に、少し大人びたところがあるように見えるのは、その利発さゆえかもしれない。とにかく父親のミッシェルさんはメロメロのようだ。「この子はいたずらっこなんだよ」と滞在中もよく言っていた。つまり父親に上手に甘えて?意のままに動かして?いたりもするのだ。エンマは、私たちが知っている彼女の曽祖母さんと性格がそっくりだとヴィルジニは言うのである。この曽祖母さんのことも書き出したらいっぱい書けるが、この旅行記から外れてしまうので、それはまたの機会にしよう。帰宅後、彼女の希望通り、プール遊びに早速夫はお付き合いすることになっ...幼稚園から出てきたエンマは、ちょっと照れ気味

  • ニースもマルセイユもミッシェル、「ミッシェルさん」がいっぱい!!

    ニース駅を11時25分発、マルセイユ着へは14時6分のTERに乗って出発。TERの一等車は、ずいぶん前にたぶんフランスレイルパスを使っていたころ、モンサンミシェルから使った事があるような記憶がある。それ以来だと思うが、TGVの座席とほぼ変わらないくらいのゆったりした座席。値段もそれなりなのがわかる。乗客もそれなりと言えばそれなりではあった。通路を隔てた隣に二人の男性が座っていた。彼らは1人はイギリス、1人はアメリカと言っていた。「この列車はアンチーブに停まるか」と聞かれたので、「Yes」と答えたことから、少し話をした。彼らもまた日本に来た事があって、その時の様子を話してくれた。いい思いを持ってくれていることがわかり、嬉しくなった。10分余りの短い時間だったが、こういう触れ合いもまた旅の楽しみである。アンチ...ニースもマルセイユもミッシェル、「ミッシェルさん」がいっぱい!!

  • ニースでミッシェル夫妻の見送りを受け、いざヴェルジニが待つマルセイユへ

    ニース最後の朝、起きてミッシェルさんに挨拶をすると、いつになくギューッとハグでの挨拶で、感傷的な気分になる。彼は91歳。まだまだお元気なので、また会えるとは思う。しかし、心臓を悪くしているということもあり、次はいつなのか、不安があったとしても不思議ではない。昨日は「これ、あげる」と、愛用されていたと思われる彼のブレスレットをいただきもした。もしかしたら、などと余計なことが頭をよぎる。そんな朝だったが、マルセイユへ行く切符も予約済みである。ヴァンチミリアでホームがあふれて列車に乗れなかったことがあったので、マルセイユのヴィルジニに尋ねたところ、「バカンスは過ぎたので、大丈夫。」と言ってきた。今回ニース→マルセイユ間の予約も日本でしなかったので、TGVの席がなくなっていた。よってTER、つまり座席指定はない。...ニースでミッシェル夫妻の見送りを受け、いざヴェルジニが待つマルセイユへ

  • 離婚した元夫の看護もし、亡くなったあとの資産整理もしたJクロード

    無事見つけることができたサブバッグを手に、大型電気店で探したかったのは、ネズミ型のパソコン拭き。でも結局それはなかったので、アパートに戻ることにした。かなり遅くなったので、帰宅すると、すでにクリストフは待っていた。久しぶりの再会の挨拶をして、アペリティフ。シャンパンが開けられた。今回の旅で友人宅で戴く初めてのアルコールだった。いつもは行くたびに、シャンパン、ワインと、毎日飲み続けることが多い(コロナ罹患に気が付かなった時でさえ、少しはいただいていた)夫妻はシャンパンは飲むがワインを飲まないこともあって、この時が初めてになった。マントンやイタリア旅行の話をJクロードの息子のクリストフに聞かれ、写真を見せたり話をしたりしていた。そして、テーブルへ。息子のためにJクロードはごちそうを用意していた。デザートも二種...離婚した元夫の看護もし、亡くなったあとの資産整理もしたJクロード

  • 「はっ!!」肩にかけていたはずのサブバッグがない!!!

    今日はJクロードの息子で近所に住むクリストフの誕生日ということで、彼が来て一緒にランチをすることになるようだ。彼には一度、クリスマスのサプライズで会った事がある。前回はニースで会うことはなかったので、再会が楽しみである。ミッシェル夫妻とクリストフは毎週日曜日一緒に食事をすることになっているらしく、ちょうど今日がその日曜日でもあった。朝からJクロードはマルシェに買い物に出かけた。私たちはミッシェルさんと出かけることになっているが、彼の支度を待つ間、近くに小一時間、散歩に出かけた。徒歩で行ける距離にモノプリもあった。教会へいき、鐘の音を聞きながら、ミッシェルさんの待つアパートに戻る。ミッシェルさんは、準備が整っていたので、私たちもマルシェへと向かった。花市場の方のマルシェはアンリ夫妻と行った事があるが、この規...「はっ!!」肩にかけていたはずのサブバッグがない!!!

  • 懐かしかったシラク大統領の銅像

    今日は特に行きたいところもないと言ったので、夫妻とともにニースを歩くことになった。いつものようにゆっくり目の朝食を済ませ、出かけたのは旧市街近く。ここでも小さなマルシェが行われていた。アクセサリなど、小物が多かったと思う。Jクロードは何やらお店の人と話していて、ブレスレットを買っていたが、私は収穫はなし。そして、昼はニース名物の「ソッカ」を食べようということで、旧市街の中へと入って行ったのだ。途中のお店も見ながら歩いていたので、お昼も過ぎて、結局予約が満席ということだった。お腹もすいていた私たちは、ソッカは諦めることになった。変更して向かったのは、二年前も来た事がある、ガレットのお店。花市場の近くだ。そこは二年前とは違い店の裏側の外にもテーブル席ができていて、そちらへ案内された。裏の方が静かで落ち着ける。...懐かしかったシラク大統領の銅像

  • ミッシェルさんの食欲に脱帽

    Jクロードからヴァンチミリアに着いて私たちを待っていると連絡が取れて、一安心。私たちがモナコ駅で、座れるようになった時、ミッシェルさんは依然として立っていたのだが、前席の大学生の女の子が「どうぞ」と席を代わってくれたのだった。しばらく私は彼女と話をしたのだが、その中で彼女はトゥールーズから来た大学生で、マントンでバカンスを過ごすという。また彼女の出身はスイスに近いコンテ地方で、小さな村だと言っていた。彼女は日本が大好きで、中でも日本文化にとても興味を持っているという話や、日本についていくつかの質問をしてきたりして、話が弾んだ。日本人の友人(東京の若い男の子と言っていた)がいるとのことだった。感じのいい彼女は、いつか日本へ行きたいというので、連絡先を交換しておいた。そして彼女たちは、マントンで休暇を過ごすた...ミッシェルさんの食欲に脱帽

  • ニースに置き去りにされ、Jクロードだけがのれた列車は出て行く!!

    ニースに戻り、ミッシェル夫妻の家で過ごすと、どれだけ快適かがわかる。清潔で広い部屋、シャワールームや洗面台は部屋にある。トイレは二つあり共用ではあるが、一つはバスタブ付きの浴室の中で、こちらは夜利用する、もう一つはリビングにあって、いつでも使える。もともと彼らが引っ越してきたときは、リビングのトイレはなかったので、新たに作ったということだった。確かに客人があるときは便利である。泊り客でなかったとしても、いちいち浴室のトイレ利用をするより、リビングに独立しているトイレのほうがずっといい。さて、今日はヴァンチミリアへ行く日。いつものように?列車の時間を調べることもなく、朝の支度がすべて終わったころが出かける時間である。10時過ぎには出発した。そして、改札付近の大勢の人を横目に、近郊線の駅で切符を買う時、また駅...ニースに置き去りにされ、Jクロードだけがのれた列車は出て行く!!

  • ヴァンチミリアでの乗り換えは、滑り込みセーフ

    セルボガ(公国)を後にして、ボルディゲーラに戻ると、まずホテルに荷物を引き取りに行った。部屋は問題点がないこともなかったが、オーナーは本当にいい方で、「今度は予約サイトを通さずに直接予約して」と、名刺をくれた。お礼を言って、ホテルを後にする。列車の時刻は15時54分発で、出発まで少し時間があったので、トイレ休憩もかねて、駅前のカフェに入った。最後の?ブラッドオレンジジュースを注文して、時間まで過ごすことにした。そして、そろそろと思い、ホームに入った。すると、列車の遅れの表示が出ていた。15分遅れだった。普通なら何ともないくらいの遅れなのだが、ニースまでの直通列車はないので、ヴァンチミリアで乗り換えが必要だ。予約した列車の乗り換え時間は、遅れがなければ十分だった。しかし、15分遅れで来ると、ボルディゲーラか...ヴァンチミリアでの乗り換えは、滑り込みセーフ

  • 勝手に独立して、王様もいる「セルボが公国」

    さてこのセルボガ村なのだが、実はイタリアから独立宣言して王様も今は2代目であるらしい。村の各家には「セルボガ公国」の旗が翻っている。バス停近くには初代公国王の胸像もある。敵(?)が攻めてきたときの備えとしてちゃんと大砲も1門置いてあった。現在の王様は、なんとこの前に書いたウサギの料理を出すレストランを経営している。イタリアから独立したといっても税金はちゃんとイタリアに収めていて、いわば勝手に独立したといっているだけなのだ。しかしこのことが有名になり、この山奥の村に大勢の観光客が来るようになった。村は古い歴史があるようで迷路のような道をあちこち歩いたが、そんなに大きくはなく、全部を歩き回るのに時間はかからない。バス停の反対側からピクニックの人たちが杖をついて歩いて登ってきたのにも出会った。その人たちもこの「...勝手に独立して、王様もいる「セルボが公国」

  • 帰りの時間が迫り、メイン料理は大急ぎ。

    今日でボルディゲーラともお別れ。まず、フロントに荷物を預かってもらえるか尋ねたら、「もちろん」と快諾してもらえた。このホテルは立地もいまいちだし、部屋もよくなかったが、このオーナーの応対だけは評価できる。よって、セルボガ村へ行くことにした。10時45分のバスなので、まず朝食をと、カフェへ向かった。昨日、心当たりをつけておいた駅に近いパン屋兼カフェである。3.9€と、とても安い朝食だったが、カプチーノ、甘いパン、オレンジジュースとどれもおいしくて、満足できた。実はこのカフェ、人気があるのか、観察していると、注文を結構待たされるくらい、パンを買いに来る人が多い。お店の人もきびきび働いていた。年配のマダムが最初1人できりもりしていたが、若い人たちがやってきて交代したりしていた。常連さんと思えるマダム、いやセニョ...帰りの時間が迫り、メイン料理は大急ぎ。

  • 観光地の匂いはあちこちで・・・。そして、あの帽子の件も・・・。

    サンレモにもcasinoがあった。マントンのカジノよりは大きくて立派で市役所かと見間違うほどだった。またそのcasinoの前のホテルや店は豪華で、宝石など売っているブティックも立ち並び、「そうか、ここで一儲けしてそのお金で誰かにプレゼント!!ってことになるのか」と、思った。ニースやマントンでは見かけなかった立派な身なりの紳士が、ホテルから出てきているのも興味深かった。そんな観察をしながら、街歩きをした。大きな町なので、ブティックやレストラン、カフェがたくさんあった。マントンよりずっと規模が大きい。そして、モノプリやラファイエットと言ったフランスのスーパーやデパートのイタリア版みたいな店もあった。少しあちこちの店をのぞきながら、海の方へと向かった。海岸近くに土産物店があり、店の前で帽子を売っていた。たしか1...観光地の匂いはあちこちで・・・。そして、あの帽子の件も・・・。

  • 音楽祭で有名なサンレモの旧市街と、新しい街

    イタリア2日目昨夜も早く眠ったせいか、朝早く目が覚めた。今日の予定は、サンレモ。サンレモは音楽祭で有名で名前くらいしか聞いたことがないが、ボルディゲーラから列車で20分くらい。朝ごはんは昨日の残りのパンとスーパーで買った常温保存できるジュースだけだった。今日も昼は外食になるので、ちょうどいい。ささっと食べて、駅へ向かった。8時37分発の列車で9時到着だった。サンレモについては、全く予備知識もなく来たので、列車の駅から市内中心までこんなに遠いとは思わなかった。ほぼ一本道だったのだが、途中で何人かに尋ねながら、旧市街へ抜ける広場を目指した。やはりサンレモは大きな町だった。新しい町を通り抜け旧市街へ上がると、ニースのエズ、ロックブリュンヌ、マントンやボルディゲーラの旧市街と比べると、あまり手入れされてないような...音楽祭で有名なサンレモの旧市街と、新しい街

  • 大当たり! 本場イタリアのピッツアは美味しくて、大きくて、安く、大満足!

    ボルディゲーラの旧市街に行くために、駅の方へ向かった。駅の近くから、今度は山の方へ向かって上り坂を歩いていく。やがてものすごいお屋敷、高級なアパートが立ち並んでいるのを見た。ニースやカンヌなどとはまた違う豪華さだった。目を見張りながら、確かこの辺りにモネも絵を描いた場所があるはずと思い探して歩いてそれらしきところへは行きついたが、今はその当時の面影はなくちょっとがっかりした。気を取り直し、少し引き返し、またさっきの道をとぼとぼ歩いていると、左手に小さな道があってここだなと直感を果たらせのぼっていくと、旧市街のかわいい街が開けてきた。イタリアの旧市街もまた可愛らしくていいなと思った。ここの場合は頂上にお城跡はなく、教会があり広場があった。お昼をかなり回っていて、お腹もすいていたので、頂上の広場のレストランで...大当たり!本場イタリアのピッツアは美味しくて、大きくて、安く、大満足!

  • マントンとお別れ、そして国境を越えて、イタリア(ボルディゲーラ)へ。

    マントン最終の朝は、市場でバゲットを買おうと思っていたが、10時から開店ということで断念した。地元のパン屋さんでは考えられない遅さだ。ということで、もう一軒の地元のパン屋さんへ戻った。そこは洗練されたパン屋さんというより洋菓子屋さんと言った感じ?で、お菓子もおいしそうだった。ブリオッシュとシューケットを買ってみた。美味しい朝ご飯を食べて、アパートを少し掃除して出ることにした。「鍵はテーブルの上に置いておいて」ということだった。忘れ物がないように点検し、この便利だったアパートを後にして、駅へとまた徒歩で向かった。このような高級マンションを見ながら駅へ↓いよいよイタリアに向けて出発だ。改札でスマホのチケットをかざして駅に入り、ホームで列車を待った。10時56分発の列車は正確にやってきた。SIMカードは、国境を...マントンとお別れ、そして国境を越えて、イタリア(ボルディゲーラ)へ。

  • 若い人の時間、そして夢を持ち続けること

    ロックブリュンヌからマントンに戻り、海岸沿いを歩いていた時、海岸がきれいにならされているのに気が付いた。来日のフランス人に、「日本はとてもきれいな街だけれど、海岸がきれいじゃないね」と言われたことがあり、聞けばフランスの海岸は毎日掃除されるということだった。本当に砂浜もきれいにされているのだ。そんなことを感じながら、昨日の日本人の女性が働いているお店へと向かった。今日はお目当ての魚介のフリットがまだ残っていた。少しイタリア人堅気なオーナーもこの若い日本人女性を褒めていたが、以前リヨンのチーズ屋さんで働いていた女性もとてもよく働いてくれると言われていたことを思い出し、そんな話を彼女にもした。もちろんここの彼女も、しっかり働いていて、少しお客さんが途切れたら、話をする時間もあったし、オーナーも気さくな人である...若い人の時間、そして夢を持ち続けること

  • ロックブリュンヌの古城跡からの眺め。

    今日の朝は、市場が休みで、パンが買えなかったため、近くのカフェで朝食を取ることにした。円安で外食は避けているが、朝食ならいいだろう。なかなか感じのいいカフェで味もよかったが、いわゆる伝統的なフランスのカフェとは少し違う感じだった。クロワッサンとかバゲットではなく、日本の「モーニング」みたいなものだった。それでもイタリアに近いので、ブラッドオレンジジュースもついていて、なかなかよかった。さて、朝食のあとはアパートに帰り、支度をしてロックブリュンヌに出かけるため、出発した。駅ではなく、カジノの近くのバス停からだと、バスの本数も思ったよりあるようだ。待っていると、足が不自由な男性が「バスの切符代をもらえないか」と言ってきた。言葉が分からない風を装って(夫は本当にわからないのだが)適当にあしらって、私たちはバスに...ロックブリュンヌの古城跡からの眺め。

  • ジャンコクトーの美術館はちょうど無料の日。

    マントン2日目。歩いてすぐのところにあるマルシェへ向かった。安いものもあれば、いいものは高かったりする。スープドポワソンは2ユーロと安かったが、いちごとサラダにする野菜はかなり高かった。いちごは奮発することにした。いちごとサラダの生野菜で10ユーロもする。円安だから1,700円ということだ。パンもメインもまだ昨日の残りがあるので、今日は節約。リヨン名物赤いプラリネ入りのブリオッシュを見つけて、すぐ買ったのだが、今回はパリの友人宅でも出され、少しずつフランスの中でも知られてきているようでうれしかった↓朝から海辺に散歩に行った。帽子をニースのミッシェルさん宅に忘れてきたので、日差しのきつい昼間に歩くより朝の散歩と考えたのだが、すでにまぶしかった。水温は低いだろうに、泳いでいる人たちも多くいた。ロックブリュンヌ...ジャンコクトーの美術館はちょうど無料の日。

  • 運よくSIMカードを売っている店を見つけた。

    マントンの旧市街から絶景を眺めたことで、マントンへ来た目的が果たせたと言っても過言ではないほどだった。さらに墓地のほうまで上がり、そして海沿いへと降りていくことにした。散策を終えて、アパートに戻るのも便利だった。少し休んで、夕食の準備のためスーパー(カルフール)の方へ向かった。美味しそうな匂いにつられ、鳥の丸焼きを買ってしまったから後々大変なことになる。バゲットや、サラダや飲み物も買った。そしてふと目にした、Freeの店(SIMカードを売っている店)。前回この店がいいタイミングで見つけられず、緊急時の連絡が受けられないことが多々あった。Wifiがないところでは、こちらの都合でドコモ海外につないだ時だけしかネットもできず、話せずで、向こうからかけてきてくれてもつながらなかったからだ。今回は滞在も三週間弱で、...運よくSIMカードを売っている店を見つけた。

  • マントンの眺望、これこそ、コートダジュール!

    シニアの旅行は、ゆったりを旅程を組むことも大事なので、朝の出発も余裕を持って考えている。実は、マントンまでの列車のチケットは、ミッシェル夫妻が駅で買えばいいということであったが、ビオットまでの列車の切符を買うときのモタモタを考えると、やはりスマホで予約をしておいた方がいいかもしれないと思い、昨夜試みてみて、すでに予約できているのだった。だから安心だ。荷物も手に持つキャリーとリュックだけに収め、かなり少なくした。ミッシェルさんが駅まで同行してくれた。ホームもすぐにわかり、「5日後に帰ってきます」とお礼を言って出発した。在来線なので、自由席だ。マントンまでは30分くらいなのだが、途中モナコも通っていく。つまりモナコ公国との国境を超えることになる。そしてすぐにモナコ公国を通過してまたフランスに入る。モナコ公国の...マントンの眺望、これこそ、コートダジュール!

  • ビオットでのミッシェルさんのストライキ

    ビオットを散策し始めた。小さな村なので、見どころを回ってもそう時間はかからない。こういう坂のある古い石畳の村が大好きなので、歩くのは楽しかった。満喫していたが、ガラス細工の工房があるそうで、それはどちらでもよかったのだが、ジャンヌクロードは興味があるようで、村を下り、別のバス停がある方へと歩いていくことになった。車道を歩くので、車とすれ違うたびにちょっと心配だった。結局、彼女が思っていたところではなかったようで、また戻ることになった。「もうこのまま帰ってもいいよ」と言ったのだが、彼女は元の道へと戻り、やはり危険な車道を進んでいた。少しでも安全なところへとはやる気持ちが、早足にしていた。途中で車が通る道からそれて緩やかな石段があり、そこを上がると近道らしかった。上がり始めてしばらくして、後ろで大きな声が聞こ...ビオットでのミッシェルさんのストライキ

  • 電車とバスを乗り継いでビオット村へ

    ニースでの朝食は、夫妻が用意してくれたパンと紅茶。ミッシェルさんは早起きで、すでにカフェオーレとパンを食べており、私達が食べる頃は、濃いエスプレッソのみだ。ジャンヌクロードは私たちと一緒の時もあるし、前後するときもあり、パンと一緒に食べるときは、紅茶を飲み、ミッシェルさんがエスプレッソを飲むとき彼女もまたエスプレッソを飲む。今回、今までと変わっていたことと言えば、バターもどき?が出されたことだ。ミッシェルさんは前回以後、心臓面の不安があり、コレステロールも気にしなければいけなくなったとかで、バターを制限しているようだ。もっとも南仏に来て、バターよりオリーブオイル中心、チーズもイタリアンチーズをよく食べるようになったと言っていた。心臓は以前には若い人並みに強いと言われていたというミッシェルさんだったが、何が...電車とバスを乗り継いでビオット村へ

  • ミッシェルさん,無事帰る。

    トラムの検札によって降ろされたミッシェルさんは果たして無事帰れるのか。そんな心配をよそに、大きなスーツケースを三人で引っ張って5分余り、到着したアパートのエレベーターに乗り込んだ。エレベーターのドアが閉まるその瞬間、「あ、ミッシェルさん!!!」アパルトマンの入り口から入ってくるミッシェルさんが見えたのだった。しかし、三人が乗ったエレベーターはそのまま部屋の階に。そして、ジャンヌクロードが鍵を開けて部屋に入って間もなく、またドアが開いた。ミッシェルさんだった!!。私たちは、ゆっくり歩いてきたため、たぶん1台か2台あとくらいのトラムに乗って、速足で帰ってきたようだった。話を聞くと「落ち着いて探すと、切符が出て来て、解放されたんだよ」と。車内でも相当あちこち探していたのだが、やはり焦ってしまうとそういうことにな...ミッシェルさん,無事帰る。

  • ニース行トラムの検札に降車させられたミッシェルさんは?

    さて、一時間余りのフライトのあと、ニース空港に到着し、スーツケースが出てくるまで、少し時間がかかったので、硝子越し外を見てみると、ミッシェル夫妻がすでに迎えに来てくれているのが確認できた。スーツケースをピックアップし外に出て、久しぶりの「BIZ」(抱擁をしてキス)で再会を喜ぶ私たち。ミッシェルさんは91歳、ジャンヌクロードは80歳だ。しかしその年齢にはとても見えない2人だ。彼らと一緒にニースの町までトラムに乗った。彼らによると、空港からニースまでの距離のチケットを買うとかなり高いらしく、一駅くらいだったと思うが、そこで降りて買いなおすといいとのことだったので、それに従った。しかし、夫妻は買いなおす機械の操作に詳しくなく、何人かに尋ねてやっと買えたのだった。このようなことがこの後も続くことになるのは、やはり...ニース行トラムの検札に降車させられたミッシェルさんは?

  • 体が不自由な人の旅行をサポートするサービスにほっこり。

    朝起きると、窓から空港の飛行機が見えた。空港に近い割には、騒音も気にならず、眠れた。ただ、やはり時差の加減でかなり早く目が覚めた。機内食を食べた後、何も食べていなかったので、駅まで食べ物の調達に行った。小さいモノプリとイギリス系のマークスアンドスペンサーが一緒になった店があって、焼きたてのパンもあった。が、このパンはちょっと失敗だったかもしれない。(たぶんM&S製造?)ニースへのフライトは13時なので、時間はあった。まあ部屋で何もすることもないので、少し早めにチェックアウトして、空港へ向かった。国内線なのでターミナル2Fへの移動だ。同じシャトル列車で移動できる。このフライトはエールフランスだが、スロベニア航空の運航によるものだそうで、初めての事だったので、友人たちに聞いてみたところ、「調べたら、エールフラ...体が不自由な人の旅行をサポートするサービスにほっこり。

  • 「手ぶらサービス」を初体験

    今回は4組の友人に絞ったことで、事前に買うお土産も少なくて済んだが、日程調整などのメールのやり取りもかなり楽だった。前回は20組以上だったので、それはそれは大変だった。前回のことを考えるとスーツケースの移動も大幅軽減だ。何より、出発前にスーツケースの半分を占めていたお土産が少ないことで、重量も容量もほぼ半分程度。また今回はANAの「手ぶらサービス」を初めて利用することにした。つまり家までスーツケースを取りに来てもらい、受け取りはシャルルドゴール空港のターンテーブルなのだ。もちろん有料サービスではあったが、これは本当にありがたかった。(大型スーツケースが二つで約8000円弱)手荷物だけで、自宅近くからリムジンに乗り、伊丹空港から羽田空港。羽田では翌朝の9時半出発ということもあり、空港ターミナル直結ホテルに宿...「手ぶらサービス」を初体験

  • 2年ぶりの渡仏について

    お久しぶりですがブログ再開です。昨年6月にフランス人を迎えた後、秋~今年の冬、春と何組かのフランス人を迎えているが、記録できないまま、先月渡仏したので、忘れないうちに、まず今回の渡仏について、書いておきたい。この旅行を決めたのは、2023年9月末。燃料サーチャージの上がる前に滑り込みで航空券を予約した。マイレージで無料とは言え、燃料サーチャージだけでも5万以上だった。その後数万円あがったので、まあ悪くないタイミングではあった。旅程を考えたが、前回南仏からパリに戻った時、寒さから風邪かと思いきやコロナ感染で帰国が遅れてしまったので、今回は、最初3月出発を考えていたこともあり、パリは外して南仏中心にしようと思った。パリに寄らない旅もいいかもしれないと思っていた。その場合は、ミッシェル夫妻のところにだけ寄り、半...2年ぶりの渡仏について

  • 結局23時まで楽しんでくれた。

    わが家について、まずお茶の体験がしたいということだったので、少し母の家で待ってもらい、準備を整えてきてもらった。フェリックスの時は、テーブルでお茶を点てるだけの体験だったが、今回はせっかくなので、簡単な点前を見せて、点前はしないが、釜の湯を注いで点てるという体験をしてもらうことにした。ジェレミとミレンが点て終わり、次にフランソワとなったところで、なんと「お濃茶」というではないか!!!!!彼だけでなくあとの4人もみな「じゃあ私も」となってしまった。お濃茶の点前は時間の都合で見せられなかったが、分量と練り方を教え、後は口頭で簡単に濃茶と薄茶の違いなどを説明したところ、この日、口数が少なかったジェレミが一番目を輝かせ、興味深くいろいろ質問をしてきたのには驚かされた。本来はお茶の体験だけのつもりだったが、簡単なも...結局23時まで楽しんでくれた。

  • 東大寺、そして無口なジェレミのこと

    東大寺へ向かい、お決まりの?柱くぐりでは、アメリ―とバスチアンが挑戦し、くぐり抜けられた。6月初めに来たフェリックスが覚えていたという話を大仏様の脇侍のあたりでまた話す。この真剣な顔・・・。これだからフランス人は面白い。この真剣な顔↓その後昼食を取ったが、人数が多かったので、ここでは2テーブルに分かれて食べることになった。その際私たちと一緒のテーブルの3人はよく話し、聞けば皆パリかパリ郊外に住んでいるとのことだった。バスチアンはル・アーブルの出身だそう。つまりノルマンディーだ・男の子は皆日本に来た経験があり、1人で参加の女の子は4回来日しているそうだが、あとの3人の女の子は初来日と言っていた。ピンクの二人、グリーンの二人がカップル↓そして、二月堂から春日大社を回り、暑かったのでこの日はもう駅に向かうことに...東大寺、そして無口なジェレミのこと

  • 3カップル+1の7人がやってきた。

    6月の末にやってきたのは、絵描きのフランソワ。お母さんとまず北海道に行くため5月のGW開けに来日。北海道~東北~佐渡島~東京と回り、お母さんは帰国。それから関西へとやってきたのが6月の下旬だった。来日前に大徳寺のお茶会へ参加したいと言っていたので、予約を頼まれた。その時は友人を含む5人分ということで、予約を入れて一緒に行く予定だったのだが、結局京都に到着後予定が変更になり、お茶会をキャンセルしてほしいという連絡があった。キャンセルをして、奈良に来る日の連絡を待った。わが家に寄ってもらうことになっていたが、「人数が多いから」と遠慮がちに連絡をしてきた。聞けば、7人で奈良に来るという。お母さんと別れたのち、彼女のアメリ―が一緒なのはわかっていたが、他の友だちって、日本人なのかどうか、お茶会に参加予定の人数とも...3カップル+1の7人がやってきた。

  • 10年前の大仏殿で話したジョークをちゃんと覚えていた。

    小学生だったフェリックスはどのくらい初来日の時のことを覚えているのだろう。そんなことを思いながら案内をしていたが、彼は「東大寺の大仏様と脇侍の仏像」について冗談交じりに言った言葉を覚えていると言った。そうか、覚えていてくれているのか。もちろんその説明は初来日である彼の友人たちにもするつもりである。まずは県庁の屋上からスタートしよう。この日は前日の雨の影響でお天気が怪しかった。時々小雨が降ったりやんだりであったが、霧がかかっているものの、屋上からの眺めは霧と新緑で美しかった。彼らもそう感じてくれたようだ。そして、地震対策装置を備えた建設会社の施設へ寄るつもりであったが、あいにく休館日だった。これは多くのフランス人が興味ぶかく見学するところなので、少し残念であったが、そのまま東大寺へ向かう。大仏殿では上記の説...10年前の大仏殿で話したジョークをちゃんと覚えていた。

  • 10年前のいたずらっぽい小学生の眼は、そのままだった。

    そして、6月にやってきたのは、フェリックス。彼は10年前、両親とともに初来日、その時は小学生だった。大学生になり、友人二人を連れての再来日である。両親はトゥールーズ在住だが、彼は今大学生活を北のリール(Lille)という大学都市で送っていて、映画製作を専攻しているそうだ。両親が誰経由(誰の紹介)だったか、もはや思い出せないのだが、10年前に来た時の忘れられないエピソードは、フェリックスは8月だったこともあり、とにかくかき氷ばかり食べていたことである。ランチの時もかき氷、途中で休憩したときもかき氷だったのだ。まったく食事はせずに。フランス人の子供で食事をあまりとらないことも確かにあった。レイラもそうだった。小学生の頃はそんな感じでも成長期になると普通に食べるようになることが多いのだろう。年齢より幼く見えた彼...10年前のいたずらっぽい小学生の眼は、そのままだった。

  • カリフォルニアは多人種社会なので、その分人種差別が少ないと学ぶ

    コロナ発生以降の初来日とあって、東京ではご主人の家族のお墓参りに行き、しばらく東京で滞在し,京都に滞在している間に奈良に来られた。ご主人はもともと関東の出身で、関西に2年ほど住んでいたこともあると言っておられた。しかし、奈良へのアクセスについては、説明する必要があった。そして時間ギリギリに迎えに行ったのだが、早く着いていた彼らは違う出口から出てしまっていて、会うまでに少し時間がかかった。が、電話でうまく連絡ができて、無事会えて、徒歩10分くらいだというと大丈夫だというので、歩いてわが家へと向かった。二人とも軽装であったが、普段アメリカでは車暮らしのせいでか、特にご主人の方が少し歩くと辛そうにみえた。到着した途端、ご主人はダイニングの椅子ではなく、リビングに置いてあった物置台に座り込まれた。椅子へと促して、...カリフォルニアは多人種社会なので、その分人種差別が少ないと学ぶ

  • 横から奥さんが「なんでも食べます!」。これぞフランス人である

    4月には、以前空港で会った夫妻の友人の日仏夫妻がわが家にも来た。これは、訪問のみであった。ご主人が日本人で、奥さんがフランス人という珍しいカップル(リヨン夫妻もそうだが)だが、彼らはカリフォルニア在住というかなり異色のカップルだった。奥さんからフランス語でメールがありやり取りをして約束を決めた。もちろん「最低でも食事をわが家で」といった。来日して東京でしばらく滞在し、その後関西(京都)の宿に宿泊し、奈良にやってきたのだった。彼らは日本に住んでいたこともあり、関西は芦屋に住んでいたこともあると言っていた。かなり若いころの話だそうで、今は二人とも70代後半で、コロナ以降初来日だったが、日本のお気に入りの店など、いろいろなものが変わってしまって、と嘆かれていた。わが家に来る前、京都の宿から、電話があった。うちで...横から奥さんが「なんでも食べます!」。これぞフランス人である

  • 「土筆の袴取り」も「貴重な体験」ということになった。

    彼女のはっきりものを言う視点はとても興味深く、毎日話をするのが本当に楽しかった。彼女は黒を好んでいたが、振袖は一回きりなので、黒地を選ぶとしても地色が目立ちにくいもの、つまり柄がたくさんある方がいいとアドバイスをした。何点か試着した写真を送ってきたが、最終的に彼女が選んだ赤い地色の着物はとてもよく似合っていた。その数日前に、友人と振袖ではないが着物で歩いた写真はグレー地に幾何学模様で、無彩色に近く、かなり地味だったので彼女も気が付いていたのだろう。色が白く目がぱっちりした彼女にピッタリの振袖だった。ご両親も、フランス人の友人たちもさぞ喜んだことだろうと思う。また彼女が「土筆の袴取り」をしている写真をお父さんに送ったところ、「貴重な経験をさせてもらってありがとう」と喜んでいた。また彼女の視点からの日本の気づ...「土筆の袴取り」も「貴重な体験」ということになった。

  • そして満面の笑みで彼女はやってきた。

    そして満面の笑みで彼女はやってきた。関西空港から直接の奈良入りだったが、「空港バスで」と言っておいた。しかし、出発前日SOSが入った。「空港バスがない!!」と。びっくりして確認すると、関空―奈良がその時点では休みになっていた。こんなところにもコロナの影響が出ていた。私たちの昨年の渡仏は伊丹空港からだったので、まったく気が付かなかった。慌てて、関空から大阪市内までの空港バスに乗り、そこから列車へ乗り換えるように伝えた。そして、やってきた。乗り継ぎ便で長時間のフライトのあとだったが、満面の笑みで。もちろん彼女は日本人と同じように日本語が話せる。前にも言ったがこの家はフランス在住ながら、日本語ファーストの家なのだ。時差ボケもないように調整しているようで、まったく時差ボケもないという。彼女は高校時代の友人と会った...そして満面の笑みで彼女はやってきた。

  • 日本にいる私にフランス人が娘さんのパリの宿泊先の紹介を頼む?

    サバイバル旅行になった昨秋大変お世話になったリヨン在住の日仏カップルの娘さんが今年の3月に我が家に一週間ほど滞在した。彼女のお父さんが息子さんと来日したのは2021年の夏で、コロナの規制が厳しいころで、もちろん日本では到着後隔離必須の時だった。到着日に最悪空港で寝ることになるかもしれないとのことで、男性2人でやってきたのだった。運よく?空港泊は免れ、無事レンタカーで移動もできて、実家での一週間の隔離(だったと思う)をされてから、奈良へ来られ、その時は彼らの家(貸家にしていたのだが、コロナで空いてしまっていた)そこに滞在されていて、帰国前に一泊わが家にお父さんだけ泊まった。(息子さんは先に帰国)今年は隔離もなくなり、ブリジットさんと娘さんの2人で来る予定だったのだが、ブリジットさんの外科的手術があり、娘さん...日本にいる私にフランス人が娘さんのパリの宿泊先の紹介を頼む?

  • 入国緩和が進み、しかも円安の追い風で、友人たちの来日計画がドカッとやってきた。

    サバイバルともいえる2022年の秋の旅行を書き終え、今年2023年は、入国緩和が進み、外国人の来日ラッシュが続いているが、私の友人のフランス人ももちろん計画を知らせてきているし、今日の時点で、すでに3月、4月に我が家を訪問している友人たちがいる。また6月以降の来宅も続いている。先は来年の2月まである。6月には、今すでに来日して北海道に滞在中で、6月の20日以降関西滞在予定の絵描きとその恋人。残念ながらお母さんのイザベルは北海道のみで帰国するそうだ。7月にかけては、まだ子供だった時両親と奈良にやってきた男の子が大学生になって連絡をしてきてくれたので、再会を楽しみにしている。もう一組、ブルターニュに住むマルゴ夫妻の親戚も来日予定でどこかいい宿を知らないかと連絡があったので、奈良ではぜひうちにと、返事をした。昨...入国緩和が進み、しかも円安の追い風で、友人たちの来日計画がドカッとやってきた。

  • 奥さんのご機嫌がよければ幸せというフランス人男性の例外事件!

    2022年の秋の旅で、書き忘れていたことがある。それは、サンジェルマンアンレーのパトリックが、コロナの最初のロックダウン時に建てたという「お茶室」(と彼が称する)でのことだ。彼はこのお茶室を私たちに見てもらいたいと、出来上がった時から写真をメールで送ってきてきていて、「ここでお茶をしてほしい」と、私達の訪問を楽しみにしてくれていた。だからサンジェルマンアンレーに行くことは、計画を立てる上で不可欠なことだった。最初は日帰りのつもりだったが、彼はぜひ一泊をと言ってくれたことで、このお茶室で簡単なお手前を披露することができた。実際、この日は私の体調は正直良くなくて、庭にあるので少し寒いこともあり、その「茶室」でお茶をするかどうか迷うところではあった。しかし、一生懸命手料理尽くしでもてなしてくれた彼へのお礼を考え...奥さんのご機嫌がよければ幸せというフランス人男性の例外事件!

  • もう夢はまたフランスを駆け巡る。

    私は帰国後すぐに航空券をチェックしたほど、こんなサバイバル体験をしてもフランス愛は変わらない。次行けるのは何時だろう。また次はどんな滞在をすればいいのだろうか。そんなことを改めて考える。今回は、何とか切り抜けられたが、反省点もある。友だちに会う旅、友人宅をはしごする旅、を少し見直す必要があるのかもしれない。例えば、今回、ホテル泊であれば、また少なくともパリに南仏から戻ってからだけでもホテルかアパートを借りていれば、罹患しなかっただろう。会う友人をもっと限定することも考えたほうがいいのかもしれない。今回、滞在は12家族、訪問した家を含めると20家族くらいあった。それがスーツケースの数を増やし、重く、移動が困難になる大きな原因だ。今回は荷物の移動でも頭を悩まし、幾人かの友人に大変な思いをさせることにもなった。...もう夢はまたフランスを駆け巡る。

  • 雨の日にも訪ねてきてくれる友人たち

    今回の旅の振り返り約3年ぶりの念願の渡仏だったが、行く前も数回のキャンセルでやっとの思いで旅程を整えた。この旅の3分の2までは、順調すぎるくらい順調で、お天気にも恵まれ、気温も秋のフランスとは思えないくらい暖かい毎日だった。南仏でのアクシデントと言えば、ストライキでニームで数時間待ちぼうけくらいである。それも立ち直るのに時間はかからなかった。南仏の友、クリスチーヌと再びパリに戻った後も数日間は楽しい時間を過ごせていた。それ以降、気温が急に下がるにつれ、心身の疲労がピークに。体調を崩し、まさかのPCR検査で陽性になり、自主隔離。帰国便のキャンセル。この1週間くらいは、今までのフランス滞在、いや人生においてもそう経験することがないほど、精神的なダメージが大きかったと言える。それでも調べたり、連絡したりと、しな...雨の日にも訪ねてきてくれる友人たち

  • ジャーキーの助言に命をかけたPCRの結果、帰国できるのか!?

    いよいよ今日、帰国できるかどうか。すべてはPCRの結果次第だ。前回のPCRの結果は日付が変わってすぐに届いていたが、今回は寝る前も朝起きたときも、届いていなかった。少し気になるものの、支度をして朝ごはんを食べ終わったころ、届いた。結果は晴れて陰性、ということで、帰国できる!!心配をかけた友人たちに知らせ、今夕の飛行機で羽田に向かうことも付け加えた。PCR検査のタイミングは前述のように、日曜日の夕方のフライトで出発するためには、金曜が祝日だったので、昨日(土曜日)の午後しかなかったのだが、昨日のラボの貼り紙によると、明日(月曜)から、ラボのストライキに突入するとのことだった。つまり、土曜日の午後の検査を受けて、日曜日の便で帰るための唯一かつベストのタイミングだったのだ。万一月曜以降に予約を入れることを考えて...ジャーキーの助言に命をかけたPCRの結果、帰国できるのか!?

  • 二度目のPCR検査、孫のノアとの再会、そしてケ・ブランリー美術館

    ジャッキー夫妻宅で4日目の朝、今日もマルシェへジャッキーと行く。ニコルは足を引きずり、辛そうだが、歩けるので、昼食の支度をしてくれるそうだ。そしてジャッキーが、二回目のPCR検査に同行してくれた。一度目より少し痛い気がしたが、あっという間に終わった。「明日帰国なので、明日の朝には結果が出ますね?」と確認したら、「たぶんね」と言った。今日のランチには、孫のノアがやってくる。ノアと夫妻が来日したのは、2018年の秋で、奈良を案内し夕食に招待した。その時はまだ子供だった。この夫妻はノアの姉も彼女の希望のアメリカへ連れていき、ノアの希望は日本だったので、日本に連れてきたのだ。その半年後に夫妻宅でお世話になった時も、お父さんとともにやってきたが、まだまだかわいい少年だった。おばあちゃんは、孫のために腕を振るいたいと...二度目のPCR検査、孫のノアとの再会、そしてケ・ブランリー美術館

  • お客様を出迎えに降りたニコルが「キャー!!!!」

    ジャッキー宅での3日目は、夫妻の知人の孫娘でパリの専門学校で日本語を学び始めたお嬢さんがランチに来ることになっていた。本来の帰国予定日の前日に招待する予定だったのが、この事態で延期になっていたのだった。朝からジャッキーとともにマルシェに買い物に行った。クリシーに住んで数十年の彼らはマルシェの人とも旧知の中で、野菜はこの店、果物はこの店、と決めているようだった。そのせいか、私達にもいろいろ試食させてくれたが、果物は甘くておいしかった。屋根付きのマルシェの中でも同様で、決まったお店でチーズ、お肉、魚を買っているようだ。そして帰り道のパン屋、これも行きつけでかなり美味しいお店であった。2019年に泊めてもらった時は、「近くにパン屋がないのが残念」と思っていたのだが、いやいや、知らなかっただけで近くに美味しくてサ...お客様を出迎えに降りたニコルが「キャー!!!!」

  • 元気になってきたので、思い切って2回目のPCR検査に賭けることに!!!

    優しく迎えられたことで、心も温かくなった私たちは、小児科医のアドバイスにより、2回目のPCR検査にかけてみようと決めた。それは水曜日(昨日)の夜だった。PCR検査が可能な日はいつか。帰国便の予約は何日にするか。この時点で可能な最短のフライトは、日曜日の夜便である。そこからPCR検査をさかのぼると、木曜日は72時間以内にはならない。金曜日は祝日にあたっており、ラボは休みである。PCR検査を受けるのは、土曜日の午前中しかなく、結果を日曜日の朝にもらえれば、夕方の帰国便に間に合う。イチかバチか、本当に賭けだった。帰国便の予約をリヨンの日仏夫妻に頼むことにした。慎重になった方がいいのは百も承知で、日本人のご主人は何度も「大丈夫か」と念を押した。私達の固い気持ちを伝えると、予約を承諾してくれた。次はPCR検査の予約...元気になってきたので、思い切って2回目のPCR検査に賭けることに!!!

  • 救いの神様ニコルとジャッキーに迎えられた。

    小児科医の家の呼び鈴を鳴らすと、下りて来てくれたのは、診察中のジャッキーに代わり、奥さんのニコルだった。大きなスーツケースを見て、「それはジャッキーに(上にあげてもらおう)ね」と言ったが、一番大きいのは上まで上げる必要もないと伝えた。以前は、サロンから廊下を歩き、トイレや洗面所のある方の部屋(二部屋)を使わせてもらった。孫の面倒を見るときに便利なのでと、最近は彼らがその二部屋を使っているようで、今回はサロンの奥にあるリビングの方にある(やはりこれもメゾネットなのか)、階段を上がったところ(3階)の部屋に案内された。トイレは2階の共同なので下に降りる必要があるが、小さな部屋ながらバスタブや洗面台もあるし、シャワーや洗面には便利だ。ここで、とりあえず4泊はさせてもらえそうだ。本当にありがたいことだ。食堂の下に...救いの神様ニコルとジャッキーに迎えられた。

  • キッチン付きのホテルのフロントの呼んだタクシーの顛末。

    さて、今日はこのホテルでの自主的?隔離生活を終え、パリ環状道路のわずか外のクリシーに移動する日だ。いつものように向かいのパン屋にパンを買いに行き、荷物をまとめた。この日は水曜日で、小児科医は診察日で迎えに行けないということで、タクシーの手配をフロントに頼んだ。これが、大変だった。まず時間通りには来られないとフロントがいってきた。そして、しばらくしたのち、ホテル前までは来られないので、この場所で待っているようにというメモを持ってきた。言われた通りの場所で待つこと15分、来ない!!!!フロントに私だけ戻り、「来ない」というと、フロントの女性もその場所まで出てきてくれたが、最終的に「大通りまで出て、別のタクシーを拾って」というではないか。「流しのタクシーが拾えるのか」と聞いたら、「拾える」という。このたくさんの...キッチン付きのホテルのフロントの呼んだタクシーの顛末。

  • 二回目の抗原テストで陰性に!!

    3日目は、朝パンを買いに行った。目の前にあるパン屋はかなり美味しいパン屋でデザートもほしくなるくらいだ。目の前の広場は夜中によからぬ若者が集まったりするようで、警察官が長いこと尋問をしているのが窓からうかがえた。一息ついたころ、ジャンルイさんがまた自転車でやってきた。ジャンルイさんは寒くても自転車だ。このホテルはロビーでコーヒーやココアなども無料のサービスがあり、来客者も同じように飲むことができた。そしてジャンルイさんは私たちの様子を見て安心して帰っていった。午後は、すぐ近くのイザベル宅へスーツケースを引き取りに行った。彼女もこの状況でも、とても温かく迎えてくれた一人であった。もちろん彼女にもコロナをうつしている可能性があるので気になっていたが、大丈夫だったのでほっとした。あとはアンジェルにも確認したが、...二回目の抗原テストで陰性に!!

  • エリックもパトリックも家に来ていいよと言ってくれた。

    キッチン付きのホテルでの、1日目は移動と今後の可能性について調べたり友人と連絡を取ることと夕食の買い出しで終わった。翌2日目は、大使館に月曜日に確認のため、電話をしたところ、フランスの日本大使館は月曜日の朝に時間通りにかけても、「就業時間外」というアナウンスが流れ、大使館もフランス流なのだと驚いた。大使館には帰国便のチケットのコピーをメールで送らなければならない。しかし、水曜、金曜、日曜しかANA便はない。今日が月曜日。メールを送って領事レターを受け取るのにどのくらいの日数がかかるのか、見当がつかない。送ったらすぐに見てくれるのだろうか。電話をかけても営業時間通りに電話に出ないことからして、数日かかることも考慮に入れておく必要があった。水曜・金曜はまず無理だろう。日曜日の便とて、確実ではない。するとやはり...エリックもパトリックも家に来ていいよと言ってくれた。

  • 1回目のPCR検査後あれこれあったが、天の救いが現れた。

    PCR検査で陽性がわかったその翌日、私たちはホテルのチェックアウトをする。マリーアンジュには、彼女がネットで今のホテル2泊分を彼女の支払いで予約を入れているので(部屋は私の名前)、お金は現金で彼女にすでに支払い済みだったが、フロントに領収書を書いてもらえるよう交渉してほしいと頼み、うまくいった。チェックアウトも済み、バスに乗って、パリの中心部にあるホテルへと移動した。しょぼいホテルは2泊で切り上げ、自分で見つけたホテルに移動した。あー、本来なら帰国の予定だったのに、などと思う気持ちには、まったくならなかった。が、屋根裏部屋のような部屋から小さいながらキッチンもある少し広い部屋になり、落ち着いた。しかもスーツケースを置かせてもらっているイザベル宅とは目と鼻の先だった。本来なら昨日スーツケースを取りに行き、小...1回目のPCR検査後あれこれあったが、天の救いが現れた。

  • PCR検査も陽性!!!

    今日はPCR検査の結果がわかる日。お昼ごろかと思いきや、日付が変わった時点で、メールが送られてきていた。朝起きてすぐ、ドキドキしながら、開いた。「Positive!」え?何度見ても、ポジティブ、つまり陽性だった。愕然としている暇はない。すぐにブリジットに連絡を入れた。ブリジットとは何度かやりとりをして、どうにかご主人が見つけ出してくれた日本のANAの番号(ナビダイヤルでないもの)。彼によると、2台のパソコンを並べて調べて、やっと見つかった番号だったそうで、スマホの画面では至難の業だろうということだった。日本との時差があるので、0時を回ったところから電話してもらい、つながったところで、いろいろ質問してもらっていた。万一予定の便に陽性で乗れなかった場合、変更が可能だと言うことだった。そしてありがたいことにこの...PCR検査も陽性!!!

  • 非常時に備えたこと

    万一明日の結果が陽性だったことに備え、あちこちに連絡した。ANAへ帰国便の変更の可否を尋ねようとしても、日本の電話番号はナビダイヤルしか見つからない。さらにパリ支店は、この時閉鎖されていたのか、連絡先にかけてもつながらなかった。さあ、どうする?この時、頭に浮かんだのはヴィルジニ。彼女は、渡仏前のTGV予約でシステムエラーによる二重請求にも交渉してくれた。そして連絡を入れた。彼女はこの日の朝、お母さんと永遠のお別れをし、見送ったばかりだったらしい。そんな大変な時にもかかわらず「友達だから」と電話番号を探してくれた。他にも何人かの友人に連絡をした。マルチーヌは私が訪問した前日陽性の友人とランチをしているので、まず確認をした。彼女は何ともなかく、とりあえずほっとした。クリスチーヌから連絡があったので、今の状態を...非常時に備えたこと

  • PCR検査に行き、移動したホテルはなんだかみじめな感じ・・・・

    さて、次の日、今日はPCRテストの日である。一駅離れた駅のそばにあるラボで受けるのだが、ほぼ直線で2kmくらいなので、歩いていくことにした。今日も寒く少し雨混じりである。ドキドキしながら受付を済ませ、順番を待っているとほどなくして名前を呼ばれた。女性の先生だった。明後日のフライトで帰国のため、明日中に結果が知りたい旨も伝えた。「たぶん(間に合う)ね」といういかにもフランス的な答えだった。時間の予約をしたとき何も考えていなかったのだが、ギリギリ午前中にしておいたため、翌日に結果がわかることになった。もしこれが午後の検査だったら、翌日の午後、つまりラボは翌日午後は休業で、結果はスマホで見ることができても、陰性証明をもらうことはできなかった。まだ、運に見放されていないと思えた。ラボから戻ってきて、まず荷物をかた...PCR検査に行き、移動したホテルはなんだかみじめな感じ・・・・

  • 留守宅に夜訪ねてきた隣人の真意はいかに?

    抗原テストで陽性になった翌日は、ほぼ一日中、留守宅を出ることなく過ごしていたので、この日はもちろん写真もなしという珍しい日になった。ただフランソワーズからはPCR検査を予約の確認などの電話があったり、リヨンの日仏夫妻から「いつ帰国するんだっけ?」と連絡が来たので、予定通り帰国できない可能性があることを伝えなければならず、メールのやり取りをしていた。この日、夕方隣人がベルを押した。出てみると、マリーアンジュに頼まれて買った魚を冷蔵庫の中に入れておいてほしいと言うことだった。何となく不思議なできごとで、よく考えると、電話で体調を伝えていたが、信用できないと思った?フランソワーズあたりが、私たちの様子を見に行くように隣人に頼んだようにも思えないこともない。マスクをつけて現れた隣人は、距離を取るようにそっと魚を渡...留守宅に夜訪ねてきた隣人の真意はいかに?

  • 抗原検査が陽性!?

    今日、明日は特に予定がなかった。(帰国前に無理をしないようにと元々予定を入れていなかった)朝ごはんに、アンジェルにお土産としていただいたトリュフ入りのリゾット↓しかし、まず、午前中に図書館宅へ行き、荷物を引き取らなければならなかった。延長して置かせてもらえればいいのだが、だめだった場合は?今借りている留守宅はエレベーターなしの6階なので、さてどうしたものか。昨日ランチに行った絵描きのママのイザベルに聞いてみることにした。すると彼女は、荷物を預かることを快諾してくれた。図書館夫妻のところへ行き、一応スーツケースだけでもあと2日間置かせてもらえないか聞いてみたが、もう明日にはシノンへ出発すると言うので、無理だった。奥さんはご主人に「車で送ってあげたらどうか」と言ってくれていたが、ここパリでも駐車が最近難しくな...抗原検査が陽性!?

  • 絵描きのママのイザベルと、絵描きのフランソワ達とランチした。

    今日は、ブリジットさんにお土産でもらったリヨンのパン(プラリネルージュという赤いプラリネ入りのブリオッシュ)を朝ごはんに食べる。そして、フランスではお墓参りの日で、留守宅の近くのペールラシェーズには、たくさんの有名人も多く眠っており、多くの人が花を手向けにやってくるらしい。ブリジットさんが、「きれいな花に囲まれたお墓は一見の価値アリ」と勧めてくれていたので、行きたかった。が、この時、私は蕁麻疹と頭痛は収まっていたが、無理が続いていたことで、まだ体調があまりよくなく、家で休むことにした。連れ合いは散歩がてらペールラシェーズへ出かけて行った。この日も絵描きのママのイザベルと、絵描きのフランソワたちとのランチの予定が待っていた。完全に私の確認ミスで、待ち合わせの時間を30分間違えており、しかもまたバスで行こうと...絵描きのママのイザベルと、絵描きのフランソワ達とランチした。

  • 図書館夫妻ダウン、そしてアンジェルと夕食

    そして、図書館夫妻の家に荷物を少し入れ換えに戻った。が、私達の心はすでにマリーアンジュの留守宅を借り続けようと決まっていた。そこで目にしたのが、図書館夫妻のマスク姿だった。ムッシュはこの日の前日熱があり、1日中臥せっていたという。奥さんの咳もよくなっていない。それでもコロナではないと言うのだ。マリーアンジュの留守宅を借りているので、明日も留守宅で泊まれる(本来は図書館宅で一泊する予定だった)ことを話すと、「そうしてもらえるのであれば、ありがたい」と二人は言った。そして、私たちは、またマリーアンジュの留守宅へ戻った。今度は痒みがお腹に来ていたので、また蕁麻疹の薬を飲んだ。これも2019年の時は一回飲んですぐに効き、その後はなんともなかったのに今回は違った。そして今夜の約束、アンジェルとの夕食の店へ向かった。...図書館夫妻ダウン、そしてアンジェルと夕食

  • コロナのロックダウン中に建てたと言う「茶室と称する小屋」

    目が覚めるとなんと10時だった!!今から考えると相当疲れていたのだと思う。途中また痒みで目が覚め、蕁麻疹の薬を飲んだせいもあるだろう。今度は痒みが広がり、足に来ていたので、2019年のクリスマスの時の蕁麻疹を思い出し、早めに薬を飲むことにしたのだ。持ってきた薬がここにきてフル回転だ。パトリックは朝から用を済ませ、一緒に骨董市に行こうと言ってくれていたのに、骨董市にはもういけなかった。遅い朝食を取った後、散歩に出かけることになった。ルイ14世が「避暑地」に使っていたというところだそうで、広大な公園になっていた。(マルリー庭園)革命のせいかもう建物はなく、大きな池が残っていた。このあたりに第一夫人以下のずっと奥さん方の建物が並んでいたのだよというような説明を受け、その権力大きさ改めてびっくりした。この日もまだ...コロナのロックダウン中に建てたと言う「茶室と称する小屋」

  • 留守宅で一夜を過ごし、目覚めると、体調不良?。

    マリーアンジュの留守宅での一夜。しかし、ここで問題だったのが、布団である。もともと使わせてもらう予定はなかったので、マリーアンジュたちも来客の用意は当然ながらしなかった。よって、布団もどこにあるかわからなかった。聞けば教えてくれたであろうが、疲れていたし、この日まで暖かかったこともあり、子供用の薄い布団1枚で寝たのだが、明け方からの急な冷え込みがあり、寒さで眠れず、もちろん暖房もわからず、睡眠不足で床から出ることになった。案の定、のどの調子もおかしい。早めにと、葛根湯を飲んだ。そして、外の寒さにおじけづき、持っているもので朝をしのごうとしたが、やっぱり以前行った事があるパン屋まで行くことにした。今日はサンジェルマンアンレー夫妻のところへ行き、一泊する。体調はあまりよくなかったが、2019年の春も、シャンパ...留守宅で一夜を過ごし、目覚めると、体調不良?。

  • えっ!?陽性の人とランチ?マルチーヌからの知らせ・・

    図書館宅で2泊した朝、今日はマルチーヌ宅へ行く日だ。が、その時、マルチーヌから連絡が入った。「実は、昨日友人数人とランチをした。その中の一人がコロナで陽性だと後でわかった。私は非常に怒っている。すでにランチの前に検査を受けていて陽性の可能性があったのに、結果を知る前にランチに来るなんて。」と。また「私はあなたたちと会いたい、でもあなたたちにどういえばいいのか、」と。私達は考えた。マルチーヌは勇気がある、黙っていることも可能だったのに、正直に言ってくれたことにまず感謝した。そこで考えた末にこのような決断をし、返事を入れた。マルチーヌに風邪のような症状がないなら、会いに行こう。窓は開けてもらい、マスクをして会えばいい。しかし、泊まることは遠慮したい。と。それから、マリーアンジュの留守宅を借りたいと申し入れた。...えっ!?陽性の人とランチ?マルチーヌからの知らせ・・

  • 少しがっかりのサマリテーヌ、BHVのレストランのバルコンで高所恐怖症と戦った。

    ランチの後、懐かしいサマリテーヌへと向かった。2003年に初個人旅行で来た時、セーヌ川に沿って歩いていてふらっと入って、またそれも偶然に屋上に上りたくなり、上がったところ絶景が広がったのだ。帰国後、パリに詳しい知人が、「サマリテーヌからの眺めがいい」と言ったので、偶然とはいえ、われながらいい思い付きだったと、嬉しくなったのだ。そこで今回もその眺めをと思っていたのだが、残念ながら途中からはホテルになっていて、ホテル専用らしく、上がることはできず、とても残念だった。デパート?のようないくつかの階は高級品ばかり売っていて、ただ内装などを見るだけで、サマリテーヌを後にした。少し期待外れのサマリテーヌのあとは、やはり眺望をと思い向かったのは、BHV。(スーパーとデパートの間くらいの店)ここは何度も来た事があるが、目...少しがっかりのサマリテーヌ、BHVのレストランのバルコンで高所恐怖症と戦った。

  • おにぎり1個600円、誰が買うの!?

    一夜明けて、今日も暖かく20度くらいパリでもあるようで、かなり例外的な気候だった。奥さんはおすすめのランチの場所や、おすすめコースとして、改装された「サマリテーヌ」に行くといいなど、色々教えてくれた。まず、朝から息子に頼まれたお土産を買っておこうとサッカーのオフィシャルショップへと向かった。メトロで一本で場所もすぐに見つかり、順調なスタートだった。そこからバスでサマリテーヌへ向かおうと思ったところから、予定が狂い始めた。バス停のある場所へと歩き出し、初めての通りを歩き、なかなかいいなと思いながら歩いていたが、どうやら間違って歩いていたようで、バス停の方向から離れてしまったようだ。そこで方向を変えたのだが、バスは行ってしまった後だったこともあり、次のバス停を探し歩き続け、かなり時間もロスになり足も疲れてきた...おにぎり1個600円、誰が買うの!?

  • この咳、大丈夫!?図書館マダムがたびたび咳。

    パリに着き、ガールドリヨンから路線バスで、図書館マダム夫妻のすぐ近くのバス停に到着した。ベルを押すと、ご主人のドゥニが階下まで迎えに来てくれ、大きなスーツケースをまずガレージに置かせてもらい、中くらいのスーツケースと入れ換え、エレベーターなしの4階まで手荷物を持ってあがっていった。南仏に行く前に一度荷物を置きに来させてもらって以来なので、今日と明日ここで2泊し、数日後また戻って1泊させてもらうことになる部屋に案内してもらい、荷物を置いて、少しお茶を飲みながら南仏での旅の話をした。ここには数年前にも夕食に招待され、来た事があるが、泊まるのは初めてである。2019年の春は彼らのシノンの別荘で3泊させてもらっているので、安心していた。しかし、ここでまさかの状況を知ることになる。奥さんのジュヌビエーブがお孫さんの...この咳、大丈夫!?図書館マダムがたびたび咳。

  • クリスチーヌのお母さんに会えなかったのは残念!!

    アヴィニョンからTGVに滑り込んで、二時間余りでパリへと向かう。列車の中は、パリに住むお母さんの誕生日に向かうクリスチーヌと一緒だ。彼女は私達の滞在のためにパリに向かう日もすべて調整してくれ、お母さんの誕生日にぎりぎり間に合うような日程だった。本当にクリスチーヌは、今回深い友情を再確認した一人である。お昼は彼女と同じようにTGVの中でランチを買って取ることにした。旅は道連れとはよく言ったもので、楽しい時間はあっという間に過ぎ、パリに到着した。クリスチーヌは私達が乗るバス停まで同行してくれ、バスの到着を待っていてくれた。ここでクリスチーヌと別れ、今日からお世話になる図書館マダム夫妻の家へと向かった。二週間ぶりのパリも好天で南仏と変わらぬ暖かさだった。ここまでニームでストライキに遭った以外は順調で、お天気にも...クリスチーヌのお母さんに会えなかったのは残念!!

  • まるで映画の一シーン!?

    ほぼ時間通りにTGVアヴィニョン駅に着いた。2003年に12日間のホームステイを終え、この駅に立った時は、「もう2度と来ることはないかもしれない」と思っていたのだが、2年後に再訪、それから何度この駅に立ったことだろう。スターバックスでマルセイユから来ると言うグラブゾンのムッシュと待ち合わせしていた。30分くらいは待っていたのだが、彼は来なかった。何かあったのか・・・2つの改札口があるので、どちらも確認したが、姿は見えなかった。とても残念であるが、時間だ。仕方がない。ギリギリまで待っていたが、クリスチーヌの「もう時間よ。行こう」と言う声に後ろ髪をひかれながら、改札を抜けた。それでもやっぱり諦めきれない私は、ホームに向かう通路(階上になる)から下をずっと見ながら、もしやとの気持ちを持って歩いていた。クリスチー...まるで映画の一シーン!?

  • かつてのホームステイ先のアパートの表札にマダムの名前はもうなかった。

    アヴィニョンからパリに向かう日の朝、つまりニースから始まった南仏2週間の滞在を終え、パリに戻るのである。お昼過ぎのTGVなので、朝からアヴィニョンの散策をする。今回はジルと少し歩いただけだったので、少し時間が足りないくらいだが、仕方がない。かつて1人で初めて12日間滞在した町、ホームステイ先の前まで行ってみた。表札の名前がなかった。2003年に74歳だったマダムは元気であれば93歳だ。同じアパートの娘さんの名前は確認できた。時間がないので、いろいろな思いを胸に、このマダムの家から駅まで当時よく歩いた道をなぞり、メイン通りへと歩き始めた。クリスチーヌがチーズを買っている店↓そして、重いスーツケースに入れられるものはもうほとんどないので、お土産を見ても買うことはなく、本当に歩くだけだった。帰り道は同じ道を通ら...かつてのホームステイ先のアパートの表札にマダムの名前はもうなかった。

  • 17年ぶりに会った90代のシャンブルドットのお母さんとの再会。

    最後に向かったのは、ずっと再訪したかったグラブゾンのムッシュ。偶然(運命的な?)メールが渡仏前にあり、実は近く南仏に行くと連絡しても返事はなかったが、きっと信じられなかったのだろうと思う。シャンブルドットのムッシュなので、「行く」と言ったら「泊まる」ということなのかもしれない。初シャンブルドット滞在であれだけ世話になったのに、ただ「行く、会いたい」だけなんて彼にしてみたら、理解できないのは無理もない。私はその後たくさんのフランス人友人ができて、今では宿の必要性がほとんどない状態になっているからだ。そのグラブゾンの宿とのつながりがあるアンリに頼んでみても、スルーされ、今回は無理なのかと諦めかかっていたが、クリスチーヌが願いをかなえてくれたのだ。シャンブルドットの前に着いた時は、本当にうれしかった。そして、ベ...17年ぶりに会った90代のシャンブルドットのお母さんとの再会。

  • やはりまだ観光地化されていない小さな村がいい。

    クリスチーヌ宅で一泊した翌日は、また小さな村めぐり。まずキュキュロンという村を写真で見て行きたいと言ったら、クリスチーヌが子供のころ住んでいた村だということで連れて行ってもらった。しかしかなり小さな村で写真とはちょっと違っていて、期待が大きすぎたせいか、少しがっかりしてしまった。アンリ夫妻は「なんでそんなところに行きたいと言っているの?」と言っていたとか。ランチはこの小さな村で食べるのがいいだろうと言うことで、ここでランチをしたがこの店はあまりいいとはお世辞にも言えなかった。時間が遅かったこともあり、できるのはこれだけみたいなことを言われ、デザートも頼んだところ、まったく予想外の味だった。クリスチーヌはだから私はコーヒーだけにしたのよ、と言っていた。お腹が膨れた後向かったのは、ルールマランだった。ここはア...やはりまだ観光地化されていない小さな村がいい。

  • 旧友たち集合!?の夕食

    クリスチーヌの家に行き、荷物を下ろした。ここは初めての訪問。広いアパルトマンなので、「鍵を渡すから、好きなだけ泊まって」とずっと言ってくれていた。エレベーターなしの3階である。よくここまで一人でいくつものスーツケースを運んでくれたなあと、いまさらながらありがたく感じる。アンリもここの荷物を移動してくれ、今夜その荷物を持ってきてくれることになっている。アペリティフをいただくため、まずはヴェロニックの家へと向かう。歩けないことはないらしいが、夜なので、車で向かった。ヴェロニックと最初に会ったのは、20007年だったと思う。アンリ夫妻の友人として、彼らの友人が集まっていたのだ。そこにはクリスチャンもいた。そして、2回目はクリスチーヌと来日して、我が家に泊まった時だった。彼女はボルドー出身で、物理か数学の教師だが...旧友たち集合!?の夕食

  • 大好きな田舎の小さな村(サブレ村とセギュレ村)。

    アヴィニョンの駅のホームに迎えに来てくれたクリスチーヌは、今回すべて私の希望を聞き入れてくれた。まず彼女がボラボラ島に赴任する前に住んでいたサブレ村へ向かう。こういう小さな村はバスの本数も少なく、車なしで行くのは容易ではないので、本当にありがたいことだ。このあたりはワインで有名とあり、葡萄畑が一面に広がっている。その中の小さな村だった。石畳みを歩き、田舎の空気を満喫する。アヴィニョンに戻ってからもクリスチーヌはコロナ禍の時期にはここの学校に通っていたらしい。近くの山にハイキングもしていたとか。そして次に向かったセギュレ村はサブレより少し大きく観光客もチラホラ見かけた。今回一番気に入った村と言えるかもしれない。カフェの中の小さな窓のそばでお茶をいただいたが、窓の下に見える景色もまた素晴らしいものだった。そし...大好きな田舎の小さな村(サブレ村とセギュレ村)。

  • なんと2等車の切符で1等車に乗っていた!?

    今日はアルルからアヴィニョンに向かう日である。最後の朝食もやはり、いつものパン屋さんで。近くのスーパーの店員さんは、すっかり顔なじみになり、「日本人」だとわかると、色々話しかけてくれる。こういう触れ合いもまた楽しい。そして少し散歩をして、早めのお昼を、クリスチャンにお礼も込めて、ふるまう?ことにした。と言っても、日本人のマルシェで買った蕪やなすびなどで昨夜のうちに簡単に作っただけである。メインは日本から持参のお蕎麦と鰊で、にしんそばとざるそば。クリスチャンとドリスは日本人のパティシエのお店のケーキを持ってきてくれた。時間が押していたので、ドリスの運転でアルル駅まで送ってもらった。ここで、再会を約束してお別れだ。彼らは明日からバカンスに旅立つ。ギリギリまで本当によくしてくれた。クリスチャンのおかげで疑似アパ...なんと2等車の切符で1等車に乗っていた!?

  • アルルの和菓子喫茶の奥さんは、とても感じのいい日本人

    アルルで4泊して、明日はアヴィニョンに戻るので、今日が実質アルルの最終日。ちょうどアルルで今回の旅の折り返し、つまり前半が終わり、後半に突入したところである。朝は、クリスチャンの近くのおすすめのパン屋で買ってみた。毎日買いたいくらい美味しそうであったが、定休日やらなにやらで、結局一回きり。(リヨン夫妻のサンドイッチ以外では)午後からお茶の予定があるので、午前中はまた散策。アルルでランチと言えば、過去2度行った事がある小さなレストランがある。スープドポワソンが一番好きな料理であるのは、この店のおかげである。しかし、残念ながら、今日は定休日のようだ。仕方がない。アルルは小さな町なので、同じ通りをくるくる歩いているような感じである。ニームで帰りの切符を予約してなくて、ストライキにあたり、大変な目に遭ったこともあ...アルルの和菓子喫茶の奥さんは、とても感じのいい日本人

  • ユダヤ教に改宗し移住を考える鍼灸師。

    リヨンの夫妻が夕刻、リヨンへ帰っていくのを見送って、いよいよアルルのアパルトマン生活が始まった。お昼はしっかりステーキを食べていたので、夜はほとんど食事らしい食事をせず、果物とお茶くらいで済ませておいた。翌日、リヨンの夫妻が来ることが決まっていなかった時に、クリスチャンの紹介で来日したアルルに住むジョエルと会う約束をしていた。軽く会うはずであったが、ジョエルはランチにクリスチャンとドリスとともに招待してくれたので、迎えに来てもらう時間まで、散策に出かけることにした。まず駅の近くのモノプリまで行き、そこから古代劇場や、円形闘技場などを通りながらゆっくり戻ってきた。フランス人による「居酒屋」もあった。ゴッホのカフェのあるフォーラム広場や、クリスチャンが教えてくれた日仏夫妻による和カフェの前も通った。あっという...ユダヤ教に改宗し移住を考える鍼灸師。

  • スリリングな場面に遭遇!!突然、一人の男を二人の警官が・・

    川向こうへ行くため、橋を渡り階段を降りようとしたその時、ものすごい勢いで、私たちの横を走り抜ける男がいた。するとそのあとをまた別の男が追いかけていた。三人目は拳銃を持った男、つまり警官だった。まるで、映画の1シーンのようだった。まだその時は何が起こったのかわからなかったが、階段を降り切ったところに、オートバイが倒れていて、パトカーが停まっていた。そう言えば、アンリ夫妻にアルルに送ってもらい、夕食を済ませてアパートに戻るとき、私がアニエスに「アルルは夜歩くと危険なところがある?」と聞いたら、「アパ―トの近くは大丈夫だけれど、車を停めた橋の向こうは少し危険だと思うから夜は行かないで」と言われたことを思い出した。「そういうことがわかるの?」と聞いたら、「だいたいわかる」と言っていたので、フランス人は危険なところ...スリリングな場面に遭遇!!突然、一人の男を二人の警官が・・

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、ふらんぼわーずさんをフォローしませんか?

ハンドル名
ふらんぼわーずさん
ブログタイトル
フランス人交友記録
フォロー
フランス人交友記録

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用