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鑑三翁に学ぶ[死への準備教育] https://blog.goo.ne.jp/tsuguchan4497

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

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2020/12/12

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  • [Ⅷ303] 世の変革者(3) / 社会という怪物と戦え

    【怖れるべきだが愛してはいけない社会、避けることはできないが頼ってはいけない社会、私を利用することはあっても私を援けない社会、義の者を葬り去る社会、無辜の者を虐げる社会、私はこのような社会という怪物に対しては、戦うことはあっても和睦することはない。私は社会を救済する者又は社会を教導する者としての覚悟を持っており、社会から保護される者(※原文「被保者」)又は社会に服従する者としての考え方は持ってはいない。私は社会から制裁を加えられることを求めず、むしろ私から社会に制裁を加えようとする決心を持つべきだと思う。私自身が社会より強く且つ大きな存在にならなければ、社会の改革者・先導者となることはできないのは言うまでもないことだ。‥‥かの園遊会(注:明治13年に始まった天皇皇后主催の観菊会が端緒。対外的な文化・世論工...[Ⅷ303]世の変革者(3)/社会という怪物と戦え

  • [Ⅷ302] 世の変革者(2) / 盗賊に説法の愚

    私は人間の精神世界が自由に広がっていく有り様を鑑三翁に見出している。それは鑑三翁の執筆した論稿に多くみられる「改革/改良」「征服」「改善」という言葉にも表現されている。これはユング翁の言う「世俗の時代精神との対決から形成されたばかりでなく、その時代の精神的潮流との論争も続けている」真正なプロテスタント信徒の世界でもある。ユング翁であれば「社会」の生成は神の意思によるものなので矛盾や不誠実に覚醒しようが、これを放任し成り行きに任せればいいと考える。だが鑑三翁はロクでもない人間たちが支配し管理する「社会」なるものは「征服」すべきものと考える。ねじ曲がった鉄をまっすぐに矯め直すものと誠実に考えるのだ。今回はこの鑑三翁の考え方を示した論稿を紹介する。「社会の征服」と題した一文である。これは1898(明治31)年1...[Ⅷ302]世の変革者(2)/盗賊に説法の愚

  • [Ⅷ301] 世の変革者(1) / 鑑三翁の「自由」の原点

    「今の世界はまことに混乱擾雑(じょうざつ)の海である。社会の腐敗は底なきが如く、世界の表は紛乱を以て満たされている。」ウクライナへの暴力的侵略と虐殺を止めないロシアプーチンの血まみれの手、パレスチナの女性や子供への殺戮を止めないイスラエルネタニヤフの非道、安倍政権に始まる裏金蓄財に関与した数多の自民党政治家たちの腐臭‥。上記の一文は斯様な現実を眼前にして今ここに居る私が記したものではない。鑑三翁が1920(大正9)年4月から12月にわたって東京で行った「ヨブ記講演」の一節である(内村鑑三:ヨブ記講演.p.165、岩波文庫、2014)。今から百年以上も前、鑑三翁が59歳の時に記したものだ。誠に天才という人間は時代をも未来をも貫通するような言葉をもって神の預言者の如くに簡明に本質を射貫くことのできる者だとつく...[Ⅷ301]世の変革者(1)/鑑三翁の「自由」の原点

  • [Ⅷ301] 世の変革者(1) / 鑑三翁の「自由」の原点

    「今の世界はまことに混乱擾雑(じょうざつ)の海である。社会の腐敗は底なきが如く、世界の表は紛乱を以て満たされている。」ウクライナへの暴力的侵略と虐殺を止めないロシアプーチンの血まみれの手、パレスチナの女性や子供への殺戮を止めないイスラエルネタニヤフの非道、安倍政権に始まる裏金蓄財に関与した数多の自民党政治家たちの腐臭‥。上記の一文は斯様な現実を眼前にして今ここに居る私が記したものではない。鑑三翁が1920(大正9)年4月から12月にわたって東京で行った「ヨブ記講演」の一節である(内村鑑三:ヨブ記講演.p.165、岩波文庫、2014)。今から百年以上も前、鑑三翁が59歳の時に記したものだ。誠に天才という人間は時代をも未来をも貫通するような言葉をもって神の預言者の如くに簡明に本質を射貫くことのできる者だとつく...[Ⅷ301]世の変革者(1)/鑑三翁の「自由」の原点

  • [Ⅶ300] 老いの意味論(8) / 老いを尊ぶか/嫌悪し嘲笑するか‥

    「われわれのよわいは70年にすぎません。あるいは健やかであっても80年でしよう。しかしその一生はただ、ほねおりと悩みであって、その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。」この一文は『聖書』(1963)「詩編」第90篇(モーセの祈り)である。聖書の「詩編」は紀元前530年頃に編集されたという説が一般的である。とすると古のこの時代の人たちは意外と長寿であったことがわかる。70歳健やかでも80歳だから。ところが歴史が進むにつれて、戦争、交易による感染症の伝播、産業化に伴う自然環境の汚染、急激な工業化に伴う労働環境の悪化、食糧事情の変化や富栄養化、等々によって、文明はそれほど人間の寿命を長くしてきたとは言えないのだろう。そして今日、新しい自由主義経済とか称するエセ経済学者が、強欲と富の寡占と傲慢と差別と格差...[Ⅶ300]老いの意味論(8)/老いを尊ぶか/嫌悪し嘲笑するか‥

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