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鑑三翁に学ぶ[死への準備教育] https://blog.goo.ne.jp/tsuguchan4497

内村鑑三翁の妻や娘の喪失体験に基づく「生と死の思想」の深化を「死への準備教育」の一環として探究してみたい。

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2020/12/12

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  • [Ⅶ299] 老いの意味論(7) / 鑑三翁「老い」を記す②

    鑑三翁はその後64歳の時に次のように記す。老年期を「老熟」と捉えている。前項の論稿から10年近くが経過して鑑三翁の考え方もやや深化していると言ってよいか。《老年の祝福》【老いとは老耄ではない。老熟である。そうあらねばならない。老いは長く神に導かれてきた人間の”実験”であると考えればよい。信仰をもつ者はこのような考え方で神に仕え人間にも仕えなければならない。これに勝る幸福はない。したがって老いはできるだけ長い期間でありたいものだ。老年の一年は壮年の十年、青年の二十年に相当する。「命長ければ恥多し」(注:中国の古典「荘子」に「寿ければ辱め多し」〈長生きすれば恥をかくことが多い〉とある)という言葉は、信仰無き者の言い分であり、信仰をもつ者が口にする言葉ではない。「あなたの力はあなたの年と共に続くであろう」(申命...[Ⅶ299]老いの意味論(7)/鑑三翁「老い」を記す②

  • [Ⅶ298] 老いの意味論(6) / 鑑三翁「老い」を記す①

    鑑三翁は69歳で亡くなった(1930〈昭和5〉年)。心臓の疾患だった。この頃の平均寿命は男性でおよそ50歳、女性でおよそ53歳(厚労省資料)。当時は乳児死亡率が高く(出生100件に対し12.4)、感染症の罹患率も高く医療も不十分な時代でもあり、統計の手法も現在とは異なるので単純比較はできないものの、鑑三翁は当時としては長寿であったといえるだろう。しかしこれはあくまで「平均寿命」であって、乳児死亡率の高さなどが平均寿命を引き下げていたこともあり、七十歳八十歳超の老人も数多いたことも確かなことである。鑑三翁は「老人」や「高齢者」といった事柄に関する論稿は少ない。そのうちの論稿の二つを現代語訳した。「老年の歓喜」「老年の祝福」と題する論稿。《老年の歓喜》【若いことを喜び老年を厭うことは普通の人情である。しかしな...[Ⅶ298]老いの意味論(6)/鑑三翁「老い」を記す①

  • [Ⅶ297] 老いの意味論(5) / 3千年前の”老者の慰藉”    

    先に聖書「伝道の書」について触れた。その箇所は「伝道の書(最終章)12:1-8」である。その部分を引く。『あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、また日や光や、月や星の暗くならない前に、雨の後にまた雲が帰らないうちに、そのようにせよ。その日になると、家を守る者は震え、力ある人はかがみ、ひきこなす女は少ないために休み、窓からのぞく者の目はかすみ、町の門は閉ざされる。その時ひきこなす音は低くなり、人は鳥の声によって起きあがり、歌の娘たちは皆、低くされる。彼らはまた高いものを恐れる。恐ろしいものが道にあり、あめんどうは花咲き、いなごはその身をひきずり歩き、その欲望は衰え、人が永遠の家に行こうとするので、泣く人が、ちまたを歩...[Ⅶ297]老いの意味論(5)/3千年前の”老者の慰藉”    

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