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2020/12/06

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  • ねこ日記と主のつぶやき 新しい家族・その後

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て三週間が経ちました。現在、ことちゃんは、隔離部屋を卒業し、お留守番と寝る時以外は、好きな部屋で過ごしています。大分、お目目がまん丸に。大分お家に慣れてきたかなぁ。現在の三匹の距離大分縮まってきましたが、主としては、もう少し仲良くして欲しい。何とかなりませんかね、兄貴ズ。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき新しい家族・その後

  • 東京史跡巡り・人物編 勝海舟別荘(洗足軒)跡地

    東京史跡巡り・人物編勝海舟別荘(洗足軒)跡地勝海舟の別荘があった場所です。勝海舟別荘(洗足軒)跡地勝海舟(一八二三~九九)の別荘は戦後まもなく焼失しましたが、茅葺の農家風の建物でした。鳥羽・伏見の戦い(一八六八)で幕府軍が敗れると、徳川慶喜より幕府側の代表として任じられた海舟は、官軍の参謀西郷隆盛(南洲)と会見するため、官軍の本陣が置かれた池上本門寺に赴きました。その会見により江戸城は平和的に開けわたされ、江戸の街は戦禍を免れたのです。海舟は江戸庶民の大恩人と言えるでしょう。その際、通り掛った洗足池の深谷の趣のある自然に感嘆し、池畔の茶屋で休息したことが縁となり、農学者津田仙(津田塾大学創始者、梅子の父)の仲立ちで土地を求めました。明治二十四年(一八九一)自ら洗足軒と名付けた別荘を建築し次のような歌を詠ん...東京史跡巡り・人物編勝海舟別荘(洗足軒)跡地

  • ねこ日記と主のつぶやき お留守番できるかな?

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て20日が経ちました。現在、ことちゃんは、隔離部屋を卒業し、お留守番と寝る時以外は、好きな部屋で過ごしています。そのことかちゃん。ウールサッキングの疑いがあります。布製品をカジカジ。現在、ワイら家族で色々対策中です。今日はワイ一家みんなお仕事。久しぶりの長時間のお留守番です。かなり心配。ウールサッキングしないように隔離室から布製品を全て撤去して、齧っても大丈夫なオモチャを用意して出かけました。帰宅後点検しましたが、特に変わったこともなく、自由時間にも布を齧ったりしなかったのでホッとしました。色んな所で寛ぐ姿が見られるようになってきたのでうちに大分慣れてきたのかな。今日の三匹尻尾フリフリ、ノブさん。それを狙うことちゃん。場所を変えて何度もちょっかいを出します。ノブさん...ねこ日記と主のつぶやきお留守番できるかな?

  • 東京史跡巡り・人物編 江戸開城 西郷南洲 勝海舟 会見之地

    東京史跡巡り・人物編江戸開城西郷南洲勝海舟会見之地慶應4年3月13日、14日の両日薩摩屋敷において勝海舟と西郷隆盛の会見が行われ、無血開城がなされました。その勝海舟と西郷隆盛の会見が行われた場所とされる場所に建つ碑です。所在地東京都港区芝5-33-1アクセス浅草線・三田線「三田駅」徒歩1分JR線田町駅徒歩2分最後に会見の場所については諸説あるようですが、14日の最終会談は、田町の蔵屋敷で行われたようです。その場所には、西郷南洲の孫吉之助の筆による碑が建っているとの事で、訪れたのですが…私が訪れた時は、最寄りの建物の建て替えの真っ最中。なんてこった〜!碑は別の場所に保管され、写真のみが塀に記されていました。現物を見る事叶わず。ガックシ😔東京史跡巡り・人物編江戸開城西郷南洲勝海舟会見之地

  • 猫日記と主のつぶやき 困ったなぁ・再び・その後

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て19日が経ちました。現在、ことちゃんは、隔離部屋を卒業し、お留守番と寝る時以外は、好きな部屋で過ごしています。そのことかちゃん。ウールサッキングの疑いがあります。現在、ワイら家族で色々対策中。一つは、生タイプの量を減らし、ドライフードの分量を増やし噛む回数を増やす。これは、ちょっと効果があるようです。二つ目は、ご飯の量を増やすこと。ことちゃんのご飯の量を測りなおすと、ちょっと足りなかったことが判明。これも、効果がありました。あとは、布を噛みそうになったら、ナデナデ攻撃。これは、結構効いているようです。まだ、完全には治っていませんので、注意して行こうと思います。ことかちゃんを観察していると、猫からも人からも離れて座ることが多いです。甘えたい盛りの子猫ちゃんなのに。お...猫日記と主のつぶやき困ったなぁ・再び・その後

  • 坂本龍一さん

    昨日は、坂本龍一さんの命日。(出典・Wikipedia)40年来彼のファンだったワイ。昨年は、心にポッカリと穴が空いていた。一年たってやっと語れるようになりました。やはり、坂本さんの曲は、心に染みる。戦メリ、オリジナル。コンサートで生で聞いた時、迫力が半端なかったです。今でもその光景が思い出されます。ピアノバージョンいい曲です。EnergyFlowその他おすすめの曲AFlowerIsNotaFlowerAmoreちょっと変わった曲ですが、ワイのお気に入り。最後に坂本さんの曲の中で、ワイが一番好きな曲。Aquaご本人の演奏を見つけられなかったので、角野くんの演奏で。坂本さん。沢山の素晴らしい曲をありがとうございました。ご冥福をお祈りします。坂本龍一さん

  • ねこ日記と主のつぶやき 困ったなぁ・再び・その後

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て18日が経ちました。現在、ことちゃんは、隔離部屋を卒業し、お留守番と寝る時以外は、好きな部屋で過ごしています。さて、そのことかちゃん。歯の生え変わりでムズムズするのか色んな物を齧ってしまいます。昨晩は、ベッドパットをカジカジ。そこで、生タイプを減らしドライフードの量を増やしてみました。これは、少し効いたようです。しかし、色々と調べてみると、歯の生え変わりのせいだけでなく、どうもウールサッキングの疑いがあるようです。あぁ、ノブさんもそうだった。ノブさんの近況トライアル7日目大事件発生-リートリンの覚書おちびちゃんは元気いっぱいです。ノブさんにチョッカイを出しますが…しかし、ノブさんは相手してくれません。今日は一人遊びしています。そう、保護主さんから連絡がありま......ねこ日記と主のつぶやき困ったなぁ・再び・その後

  • 東京史跡巡り・人物編 勝安房邸跡

    東京史跡巡り・人物編勝安房邸跡勝海舟が明治五年(1872年)の49歳から満76歳で亡くなるまで住んでいた屋敷の跡地です。東京都指定旧跡勝安房邸跡この地は、幕末から明治にかけて、幕臣として活躍した勝海舟が明治五年(1872年)の49歳から満76歳で亡くなるまで住んでいた屋敷の跡地です。その間、参議・海軍卿、枢密顧問官、伯爵として顕官の生活を送り、傍ら有名な「氷川清話」などを遺しました。その時の屋敷跡は東京市に寄与され、平成五年(1993年)春まで港区立氷川小学校敷地として使用されていました。その後、氷川小学校が廃校となったため、その建物を生かしつつ改修を行い、平成十五年から区立特別養護老人ホーム及び子ども中高生プラザとして使用して現在に至っています。施設内には、屋敷跡の発掘調査で出土した当時の縁の品などが展...東京史跡巡り・人物編勝安房邸跡

  • ねこ日記と主のつぶやき 困ったなぁ・再び

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て17日が経ちました。現在、ことちゃんは、隔離部屋を卒業し、お留守番と寝る時以外は、好きな部屋で過ごしています。さて、そのことかちゃん。歯の生え変わりでムズムズするのか色んな物を齧ってしまいます。昨晩は、ベッドパットをカジカジ。睡眠妨害をしてきました。う〜ん、こりゃたまらん。そこで、ご飯を生タイプとドライフードの割合を、ドライフード多めにしてみました。歯ごたえのあるドライフードで歯のムズムズが少しでも緩和されるといいな。今日もイタズラっ子のことちゃん。台所用スポンジを流し台から運び出そうとして主に怒られた。何故か、自ら反省室へ。出して〜って、いや、自分から入ったんでしょ。今日もノブさんとタケちゃんは、二匹とも高いところで休憩です。少しは、子育てに協力して欲しいなぁ。...ねこ日記と主のつぶやき困ったなぁ・再び

  • 東京史跡巡り・人物編 勝海舟邸跡

    東京史跡巡り・人物編勝海舟邸跡勝海舟が安政6年から明治元年まで住んだ旧跡です。勝海舟邸跡の記港区赤坂六丁目一〇番三九号の「ソフトタウン赤坂」が建つこの地は、幕末から明治にかけて、幕臣として活躍した勝海舟が安政六年(一八五九)から明治元年(一八六八)まで住んだ旧跡である。海舟は終生赤坂の地を愛し、三カ所に住んだが、当所居住中の一〇年間が最も華々しいく活躍した時期に当たる。海舟は号で、名は義邦。通称麟太郎、安房守であったから安房と称し、後に安芳と改めた。夫人は民子。海舟は文政六年(一八二三)、本所亀沢町の旗本屋敷=現墨田区両国四丁目の両国公園の地=で、貧しい御家人の子として出生。長じて赤坂溜池の筑前黒田藩邸=の地の福吉町、現赤坂二丁目の赤坂ツインタワービルや衆議院赤坂議員宿舎などの地=に通って蘭学を学び、その...東京史跡巡り・人物編勝海舟邸跡

  • ねこ日記と主のつぶやき 困ったなぁ

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て16日が経ちました。現在、ことちゃんは、隔離部屋を卒業し、お留守番と寝る時以外は、好きな部屋で過ごしています。さて、そのことかちゃん。歯の生え変わりでムズムズするのか色んな物を齧ってしまいます。うっかり目を離した隙に兄貴達の寝床を破壊。う〜、こりゃたまらんと猫ベッドを高いところへ避難させると、今度は、主達の座椅子を齧ろうとする。こりゃたまらんと、齧っても良いオモチャを与えると、瞬殺。あぁ、今日だけでオモチャ二個、猫ベッド一個を破壊されました。頑丈なオモチャを買ってこないといけないな。主の悩みは尽きない。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき困ったなぁ

  • 東京史跡巡り・人物編 五柱稲荷神社・勝海舟揺籃之地

    東京史跡巡り・人物編五柱稲荷神社・勝海舟揺籃之地五柱稲荷神社(ごばしらいなりじんじゃ)には、勝海舟揺籃之地と書かれた木標が建てられています。所在地東京都墨田区緑4丁目11-6アクセスJR総武線・錦糸町駅徒歩10分最後に揺籃とは、赤ん坊を入れて、揺りうごかすカゴのこと。比喩的に幼少時代のことをいいます。勝海舟が住んでいたのは、旗本・岡野孫一郎の屋敷ですが、そこからちょっと離れた場所、五柱稲荷神社に五柱稲荷神社何故?「勝海舟揺籃之地」と書かれた木標が建てられたのか?疑問に思い調べたのですが、答えが見つからず。まぁ、この辺で幼少時代を過ごしたということで建てられたのかな?東京史跡巡り・人物編五柱稲荷神社・勝海舟揺籃之地

  • ねこ日記と主のつぶやき 新しい家族・その後

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て15日が経ちました。現在、ことちゃんは、隔離部屋を卒業し、お留守番と寝る時以外は、好きな部屋で過ごしています。ひとり、外を眺めることちゃん。兄貴達はというと、高い場所からことちゃんを見守ります。兄貴達、少しぐらい構ってやってよ。そんな思いが通じたのか、今日は、タケちゃんがことちゃんと遊んでくれました。もっと仲良しになると良いなぁ。何故か、ゲージの中でくつろぐことちゃん。どうも、ことちゃん。ふわふわ、あったか素材よりもツルツルした床などが好きなようです。個人的には、兄貴達と寄り添って眠る姿を見てみたい。思いは通じるのか?それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき新しい家族・その後

  • 東京史跡巡り・人物編 勝海舟居住の地・旗本岡野氏屋敷跡

    東京史跡巡り・人物編勝海舟居住の地・旗本岡野氏屋敷跡勝海舟が10代後半まで過ごした屋敷跡です。勝海舟居住の地ー旗本岡野氏屋敷跡ー所在地墨田区緑四丁目三十五番六号勝海舟(麟太郎)は、文政六年(一八二三)に両国にあった父惟寅の実家、男谷氏の屋敷(現区立両国公園)で生誕しました。その後、父母とともに本所の旗本屋敷を転々としましたが、天保二年(一八三一)頃ここにあった岡野氏の屋敷に落ち着き、十代後半までの多感な時期を過ごしたといわれています。麟太郎は後に幕臣として出世を果たし、激動の時代に活躍の場を広げてゆきます。麟太郎が世話になった岡野氏は、後北条氏の旧臣板部岡江雪を祖とする旗本で、文政九年十二月の屋敷替を経て、同十年三月ごろ当地に移住していました。家の経営費を捻出するための屋敷替であったようで、旧知行所に伝わ...東京史跡巡り・人物編勝海舟居住の地・旗本岡野氏屋敷跡

  • ねこ日記と主のつぶやき むっ、難しい。

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て二週間が経ちました。現在、ことちゃんは、隔離部屋を卒業し、お留守番と寝る時以外は、好きな部屋で過ごしています。今日は、ワイお仕事だったので、ことちゃんは隔離部屋でお留守番をしてもらいました。仕事を終え帰宅すると、兄貴達は各々、リビングの好きな場所でくつろいでいました。隔離部屋からは、ことちゃんの「出して〜」という鳴き声が。これは、かわいそう。急いでことちゃんの元へ。そして、ドアを開けると…リビングでくつろいでいた兄貴達が一斉に高いところへ逃げ出した〜💨ひとりで遊ぶことちゃん。ねえ、兄貴達。ちっちゃくて可愛いじゃない。少しは、構ってあげようよ。😥多頭飼いって難しい。改めて思う主でした。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやきむっ、難しい。

  • 東京史跡巡り・人物編 ・勝海舟生誕の地

    東京史跡巡り・人物編勝海舟生誕の地東京都墨田区両国4丁目にある、両国公園に勝海舟生誕の地の碑があります。勝海舟は、文政6年1月30日(1823年3月12日)、江戸本所亀沢町、旗本小普請組の父・勝小吉(かつこきち)の実家、男谷家で生誕し、7歳までこの地で過ごしました。所在地東京都墨田区両国4-25-3アクセスJR東日本総武線両国駅徒歩6分最後に両国公園両国公園に勝海舟生誕の地の碑があります。公園には、勝海舟幕末絵巻が展示され、勝海舟の生涯をたどることができます。大変勉強になりました。参考墨田区観光協会東京史跡巡り・人物編・勝海舟生誕の地

  • ねこ日記と主のつぶやき そんな目で見つめられても

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て13日が経ちました。現在、ことちゃんは、隔離部屋を卒業し、お留守番と寝る時以外は、好きな部屋で過ごしています。ただ、ワイらが食事の時は、ゲージの中へ。出して欲しいの〜。目で訴えてきますが。だって君、テーブルに乗ってくるでしょう。ねえ、出してよ〜。うっ、そんな目で見つめられても。ダメなもんはダメ。タケちゃんが慰めてくれました。お外出たい。兄貴達のように、お家のルールを守れるようになったら、自由になれるからね。それまで、我慢してね。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやきそんな目で見つめられても

  • 東京史跡巡り・人物編 南洲(西郷隆盛)留魂詩碑とその付近

    東京史跡巡り・人物編南洲(西郷隆盛)留魂詩碑とその付近南洲(西郷隆盛)留魂詩碑西郷隆盛の三回忌にあたる明治12年(1879)に、勝海舟が西郷を悼むために、私費で建立した石碑です。大正2年(1913)に洗足池公園内に移設されました。南洲(西郷隆盛)留魂詩碑勝海舟が、親交のあった西郷隆盛(南洲)の死をいたみ、詩とその筆跡を遺すため、三回忌にあたる明治12年(1829)に自費で建てたものです。もとは葛飾区の浄光寺にあったものが、大正2年(1913)の荒川開削工事に伴い当地に移設されました。内容は西郷が沖永良部島の獄中で作った七言律詩で、天皇に対する忠誠心が詠まれています。「願留魂魄護皇城」の文言から留魂詩(りゅうこんし)と称されました。背面には勝の撰文で由来が記されています。案内板より引用朝に恩遇を蒙り夕に焚阬...東京史跡巡り・人物編南洲(西郷隆盛)留魂詩碑とその付近

  • ねこ日記と主のつぶやき 新しい家族・あれれ?

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て12日が経ちました。現在、ノブさん、タケちゃん、ことちゃんは、普段は別々の部屋で過ごし、食事は同じ部屋でとっています。今日も別々部屋にいるだろう、と思って仕事から帰宅したところ。😳何故かみんな、リビングにいました。「もしかして、ずっと一緒にさせてたの、ノブちゃんが怒らなかった?」と、三匹を監視していた子どもに尋ねたところ。「平気だったから、ずっと一緒の部屋で過ごさせた」あっけらかんと答えてくれました。あ〜う〜。少しずつ一緒にいる時間を増やしていこうと思っていたのに、😣ずーっと一緒にいてみんな、ストレス感じてない?大丈夫かな?三匹の様子を見てみると、一人で遊ぶことかちゃん。ことちゃんのことが気にになるけど放置するタケちゃん。タケちゃん...ねこ日記と主のつぶやき新しい家族・あれれ?

  • 東京史跡巡り・人物編 志賀直哉居住の跡

    東京史跡巡り・人物編志賀直哉居住の跡作家・志賀直哉の14歳から29歳まで住んでいた場所です。志賀直哉居住の跡志賀直哉の父直温が、家族とともにここに移り住んだのは、明治三十年(一八九七)、直哉十四歳の時でした。当時の屋敷は千六百八十二坪(五五五〇・六平方メートル)もあり、雑木林の趣さえうかがえる広大なものでした。直哉は、ここで二十九歳まで、人間形成のもっとも重要な青春時代を過ごしました。そして、この間、処女作である「或る朝」をはじめ「網走まで」「正義派」「大津順吉」などの初期の名作を生み出しています。作品の中には当時の父とのいきさつを扱ったものや、「剃刀」「自転車」のようにこの土地にかかわりのあるものがみられます。なお、当時の家屋は、昭和二十年の戦災で全焼しました。昭和五十三年一月(平成十八年建替)港区教育...東京史跡巡り・人物編志賀直哉居住の跡

  • ねこ日記と主のつぶやき 新しい家族・あれ?

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て11日が経ちました。現在、ノブさん、タケちゃん、ことちゃんは、普段は別々の部屋で過ごし、食事は同じ部屋でとっています。そして、食事の後は、面会タイム。猫ちゃん達のストレスにならないように少しずつ面会時間を増やしています。今日の三匹は、どんな感じか、様子をうかがうと。あれ?ノブちゃんは、お気に入りの場所、寝室へ移動。新入りなんぞ、どうでもいい。タケちゃんは?リビングにいるのですが、ほとんど絡みなしの別行動。何故か、ことかちゃん。タケちゃんには、ちょっかいを出しません。なんだろう。思っていたのと、ちょっと違う。仲良くなれるかな?それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき新しい家族・あれ?

  • 東京史跡巡り・人物編 陸奥宗光宅跡

    東京史跡巡り・人物編陸奥宗光宅跡日本の幕末の武士で、明治期の外交官・政治家である、陸奥宗光(むつむねみつ)が明治5年(1872)から同10年(1877)までの間、住んだ跡地です。江東区登録史跡陸奥宗光宅跡(むつむねみつたくあと)陸奥宗光は、明治時代の外交官・政治家で、弘化元年(1844年)、和歌山藩士・伊達宗広(だてむねひろ・千広)の第六子として生まれ、明治30年(1897年)西ケ原(北区)の自邸で逝去しました。父宗弘は藩の要職にありましたが、政争により失脚、宗光は一五歳で江戸へ出ました。文久2年(1862年)に脱藩し、京都で尊王攘夷運動に加わり、のち坂本龍馬の海援隊に参加しました。このころより陸奥の姓を用いるようになりました。明治維新後は、外国事務局御用掛、神奈川県知事、大蔵省租税頭、元老院議官などを歴...東京史跡巡り・人物編陸奥宗光宅跡

  • ねこ日記と主のつぶやき 新しい家族・その後

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て10日が経ちました。現在、ノブさん、タケちゃん、ことちゃんは、普段は別々の部屋で過ごし、食事は同じ部屋でとっています。そして今日も、食事の後は、ちょっと面会タイム。ことちゃんが近づいても怒らなくなったノブさん。大人になったね。今日も元気に遊ぶことちゃん。そんなことちゃんをタケちゃんは、影からこっそり見守ります。兄貴ズ、そろそろ、ことちゃんを家族と認め始めたのでしょうか。さて、ノブさんがすねるので、ことちゃんのお世話は子どもに任せています。だから、ワイが近づくと逃げてしまう、ことちゃん。悲しいけど、日々遠くから見守ってきました。でも今日は、どんだけ近づけるか、チャレンジ。だんだんと近づくワイ。おっと!こんなに近づいても逃げない。心なしか、目つきもカワユクなってきたよ...ねこ日記と主のつぶやき新しい家族・その後

  • 東京史跡巡り・人物編 渋沢栄一宅跡

    東京史跡巡り・人物編渋沢栄一宅跡渋沢栄一が、1876~1888年まで住んだ、跡地です。江東区登録史跡渋沢栄一宅跡永代二ー三七渋沢栄一は、明治から大正にかけての実業界の指導者です。天保11年(1840)武蔵国榛沢郡血洗島村(深谷市)に生まれました。二十五歳で一橋家に仕え、のち幕臣となり渡欧しました。帰国後、明治政府のもとで大蔵省に出仕しましたが、明治六年(1873)に実業界に転じ、以後、金融・産業・運輸などの分野で近代企業の確立に力をそそぎました。晩年は社会公共事業に貢献し、昭和六年(1931)九十二歳で没しました。栄一は、明治九年(1876)に深川福住町(永代二)の屋敷を購入し、修繕して本邸としました。同二十一年(1888)には、兜町(中央区)に本邸を移したため、深川邸は別宅として利用されました。栄一と本...東京史跡巡り・人物編渋沢栄一宅跡

  • ねこ日記と主のつぶやき 新しい家族・その後

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て9日が経ちました。現在、ノブさん、タケちゃん、ことちゃんは、普段は別々の部屋で過ごし、食事は同じ部屋でとっています。そして、食事の後は、ちょっと面会タイム。早く、出してよと、ことちゃん。それを見つめる兄貴ズ。まだ、まだ!と、ことちゃん。はい、はい、自由行動の時間ですよ。遊んでいる、ことちゃんの写真を撮りたいけれど、しかし、自由の身となったことちゃんは、動きが早くて全く撮れない。やっと撮れた一枚がこちら、ノブさんと追いかけっこして疲れて休憩中のことちゃん。三匹は、だんだん、仲良くなってきました。でも、急な生活環境の変化は、猫ちゃんたちのストレスです。ちょっとづつふれあい時間を増やして行こうと思います。仲良くなるといいな。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき新しい家族・その後

  • 東京名所巡り・ 聖路加国際病院トイスラー記念館

    東京名所巡り聖路加国際病院トイスラー記念館昭和8年に聖路加国際病院の宣教師館として建設されました。竣工当初は、宿舎として使用され、戦後は一時的に病院本部として機能したものの、その後は主に職員宿舎や事務所などの用途で使用されてきた歴史ある建物です。現在は、初代院長の名を冠してトイスラー記念館と称されています。聖路加国際病院トイスラー記念館所在地中央区明石町一〇番昭和八年、トイスラー記念館は隅田川畔の明石町十九番地に聖路加国際病院の宣教師館として建設されました。設計者は米国人建築家のJ.V.W,バーガミニィで、施工は清水組(現在の清水建築株式会社)が行いました。建物の躯体は、昭和初期の住宅建築には珍しい鉄筋コンクリート造一部木造の二階建てで、ヨーロッパの山荘を思わせる重厚な風格のある建物でした。平成元年に解体...東京名所巡り・聖路加国際病院トイスラー記念館

  • ねこ日記と主のつぶやき 新しい家族・その後

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て八日が経ちました。引き続き、ノブさん、タケちゃん、ことちゃんは、普段は別々の部屋で過ごし、食事は同じ部屋でとっています。そして昨日は、直接対面したタケちゃんとことちゃん。タケちゃんとことちゃんはなんとなく大丈夫そう。残りの問題は、殿。殿の許しがなければ、お家の中を自由に歩けません。そこで、時々、シャ〜っと言いますが、ちょっかいを出されても怒らないようなので、ちょっと、リビングを散歩させました。はしゃぐことちゃん。ノブさんはというと、近づくと怒りますが、離れた高い場所からことちゃんを見守っていました。これは、いい兆し。みんな仲良くなれるといいな。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき新しい家族・その後

  • 東京史跡巡り・人物編 シーボルト胸像

    東京史跡巡り・人物編シーボルト胸像中央区立あかつき公園内にある、胸像です。明治時代、この地に外国人居留地が設けられていたことから、シーボルトの日蘭の橋渡し役としての功績に報い、ここに胸像が建てられました。シーボルト(一七九六~一八六六)フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトは、オランダの商館医員として文政六年(一八二三)七月、長崎に到着し、診療の傍ら長崎の鳴滝に塾を開くなどして活躍した。同九年正月、商館長と共に江戸へ向かい、三月四日、日本橋の長崎屋に止宿し、四月十二日出発するまでの間、江戸の蘭学者に面接指導し大きな影響を与えた。しかし、同十一年シーボルト事件が発生し、十二月に日本から追放された。後に安政六年(一八五九)幕府顧問として再来日したが、まもなく帰国しミュンヘンで没した。彼の江戸における指導は、...東京史跡巡り・人物編シーボルト胸像

  • ねこ日記と主のつぶやき 新しい家族・その後

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て一週間が経ちました。引き続き、ノブさん、タケちゃん、ことちゃんは、普段は別々の部屋で過ごし、食事は同じ部屋でとっています。今日は、おとなしいタケちゃんと新入りことちゃんを対面させてみました。小さい仔猫の登場で、ちょっと腰が引けているタケちゃん。でも、次第にゴロンと寝転んで大人の余裕。ちょっかいを出してくることちゃんを余裕の態度で交わします。でも、仁王立ちにはちょっとびっくりしたようです。三匹で遊ぶ姿を見てみたい。仲良くなるといいなぁ。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき新しい家族・その後

  • 東京史跡巡り・人物編 佐久間象山砲術塾跡

    東京史跡巡り・人物編佐久間象山砲術塾跡佐久間象山が西洋砲術塾を開いた信濃国(長野県)松代藩下屋敷があった場所です。嘉永3年(1850)7月から12月までこの地で砲術を教えていました。のちに江戸木挽町に兵法や砲術を教える私塾を開いています。江東区登録史跡佐久間象山砲術塾跡永代一ー一四付近この地は、佐久間象山が西洋砲術塾を開いた信濃国(長野県)松代藩下屋敷があった場所です。象山は松代藩士で、幕末の兵学者・思想家として著名です。文化八年(1811)松代城下で生まれ、名は啓、通称は修理、雅号は「ぞうざん」と称したともいわれています。天保四年(1833)江戸へ出て佐藤一斎に朱子学を学び、同十三年(1842)、藩主真田幸貫より海外事情の調査を命じられました。おりしも、イギリス・清国間で勃発したアヘン戦争(1840~4...東京史跡巡り・人物編佐久間象山砲術塾跡

  • ねこ日記と主のつぶやき 新しい家族・その後

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て6日経ちました。引き続き、ノブさん、タケちゃん、ことちゃんは、普段は別々の部屋で過ごし、食事は同じ部屋でとっています。今日は、隔離部屋でのことちゃんの様子何故か、いつ訪れても起きていることちゃん。君は、一体いつ寝ているんだい?普段、ことちゃんと一緒にいる、子どもに尋ねてみると、あんまり寝ていないとのこと。子猫はいっぱい寝るもんだと思っていたので、ちょっと不安。新しい環境で、ちょっと興奮気味なのかなぁ。もう少し、眠ろうね、ことちゃん。兄貴達は、ことちゃんに用意したハンモックで昼寝のタケちゃん。ハンモック好きだよね。ノブさんはお気に入りの場所で日向ぼっこ。三匹でお昼寝する姿が見てみたい。仲良くなるといいなぁ。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき新しい家族・その後

  • ねこ日記と主のつぶやき 新しい家族・その後

    新しい家族、ことかちゃんがうちにやって来て5日経ちました。引き続き、ノブさん、タケちゃん、ことちゃんは、普段は別々の部屋で過ごし、食事は同じ部屋でとっています。食事の後は、ちょっと対面時間。お外に出たい様子のことちゃんしかし、ことちゃんの安全の為です。もう、しばらく我慢してね。外には、大きいタケちゃんがいます。見つめ合う二匹タケちゃんに慣れだしたことちゃんタケちゃんの尻尾を狙っています。とりゃ〜っと、手を出しますが、ゲージの中ですからね。タケちゃんには届きません。仲良くなり出したタケちゃんとことちゃん。その二匹の視線の先には、ふん。俺は見ておらん。ご機嫌斜めのノブさんが。みんなが仲良くなるのにはもう少し時間がかかりそうです。仲良くなるといいなぁ。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき新しい家族・その後

  • ねこ日記と主のつぶやき 新しい家族・その後

    新しい家族、ことちゃんがやってきて、4日経ちました。動きは、チョロチョロとして子猫らしい可愛らしさ。しかし、見ればみるほど、ちょっとブチャ。お家に慣れて、目つきが変わってきたら…可愛くなるかな。引き続き、ノブさん、タケちゃん、ことちゃんは、普段は別々の部屋で過ごし、食事は同じ部屋でとっています。タケちゃんとの状況は、良好のようです。何と、鼻チューしていました。(よっしゃ〜!)ただ、ノブさんとことちゃんの状況はと言うと、お互いにシャ〜っ!ヤんのかこら〜っ!まだまだ、難しいようです。仲良くなって欲しいなぁ。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき新しい家族・その後

  • ねこ日記と主のつぶやき 新しい家族

    新しい家族、「ことか」ちゃんが家にやって来て3日が経ちました。ことちゃんですが、「シャ〜!」っと、ノブさんの威嚇がひどいので一人隔離部屋で生活しています。ここ数日、ノブさんの「シャ〜!」が大分減ったので次の段階に入りました。(ちょっと早めですが、試しに)まずは、同じ部屋で食事をすること。ことちゃんは、ゲージの中でお食事。食べ終わった兄貴達はことちゃんをじ〜っと見守ります。同じ部屋での食事は、まずまずといったところ。しかし、半径1mほど近づくと、ノブさんの威嚇攻撃が始まるので、もう少し様子を見ていきたいと思います。お互いストレスにならないよう、焦らずじっくりと慣らして行こうと思います。仲良くなりますように。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやき新しい家族

  • ねこ日記と主のつぶやき むっ、難しい。

    ご訪問ありがとうございます。突然ですが、新しい家族が増えました。これ、タケちゃんの小さい頃だろ、って声が聞こえてきそうな。(タケちゃんの幼少期)似てますね。しかし、別猫ちゃんです。ハイ。「ことか」と命名しました。よろしくお願いします。さて、ここで問題が勃発。タケちゃんは新しい子の匂いを嗅いでもちょっと尻尾が太くなるだけで問題ないのですが…殿がね。匂いを嗅いだ瞬間シャ〜っ!う〜っ!って隔離部屋の前で連呼ですわ。割とすんなり仲良くなったノブさんとタケちゃん。彼らの前例があるため、すぐに仲良しになれるだろうと軽く考えていたワイ。間違いやった😓殿!ごめんよ〜😭新しい子が来ても君が一番だからさ。だから、家族にしてやってよ〜。あぁ〜改めて思いました。多頭飼いって難しい。みんなが仲良くな...ねこ日記と主のつぶやきむっ、難しい。

  • 東京史跡巡り 佐久間象山・桜の賦の碑

    東京史跡巡り桜の賦の碑佐久間象山の書いた「桜賦」を、門弟勝海舟の意で碑にしたものです。明治14年(1881)に建立されました。「象山先生櫻賦」の碑北区王子一ー一表面に佐久間象山作・書による「櫻賦」が、裏面に象山の門弟たちによる碑建立の経緯が記されています。信濃国松代藩士であった佐久間象山(一八一一ー一八六四)は、幕末の志士たちに影響を与えた儒者でした。櫻賦は、象山が門弟吉田松陰の蜜出国の企てに連座、松代に蟄居中の万延元年(一八六〇)に作られたといわれます。賦とは、古代中国の韻文の文体の一つで、都城の賛美に多く使われました。「皇国の名筆であり、九陽の霊和を集む」と始まる櫻賦は、日本の名華、桜が陽春のなかで光り輝く様を描写し、桜の花は見る人がいなくても芳香をただよわせる、と結んでいます。蟄居中だった象山が勤王...東京史跡巡り佐久間象山・桜の賦の碑

  • 東京史跡巡り・人物編 子規庵

    東京史跡巡り・人物編子規庵(しきあん)正岡子規のが約8年住んだ終焉の地です。東京都史跡指定されています太平洋戦争の空襲で焼失しましたが、昭和25年に、子規の門弟・寒川鼠骨により再建され、現在に至っています。東京都指定史跡子規庵所在地台東区根岸二丁目五番十一号指定昭和三十五年四月一日正岡子規(一八六七~一九〇二)は俳人・歌人・随筆家。幼名は升、本名は常規、別号を獺祭書屋主人、竹の里人などといった。伊予国藤原新町(現・愛知県松山市)に生まれ、俳句・短歌の革新を唱え、また写生文を提唱した。新聞「日本」及び俳誌「ホトトギス」により活動、子規庵での句会には森鴎外、夏目漱石も訪れ、歌会には伊藤左千夫、長塚節等が参加、歌誌「アララギ」の源流となる。著書には、俳論「俳諧大要」「俳人蕪村」、歌論「歌よみに与ふる書」、歌集「...東京史跡巡り・人物編子規庵

  • 東京史跡巡り・人物編 夏目漱石旧居跡

    東京史跡巡り・人物編夏目漱石旧居跡漱石はイギリス留学から帰国した後、明治36年3月から39年12月まで、3年10ヶ月間、この地に住んでいました。その間、漱石はこの地で初めて創作の筆をとりました。その作品『吾輩は猫である』の舞台として、’猫の家”と呼ばれ親しまれていました。夏目漱石旧居跡(区指定史跡)日本医科大学同窓会館文京区向丘2-20-7夏目漱石本名・金之助。慶応3年~大正5年(1867~1916)。小説家。この地に、漱石がイギリス留学から帰国後の、明治36年3月から39年12月、現在の西片1丁目に移るまで、3年10か月住んだ家があった。(家主は東大同期の斉藤阿具氏)当時、東京帝大英文科、第一高等学校講師として教職にあった漱石は、この地で初めて創作の筆をとった。その作品「我輩は猫である」の舞台として”猫...東京史跡巡り・人物編夏目漱石旧居跡

  • ねこ日記と主のつぶやき 難しい

    新居に移ったのを機に、家庭菜園を始めたワイ。夏場はトマトなどいっぱい収穫できてほくそ笑んでいたワイ。しかし、可愛い花でしょう。何の花か分かりますか?正解は、白菜の花です。って、全然白菜じゃないだろって。初心者のワイ。プランターに種を蒔けば、勝手に結球するだろうと思っていました。しかし、15度以下になると結球できなくなるらしい。ワイ、種まきの時期が遅すぎた模様。また、肥料不足、害虫の被害など、外葉の育成不足・枚数不足になると十分に光合成することが出来ず、結球出来ないそうです。肥料は上げていたのですが、虫がね。アイツら黄緑色で見つけ辛いんだよね。気がついたら、いっぱい食べられていたよ。う〜む、難しい。農家さんの苦労を知ったワイでした。フードロスはしないようにしないとね。今日のノブさんあれ?ノブさん顔がまん丸に...ねこ日記と主のつぶやき難しい

  • ねこ日記と主のつぶやき 圧

    待ちに待った、ファイナルファンタジーVIIリバースが2月29日に販売されました。発売日から家に引きこもってプレイをしようと計画を立てていたワイ。しかし、何故か発売日前日からず〜っと、仕事が入っていた。何故?今、職場暇だよね。ってか、ワイの他にも従業員いるよね。何故、ワイだけ5連チャンなんだ〜!ゲームプレイ出来ないじゃないか😭かなりストレスを感じるワイ。しかも、余りにも映像が綺麗すぎて、(上記の映像は、SQUAREENIXからお借りしました)ウプッ🤢3D酔いに悩まされるワイ。チキショウ、ゲーム進められない😭やっと、怒涛の5連ちゃんが終わり、画像に慣れてきたワイ。よし、どんどんゲームを進めるぜ!意気込んでいるワイ。しかし、ずっと仕事で家にいなかったよね。かまって...ねこ日記と主のつぶやき圧

  • ねこ日記と主のつぶやき うっわ!

    先日、カンカンが可愛いのでパケ買いしちゃいました。ワイ、缶好きなんですよね。可愛いですよね。んで、おやつに中身を食べちゃおうと開けて見たら…うっわ!スカスカやん。思わず、子どもの頃買った、おまけ付きお菓子を思い出しました。ビスケットが主役じゃなくて、缶が主役なのね。先日買った手ぬぐいをバックにノブさん。派手〜(インテリアに全く合っていない)タケちゃんは、ちょっと風邪気味です。あちこちに、鼻水を吹き飛ばし、テーブルが水玉模様。早く治りますように。それでは、また。ご訪問ありがとうございました。ねこ日記と主のつぶやきうっわ!

  • 角野隼人 全国ツアー2024 "KEYS" に行ってきました。

    先日、角野隼人全国ツアー2024"KEYS"に行ってきました。以前から角野君のコンサートに行ってみたいと思っていたが、関西に引っ越したワイ。関東に比べるとコンサートの回数は少ないだろう、と諦めていた。だが、なんと、京都で二回も開催してくれるやんけ〜。これは、行かなきゃ、とチケットをゲットしました。ワイ、コンサートに行くのに何年ぶりだろう。しかも、ピアノのコンサートは、初めて。かなりの緊張。ドキドキしながら、コンサート会場のエントランスに入ると、ど、ど〜ん!、と角野君の看板。カッケ〜!改めてコンサートに来れたのだと実感。会場はすでに観客でいっぱい。ワイと同世代の女性のお客様が多い印象でした。そんな中、小学生などの学生もちらほら。それは、U25チケットがあるから。U25チケットとは、「多くの学生にも聴く機会を...角野隼人全国ツアー2024"KEYS"に行ってきました。

  • 東京史跡巡り・人物編 芥川龍之介文学碑

    東京史跡巡り・人物編芥川龍之介文学碑芥川龍之介文学碑は、芥川龍之介の出身校である両国小学校(旧・江東尋常小学校)の北西角に平成2年(1990年)に文化都市づくりの一環として建立されました。碑には、「杜子春」の一節が刻まれています。芥川龍之介文学碑芥川龍之介は、明治二十五年(一八九二)三月一日、東京市京橋区入船町に新原敬三、ふくの長男として生まれました。辰年辰の日辰の刻に生まれたのにちなんで龍之介と命名されました。生後七ヶ月の時、母ふくが突然発病したため、本所区小泉町十五番地(現両国三丁目)に住んでいたふくの長兄芥川道章に引き取られ、十三歳の時芥川家の養子となりました。芥川家は旧幕臣で江戸時代からの名家で、道章は教養趣味が深く、文学、美術を好み、俳句や盆栽に親しむとともに南画をたしなみ、一家をあげて一中節を...東京史跡巡り・人物編芥川龍之介文学碑

  • 東京史跡巡り・人物編 芥川龍之介生誕の地

    東京史跡巡り・人物編芥川龍之介生誕の地作家・芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)の生誕の地です。芥川龍之介生誕の地所在地中央区明石町一〇番付近昭和十六年(一八八三)ごろ、この付近(当時の京橋区入船町八丁目一番地)に「耕牧舎」という乳牛の牧場がありました。作家芥川龍之介(一八九二~一九二七)は、明治二十五年三月一日、その経営者新原敬三の長男として、ここに生まれました。龍之介は誕生後七ヶ月にして、家庭の事情から母の長兄芥川道章に引き取られて、本所区小泉町(現、墨田区両国三丁目)に移り、明治三十七年(一九〇四)、芥川家の養子になりました。東京帝国大学在学中から文筆に親しみ、第四次「新思潮」に発表した「鼻」が夏目漱石に評価され、文壇に出ました。「羅生門」、「地獄変」、「河童」、「歯車」など、多くの名作を遺しました...東京史跡巡り・人物編芥川龍之介生誕の地

  • 東京史跡巡り・坂本龍馬(品川)

    東京史跡巡り坂本龍馬(品川)京浜急行立会川駅の近く、諏訪神社所有地内にある児童遊園には、「坂本龍馬」像が設置されています。龍馬が世界と出会ったまち品川ペリーが初めて来航した嘉永6年(1853)、19歳の坂本龍馬は藩からの許可を得て江戸で剣術始業中でした。土佐藩は立会川で剣術始業中でした。土佐藩は立会川河口付近にあった下屋敷詰めの武士を動員し、龍馬もその中に加わりました。同年9月には「異国船異国船処々来り候へば、軍(いくさ)も近き内を存じ奉り候、その節は異国の首を打ち取り』と、父親に手紙を書いています。品川での黒船警固から、龍馬の幕末は出発したのです。立会川二十歳の龍馬像嘉永6年(1853)黒船4隻によるペリー艦隊来航の折、坂本龍馬(1835~1867)は土佐藩品川下屋敷の近くにあった浜川砲台の警護にあたり...東京史跡巡り・坂本龍馬(品川)

  • 散策日記・千葉県浦安市 境川

    散策日記千葉県浦安市・境川境川(さかいがわ)は、千葉県浦安市を流れる一級河川で、利根川水系旧江戸川の分流です。左岸の猫実(ねこざね)村と右岸の堀江村の境界をなすことから名付けられました。境川(さかいがわ)昭和三十三年(一九五八)、準用河川として指定昭和四十年(一九六五)、一級河川として指定境川は、江戸川の支流で、本市の中央を西から東へ流れ、東京湾に注いでいます。かつての境川は、長さ一・七キロメートルほどの小さな川でしたが、昭和四十年(一九六五)から海面埋立事業によって、川の長さも三倍の約四・八キロメートルになりました。江戸時代には、人々は境川の両岸に密集して民家を建て、北側が猫実村、南側が堀江村として、それぞれ集落を発展させてきました。川の水は、昭和二十年代ごろまでは、川底が透けて見えるほど美しかったとい...散策日記・千葉県浦安市境川

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