10円を握りしめて角のタバコ屋さんに走った。当時、森永のミルクキャラメルは8粒入りで10円だった。
あのころ暖房はどうなっていたんだろう。部屋にあったのは、こたつと火鉢だけだった。板の間だと火鉢しかなかった。
冷蔵庫は氷で冷やす仕組みで、扉が分厚く、容量が小さく、すいかを入れる隙間がなかったように覚えている。
プレスリーを筆頭として、ポール・アンカ、ニール・セダカ、パット・ブーンなどの歌を覚えては歌っていた。
当時、渋谷の東急文化会館の地下1階「東急ジャーナル」で、10円ニュースというものをやっていたのだ。
出席簿を机に叩きつけて激怒した。「みんな、なんとも思わないのか!反省しろ!」シーンとなった。
「これは変形性股関節症です。人工股関節を入れる手術しか治療法はありません。」と言われ、なんか納得できず断った。
いまでこそあちこちで始終聞かれる曲となっているが、当時はそれほどポピュラーな曲ではなかった。
サウンドオブミュージックの先行作品で、トラップ一家がナチスの手を逃れアメリカに到着するまでを描いたものだ。
何日も前から、いや数週間も前から掃除していない。あ~気持ち悪い。掃除しなきゃ。でもやる気しない。
彼は体が大きく乱暴者で嘘つきとして知られていた。女の子をよく殴って泣かしていた。私も殴られたことがある。
当時の小学校は、いわば地域の拠点のような役割があったように思う。いろんな人が自由に出入りしていた。
Mくんに、私はとても惹かれて、それまでに味わったことのないような気持ちになった。
「上等舶来珍無類」と称し自画自賛していた母の得意料理に、おいなりさんがある。普通のおいなりさんと違って・・
今では危険な遊びとして禁止されているのではないかと思うが「ながうま」というのが流行った。
想像を超える履き心地の良さ。すっぽりお尻が収まって、お尻の下も全くはみ出ない。
大腸癌を患ってから、さらに大変なことになっている。突然もよおし、一刻の猶予もないという感じになるのだ。
ミスワカサがものすごく早口で、今で言うところの突っ込みをかけるのが面白くて大笑いした。
第56話 さくらんぼ大将~笛吹童子~赤胴鈴之助~少年探偵団・・
ラジオドラマを楽しみに聞き始めたのは「笛吹童子」からである。「ヒャラーリヒャラリコ、ヒャリーコヒャラレロ・・」
見るためには紙芝居屋さんが売るお菓子を買う必要があった。「買わない子は見ちゃダメだよ」
父はアンチ巨人だった。たしか大洋ホエールズを応援していたと思う。私は巨人ファンだ。
「御用聞き」と言うシステムがあり、うちにはもっぱらお肉屋さんが御用聞きに来た。
母は、父の実家にいるときには到底できなかったので、自分の好きなようにできることが嬉しかったのだろう。
始終衝突し、母はなんとかこの不愉快な状況から抜け出そうと、自分たちの家を建てたいと考えていた。
子どもの頃、学校の帰りなどによくどぶに片足を突っ込み、足をドロドロにして帰っていた。
祖母もかなり個性の強い人だった。花を育てるのが好きで、庭にはいろいろな花が植えてあった。
みんなが分かることが分からなかったり、みんなと同じことができなかったりする女の子だった。
うっとりしたり、興奮したり、あんな贅沢なアニメーションはまずないと思う。
3年生までは勉強した記憶がない。理解していなかったのだろう、特に算数は何も覚えていない。
そのころのトイレと言えば、和式でくみ取り便所、いわゆるボットン便所だ。
井戸の水をくむのにはコツがある。単に上下させるだけでは水が上がってこない。
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