【小学3~6年生の読書】お風呂の帰りに貸本屋に寄り、本を借りてくるのである。
朝ご飯を食べていると、父が母に「おまえ、またかあさまと衝突しただろう」と言った。
当時、お米にはいろいろな種類があった。配給米、ヤミ米、内地米、外米などの種類である。
乙姫様の役は私に当たるわけがないと思っていたが、思った通り、学年で一番かわいいと評判の女の子になった。
父の実家の祖父は相当な変わり者だった。朝定時に起きると、必ずガウンを着て風呂場に向かい、
つつじやサルビアの花をそっと摘んでその付け根をしゃぶると甘い。それらはごちそうであった。
読んでみると、絵もかわいいし、面白くて面白くてどんどん引き込まれた。しかし、それは途中で終わっていた。
ある時、Fくんがしばらく休んでいた。疫痢という病気だったような気がする。今はあまり聞かないが。
当時、パーは「ハワイ」、チョキは「ちんぼつ」、グーは「ぐんかん」だった。「一列談判破裂して、日露戦争始まった・・
それまでぼんやりしていたのが、急に授業中のおしゃべりが止まらなくなったのである。
自分で考えて、考えた通りにやってみることをとても褒めてくれる先生だった。
「東京の子どもたちに、地方から来た子どもということで下に見られないように頑張ろう」という決意だった。
私たちは東京の父のもとに帰ることになった。この父の実家は子どもから見ると奇妙な家庭だった。
母の里で暮らしていた間、祖母がお母さんで母はお姉さんのような感覚だったように思う。
デイトによく姪っ子を連れて行ったなと不思議に思う。結婚相手はこの人ではなかった。お見合いのようだった。
宝塚を観に行ったことがある。私が小学校1年生ぐらいだから、昭和27年ごろだと思う。演目は「源氏物語」だった。
昔、映画は途中からでも入って、立ち見で終わりまで見て、入れ替えで座ってまた初めから見るという見方をよくしていた。
おもらしをしたことを以前に描いたが、実はもう一回ある。それは2年生の運動会のことである。
子どもには一人一人、その子の怖いものがあるものだ。私の場合、山猫、山犬、コンドルだった。
この叔父の部屋に入るのが好きだった。といっても叔父のいない間に内緒でそっと入るのである。
ラジオ歌謡というジャンルがあった。演歌でもなく、流行歌とも少し違うような・・。
テレビもゲームもなかった当時、私の楽しみは本を読むことだった。ご飯の時間になっても行かずに熱中して読み、なんども読み返した。
学校での私は、ぼーっとして動きがのろいおとなしい子どもだったが、家に帰ると全く違った。
高校野球のシーズンになると、勝った高校の校歌が流れる。それを聞くと、なかなかいい校歌だなあと思うことがよくあるが、
どういういきさつだったか忘れたが、シミーズ(女の子の下着、スリップとも言った)で出かけた。
今考えてみると、おそらく、学校に行くことが負担だったのだろう。要は休んで正解なのだ。
私たちの学校に、天皇陛下がいらっしゃることになった。学校は私たちに日の丸の旗を作るよう命じた。
どういう手続きを踏んでその遊びの中に入っていくのか、それが問題だった。私は少し離れたところから見ていた。
まず、パンツを脱いだ。そこで、はたと困ってしまった。どうやって水着を着たらいいんだろう?ワンピースを脱ぐと素っ裸になってしまう。
「よーいドン」で走ったのだろうが、よくわからないまま左右の友だちをみながら真似をして走った。 これを楽しいと感じる子どもが果たしているのだろうか?
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