chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
koyorin55
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2020/08/28

arrow_drop_down
  • ご愛読ありがとうございました

    月日、小寄道は永眠いたしました。享年は73歳になります。生前より皆様のご愛読に感謝し、本ブログを書き続けられる。それこそが自分の余生を生ききる愉しみだと申しておりました。本当にありがとうございました。なお、このブログはこのまましばらく残したいと存じます。小寄道の妻上記の文章は小寄道が認めたものです。2月26日という日付けを入れて私が書いたものとして投稿すべきだったのですが、ここまで小寄道が用意していた事を分かって頂きたくてそのままにしました。本当に今までお世話になりました。皆様のコメントに励まされ、1年4ヶ月の闘病生活を送れたのだと思います。今は空の上から笑顔で見守ってくれています。ありがとうございました。ご愛読ありがとうございました

  • ジェルメーヌ・リシエほか春の美術展

    ★新収蔵&特別公開ジェルメーヌ・リシエ《蟻》小企画展会期2024.1.23–4.7会場:東京国立近代美術館2Fギャラリー4美術館サイドの紹介記事(転載)フランスの彫刻家ジェルメーヌ・リシエの彫刻《蟻》(1953年)を初公開します。リシエ(1902–59)は、第二次大戦後における女性彫刻家の先駆的存在の一人で、近年その再評価が急速に進んでいます。オーギュスト・ロダンの助手、エミール=アントワーヌ・ブールデルに学び、古典的彫塑の手法を守った点で近代彫刻の正当な継承者と言える一方、人体と自然界・動植物のイメージを有機的に結合させた独自の作風を確立して注目を浴びますが、キャリア全盛期に病に倒れました。リシエと同時期にブールデルに学んだ戦前の日本人彫刻家、リシエに大きな影響を受けた戦後の日本人彫刻家、第二次大戦後の...ジェルメーヌ・リシエほか春の美術展

  • 切れぎれの近況について⑤

    しばらく書けない日が続いた。もうあの世に逝ったんじゃないかと、余計な心配をかけていたら申しわけない。そんなアホな、己惚れている場合じゃないなぞと、お叱りをうけそうな気もする。早い話が気力は減衰し、いろんな箇所のポテンシャルが下がってしまったこと。それが主たる理由。愚痴や弱音を吐くのは、潔よしとしない高潔の士、いやいや多分に高慢ちきな性格が滲みだしている。この書きようにして馬脚をあらわしている。妄言多謝暮れから正月にかけて食欲が落ち、体重は50キロを割った。その後いろいろあって、オピオイド系(モルヒネ系)のクスリを服用することで多少の副作用が生じているが、現状維持はなんとか続いているのでご安心あれ。というより、1日12時間ほども眠りにつく。身体が要求しているとの見解だが、こうもだらだらと横になっているのは如...切れぎれの近況について⑤

  • 初天神ひそりと梅は陽だまりに

    明けましておめでとうございます。新年を飾る年賀のイメージは、ありきたりの梅の花を借りた。昨年から地元の景色を背景にすることをあきらめ、干支の雰囲気だけで正月らしさを演出したのであるが・・。2024年、令和6年の干支は、空想上の動物である「竜」なので、ついに弾が尽きた。梅に似合う「竜」はなかなか見つけられなかった。清少納言は書き残した。「ただ過ぎにすぎるものは、人の齢(よわい)、春夏秋冬、帆上げたる舟・・」すべては過ぎていく、時の流れも、人の生き死にも。帆上げたる湖上の舟は、しーんとして動いてないように見える。夢のなかでぼんやり浮かんでいて、少しも過ぎ去っていかない。永遠にとどまっているかのように見える。ただそれはその時のこと、齢をかさねれば違って見えるかもしれない。俯瞰的にみればそれは過ぎ去りし舟なのだ。...初天神ひそりと梅は陽だまりに

  • 報道写真展、車椅子で観る

    年末の報道写真展を観に日本橋三越へ行った。わが家の恒例行事といったところ。昨年は、正月を家で迎えるための一時的な退院の時だった。去年のブログを読み返すと、食事や病気のことなぞ、ぐだぐだと・・。最後に申し訳程度に、報道写真展に行ったことを書いている。実際は内容がどうだったのか、具体的にふれていないのは何ぞやである。外出すると決めたからには、新鮮な外気を吸い、人々の活力ある動きに元気をいただこう。そんな気持ちが、今の自分にとって最上のクスリである。とはいえ内実は、行くことが決定した二日前から体調は落ち、食欲のない不振状態が続いていた。家を出てみれば、20mほど歩くと息切れし、咳が出て疲れを感じた。ドラクエではないが、毒の呪いをかけられ、歩くたびにHPポイントが減ってしまう。それに等しい消耗度だ。本格的な冬の訪...報道写真展、車椅子で観る

  • ゴジラ-1.0、IMAXで観る

    噂では聞いていたが、IMAX(アイマックス)というシステムを完備した映画館でみる『ゴジラー1.0』は、やはり想像を超えるド迫力だった。この齢でIMAXを経験しないのは悔いが残る。そんな✖✖な、笑わせるなという人はいるだろうが、正直にいえば、死ぬまでには一度観て体感したかったことは確かだ。当然のごとく、小津安二郎をIMAXで見るのはお門違いだ。今回の『ゴジラー1.0』はまさにIMAXを前提にした映画製作であり、もちろん作品のストーリー性、役者たちの渾身の演技も素晴らしく、存分に楽しめたことは言うまでもない。まずは、海外版予告編や映像クリップ集というの見つけた。ここに紹介するのは問題ないと思うが、ストップがかかり削除の憂き目にあうかもしれないので、お早めにどうぞ。『ゴジラー1.0』を、湾曲した大スクリーンと1...ゴジラ-1.0、IMAXで観る

  • 愛猫の死、経惟と弘

    三匹の死んだ猫(部分)長田弘二十年かかって、三匹の猫は、九つのいのちを十分に使い果たして、死んだ。生けるものがこの世に遺せる最後のものは、いまわの際まで生き切るというそのプライドなのではないか。雨を聴きながら、夜、プライドを失わずに、死んでゆくことの難しさについて考えている。上記の詩は、長田弘の『死者の贈り物』という詩集にある「三匹の死んだ猫」の最後の部分である。全体は27行であるから、それほど長い詩ではない。なぜ、冒頭にこの詩を冠したかというと、本棚を整理していたら、荒木経惟の小さな写真集『チロの愛死』が出てきた。病をえて再び見ると、感じ方が違う。避けられない定めは受け入れるしかない・・ただ無性に悲しくなった。で、見終わったあとに、放心の体で書棚の本をつらつらと眺めていたら、長田弘の詩を思いだしたのだ。...愛猫の死、経惟と弘

  • 木口版画家・日輪尊夫の近くへ

    柄澤齊(からさわひとし)著『銀河の棺』のなかの「星より近き」に、すこし読み進むと日輪尊夫(ひわたかお)について書かれた、こんな文章がある。ヒワさんこと日輪尊夫は1941年高知市に生まれ、1992年同市で不帰の人となった。現代の木口版画はこの人に始まる。私がヒワさんの作品と出遇ったのは1970年、銀座の画廊で開かれた個展会場でのことである。友人からすすめられて初めて入った地下の画廊で、その版画を見た時の総毛立つようなショックは今でもはっきり覚えている。白い壁面にかけられた額縁の中の一点一点が、この世に穿たれた深い闇の入り口であり、その中に限界まで圧縮された生命体を思わせる光の粒子が隙間なく蝟集している宇宙━━それはヒワさんの制作が最も旺盛であった時期の作品群、「カルパ」と題された連作と詩画集『卵』の展開で、...木口版画家・日輪尊夫の近くへ

  • 『棟方志功展』その後

    前回のブログの最後に「MOMAT館(所蔵作品展)に足を伸ばした。身体がふるえるような、嬉しい驚きに遭遇したのである」と書き残した。そのことを書く前に、さらに嬉しいトピックを発見した。木口版画家の柄澤齊さんについては、これまで版画芸術家としてだけでなく、文芸・芸術評論やミステリー小説を書く多才な人としても再三紹介している。なので詳しいことは省くが、山梨南アルプスの麓に住む柄澤さんが、最近『棟方志功展』に行ってきたことをフェイスブックで公開されていたのだ!いろいろ前後して申し訳ないが、実はMOMAT館に足を伸ばして、震えるほどの嬉しい真意とは、柄澤齊さんの師匠である日輪尊夫氏の作品、20点ほどが纏まって展示されていたからである!氏の実作品は数点しか見たことがなく、その全容を確認したことがなかった。で、駒込の「...『棟方志功展』その後

  • 生誕120年棟方志功展から

    過日、竹橋の東京国立近代美術館で開催している『棟方志功展メイキング・オブ・ムナカタ』に行ってきた。前回と同様に妻のたっての要望。祝日の前日、陽気はことのほか桂く、文句なしの散歩日和に思えた。疲れることは承知の上だが、ガウディ展のときのような混雑はないとの情報もあり、「まあ、行ってみるか」と重い腰を上げたのである。棟方志功は、子供のころから知っていた。その頃は芸術に特に親しんでいたわけではなく、知らぬまに向こうからやってきた、そんな感じの芸術家である。岡本太郎、山下清、梅原龍三郎、洋画家ではゴッホ、ピカソ、ユトリロらも同列である。当時、地元の芸術家といえば横山大観だが、岡倉天心との相違が分からず、とにかく偉い日本画家というイメージが勝手にこびりついている。棟方志功は、テレビでみたり、映画館でみる本編の間のド...生誕120年棟方志功展から

  • マイナンバーカードの変

    急遽、マイナンバーカードについての私見を覚書として残すことにした。一昨日のこと(11/22)、グーグルニュースのまとめサイト(各メディアの主要トピックニュース・地方新聞含)を読んでいたら、NHKニュースの「暗証番号設定必要ないマイナンバーカード12月中に導入へ」という見出しに目が留まった。記事としては以下の通り(ですます調を直し)。総務省は、認知症の人や高齢者に加え、希望するすべての人にマイナカードの対象を拡大し、来月中に導入する方向で調整を進めている。マイナカードの申請には暗証番号が必要だが、「設定や管理が難しい」という声が多く、当時の総務大臣が暗証番号のないカードを11月に導入する方針を示していた。また、すでに交付されたカードも暗証番号なしに切り替えが可能とのこと。総務省は自治体の準備期間を考慮して、...マイナンバーカードの変

  • 秋の散歩、なじみの銀杏の木へ

    ついこの前、一年以上も遠のいていた谷中墓地に行く。のぼりが辛い蛍坂を見ると、やり切れなさが先に立つ。春先の墓地に行けば、土は匂い立っている。冬は霜が降りるし、夏はいろんな虫が這いつくばっている。秋は桜の葉が黄色から真紅になる。銀杏の実も落ちはじめる。墓地のメイン通りは桜並木で、そこの土は踏み固められて面白くない。古い墓石の間の、人通りのない通路のような、雑草が生えている土がいい。ここは懐かしい、子どものころを思い出す場所だ。五重塔のあったところの近く、銀杏の木はずっと見覚えがあり、下日暮里に降りていく芋坂に出て、羽二重団子の店に降りるための、そう、メルクマール的な大木である。この木に辿りつく前に、了ごん寺さんのめだか、金魚をみる。もう咲き終わったしまった彼岸花も、紅白そろって見事だった。前記事のリンクを貼...秋の散歩、なじみの銀杏の木へ

  • 竹下節子さんのトークを聞きに

    何年ぶりだろうか、竹下さんにお会いできたのは。ほんとにコロナ禍は長く、大きな災いをもたらしたと思う。今年の3月か4月頃にも来日して講演会をなさったはずだが、入院中の身だったので行けなかったのは無念。今回は2回、講演というより軽いトークの会が開催された。来春に出版される本の内容にそった話になるらしい。初回のトークの日は、訪問診療の日で行けず、2回目の日仏会館の方に出席した。竹下さんの集いは、これまで参加者が女性9割ぐらいの印象であったが、今回は7対3、もしくは6対4ぐらいの構成であった。開始が18:30だったので、仕事終わりの男性陣が参加しやすかったのかな。学生風の若い男性もいたし、フランス人らしき男性が2名も出席していた。やはり恵比寿の日仏会館というロケーションが影響していたのであろうか・・。前置はさてお...竹下節子さんのトークを聞きに

  • 多摩永山のブックカフェを訪ねて

    今年のはじめ、神楽坂にデザイン事務所をもつ友人を訪ねた。きけば年内に多摩市に移り住み、仕事を減らしながらブックカフェをつくるとのこと。高齢化にそなえて、彼なりの考えや目算があるのだろう。そういえば、お互いに齢を喰って慌てふためくことのないよう、歳相応の心構えをもちたいものだ、と話し合ったこともあったかな。どちらかといえば東京の下町生まれの小生、新宿より西側のJR中央線沿線や小田急、京王線の私鉄沿線には縁もゆかりもない。但し、武蔵野の台地、森には、文学的な憧憬はあった。さらに奥多摩は、低山ハイキングの絶好地で、多摩市はその足がかりとしても理想的だと思う。これまで市街地の多摩方面はとりわけ行くこともなかったが、多摩ニュータウンなどの大規模団地が少子高齢化の影響でだいぶ様変わりしていると、何やらさびしいニュース...多摩永山のブックカフェを訪ねて

  • 希望のない国、イスラエル

    がんを患って、自分の生死の目途がついたとき、ブログには政治、社会的なテーマは避けようと決めた。なぜなら、昨今、書くことの根拠、エビデンスのことごとくが希薄で、信用のならないものに思えてきた。情報ソースはすべからくメディア経由であり、ITのSNSなどだが、それらはもはや信のおけない媒体であると、自分のなかではほぼ断定している。そうなのだ、自分にはそれらを客観的に取捨選択する確信、判断基準を持ち得なくなった。専門知のない自分がどう足掻いても、地に足をつけたつまり事実に基づいた文章は書けないのではないか、と。実に哀しいことだし、自信(confidens)の喪失でもある。ならば、自分の関心のあること、この齢でも学ぶべきこと、惹かれること、好きなこと、身の周りのほっこりすることを書いていこう、と。そう、決めてからは...希望のない国、イスラエル

  • 只見線・奥只見湖・清津峡、人気スポットへ

    新潟県十日町に近い津南温泉から、只見線の大白川駅へ。いま内外から熱い視線をあびるJR只見線は、福島県会津若松駅と新潟県魚沼市の小出駅を結ぶローカル秘境列車。沿線沿いの幾つかの駅が山間の秘境にあり、四季折々に自然の超絶景が見られ、列車とのコラボレーション写真は旅情をかきたてる。大規模な水害で不通になった区間もあるせいか、単線を走る小さな列車と人を寄せつかせない秘境との構図は、なんとも儚く、そして美しい。その希少さこそ唯一無二であり、消失してしまうものへのノスタルジアを醸成すると言っていい。海外のファンが増えるのも、むべなるかなであろう。鉄道オタクのみならず外国の秘境マニアが訪れるこの路線、去年10月から全線開通した。秋の紅葉を満喫する臨時列車も増車するらしい。小生らはシーズン序の口だから、と軽く考えていたが...只見線・奥只見湖・清津峡、人気スポットへ

  • 信濃から越後の海、ブナ林へ

    信越本線に乗って柿崎から柏崎へ。バスに乗り換えて寺泊に行く。柏崎駅前は、原発の最寄り駅なのであろう、ローカル駅とは思えない景観をみせる。駅前のタクシー乗り場には5,6台のクルマが待機していた。そのうち特急列車がとまったのだろう、まとまった人々が次々にタクシーに乗り込んで行った。半数はスーツ姿であったが、何か技術者を思わせる実直で頭が切れそうな男たち。たぶん柏崎刈羽原発の関係者かしらん。事実上の運転停止命令が出ているはずだが、何やら水面下で東電ならびに利権に群がる輩たちが、再稼働を画策しているんだと。どういう理路で物事をはこぶつもりなのか?まあ、そんなの関係ねぇと、強引にやるんだろう。フォッサマグナの大断層は近いのだ。さらに、大小の断層は、北陸地方を縦横に走っている。再稼働をすすめる人々は、安全性を担保する...信濃から越後の海、ブナ林へ

  • 青天の白馬三山を眺む

    10月は生誕月であるが、罹病してほぼ一年。早ければ3カ月、平均余命・・年の命だと御託宣を受けた。ま、なんとか丸一年を身過ぎ世過ぎ、無事に生きていることを歓びたい。何よりも、読者ほか誰彼問わずに、愚生を案じてくれた方々に感謝の念をあらわしたい。ありがとうございます。また、この日を祈念して、2ヶ月前から計画、準備してくれた妻には、万感の思いをこめて感謝と労いの言葉をとどけます。今日、ほぼ日本全国が秋晴れのなか、特急カイジに乗って長野県松本へ。駅前からバスで白馬三山を臨める「絶景テラス」に直行した。紅葉は始まったばかりで、山全体は部分的に赤と黄色が目立つ。ナナカマドは特に赤色が鮮やかで、心が湧きたつ。ゴンドラで行く「絶景テラス」では、冠雪の白馬岳たちが、どうぞ見てくださいな、と誇らしげに見下ろしていた。いやあ、...青天の白馬三山を眺む

  • 形のない時間の手触り

    ■『ポール・ヴァ―ゼンの植物標本』から堀江敏幸の「記憶の葉緑素」を読む30年ほど前のこと。フランスのリヨン、長距離バスの待ち合わせで2、3時間、待つことに・・。作家の堀江敏幸は、旧聖堂のある広場で古道具屋「オロバンシュ」(※注)にふらっと立ち寄る。書籍コーナーもあったが、理系の雑書が多く、数学、サイエンス系の専門書で占められていた。そのなかに紛れていたルソーの『ある散歩者の夢想』とモーリス・ルブランの『虎の牙』、表紙のくたびれたペーパーバック二冊を手にする。時間はまだたっぷりあったから、店のなかを物色する。おびただしい古道具類のなか、堀江は、薄い緑の細長い筒状の容器になんとなく惹きつけられた。店の主人から、植物採集につかう「胴乱」であることを教えられ、そこからポール・ヴァ―ゼンの話にひろがるのだが・・。こ...形のない時間の手触り

  • 連鎖する偶然、惹かれあう出会い

    スマホのOSはグーグルなので、撮った写真が「フォト」というアプリでクラウド上にストックされる。15GBまでは無料で、まだ10GBも空きがある。だから焦る必要はないのだけれど、古い写真を整理しようと思い立った。過去のストックをさかのぼって整理していたら熊谷守一絵画展(近代美術館※➡注)の写真群があった。そのなかになんと柳原義達の彫刻があった。過日、このブログにも載せた『孤独なる彫刻』という著書のトビラにあった裸婦像である。常設展示館の小さな空間に、等身大よりやや大きな彫刻が並んでいた。兜をかぶったサムライの彫刻は舟越保武の作品で、緊張感と静謐さが漂う彫琢であり、舟越桂の父親であることは承知していたし、『巨岩の花びら』という著書は卒読していたかと思う。彼の作品はどれもがキリスト教に関係するものが多かったので、...連鎖する偶然、惹かれあう出会い

  • 末盛千枝子さんのこと再び

    病院を退院した翌々日だったか、千葉県市原の「湖畔美術館」に行った。➡『末盛千枝子と舟越家の人々』その末盛千枝子さんが、先週月曜日・朝刊の半面記事「あの人に迫る」で近況が特集されていた。10年間続けた「3.11絵本プロジェクトいわて」はいちおう区切りをつけたものの、すべての人に絵本を読んで欲しいという思いは、いまだに尽きることのないご様子だった。御年82歳ながらお元気そうでうらやましい。大震災の1年前に岩手八幡平市に引っ越してから、現地の人々との交流を深めている。そのなかのエピソードが印象に残ったので、覚書として記す。陸前高田の友達の話が忘れられません。信号のある交差点を車で運転していたら、信号が青になったのに前の車が止まったまま動かない。後ろで待っている人たちが「もう青になっているよ」と言うと、前の車の人...末盛千枝子さんのこと再び

  • 夢二式美人に「可愛い」の源泉をみる

    以下の文章はいわば能書きにあたるので、タイトルにある「夢二式美人に『可愛い』の源泉をみる」の結論をはやく読まれたい方はどうぞジャンプされたし「侘び、寂び」と同じように、世界にむけて現代の日本人の精神性あるいは心性を表わす言葉とは何か?議論はあろうが、いちばんの候補といえるのは「可愛い」だ、と思ったのはいつの頃だったか。竹内整一が考察した「やさしさ」に関する一連の著作を読んだときか。それとも、経済学者森嶋通夫の『なぜ日本は没落するのか』を読んだ時か。いずれにしても2000年前後で、「失われた時代」に入ってたと自覚したときと重なる。その頃には、村上隆、奈良美智らの作品が、ジャパンアートとして世界のアートシーンで脚光を浴びていたと思う。彼らが表象したいコンセプトには、たぶん通奏低音として「可愛い」があり、西洋美...夢二式美人に「可愛い」の源泉をみる

  • 竹久夢二が求めた美とは何か

    前回記事の続き竹下夢二(1884~1934年)は、画家としてだけではない、様々な才能に秀でたマルチタレントだった。ウィキをちょいと引用する。・・数多くの美人画を残しており、その抒情的な作品は「夢二式美人」と呼ばれた。大正ロマンを代表する画家で、「大正の浮世絵師」などと呼ばれたこともある。文筆の分野でも、詩、歌謡、童話など創作しており、中でも、詩『宵待草』には曲が付けられて大衆歌として受け、全国的な愛唱曲となった。また、多くの書籍の装幀、広告宣伝物、日用雑貨のほか、浴衣などのデザインも手がけており、日本の近代グラフィック・デザインの草分けのひとりともいえる。夢二について知っていることは、ほぼ以上のことに限られていた。現代でいえば、画家、イラストレーター、装丁家、グラフィックデザイナー、詩人、作詞家、童話作家...竹久夢二が求めた美とは何か

  • 本郷弥生あたりの散策

    週に1回訪問してくれる看護師さんは、歩くだけでも筋力がつきますから、といって爽やかに笑う。分かってますよとは言わない。ご心配無用、歩きは好きですからなんて、以前だったら自信たっぷりに返事していたかな。今はもう目で笑いながら、そうですね明日にでも行こうかな、と自然に言える爺さんになった。今回は行き先を本郷方面に向けて、なるべく杖を使わずに歩こうと思い立った。そのかわり本郷へは登り坂なのでタクシーに乗り、東大農学部の中にあるレストランを起点にしたコースに決定。一般開放されたレストラン・アブルボアは、何回か来たことがあり、ランチの小鉢風九種類の惣菜は美味であった。アフリカンテイストの民芸調インテリアも、独特の雰囲気をかもしだして好印象。3年ぶりの再訪であるが・・。それから農学部の裏から異人坂をぬけて、工学部(?...本郷弥生あたりの散策

  • 迷惑かけてもいいんだ

    抗がん剤の影響かとおもうが、手と足の筋力がみるみる失くなった。何かに掴まっていないと安定した姿勢が保てない。杖を使えば、辛(かろ)うじて歩ける。だから入院中には、X線検査やコンビニの買い物に行くときなど、介助してもらって車椅子を利用するように提案された。実際に利用して実感したのは、その便利さ、快適さはもちろん、介助していただく方への感謝である。そして、他人の憐み、同情の視線なぞはあまり感じない(ゼロではなかった)、むしろ優しさを含んだ無視であった。退院したばかりの頃は、自分用の車椅子をよく利用して外食なぞに行ったものだ。千葉の美術館に出かけたのも忘れがたい思い出になった(この辺りのことは当ブログに記している)。その他にも、車椅子や障碍者のことを考え、断片的ではあるが二、三のエピソードを備忘録として残してお...迷惑かけてもいいんだ

  • 三味線の音

    ふたたび永井荷風の話から。いまは亡きアヴァンギャルド詩人・俳人加藤郁乎の『俳人荷風』を読んでいて、江戸文化の素養を磨いた青年荷風について、こんな件があった。長唄や琴を能くした母親ゆずりとはいえ堅気の家庭に育った荷風が三味線の独稽古をはじめたのは遅く、中学校を卒業した明治三十年十九歳のころ、中学二、三年のころ琴古流の二代荒木古童門下の可童に弟子入りして尺八を学んだ。尺八の技術を完成するためには一通り三味線の道をも心得て置く必要があろう、というので三味線を手にした。家族に気付かれぬよう忍び駒をかけあたりを気遣う独稽古であった、と小品文「楽器」に明かしている。荷風の顔は面長で、痩せて背も高そうだ。着流しの、いかにも風流人の出立ちならば、浅草を歩くのも似合ったであろう。若いころからの写真をみても、文豪然とした超然...三味線の音

  • 夏の明るい寂寞かな

    枇杷の実は熟して百合の花は既に散り、昼も蚊の鳴く植込みの蔭には、七度も色を変えるという盛りの長い紫陽花の花さえ早や萎れてしまった。梅雨が過ぎて盆芝居の興行も千秋楽に近づくと誰も彼も避暑に行く。郷里へ帰る。そして、炎暑の明るい寂寞が都会を占領する。永井荷風の随筆集(岩波文庫)にある『夏の町』の冒頭の書き出しである。荷風がほぼ5年間の洋行(アメリカ、フランス)から帰って2年後に書いた随筆だ(発表は明治43年8月、東京散策記ともいえる『日和下駄』の執筆より4年前になる)。28歳という年齢を感じさせない熟達した書きようであり、江戸情緒を感じさせる叙述だ。冒頭にでてくる花たちは、初夏にわが町でも見かけた。お寺さんに自生したり、ご近所の庭先に咲いていて、今や懐かしく感じられる。東京のお盆は明治より新盆だが、旧盆の八月...夏の明るい寂寞かな

  • 柳原義達について、もう少しの話

    前回の続きジェルメーヌ・リシエについてIT検索していたら、興趣をそそられることが多々あった。ちょっと驚いたのは、後期の作品『蟻』(1953)が約3億3千万円で売買されていたこと。所蔵者は東京国立近代美術館、落札者は民間の美術関係会社。超高額だが、世界基準のリシエ評価としては、さもありなんと類推できる。そのほかの美術品の入札についても、想像をめぐらすこと多し。▲リシエ作『蟻』(1953)検索では、「柳原義達」という固有名はかなりの頻度で出た。柳原と矢内原伊作が、リシエについての評論を書いている(雑誌『みずゑ』)。リシエに関する単独の著作物は全くでてこない(無いのだろう)。国会図書館には、柳原名義のリシエに関する著書があるらしいが未確認。各大学の紀要いわゆる論文集には、ジェルメーヌ・リシエの名は散見できたが、...柳原義達について、もう少しの話

  • 女性彫刻家ジェルメーヌ・リシエが遺したもの

    ジェルメーヌ・リシエ(1902~1959)とは、フランスの女性彫刻家であり、ロダン(1840~1917)の高弟であったアントワーヌ・ブールデル(1861-1929)のそのまた愛弟子である。ブールデルは日本各地で巡回展が催されたこともあるが、ロダンほどには馴染みがないかな?いや、「弓を引くヘラクレス」をはじめ多くの彫刻やレリーフなどが各地の美術館に所蔵され、目にされた人は多いのではないか。また、ブールデルは自然主義のロダンの影響を脱して、独自の構築的な彫刻をめざしたとされる。それが、近代日本の彫刻界を牽引した高村光太郎をはじめ、佐藤忠良、舟越保武、後述する柳原義達らに多大なる影響をあたえたといえよう(アカデミズムから離れた在野の彫刻家グループ)。▲弓を引くヘラクレス▲瀕死のケンタウルスさて、ブールデルの弟子...女性彫刻家ジェルメーヌ・リシエが遺したもの

  • 緑は希望の色だ

    夏のそら流れる雲ああひとり好きないろみどりああひとり若いころに緑色が好きになった。ダークグリーンのジャケットを買ったら、女性のアートディレクターが新宿二丁目の人たちの好みだわ、と言ったことを思いだした。後でその理由を知ったが、好きなものにさしたる理由や根拠はない。緑は植物の葉緑素が根源であり、すべての生命の源でもある。だからというわけではない。緑はわたしにとって、希望のいろだ。春夏秋冬に緑はある。けっしていろあせない。ひかりを糧にしていのちをつくる。最近、フランスの諺を知った。”Tantqu'ilyadelavie,ilyadel'espoir.”「命がある限り、希望はある」ぐらいの意味で、単純直截ながらも力強いことばだ。「緑がある限り、命はある」と言いかえてもおかしくない。さしずめ日本なら「命あってのモ...緑は希望の色だ

  • 八重山諸島の生きものにふれる

    全く偶然に入った植物園だった(そこが西表島ではなく、あたかも「御出来」のように西表島に喰っついている由布島だったのは後で知る)。他のツアー客もいなかったし、同行する人たちの数は3,4人で、彼らはその濃密な亜熱帯空間を振りはらうように、どんどん先に進んで行ってしまった。多摩動物公園の昆虫館や千葉の南房パラダイスの、閉鎖された空間を飛んでいる大ぶりの蝶は印象的だった。オオゴマダラ(大胡麻斑)が群れて飛んでいるのは、沖縄の自然環境であるから・・、当たり前といえばそうだが、ちょいと「アフォーダンス理論」という科学的な視座をもちだすと、話はややこしく深遠になる。これは「環境が動物に提供するもの」という考え方で、この二分法だと関係性は絶対的ではなくなる(と思う)。我田引水、自己都合理論風にいうと、「この人の生い先は短...八重山諸島の生きものにふれる

  • 『末盛千枝子と舟越家の人々』に行く

    退院した翌々日、千葉県市原の「湖畔美術館」に行った。病室でEテレの『日曜美術館』番外編(15分)をたまさか観ていたら、展覧会案内の一つとして『末盛千枝子と舟越家の人々』が紹介されていた。なんとなんと、末盛千枝子と舟越桂が姉弟だったとは、ここで初めて知ることになる。末盛さんは絵本・童話の優れた水先案内人兼発行人である。また、ターシャ・チューダーやゴフスタインの翻訳者、『人生に大切なことはすべて絵本から教わった』を書いた名エッセイストでもある。また絵本では名高い『すえもりブックス』のシリーズの制作者だ。驚いたのは、彼女の十歳下の弟が舟越桂であり、さらにその二歳下に弟舟越直木がいて、その他3人の芸術家といっていい三姉妹がいる。これら子どもたちの父親は彫刻家舟越保武であり、母親の舟越道子は、結婚前は新興俳句の次世...『末盛千枝子と舟越家の人々』に行く

  • 直近況報告3

    今回はじめて服用したクスリは、ドセタキセル「ニプロ」という。最初のアブラキサンもだが、抗がん剤はどうもおどろおどろしいネーミングでいけない。以前にも書いたが、「毒を以て毒を制す」というテーゼは、抗がん剤の基本OS(OpratingSystem)のようなもの。ならば命名も、医師や薬剤師に訴求すべき専門家だけにインパクトをあたえるネーミングづくりに、メーカー側は苦吟したのではないか…。この針葉から抽出されたドセタキセルは、自然由来のものだ。身体にも優しく効いてくれと、一縷の望みを託したのだが、。。。以上は、入院当初に書いたものだ。その後の経緯をかんたんに書けば、高熱、脱毛、下痢、頻尿、せん妄(※別記)、免疫力低下、体力減退などで寝たきりの状態になった。並行して肺炎治療のステロイド剤も服用していたが、今回の抗が...直近況報告3

  • 八重山諸島の花にふれる

    川は流れてどこどこ行くの人も流れてどこどこ行くのそんな流れがつくころには花として花として咲かせてあげたい泣きなさい笑いなさいいつの日かいつの日か花を咲かそうよ泣きなさい笑いなさいいつの日かいつの日か花を咲かそうよ喜納昌吉の代表的な楽曲「花」は、副題として「すべての人の心に花を」というフレーズがついている。これは1964年東京五輪の実況アナウンサーが発した言葉から生まれたらしい。この言葉に喜納昌吉はインスパイアされて「花」は作られた。はじめて聴いたときは、どことなく沖縄の旋律が心地よく、なぜか懐かしい感じがしたものだ。さらに言えば、歌詞の内容が『方丈記』の無常観を感じさせて、素直に好きになった楽曲であった『川の流れのように』も同じで、日本人にはテッパンですかな。その後、沖縄の代表的な「でいご」や「ハイビスカ...八重山諸島の花にふれる

  • 元気もらいました、感謝です

    この回は個人的なブログです。病気になってから、様々な人々からお見舞いや励ましをいただきました。親友、知友、旧友、ご近所のみなさん、ありがとうございます。心のこもった言葉と、それにふさわしい品々をいただきました。美味しい食べ物は早速いただき、ここに紹介できません。そしてまた、案じていただけるだけで嬉しいのに、想い出になるものまでいただき今生の幸せです。近ごろの言葉でいえば、寄り添っていただけたというのでしょう。小生はシンプルに「元気を貰いました」と言いたい。なにしろ、元気とは「活動の基になる気力」、「万物の元である精気」の意ですから、元気がいちばんでしょう。般若信教を独自研究して立派な冊子にした友人との会話は、話が尽きず時間を忘れました。心地よい疲れでした。この場に個人的な感想を書くのは憚れたのですが、感謝...元気もらいました、感謝です

  • 八重山諸島の海にふれる

    ▲やはり富士山は撮りたくなる。日本人だから・・。さあ、沖縄へ去る4月9日、羽田から石垣島へ。体調は万全とは言えないが、同じ年恰好の観光客ツアーであるし、無理のない日程で旅を愉しめるはずであった・・。石垣島に3泊するが、様々なオプショナルが用意され、それぞれが思い思いの旅を愉しむ。波照間島に行った旅人の目的はなんだったろうか?さて、石垣に着いたその日は、既に夕方近かった。石垣島の鍾乳洞の探訪は、個人的には遠慮したかったが、妻に励まされてなんとか踏破できた。翌日から、八重山諸島の石垣島、竹富島、西表島、小浜島を旅したが、その詳細を記述することは、入院中のために辛いものがある、と弱音を吐く(入院中に記事を執筆)。その代わり写真を構成して、なんとか旅の気分でもお伝えしたい。これには妻の全面的な協力を仰ぐ所存。読者...八重山諸島の海にふれる

  • 直近況報告②

    2週間の入院を終え、体力はやや回復、気力は充実、ややアンバランスな体で自宅に無事に帰還した。(この記事は自宅PCで作成。)当初、車椅子のお世話になったが、その乗り心地は素晴らしく、身体への負荷が大幅に減ることを実感した。ただ、入院棟からレントゲンを撮りに外来病棟へ行くとき、多くの視線を浴びるかなと思ったが、あにはからんや何らの眼差しを感じない。クルマを押してもらっている妙齢の女性と世間話をしつつ、車椅子のスピードを楽しんだ。今回、食事は朝食のみを頼み、食は昼・夕食はお断りした。極度の食欲減退と味覚異常が重なって、せいぜい玉子サンドイッチと飲むヨーグルトぐらいを食す程度。病院側はとにかく好きなものを食べ、体力増強をはかれと勧める。いわゆるステロイドホルモン(副腎皮質ホルモン)を服用するすることで、糖やタンパ...直近況報告②

  • マイナンバーカードの怪

    病院は夜9時が消灯。しばらくはテレビを付けているが、大部屋の皆さん(3人)は静かに、おもむろに就寝につく。それからは、ラジオを聴くことが多い。先日、武田砂鉄のラジオ番組を聴いた。前回の入院の時に、2,3回ほど聴取したかな。内容は忘れたが、低めの落ち着いた声が聴きやすく、言葉使いが的確で気持ち良い。故坂本龍一の父親がいた河出書房新社の編集にいた(現在フリー)が、鬼の坂本から薫陶を受けたのだろうか…。以前、Eテレの「百分で名著」で、社会心理学の嚆矢『群衆心理』を解説していた武田砂鉄。この古典は、現代のSNSにも通じるものがあり、それは人間の本質的な行動原理や心理の動きを、はじめて分析したといっていい。まさに、温故知新。そんな印象を強く持ち、武田砂鉄という人の本を読もうと思ったことがある(文庫本を買ったが…)。...マイナンバーカードの怪

  • プーチン、純心からの邪悪

    プーチンの生誕は1952年、戦後の生まれである。両親は共に40歳を越えていて、プーチンには二人の兄がいたが、どちらも夭逝している。父親は独ソ戦で重傷を負い、戦後は年金で生活していたかと思う。両親にとってプーチンは、かけがえのない最後の宝だったから大切に育てられた。言い換えれば、甘やかされて育てられ、プーチンはサンクトペテルブルクでは、ヤンチャな少年時代を過ごしたことになっている。それほど刮目されたことはないが、プーチンの祖父は料理人であったことが知られている。レーニンその後スターリンの専属シェフとして。まあ、クレムリンではなく、別荘(ダーチャ)ではあったが…。プーチンは祖父を尊敬していたし、話しを聞くことは好きだった。それがどんな内容であったか、プーチンの伝記の類いは幾つか読んだが、具体的には伝わってない...プーチン、純心からの邪悪

  • 竹下節子氏の講演、我が病室の内装のこと

    来る5月7日の日曜日、信濃町の真正会館で竹下節子氏の講演会(講座)が開催される。3年半ぶりだから、絶対行きたかったが…。入院中ゆえに残念至極である。テーマは『人生の幸せについて』とのこと。Sekko様としては端的でソフトな切り口、かつ普遍性のあるテーマ。考え様によっては、混迷する現代の喫緊の課題とも言えるが、個人としても如何ようにも深掘りできる。幸せの基準が、昨今、他人目線に支配されている(SNS決定)傾向がありやしないか…。どう、展開なさるのか、聴きたいなあ。真正会館の講演へ⇒「真正会館講座一覧」で検索されたし。(リンク貼れない、トホホ)以上とは関連ないが、最近上梓された『コンスピリチュアリティ入門』という本をちょいと紹介したい。早い話が、隠謀論とオカルティシズムなどのアマルガム現象…。竹下節子氏がアメ...竹下節子氏の講演、我が病室の内装のこと

  • 破綻は、淘汰とも云える

    一昨日だったか、アメリカのファースト・リパブリック銀行が破綻した。その先には、シリコンバレーで躍進してきた先端企業群を取引先とした銀行も破綻し、連鎖的な信用不安から預金者たちを不安の闇に突き落とした。アメリカの地方銀行とはいえ海外との取引は多かったという。好景気、高利回りならば、欲望の猛者はどこからでもやって来る。だが、この業界どんな時でも破綻は生じる。連邦政府が預金保護など手厚いフォローアップしたが、この破綻はアメリカ金融市場の信用不安、中堅銀行以下の銀行がデフォルトに陥る。そんな観測、見立ては以前から囁かれていた。小生には、これらの現象が、ある種のプロトコルのような筋書きがあるようにしか思えない。例えば、シリコンバレー、その周辺の土地、物価、人件費は相当に高騰し、GAFAなどの一流企業、スタータップ企...破綻は、淘汰とも云える

  • 直近況報告

    沖縄八重山諸島の旅を終えて、食欲不振はさらに進んでしまった。旅行中はなんとか口に合うものだけ食べてきたが、自宅に戻ったら、口に合う食べ物が何かさえ分からなくなった。鮪を食べても、美味しいときと口にしたくないときがある。甘い感じの醤油の味付けも、香りは気になり、味覚としては旨くない。そのうち、体重はどんどん落ちて52キロ弱。愚痴も嘆きも書きたくない。けれど、ほとんど寝たきりの状態で過ごしている。臀部や太腿などの筋肉がなくなり、胸の当りもすっかり爺の体つきだ。昨日、久しぶりの診察があり、X線撮影や血液検査があった。担当医師による見立ては、今回の抗がん剤はそれほどの効果がなく、間質性肺炎が今までになかった右肺にも浸潤しているとのこと。咳が止まず、その一つひとつが重く、体力に響くのも、その間質性肺炎であるらしいと...直近況報告

  • 近況のこと、そして海へ

    やっと4週間の内服薬療法が終わった。今後2週間、抗がん剤を飲むことはお休みになる。\(^_^)/但し、入院中から続く食欲減退はそのまま。何かを食べたいという欲求がない。これは自分でも不思議だとしか思えない。毎日食べても飽きなかった納豆、大好物の鰻さえも、食欲がかき立てられない。これは実に悲しい。肺結核の正岡子規は最期まで健啖家であったが、その喰いっぷりを『仰臥漫録』で確認すると驚くしかない。ある日のレシピはこうだ。朝からご飯4杯、佃煮、奈良漬け、葡萄3房。午は粥2椀、刺身、味噌汁、佃煮、奈良漬け、梨1個、葡萄4房。間食には、牛乳5合、菓子パン小10個ほど、塩煎餅1,2枚。夕飯は、粥2椀、焼き鰯4尾、ふじ豆、佃煮、奈良漬け。これとほぼ同じような献立が毎日続く。子規は肺結核であったが、食べることの愉しみを失わ...近況のこと、そして海へ

  • 『近代の虚妄』を読む

    入院中に読んだ本について書く。といっても去年に入院したときの読書で、岩波新書の『岡潔数学の詩人』についてはブログに書いた。とはいえ感想文程度のものであり、書評とは言い難い半端なもの。病床におけるメインの読書についても、ブログに掲載したかったのだが、全部を読み通すことができなかったという体たらくだった。自宅に戻ってから読み通したものの、全体の感想なりメモを残すことができなかった。その本とは、長いあいだ読み続け、畏敬する佐伯啓思の2年半前の主著『近代の虚妄』(2020)である。副題に「現代文明論序説」とあるが、佐伯の本には遠慮がちに「序説」と名付けた著書が何冊かある。まだ完本ではない、この後にも深い考察を加えたい、そんな旨を伝えたい。かのように、佐伯の思慮深いセンスと人柄があらわれている。著作の特長としては、...『近代の虚妄』を読む

  • 3度目の入退院、WBCのこと

    ▲退院した当日の東大構内。開花宣言したが、あいにくの空模様だった。一昨日、2週間の治療を経て、無事に退院した。入院治療といっても、朝晩3錠の薬を飲んで、ベッドに寝てるだけのこと。薬を飲んで何か異常が出るかをチェックするのが目的である。入院費用もそれなりに要するんですけど・・。ま、しかし、それだけ副作用が出やすい劇薬なのであろう。薬を飲むときだけは、自分で直接さわらないように取り出して服用する。そして、吐き気、発熱、便通、口内炎など何らかの症状があるかないか、毎日チェックされる。もちろん、脈珀・血圧、心音なども、朝晩に看護師さんらが診てくれる。レントゲンを除いて、採血も彼女たち、いや男性もいるから看護師さんたちの仕事だ。とにかく飲むクスリは「扱い注意」らしいのだが、今後4週間毎日欠かさずに飲み、その後2週間...3度目の入退院、WBCのこと

  • 切れぎれの近況について4

    入院する前々日だったか、早稲田、戸山あたりを散策した時のことを、近況報告として追記しておく。スマホで書くので文章少なめ、写真多めにしたい。まずは、夏目漱石の記念館「漱石山房」に行ったこと。近くにある草間彌生記念館は妻も所望していたが、5月頃まで休館だった。漱石の方は、場所を移転してのリニューアル。モダーンな建築の評判も上々で楽しみであった。展示のメインは、晩年の漱石を彷彿とさせる当時の書斎を再現したもの。漱石自身の実物レプリカふくめて、撮影OKのエリアは少ない。山房に所縁のある人々、交友・師弟関係の広さ、深さに圧倒される。それを物語る文書、写真等の数々。ムービーも何本かあって、最初の記念館がオープンした際の映像は、鏡子夫人も見られて面白かった。🔺トクサが繁茂している。意図的に植栽したのであろうが、これだけ...切れぎれの近況について4

  • 只今、入院中。徒然なる儘に

    再入院して1週間。クスリを替えて服用する化学療法は、危惧された副作用もなく、経過は順調といえよう。癌そのものへの薬効はいつ頃から顕れるだろうか…。とりもなおさず、体調はいたって変わりない。どういうわけか、口周りの髭がチョボチョボ伸びはじめている。去年の入院中から全く伸びなくなり、淋しい思いをしていた。眉毛、睫毛さえも抜け落ちて、いや、さるところのOKKさえも消失して、毛無し爺になっちまった。そこにきて白くて弱々しいが、男らしさとしての口髭が生えはじめてきた。まだしぶとく生き残れということかな。幸いかな余命告知も受けていない。来月に予定している沖縄旅行も、このまま副作用がなければ、めでたし実現の運びとなる。これもあれもT大病院の先生、看護士の皆さまのお陰としかいいようがない。今回の担当医も、初めて入院した時...只今、入院中。徒然なる儘に

  • 安全、安心は得たが、失ったものは何か。

    (3月11日に記述)夜明け前、背中にドスンと突き上げる衝撃をうけ、目が醒めた。スマホで確認すると、道南日高で震度4の地震があったらしい。腑に落ちないので、暫くしたら続報があり、千葉を震源とする震度3の揺れが関東で観測された。震度3であれほどのショックを感じるのだから、大震災直下の揺れはどうなるものか。高層マンションにお住まいの、特に高齢者は、高層階向けの地震シミュレーションを体験したほうが良い。普通の家屋で感じる別種の揺れなので、そのインパクトは心臓に悪いですと申したい。🔺当日の夜明け、病院13Fから見た上野方面。ところで今日は3.11だ。病室のテレビは小型だがBSも視聴でき、3.11の特集番組を多く放映していた。なかでも印象的だったのは三陸沖海岸の各地に建設された大潮防堤の異様ともいえる佇まい。『進撃の...安全、安心は得たが、失ったものは何か。

  • 切れぎれの近況について③

    少しずつモノが書けるようになってきた。日常の立ち居振る舞いがもどかしく、前頭葉が働かない、脳幹だけで生きているなぞと書いていたが、端的に書けば一種の「思考停止」に陥っていたのだ。自分の頭で物事を考えられなくなると、他人様の思考や言説に乗っかることで事足りた気持ちになる。他者発のロジックをなぞって、それを己の知的行為だと錯覚するのに等しい。これは人間としては、もっとも頽廃した姿をさらすことでもありやしないか。下痢に悩まされ寝たきりのような状態にあったとき、お笑い(特に漫才の)サンドウィッチマン、ナイツ、爆笑問題などのユーチューブ(音声版)をずっと聴いていた。ひとしきり楽しむといつの間にか惰眠を貪っている。ひとつのコンテンツが3時間ほどもあるので、何もせずにへらへらと笑っていれば時間が過ぎる。深夜になって下痢...切れぎれの近況について③

  • 切れぎれの近況について②

    理由はわからないが、がん細胞が増殖しているという残念な結果を知らされ、新たな抗がん剤による治療をうけることは書いた。飲んでがんを退治するというティーエスワンという内服薬で、後で調べると膵がん・胆道がんの治療に用いられる代表的な抗がん剤とのこと。劇薬にも指定されているらしい(消化器系の薬だけに下痢などの副作用が心配だ)。担当医師を信頼しているから、それほどショックはうけていない。治療の新たなフェーズに入る、素直に受入れるしかない、そんな心境である。当日、治療はキャンセルされ、時間に余裕がうまれた。同伴してくれた妻の提案で、湯島天神の梅を観に行くことになった。本郷から歩いても、14,5分の近さである。午後2時ごろの陽気は暖かく、久しぶりに花を見る、自然に向かい合うという神妙かつ晴れやかな気分に・・そう心持を調...切れぎれの近況について②

  • 切れぎれの近況について

    まる2ヵ月もブログを書けなかった。新年を迎えて慶ばしいひとときを過ごし、気が緩んだともいえる。年末と年始に化学療法(抗がん剤の点滴)をうけ、身体的にはさしたる不調もなく、お取り寄せの正月料理を堪能・・。美味しいものをいただいても、どうも心は満たされない・・。そんな無粋な老人になっちまったのか。それが祟ったのか知らん。1月中旬ころから下痢症状が酷くなった。こんな私にもちっぽけな尊厳はある。詳しいことは書きたくない。寝て過ごす日々が続いた。抗がん剤の影響で免疫力が落ちて、それが影響したのだろうか。昔、インドへ行ったことがある。当時、現地で下痢になるのは通過儀礼のようなものだったが、へっちゃらだった。幼少の頃はビオフェルミンが欠かせないほどよく腹をこわす子供も、馬齢を重ねて丈夫な胃腸の持ち主になった、そう思った...切れぎれの近況について

  • 初春や兎跳ねるも樹にとまり

    明けましておめでとうございます。2023年年賀のイメージは、十月桜と呼ばれる写真をお借りした。妻がフェイスブックから見つけたもの。以前は、地元でロケハンして題材を探したが、近年は努力の甲斐もなくこれだというものが撮れない。年明けからエクスキューズするわけではないが、活力の衰えということでご勘弁願いたい。まあ、干支縛りはどうにか継続しているので、そのあたりを認めていただけたら嬉しい。本年も当ブログのご愛顧を願うとともに、皆さまのご多幸を心よりお祈りいたします。▲賀状の写真では、白兎が樹にとまっているように手を加えた。初春や兎跳ねるも樹にとまり

  • 通院と化学療法、年の終りへ

    退院してから美味しいものを食べ歩いた。食通ではない、美食も知らない。昭和戦後世代の平均的な食生活を経験してきた。医食同源なんて忘れて、自分の好きなものしか食べない。なんとも贅沢であることか、そんな心境であった。それが心の栄養となったし、身体にも良いことだったと思いたい。年末28日に外来の主治医〇◇先生の診察をうけ、その後に抗がん剤投与。そのための準備としてたっぷりと滋養をつけて、通院での治療に専念したい一心であった。入院治療はもう勘弁してもらいたい。前日の27日には造影剤を注射するMRIとCT撮影もした。なかなか慌ただしい歳の瀬とでも云おうか。28日当日のカンファレンスでは、朝に採血した検体データ及びこれまでの時系列検査情報、前日に撮影したMRI・CTの画像を参照しながら、総合的な診断や今後の治療計画の説...通院と化学療法、年の終りへ

  • 退院して飽食のち脱力

    実は、先週の木曜日(11/15)に退院した。前回の入院後と同じような体調なら、12月21日ぐらいに退院予定だった。それが、予測を超えるほどの免疫力を保持していて、ならば即、退院ということになった。(前回は2回目の抗がん剤投与してから、血小板や好中球の数値がかなり下がり、免疫力を回復してから退院の運びとなったので、今回とは雲泥の差)。また、今回は事前に免疫力アップの食品を独自に摂取したことで、体力を維持できたし、病院食のストレスを回避できた。納豆やヨーグルトなどは免疫力を高める食品として、テレビ番組やらコマーシャルで紹介されている。今回はそれを忠実にというか、愚直に実践してきた結果だと思う。今回は同室の方にいろいろお世話になり、こうした病院食に頼らない情報や知恵を授かったことが大きい。病院食は薬だと思って食...退院して飽食のち脱力

  • 「しゃっくり」とは何か

    自分なりの納得できる結論を得たいと思うが、そんなものは他人様は見向きもしないだろう。第一には「しゃっくり」のこと。呼吸をさまたげるヒックヒックの音は、誰もが体験し知っている。端的に言えば、呼吸する時の重要な筋肉である横隔膜が急激に収縮することで起きる症状。それは、筋肉が痙攣して下向きに動くと、声帯が急に閉じ、肺(胸腔)に空気が入らなくなる。その瞬間に何らかの振動が起きて「ヒック」という音が声帯から出るというものだ。実際のところ、そのメカニズムなり正確な原因は、まだ分かっていないらしい。分かったところで何になる、そんな声が聞こえてくる。しょっちゅう続くと、呼吸ができないストレスは半端ない。神経に関する筋肉をコントロールする神経系、あるいは脳の一部が刺激されている、そんな説明も多々あった。冷たい、熱い、辛いも...「しゃっくり」とは何か

  • フェイクはトゥルースより強し

    「しゃっくり」について書くつもりだったが、この歳になってつくづくと身に沁みたことがある。それは、世間というもの、いや実社会でもそうだが、物事の本質とか真理や真実というものは、それほど必要とされていない。本当の事とか、真実は実のところどうでもよろしいのか…。多くの人びとにとっては、真理らしきものよりも、自分たちが属する社会や経済が円滑に回って欲しい。それこそが切実な願いであり、求めているものなのだ。仕事、家族、友人、個人的な趣味嗜好、その他すべてをひっくるめた安寧が続くことも同様だ。それはまさしく自明なことである。但し、永遠の真理という命題は、古代において哲学を生み、さらに一神教という宗教を創り、人びとはそれを拠りどころとした。ギリシャ・ローマ、イスラムへと時空を超えて人びとを支配し、西欧を頂点とする文明を...フェイクはトゥルースより強し

  • 再入院、そして抗がん剤の点滴

    12月1日東大病院に再入院した。病室は奇しくも前回の隣。同室の患者さんは同年代であろうが、気さくな方で話しも円滑に進む。1日前に再入院されたとの事だが、その前は通院されていたという。その辺の事情は詳しくは聞いていない。小生の治療プログラムは、21日間を1クールとして3回の抗がん剤の点滴投与するもの(初回は2回目まで、3回目の点滴は断念)。治療の成果が認められ、免疫力に問題がなければ退院できる。滋養と鋭気を養うために自宅に無事ご帰還となる。そして、再入院と退院を繰り返す。それが全体で8クールあり、患者の容態がさらに良いと医師が判断すれば、通院での治療が可能になる。この辺の事は重複して書いたかもしれない。入院当日は、事務手続きと手荷物をおさめた後、付き添いの妻とタリーズで軽いランチを買い、目の前のパティオで外...再入院、そして抗がん剤の点滴

  • 再入院する前日の出来事から

    再入院の前日は、コロナのPCR検査を受けなければならない。東大病院へは、近頃都バスを利用し、池之端門から入る。歩きだと地下鉄湯島駅から竜岡門までの半分ほど短縮できる。で、目的の一つ前のバス停のこと。客を降ろし、出発しようとした瞬間、自転車のウーバーが突然、バスの前に飛びでてきた。急停止したのでバスは上下に激しく揺れて止まった。自転車は颯爽と走り去った。後ろの方でドスンと大きな物音。すかさず運転手さんが「大丈夫ですか」と声をかける。返事がない。ほぼ満員だったが出口近くで初老の女性が倒れている。それから、周囲の方が助け起こしたのか、運転手の大丈夫ですかの連続の声かけに、その女性は仕方なく「大丈夫です」と肩をさすりながら答えていた。バスは出発したが、彼女はたぶん大丈夫ではなかった。運転手は席を離れて、乗客の安否...再入院する前日の出来事から

  • 帰宅して養う、鋭気と滋養

    一週間プラス1日の帰宅となった。予定のことなのに、何かの猶予期間が与えられた変な気分である。留守中に妻が、私の居住エリアを隅々まで綺麗にしてくれた。苦手な整理整頓をやってくれたはいいが、キッチンや身の回りのもの、下着や服の位置の大幅な変換が行われていた。この際、妻の言い分を素直に受け入れ、何がどこに収納されているのか、早く頭にインプットしておこう。自宅に戻って感じた大きな変化は、汚い話で恐縮だが、痰らしい痰がでるようになったこと。ふつう、黄っぽい粘々したものが痰である。それが出なかった。喉に痰が絡む、それを出すために咳をする。それが自然の摂理というもの。入院中には、強く喉を絞り、肺から空気を噴出させても、出てくるのは透明に近い唾液だった。これは、小生が推測するに病院内の空気清浄が行きとどき、空気の対流がス...帰宅して養う、鋭気と滋養

  • 僅かだが、驚くべき変化

    2回目の抗がん剤投与から、本格的な副作用が波のように襲ってきた。まず食欲がなくなる。鼻血が朝と夜に出る。意識して唾を飲み込むと感じる強い喉の痛み。それに伴う咳。下痢、脱毛、もうよそう。これらの副作用は、何よりも免疫力の低下が起因している。その原因は、血液の中の多様な物質の変化、反応に現れる。そして、ほぼ毎日、朝に採血して解析される様々なデータを見るために、医師は入院を命じたともいえるのだ。まず、白血球、好中球、血小板数の低下が問題視された。このまま低下傾向が続けば、血小板は限りなく0になる?(正確には4万個台、正常なら15万個が最下限値)。輸血も考えていると言われた。好中球数の減少も危険閾値に近づき、その日から3日間に亘り、免疫力を高める薬を注射することになった。その結果が功を奏したか、数値は着実に上がり...僅かだが、驚くべき変化

  • 心の本体と自然

    看護士さんが起床時間を知らせてくれる。今日は特別に気持ちのいい朝ですよ、ラウンジに行かれたらいかがですか、と。屈託のない男性看護士の声に背中を押された。車椅子に乗った女性と、男女が間隔をあけて体を動かしていた。誰かのスマホからラジオ体操が聴こえてくる。一緒にいかが、気持ちいいですよと声をかけてくれた。屈伸したり、アキレス腱を伸ばしたり、手を伸ばして深呼吸をする。体は重く、動きもぎこちない。満足感とはいえないが、ゆとりみたいなものがあった。今に見ていろと、柄に合わないことを思ったりする。家では妻が色々なことをしているらしい。ドアのサッシまで綺麗にしている。体力と免疫がガタ落ちで帰宅するのだから、清潔で過ごしやすい環境が必要です、と。メールを読むだけなので、感情の起伏は少なくていい。妻の支えは、何はなくとも桃...心の本体と自然

  • 直近の、嬉しかったこと、幾つか

    その一。かつて仕事を共にした仲間からラインメールがきた。昔、彼は突然、英国本国に語学留学したことがある。終わるとバス旅で、ヨーロッパから中東へ回った。イランでのエピソードは強烈で今も忘れない。ブログを読んだ彼は、こう書いてくれた。英国ではくしゃみ、咳すると誰彼となく、Bressyouの声をかけてくれるそうだ。いい話である。最後、入院中はあまり難しい本は読まないようにと、体を気づかってくれた。ありがたい。Bressmeplease.その二。入院して早8日目。ずっと麦飯ばかり食べてきた。エネルギー食だからと勧められたし、玄米や雑穀米なども食したことがある。だが、それは白米と混合したもの。麦飯オンリーで大丈夫ですと豪語したが、実際3,4日で根をあげた。味はともかく、匂いには飽きてしまった。情けない。色々とやり取...直近の、嬉しかったこと、幾つか

  • しゃっくりが止まった

    悩みのタネだったしゃっくりが思わぬことに、僥倖である、突然なくなった。抗がん剤を点滴するときには、副作用を軽減する薬も使用する。当然、その効果が現れたのかもしれない。深夜、お隣に寝ている患者さんに迷惑にならぬよう、少々しゃっくりをガマンをしていた。体は正直だ、小生の気遣いをはね除け、甲高いしゃっくりが鉄砲玉のように出てしまった。自分でも驚く音が静けさを裂いた。音が引いたその時、隣から息が漏れるかのように「ばーか」と、カーテン越しに聞こえたのである。勘違いではない。確かに馬鹿という音声だった。寝静まった二人部屋のなか、その方は小生が我慢していたしゃっくりを、さらに耐えていたのか、それとも寝言なのか知る由がない。とまれ、しゃっくりは嘘のように出なくなった。偶然の賜物かも知らん。二日間ほど四六時中、息が詰まり胸...しゃっくりが止まった

  • 入院中の読書『岡潔 数学の詩人』

    数学はその歴史の順に教えるのがよいという声があります。そうかもしれない。個体の発生が系統を繰り返すのならば心についても似た様なことが云えるかも知れない。試みに記憶を逆に辿って行くと色々種類の異なった「懐しさ」を通って聞いた様な聞かなかった様な子守唄になってそれがふっと消えて了う。その先が心のふるさとであろう。岩波新書、高瀬正仁著『岡潔数学の詩人』(150p)からの孫引きである。数学をこのような詩的に綴る文章は読んだことがなかった。高2のころに、これを読んでいたら進む途は変わったかな、と夢想している。岡潔が生涯をかけて研究し、思索した「多変数函数論」については全くわからない。それは純粋な数学であろうし、複雑な数式が並ぶものだ。けれど、この評伝を読んでいると、円い小山が無限に広がる自然を見る思いがする。難しい...入院中の読書『岡潔数学の詩人』

  • 副作用はまず、しゃっくり

    抗がん剤による化学療法は、「毒をもって毒を制す」だと思う。もちろん、独断と偏見である。それ以上は書かない。不思議なことに抗がん剤を投与してから、入院まえからの悩みだった「めまい」が消えた。目覚めのとき、排尿のときに頭や目がぐるぐる廻る。気持ち悪くて、転倒しそうになること度々。それが消えた。元気復活、勇気凛凛である。深夜にブログの追加記事や仏語でリコメを書いたりした。しかし、当日の昼ころからしゃっくりが出て止まらなくなった。看護士さんに相談すると、即薬を手配してもらう。「しゃっくり」は、立派な副作用であった。処方されたものは、ツムラの漢方薬で馴染みのもの。寝ている時、急に足がつったり、痙攣することがある。ハイキングの筋肉痛にも重宝する。なんと我が家の常備薬で「しゃっくり」が治まった。だが、飲食のあとは必ずぶ...副作用はまず、しゃっくり

  • 秋日和の入院

    少し肌寒いが、快晴の秋日和。予定の時刻に着くが、入院の事務手続きまでに、約1時間ほど待たされた。看護士さん初め、様々な担当者に会う。その間入れ替わり立ち替わり、三人の医師と面会し、それぞれの説明を受ける。言わば、大中小の先生で大きくなるほど、説明は短く端的である。スマホで書いているので、要領を得ない。この辺にしておく。昨日、妻と共通の友人が九州から訪ねてくれ、大好物の土産をいろいろいただいた。ありがたく感謝しかない。△病院内のカフェで待機。初日だけかなあ。投稿できるのは。秋日和の入院

  • 新たな階梯を生きる、ことにする

    昨日、最初の総合的な診断を聞いた。肺がんの種類にはいろいろあるが、小生のそれは腺がん、小細胞がん、大細胞がんではなく、「扁平上皮がん」という診察結果であった。いろいろ受けた検査の中で、もっともしんどかった気管支内視鏡の検査によって、小生のがんは特定された。それゆえに、手術や放射線治療はリスク大であり、抗がん剤投与の治療に決定したのである。肺という臓器の性質を考慮すれば、もっとも最適な治療であるという説明は、きわめて合理的であり、素人にも納得のゆくものだった。担当のF医師から質問はありますかと聞かれ、「抗がん剤という名前のとおり、癌に対しての抵抗である。つまり、癌そのものを死滅する、根絶させる治療ではありませんよね。癌という死に至る病を完治できない、大きく言えば延命治療ですね」と、個人的な拙い見解を述べてみ...新たな階梯を生きる、ことにする

  • 余は如何にして癌患者となりし乎

    新緑の頃だったか、嫌な咳がでるようになった。痰がからむような異和感、それを出そうと身体が反応して、コホンコホンと咳がでる。ただし、喉の奥を強く絞りあげるようにしても、痰は出てくれない。しばらくすると、なんとか小康をえる。そんな状態が2か月ほど続き、暑熱が体に堪えるようになって、咳はやや耐え難くなった。かかりつけのクリニックで咳・痰を緩和する薬を処方してもらう。咳は相変わらずだが、頻度が少なくなった感じはしたが・・。お彼岸を迎える頃、自治体が実施する年1回の無料健康診断の案内がきた。今回は早めに受診することにした。行きつけのクリニックで、レントゲンや採血など通常検査をして一週間後、健康診断の結果がでた。すべての項目に異常はなかったのだが、レントゲンの写真で肺の一部になにか影があるという。咳が止まらないのは、...余は如何にして癌患者となりし乎

  • 何を整え,どう調えるか

    「ととのえる」という言葉は、辞書的には「めざすべき状態に全体をまとめる」というのが一義とされる。「ととのえる」という言葉には、「乱れがないように整理する、全体の調和をはかるようにする」、そんな二つの意味が含まれている。もちろん自分流の解釈だが・・。「ととのえる」という意味はたしかに曖昧で、ととのえるべきことの事情、理由は、いまの私にとっては「死」しかない。「死」の付属としての「生」をととのえたい。急ぐことはない。来るべきこと、向うべきことを自分なりに受けとめれば済む話だ。死に向かって、来ることつまり今後のこと、現在の「迷い?揺らぎ?」に対して最善を尽そう。結論から書けば、肺に癌細胞が活性化していることが判明した。吾の血脈において癌で死ぬ人は殆んどいなかった。なにゆえに逸れえない、我が身の定めは行方知れず、...何を整え,どう調えるか

  • レンズを欺く花・クワンソウ

    リハビリの行き帰りは散歩がてら、通りすがりのお寺んさんを覗き歩く。まず、掲示板の標語、聖語はどんなものか。最近は、仏典・お経の類いは少ない。名言集とか標語集を参考にした自前が多くなったかも知らん。2,3か月まえには、ボブ・マーレイの言葉をみつけ、粋な坊さんがいるなと感心した。興味のメインは、まず境内にはどんな花が咲いているかが気になるところだ。江戸時代からの寺も多く、そこにある名木やら著名な人物の墓に参るのもいい。一昨日、あるお寺の山門を入ったところの庭に、オレンジ色が鮮やかなカンゾウ系の花を見つけた。さっそくスマホに撮って出来具合を確認したら、陽の当たっているところは黄色に撮れている。なんか不思議である。私の眼にはオレンジ色に見えるのに、写真レンズを通すと黄色だ。人間の目はいい加減というか、紫外線などは...レンズを欺く花・クワンソウ

  • ユーチューバーから写真集をいただく

    7,8年前だったか、キングプロテアという大輪の花に魅せられて、原産地南アフリカの植物にすこぶる興味をもつようになった。世界6大植物地区のひとつであるFynbos(フィンボス)は、ほぼ南アフリカに集中している。ごく限られた狭いエリアであり、その植生は世界的にも珍しい地域だ。国花であるキングプロテアは、近頃日本でも栽培されるようになった。極めて美しく、特異な花を咲かせる南ア植物の人気は、いつの間にか浸透しているのも頷ける。まして、それほど手間のかからない多肉植物には、南アフリカ原産のものが多い。マニア垂涎の個性的な多肉植物が、いろいろな形で日本にやってくるに違いない。都会であるケープタウンからでもそんなに遠くない、近場の国立公園や自然の野生フィールドで、ラウンドスケープ・デザインやガーデニングの仕事をしていた...ユーチューバーから写真集をいただく

  • チャーチルの国葬から考えたことの幾つか

    故エリザベス女王の葬儀について、何気なくテレビを見ていたら、チャーチルの国葬が番組で紹介されていた。英国では、王と女王以外には「際立った功績の人物」が国葬の対象なるとのこと。過去には、万有引力を発見したニュートンやネルソン提督が国葬になったという。王室や議会が協議して国葬を決めるというが、その際、生前に当人がOKするか否か、その了承を得るのがしきたりらしく、なんともイギリスらしいと感心した。さすがに英国ならではの個人の自由と意志を尊重するお国柄、本人に対して葬礼のやりかたを直截に確認することは凄いことだと思う。どんなに優れた功績をもち、多くの国民に慕われた人でも、自分の葬式には身内で厳かに弔ってほしいと願う人もいるだろう。英国はそういう個人意志こそを特別に配慮している。また、それをいちいち法制化しないのも...チャーチルの国葬から考えたことの幾つか

  • 植物学の泰斗、牧野富太郎の記念庭園に行く

    練馬区大泉学園にある牧野記念庭園に行ってきた。植物学者の牧野富太郎については何度か書いてきたが、彼がなした研究成果には今も新たな発見があるという。今年は生誕160年ということもあるが、来年にはNHKの連続朝ドラの主人公になるらしく、牧野富太郎が話題になることが多い。そんなことで大泉学園の記念庭園の存在を知ったのだが、我が不徳、怠惰を諫めたところで時遅し。ともあれ、9月までは「万葉集の植物」をテーマにした企画展をやっていて、これは面白いということで妻と出かけたのだ(そういえば、小石川植物園にも牧野に因んだ小さな記念館があったが、こちらはどうだろうか・・)。記念庭園は駅から徒歩5分ほどの近場であるが、牧野が大正15年から晩年までここに住んだというだけあって、植物の多様さは驚くほどで、外観はちょっとした小さな森...植物学の泰斗、牧野富太郎の記念庭園に行く

  • 人それぞれの15歳を生きる

    自閉症の10代兄妹が描く絵が、とてもユニークなので興味をもった。いわゆるアール・ブリュットほどの偏執的ではなく、「世界中のみんなが幸せに」という願いを込めて描いたものらしく、こちらが元気をいただくような画風である。兄妹の共同制作というのも微笑ましい。作品展は、内幸町の東京新聞本社なので、ついでに日比谷公園や銀ブラへ行く理由もできた。兄妹は金沢県に住む輪島貫太くん(15)と妹の楓かえでさん(13)。人物や動物がたくさん、ぎゅっと集合しているが特徴で、そのほかロボットたちも仲良く集まっている。にこにこした表情を浮かべた人が多く登場するので、見ている方が楽しくなり自然と引き込まれ、それぞれの表情に見入ってしまう。15歳といえば高校1年生だ。小生は進学校に入学できたはいいが、やや自閉症気味になってシュールレアリス...人それぞれの15歳を生きる

  • 坂口安吾の『復員』を読む(18行の人間賛歌)

    坂口安吾の掌編小説『復員』(1946年11月4日付「朝日新聞」大阪・名古屋版掲載。2018年、阪大・斎藤理生氏が発掘)四郎は南の島から復員した。帰ってみると、三年も昔に戦死したことになっているのである。彼は片手と片足がなかった。家族が彼をとりまいて珍しがったのも一日だけで翌日からは厄介者にすぎなかった。知人も一度は珍しがるが二度目からはうるさがってしまう。言い交した娘があった。母に尋ねると厄介者が女話とはいう顔であった。すぐに嫁入りして子供もあるのだ。気持の動揺も鎮(しず)まってのち、例によって一度は珍しがってくれるだろうと尋ねてみることにした。女は彼を見ると真の悪い顔をした。折から子供が泣きだしたのでオムツをかえてやりながら「よく生きていたわね」と言った。彼はこんな変な気持ちで赤ン坊を眺めたことはない。...坂口安吾の『復員』を読む(18行の人間賛歌)

  • 心のなかの暴力、刃③

    アメリカ・イリノイ州生まれの哲学者、アルフォンソ・リンギスの著作『暴力と輝き』(水声社2019)は、日本語訳で読める最新刊。ルーツはリトアニアで、E・レヴィナスの翻訳者としても名高い。この一冊しか読んでいないので、知ったようなことを書く資格はないのは承知している。だが、どうしても書き残しておきたいことがある屍体は恐怖を抱かせると同時に私たちを惹きつけもする。こうした死の装いが、私たちを魅了するのだ。暴力の衝動は、屍体の姿によって搔き立てられ、屍体からさらなる力を得て、屍体に狂喜する。恐怖によってまずもたらされるものは、さらなる流血という強い欲望である。(同書220P)この文節を読んだときに、既視感をともなう異和感が襲ってきて、何度も読み返してしまった。リンギスは具体的な状況を何も呈示していない。虐殺、ジェ...心のなかの暴力、刃③

  • 因果律が及ばない「情緒」について

    最近、愛読しているメロンぱんちさんのブログに『なんじゃこれ事件簿』という記事があった。動機も理由もなく、個人(老若男女)が衝動的に人を殺めるという事件簿のようなものだ。→http://blog.livedoor.jp/ussyassya/archives/52163137.html「なんじゃこれ」という反応は、殺された人もふくめて人間なら誰もが思う、突発的な行為による殺人。こうした個人が犯す理不尽な暴力は、尋常でない過度なまでの残虐なやりかたで行われる。ここにはなぜ人を殺したのかという因果関係はなく、犯人を厳しく追及しても真相は解明できない。本人さえも説明できないし、心神耗弱のそれとも言えない。たとい都合よく解釈が出来たとしても、辻褄合わせのように結着した半端なものなるであろう。小生は、こうした事件・事象...因果律が及ばない「情緒」について

  • 宗教二世たちの実存と苦悩

    中島岳志は東京工業大学のリベラルアーツ研究教育院教授であるが、「リベラル保守」という立場をはじめて公に示した政治・歴史学者、評論家でもある。研究対象は多岐にわたり、著書も多い。当初は北大で研究していたかと思うが、インドのナショナリズム研究からチャンドラボースやガンディー、なかでも東京裁判におけるパール判事の戦争批判、旧日本軍擁護や平和論の考察は、独創的な仕事だといえる。また、中島の日本の保守思想への深い考察は、故石原慎太郎までカバーし、その客観的かつ平明な論理的思考は広汎な視座に裏打ちされてい、蛸壷からの持論展開を専らとする現代保守論者とは桁が違う。のっけから中島岳志礼賛みたいで片腹痛いが、新聞の論壇時評に寄せた『山上徹也容疑者の生きづらさ』という短い論考が、小生のぼんくら脳に鉄槌をかましたのだ。そこには...宗教二世たちの実存と苦悩

  • 政治と宗教の共犯関係

    故安倍晋三氏の「国葬」が閣議決定された。賛否分断しているようだが、この国ではいったん閣議決定されてしまうと、99.%実行されることになる。国費が充当されるのだから、国会で審議されるべき案件であるが、そういう手続きなしに「国葬」が行われるという前例を作った(それが狙い?)。案件がどんなものであれ、政府閣議で全員一致となれば、それが定例、持ち回り、臨時の場合でも、例外なく案件は実行にうつされるという重い事実ができた。それを拘束する法的根拠はないと、確かに内閣法第4条には規定されているらしいが・・。定例の予算案は理解できても、今回のような突発的で事件性のあるものは、閣外からの意見、議論を求めるべきではないのか。今回の閣議決定は、非常事態性も応急性もない案件である。それだけに、法的拘束力がないというのは、民主制国...政治と宗教の共犯関係

  • 夏目漱石が『門』に遺した元勲の死とは

    購読している新聞の『大波小波』という文化コラム欄に、「漱石の『門』と狙撃事件」と題して、故安倍晋三氏を追悼した小文が掲載されていた。追悼といっても、初代総理大臣の伊藤博文など凶弾で斃れた政治家と比較して、今回の狙撃事件は単に犯人の個人的な怨恨によるもので、「容疑者の思想的背景や社会的思いつめは皆無なのであろう」と見立てているが・・。つづいて寸又峡ライフル事件の金嬉老を引き合いにし、厖大な法廷陳述書を残すほどの思想的営為を為した、一個の人間としての重み(責任、倫理)は、今回の犯人にはないとしているようだ。書き手の「羅漢」なる匿名作者は、結文にこう書いている。可愛そうに、これでは故人は「歴史的に偉い人」になれないではないか。政治的理念に殉ずることができないではないか。追悼まったく同様の感慨を小生はもっているが...夏目漱石が『門』に遺した元勲の死とは

  • 狙撃した山上某と「統一教会」の相関?

    前回記事の続き。竹下節子氏からジャーナリストの田中龍作氏のブログ記事の存在を示唆された。あらかた統一教会と安倍元首相及び祖父岸信介との深いつながりに特化した内容だ。とりわけ、当教会が自ら限定したマスコミ向けに記者会見を主催したが、その報道は教団の説明を鵜呑みにしたお座なりの内容と姿勢だった。これに対して、統一教会と係争中(?)の弁護士たちが、それは茶番だと抗議し、法的アジェンダを公開で訴えた。田中龍作氏は、その一連の動きを踏まえ、つまりは統一教会は、自民党ぐるみで関係をもち、安倍元首相はそのフィクサーであることを指摘した記事であった。その記事の落としどころは、「統一教会による過酷な収奪システムの大黒柱が安倍首相だったのである。被害者救済活動を35年にわたって続けてきた弁護士たちが、口を酸っぱくして言い続け...狙撃した山上某と「統一教会」の相関?

  • 安倍元首相が斃れたことの意味

    元総理大臣安倍晋三氏が、素性の知れぬ男の凶弾によって斃れた。選挙応援の演説中のことで、政治テロだとの疑いはあったが、どうやら個人的かつ家庭内の事情がからんだ犯行とのこと。さらに男は韓国のキリスト教系・新興宗教団体「統一教会」そのものに深い怨恨があり、その支援を受けていたらしい安部元首相にも同様の私怨を抱いていた、と供述しているらしい。小生は当初、宗教団体ときいて例の「桜の会」系に関係する「生長の××」の何かだ思っていたが、なんと「統一教会」であることが分って驚愕した。アメリカを筆頭に世界的にも様々な問題を起こす宗教団体から、なぜ安倍晋三のような権力者が支援を受けねばならないのか・・。いまでも、理解に苦しむ。確かに、その団体が発行する雑誌の表紙に、安倍氏の写真が前面にでている号を見た。ネット上では、その両者...安倍元首相が斃れたことの意味

  • 冷える日本のポピュリズム

    民間テレビのニュースショー&バラエティーを見なくなって久しい。ある評論家の指摘によれば、参院選を目前にして選挙ネタは、どの番組でも軽くスルーされているそうだ。関心度が低いので、視聴率を稼げないということか・・。大勢は決まっていて、投票行動はある程度の確度をもって予測されている。今回の参院選が終われば、向こう3年間は国政選挙はない。岸田政権は何だかんだ言われても、余程のことがない限り墜落はなく、着地できない低空飛行を続けていくに違いない。国政選挙に関心が行かないのは、言うまでもなく野党側が総じて、結局は減税やら短期的な金のバラマキを訴求していること。そんな迎合的で見え透いた戦術に、国民はあきれているのかもしれない。目先の一時金に目をくらませる人たちもいようが、バラマキの「財源」は、どうせ国債発行を当てにした...冷える日本のポピュリズム

  • ブリコラージュとはなにか

    プリコラージュなる言葉が日本の世間にない概念を提示しているならば、貴方は、それを貴方がどう解釈してあられるか(ママ)、それを読者に開示すべきだ。日本語にない概念ならば、それを貴方なりにどう解釈きているか(ママ)、情報公開せねば不公平だろう。だからスカしていると書いた。その概念、つまり日本語にない事をどう貴殿が理解されているか、それを公表せすに読者に委ねるのは不公平だろう。不特定多数に向けた、公に向けたブログを記しているのだから。先日、当ブログに熱心に投稿いただいていたスナフキン氏より投稿があった。その一部が上記ゴシックの記事である。氏の言うことは一理あり、ここに新しく記事を書くことにした。スーパーボランティアの尾畑春夫と小野田少尉について書いた古い記事が関係していて、拙記事の内容にたいそうな不快感をしめさ...ブリコラージュとはなにか

  • 黒部ダムと北アルプスの一端

    小生の育ての親というべき母方の伯父は、植村直己が所属した登山部の先輩だったらしい。山が好きで、スキーも好きで、写真撮影が好きだった。カメラにまつわる思い出、触感などがよみがえる。谷川岳で転落して、そのとき耳が切れた傷痕をみせながら、山をなめたら駄目だぞと、そのときの自慢気な、でも真剣な眼差しは忘れない。その伯父が、この6月に96歳で亡くなった。その長男つまり従弟から電話があり、その死の身罷られる詳細をきくことができた。共に生活したときに、満州での戦争体験、伯母の家族との交流、戦後のあれこれ、妹である我が母とのエピソードetc.など、本人からは断片的に聞いたのだが、実は聞きたかったことは聞かずじまいであった。それで良かったと思う。山を登ることの素晴らしさよりも、お前はもっと勉学に勤しめ・知見を蓄えといった伯...黒部ダムと北アルプスの一端

  • 雪嶺と雲海、立山へ

    上高地の旅の記録は、副題に「北陸・長野の旅①」としていたが、あまりに大袈裟であり、気恥ずかしくなった。ほぼピンポイントの旅であるし、高齢者むけのパックツアーに便乗したものだ。今回からは、この副題を撤回する。まずは、久々の遠出は嬉しかったし、奥深い自然にふれることができて良かった。今回は立山周辺のみを記録としてのこす。ここには以前、亡母と3人で来たが、そのときは20mほどもある「雪の大谷」はなかった。実際にはここをバスで通ったはずであるが、現在のように片道一車線を開放して、観光客に見せるサービスは行われていなかった。たぶんインバウンド対策として、この見あげる雪の回廊を観光スポットにしたのだと思う。さすがにまだ外国人観光客は見かけない。万人にアピールするに違いない、凄い高さの雪壁にそって歩く「雪の大谷ウォーク...雪嶺と雲海、立山へ

  • 肖像画にこだわったプーチン

    プーチンが二十歳そこそこの若者たちを前に、大学ゼミふうの歴史講義をしている。過日、そんなニュースを目にした。いまウクライナで展開されている「特別軍事作戦」は、ロシアにおける歴史的かつ正統なる国事となる云々の話だったらしい。ウクライナへの侵攻を正当化する、もちろんプロパガンダ用のTV番組だ。ここでもプーチンは、ロシア帝国の始祖ともいうべきピョートル大帝をもちだして、ロシアの歴史を講義したらしい(※別記1)。ロシア・ロマノフ朝の初代ともいえるピョートル皇帝(在位1682~1725年)は、大北方戦争(対スウェーデン)での勝利により大帝と称され、君主専制政治に基づく社会体制=ツァーリズムを打ち立てた先駆者である。また、それまでのロシアを中世と断じ、自らがロシアの近代化をはじめると宣言した。プーチンは、そのピョート...肖像画にこだわったプーチン

  • 上高地の水と光、山と緑 北陸・長野の旅①

    22,3年ぶりに上高地を再訪した。といっても、合羽橋を渡ってウェストン碑まで散策しただけだ。梓川の透き通った水の美しさは変わりなく、新緑は光りを浴びて青みが滴るようだった。晴天だったのだが、奥穂高岳、前穂高岳など穂高連峰の頂上付近はずっと雲に隠れたままで、残念至極。でも、山から下りてくる気持ちのいい冷気は、まさにアルプスの風に違いない。川のせせらぎを聴きながら遊歩道を歩く。どうしたものか、咲いている花の種類は少ない。その代わりといってはなんだが、木々や草々は百態百様といっていいほどひしめき合う。まあ、白樺とブナの違いが分かるだけで、上高地の植物について知るすべもない。いずれの植物も今がこの時とばかりに水と光をたっぷりと吸収して、生気を漲らせている。以前来たときは夏の盛りのときで、もっとエネルギーを放出して...上高地の水と光、山と緑北陸・長野の旅①

  • 花だけを見る日

    言葉は、私にとっては感情や思惑で結びつける道具ではない心の深奥にたゆたう不思議で想像する何かだそのざわめきのような、時に混沌としている何かを見つめそこからしっかりと浮かび上がってくるものを言葉にするもう若さはとり戻せないのだから、それなりの終着点を見渡せるのだから焦らずに確かなものだけに執着していようなにもすることのない日、なにもできない日があっていい確実でなくとも、ひらめきとか予感とか目に見えないにも心を寄せよう花だけを見ている一日もあっていい頑張る日もあれば、怠け者になる日もある▲道路のすき間から生えてきたアマリリス。その種から成長し、咲かせたのだ。今は枯れそうだが新芽もあるぞ。花だけを見る日

  • 心のなかの暴力、刃 ②

    前回のブログ記事では、メロンぱんち氏の「暴力について」の記事をうけて、自分なりの暴力論を展開した。大きく言えば、個人の暴力と国家がもつ暴力は、まったく異質なものだとする考え方である。それを具体的に書く用意はあったのだが、さらに整理する必要性を感じていたのでいったん終了した。その不完全な状態で、メロンぱんち氏とブログ読者のスナフキン氏(※別記)に拙記事についての感想を求めてしまった。意見を求めるなら、最後まで徹底した論旨を述べ、自説を展開すべきであったと、今は反省している。お二人にもご迷惑をおかけした。この場をかりて深謝いたします。さて、スナフキン氏から提示された内容については、前回のコメント欄を読んでいただくことでご確認いただきたい。今回の記事は、そのコメントをきちんと受け止め、そのレスポンスとして自分な...心のなかの暴力、刃②

  • 心のなかの暴力、刃 ①

    「どーか誰にも見つかりませんようにブログ」というブログがある。いま私を刺激し揺さぶってやまない。哲学・思想・歴史から芸能・音楽・事件風俗など硬軟・古今東西をとりまぜた、多彩なジャンルに言及している個人ブログだ(左側の「ブックマーク」にリンクあり)。単発の重厚な記事があれば、シリーズ化したもの、何年にもわたり追求されているテーマの記事もある。それらが毎日休まず書かれ続けていて、たいへんに胆力のある書き手だと思う。とはいえ、たいへん長文の記事が多いので、内容によっては、おいそれと気楽に読めないのが難点ともいえるか・・。たぶん、一回り半ほど年下の男性であるが、小生が書くものよりその叙述レベルは濃密で精確、プロの書き手といってもおかしくないほどだ。真面目な方には違いないが、80年代の若者を代表する尾崎豊世代だと自認され...心のなかの暴力、刃①

  • 主権のない国家は、どう見られるのか

    一か月ほど前になるか、日本のウクライナ支援に関して、当事国ウクライナ政府から何らのレスポンスがないことがニュースになった。他国にはそれなりの感謝の意を公表したにも関わらず、日本だけがのけ者にされたのはどうしたものか・・。誠にけしからん話だと日本は抗議したという。この辺の事情をさかのぼって調べたら、当初、ウクライナ大使館では「武器提供してくれた国に対する感謝」の表明であるとした。ところが、感謝国のリストの中に、武器・弾薬等の支援を拒否しているブルガリア、トルコが入っていたので、この問題は紛糾しかかったのだが、ウクライナ政府は率直に謝罪した。そして、ウクライナへの支援、対ロシア制裁への協力について、改めて正式に感謝の意を日本側に通達したという。ゼレンスキー政権は、以前にもナチスのヒトラーと昭和天皇を同様に扱って物議...主権のない国家は、どう見られるのか

  • 人から花へ 秘すれば花

    人は花になる花になれる人なるべく花へ花なる人こそ人という花よWILDSON-YOUGOTMEALLLOST(LYRICS)人から花へ秘すれば花

  • プーシキンの見た オデーサの海

    さようなら海よわたしは永遠にわすれないおまえのたえにおごそかな美しさを。たそがれどきのおまえの深いどよめきはながくながくわたしの耳にのこるだろう。わたしはおまえの思い出に胸をみたされおまえの岩をおまえの入江光と影をはてしなきその潮騒をはるかな森へことばなき荒野のはてへたずさえてゆく。(『プーシキン詩集』から。金子幸彦訳)その筋の観測から外れてプーチンの演説は、単にウクライナ侵攻を正当化する平板なものであった。ロシアにおかれた現状を確認し、「戦争」の継続を国民に訴える。具体的な良い戦果はないから、殊更に報告することはしない。年中行事としての「戦勝記念日」そのものだった。ただし、近未来を見据えれば、国が窮地に追い詰められることをうすうす感じはじめたのか、プーチンはもちろんロシア国民も・・。勝手な憶測だが、冴えない人...プーシキンの見たオデーサの海

  • Pの、Pによる、Pのための戦争

    Pの、Pによる、PのためのPとは、言わずと知れたプーチンである。来たる5月9日の「戦勝記念日」には、ウクライナ東部制圧の「軍事的オペレーション」の成功、勝利をぶち上げる予定だったという。(ウクライナへの侵攻は、ひとえにプーチンの一存である。アメリカの軍産複合体の陰謀があろうがなかろうが、他のいかなる要因はない。プーチン自身の内的要請から個人決定した、ウクライナへの侵略である。日本においては、このような個人による軍事行動は発動しない。事なかれ的な合議、例の「空気」による了解のもとに発動される。そのとき、誰かが責任を取るという決定者はいない。)ウクライナへの侵攻、その成就はプーチンの思惑に反して、半ばとん挫したと言っていいだろう。それゆえ、5月9日は、勝利に向けてさらなる作戦の継続を図るため、国民に対して総力の結集...Pの、Pによる、Pのための戦争

  • 事実群のなかのツイッター、その未来

    テスラのイーロン・マスクが、遂にツイッター社を5.6兆円で買収した。ツイッターとは、150字以内なら誰もが自由に言葉をつらね、場合によって主張を裏づける画像・映像を添付できるSNS(交流サイト)だ。自分の書いたもの、呟いたものが世界に発信できる。自分の投稿が多くの人に関心をもたれ、その後も注目してくれるフォロワーができる。投稿に広告主がつけば、収入も見込める。そんなアイデアだけで起業したSNS企業が、最先端EV車を生産する会社のオーナーに金で買われた。いかにもアメリカ資本主義を象徴するニュースである。イーロン・マスクの狙いは、投稿規制を緩和すること、株式上場の停止(廃止?)だとされる。ツイッターといえば、アメリカ元大統領トランプが、任期中にあることないことを投稿した。それがフェイクであっても、大統領発のニュース...事実群のなかのツイッター、その未来

  • ウクライナ戦以降、書く意欲が乏しくなる

    前記事を書いたのが先月の末ごろだった。約1か月近く、ブログを離れていた。書くことのモチベーションというかパッションを失ってしまった。ウクライナ戦争の情況が気になってしょうがないことも一つある。それに関連して、木村汎の著作を読むことを優先していることも大きい。齢をとるほどに、選択と集中のバランスが崩れる、と改めて思う。他にもいろいろな理由があるが、いちばんの原因は、日本の多くの人が世界認識があまりにも常識外なこと、それがある種の精神的ショックをもたらした。なんと自分はナイーブなのか、情けない。ロシアのウクライナ侵略を責め立てるのは許せるとしても、日本が過去に他国を侵略した事実を捨象していることは如何なものか。ロシア兵がウクライナの市民への残虐行為は酷く、戦争犯罪として認定できるほど非道なものだ。しかし、忘れてなら...ウクライナ戦以降、書く意欲が乏しくなる

  • 爬虫類のように冷たい男

    昨日の東京新聞、一面のコラム『筆洗』は、アメリカの元国務長官マデレーン・オルブライト氏を追悼していた。享年84歳。亡くなるまでロシアのウクライナ侵攻を非難していたそうである。記事の書き出しは、彼女がプーチンと初めて会ったときの印象を紹介している。「小柄で、青白く、は虫類のように冷たい」「(プーチンは)自国に起きたことに屈辱を感じ、その偉大さを再建することを決意している」マデレーン・オルブライトは1996年、2期目に入るクリントン大統領から第64代国務長官に指名された。米国では初の女性国務長官であり、しかも米国生まれではない(出自など詳細は省略)。このプーチンの印象を書いたのは2000年とあったから、離職した後の回想だろう。二人が邂逅したときの画像がネットにあった。視線を交わさずに、笑顔で握手するなんてことは、ま...爬虫類のように冷たい男

  • ワクチン推奨の専門医が、未接種かつ重症化した事実。その真相

    美術史家&作家の中野京子さんのブログを拝読していたら、子供たちがマスクすることの哀しさ、やり切れなさについて書かれていて、最後にこんな文章が付されていた。「ところで、例の注射、テレビで盛大に勧めていた分科会の専門家が、自分は接種していなかったことがバレた。これは詐欺ではないの?なんて嫌な世の中になったのだろう。」上記の文章に続いて、ネットのアドレスがあり辿ってみたら、救急救命(ER)の元看護士の方が投稿したユーチューブ動画にリンクした。⇒⇒中野京子の「花つむひとの部屋」中野さんの「これは詐欺ではないの?」の発言が気になったわけだが、コロナワクチンの接種をすすめ、社会的にも広く認知されていた医学部教授が、実はコロナに感染し、しかも人工呼吸器を使うほど重症化していたという事実。ところがなんと、その先生自身はワクチン...ワクチン推奨の専門医が、未接種かつ重症化した事実。その真相

  • 嬉しい「想定外」、ロシアの「失敗の本質」

    まず初めに、前回の記事に誤りがあったことをお詫びして訂正しなければならない。「ロシア人は実に忍耐強い。ロシア人は、何百回となく同一のことを繰り返して倦むことをしらない。彼らは、何事をなしとげるためにも時間というものがかかること、しかもたとえ時間をかけても成果があがらないことすら十分心得ている」という木村汎のロシア人観を紹介した。よく考えると、ウクライナ人にも同じことが言えるのではないか。民族的にもそれほど差があると思えない。見た目に違いはない、話す言語も似ている。歴史的にも混然としている(ウクライナの語源は「小さなロシア」、ちなみにベラルーシは「白いロシア」だ)。そう、ウクライナの人々もロシア人と同じように忍耐強い、と考えるのが普通だ。他者が力で屈服しようとしても、ウクライナ人は老いも若きも、そして女性までもが...嬉しい「想定外」、ロシアの「失敗の本質」

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、koyorin55さんをフォローしませんか?

ハンドル名
koyorin55さん
ブログタイトル
小寄道
フォロー
小寄道

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用