前回の記事で14年前の震災時の写真を載せた。ひとつ気掛かりな件があり、それは公的なメディアに掲載されていた写真でも、本人達の意思の確認が取れていない状態で使用して良いのか。もしかしたら年月の経った今は、表に出して欲しくないと思っている人もいるかも知れない。それでも使わせてもらったのは、小寄道が死を目前にしてもこの写真から希望を見出だし、勇気を貰っていたからである。🔻樹木葬をした、長明寺さんの枝垂れ桜3.11に思う事②
前回のブログの最後に「MOMAT館(所蔵作品展)に足を伸ばした。身体がふるえるような、嬉しい驚きに遭遇したのである」と書き残した。そのことを書く前に、さらに嬉しいトピックを発見した。木口版画家の柄澤齊さんについては、これまで版画芸術家としてだけでなく、文芸・芸術評論やミステリー小説を書く多才な人としても再三紹介している。なので詳しいことは省くが、山梨南アルプスの麓に住む柄澤さんが、最近『棟方志功展』に行ってきたことをフェイスブックで公開されていたのだ!いろいろ前後して申し訳ないが、実はMOMAT館に足を伸ばして、震えるほどの嬉しい真意とは、柄澤齊さんの師匠である日輪尊夫氏の作品、20点ほどが纏まって展示されていたからである!氏の実作品は数点しか見たことがなく、その全容を確認したことがなかった。で、駒込の「...『棟方志功展』その後
過日、竹橋の東京国立近代美術館で開催している『棟方志功展メイキング・オブ・ムナカタ』に行ってきた。前回と同様に妻のたっての要望。祝日の前日、陽気はことのほか桂く、文句なしの散歩日和に思えた。疲れることは承知の上だが、ガウディ展のときのような混雑はないとの情報もあり、「まあ、行ってみるか」と重い腰を上げたのである。棟方志功は、子供のころから知っていた。その頃は芸術に特に親しんでいたわけではなく、知らぬまに向こうからやってきた、そんな感じの芸術家である。岡本太郎、山下清、梅原龍三郎、洋画家ではゴッホ、ピカソ、ユトリロらも同列である。当時、地元の芸術家といえば横山大観だが、岡倉天心との相違が分からず、とにかく偉い日本画家というイメージが勝手にこびりついている。棟方志功は、テレビでみたり、映画館でみる本編の間のド...生誕120年棟方志功展から
急遽、マイナンバーカードについての私見を覚書として残すことにした。一昨日のこと(11/22)、グーグルニュースのまとめサイト(各メディアの主要トピックニュース・地方新聞含)を読んでいたら、NHKニュースの「暗証番号設定必要ないマイナンバーカード12月中に導入へ」という見出しに目が留まった。記事としては以下の通り(ですます調を直し)。総務省は、認知症の人や高齢者に加え、希望するすべての人にマイナカードの対象を拡大し、来月中に導入する方向で調整を進めている。マイナカードの申請には暗証番号が必要だが、「設定や管理が難しい」という声が多く、当時の総務大臣が暗証番号のないカードを11月に導入する方針を示していた。また、すでに交付されたカードも暗証番号なしに切り替えが可能とのこと。総務省は自治体の準備期間を考慮して、...マイナンバーカードの変
ついこの前、一年以上も遠のいていた谷中墓地に行く。のぼりが辛い蛍坂を見ると、やり切れなさが先に立つ。春先の墓地に行けば、土は匂い立っている。冬は霜が降りるし、夏はいろんな虫が這いつくばっている。秋は桜の葉が黄色から真紅になる。銀杏の実も落ちはじめる。墓地のメイン通りは桜並木で、そこの土は踏み固められて面白くない。古い墓石の間の、人通りのない通路のような、雑草が生えている土がいい。ここは懐かしい、子どものころを思い出す場所だ。五重塔のあったところの近く、銀杏の木はずっと見覚えがあり、下日暮里に降りていく芋坂に出て、羽二重団子の店に降りるための、そう、メルクマール的な大木である。この木に辿りつく前に、了ごん寺さんのめだか、金魚をみる。もう咲き終わったしまった彼岸花も、紅白そろって見事だった。前記事のリンクを貼...秋の散歩、なじみの銀杏の木へ
何年ぶりだろうか、竹下さんにお会いできたのは。ほんとにコロナ禍は長く、大きな災いをもたらしたと思う。今年の3月か4月頃にも来日して講演会をなさったはずだが、入院中の身だったので行けなかったのは無念。今回は2回、講演というより軽いトークの会が開催された。来春に出版される本の内容にそった話になるらしい。初回のトークの日は、訪問診療の日で行けず、2回目の日仏会館の方に出席した。竹下さんの集いは、これまで参加者が女性9割ぐらいの印象であったが、今回は7対3、もしくは6対4ぐらいの構成であった。開始が18:30だったので、仕事終わりの男性陣が参加しやすかったのかな。学生風の若い男性もいたし、フランス人らしき男性が2名も出席していた。やはり恵比寿の日仏会館というロケーションが影響していたのであろうか・・。前置はさてお...竹下節子さんのトークを聞きに
今年のはじめ、神楽坂にデザイン事務所をもつ友人を訪ねた。きけば年内に多摩市に移り住み、仕事を減らしながらブックカフェをつくるとのこと。高齢化にそなえて、彼なりの考えや目算があるのだろう。そういえば、お互いに齢を喰って慌てふためくことのないよう、歳相応の心構えをもちたいものだ、と話し合ったこともあったかな。どちらかといえば東京の下町生まれの小生、新宿より西側のJR中央線沿線や小田急、京王線の私鉄沿線には縁もゆかりもない。但し、武蔵野の台地、森には、文学的な憧憬はあった。さらに奥多摩は、低山ハイキングの絶好地で、多摩市はその足がかりとしても理想的だと思う。これまで市街地の多摩方面はとりわけ行くこともなかったが、多摩ニュータウンなどの大規模団地が少子高齢化の影響でだいぶ様変わりしていると、何やらさびしいニュース...多摩永山のブックカフェを訪ねて
がんを患って、自分の生死の目途がついたとき、ブログには政治、社会的なテーマは避けようと決めた。なぜなら、昨今、書くことの根拠、エビデンスのことごとくが希薄で、信用のならないものに思えてきた。情報ソースはすべからくメディア経由であり、ITのSNSなどだが、それらはもはや信のおけない媒体であると、自分のなかではほぼ断定している。そうなのだ、自分にはそれらを客観的に取捨選択する確信、判断基準を持ち得なくなった。専門知のない自分がどう足掻いても、地に足をつけたつまり事実に基づいた文章は書けないのではないか、と。実に哀しいことだし、自信(confidens)の喪失でもある。ならば、自分の関心のあること、この齢でも学ぶべきこと、惹かれること、好きなこと、身の周りのほっこりすることを書いていこう、と。そう、決めてからは...希望のない国、イスラエル
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前回の記事で14年前の震災時の写真を載せた。ひとつ気掛かりな件があり、それは公的なメディアに掲載されていた写真でも、本人達の意思の確認が取れていない状態で使用して良いのか。もしかしたら年月の経った今は、表に出して欲しくないと思っている人もいるかも知れない。それでも使わせてもらったのは、小寄道が死を目前にしてもこの写真から希望を見出だし、勇気を貰っていたからである。🔻樹木葬をした、長明寺さんの枝垂れ桜3.11に思う事②
小寄道が亡くなり一番に思ったのは、事故や災害で大切な方を失った親族はどんなに辛い思いをしたのだろう、だった。小寄道は病気が分かってから14ヶ月の猶予があった。旅行や美術館や植物園にも行ったし、友人達や親族にも会い、それなりに気持ちの整理が出来たのではではないかと思う。私にとってもその間は、思い出話をしながら一緒に泣いたり、33年の同居生活を振り返り、感謝の気持ちを吐き出す事が出来たと思っている。「どうせ死ぬならがんがいい」という本が出版されたり、「幸運な病気」と言う医師もいる。渦中に居る人にとっては辛くとも経過・先行きが見通せる病気で逝けたのは不幸中の幸いと言っても良いのではないか。阪神淡路大震災の時にまだ若かった私はボランティア参加をしたく、行く為の荷物をまとめていた。でも、私が行って何が出来るかを考え...3.11に思う事
sekko様よりコメントを頂き、せっかくなので記事として公開致します。⚫新刊のお知らせお久しぶりです。秋にはコンサートに来ていただいてありがとうございました。新刊をお知らせします。https://spinou.exblog.jp/33687770/内容は、2023年に日仏会館にお二人でいらしてくださった時の講演に、音楽活動を加筆したものです。昨年秋に日仏会館のコンサートにいらしたじゃんぽ~ル西さんがイラストを描いてくださったので、いつもと違う雰囲気の本になりました。小寄道さまに読んでいただきたかったです。私もこの数年で親しい人を数人みおくりましたが、毎日話しかけています。生前から、どちらかが亡くなっても交流し続けようと決めていた友もいます。(私の「超死生観」という本にそれについて書いています)小寄り道さま...竹下節子様からのコメントです
改葬の場所として何件かのお寺さんを周ったが、気になったのはランク付け。上部の値段が高く、下部が低いマンション型の納骨堂を見た時に、亡くなってまで格差がある事に違和感があった。でも戒名も価格がありピンキリなのよね。「千の風になって」のように亡くなった人はお墓の中に居ないと考える人。いつも身近に居てくれると感じる人。空の上から見守ってくれていると思う人。それぞれ…友人と小寄道の話をしている時など「聞いてる?」と、周りを見渡してしまう事がある。ということは、私は身近に居ると感じている訳だ。でも年がら年中近くに居て、例えばトイレにも一緒に来ていると思えば、落ち着かない。やはり、あらゆる場所に行き、星々の間を漂ったり、深海で珍しい魚やクラゲと遊んだり、ビーチで優雅に本を読んだりしているのかもしれない。そして、話し掛...お墓について②
小寄道が亡くなり、一周忌が迫りつつある今、まだ遺骨は我が家にある。人が居なくなった後の手続きや片付け、残った者の身の振り方等、やるべき事は数多あるけれど迷いに迷ったのはお墓の事。我が家の墓は、家から電車で1時間半ほどの埼玉県森林公園駅からバスで7分行った高台にある。風光明媚で陽当たりが良く、見晴らしが素晴らしいその場所を気に入ったのであろう、姑が妹と一緒に購入。でも問題はその遠さ。義叔母・姑と入り、一周忌の後は全く行かなくなってしまった。そこに小寄道を入れる気にはなれず、近くのお寺さんの樹木葬を検討をしていたが、やはり森林公園の墓じまいは、いつかはしなければいけない。義母と叔母には申し訳ないけれど、引っ越しをしてもらう事にして、家から歩いて5分のお寺さんの樹木葬に決定。暖かくなる頃には、3人で仲良く眠るこ...お墓について
小寄道が敬愛していたsekko様からコンサートの通知が届きました。日仏会館10月20日(日)14時からです。私も小寄道と一緒に参加する予定です。https://spinou.exblog.jp/33448972/竹下節子様からコンサートのお知らせです
このところブログのアクセス解析(時間による訪問者数)の表示がなく…60日以上ブログの更新がない場合は、リアルタイムアクセス解析を中止する事が分かった。このブログは残す事に決めたし、フォロワーは少人数でも、ひとりでも見てくれれば嬉しいし、実際は1日に最低でも200人の訪問者が居る。そこで、アクセス解析は小寄道の残した大切な証と思い、記事を更新していく事にしました。拙い文章しか書けませんし、ボキャブラリーも無い。小寄道の文章を「くどいな」「めんどくさいな」と思いながら読んだ事もある粗雑な私ですが、今後たまには小寄道に関係する記事をアップしていく予定です。よろしくお願い致します。※柔道混合団体スペイン戦を観ながら記しました。阿部詩ちゃんの涙には、小寄道も、もらい泣きをしたのだろうと想像しながら…これからのこと
以前の記事に、義理のお母様のほのぼのとしていて、そして世相を反映したコメントを寄せて下さったjeanloiseの文言を掲載します。ご本人の承諾は得ています。「ランダムにブログを閲覧している途中で発見。イントロの小寄道さんらしい説明にクスっとなりました。そして逆バージョンになるかもしれませんが、義母のハナシを思い出しました。相方の両親は、南仏マルセイユ近郊に住んでいるのですが、ある日義母から相方に電話があり、私たちがプレゼントした財布をなくしたと申し訳なさそうに嘆いていたそうです。その日、運転中にヒッチハイク女子3人を乗せ、途中である彼女らの目的地で下ろしたのはいいものの、家に帰って財布の入ったポシェットを盗まれていたことに気づいたとか。身分証明、運転免許、健康保険カード、銀行カード一式が入っていたとか。す...ありがたきコメントより
月日、小寄道は永眠いたしました。享年は73歳になります。生前より皆様のご愛読に感謝し、本ブログを書き続けられる。それこそが自分の余生を生ききる愉しみだと申しておりました。本当にありがとうございました。なお、このブログはこのまましばらく残したいと存じます。小寄道の妻上記の文章は小寄道が認めたものです。2月26日という日付けを入れて私が書いたものとして投稿すべきだったのですが、ここまで小寄道が用意していた事を分かって頂きたくてそのままにしました。本当に今までお世話になりました。皆様のコメントに励まされ、1年4ヶ月の闘病生活を送れたのだと思います。今は空の上から笑顔で見守ってくれています。ありがとうございました。ご愛読ありがとうございました
★新収蔵&特別公開ジェルメーヌ・リシエ《蟻》小企画展会期2024.1.23–4.7会場:東京国立近代美術館2Fギャラリー4美術館サイドの紹介記事(転載)フランスの彫刻家ジェルメーヌ・リシエの彫刻《蟻》(1953年)を初公開します。リシエ(1902–59)は、第二次大戦後における女性彫刻家の先駆的存在の一人で、近年その再評価が急速に進んでいます。オーギュスト・ロダンの助手、エミール=アントワーヌ・ブールデルに学び、古典的彫塑の手法を守った点で近代彫刻の正当な継承者と言える一方、人体と自然界・動植物のイメージを有機的に結合させた独自の作風を確立して注目を浴びますが、キャリア全盛期に病に倒れました。リシエと同時期にブールデルに学んだ戦前の日本人彫刻家、リシエに大きな影響を受けた戦後の日本人彫刻家、第二次大戦後の...ジェルメーヌ・リシエほか春の美術展
しばらく書けない日が続いた。もうあの世に逝ったんじゃないかと、余計な心配をかけていたら申しわけない。そんなアホな、己惚れている場合じゃないなぞと、お叱りをうけそうな気もする。早い話が気力は減衰し、いろんな箇所のポテンシャルが下がってしまったこと。それが主たる理由。愚痴や弱音を吐くのは、潔よしとしない高潔の士、いやいや多分に高慢ちきな性格が滲みだしている。この書きようにして馬脚をあらわしている。妄言多謝暮れから正月にかけて食欲が落ち、体重は50キロを割った。その後いろいろあって、オピオイド系(モルヒネ系)のクスリを服用することで多少の副作用が生じているが、現状維持はなんとか続いているのでご安心あれ。というより、1日12時間ほども眠りにつく。身体が要求しているとの見解だが、こうもだらだらと横になっているのは如...切れぎれの近況について⑤
明けましておめでとうございます。新年を飾る年賀のイメージは、ありきたりの梅の花を借りた。昨年から地元の景色を背景にすることをあきらめ、干支の雰囲気だけで正月らしさを演出したのであるが・・。2024年、令和6年の干支は、空想上の動物である「竜」なので、ついに弾が尽きた。梅に似合う「竜」はなかなか見つけられなかった。清少納言は書き残した。「ただ過ぎにすぎるものは、人の齢(よわい)、春夏秋冬、帆上げたる舟・・」すべては過ぎていく、時の流れも、人の生き死にも。帆上げたる湖上の舟は、しーんとして動いてないように見える。夢のなかでぼんやり浮かんでいて、少しも過ぎ去っていかない。永遠にとどまっているかのように見える。ただそれはその時のこと、齢をかさねれば違って見えるかもしれない。俯瞰的にみればそれは過ぎ去りし舟なのだ。...初天神ひそりと梅は陽だまりに
年末の報道写真展を観に日本橋三越へ行った。わが家の恒例行事といったところ。昨年は、正月を家で迎えるための一時的な退院の時だった。去年のブログを読み返すと、食事や病気のことなぞ、ぐだぐだと・・。最後に申し訳程度に、報道写真展に行ったことを書いている。実際は内容がどうだったのか、具体的にふれていないのは何ぞやである。外出すると決めたからには、新鮮な外気を吸い、人々の活力ある動きに元気をいただこう。そんな気持ちが、今の自分にとって最上のクスリである。とはいえ内実は、行くことが決定した二日前から体調は落ち、食欲のない不振状態が続いていた。家を出てみれば、20mほど歩くと息切れし、咳が出て疲れを感じた。ドラクエではないが、毒の呪いをかけられ、歩くたびにHPポイントが減ってしまう。それに等しい消耗度だ。本格的な冬の訪...報道写真展、車椅子で観る
噂では聞いていたが、IMAX(アイマックス)というシステムを完備した映画館でみる『ゴジラー1.0』は、やはり想像を超えるド迫力だった。この齢でIMAXを経験しないのは悔いが残る。そんな✖✖な、笑わせるなという人はいるだろうが、正直にいえば、死ぬまでには一度観て体感したかったことは確かだ。当然のごとく、小津安二郎をIMAXで見るのはお門違いだ。今回の『ゴジラー1.0』はまさにIMAXを前提にした映画製作であり、もちろん作品のストーリー性、役者たちの渾身の演技も素晴らしく、存分に楽しめたことは言うまでもない。まずは、海外版予告編や映像クリップ集というの見つけた。ここに紹介するのは問題ないと思うが、ストップがかかり削除の憂き目にあうかもしれないので、お早めにどうぞ。『ゴジラー1.0』を、湾曲した大スクリーンと1...ゴジラ-1.0、IMAXで観る
三匹の死んだ猫(部分)長田弘二十年かかって、三匹の猫は、九つのいのちを十分に使い果たして、死んだ。生けるものがこの世に遺せる最後のものは、いまわの際まで生き切るというそのプライドなのではないか。雨を聴きながら、夜、プライドを失わずに、死んでゆくことの難しさについて考えている。上記の詩は、長田弘の『死者の贈り物』という詩集にある「三匹の死んだ猫」の最後の部分である。全体は27行であるから、それほど長い詩ではない。なぜ、冒頭にこの詩を冠したかというと、本棚を整理していたら、荒木経惟の小さな写真集『チロの愛死』が出てきた。病をえて再び見ると、感じ方が違う。避けられない定めは受け入れるしかない・・ただ無性に悲しくなった。で、見終わったあとに、放心の体で書棚の本をつらつらと眺めていたら、長田弘の詩を思いだしたのだ。...愛猫の死、経惟と弘
柄澤齊(からさわひとし)著『銀河の棺』のなかの「星より近き」に、すこし読み進むと日輪尊夫(ひわたかお)について書かれた、こんな文章がある。ヒワさんこと日輪尊夫は1941年高知市に生まれ、1992年同市で不帰の人となった。現代の木口版画はこの人に始まる。私がヒワさんの作品と出遇ったのは1970年、銀座の画廊で開かれた個展会場でのことである。友人からすすめられて初めて入った地下の画廊で、その版画を見た時の総毛立つようなショックは今でもはっきり覚えている。白い壁面にかけられた額縁の中の一点一点が、この世に穿たれた深い闇の入り口であり、その中に限界まで圧縮された生命体を思わせる光の粒子が隙間なく蝟集している宇宙━━それはヒワさんの制作が最も旺盛であった時期の作品群、「カルパ」と題された連作と詩画集『卵』の展開で、...木口版画家・日輪尊夫の近くへ
前回のブログの最後に「MOMAT館(所蔵作品展)に足を伸ばした。身体がふるえるような、嬉しい驚きに遭遇したのである」と書き残した。そのことを書く前に、さらに嬉しいトピックを発見した。木口版画家の柄澤齊さんについては、これまで版画芸術家としてだけでなく、文芸・芸術評論やミステリー小説を書く多才な人としても再三紹介している。なので詳しいことは省くが、山梨南アルプスの麓に住む柄澤さんが、最近『棟方志功展』に行ってきたことをフェイスブックで公開されていたのだ!いろいろ前後して申し訳ないが、実はMOMAT館に足を伸ばして、震えるほどの嬉しい真意とは、柄澤齊さんの師匠である日輪尊夫氏の作品、20点ほどが纏まって展示されていたからである!氏の実作品は数点しか見たことがなく、その全容を確認したことがなかった。で、駒込の「...『棟方志功展』その後
過日、竹橋の東京国立近代美術館で開催している『棟方志功展メイキング・オブ・ムナカタ』に行ってきた。前回と同様に妻のたっての要望。祝日の前日、陽気はことのほか桂く、文句なしの散歩日和に思えた。疲れることは承知の上だが、ガウディ展のときのような混雑はないとの情報もあり、「まあ、行ってみるか」と重い腰を上げたのである。棟方志功は、子供のころから知っていた。その頃は芸術に特に親しんでいたわけではなく、知らぬまに向こうからやってきた、そんな感じの芸術家である。岡本太郎、山下清、梅原龍三郎、洋画家ではゴッホ、ピカソ、ユトリロらも同列である。当時、地元の芸術家といえば横山大観だが、岡倉天心との相違が分からず、とにかく偉い日本画家というイメージが勝手にこびりついている。棟方志功は、テレビでみたり、映画館でみる本編の間のド...生誕120年棟方志功展から
急遽、マイナンバーカードについての私見を覚書として残すことにした。一昨日のこと(11/22)、グーグルニュースのまとめサイト(各メディアの主要トピックニュース・地方新聞含)を読んでいたら、NHKニュースの「暗証番号設定必要ないマイナンバーカード12月中に導入へ」という見出しに目が留まった。記事としては以下の通り(ですます調を直し)。総務省は、認知症の人や高齢者に加え、希望するすべての人にマイナカードの対象を拡大し、来月中に導入する方向で調整を進めている。マイナカードの申請には暗証番号が必要だが、「設定や管理が難しい」という声が多く、当時の総務大臣が暗証番号のないカードを11月に導入する方針を示していた。また、すでに交付されたカードも暗証番号なしに切り替えが可能とのこと。総務省は自治体の準備期間を考慮して、...マイナンバーカードの変
ついこの前、一年以上も遠のいていた谷中墓地に行く。のぼりが辛い蛍坂を見ると、やり切れなさが先に立つ。春先の墓地に行けば、土は匂い立っている。冬は霜が降りるし、夏はいろんな虫が這いつくばっている。秋は桜の葉が黄色から真紅になる。銀杏の実も落ちはじめる。墓地のメイン通りは桜並木で、そこの土は踏み固められて面白くない。古い墓石の間の、人通りのない通路のような、雑草が生えている土がいい。ここは懐かしい、子どものころを思い出す場所だ。五重塔のあったところの近く、銀杏の木はずっと見覚えがあり、下日暮里に降りていく芋坂に出て、羽二重団子の店に降りるための、そう、メルクマール的な大木である。この木に辿りつく前に、了ごん寺さんのめだか、金魚をみる。もう咲き終わったしまった彼岸花も、紅白そろって見事だった。前記事のリンクを貼...秋の散歩、なじみの銀杏の木へ
月日、小寄道は永眠いたしました。享年は73歳になります。生前より皆様のご愛読に感謝し、本ブログを書き続けられる。それこそが自分の余生を生ききる愉しみだと申しておりました。本当にありがとうございました。なお、このブログはこのまましばらく残したいと存じます。小寄道の妻上記の文章は小寄道が認めたものです。2月26日という日付けを入れて私が書いたものとして投稿すべきだったのですが、ここまで小寄道が用意していた事を分かって頂きたくてそのままにしました。本当に今までお世話になりました。皆様のコメントに励まされ、1年4ヶ月の闘病生活を送れたのだと思います。今は空の上から笑顔で見守ってくれています。ありがとうございました。ご愛読ありがとうございました
★新収蔵&特別公開ジェルメーヌ・リシエ《蟻》小企画展会期2024.1.23–4.7会場:東京国立近代美術館2Fギャラリー4美術館サイドの紹介記事(転載)フランスの彫刻家ジェルメーヌ・リシエの彫刻《蟻》(1953年)を初公開します。リシエ(1902–59)は、第二次大戦後における女性彫刻家の先駆的存在の一人で、近年その再評価が急速に進んでいます。オーギュスト・ロダンの助手、エミール=アントワーヌ・ブールデルに学び、古典的彫塑の手法を守った点で近代彫刻の正当な継承者と言える一方、人体と自然界・動植物のイメージを有機的に結合させた独自の作風を確立して注目を浴びますが、キャリア全盛期に病に倒れました。リシエと同時期にブールデルに学んだ戦前の日本人彫刻家、リシエに大きな影響を受けた戦後の日本人彫刻家、第二次大戦後の...ジェルメーヌ・リシエほか春の美術展
しばらく書けない日が続いた。もうあの世に逝ったんじゃないかと、余計な心配をかけていたら申しわけない。そんなアホな、己惚れている場合じゃないなぞと、お叱りをうけそうな気もする。早い話が気力は減衰し、いろんな箇所のポテンシャルが下がってしまったこと。それが主たる理由。愚痴や弱音を吐くのは、潔よしとしない高潔の士、いやいや多分に高慢ちきな性格が滲みだしている。この書きようにして馬脚をあらわしている。妄言多謝暮れから正月にかけて食欲が落ち、体重は50キロを割った。その後いろいろあって、オピオイド系(モルヒネ系)のクスリを服用することで多少の副作用が生じているが、現状維持はなんとか続いているのでご安心あれ。というより、1日12時間ほども眠りにつく。身体が要求しているとの見解だが、こうもだらだらと横になっているのは如...切れぎれの近況について⑤
明けましておめでとうございます。新年を飾る年賀のイメージは、ありきたりの梅の花を借りた。昨年から地元の景色を背景にすることをあきらめ、干支の雰囲気だけで正月らしさを演出したのであるが・・。2024年、令和6年の干支は、空想上の動物である「竜」なので、ついに弾が尽きた。梅に似合う「竜」はなかなか見つけられなかった。清少納言は書き残した。「ただ過ぎにすぎるものは、人の齢(よわい)、春夏秋冬、帆上げたる舟・・」すべては過ぎていく、時の流れも、人の生き死にも。帆上げたる湖上の舟は、しーんとして動いてないように見える。夢のなかでぼんやり浮かんでいて、少しも過ぎ去っていかない。永遠にとどまっているかのように見える。ただそれはその時のこと、齢をかさねれば違って見えるかもしれない。俯瞰的にみればそれは過ぎ去りし舟なのだ。...初天神ひそりと梅は陽だまりに
年末の報道写真展を観に日本橋三越へ行った。わが家の恒例行事といったところ。昨年は、正月を家で迎えるための一時的な退院の時だった。去年のブログを読み返すと、食事や病気のことなぞ、ぐだぐだと・・。最後に申し訳程度に、報道写真展に行ったことを書いている。実際は内容がどうだったのか、具体的にふれていないのは何ぞやである。外出すると決めたからには、新鮮な外気を吸い、人々の活力ある動きに元気をいただこう。そんな気持ちが、今の自分にとって最上のクスリである。とはいえ内実は、行くことが決定した二日前から体調は落ち、食欲のない不振状態が続いていた。家を出てみれば、20mほど歩くと息切れし、咳が出て疲れを感じた。ドラクエではないが、毒の呪いをかけられ、歩くたびにHPポイントが減ってしまう。それに等しい消耗度だ。本格的な冬の訪...報道写真展、車椅子で観る
噂では聞いていたが、IMAX(アイマックス)というシステムを完備した映画館でみる『ゴジラー1.0』は、やはり想像を超えるド迫力だった。この齢でIMAXを経験しないのは悔いが残る。そんな✖✖な、笑わせるなという人はいるだろうが、正直にいえば、死ぬまでには一度観て体感したかったことは確かだ。当然のごとく、小津安二郎をIMAXで見るのはお門違いだ。今回の『ゴジラー1.0』はまさにIMAXを前提にした映画製作であり、もちろん作品のストーリー性、役者たちの渾身の演技も素晴らしく、存分に楽しめたことは言うまでもない。まずは、海外版予告編や映像クリップ集というの見つけた。ここに紹介するのは問題ないと思うが、ストップがかかり削除の憂き目にあうかもしれないので、お早めにどうぞ。『ゴジラー1.0』を、湾曲した大スクリーンと1...ゴジラ-1.0、IMAXで観る
三匹の死んだ猫(部分)長田弘二十年かかって、三匹の猫は、九つのいのちを十分に使い果たして、死んだ。生けるものがこの世に遺せる最後のものは、いまわの際まで生き切るというそのプライドなのではないか。雨を聴きながら、夜、プライドを失わずに、死んでゆくことの難しさについて考えている。上記の詩は、長田弘の『死者の贈り物』という詩集にある「三匹の死んだ猫」の最後の部分である。全体は27行であるから、それほど長い詩ではない。なぜ、冒頭にこの詩を冠したかというと、本棚を整理していたら、荒木経惟の小さな写真集『チロの愛死』が出てきた。病をえて再び見ると、感じ方が違う。避けられない定めは受け入れるしかない・・ただ無性に悲しくなった。で、見終わったあとに、放心の体で書棚の本をつらつらと眺めていたら、長田弘の詩を思いだしたのだ。...愛猫の死、経惟と弘
柄澤齊(からさわひとし)著『銀河の棺』のなかの「星より近き」に、すこし読み進むと日輪尊夫(ひわたかお)について書かれた、こんな文章がある。ヒワさんこと日輪尊夫は1941年高知市に生まれ、1992年同市で不帰の人となった。現代の木口版画はこの人に始まる。私がヒワさんの作品と出遇ったのは1970年、銀座の画廊で開かれた個展会場でのことである。友人からすすめられて初めて入った地下の画廊で、その版画を見た時の総毛立つようなショックは今でもはっきり覚えている。白い壁面にかけられた額縁の中の一点一点が、この世に穿たれた深い闇の入り口であり、その中に限界まで圧縮された生命体を思わせる光の粒子が隙間なく蝟集している宇宙━━それはヒワさんの制作が最も旺盛であった時期の作品群、「カルパ」と題された連作と詩画集『卵』の展開で、...木口版画家・日輪尊夫の近くへ
前回のブログの最後に「MOMAT館(所蔵作品展)に足を伸ばした。身体がふるえるような、嬉しい驚きに遭遇したのである」と書き残した。そのことを書く前に、さらに嬉しいトピックを発見した。木口版画家の柄澤齊さんについては、これまで版画芸術家としてだけでなく、文芸・芸術評論やミステリー小説を書く多才な人としても再三紹介している。なので詳しいことは省くが、山梨南アルプスの麓に住む柄澤さんが、最近『棟方志功展』に行ってきたことをフェイスブックで公開されていたのだ!いろいろ前後して申し訳ないが、実はMOMAT館に足を伸ばして、震えるほどの嬉しい真意とは、柄澤齊さんの師匠である日輪尊夫氏の作品、20点ほどが纏まって展示されていたからである!氏の実作品は数点しか見たことがなく、その全容を確認したことがなかった。で、駒込の「...『棟方志功展』その後
過日、竹橋の東京国立近代美術館で開催している『棟方志功展メイキング・オブ・ムナカタ』に行ってきた。前回と同様に妻のたっての要望。祝日の前日、陽気はことのほか桂く、文句なしの散歩日和に思えた。疲れることは承知の上だが、ガウディ展のときのような混雑はないとの情報もあり、「まあ、行ってみるか」と重い腰を上げたのである。棟方志功は、子供のころから知っていた。その頃は芸術に特に親しんでいたわけではなく、知らぬまに向こうからやってきた、そんな感じの芸術家である。岡本太郎、山下清、梅原龍三郎、洋画家ではゴッホ、ピカソ、ユトリロらも同列である。当時、地元の芸術家といえば横山大観だが、岡倉天心との相違が分からず、とにかく偉い日本画家というイメージが勝手にこびりついている。棟方志功は、テレビでみたり、映画館でみる本編の間のド...生誕120年棟方志功展から
急遽、マイナンバーカードについての私見を覚書として残すことにした。一昨日のこと(11/22)、グーグルニュースのまとめサイト(各メディアの主要トピックニュース・地方新聞含)を読んでいたら、NHKニュースの「暗証番号設定必要ないマイナンバーカード12月中に導入へ」という見出しに目が留まった。記事としては以下の通り(ですます調を直し)。総務省は、認知症の人や高齢者に加え、希望するすべての人にマイナカードの対象を拡大し、来月中に導入する方向で調整を進めている。マイナカードの申請には暗証番号が必要だが、「設定や管理が難しい」という声が多く、当時の総務大臣が暗証番号のないカードを11月に導入する方針を示していた。また、すでに交付されたカードも暗証番号なしに切り替えが可能とのこと。総務省は自治体の準備期間を考慮して、...マイナンバーカードの変
ついこの前、一年以上も遠のいていた谷中墓地に行く。のぼりが辛い蛍坂を見ると、やり切れなさが先に立つ。春先の墓地に行けば、土は匂い立っている。冬は霜が降りるし、夏はいろんな虫が這いつくばっている。秋は桜の葉が黄色から真紅になる。銀杏の実も落ちはじめる。墓地のメイン通りは桜並木で、そこの土は踏み固められて面白くない。古い墓石の間の、人通りのない通路のような、雑草が生えている土がいい。ここは懐かしい、子どものころを思い出す場所だ。五重塔のあったところの近く、銀杏の木はずっと見覚えがあり、下日暮里に降りていく芋坂に出て、羽二重団子の店に降りるための、そう、メルクマール的な大木である。この木に辿りつく前に、了ごん寺さんのめだか、金魚をみる。もう咲き終わったしまった彼岸花も、紅白そろって見事だった。前記事のリンクを貼...秋の散歩、なじみの銀杏の木へ
何年ぶりだろうか、竹下さんにお会いできたのは。ほんとにコロナ禍は長く、大きな災いをもたらしたと思う。今年の3月か4月頃にも来日して講演会をなさったはずだが、入院中の身だったので行けなかったのは無念。今回は2回、講演というより軽いトークの会が開催された。来春に出版される本の内容にそった話になるらしい。初回のトークの日は、訪問診療の日で行けず、2回目の日仏会館の方に出席した。竹下さんの集いは、これまで参加者が女性9割ぐらいの印象であったが、今回は7対3、もしくは6対4ぐらいの構成であった。開始が18:30だったので、仕事終わりの男性陣が参加しやすかったのかな。学生風の若い男性もいたし、フランス人らしき男性が2名も出席していた。やはり恵比寿の日仏会館というロケーションが影響していたのであろうか・・。前置はさてお...竹下節子さんのトークを聞きに
今年のはじめ、神楽坂にデザイン事務所をもつ友人を訪ねた。きけば年内に多摩市に移り住み、仕事を減らしながらブックカフェをつくるとのこと。高齢化にそなえて、彼なりの考えや目算があるのだろう。そういえば、お互いに齢を喰って慌てふためくことのないよう、歳相応の心構えをもちたいものだ、と話し合ったこともあったかな。どちらかといえば東京の下町生まれの小生、新宿より西側のJR中央線沿線や小田急、京王線の私鉄沿線には縁もゆかりもない。但し、武蔵野の台地、森には、文学的な憧憬はあった。さらに奥多摩は、低山ハイキングの絶好地で、多摩市はその足がかりとしても理想的だと思う。これまで市街地の多摩方面はとりわけ行くこともなかったが、多摩ニュータウンなどの大規模団地が少子高齢化の影響でだいぶ様変わりしていると、何やらさびしいニュース...多摩永山のブックカフェを訪ねて
がんを患って、自分の生死の目途がついたとき、ブログには政治、社会的なテーマは避けようと決めた。なぜなら、昨今、書くことの根拠、エビデンスのことごとくが希薄で、信用のならないものに思えてきた。情報ソースはすべからくメディア経由であり、ITのSNSなどだが、それらはもはや信のおけない媒体であると、自分のなかではほぼ断定している。そうなのだ、自分にはそれらを客観的に取捨選択する確信、判断基準を持ち得なくなった。専門知のない自分がどう足掻いても、地に足をつけたつまり事実に基づいた文章は書けないのではないか、と。実に哀しいことだし、自信(confidens)の喪失でもある。ならば、自分の関心のあること、この齢でも学ぶべきこと、惹かれること、好きなこと、身の周りのほっこりすることを書いていこう、と。そう、決めてからは...希望のない国、イスラエル