とんぼラベル|郷愁を誘う勝虫蜻蛉は古語で「秋津(あきづ)」という。恐らく「秋」に「出ずる」がくっついたものだろう。古事記に、雄略天皇が吉野宮御幸の折、蜻蛉が腕に噛みついた虻を捕まえて飛び去ったことから、国名に勇敢なるその名を負わせ、「蜻蛉島(あきづしま)」と呼んだとある。 古事記に8年遅れて成立した日本書紀においては、初代神武天皇の項で、国見の折に「蜻蛉の臀呫(となめ)の如」と国を形容したとある。
チカーラ|夏の到来を告げるイタリアの蝉長い梅雨が明けると同時に猛暑の日々が始まり、朝から大音響で蝉が鳴く。特に、このごろ関東でも勢力を拡大しているクマゼミの鳴き声は、もはや公害級である。芭蕉も、この蝉の声を聴いては「岩にしみ入る」とは詠めなかったであろう。 そんな蝉の鳴き声を聞きながら眠た目をこすり、何気なく思ったのは、日本人の季節感のいい加減さ。夏の季語となる「蝉」は、立秋も過ぎて生き生きと鳴く
栄光冨士|思いがけずも夢中になった朝顔ラベル梅雨は明けたが8月の空。はやも朝顔が咲き、次の季節を匂わせる。 今年の立秋は8月7日。昨日は、ようやく現れた晩夏の太陽を浴びながら、往く夏を惜しんだ。場所は雑司ヶ谷の法明寺。ここに、「蕣塚(あさがおづか)」と呼ばれるものがある。 蕣塚は、朝顔の彫金で有名だった戸張富久の句に、酒井抱一の朝顔が入った石碑。今は注目する人も少なく、境内の植え込みの中にひっそり
山川光男|厳しい夏を涼しくする奴旧暦6月となる7月21日にもなれば、この五月雨もやむだろうと思っていたが、甘かった。7月になって陽光を浴びたか? 地球温暖化や環境の変化というのは、次の投資先を確保するための投資家の方便だと思っていたが、どうやらそうでもないようだ。たしかに、ここ数年の日本の夏は狂っている。しかも、今年はコロナ禍も重なり散々だ。 まあ、オリンピックが延期になったことは、この国に集結す
花の香|苦難にこそ香り立つものまたも熊本が襲われた。熊本地震では、あの赤酒がやられた。今回は球磨焼酎が、大きな痛手を受けていると聞く。日本酒党にとっても、九号酵母の故郷だけに、心配の種は尽きない。 そんな中、花の香酒造のホームページに、「営業再開」の文字を見てちょっと胸をなでおろす。 花の香は、明治35年に妙見神社所有の神田を譲り受けて酒造りを開始したという、由緒ある酒造。獺祭で修業した蔵元が送り
無風|知ればくせになる日本酒「無風」と書いて「むかで」と読む。ラベルを見れば、手に取るのさえ躊躇われる酒。 出会いは場末の酒場。壁に貼られたメニューを目で追い、「むふう」と声を張り上げると出てきたのがコレ。もっきりで注がれた横に、店主が悪戯っぽく瓶を並べ、「もっと勉強しな」と笑ったのを覚えている。しかし、どのようにしても「むかで」とは読めない。胸ポケットから取り出したペンで「百足虫」と書いて講釈を
山本 ドキドキ|寂しい夏におぼえた日本酒ときめく夏が来なくなって久しい。日々仕事に追われ、ようやく一区切りつく週末に、遅くまで開けている居酒屋で酒を飲む。 そんな中、ひと夏に一度は注文するのがこの酒。はじめて出会った夏には、その怪しい出立に戸惑いを覚えたものだ。さらには、「セクスィー山本酵母が使われている」と胡乱な目で説明する店主を見て、耳が熱くなるのを感じてしまった。 この酒は、ハッキリ言って美
富久長 KUSA|草の根の賛歌元禄2年5月13日、新暦ならば1689年6月29日に、奥州平泉であの名句が生まれた。奥の細道の途上、丁度500年前にここで果てた義経に思いを馳せ、夏草や兵どもが夢の跡 松尾芭蕉それから過ぎた時間は331年。その間に草は生い茂り、草の根でさえも夢を語れる時代となっている。 それを如実に物語る酒が、富久長の「草」。昨年封切られた映画「カンパイ!日本酒に恋した女たち」でクロ
雨後の月|日食のために準備した酒天岩戸神話を日食に結び付け、それを卑弥呼の時代の混乱に関連付ける学者が存在し、日本人の大半はそれを信じているようである。しかし、こんなバカな話はない。現代の日本の歴史は、有史以前の暮らしを貶めることに終始。わずか2000年ほど前の我らの祖先は、未開人だったと言いたいらしい。(*) 文字の無い時代の神話は、かたちを変えることで変動する社会のバランスを取った。けれども、
瀧自慢|世界の脳幹にしみ込んだ酒コロナ以降大混乱に陥っている世界。首脳陣も混迷を極め、国家間・民族間・人種間…ありとあらゆるところで騙し合いの様相を呈してきた。 挙句の果てにG7拡大構想なども持ち上がっている。議論で解決する時代は終焉し、同朋を取り込んで他者を攻撃する時代に移り変わったということか。 思えば、伊勢志摩サミットが開催された2016年はまだよかった。和気藹々とした雰囲気で話し合われた中
越乃寒梅 灑|古くて新しい幻の日本酒国策で「三倍醸造」の日本酒が幅を利かせていた昭和の時代、本来の酒造りを貫き通した骨ある酒が「越乃寒梅」である。妙な甘ったるさの残る巷の酒とは明らかに違う飲み口が評判となり、昭和30年代後半に大ブレーク。一般市民には手の届かないものとなり、幻の酒と呼ばれるようになっていた。 当時の薫りを保つ酒が「白ラベル」と呼ばれる普通酒である。新橋あたりを歩いていると、店の隅に
仙禽かぶとむし|少年時代がよみがえる先日、西日本新聞のネット版に、緑風氏の記事を見た。緑風氏は佐世保の人で、俳句に勤しみながら、この四月に九十四の天寿を全うしたと。そして現在、遺作に御親族がイラストをつけてツイッターに上げているのだと。 その緑風氏の俳句に、老人に買われてゆきぬ甲虫があった。何かと批判の声もあるカブトムシの売買ではあるが、この俳句には目から鱗である。あたたかな気持ちにさせてもらった
風の森|維新のこころを醸し出す日本酒鴨神で名高い高鴨神社の近くに、風の森峠がある。この峠は天誅組が陣を敷いた場所で、それに加わった伴林光平が「夕雲の所絶をいづる月を見む 風の森こそ近づきにけり」の和歌をのこしている。 奈良から和歌山方面に抜ける峠付近は、水稲栽培発祥地とも目されており、初夏には爽やかな風が吹き抜けるとともに、清らかな水音に包まれる。その水は、銘酒「風の森」となる稲穂を育てる。 「風
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