毒蛇の雲人の心に棲む百匹の毒蛇が囲いを解き放たれて夜な夜な這い回る地球を取り巻く想念の雲は毒蛇の海となって天空からの放射線を遮り地上は腐臭に満ちた寝床となる毒蛇を薙ぎ払ってくれる英雄はどこにもいない毒蛇は互いの毒でますます肥え太るこの雲を消し去ってくれるのは火山の大爆発くらいだろうか天の御使いは来てくれぬだろうか第488日毒蛇の雲
燭灯蝋燭の炎は不規則に揺らぎ消え入りそうになりまた燃え上がるわれらの魂もそのようなものなのか危うくつかみどころなく蝋燭の光が揺らめく部屋で魂は静かに憩うそして古い詩を呟くそれは私の知らぬ時私の知らぬ遠い景色私の帰る故郷から響く歌第487日燭灯
太陽の子かつて日本人は太陽の子だった農民は一日の始まりと終わり畑に立ち太陽に手を合わせた今この国土に暮らす人は太陽の子だろうか太陽を拝むことなどあるのだろうかむしろ太陽は嫌なもの酷暑で人を殺し膚にシミや癌を作る人が変わったのか太陽が変わったのかこの国はこの国でなくなったのか第486日太陽の子
空虚目の中心は空虚な穴われらは空虚で見つめ空虚に見つめられている空虚だから存在を取り込める私の空虚が彼女を取り込み彼女の空虚が私を取り込む空虚の中に生まれるものは空虚を満たすこともなく空虚はただ取り込み続ける第485日空虚
半分二十歳過ぎたらただの人三十過ぎたら奴隷になり四十過ぎたら厄介もの五十過ぎたら粗大ゴミまことこの世は生きづらいそんなものとあきらめて優しい場所を探しなさいな光と風が心地よい半分はぼろぼろにしても半分は颯爽と悠然とそうやって持ちこたえるしかない半分を養うことだ揺るぎなく空のどこかに座標軸を据えて第484日半分
照る照る坊主照る照る坊主かわいそす「晴れたら金の鈴やるぞ」ふいにその一節が浮かんできてなぜか涙が滲んだ天気を操る大仕事なのに失敗したら首ちょんぱ成功しても金の鈴あまりに酷すぎる金の鈴を鳴らして照る照る坊主は嬉しいかいやそれさえ空約束かもしれない首を切られた奴はどうなるのか天を操ろうとする人間の犠牲になって照る照る坊主はあまりに可哀想第483日照る照る坊主
侵入聖なるところに悪は忍び込む悪は狙っているのだ重大な場所を光で惹き付けておいて落っことすそれが悪魔の手口誰も光を信用しなくなるように聖なる光を掲げようとするなら承知していなければならない悪魔が巧みに忍び込むことを何千何万の魂がこの罠に掛かったことかそれに絶望するのもまた悪魔の罠第482日侵入
闇創世の第一章は闇の創造質料という闇がなければどんな姿も生まれない姿は闇ゆえに存在する魂の姿もまたその下にある闇の深さによって美しく輝く闇の苦しさを知りそこに光が像を刻む悦びを知りそうして姿は屹立する創造は闇を創り続けるそこに像を刻むために魂もまた闇と格闘し続ける第481日闇
ついて回る三〇〇キロで地を走り一〇〇〇キロで空を飛ぶ素晴らしいけれど少し恐ろしい人は空間のくびきを逃れようと必死だ何千キロ先まで旅をし何百キロ離れた魚を食うけれど自分という檻はついて回るどこへ逃げてもぴったりと自分の檻から数センチずれたら全然違う世界が見えるだろうにそれができる人はほとんどいない第480日ついて回る
怪物人の世は押し合いへし合いし怪物を生み出す押し合いへし合いこそが怪物を作る世を動かす怪物毒を撒き散らす怪物人々は恩恵を受けたり被害を被ったり怪物抜きでは世は世にならぬ怪物こそが人を鍛える神様の皮肉なのかそれともやはり愛なのか怪物は今日も生まれ続ける第479日怪物
単位不足大学の単位が足らない昔しばしば見た夢を久しぶりに見た登録するのを忘れていたり登録したのに忘れていたり唖然として不安になる夢人生の単位にも忘れているもの放り出したままのものがあるのか落第したものはたくさんあるけれど忘れているとしたら恐い思い出そうとしてもできない第478日単位不足
流刑地この村は何もないただ川が流れその岸の高みに家々があるそれ以外に何もない静かで寂しく時間だけが流れるこれが私の原風景か私は天の寂しい流刑地からこの世に飛ばされたのかそんな思いが頭をよぎる人生に落第して静かで寂しい所に還るのならそれもまた悪くないだろう第477日流刑地
課題あの美人はその美をどう使うだろう老いてすれた私はそう斜めから想像する巧みに使って栄華を得るか持て余して苦しむかそれとも当人は無関心か他人事なりに心配するそれもまた魂の課題恩寵であり試練であり世にはいろんな課題があるものだ天才は世に貢献することで恵みを返せるが美人はどうやってその恵みを返すのかまあ少しばかり眺めさせておくれなさい第476日課題
群群を率いていた何羽かが突然その仕事を止め後に続く大群を放り出す群は右往左往しぶつかり合い多くが地に落ちる猛禽も襲い掛かるなぜそうなったかは誰も知らぬその後どうなるかもすべての群で同じことが起こっている空は迷える鳥で溢れる第475日群
できるできない子供はできる喜びを喜び老人はできなくなる悲しみを悲しむ何かをできるそれは生きる喜びできるかできないかで人は裁かれるできれば富や栄華が手に入る私ができたのはわずかなことそれすら今はできなくなっているけれどもだから不幸だということはない何もできなくなっても最後にできることはある天に顔を向けるということが第474日できるできない
手を振るやあと手を振るとほとんどの幼子は手を振り返してくれる誰かが教えたでもないだろうに言葉を交わせるようになるとすれ違いやせめぎ合いが起こる自然に手を振り返す真っ直ぐな交信はできなくなるやあと手を振りやあと手を振り返すそれだけの通い合いで人は生きていけないものか第473日手を振る
輪廻輪廻を認めなければ仏教は成り立たないそこに蓋をしたら仏教は詐欺になる弥陀の浄土へ行ったとしても菩薩になれば戻ってくる衆生済度のためとはいえ何度も生まれて縁を覚り菩薩になってもなお生まれ変わるその厳しさを教えるのが仏教精神衛生学ではないし洒落た叡智でもない恐ろしい真実の噴火口なのだ第472日輪廻
美術の享受者文学は挫折者に求められるが美術は成功者に求められる美術館というのは過去の権力の自慢でもあるしそう考えると美術というものが少し嫌になる美術作品の美はいったい誰が享受するのか美術は社会的には流浪者ただ創り手の美への情熱があるばかりだから美術は美しい美術の真の享受者は美を創り出そうとする美術家だけなのだろう第471日美術の享受者
巨大怪物東京よこの驚異の煉獄よ数千万の胃袋と数千万の肛門と数千万の脳髄と数千万の生殖器を焼けた鉄板の上でころがし阿鼻叫喚の煙を肥やしにし強烈な胃酸で何もかもを溶かし尽くし日々増殖する石灰の殻の中にさらに多くの人間を呑み込みこの巨大怪物はもう手のつけようがない天のいかづちでもない限り逃げ出したいが難しいそう人々は思い込んでいるこの呪いが解ける日は来るのだろうか第470日巨大怪物
灯火明かりを点けて少しばかり闇を押し返すそれが人間の営みけれど闇は小さくなりはしない明かりを灯し続けないと闇がすべてを呑み込むそうなると再び明かりを灯すこともできなくなってしまう。明かりは大きなものにはなれない小さな灯火を少しでも多く灯すしかない今もなお迫ってくる闇の恐ろしさにわれらは震え上がる新たな灯火はもう点らないのかと恐れる第469日灯火
遠いもの遠い遠いものが私に囁きかける弱々しい陽光や仄かな香りその時私は今ここから解き放たれ私の生死をも超えていくそれは無償の救い遠いものへの哀切はいつも私を宥めてくれるすぐそばにある神様の手のように無限の遠くとつながって無限に拡がっていきたい私をほとんど失うほどに第468日遠いもの
生命の樹天の野に立つ生命の樹は透き通った幾万の滴を途切れることなく滴らせ透明な滴に天使たちが色を添え形の夢想を吹き込むと滴は静かに運動を始める生命の樹の枝は無数に別れ無数の宇宙に生命を吹き込むわずかの間も休むことなくわれらは皆その一枝の滴われらの魂の奥には樹の姿が刻印されている第467日生命の樹
よきものその人の最もよきものがその人なのだそれを信じよう悪しきものはよきものを生まないよきものは時に悪しきものに汚されるだからよきものこそ本来のものなのだふっと浮かんだ慎ましい笑みや遠くを見つめるまなざし些細なところにもそれは現われるそして自分に対しても最もよきものを見据えようそれが自分なのだと信じよう第466日よきもの
元気で笑顔元気で笑顔の人は世の宝だ四歳になるサナちゃんがそのことを教えてくれた数十年ひねくれまくってきたこの世は穢土で人間は苦悩するものだとそれはそうだけれどもそれでも元気で笑顔の人はいい周りのいのちを温めてくれる彼らがいなければ世はますます地獄だぼろぼろで役立たずの老人になっても何とか元気で笑顔でいたい至難の業だけれど挑戦する価値はある第465日元気で笑顔
さよならさよならばかり言い過ぎてこんにちはが言えなくなったさよならばかりを言い過ぎて言葉はすべて凍ってしまった出遭いに来るものはない虚しい静けさが満ち渡る心を交わすものは来ないあまりにも冷えすぎてしまったから古い単調なメロディをべそをかくように繰り返すただ悔恨に耳を塞ぐためにそろそろ最後のさよならを言おう自分自身に向けてその先にこんにちはがあるだろうか第464日さよなら
戯れどうにもならないものを抱えているのは確かだがそれを繰り返し弄び自らをいたぶる自虐であり嘲笑であり苦い哀しみでもあるこの戯れ身も心も投げ入れられる何かを探しに行けばよいのにそれをイメージすることもできないいったい何をやっているのかと自らに呆れるそれもまた戯れ第463日戯れ
服を捨てる着古してぼろぼろになった服を捨てる気持ちよくもあり悲しくもありよれよれの生地はもう肌のようになじみ心地よいが見てくれはひどい十分使ったという満足はあるけれどなじまない服は持っているのも捨てるのも心地よくない人生の最期には一番なじんだ服を脱ぐ気持ちよいか悲しいか第462日服を捨てる
冷水シャワー夏でも秋でもない日一仕事を終え水のシャワーを浴びようとしてしばし戸惑うへたれるんじゃねえよと叱咤しなんたらのひや水という言葉を思い出しいや別に死んでもいいだろと苦笑し死にはしなくとも健康がとまたへたれる意を決して水柱に飛び込むと身は引き締まり心は鎮まり何かが内で蘇る冷水は暴力的な愛マゾシストではないけれどこの衝撃は快楽第461日冷水シャワー
心響哲学を生み出さなかったこの風土を蔑むべきなのか賞賛すべきなのか日本人は哲学を生み出すには愚かすぎたのか賢すぎたのか壮大な伽藍など余計なもの断片的な詩句の散り撒きからなる不定形で包摂的な世界観こそがこの風土で哲学でない哲学を創っている無常も自然愛も一部分に過ぎないしかも世の隅々に行き渡り多くの心が響き合う大仰な言葉では表現されないどんな人の心にも沁み入っている心性がこの風土が生み出した哲学なのだ第460日心響
呪詛よきものから最悪のものを創り出す悪魔の魂たちに呪いあれ宗教も科学もインターネットもそうした悪魔たちに汚されてきたそして最も忌むべき者たちは輝く正義の御旗を掲げて人を支配し弾圧しようと目論む悪魔彼らは最も重い呪いを受けるがいい私は不道徳者ではあってもそうした悪に荷担したことはないそうした悪魔たちを憎む泥棒や暴力沙汰などチンケなものだ人類を引きずり下ろす悪魔に比べれば私は最も強い呪詛を彼らに向ける第459日呪詛
奉納人生の秋に人は何を刈り取るのだろう過ぎ去った愛の甘い追憶か成し遂げた仕事へのささやかな賞賛か豊かな収穫を蔵に収め毎夜ウイスキーを舐めながらそれを愛玩するそれが人の世の幸福なのか私の収穫はあまりにみすぼらしい実らなかった種は地面に落ち虫食いだらけになっている私はただ頭を垂れて何かを求めて悪戦苦闘した傷跡を神棚にそっと捧げよう第458日奉納
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