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  • 貨物専用として誕生したEF81500番台

    EF81形500番台は1989年に、日本海縦貫線の貨物列車増発用として、一般のEF81形を基に各種の変更が加えられ、500番台となり、501~503の3両が製造された。塗装はJR貨物標準色となっている。EF81502「富山」。吹田信号場構内を単機で移動する。3色塗装がはっきりわかる。岸部駅

  • 独特の外観で誕生した EF81450番台

    EF81450番台はJR化後の1991年に 製造され、500番台より後に誕生している。重連総括仕様で451~455の5両が製造された。ナンバーの位置は変更され、飾り帯は廃止されている。交直両用機でありながらローズピンク塗装でなく青系のJR貨物標準塗装となっている。451、452号機の2

  • 重連仕様のEF81400番台

    EF81400番台は1986年にEF81形の一般車から、重連総括制御の改造を受け誕生した。民営化後はJR貨物文字機関区に401-408号機.JR九州大分車両センターに409-414 号機が配置され、寝台特急や貨物列車に使用された。門司機関区の構内にはED76を含め、EF81400番台が終結している

  • 九州のEF81300番台

    前回の九州旅行では『銀ガマ』は撮れなかったので3か月後にリベンジしている。そこで銀ガマを含め、九州で活躍していたEF81300番台に出会うことができた。EF81300番台は1973年に、関門トンネル用としてステンレス車体で登場した。301~304の4両が製造された。今回は304号機を

  • 撮影旅行で九州遠征

    もう10年も前になるが、 全くの未知の地、九州へ観光を兼ねた撮影旅行に出かけた。本州では見られない ED76、EF81300番台、400番台、450番台、500番台や、九州カラーの特急車両などとの出会いを期待して遠征した。家から羽田空港まではマイカーで、朝6:30に家を出て、羽田

  • ある目的で運行された『バーボン・エクスプレス』

    国鉄が分割民営化されJRが発足した年、1987年10月『バーボン・エクスプレス』なる臨時列車が運行された。50系や12系客車を使用し、星条旗を意識した塗装になっている。この列車を運行する意図は、わからないが。この時期は日米貿易摩擦が背景にあり、のちの1988年には『

  • 北陸本線の主力機だったEF70(2)

    北陸新幹線 敦賀延伸で変わり行く、北陸本線の芦原温泉駅付近で撮影した画像を続けてゆきます。芦原温泉駅は1972年3月に駅名が改称された。その前は『金津』駅と呼ばれていた。撮影をした頃には学校や工場などにまだ 金津 の文字がところどころに残っていた。今回の画像

  • 北陸本線の主力機だったEF70(1)

    EF70形は1961年に製造開始され、1965年までに81両が製造された。交流電気機関車としては初のF型で北陸本線交流区間の主力機となった。敦賀第二機関区で行われた、撮影会でのEF701(1985年7月28日) 1976年10月。仕事であわら市にある、プレス機械メーカーに短期出張で行

  • 昭和、平成を生き抜いたEF6019(2)

    EF6019牽引のアメリカントレインは、1988年7月から約1年間、客扱いなしで、各地を回り展示された。運転終了後の1989年には元のやすらぎ色に戻されている。区名札は「髙運」。『やすらぎ』の専用機として活躍した際の画像は、過去に掲載したこちらを参照。それ以外の画像を貼

  • 昭和、平成を生き抜いたEF6019(1)

    貨物用として、1962年(昭和37年 )に製造され、平成から令和に移る年の、2019年(令和元年)まで現役で活躍した機関車 EF6019。EF60形は1960年に1号機が製造され、19号機は2次量産車(15-46号)で、駆動方式がクイル式から、吊り掛け式に変更され、外観も一部が一次車と

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