今日の命がクマにやられるかやられないか、森に任せようと、傘を持って入って行った。 湖の周りだったけれど、クマかイノシシがこちらに気が付いていた。木の実の入った大きな糞が落ちていて、獣臭さが風に乗ってきていた。 アシカのような声や、キジバト、草の中を移動する音、森のなかは1人でいるとかなりの雑音だらけだった。
創作のアイデア、それに通ずる物事、雑記などを残します。 厳密な文章を心がけています。
かけだしの画家。 色々つくりたい、独学好き。
猫を家に迎えてから6年半、人さまの家の猫や画像の猫に反応することが増え、とうとう猫の一部が映像にでできた程度で反応してしまうようになった。 猫足バスタブの脚の部分が本物の猫の足を模していて、自分がにこにこしていることに気がついた... 私が自殺をした年に迎えた猫をアパートに残して来たのが心残りで、忍び込んで再び迎えに行った。ほとんど自分の子だと思っていたし、置いていくなど本当に考えられなかったけれど、この時のことは謝りようがない。 迎えに行った時は部屋の中でひとり、つちのこみたいに大きくなっていた。 朝7時に出て酷いと次の日の朝まで出社している人のもとで置き餌を食べ、足りない時は髪の毛を食べて…
昔から心の片隅にいた、先に幸せになってはいけないという感情が沸々としている。 呼吸を習って全て削いでいった気になっていても、家族の影武者のような感覚はなくならない。消えたり現れたりするんだろう。 私は自我が強いのに自分というものを持たなかったから、自分の損得を願って動ける人は、どういう感覚のクオリアをもつのか想像できない。 昔は影武者になっていれば充足感があった。補完されなければ不完全であるというような、貶しの中での思い込み。 この人を置いて行ったら、この人はどこまでも堕ちて行ってしまうんじゃないかという思いがあります。堕ちて寂しい思いをしているのを思うと堪えられない。 そう思うこと自体が惨め…
何時間も同じ姿勢で負荷がかかっていたのか、小さなことで爆笑してしまうせいなのか、異音がして肋骨を痛めた。 手を挙げると痛い、息を吐くと痛い、鼻をかむと痛い、もちろん笑うと痛い。 側から見たら面白いだろうな...。
「勝てば勝ちで勝てばいい過程はいい」凄い韻。 県内5月の気温になり、2月から春が感じられるのはお得だなと話していた。 1畳ほどの温かい子綺麗な小屋で休んでいたら、隣家のばっちゃがケーキを持ってやってきた。(現実ではいつも山菜か漬物や赤飯を持ってきてくれる) シャインマスカットが乗ったショートケーキが3つ入っていた。 ここまで歩いてきたんでしょと休んでいくように言って、座ってもらった瞬間に祖母の姿になっていた。ただ一緒に座っているだけだったが、懐かしく温かく、手で触れる距離の幸せを感じる夢だった。 都会の人で赤飯に特別何か意味があると思っている人がいたが、少なくとも我々はただ「赤飯美味いよね」と…
姉が珍しく折り紙をしていて、えらく硬質な入れ物を作っていた。 「何折り?」と聞くと「ラビオリ」と答えた。 一瞬考えそうになったせいで可笑しくなって、何だかつぼにはまって笑いが止まらなかった。 ラビおりの対荷重。
脳の興奮を抑える薬を飲んでいるせいか、短期的な記憶がどんどん弱くなっていく。 家族の下着を干していて、どれが自分のものなのかわからくなったり、非常に小さなことも。 今日はトイレに行こうとしたことも忘れてしまって、下の階にいって姉に聞いて思い出した。つまりお腹が痛かったことを忘れていた。 ↑と思っていたが、本当は電気をつけようと思っていたことを忘れていた。 色々なことを忘れるけど、何で嫌な思いをしたのかも忘れてしまったり、それで人を恨むことがないのは良いと思う。そう考えるとその部分ではもともと忘れっぽいのかもしれないが。 長期的な記憶も消えてしまってるんじゃないかと心配になって、そのたびに、小さ…
お偉いさんが口にした、綺麗事を言うことが作家じゃないという言葉が頭に残っていて。 絵空の綺麗事だったら私も嫌いだが、人が経験を通して獲得した物の見方はそのように片付かないと思う。それがあんたにとって特別綺麗に聞こえるなら仕方がないと言うしかない。 その人が本当に獲得した言葉を持っているかどうかもわからない程度なら、作家なんてやらなくていいじゃないか。 その人の言葉を聞こうとしたためしもなく、どんな人生でもって何をやろうとしてるか、どんな人に出会ったか、何に絶望しているか、何を無視して生きているか、余すことなく食らいつけないなら作家をやる意味がない。 こう言う以外ない。
家に白鷺が降りた。 君たち(特にお前)はどう生きるかってことかと思ったが、なんとなくばっちゃと思った。 いつも鷺が降りるのはもう少し行った先の川だから、何か伝えにきたんだろう。3回忌でそろそろ上に行くのか。 母が近づくと、ひと鳴きして飛んで行った。 朝から懐かしい感じがして、物凄く眠くて、今日は早く寝た方が良いみたい。先月から頭から出て行ってくれない人がいて、この人にこの先会うことがあるんだろうとぼんやり感じていた。 まるで忘れないでと言わんばかり。心配せずとも大丈夫だよと毎日思ってあげることにする。 全く雪が降れないまま春が来そうで、心の準備ができないままに明けようとしている何かにそわそわ。
珍しくラジオを聴きながらネタ書き。 私の好きなものや好きなこと、友人を真っ向から貶める催しの何千回目が始まりそうだったので逃げた。 何か具合が悪くなりそうになると人を支配したがる悪癖は、人格というより発作だと思うから、耳に入れないことにした。 好きなものは誰にも見つからず大事に育てることもできる。
遠隔ヒーリングとなると胡散臭いけれど、お師匠にやり方を教えてもらった。 顔を考えればいいのかイメージがしづらいと言うと、タオルが布団か何かを丸めてその人の治したい部分を模するとやりやすいとのこと。 やってみたけれど、瞑想の時とは違ってかなりの集中力がいる。 それでいて身体に力が入るとうまくいかないので、集中しつつ身体を緩めるというのが呼吸の常でもある。 12年でできるものを7年程度でやろうとしているのだから、そう簡単ではなさそう。 しかし昨晩は何だかこの人にやらなくちゃというので、0時をまわってから小1時間その人の身体に入ってみた。やっているうちに左の背中から胃の部分がチクチク痛くなってきて、…
とんでもなく大きな金色の白熊に抱きしめられ、「もうすぐ40年経ってしまう、かなり忙しいけど、必ず待っててね」と言われた。 当たり前のことだが、白熊は冷んやりするわけじゃないんだなと思った。 起きてもふんわりとした感覚が残る夢だった。 金色なのにどうしてか白熊と思ったんだろう。 私はその熊がどこか寒い環境にいると感じていた。強いけど寒いところに1匹でいる。 追記 そんななか、春待ちしていたクマが出てきてしまったらしい。
話に一貫性もあって、ちゃんと説明になっているという人と、感情的で飛躍した話をする人。 こうみればどちらが信用に足るかはわかりやすいものなのに、前者がホームレスで後者が会社員だった場合には、判断がつかなくなることが恥ずかしく思う。 児童買春する市役所職員、横領する教職員、新婚で不倫する人、家庭を作って壊す人。 社会的状況が自分を補完してくれているという自信はどこからくるのだろうか。頭を隠すと余計に見える尻もある... 証券会社からヘッドハンティングされて配属された上司。凄い人かなぁと思っていたが、飲み会の席で理性が解けていくと、仕事以外はろくでもない男のようだった。(そういう人はわりと仕事でもそ…
「ブログリーダー」を活用して、Qinnさんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。
今日の命がクマにやられるかやられないか、森に任せようと、傘を持って入って行った。 湖の周りだったけれど、クマかイノシシがこちらに気が付いていた。木の実の入った大きな糞が落ちていて、獣臭さが風に乗ってきていた。 アシカのような声や、キジバト、草の中を移動する音、森のなかは1人でいるとかなりの雑音だらけだった。
部屋のなかをこれで満たしたら居心地が良さそう。 昨日の龍の色を忘れないようにスケッチ。
白い大きな龍の一部、もふもふと毛が生えていてゆっくり泳いでいた。 よく見ると電気の玉のような光があって綺麗だったけれど、見たことがない雰囲気だった。 龍につれてさまざまな妖怪たちが、お稲荷さんの木がある方から流れて来ていた。手を振るとやや不思議な顔をしてこちらに振り返してくれた。 今立っている新住宅は消えていて、潰された田んぼが青々としていた。
湖は眠っている人が多いから遊泳しないであげてほしい。手を合わせたり、静かに語ったりする場所になるといいけれど。
皆が必要なことをやっているように見えて、それに負けてしまいそうになる。 それがハッタリだとわかっている。 金と名声と体裁のために手数を増やすことを、私は本当にやりたいですか。 また先生に届かぬメールを出して確認した。不思議と答えが見えてくる。何でもやりなよって言ってくれるんだろうな。
部屋の外で人が喋っている声は、いつもろくな音ではないから、どきどきとしてくる。 課題でこのような機構の作品を作った時に、嫌な音に聞こえないと批評がついた。もともと私のことが気に入らない先生だったが、部屋のしきりが厚い良い家に住んでいたか、穏やかな家庭だったかのどちらかだと思った。 そして"嫌な音"になるまでにはもっとわかりやすい激しさなどが必要なのだろう。 憎み合っているもの同士住んでいると、普通の音も嫌な音に聞こえる。嫌な者の出す音ということだから。 私にとっては嫌な者ではなく怖い者だけれど。 そう書いてみて、音の種類の方を考えるべきだったと思う。 この夜は音が終わるまで、達観したおだやかな…
--- 3月12日は私の生まれた日で、3月11日は日本の北東側で多くの人が亡くなりました。18回目の誕生日はお祝いをせず、死者の数をラジオで聞いていました。人が死に終わったというように、被災した人へ向けて、歌や物資を届けたり、何かしたいという人が大勢現れました。その状況は今まで何も省みることがなかった人が、大きな命の出来事に直面しあわてているように感じられました。普段人を蹴散らしているような人でさえ、思いやりということを模倣していましたが、相変わらず生きることと死ぬことや自分自身を省みることはなかったので、今、戦争の可能性を生むか生まざるかの問題で迷っているのでしょう。戦争が起こりうることを人…
〆切前のこのアドレナリンがいつも出ていたらいいのに...と思いつつ、次の本の準備も勢いでやってしまおう! 一方で、展示は多くの人を巻き込むので、勢いだけではできない。(自分は) 今日はなぜか夢の中で、レコードプレイヤーを買わなくちゃいけないという気持ちに支配されていた。何を再生したかったのか。 音楽を流すことを、"再生"というのは面白いなと思う。
味方のような顔をしていつもこの人は、嫌なことを言ったりしてきたりするな...と鬱屈した気持ちで、もうこの人は近くしていなくてもいいなと思っていた。 最初私を嫌いだと思っていたのは覆らなかったのかも。傷ついた女の人は、こういう無理をする。 祖母とあっちで焼き魚を食べてこっちに戻ってきた朝、何か栄養と引き換えに手放そうと思った。 嫌いなわけではないけれど、課題が全然違う人とはあまり深く関われないんだなと気が付いた。遠くから応援はさせてもらおうと思う。 自分のことを頑張って。
世の中には救えないものもいると思いたくはなかったが、支配的な性格の人間がそうなのではないかと感じた。 支配的であることは、依存的であることに内包されている。依存できない状態を解消しようとする動きとして支配がある。 毎日続くとどうにも疲れてしまって、朝吐き気がして退散した。一度は頭が壊れてしまったが、今は耐えられる神経回路になっているのを感じた。 逃げ出したいときは、部屋の天井に何度も自分を吊り下げて溜飲を下げる。 あの時私が死のうと思ったのは私のせいだが、味方がいないと気がついたことは動機になった。 支配は家族ではない、常に見張ったり報告したり脅したり気をつけさせることが愛情ではない。寂しい人…
アメシロで駄目になっていた隣の家の桜、婆さまがお骨になった後に満開になった。
103歳にならずとも - 厳密な記録、甘いものを添えて。
隣の婆さまが亡くなったことを夕方聞かされた。本当は金曜の夜に、お風呂に入ったままだったそうだ。 毎日外の様子を見るために少しだけ開けていた障子。そのままになっていたから、亡くなっているとは思わなかった。 ヒートショックか何かで、苦しまずに逝ったことを願う。気持ちの強い人だったけど、1人で苦しんで行ってほしくはなかった。 人が先に逝ってしまうたび、挨拶もなく去ってしまうことが不思議で、当たり前になっていかない。 隣の庭の桜の木はアメシロにやられて、この先は切られてしまうと思う。春にはそこの小屋に子猫が迷い込んで鳴いていたりしていた。 なんとお坊さんも具合が良くないようで、うちの3回忌も隣の爺さま…
木造、昔の本家だろうか。今年亡くなった祖父の兄弟の人が戸の外に立っていて、心地良さそうな外の光が漏れていた。奥さんも隣に立っていた。 家には祖母の叔父の人があがって、香典を頂きつつ葬儀の相談をしていた。誰のなのかはわからない。 あちらの世界に完全に行ってしまって、こっちに戻るまでこちらのことを忘れてしまっていた。こっちの生活があったことを起きてじわじわと思い出す。 あっちが心地良すぎたが、こちらのことをもう少し頑張ろうという気にもなった。私は前世の人の記憶が強すぎる。流してもらってからは今の人生になじんでいる。 今日は今日で例の如く大きな白い階段を、この間の白熊の人に見守られながら登っていた。…
右耳だけお囃子のような耳鳴り。これは面白いから治さないでおきたい。 先生の命日が過ぎて、ちょうどこの日に帰天されたのを聞いたのだった。あの時の晩もヒャラヒャラと楽しげな音がしていた。
持たざる者も持つことができて、多くを持つ者もそれらと引き換えたくなるもの... いつも損なわれた物や者によって現される。
関東沿岸を破壊してしまえば大半は停止させてしまうことができる現状。 空爆も地震も、皆で受ければ怖くないのか。 昨日の朝刊で地方創生の取り組みが、逆に国力の一都集中を加速させてしまったことが指摘されていた。 日本という土地柄、狭く高く高く積み上げるゲームには向いていない。何となく危惧し始めた会社などは、東京からやや移動し始めている。 "自分が死ぬとき皆も死んでくれたら安心"という友人の言葉を思い出す。幸も不幸も他人のなかに依存しているような、胎児の思い出で街は出来ている。
やることは無限にあるので、あぁやりたいことがないと嘆く人の、時間と心と体を奪えたらいい。そしてやりたいことが見つかったら解放してやる。 あまりに沢山のことを忘れていくので、主治医に内緒で薬を飲むのをやめた。そうしたら眠くてしょうがない。世界はいちいち刺激的です。 気が触れるくらいがちょうどいいんだろう。 酒もタバコも薬もやらずに、しらふで気が触れているほうがいい。嘘がないのは気持ちがいい。
姉を歯医者に連れて行くと、足を引きずって玄関を出てきた。階段を踏み外して捻挫したらしい。どちらにどのように捻ったか、どこまでどう痛いか、痛みの伝わり方を聞いて応急処置をした。酷使した筋肉を痛めたわけでないから、消炎を優先してロキソニンテープにした。 加えてクロスのテーピング。 おそらく骨折ではないと感じたが、念のためでまたひとつ病院通いが増えてしまうかもしれない。 一方で私も送るはずの荷物を忘れて出てきてしまい、ぽんこつが雁首揃えているようで笑ってしまった。少し疲れた誕生日。 人からものを貰ったりお金を使われると落ち込んでしまうクセが抜けず。嬉しくありがたく落ち込んでいます。
経理事務をお手伝いしていたころに少しご一緒した方が亡くなった。29歳、自分より若い方が亡くなるのは悲しいと聞いていたが、実際そうだった。 おそらくスキルス性の、ステージ4の胃がんだったそうだ。背骨に転移してからはあっという間。私も数日前に聞かされて、数日後の彼の誕生日に逝かれたらしい。 彼はどうしても死なねばならないのかとサイコロを振ってみたら、"空白""物事の始まり終わり'''神"がでたので、ああもう神のところに行くってことなのねと思っていた。それでも認めはしなかった、人間なので。 仕事上直接の関わりは少なかったけれど、休憩時間によく笑わせてもらった。 冷蔵庫の電源をもらってラップトップ作業…
今日の命がクマにやられるかやられないか、森に任せようと、傘を持って入って行った。 湖の周りだったけれど、クマかイノシシがこちらに気が付いていた。木の実の入った大きな糞が落ちていて、獣臭さが風に乗ってきていた。 アシカのような声や、キジバト、草の中を移動する音、森のなかは1人でいるとかなりの雑音だらけだった。
部屋のなかをこれで満たしたら居心地が良さそう。 昨日の龍の色を忘れないようにスケッチ。
白い大きな龍の一部、もふもふと毛が生えていてゆっくり泳いでいた。 よく見ると電気の玉のような光があって綺麗だったけれど、見たことがない雰囲気だった。 龍につれてさまざまな妖怪たちが、お稲荷さんの木がある方から流れて来ていた。手を振るとやや不思議な顔をしてこちらに振り返してくれた。 今立っている新住宅は消えていて、潰された田んぼが青々としていた。
湖は眠っている人が多いから遊泳しないであげてほしい。手を合わせたり、静かに語ったりする場所になるといいけれど。
皆が必要なことをやっているように見えて、それに負けてしまいそうになる。 それがハッタリだとわかっている。 金と名声と体裁のために手数を増やすことを、私は本当にやりたいですか。 また先生に届かぬメールを出して確認した。不思議と答えが見えてくる。何でもやりなよって言ってくれるんだろうな。
部屋の外で人が喋っている声は、いつもろくな音ではないから、どきどきとしてくる。 課題でこのような機構の作品を作った時に、嫌な音に聞こえないと批評がついた。もともと私のことが気に入らない先生だったが、部屋のしきりが厚い良い家に住んでいたか、穏やかな家庭だったかのどちらかだと思った。 そして"嫌な音"になるまでにはもっとわかりやすい激しさなどが必要なのだろう。 憎み合っているもの同士住んでいると、普通の音も嫌な音に聞こえる。嫌な者の出す音ということだから。 私にとっては嫌な者ではなく怖い者だけれど。 そう書いてみて、音の種類の方を考えるべきだったと思う。 この夜は音が終わるまで、達観したおだやかな…
--- 3月12日は私の生まれた日で、3月11日は日本の北東側で多くの人が亡くなりました。18回目の誕生日はお祝いをせず、死者の数をラジオで聞いていました。人が死に終わったというように、被災した人へ向けて、歌や物資を届けたり、何かしたいという人が大勢現れました。その状況は今まで何も省みることがなかった人が、大きな命の出来事に直面しあわてているように感じられました。普段人を蹴散らしているような人でさえ、思いやりということを模倣していましたが、相変わらず生きることと死ぬことや自分自身を省みることはなかったので、今、戦争の可能性を生むか生まざるかの問題で迷っているのでしょう。戦争が起こりうることを人…
〆切前のこのアドレナリンがいつも出ていたらいいのに...と思いつつ、次の本の準備も勢いでやってしまおう! 一方で、展示は多くの人を巻き込むので、勢いだけではできない。(自分は) 今日はなぜか夢の中で、レコードプレイヤーを買わなくちゃいけないという気持ちに支配されていた。何を再生したかったのか。 音楽を流すことを、"再生"というのは面白いなと思う。
味方のような顔をしていつもこの人は、嫌なことを言ったりしてきたりするな...と鬱屈した気持ちで、もうこの人は近くしていなくてもいいなと思っていた。 最初私を嫌いだと思っていたのは覆らなかったのかも。傷ついた女の人は、こういう無理をする。 祖母とあっちで焼き魚を食べてこっちに戻ってきた朝、何か栄養と引き換えに手放そうと思った。 嫌いなわけではないけれど、課題が全然違う人とはあまり深く関われないんだなと気が付いた。遠くから応援はさせてもらおうと思う。 自分のことを頑張って。
世の中には救えないものもいると思いたくはなかったが、支配的な性格の人間がそうなのではないかと感じた。 支配的であることは、依存的であることに内包されている。依存できない状態を解消しようとする動きとして支配がある。 毎日続くとどうにも疲れてしまって、朝吐き気がして退散した。一度は頭が壊れてしまったが、今は耐えられる神経回路になっているのを感じた。 逃げ出したいときは、部屋の天井に何度も自分を吊り下げて溜飲を下げる。 あの時私が死のうと思ったのは私のせいだが、味方がいないと気がついたことは動機になった。 支配は家族ではない、常に見張ったり報告したり脅したり気をつけさせることが愛情ではない。寂しい人…
アメシロで駄目になっていた隣の家の桜、婆さまがお骨になった後に満開になった。
103歳にならずとも - 厳密な記録、甘いものを添えて。
隣の婆さまが亡くなったことを夕方聞かされた。本当は金曜の夜に、お風呂に入ったままだったそうだ。 毎日外の様子を見るために少しだけ開けていた障子。そのままになっていたから、亡くなっているとは思わなかった。 ヒートショックか何かで、苦しまずに逝ったことを願う。気持ちの強い人だったけど、1人で苦しんで行ってほしくはなかった。 人が先に逝ってしまうたび、挨拶もなく去ってしまうことが不思議で、当たり前になっていかない。 隣の庭の桜の木はアメシロにやられて、この先は切られてしまうと思う。春にはそこの小屋に子猫が迷い込んで鳴いていたりしていた。 なんとお坊さんも具合が良くないようで、うちの3回忌も隣の爺さま…
木造、昔の本家だろうか。今年亡くなった祖父の兄弟の人が戸の外に立っていて、心地良さそうな外の光が漏れていた。奥さんも隣に立っていた。 家には祖母の叔父の人があがって、香典を頂きつつ葬儀の相談をしていた。誰のなのかはわからない。 あちらの世界に完全に行ってしまって、こっちに戻るまでこちらのことを忘れてしまっていた。こっちの生活があったことを起きてじわじわと思い出す。 あっちが心地良すぎたが、こちらのことをもう少し頑張ろうという気にもなった。私は前世の人の記憶が強すぎる。流してもらってからは今の人生になじんでいる。 今日は今日で例の如く大きな白い階段を、この間の白熊の人に見守られながら登っていた。…
右耳だけお囃子のような耳鳴り。これは面白いから治さないでおきたい。 先生の命日が過ぎて、ちょうどこの日に帰天されたのを聞いたのだった。あの時の晩もヒャラヒャラと楽しげな音がしていた。
持たざる者も持つことができて、多くを持つ者もそれらと引き換えたくなるもの... いつも損なわれた物や者によって現される。
関東沿岸を破壊してしまえば大半は停止させてしまうことができる現状。 空爆も地震も、皆で受ければ怖くないのか。 昨日の朝刊で地方創生の取り組みが、逆に国力の一都集中を加速させてしまったことが指摘されていた。 日本という土地柄、狭く高く高く積み上げるゲームには向いていない。何となく危惧し始めた会社などは、東京からやや移動し始めている。 "自分が死ぬとき皆も死んでくれたら安心"という友人の言葉を思い出す。幸も不幸も他人のなかに依存しているような、胎児の思い出で街は出来ている。
やることは無限にあるので、あぁやりたいことがないと嘆く人の、時間と心と体を奪えたらいい。そしてやりたいことが見つかったら解放してやる。 あまりに沢山のことを忘れていくので、主治医に内緒で薬を飲むのをやめた。そうしたら眠くてしょうがない。世界はいちいち刺激的です。 気が触れるくらいがちょうどいいんだろう。 酒もタバコも薬もやらずに、しらふで気が触れているほうがいい。嘘がないのは気持ちがいい。
姉を歯医者に連れて行くと、足を引きずって玄関を出てきた。階段を踏み外して捻挫したらしい。どちらにどのように捻ったか、どこまでどう痛いか、痛みの伝わり方を聞いて応急処置をした。酷使した筋肉を痛めたわけでないから、消炎を優先してロキソニンテープにした。 加えてクロスのテーピング。 おそらく骨折ではないと感じたが、念のためでまたひとつ病院通いが増えてしまうかもしれない。 一方で私も送るはずの荷物を忘れて出てきてしまい、ぽんこつが雁首揃えているようで笑ってしまった。少し疲れた誕生日。 人からものを貰ったりお金を使われると落ち込んでしまうクセが抜けず。嬉しくありがたく落ち込んでいます。
経理事務をお手伝いしていたころに少しご一緒した方が亡くなった。29歳、自分より若い方が亡くなるのは悲しいと聞いていたが、実際そうだった。 おそらくスキルス性の、ステージ4の胃がんだったそうだ。背骨に転移してからはあっという間。私も数日前に聞かされて、数日後の彼の誕生日に逝かれたらしい。 彼はどうしても死なねばならないのかとサイコロを振ってみたら、"空白""物事の始まり終わり'''神"がでたので、ああもう神のところに行くってことなのねと思っていた。それでも認めはしなかった、人間なので。 仕事上直接の関わりは少なかったけれど、休憩時間によく笑わせてもらった。 冷蔵庫の電源をもらってラップトップ作業…