今日の命がクマにやられるかやられないか、森に任せようと、傘を持って入って行った。 湖の周りだったけれど、クマかイノシシがこちらに気が付いていた。木の実の入った大きな糞が落ちていて、獣臭さが風に乗ってきていた。 アシカのような声や、キジバト、草の中を移動する音、森のなかは1人でいるとかなりの雑音だらけだった。
創作のアイデア、それに通ずる物事、雑記などを残します。 厳密な文章を心がけています。
かけだしの画家。 色々つくりたい、独学好き。
故人からの手紙を失くしてしまったという方、その故人の方がそうしてほしかったように見えて感じた。 それを持っていることで進めないでいるのがわかっていたから、失くさせた。しかも自分で失くしたら自分を責めるから、誰かにやらせたんだなと。 人を亡くすと、どこかで幸せになってはいけないという思いが残ってしまって、故人も自分も進めなくなる。 悲しみについての柳田さんらの本にもあったが、どこまでもどこまでも幸せになっていい、誰に遠慮することなく。という言葉が思い出された。
本当にいい仕事をしたい、いい仕事をしないと駄目だと思う。それしか考えていない、草を食っても良い。 描きたいものを描くのは素人の人なら良いと思った。プロは違う。画力1番で賞とか、奇抜で賞をもらって喜んでいるのでは。どうにか自分の命をふりしぼって出た、遺書になるようなものを毎回作らないと駄目だ。 でも素人のまま楽しんで、人生の余暇で生き死にしたい人を巻き込むのもまた違うと思う。快楽で作る人の邪魔はできない。何か辛いことの逃避であるかもしれないし...。 でもやっぱり痛い思いをして産むものや、損なわれたからこそ産まれたものの美しさには敵わない。 たとえば自然をそのまま作ったとしても、人が描いたものは…
何年ぶりか徹夜で海外ドラマをこなして、内臓から文句が来ている...。 ゾンビものに近い韓国のホラーで、シーズン2を見た。ゾンビ映画は社会的抑圧の解放や、とりわけ社会的弱者の視点を描く役割をしている。特に韓国のゾンビものはそれが顕著で面白い。 面白くて見てしまうが、共感が強いためにグロテスクはものすごく苦手。そして不意をついて迫る脅威のシーンが繰り返されるので、自分の不意に対して脅威が関連付けられてしまう。 こうして暗闇怖い期間が始まる。 当然悪夢をみたが、玄関に有症者を迎えてしまって、悟られないように追い返すシーンだった。怖いと思いつつ、あれこのシーンはシーズン1のものだ...と気が付いて起き…
昨日朝、姉の頻拍発作が3時間を超えて続き、心臓の薬も効かないために救急搬送された。頭に入ってみると悲しみと嘆きだけだった。 姉の靴を持って、遅れて少し遠くの病院へ向かった。病院に着いたら死んでしまってるのではないかと、帰りの救急車とすれ違った時に思って、何度か泣きながら。この時間さえ良かったと思うようになるんじゃないかと、快晴の天気に情けなくなりながら。 着いたら4時間座って待っていたので、日々座り作業のダメージと合わせて、かなり尻が痛かった。 車椅子やベッドに乗ったばっちゃじっちゃが交差して通っていって、救急は混んでいた。 つい横に点滴をつけて眠っている方が運ばれて来て、県南のケースワーカー…
雨だれがうるさくてノイズキャンセリングしないと眠れず、暖冬なのだと実感がある。これが続くと春の田んぼに水が入らず、降れば文句降らずとも文句で難しいようです。 君たちはどう生きるか、の映画を見に行きたいが、ほとんど遺書に近い大作。監督が亡くなってから見たほうがいいかもしれないと思っている。 それに私は何でも泣くだろうから、人前では見られないだろうとも思う。 自分の物語を生きている人は、物語を読みたがらないという言葉をどこかで見たが、そのようでもある。 それでも否応なしに、または何気なく見たり聞いたりする言葉や音や絵があって、そういったことに必然性を感じてしまう。 同時にこの必然性の感じ方を利用し…
病気の人の世話を、何年も何年もやっている人の御苦労を想う日々。こちらが尽くすことが当たり前で、文句を言われようがどこかで自浄するしか手はないので、これをずっと続けている人は並の心持ちではないと思う。 1日のひとつひとつをやりきって、1日の終わりに自浄する。1日の終わりかた、1日1日の死にかたが上手いのだと思う。 毎日、朝起きて生き始め、役割を終えて夜には死ぬ。夜に安らかな死が待っているとしたら、日中は遺書を描くように頑張れるだろう。 言葉にしてみても、美しい生き方に思う。
新年は風邪にかかって夢を全く見なかったが、今朝は示唆的だった。 不登校の際お世話になった附属校の学年主任の先生と、恩師の2人が私の左右に並び、資料を見せてくれた。 表紙に「虐待を受けた子どもたちの...(ここから先は読めない)...」と書かれていて、これをやってほしいとのことだった。ワークショップか何かか?と発想した。 生前は子ども達に美術を教えることに熱心だった先生らしい話だと思う。 学年主任だった先生も無くなったんだろうか。 今まで親孝行したことがなかったから、親のために絵を描きたいと仰っていたのを覚えている。
「ブログリーダー」を活用して、Qinnさんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。
今日の命がクマにやられるかやられないか、森に任せようと、傘を持って入って行った。 湖の周りだったけれど、クマかイノシシがこちらに気が付いていた。木の実の入った大きな糞が落ちていて、獣臭さが風に乗ってきていた。 アシカのような声や、キジバト、草の中を移動する音、森のなかは1人でいるとかなりの雑音だらけだった。
部屋のなかをこれで満たしたら居心地が良さそう。 昨日の龍の色を忘れないようにスケッチ。
白い大きな龍の一部、もふもふと毛が生えていてゆっくり泳いでいた。 よく見ると電気の玉のような光があって綺麗だったけれど、見たことがない雰囲気だった。 龍につれてさまざまな妖怪たちが、お稲荷さんの木がある方から流れて来ていた。手を振るとやや不思議な顔をしてこちらに振り返してくれた。 今立っている新住宅は消えていて、潰された田んぼが青々としていた。
湖は眠っている人が多いから遊泳しないであげてほしい。手を合わせたり、静かに語ったりする場所になるといいけれど。
皆が必要なことをやっているように見えて、それに負けてしまいそうになる。 それがハッタリだとわかっている。 金と名声と体裁のために手数を増やすことを、私は本当にやりたいですか。 また先生に届かぬメールを出して確認した。不思議と答えが見えてくる。何でもやりなよって言ってくれるんだろうな。
部屋の外で人が喋っている声は、いつもろくな音ではないから、どきどきとしてくる。 課題でこのような機構の作品を作った時に、嫌な音に聞こえないと批評がついた。もともと私のことが気に入らない先生だったが、部屋のしきりが厚い良い家に住んでいたか、穏やかな家庭だったかのどちらかだと思った。 そして"嫌な音"になるまでにはもっとわかりやすい激しさなどが必要なのだろう。 憎み合っているもの同士住んでいると、普通の音も嫌な音に聞こえる。嫌な者の出す音ということだから。 私にとっては嫌な者ではなく怖い者だけれど。 そう書いてみて、音の種類の方を考えるべきだったと思う。 この夜は音が終わるまで、達観したおだやかな…
--- 3月12日は私の生まれた日で、3月11日は日本の北東側で多くの人が亡くなりました。18回目の誕生日はお祝いをせず、死者の数をラジオで聞いていました。人が死に終わったというように、被災した人へ向けて、歌や物資を届けたり、何かしたいという人が大勢現れました。その状況は今まで何も省みることがなかった人が、大きな命の出来事に直面しあわてているように感じられました。普段人を蹴散らしているような人でさえ、思いやりということを模倣していましたが、相変わらず生きることと死ぬことや自分自身を省みることはなかったので、今、戦争の可能性を生むか生まざるかの問題で迷っているのでしょう。戦争が起こりうることを人…
〆切前のこのアドレナリンがいつも出ていたらいいのに...と思いつつ、次の本の準備も勢いでやってしまおう! 一方で、展示は多くの人を巻き込むので、勢いだけではできない。(自分は) 今日はなぜか夢の中で、レコードプレイヤーを買わなくちゃいけないという気持ちに支配されていた。何を再生したかったのか。 音楽を流すことを、"再生"というのは面白いなと思う。
味方のような顔をしていつもこの人は、嫌なことを言ったりしてきたりするな...と鬱屈した気持ちで、もうこの人は近くしていなくてもいいなと思っていた。 最初私を嫌いだと思っていたのは覆らなかったのかも。傷ついた女の人は、こういう無理をする。 祖母とあっちで焼き魚を食べてこっちに戻ってきた朝、何か栄養と引き換えに手放そうと思った。 嫌いなわけではないけれど、課題が全然違う人とはあまり深く関われないんだなと気が付いた。遠くから応援はさせてもらおうと思う。 自分のことを頑張って。
世の中には救えないものもいると思いたくはなかったが、支配的な性格の人間がそうなのではないかと感じた。 支配的であることは、依存的であることに内包されている。依存できない状態を解消しようとする動きとして支配がある。 毎日続くとどうにも疲れてしまって、朝吐き気がして退散した。一度は頭が壊れてしまったが、今は耐えられる神経回路になっているのを感じた。 逃げ出したいときは、部屋の天井に何度も自分を吊り下げて溜飲を下げる。 あの時私が死のうと思ったのは私のせいだが、味方がいないと気がついたことは動機になった。 支配は家族ではない、常に見張ったり報告したり脅したり気をつけさせることが愛情ではない。寂しい人…
アメシロで駄目になっていた隣の家の桜、婆さまがお骨になった後に満開になった。
103歳にならずとも - 厳密な記録、甘いものを添えて。
隣の婆さまが亡くなったことを夕方聞かされた。本当は金曜の夜に、お風呂に入ったままだったそうだ。 毎日外の様子を見るために少しだけ開けていた障子。そのままになっていたから、亡くなっているとは思わなかった。 ヒートショックか何かで、苦しまずに逝ったことを願う。気持ちの強い人だったけど、1人で苦しんで行ってほしくはなかった。 人が先に逝ってしまうたび、挨拶もなく去ってしまうことが不思議で、当たり前になっていかない。 隣の庭の桜の木はアメシロにやられて、この先は切られてしまうと思う。春にはそこの小屋に子猫が迷い込んで鳴いていたりしていた。 なんとお坊さんも具合が良くないようで、うちの3回忌も隣の爺さま…
木造、昔の本家だろうか。今年亡くなった祖父の兄弟の人が戸の外に立っていて、心地良さそうな外の光が漏れていた。奥さんも隣に立っていた。 家には祖母の叔父の人があがって、香典を頂きつつ葬儀の相談をしていた。誰のなのかはわからない。 あちらの世界に完全に行ってしまって、こっちに戻るまでこちらのことを忘れてしまっていた。こっちの生活があったことを起きてじわじわと思い出す。 あっちが心地良すぎたが、こちらのことをもう少し頑張ろうという気にもなった。私は前世の人の記憶が強すぎる。流してもらってからは今の人生になじんでいる。 今日は今日で例の如く大きな白い階段を、この間の白熊の人に見守られながら登っていた。…
右耳だけお囃子のような耳鳴り。これは面白いから治さないでおきたい。 先生の命日が過ぎて、ちょうどこの日に帰天されたのを聞いたのだった。あの時の晩もヒャラヒャラと楽しげな音がしていた。
持たざる者も持つことができて、多くを持つ者もそれらと引き換えたくなるもの... いつも損なわれた物や者によって現される。
関東沿岸を破壊してしまえば大半は停止させてしまうことができる現状。 空爆も地震も、皆で受ければ怖くないのか。 昨日の朝刊で地方創生の取り組みが、逆に国力の一都集中を加速させてしまったことが指摘されていた。 日本という土地柄、狭く高く高く積み上げるゲームには向いていない。何となく危惧し始めた会社などは、東京からやや移動し始めている。 "自分が死ぬとき皆も死んでくれたら安心"という友人の言葉を思い出す。幸も不幸も他人のなかに依存しているような、胎児の思い出で街は出来ている。
やることは無限にあるので、あぁやりたいことがないと嘆く人の、時間と心と体を奪えたらいい。そしてやりたいことが見つかったら解放してやる。 あまりに沢山のことを忘れていくので、主治医に内緒で薬を飲むのをやめた。そうしたら眠くてしょうがない。世界はいちいち刺激的です。 気が触れるくらいがちょうどいいんだろう。 酒もタバコも薬もやらずに、しらふで気が触れているほうがいい。嘘がないのは気持ちがいい。
姉を歯医者に連れて行くと、足を引きずって玄関を出てきた。階段を踏み外して捻挫したらしい。どちらにどのように捻ったか、どこまでどう痛いか、痛みの伝わり方を聞いて応急処置をした。酷使した筋肉を痛めたわけでないから、消炎を優先してロキソニンテープにした。 加えてクロスのテーピング。 おそらく骨折ではないと感じたが、念のためでまたひとつ病院通いが増えてしまうかもしれない。 一方で私も送るはずの荷物を忘れて出てきてしまい、ぽんこつが雁首揃えているようで笑ってしまった。少し疲れた誕生日。 人からものを貰ったりお金を使われると落ち込んでしまうクセが抜けず。嬉しくありがたく落ち込んでいます。
経理事務をお手伝いしていたころに少しご一緒した方が亡くなった。29歳、自分より若い方が亡くなるのは悲しいと聞いていたが、実際そうだった。 おそらくスキルス性の、ステージ4の胃がんだったそうだ。背骨に転移してからはあっという間。私も数日前に聞かされて、数日後の彼の誕生日に逝かれたらしい。 彼はどうしても死なねばならないのかとサイコロを振ってみたら、"空白""物事の始まり終わり'''神"がでたので、ああもう神のところに行くってことなのねと思っていた。それでも認めはしなかった、人間なので。 仕事上直接の関わりは少なかったけれど、休憩時間によく笑わせてもらった。 冷蔵庫の電源をもらってラップトップ作業…
今日の命がクマにやられるかやられないか、森に任せようと、傘を持って入って行った。 湖の周りだったけれど、クマかイノシシがこちらに気が付いていた。木の実の入った大きな糞が落ちていて、獣臭さが風に乗ってきていた。 アシカのような声や、キジバト、草の中を移動する音、森のなかは1人でいるとかなりの雑音だらけだった。
部屋のなかをこれで満たしたら居心地が良さそう。 昨日の龍の色を忘れないようにスケッチ。
白い大きな龍の一部、もふもふと毛が生えていてゆっくり泳いでいた。 よく見ると電気の玉のような光があって綺麗だったけれど、見たことがない雰囲気だった。 龍につれてさまざまな妖怪たちが、お稲荷さんの木がある方から流れて来ていた。手を振るとやや不思議な顔をしてこちらに振り返してくれた。 今立っている新住宅は消えていて、潰された田んぼが青々としていた。
湖は眠っている人が多いから遊泳しないであげてほしい。手を合わせたり、静かに語ったりする場所になるといいけれど。
皆が必要なことをやっているように見えて、それに負けてしまいそうになる。 それがハッタリだとわかっている。 金と名声と体裁のために手数を増やすことを、私は本当にやりたいですか。 また先生に届かぬメールを出して確認した。不思議と答えが見えてくる。何でもやりなよって言ってくれるんだろうな。
部屋の外で人が喋っている声は、いつもろくな音ではないから、どきどきとしてくる。 課題でこのような機構の作品を作った時に、嫌な音に聞こえないと批評がついた。もともと私のことが気に入らない先生だったが、部屋のしきりが厚い良い家に住んでいたか、穏やかな家庭だったかのどちらかだと思った。 そして"嫌な音"になるまでにはもっとわかりやすい激しさなどが必要なのだろう。 憎み合っているもの同士住んでいると、普通の音も嫌な音に聞こえる。嫌な者の出す音ということだから。 私にとっては嫌な者ではなく怖い者だけれど。 そう書いてみて、音の種類の方を考えるべきだったと思う。 この夜は音が終わるまで、達観したおだやかな…
--- 3月12日は私の生まれた日で、3月11日は日本の北東側で多くの人が亡くなりました。18回目の誕生日はお祝いをせず、死者の数をラジオで聞いていました。人が死に終わったというように、被災した人へ向けて、歌や物資を届けたり、何かしたいという人が大勢現れました。その状況は今まで何も省みることがなかった人が、大きな命の出来事に直面しあわてているように感じられました。普段人を蹴散らしているような人でさえ、思いやりということを模倣していましたが、相変わらず生きることと死ぬことや自分自身を省みることはなかったので、今、戦争の可能性を生むか生まざるかの問題で迷っているのでしょう。戦争が起こりうることを人…
〆切前のこのアドレナリンがいつも出ていたらいいのに...と思いつつ、次の本の準備も勢いでやってしまおう! 一方で、展示は多くの人を巻き込むので、勢いだけではできない。(自分は) 今日はなぜか夢の中で、レコードプレイヤーを買わなくちゃいけないという気持ちに支配されていた。何を再生したかったのか。 音楽を流すことを、"再生"というのは面白いなと思う。
味方のような顔をしていつもこの人は、嫌なことを言ったりしてきたりするな...と鬱屈した気持ちで、もうこの人は近くしていなくてもいいなと思っていた。 最初私を嫌いだと思っていたのは覆らなかったのかも。傷ついた女の人は、こういう無理をする。 祖母とあっちで焼き魚を食べてこっちに戻ってきた朝、何か栄養と引き換えに手放そうと思った。 嫌いなわけではないけれど、課題が全然違う人とはあまり深く関われないんだなと気が付いた。遠くから応援はさせてもらおうと思う。 自分のことを頑張って。
世の中には救えないものもいると思いたくはなかったが、支配的な性格の人間がそうなのではないかと感じた。 支配的であることは、依存的であることに内包されている。依存できない状態を解消しようとする動きとして支配がある。 毎日続くとどうにも疲れてしまって、朝吐き気がして退散した。一度は頭が壊れてしまったが、今は耐えられる神経回路になっているのを感じた。 逃げ出したいときは、部屋の天井に何度も自分を吊り下げて溜飲を下げる。 あの時私が死のうと思ったのは私のせいだが、味方がいないと気がついたことは動機になった。 支配は家族ではない、常に見張ったり報告したり脅したり気をつけさせることが愛情ではない。寂しい人…
アメシロで駄目になっていた隣の家の桜、婆さまがお骨になった後に満開になった。
103歳にならずとも - 厳密な記録、甘いものを添えて。
隣の婆さまが亡くなったことを夕方聞かされた。本当は金曜の夜に、お風呂に入ったままだったそうだ。 毎日外の様子を見るために少しだけ開けていた障子。そのままになっていたから、亡くなっているとは思わなかった。 ヒートショックか何かで、苦しまずに逝ったことを願う。気持ちの強い人だったけど、1人で苦しんで行ってほしくはなかった。 人が先に逝ってしまうたび、挨拶もなく去ってしまうことが不思議で、当たり前になっていかない。 隣の庭の桜の木はアメシロにやられて、この先は切られてしまうと思う。春にはそこの小屋に子猫が迷い込んで鳴いていたりしていた。 なんとお坊さんも具合が良くないようで、うちの3回忌も隣の爺さま…
木造、昔の本家だろうか。今年亡くなった祖父の兄弟の人が戸の外に立っていて、心地良さそうな外の光が漏れていた。奥さんも隣に立っていた。 家には祖母の叔父の人があがって、香典を頂きつつ葬儀の相談をしていた。誰のなのかはわからない。 あちらの世界に完全に行ってしまって、こっちに戻るまでこちらのことを忘れてしまっていた。こっちの生活があったことを起きてじわじわと思い出す。 あっちが心地良すぎたが、こちらのことをもう少し頑張ろうという気にもなった。私は前世の人の記憶が強すぎる。流してもらってからは今の人生になじんでいる。 今日は今日で例の如く大きな白い階段を、この間の白熊の人に見守られながら登っていた。…
右耳だけお囃子のような耳鳴り。これは面白いから治さないでおきたい。 先生の命日が過ぎて、ちょうどこの日に帰天されたのを聞いたのだった。あの時の晩もヒャラヒャラと楽しげな音がしていた。
持たざる者も持つことができて、多くを持つ者もそれらと引き換えたくなるもの... いつも損なわれた物や者によって現される。
関東沿岸を破壊してしまえば大半は停止させてしまうことができる現状。 空爆も地震も、皆で受ければ怖くないのか。 昨日の朝刊で地方創生の取り組みが、逆に国力の一都集中を加速させてしまったことが指摘されていた。 日本という土地柄、狭く高く高く積み上げるゲームには向いていない。何となく危惧し始めた会社などは、東京からやや移動し始めている。 "自分が死ぬとき皆も死んでくれたら安心"という友人の言葉を思い出す。幸も不幸も他人のなかに依存しているような、胎児の思い出で街は出来ている。
やることは無限にあるので、あぁやりたいことがないと嘆く人の、時間と心と体を奪えたらいい。そしてやりたいことが見つかったら解放してやる。 あまりに沢山のことを忘れていくので、主治医に内緒で薬を飲むのをやめた。そうしたら眠くてしょうがない。世界はいちいち刺激的です。 気が触れるくらいがちょうどいいんだろう。 酒もタバコも薬もやらずに、しらふで気が触れているほうがいい。嘘がないのは気持ちがいい。
姉を歯医者に連れて行くと、足を引きずって玄関を出てきた。階段を踏み外して捻挫したらしい。どちらにどのように捻ったか、どこまでどう痛いか、痛みの伝わり方を聞いて応急処置をした。酷使した筋肉を痛めたわけでないから、消炎を優先してロキソニンテープにした。 加えてクロスのテーピング。 おそらく骨折ではないと感じたが、念のためでまたひとつ病院通いが増えてしまうかもしれない。 一方で私も送るはずの荷物を忘れて出てきてしまい、ぽんこつが雁首揃えているようで笑ってしまった。少し疲れた誕生日。 人からものを貰ったりお金を使われると落ち込んでしまうクセが抜けず。嬉しくありがたく落ち込んでいます。
経理事務をお手伝いしていたころに少しご一緒した方が亡くなった。29歳、自分より若い方が亡くなるのは悲しいと聞いていたが、実際そうだった。 おそらくスキルス性の、ステージ4の胃がんだったそうだ。背骨に転移してからはあっという間。私も数日前に聞かされて、数日後の彼の誕生日に逝かれたらしい。 彼はどうしても死なねばならないのかとサイコロを振ってみたら、"空白""物事の始まり終わり'''神"がでたので、ああもう神のところに行くってことなのねと思っていた。それでも認めはしなかった、人間なので。 仕事上直接の関わりは少なかったけれど、休憩時間によく笑わせてもらった。 冷蔵庫の電源をもらってラップトップ作業…