アメシロで駄目になっていた隣の家の桜、婆さまがお骨になった後に満開になった。
創作のアイデア、それに通ずる物事、雑記などを残します。 厳密な文章を心がけています。
かけだしの画家。 色々つくりたい、独学好き。
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アメシロで駄目になっていた隣の家の桜、婆さまがお骨になった後に満開になった。
103歳にならずとも - 厳密な記録、甘いものを添えて。
隣の婆さまが亡くなったことを夕方聞かされた。本当は金曜の夜に、お風呂に入ったままだったそうだ。 毎日外の様子を見るために少しだけ開けていた障子。そのままになっていたから、亡くなっているとは思わなかった。 ヒートショックか何かで、苦しまずに逝ったことを願う。気持ちの強い人だったけど、1人で苦しんで行ってほしくはなかった。 人が先に逝ってしまうたび、挨拶もなく去ってしまうことが不思議で、当たり前になっていかない。 隣の庭の桜の木はアメシロにやられて、この先は切られてしまうと思う。春にはそこの小屋に子猫が迷い込んで鳴いていたりしていた。 なんとお坊さんも具合が良くないようで、うちの3回忌も隣の爺さま…
木造、昔の本家だろうか。今年亡くなった祖父の兄弟の人が戸の外に立っていて、心地良さそうな外の光が漏れていた。奥さんも隣に立っていた。 家には祖母の叔父の人があがって、香典を頂きつつ葬儀の相談をしていた。誰のなのかはわからない。 あちらの世界に完全に行ってしまって、こっちに戻るまでこちらのことを忘れてしまっていた。こっちの生活があったことを起きてじわじわと思い出す。 あっちが心地良すぎたが、こちらのことをもう少し頑張ろうという気にもなった。私は前世の人の記憶が強すぎる。流してもらってからは今の人生になじんでいる。 今日は今日で例の如く大きな白い階段を、この間の白熊の人に見守られながら登っていた。…
右耳だけお囃子のような耳鳴り。これは面白いから治さないでおきたい。 先生の命日が過ぎて、ちょうどこの日に帰天されたのを聞いたのだった。あの時の晩もヒャラヒャラと楽しげな音がしていた。
持たざる者も持つことができて、多くを持つ者もそれらと引き換えたくなるもの... いつも損なわれた物や者によって現される。
関東沿岸を破壊してしまえば大半は停止させてしまうことができる現状。 空爆も地震も、皆で受ければ怖くないのか。 昨日の朝刊で地方創生の取り組みが、逆に国力の一都集中を加速させてしまったことが指摘されていた。 日本という土地柄、狭く高く高く積み上げるゲームには向いていない。何となく危惧し始めた会社などは、東京からやや移動し始めている。 "自分が死ぬとき皆も死んでくれたら安心"という友人の言葉を思い出す。幸も不幸も他人のなかに依存しているような、胎児の思い出で街は出来ている。
やることは無限にあるので、あぁやりたいことがないと嘆く人の、時間と心と体を奪えたらいい。そしてやりたいことが見つかったら解放してやる。 あまりに沢山のことを忘れていくので、主治医に内緒で薬を飲むのをやめた。そうしたら眠くてしょうがない。世界はいちいち刺激的です。 気が触れるくらいがちょうどいいんだろう。 酒もタバコも薬もやらずに、しらふで気が触れているほうがいい。嘘がないのは気持ちがいい。
姉を歯医者に連れて行くと、足を引きずって玄関を出てきた。階段を踏み外して捻挫したらしい。どちらにどのように捻ったか、どこまでどう痛いか、痛みの伝わり方を聞いて応急処置をした。酷使した筋肉を痛めたわけでないから、消炎を優先してロキソニンテープにした。 加えてクロスのテーピング。 おそらく骨折ではないと感じたが、念のためでまたひとつ病院通いが増えてしまうかもしれない。 一方で私も送るはずの荷物を忘れて出てきてしまい、ぽんこつが雁首揃えているようで笑ってしまった。少し疲れた誕生日。 人からものを貰ったりお金を使われると落ち込んでしまうクセが抜けず。嬉しくありがたく落ち込んでいます。
経理事務をお手伝いしていたころに少しご一緒した方が亡くなった。29歳、自分より若い方が亡くなるのは悲しいと聞いていたが、実際そうだった。 おそらくスキルス性の、ステージ4の胃がんだったそうだ。背骨に転移してからはあっという間。私も数日前に聞かされて、数日後の彼の誕生日に逝かれたらしい。 彼はどうしても死なねばならないのかとサイコロを振ってみたら、"空白""物事の始まり終わり'''神"がでたので、ああもう神のところに行くってことなのねと思っていた。それでも認めはしなかった、人間なので。 仕事上直接の関わりは少なかったけれど、休憩時間によく笑わせてもらった。 冷蔵庫の電源をもらってラップトップ作業…
知らない人が踊っているのを見ても一次的な感動を感じなかったが、知っている人が改めて踊っているのを見ると違った。 生活での動きにはない速さの踊りと、生活の動きを心からあらわす踊り、前者には若さを感じるばかりだと思っていたけど、決まりきった動きのなかにも心を感じた。私が老いたからかな。 むしろ暗黒舞踏のような踊りには、"わざわざ"のような若さを逆に感じてしまう。 アメリカからきた踊りのことはもっとよくわからないけれど...。 自分の地域にある音頭のリズムに感動しがちな気はしている。
猫を家に迎えてから6年半、人さまの家の猫や画像の猫に反応することが増え、とうとう猫の一部が映像にでできた程度で反応してしまうようになった。 猫足バスタブの脚の部分が本物の猫の足を模していて、自分がにこにこしていることに気がついた... 私が自殺をした年に迎えた猫をアパートに残して来たのが心残りで、忍び込んで再び迎えに行った。ほとんど自分の子だと思っていたし、置いていくなど本当に考えられなかったけれど、この時のことは謝りようがない。 迎えに行った時は部屋の中でひとり、つちのこみたいに大きくなっていた。 朝7時に出て酷いと次の日の朝まで出社している人のもとで置き餌を食べ、足りない時は髪の毛を食べて…
昔から心の片隅にいた、先に幸せになってはいけないという感情が沸々としている。 呼吸を習って全て削いでいった気になっていても、家族の影武者のような感覚はなくならない。消えたり現れたりするんだろう。 私は自我が強いのに自分というものを持たなかったから、自分の損得を願って動ける人は、どういう感覚のクオリアをもつのか想像できない。 昔は影武者になっていれば充足感があった。補完されなければ不完全であるというような、貶しの中での思い込み。 この人を置いて行ったら、この人はどこまでも堕ちて行ってしまうんじゃないかという思いがあります。堕ちて寂しい思いをしているのを思うと堪えられない。 そう思うこと自体が惨め…
何時間も同じ姿勢で負荷がかかっていたのか、小さなことで爆笑してしまうせいなのか、異音がして肋骨を痛めた。 手を挙げると痛い、息を吐くと痛い、鼻をかむと痛い、もちろん笑うと痛い。 側から見たら面白いだろうな...。
「勝てば勝ちで勝てばいい過程はいい」凄い韻。 県内5月の気温になり、2月から春が感じられるのはお得だなと話していた。 1畳ほどの温かい子綺麗な小屋で休んでいたら、隣家のばっちゃがケーキを持ってやってきた。(現実ではいつも山菜か漬物や赤飯を持ってきてくれる) シャインマスカットが乗ったショートケーキが3つ入っていた。 ここまで歩いてきたんでしょと休んでいくように言って、座ってもらった瞬間に祖母の姿になっていた。ただ一緒に座っているだけだったが、懐かしく温かく、手で触れる距離の幸せを感じる夢だった。 都会の人で赤飯に特別何か意味があると思っている人がいたが、少なくとも我々はただ「赤飯美味いよね」と…
姉が珍しく折り紙をしていて、えらく硬質な入れ物を作っていた。 「何折り?」と聞くと「ラビオリ」と答えた。 一瞬考えそうになったせいで可笑しくなって、何だかつぼにはまって笑いが止まらなかった。 ラビおりの対荷重。
脳の興奮を抑える薬を飲んでいるせいか、短期的な記憶がどんどん弱くなっていく。 家族の下着を干していて、どれが自分のものなのかわからくなったり、非常に小さなことも。 今日はトイレに行こうとしたことも忘れてしまって、下の階にいって姉に聞いて思い出した。つまりお腹が痛かったことを忘れていた。 ↑と思っていたが、本当は電気をつけようと思っていたことを忘れていた。 色々なことを忘れるけど、何で嫌な思いをしたのかも忘れてしまったり、それで人を恨むことがないのは良いと思う。そう考えるとその部分ではもともと忘れっぽいのかもしれないが。 長期的な記憶も消えてしまってるんじゃないかと心配になって、そのたびに、小さ…
お偉いさんが口にした、綺麗事を言うことが作家じゃないという言葉が頭に残っていて。 絵空の綺麗事だったら私も嫌いだが、人が経験を通して獲得した物の見方はそのように片付かないと思う。それがあんたにとって特別綺麗に聞こえるなら仕方がないと言うしかない。 その人が本当に獲得した言葉を持っているかどうかもわからない程度なら、作家なんてやらなくていいじゃないか。 その人の言葉を聞こうとしたためしもなく、どんな人生でもって何をやろうとしてるか、どんな人に出会ったか、何に絶望しているか、何を無視して生きているか、余すことなく食らいつけないなら作家をやる意味がない。 こう言う以外ない。
家に白鷺が降りた。 君たち(特にお前)はどう生きるかってことかと思ったが、なんとなくばっちゃと思った。 いつも鷺が降りるのはもう少し行った先の川だから、何か伝えにきたんだろう。3回忌でそろそろ上に行くのか。 母が近づくと、ひと鳴きして飛んで行った。 朝から懐かしい感じがして、物凄く眠くて、今日は早く寝た方が良いみたい。先月から頭から出て行ってくれない人がいて、この人にこの先会うことがあるんだろうとぼんやり感じていた。 まるで忘れないでと言わんばかり。心配せずとも大丈夫だよと毎日思ってあげることにする。 全く雪が降れないまま春が来そうで、心の準備ができないままに明けようとしている何かにそわそわ。
珍しくラジオを聴きながらネタ書き。 私の好きなものや好きなこと、友人を真っ向から貶める催しの何千回目が始まりそうだったので逃げた。 何か具合が悪くなりそうになると人を支配したがる悪癖は、人格というより発作だと思うから、耳に入れないことにした。 好きなものは誰にも見つからず大事に育てることもできる。
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アメシロで駄目になっていた隣の家の桜、婆さまがお骨になった後に満開になった。
103歳にならずとも - 厳密な記録、甘いものを添えて。
隣の婆さまが亡くなったことを夕方聞かされた。本当は金曜の夜に、お風呂に入ったままだったそうだ。 毎日外の様子を見るために少しだけ開けていた障子。そのままになっていたから、亡くなっているとは思わなかった。 ヒートショックか何かで、苦しまずに逝ったことを願う。気持ちの強い人だったけど、1人で苦しんで行ってほしくはなかった。 人が先に逝ってしまうたび、挨拶もなく去ってしまうことが不思議で、当たり前になっていかない。 隣の庭の桜の木はアメシロにやられて、この先は切られてしまうと思う。春にはそこの小屋に子猫が迷い込んで鳴いていたりしていた。 なんとお坊さんも具合が良くないようで、うちの3回忌も隣の爺さま…
木造、昔の本家だろうか。今年亡くなった祖父の兄弟の人が戸の外に立っていて、心地良さそうな外の光が漏れていた。奥さんも隣に立っていた。 家には祖母の叔父の人があがって、香典を頂きつつ葬儀の相談をしていた。誰のなのかはわからない。 あちらの世界に完全に行ってしまって、こっちに戻るまでこちらのことを忘れてしまっていた。こっちの生活があったことを起きてじわじわと思い出す。 あっちが心地良すぎたが、こちらのことをもう少し頑張ろうという気にもなった。私は前世の人の記憶が強すぎる。流してもらってからは今の人生になじんでいる。 今日は今日で例の如く大きな白い階段を、この間の白熊の人に見守られながら登っていた。…
右耳だけお囃子のような耳鳴り。これは面白いから治さないでおきたい。 先生の命日が過ぎて、ちょうどこの日に帰天されたのを聞いたのだった。あの時の晩もヒャラヒャラと楽しげな音がしていた。
持たざる者も持つことができて、多くを持つ者もそれらと引き換えたくなるもの... いつも損なわれた物や者によって現される。
関東沿岸を破壊してしまえば大半は停止させてしまうことができる現状。 空爆も地震も、皆で受ければ怖くないのか。 昨日の朝刊で地方創生の取り組みが、逆に国力の一都集中を加速させてしまったことが指摘されていた。 日本という土地柄、狭く高く高く積み上げるゲームには向いていない。何となく危惧し始めた会社などは、東京からやや移動し始めている。 "自分が死ぬとき皆も死んでくれたら安心"という友人の言葉を思い出す。幸も不幸も他人のなかに依存しているような、胎児の思い出で街は出来ている。
やることは無限にあるので、あぁやりたいことがないと嘆く人の、時間と心と体を奪えたらいい。そしてやりたいことが見つかったら解放してやる。 あまりに沢山のことを忘れていくので、主治医に内緒で薬を飲むのをやめた。そうしたら眠くてしょうがない。世界はいちいち刺激的です。 気が触れるくらいがちょうどいいんだろう。 酒もタバコも薬もやらずに、しらふで気が触れているほうがいい。嘘がないのは気持ちがいい。
姉を歯医者に連れて行くと、足を引きずって玄関を出てきた。階段を踏み外して捻挫したらしい。どちらにどのように捻ったか、どこまでどう痛いか、痛みの伝わり方を聞いて応急処置をした。酷使した筋肉を痛めたわけでないから、消炎を優先してロキソニンテープにした。 加えてクロスのテーピング。 おそらく骨折ではないと感じたが、念のためでまたひとつ病院通いが増えてしまうかもしれない。 一方で私も送るはずの荷物を忘れて出てきてしまい、ぽんこつが雁首揃えているようで笑ってしまった。少し疲れた誕生日。 人からものを貰ったりお金を使われると落ち込んでしまうクセが抜けず。嬉しくありがたく落ち込んでいます。
経理事務をお手伝いしていたころに少しご一緒した方が亡くなった。29歳、自分より若い方が亡くなるのは悲しいと聞いていたが、実際そうだった。 おそらくスキルス性の、ステージ4の胃がんだったそうだ。背骨に転移してからはあっという間。私も数日前に聞かされて、数日後の彼の誕生日に逝かれたらしい。 彼はどうしても死なねばならないのかとサイコロを振ってみたら、"空白""物事の始まり終わり'''神"がでたので、ああもう神のところに行くってことなのねと思っていた。それでも認めはしなかった、人間なので。 仕事上直接の関わりは少なかったけれど、休憩時間によく笑わせてもらった。 冷蔵庫の電源をもらってラップトップ作業…
知らない人が踊っているのを見ても一次的な感動を感じなかったが、知っている人が改めて踊っているのを見ると違った。 生活での動きにはない速さの踊りと、生活の動きを心からあらわす踊り、前者には若さを感じるばかりだと思っていたけど、決まりきった動きのなかにも心を感じた。私が老いたからかな。 むしろ暗黒舞踏のような踊りには、"わざわざ"のような若さを逆に感じてしまう。 アメリカからきた踊りのことはもっとよくわからないけれど...。 自分の地域にある音頭のリズムに感動しがちな気はしている。
猫を家に迎えてから6年半、人さまの家の猫や画像の猫に反応することが増え、とうとう猫の一部が映像にでできた程度で反応してしまうようになった。 猫足バスタブの脚の部分が本物の猫の足を模していて、自分がにこにこしていることに気がついた... 私が自殺をした年に迎えた猫をアパートに残して来たのが心残りで、忍び込んで再び迎えに行った。ほとんど自分の子だと思っていたし、置いていくなど本当に考えられなかったけれど、この時のことは謝りようがない。 迎えに行った時は部屋の中でひとり、つちのこみたいに大きくなっていた。 朝7時に出て酷いと次の日の朝まで出社している人のもとで置き餌を食べ、足りない時は髪の毛を食べて…
昔から心の片隅にいた、先に幸せになってはいけないという感情が沸々としている。 呼吸を習って全て削いでいった気になっていても、家族の影武者のような感覚はなくならない。消えたり現れたりするんだろう。 私は自我が強いのに自分というものを持たなかったから、自分の損得を願って動ける人は、どういう感覚のクオリアをもつのか想像できない。 昔は影武者になっていれば充足感があった。補完されなければ不完全であるというような、貶しの中での思い込み。 この人を置いて行ったら、この人はどこまでも堕ちて行ってしまうんじゃないかという思いがあります。堕ちて寂しい思いをしているのを思うと堪えられない。 そう思うこと自体が惨め…
何時間も同じ姿勢で負荷がかかっていたのか、小さなことで爆笑してしまうせいなのか、異音がして肋骨を痛めた。 手を挙げると痛い、息を吐くと痛い、鼻をかむと痛い、もちろん笑うと痛い。 側から見たら面白いだろうな...。
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姉が珍しく折り紙をしていて、えらく硬質な入れ物を作っていた。 「何折り?」と聞くと「ラビオリ」と答えた。 一瞬考えそうになったせいで可笑しくなって、何だかつぼにはまって笑いが止まらなかった。 ラビおりの対荷重。
脳の興奮を抑える薬を飲んでいるせいか、短期的な記憶がどんどん弱くなっていく。 家族の下着を干していて、どれが自分のものなのかわからくなったり、非常に小さなことも。 今日はトイレに行こうとしたことも忘れてしまって、下の階にいって姉に聞いて思い出した。つまりお腹が痛かったことを忘れていた。 ↑と思っていたが、本当は電気をつけようと思っていたことを忘れていた。 色々なことを忘れるけど、何で嫌な思いをしたのかも忘れてしまったり、それで人を恨むことがないのは良いと思う。そう考えるとその部分ではもともと忘れっぽいのかもしれないが。 長期的な記憶も消えてしまってるんじゃないかと心配になって、そのたびに、小さ…
お偉いさんが口にした、綺麗事を言うことが作家じゃないという言葉が頭に残っていて。 絵空の綺麗事だったら私も嫌いだが、人が経験を通して獲得した物の見方はそのように片付かないと思う。それがあんたにとって特別綺麗に聞こえるなら仕方がないと言うしかない。 その人が本当に獲得した言葉を持っているかどうかもわからない程度なら、作家なんてやらなくていいじゃないか。 その人の言葉を聞こうとしたためしもなく、どんな人生でもって何をやろうとしてるか、どんな人に出会ったか、何に絶望しているか、何を無視して生きているか、余すことなく食らいつけないなら作家をやる意味がない。 こう言う以外ない。
家に白鷺が降りた。 君たち(特にお前)はどう生きるかってことかと思ったが、なんとなくばっちゃと思った。 いつも鷺が降りるのはもう少し行った先の川だから、何か伝えにきたんだろう。3回忌でそろそろ上に行くのか。 母が近づくと、ひと鳴きして飛んで行った。 朝から懐かしい感じがして、物凄く眠くて、今日は早く寝た方が良いみたい。先月から頭から出て行ってくれない人がいて、この人にこの先会うことがあるんだろうとぼんやり感じていた。 まるで忘れないでと言わんばかり。心配せずとも大丈夫だよと毎日思ってあげることにする。 全く雪が降れないまま春が来そうで、心の準備ができないままに明けようとしている何かにそわそわ。
珍しくラジオを聴きながらネタ書き。 私の好きなものや好きなこと、友人を真っ向から貶める催しの何千回目が始まりそうだったので逃げた。 何か具合が悪くなりそうになると人を支配したがる悪癖は、人格というより発作だと思うから、耳に入れないことにした。 好きなものは誰にも見つからず大事に育てることもできる。
話を聞かせれば、それがスイッチかのように、すぐ想像の世界に入る。 その先は言葉を聴いているのではなく、映像をともなって陶酔している。
蜜柑を描くという公募があった時、お師匠の話を聞いた。 昭和初期、兄弟姉妹は下に何人もいた。 小学生を卒業したと同時に父さんがやってきて、「おめぇ酒代稼いでこい」と言ったそうだ。 「兄さんが馬を引いてきて、米俵をくっつけているから何でだろうと思ったが、それは私が食う1年分の米だったんだよ」と笑っていた。 雇い人は意地悪で「ろくに働けないわりに飯は人一倍食う」と悪態つかれてばかりいた。 人に何を言われても、生きていくためには気にしないという術がこの頃身についたそうだ。 十分に眠るところなどなく、小屋の中での雑魚寝。それでも一日中働いて疲れていたから、きっちり朝まで眠った。 それでも用を使わされて街…
在学中、当時客員教授だった会田さんが、 私の友達を学外に連れ出したのち強制的にわいせつなことをしたということだった。 女性の教授から、飲み会に参加すると触られたり侮辱的な言葉をかけられるのが毎度のことであるとは聞かされていた。 何が起こったのかわからなかったが、友達は泣いていたから、テープレコーダーをポケットに入れて、会田さん本人に聞きに行った。 友達が泣いて帰ってきた、あなたは何をした?と聞いたらただ一言「嫌だと言わなかったからやった」とのことだった。 こんな人間がいるものかと感じた。 保健センターや大学に訴えたが、訴えれば大勢いるファンに殺されると言われ、この件は無かったことになり、ひっそ…
これはやはり男性に限った美術史だと、これもまたインチキであると感じた。 女性の創作物に優れたものがなかったという議論は済んでいるようで、そもそもそんな市場はなかったのだとのことだった。 社会自体が男性原理の産物なので、これまではそうだったとしても、これからはそうはいかんのだろうと思うだけです。どちらでも、自分のやることに変わりはない。 ただ、男性と同じことをなぞるわけもない。 女性の美術史はいつ始まるのかもわからないが、どうでもいい。少なくとも私には関係がない。 こういったことからも、歴史に残る無意味さ。
隣県の盛岡市が米ニューヨークタイムズの「行ったほうがいい52の都市」に選ばれたそうで、紹介された4つのお店はECサイト経由の注文がパンク状態で、うれしい悲鳴。 私もなんだか嬉しかったのと同時に、あぁここでもかという思いがした。 権威に認められた途端に評価が上がる。それまでだって素晴らしいところだったはずなのに。 世界ってやっぱりいんちきで面白いなぁと感じた。 自分が素晴らしいと思う理由を大事にして、身の回りの素晴らしい人、ものを保存していきたい。
同年代やもっと若い人の纏う言葉、態度、目指すもの、髪型、愛し方、嫌い方、 わざわざ、あなたじゃなくてもいいようなことを肩透かしにやっている人が多い。 いっぽうで、本音というものの価値が恐ろしく高く設定されている。 流行りの歌にも"本音"というフレーズが沢山登場しているのが印象的。しかしまぁまぁ大事にされている本音というのは取るに足らないことで、あまりに稚拙なものでした。 学校に入った瞬間から成長を止めてしまって、ここまで来てしまったんだろう。 本音をうまく伝えるということを訓練して出来るようにしないから、それというのは和を乱すものであると居直ってしまう。 本音が悪いんじゃなくて、練習不足。 す…
彼が岩井先生の友人であったことを知らなかった。私は不良だったので、当時先生に買われない喧嘩を売っていたのであまり関わりがなかった。しかし見守ってもらっていたのを感じていた。 (ご友人のことなど別に、私どもに言う義理などない) 岩井先生はロマンチシズムがあって、受容を感じる人だったが、村上さんはなんだかセンチメンタルな感じがする人だった。 失礼ながら私は作品より村上さんの寂しげな様相や、調子が良い時の言葉が好きでいたが、初めて実眼でお見かけした際の彼は危険に包まれたように殺気立っているようだった。 その理由はわからなかったけれど、脳が真っ黒になっていて、迷走神経が危険を感じる状態に振り続けている…
驚くことや悪いことを言われても何も考えず、まずほほ笑む。 考えをいちど白くしてほほ笑み、考えるのはその後で。
全部のことを描けると思っていたら大間違いで、精密に描いたところで、 この主観に及ぶ懐かしさの波や、心の奥から迫りくるようなものを描くことはできない。 まして人のものならなおさらで。 せいぜいできることをやっていこうと思います。 せいぜい、自分が感じたことを同じように感じてもらえるようにやることしかできないと思いました。 全てを歴史にあげられないのと同じで。
"理解はできるが、私はそれが美しくて大事なことだと思えなかった" それに勝る言葉がないと思った。 私が美しいと思うことに通ずる、あたたかさや思い遣りや、溝川の泥をさらって水をきれいにしたいというようなひたむきさが感じられなかった。 他を戦略的に圧倒し、声を大きく目立つような真新しい美しさというものは、雄々しい世界の美しさなのだろうか。 歴史は常に歴史になりたいものだけが残っていく。そこに残ることに何の魅力も感じない。 人を沢山殺した人だって歴史に残っている。 知性は感性に勝ると思い上がるのは、死に至る病。現に知識を組み立てて美術を行った人は、愛も感じられなくなり、人を支配して、やがて精神疾患に…
気を流したら次の日何かが出したくなって、悲しみが身体に溜まったようになって、夜1人の時にゴミを吐き出した。
身の回りの全てのことは疑って、疑ったことは人に提出せず心に秘めて留めておくこと。 "論理的に"考えたことを人に提出するのは、論理的にならないことがある。そうすると、疑うことが良くないということになってしまう。 人に限らず、花も疑ってかかる。十分に疑ったあとに、潔い気持ちでいれば良い。 疑いを疑いとせず、真実として人に持ちかけたときに問題が起こる。自分の疑いは、真実になることはない。 そのように見えたことを、また疑うべきだ。
人の気も流せるように修行しようと、これから月1回は通うことにした。 師匠ももう85歳だからと自分が焦っていたのか、とにかく焦んなよと言われた。死期が近いと感じている。 本人も、わかっている気がする。 儲けに興味がない人なので、本を出したり道場を開けと言われても断ってきた。 自分がいたことを証明したくないかと問われると、「それ1番興味ないやつ(笑)」らしい。 ただ確かに師匠のような人がいたことを残したい気持ちはわかるから、絵本を作っていいかとたずねると、なんぼでもやっていいでと言ってくれた。 私に関しては、自分でもわかっている。人を許して許して許して平らに見られるようになった時にらはっきりと何か…
身体が生きているのと、社会的に生きているというのと。 身体は安全というサインを他人と相互に送り合うことで健康を保っているのだったら、やっぱり社会的にうまくいかないことは不健康や死に繋がる。 マインドフルネスや瞑想ではたしかに、身体だけの生を実感することで、一方の生については忘れられる。 今朝見たヘッセの幸福論についてのコラムでも、身体だけの生についてが幸福の本質だと書かれていた。 私もそう思いたい。しかし人間は必ず社会を作る。社会的な生とは、"他人と関わる自分の可能性"ではないか。 この考えが最初、魚肉ソーセージのパックを剥くようなイメージで頭に現れた。 朝見たことをまた夜眠る前に思い返してみ…