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僕の平成オナペット史 https://blog.goo.ne.jp/heiona

少年からおっさんに至るまでの僕の性欲を満たしてくれた、平成期のオナペットを振り返る

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2020/04/21

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  • 連載小説「1999-お菓子系 20年目の総括」⑦

    私に何の相談もなく留学を決めたことに、元夫の両親はひどく恐縮してすんなりと離婚手続きが完了した。元夫が自らの意思で決めたとはいえ、私はいつも彼に対して何か秀でた能力を持つことの必要性を過度に煽っていた。私は何も努力していなかったにもかかわらず、周りの友人知人や里帆からの自慢話を聞かされるたびに生じる焦りと劣等感が、一番身近な存在だった元夫の尻を乱暴に引っぱたく攻撃性に変わった。元夫は私を見返すために留学という手段を選んだのかもしれず、それなら私も彼のお手並みを拝見してあげるべきだったけど、私以上に互いの家族が離婚を急いでいるのがわかると彼に対する執着心も弱まってしまい、私たちの夫婦の絆とは水産缶詰の中骨のように脆いのだと彼に打ち明けると、彼は「せめてサクサク感があってくれたら踏みとどまれたんだけどな」と返...連載小説「1999-お菓子系20年目の総括」⑦

  • 連載小説「1999-お菓子系 20年目の総括」⑥

    本心とは裏腹の言葉を並び立てて里帆と話を合わせるのが自分をごまかしているような気がしてならず、私は早く電話を切りたくて彼女との要求どおり、祝儀の現金を渡して祝いの品物を一緒に選ぶ段取りを約束した。きっぱり断って里帆との腐れ縁を絶ち切る選択もあったけど、高校時代の少しだけ背伸びした思い出を共有している仲間を失うのは惜しい気がして、彼女への挑発も中途半端に終わった。今が大事。公務員の妻と教育熱心な母親の顔を持つ里帆にとっては至言なのかもしれず、メディアで嘲笑の対象とされている岡野のぞみも過去の男性遍歴を芸の肥やしにすることなく、今の自分を真剣に愛してくれている同級生の信金職員との結婚を決めた。過去が軽んじられるどころか、なかったことにとしらばっくれている二人のあざとさに共感が持てないのは、私が今の自分を嫌悪し...連載小説「1999-お菓子系20年目の総括」⑥

  • 連載小説「1999-お菓子系 20年目の総括」⑤

    あの頃の仕事仲間が旧交を温めるわけがないとわかっていながらも、私はあえて里帆に女子会開催を吹っかけずにはいられず、予想どおり彼女は難色を示した。素直に里帆の誘いに応じてなけなしの金を岡野のぞみへの祝儀として準備しようと思うべきなのだけど、やはり彼女が太く短く生きる選択を拒んで安定志向に走るのは彼女らしくなく、旧友も散々悪口を言っておきながら、二十年来の友人を祝福する姿勢に、私はつい電話越しの相手を困らせてみたくなった。嫌な女だ、と思われるのを承知のうえで、公務員の夫を持ち、娘を私立中学校に通わせようとしている里帆の順風満帆な私生活へのひがみも込め、彼女が率先して岡野のぞみの結婚を祝うのが偽善的で愚かしいことだと気づかせてやりたい。「まあそうだよね。誰もがみんな昔と今を切り離して生きてると思うし、新しい家族...連載小説「1999-お菓子系20年目の総括」⑤

  • 連載小説「1999-お菓子系 20年目の総括」④

    里帆の言うとおりだ。私も里帆とは長いつき合いだけど、互いに別の友人を紹介し合ったことは一度もなく、彼女の結婚披露宴にも招待されなかった。横山里帆は芸名で、私は彼女の本名を知らず、彼女も私の本名を知らないはずだ。本名を確かめ合う機会がなかったし、知らなくても直接会ってお茶を飲んだり、電話で話したりするのにまったく支障はない。ほかの友人知人と異質に扱うのは、学校や職場という社会集団で知り合わなかったからで、かといって連絡が途絶えたり、邪険にあしらったりすることなく今日まで親交が続いている。社会集団の友人知人とは距離感が近いゆえに、些細なことがきっかけで仲が悪くなり、出会いと別れを繰り返しているけど、里帆とは何のいさかいもなく関係を維持している。私たちは偶然同じ仕事で知り合い、そこには沢田繭子もいた。仕事といっ...連載小説「1999-お菓子系20年目の総括」④

  • 連載小説「1999-お菓子系 20年目の総括」③

    「まあ、繭子も芸能界に身を置いているうちに知恵をつけたんじゃないかな。このままじゃ恥さらしで終わるってわかったから、行き遅れた子みたいに地元で地道に婚活してたんじゃない?私にもいきさつを話してくれなかったんだから、密かに婚約話を進めていたんだろうけど、それじゃあ遠回りだよね。でも、話がまとまったんだから、私たちがとやかく言ってもしょうがないし」親友の里帆に何の相談もなく、無難な一般人の妻の座を射止めた岡野のぞみに、スキャンダルタレントのイメージを壊そうとしなかったプロとしての自覚が窺えるけど、彼女が芸能界に残した足跡とはいったい何なのか。無知と若さだけを売り物にしてきた頃から知っている私は、あの沢田繭子が不惑を目前に控えるまで明け透けに振る舞っては世間の非難を浴びるのが彼女なりの流儀だと思っていたのに、将...連載小説「1999-お菓子系20年目の総括」③

  • 連載小説「1999-お菓子系 20年目の総括」②

    岡野のぞみが十代の頃から親交を続けているのは、仕事仲間だった里帆だけだと思い込んでいたので、私はシンデレラになるよりも筒井筒を選んだ彼女の決断に首を傾げた。あのときの沢田繭子は、わがままで意地っ張りで私たちをとことん見下していた。その奔放ぶりが今でも芸能界をのらりくらりと渡り歩ける原動力なのかもしれないからこそ、堅実な男性に嫁ぐのを天秤に掛けていたことが腑に落ちない。芸能界に使い捨てにされるという危機感が、岡野のぞみに過去を振り返らせて同級生を手玉に取ったという彼女の防衛本能も理解できるけど、私は彼女がそんなに計算高い女性ではなく、年を取っても恋愛に一途な夢見る夢子ちゃんだと思っていた。だから、私や里帆と違って何の才能がなくても芸能活動が続けられたわけで、スキャンダルタレントとしてお茶の間やインターネット...連載小説「1999-お菓子系20年目の総括」②

  • 連載小説「1999-お菓子系 20年目の総括」①

    二十歳の頃の大物ミュージシャンに始まり、舞台演出家、プロ野球選手、歌舞伎役者、実業家と数々の有名人と浮名を流しては破局を繰り返してきた岡野のぞみが、芸能界を引退して地元の同級生と結婚するという話を、かつての仕事仲間の横山里帆から聞いた。演技力も歌唱力も人を笑わせる才能もないのに、高校時代から二十年近く芸能界にしがみついてこられたのは、ひとえに私生活の切り売りに徹してきたからで、そんなタレントがきっぱり足を洗って都落ちするのが果たしておめでたいのか。それが里帆からの一報を聞いたときの私の偽らざる心情で、電話越しの彼女のはしゃぎっぷりに軽い違和感を覚えた。私たちの間で多少の揶揄も込めて「出世魚」と呼んでいた岡野のぞみ。金も地位もある男性との結婚の夢が叶えられずに表舞台から消え去るのは、内助の功の素質うんぬんよ...連載小説「1999-お菓子系20年目の総括」①

  • ひときわ異彩を放った素人モデル

    インターネットのオークションサイトでは、かつて僕がお世話になった写真集や雑誌グラビア、イメージビデオなどが絶えず出品されていて、そのサンプル画像を見返しながら当時を懐かしむだけでなく、頭の片隅にすっかり埋もれていた自慰用素材の記憶を呼び戻させている。中学、高校時代に数回程度しか素材に用いなかった媒体でも、それが後々の自慰遍歴に少なからぬ影響を与えたことに気づかされる。園田俊明という写真家が手がけたムック「女子高生水着大図鑑おしゃまま2」(双葉社)は一九八九年の初版だが、僕はそれを所持していた覚えがある。ただ、購入時期が中学三年か高校一年かはもう忘れてしまった。同書はその名のとおり、現役女子高校生の制服姿と水着姿が収録されたもので、文庫本よりもやや大きく、「BOMB!」などのアイドル雑誌よりもやや小さいサイ...ひときわ異彩を放った素人モデル

  • 人生初の性的興味を抱いたアイドル

    僕の人生において、初めて性的興味を抱いたアイドルタレントは、確か伊藤美紀だったと思う。一九八六年に大手芸能プロダクションのオーディションでグランプリを受賞した伊藤は、翌年歌手としてデビュー。僕はその頃中学生になったばかりで、折を見て枕にペニスをこすりつける行為を繰り返していたが、それが自慰だという自覚はまだなかった。伊藤の存在を知ったのは、当時定期購読していた雑誌「ファミコン通信」(現・ファミ通)のインタビュー記事だ。伊藤の二作目のシングル「哀愁ピュセル」がゲームソフト「奇々怪々―怒涛編―」のCMソングに採用され、その宣伝を兼ねての記事だったはずだが、水着姿でもない伊藤の全身グラビアを見て、初めて年上の女性に対して性的興味を持ってしまった。これまでのアイドル歌手は、僕が小学生だったこともあってか純粋に歌を...人生初の性的興味を抱いたアイドル

  • マイナーより優先順位の低いメジャー

    佐藤仁美が大手芸能プロダクションのオーディションでグランプリを受賞したのは一九九五年で、デビューしたばかりのまだ素人っぽさを残す水着姿に、僕はぜひ彼女を自慰用素材に用いたいと思ったが、結局その機会は一度もないまま今日に至っている。性的興奮を高められる存在でありながらも、それを汚そうとしなかったのは、当時の経済的事情とほかの素材に比べて優先順位が低かったからだ。佐藤の写真集「BlessYou…!」(近代映画社)が発売されたのは九六年八月で、その頃の僕は就職活動で忙しく、性欲に対して抑制的だった。二千円以上もする写真集どころか、お菓子系雑誌「クリーム」の八百円のムックすら買う金銭的余裕がなかった。しかも、当時は山田まりやがデビューしたばかりで、一作目の写真集を発表するという知らせにも触れたので、買うなら佐藤よ...マイナーより優先順位の低いメジャー

  • 制服美少女を追い込ませすぎた駄作

    大手出版社が発刊する漫画誌において、現役女子高校生のオーディションが始まったのは一九九二年で、これを機に十八歳未満のグラビアアイドルのデビュー基準が緩くなった。当時は歌手デビューを果たしたアイドルが、専門誌で水着姿を披露したり、写真集を発表したりするのが一般的だったが、歌や演技の経験のないスカウトされたばかりの美少女でも、グランプリを受賞すれば所属プロダクションと出版社のバックアップで商業作品を発表できるようになった。ただ、あくまでもこのオーディションはグラビアアイドルになるためだけの近道にすぎず、その後の芸能人生をどう歩んでいくのかは本人の適応能力と所属先のマネジメント次第だ。だから、グランプリ受賞者の中には有名女優になったのもいれば、警察の厄介になったのもいる。水着の仕事までは約束されているが、そこか...制服美少女を追い込ませすぎた駄作

  • 写真集を出してほしかった逸材~遊井亮子編~

    グラビアアイドルというサブカテゴリーを確立させたのは、一九八八年にイエローキャブを設立した野田義治なのは言うまでもないが、その黎明期に人気を博した堀江しのぶやかとうれいこ、細川ふみえらを、僕はこれまで一度も自慰用素材に用いたことがない。彼女たちが僕よりも年上で、すでに大人の女性として完成された佇まいに性的な感情移入ができなかったからだ。当時の愛読誌が「すッぴん」で、確か僕が高校生の時に買った号にも細川のグラビアが掲載されていたはずだが、それを用いることなく、まだ洗練されていない無名の少女の水着姿でひたすら下半身を慰めた。野田が売り出すグラビアアイドルはデビュー時からすでにメジャータレントの風格が漂っていて、僕の性的嗜好にかなったのは素人っぽさがまだ残っていた山田まりやと滝ありさぐらいだ。九〇年代後半になる...写真集を出してほしかった逸材~遊井亮子編~

  • 写真集を出してほしかった逸材~菊池あゆみ編~

    児童ポルノ法施行前(一九九〇年代)の自慰遍歴を振り返ると、施行後に比べて経済的余裕がなかったので、漫画誌や男性誌に掲載される数ページのグラビアでも頻繁にお世話になった。二千円以上もする写真集よりも、四百円でお釣りが返ってきて一週間借りられるアダルトビデオ(AV)で性欲を発散するのがスタンダードで、当時はアイドルの水着グラビアがAVの箸休めという、今とは逆の位置づけだった。古き良きAV女優-僕の平成オナペット史だから、数ページのグラビアでも満足できたわけだが、中には写真集を出してほしかったアイドルタレントもいる。その一人が、菊池あゆみだ。菊池は九二年に大手芸能プロダクションのオーディションでグランプリを受賞。翌年には漫画誌や男性誌で水着姿を披露する。グラビアアイドルのような売り出し方ではないので、露出やポー...写真集を出してほしかった逸材~菊池あゆみ編~

  • 令和の美少女ビジネスのみみっちさ

    二〇一四年の児童ポルノ法改正を境に、十八歳未満のグラビアアイドルの商業作品はめっきり発表されなくなったが、当該世代の美少女モデルを抱える芸能プロダクションとその周辺では、布面積の小さい水着を着させるなど過度な露出を封印したうえで、デジタル写真集を販売したり、有料サイトを運営したりして収益を得ようとしている。電子書籍の普及に伴い、写真集もデジタルデータで提供しているのは時代の趨勢だ。スマートフォンに保存しておけば、いつでもどこでも見られる(自慰できる)し、大判の印刷物を周囲にばれないようこっそり隠す手間も省かれる。販売する側も印刷コストがかからず、在庫を抱える心配がない。近藤あさみや香月杏珠、沢村りさなど一〇年代に名を馳せたジュニアアイドルが在籍する芸能プロダクションでは、イメージビデオ(IV)が大っぴらに...令和の美少女ビジネスのみみっちさ

  • 高校生世代再来の萌芽

    最近のグラビアアイドル事情をネットニュースで拾い見する程度だったので、僕は今まで菊池姫奈を知らなかった。「ミスマガジン2020」の受賞者の一人で、二〇二一年には十六歳で写真集も発表。インターネット上に拡散されている菊池の水着姿の画像は「殊更に性的な部位が露出され又は強調されている」ものばかりだ。菊池は講談社だけでなく、ほかの大手出版社からもデジタル写真集を発表しており、不特定多数の男性の性欲処理要員として消費されている。ネット掲示板では児童ポルノ法抵触の疑義にはまったく触れられず、妄想溢れる品性下劣な書き込みで埋め尽くされている。日頃は“マスゴミ”だのと既存メディアに批判的なくせに、性的コンテンツに対しては否応なく受け入れてしまうのだから、ネット上で交わされるコミュニケーションなど所詮痰壺にすぎない。僕は...高校生世代再来の萌芽

  • 一九九〇年代の自慰用素材回顧録

    一九九九年の児童ポルノ法施行は、中小出版社が地道に育ててきた少女ヌード写真集を市場から追放したものの、十八歳未満のグラビアアイドルの商業作品に対しては何の規制もなかったために、施行前以上に数多くの写真集やイメージビデオ(IV)が市場に出回った。「アイドル=歌手」から「アイドル=水着仕事」へと、器量とスタイルさえよければ誰でもデビューできるようになり、出版社もプロダクションも次々と新人をデビューさせていった。九〇年代と〇〇年代以降、つまり児ポ法施行前と施行後の商業作品のコンテンツを比較すると、施行後のほうが実用性に勝るのは言うまでもない。水着の布面積は小さくなって肌の露出が顕著になり、かつては胸の谷間や水着越しに伝わる立体感だけでも性的興奮を得られたが、施行後の作品は高校生世代でも横乳や下乳が堪能できるほど...一九九〇年代の自慰用素材回顧録

  • 性的コンテンツの市場拡大による性的格差

    コロナ禍の手慰みとして書き綴ってきたこのブログも、今回で百回目の投稿になる。一人の中年男の自慰遍歴という何の公益性もない内容を、ポータルサイトのサービスを通じて恥ずかしげもなく発信してきたが、これこそインターネットのなせる技であろう。もちろん、書いた記事に対する責任を負うのは言うまでもなく、不確かな情報や嘘を書いたり、自分を大きく見せかけたりすることなく、ありのままの経験を綴っている。僕の人生において、思春期に「平成」という元号が始まり、中年期にその時代は幕を閉じた。約三十年間、僕は写真集やイメージビデオ(IV)、雑誌のグラビア、アダルトビデオ(AV)などを用いて自慰をし続け、下半身に湧いてくる性欲を発散してきた。自慰による射精回数が性交のそれを大きく上回っており、おそらく生涯を通じて逆転することはないだ...性的コンテンツの市場拡大による性的格差

  • 人生初の成年コミック

    平成時代の自慰用素材を振り返ると、高校生世代のグラビアアイドルの写真集とイメージビデオへの依存度が圧倒的に高いので、アダルトビデオ(AV)や成人向け漫画について詳しく綴ることができない。AVは学生時代によくお世話になったが、「お菓子系」との邂逅で徐々に性的興味を失い、二〇〇〇年以降に活躍した女優の名前は耳にすることはあるものの、それらの作品を一度も見たことがない。成人向け漫画は、高校一年の時に同じクラスの男子学生から「ANGEL」の単行本を借りて、その露骨な性描写に激しく興奮したものだが、自分からそれを買おうとは思わなかった。その後も「漫画エロトピア」の掲載作品や「ヤングアニマル」に今でも掲載中の「ふたりエッチ」で性的想像力を働かせたこともあったが、どれも複数回用いるには違和感があり、写真集の箸休めにすぎ...人生初の成年コミック

  • 児童ポルノ法と商業作品~後編~

    児童ポルノ法の施行から改正に至るまでの約十五年間は、皮肉にも日本の出版史において十八歳未満のグラビアアイドルの商業作品が最も多く発表され、当時二、三十代で性欲が旺盛だった僕もそれらのお世話になった。少女ヌードの愛好者には同法施行がゲームセットだったにちがいないが、裸よりも水着姿に激しい性的興奮を覚える僕にとって、結婚適齢期を逃しても決して後悔することのないほど恵まれた時代だった。法改正によって、児童ポルノの商業作品は新作が発表されなくなったものの、改正前の作品は古書店に行けば手に入るし、インターネット上でも視聴できる。少女ヌード写真集は国会図書館でも閲覧できなくなったようだが、グラビアアイドルの写真集やイメージビデオはそこまで締めつけられていないから、ネットオークションでも普通に出品され、今もなお売買的価...児童ポルノ法と商業作品~後編~

  • 児童ポルノ法と商業作品~前編~

    二〇一四年の児童ポルノ法改正に伴い、十八歳未満のグラビアアイドルの商業作品、いわゆる3号ポルノはめっきり発売されなくなった。動画配信大手のDMM.comも改正前に発表された作品の販売を見合わせており、かつてはそれらを収益の柱にしていた出版社や芸能プロダクションは、国の法改正に抗うことなく、自ら育ててきた市場をいとも簡単に切り捨て、“合法ロリ”などとごまかして十八歳以上の何の性的リアリティもない作品を発表し続けている。児ポ法厳密化の要因は、〇〇年代から顕著になった低年齢化、いわゆるジュニアアイドルの商業作品の増加で、小中学生に布面積の小さい衣装を着させ、それがインターネットを通じて日本だけでなく、海外にも広く知られるようになった。高校生世代についてもグラビアアイドルというサブカテゴリーの確立によってプロダク...児童ポルノ法と商業作品~前編~

  • 実用性を欠いた写真集~鈴木繭菓編~

    書店で売られている写真集は、ポリエチレン包装で売られているので、あらかじめ立ち読みで中身を知ることができず、表紙と裏表紙、帯の画像で自慰用素材にかなうかどうか判断するしかない。購入後に包装を剝がし、早速自慰を始めるのだが、数ページめくっただけで性的興奮が最高潮に達する作品は当たりで、繰り返し用いられる半面、最後までめくっても射精へのマネジメントが難しい作品ははずれとなり、すぐに古書店送りとなった。先行発売された媒体で幾度となくお世話になったグラビアアイドルが写真集を発表するときは、その期待で下半身も大いに膨らむが、こういう場合にかぎって駄作を掴まされるケースが多かった。僕にとって、写真集とは自慰以外に使用目的はないとみなしているが、作り手の中には実用性よりも芸術性を追求する御仁もいるようで、モデルに水着を...実用性を欠いた写真集~鈴木繭菓編~

  • 忘れていたオナペット~五ノ井ひかり編~

    二〇〇二年から〇七年にかけて、僕は「オナニーを科学する」をテーマに、各年の自慰回数を記録してきた。人生最多だったのは〇四年で、一日の平均回数が二回を超えるほど性欲がみなぎっていた。高校生世代の美少女がグラビアアイドルとして間断なくデビューして写真集を発表し、水着姿を惜しみなく披露してくれたので、僕の下半身は安息が与えられなかった。射精のたびに、僕はどの素材で何回自慰したのかを把握するために、銀行でもらった粗品のメモパッドに素材の名前とその右に「正」の字を書いていった。そのデータはパソコンにも保存しておいたが、外部に流出してしまったら恥ずかしいと思って全部削除した。だから、当時オナペットとしてお世話になったグラビアアイドルは今でも記憶に残っているものの、中にはその写真集がいつ発売されたのか忘れてしまったのも...忘れていたオナペット~五ノ井ひかり編~

  • 伊藤隼也のアイドル写真集

    コロナ禍を機に、僕は都内の開業医のブログを拝読するようになったが、その方が伊藤隼也という自称医療ジャーナリストの言動をたびたび批判している。伊藤は週刊誌に記事を掲載したり、テレビ番組のコメンテーターとして出演したりするなどそれなりの影響力を持つ人物だが、不確かな情報や憶測をもとに記事を書く“飛ばし”の常習者のようで、最近では大手メディアも彼から距離を置いている。伊藤の前職はカメラマンで、一九八〇年代後半から二〇〇〇年までアイドル写真集の撮影を手がけてきた。伊藤本人のホームページには、その経歴が一切記されていないが、ウィキペディアには彼の作品がリストアップされており、その中には僕がお世話になった自慰用素材も含まれている。物書きとしての伊藤にはまったく興味はないが、僕の自慰人生において彼とは接点があったので、...伊藤隼也のアイドル写真集

  • 実用性を欠いた写真集~小泉麻耶編~

    日本の出版史上、十八歳未満のグラビアアイドルの写真集やイメージビデオ、いわゆる3号ポルノの商業作品が右肩上がりで市場規模を拡大していったのは、二〇〇〇年代だろう。芸能プロダクションにスカウトされた少女たちは、何もわからぬまま水着を着て煽情的なポーズをさせられ、その画像が週刊誌や漫画誌に掲載される。プロダクションと出版社の合意のもとで写真集が発表できるようになると、グラビアアイドルの仲間入りだ。グラビアアイドルとしてデビューする少女のほとんどが、水着の仕事が芸能活動の終着点だとは思っておらず、女優やタレントを目指すのだが、誰もが綾瀬はるかや小池栄子のようになれるわけでもない。プロダクションも出版社も次から次へと高校生世代の新人をデビューさせていくのだから、川村ゆきえや原幹恵のように人気がなければお払い箱にな...実用性を欠いた写真集~小泉麻耶編~

  • レジェンド・オブ・スクール水着~石井めぐる編~

    二〇〇〇年代は、高校生世代の少女でも器量とスタイルさえよければ簡単にグラビアアイドルになれた。「お菓子系」の勃興は、僕のような少女性愛者の潜在的な需要を掘り起こし、新興の芸能プロダクションとアイドル写真集に特化した出版社もこぞって参入。3号ポルノ市場が最もにぎわっていた時期で、二十代後半だった僕も人生において性欲が最も旺盛だったので、数多くの写真集とイメージビデオを買い求めては自慰を繰り返した。これまで「クリーム」などお菓子系雑誌の枠に留まっていた少女たちは、芸能プロダクションと出版社に担ぎ上げられ、写真集を発表できるほどグラビアアイドルとして出世することができた。福愛美がその代表例だが、〇〇年代前半頃からはお菓子系での活動を経ずに、いきなり週刊誌や漫画誌のグラビアから写真集の発表をもってデビューする流れ...レジェンド・オブ・スクール水着~石井めぐる編~

  • レジェンド・オブ・スクール水着~中山由香/福愛美編~

    「大海賊」での高橋由美子のグラビアが、僕のスクール水着に対するフェティシズムの原点だったが、一九九〇年代における「お菓子系」の勃興はそれに拍車をかけた。制服と体操着、スクール水着の三点セットに加え、下着を模した白ビキニというベーシックかつクラシカルな演出は、素人っぽさを残す高校生世代のモデルとぴったり調和し、そのリアリティが高校時代に恋愛経験がなかった僕の劣情を激しく掻き立てた。今までお世話になった「お菓子系」アイドルの中で、高橋と肩を並べるほど僕の自慰人生において衝撃的だったのを年代別に挙げると、九〇年代が中山由香、〇〇年代が福愛美だ。当時十五歳の中山は、九六年四月号の「クリーム」で数ページのグラビアを披露、背表紙も飾った。総集編の「クリーム写真集3」で当該号の未発表のグラビアが掲載された以外は、ほかの...レジェンド・オブ・スクール水着~中山由香/福愛美編~

  • レジェンド・オブ・スクール水着~高橋由美子編~

    僕の性的興味の対象が十五歳から十八歳までの高校生世代で、とりわけスクール水着へのフェティシズムが強いのは、英知出版が昭和末期から平成初期にかけて発行していたアイドル雑誌「大海賊」に掲載された、高橋由美子のグラビアに魅入ってしまったからだ。児童ポルノ法の改正に伴い、雑誌や写真集、イメージビデオで少女の水着姿に接する機会がなくなった今日において、当時十五歳の高橋を凌駕するほどスクール水着を着こなせる少女は、もう出てこないだろう。僕が知る高橋のグラビアは、一九八九年十一月に発刊された「大海賊」のほんの数ページだ。小島聖が表紙の号で、高橋が巻頭グラビアを飾った。グラビアの構成は制服と体操服、ワンピース水着という後の「お菓子系」にも通ずるテイストで、美少女度が抜群に高い素材ゆえに露出の少ないクラシカルな構成でも、性...レジェンド・オブ・スクール水着~高橋由美子編~

  • デビュー作を紹介しない現役アイドル

    DMM.comが十八歳未満のグラビアアイドルの映像作品を配信しなくなって以来、僕は某サイトから自慰用素材にかなう作品をダウンロードしてきた。著作権法に触れかねない行為だが、DMMが動画配信を自粛する一方で、大手出版社は当該作品の販売を継続している矛盾に納得できず、児童ポルノ法改正による現場の混乱に乗じる形で、ウイルス感染のリスクも抱えたうえで、新旧作品のダウンロードと削除を繰り返した。ダウンロードした作品の中で、十回以上使わせてもらっているのは二〇一八年十一月に発売された、森田愛生の「らぶフレッシュ」ぐらいで、あとはどれも実用性に欠けていた。あえて挙げるとすれば、今でもアイドルとして活動を続けている長月翠の「キミは伝説のみどり!」だ。平成最後のオナペット認定-僕の平成オナペット史同作品は一六年十一月に発売...デビュー作を紹介しない現役アイドル

  • どうして南みゆかだけが許されるのか

    二〇一四年の児童ポルノ法改正を機に、十八歳未満のグラビアアイドルの商業作品、いわゆる3号ポルノ市場は壊滅状態に追いやられているが、どういうわけか沢口愛華のように大手出版社がしれっと写真集を上梓し、水着姿の性的な部分が殊更に強調されていた。それに対して、児ポ法改正を働きかけた人権団体から何の追及もなかったのは明らかに不自然で、どうして沢口だけが高校生世代の頃に水着の仕事が許されたのかという疑問が、いまだ払拭されていない。どうして沢口愛華だけが許されたのか-僕の平成オナペット史最近では、南みゆかという十六歳のローカルアイドルグループのメンバーが、大手出版社が発行する漫画誌の巻頭グラビアに起用され、デジタル写真集も発売されている。そのサンプル画像は、僕が今までお世話になったグラビアアイドルの水着姿と遜色なく、不...どうして南みゆかだけが許されるのか

  • 何者にもなれなかったオナペットたちよ

    安倍晋三元首相襲撃事件の山上徹也容疑者の供述によると、母親が旧統一教会にのめり込んで家庭崩壊を招き、同団体が安倍氏と昵懇な間柄だったことに端を発しての犯行だったとしている。事件の全貌は司直の手に委ねられるが、平成に入ってすぐの宮崎勤に始まり、加藤智大にしろ植松聖にしろ青葉真司にしろ、令和の今日に至るまで何者にもなれない一人の成人男性がとんでもない大事件を引き起こしているのを鑑みると、一方的な個人的怨恨による凶行は日本社会の病巣であって、それに見て見ぬふりをしている民衆が存在しているかぎり、今後も続くだろう。何者にもなれないといえば、僕がこれまでお世話になったオナペットで、女優やタレントになれず陽の目を見られなかった元グラビアアイドルたちは、いったい今どこで何をしているのだろうか。かつての芸名を検索エンジン...何者にもなれなかったオナペットたちよ

  • 衰えゆく性的想像力

    アラフィフの僕は今日においても、高校生世代の水着姿を自慰用の素材に用いているが、十代や二十代だった頃に比べて性的想像力は明らかに衰えている。それは、素材となる媒体が雑誌グラビアや写真集といった静止画から、イメージビデオ(IV)に代表される動画へと移行したことが大きな要因で、二〇〇〇年代前半に散々お世話になった写真集への郷愁はあっても、それらを再び手に入れて自慰に勤しむのは何だかもったいない気がするほど、動画で性欲を発散するのがあたりまえになっている。素材に動きが加わったことに加え、直截的な演出も性的想像力が削ぎ落とされた要因の一つだ。着エロは言うに及ばず、〇〇年代後半以降、高校生世代のグラビアアイドルも布面積の小さいビキニを着させられ、僕もその恩恵にあずかって自慰を捗らせてくれたが、その流れはジュニアアイ...衰えゆく性的想像力

  • どうして沢口愛華だけが許されたのか

    二〇一四年六月の児童ポルノ法(以下、児ポ法)改正に伴い、十八歳未満のいわゆる3号ポルノについて「殊更に児童の性的な部位(性器等若しくはその周辺部、臀部又は胸部をいう。)が露出され又は強調されているものであり」の一文が追加され、これにより高校生世代のグラビアアイドルの商業作品は大っぴらに販売できなくなった。過去に発売された作品を所持していても、刑事罰の対象になってしまう。しかし、一八年に大手出版社が発行する漫画誌のオーディションでグランプリに選ばれた、当時十五歳の沢口愛華はその年代の少女には似つかわしくないスタイルのよさを売りに、写真集を発表したり、各種媒体でも取り上げられたりするほどのトップアイドルとなった。トップアイドルといっても、不特定多数の男性の性欲処理用の素材にすぎないのだが、同世代のライバルがい...どうして沢口愛華だけが許されたのか

  • グランプリを手にした少女たち

    二〇一四年の児童ポルノ法改正に伴い、十八歳未満のグラビアアイドルの商業作品が大っぴらに発表できなくなり、DMM.com(以下DMM)でも当該作品の販売を見合わせている。いわゆる3号ポルノに括られる写真集やイメージビデオ(IV)を手に入れるには、古書店やオークションサイトで探すか、インターネット上に違法アップロードされた動画に頼るしかない。某動画サイトでは十年以上前に発表された作品の一部が、今でも視聴可能だ。一〇年に秋田書店が発行する青年漫画誌のオーディションでグランプリに選ばれた牧野結莉亜、その翌年の菅原梨央と堀川美加子は、頻繁にお世話になったオナペットとは言えないまでも、高校生世代の良質な素材として印象に残っている。三人に共通するのは、発表したすべての作品が3号ポルノに相当するので、今日では彼女たちのI...グランプリを手にした少女たち

  • 忘れていたオナペット~時東ぁみ編~

    僕の家計支出において、グラビアアイドルの写真集が最も高い割合を占めたのは、ちょうど三十歳を迎えた二〇〇四年から翌〇五年にかけてだったはずだ。当時は高校生世代でも高い美少女性と抜群のスタイルを兼ね備えたモデルが次々と現れては写真集を発表し、人生において最も性欲が旺盛だった僕の股間を絶えず慰めてくれた。中でも、石井めぐると滝ありさは後続を大きく引き離すほどの自慰回数を記録した。石井と滝が強烈なつばぜり合いを繰り広げ、かなり離れて川村ゆきえ、島本里沙、野崎亜里沙、疋田紗也らが二番手集団を形成。三番手以降が即座に思い出せず、後々になって「忘れていたオナペット」として申し訳なく紹介することになってしまう。〇五年九月に彩文館出版からデビュー作「生真面目」を発表した、時東あみ(現・時東ぁみ)もその一人だ。度が入っていな...忘れていたオナペット~時東ぁみ編~

  • 色褪せぬ旧作

    二〇一四年に児童ポルノ法が改正されるまで、十八歳未満のグラビアアイドルによる商業作品、いわゆる3号ポルノは市場に広く出回り、僕も写真集やイメージビデオ(IV)、動画配信による自慰用素材を探し続けてきた。市場自体が消滅してしまった今日において、高校生世代の少女の健康的な肢体を堪能するには、もっぱら過去の旧作に頼らざるを得なくなり、動画サイトで違法アップロードされたものに辿り着くことになる。僕の場合、過去のオナペットに再びお世話になることは滅多にないのだが、最近、〇〇年代後半に活動していた、あいかを素材に用いるようになっている。動画サイトでその名前で検索すると、真っ先に沢口愛華の動画が出てくるが、僕はまったくそれに興味がなく、むしろどうして十八歳未満(撮影当時)の彼女だけが堂々と水着姿を披露できるのか、という訝しさ...色褪せぬ旧作

  • 実用性を欠いた写真集~村上恵梨編~

    二十代後半から三十年代前半にかけて、敷布団の下にはいつも彩文館出版のグラビアアイドル写真集が待機してあるほど、同社なくして僕の自慰用素材は語れない。思えば二〇〇一年三月の小倉優子のデビュー作「恋しくて優しくて」から、磯山さやか、石井めぐる、滝ありさと各年の最多自慰回数を記録したオナペットの作品を経て、〇七年九月の鮎川のどかの「多感期」までの約六年半、同社の写真集は僕の人生の中で最も性欲が旺盛だった時期を支えてくれた。そんな彩文館出版でも、僕にとっては実用性に欠けた作品を手にしたことがある。以前紹介した永岡真実の「真夏の実」がそうだったし、今回取り上げる村上恵梨の「innocence」(〇三年二月発表)も、当初の期待と中身とのギャップに激しく落胆した作品だ。故人の作品をけなすのは気が引けるが、カメラマンとプロデュ...実用性を欠いた写真集~村上恵梨編~

  • 忘れていたオナペット~鈴木あきえ編~

    僕の年間自慰回数が最多を記録した二〇〇四年と翌〇五年は、ひとえに石井めぐると滝ありさという終生忘れ得ないオナペットと、彼女たちの写真集を発行した彩文館出版の功績が大きい。自慰用の媒体が写真集から動画に替わり、それに伴う性的想像力の衰えと加齢によって、当時狂ったように自慰に耽った「Be―New―」と「ありんこ」が、今日においても素材になり得るかどうかは正直言って難しいが、三十代前半の僕の性欲を支えてくれた金字塔であることに変わりはない。石井と滝から大きく引き離された二番手グループは、野崎亜里沙や中村知世などこれまで何人か紹介してきたが、今になってまだ漏れがあったことに気づいた。先に名前を挙げると、鈴木あきえだ。写真集とイメージビデオ(IV)を所持していたにもかかわらず、またも「忘れていたオナペット」として後追いで...忘れていたオナペット~鈴木あきえ編~

  • 英知出版への十五年越しの謝辞②

    前回の記事で、「すッぴん」がアイドル雑誌としてのクオリティを保てず成人誌になり果ててしまったのは、「クリーム」に代表される「お菓子系」雑誌や大手出版社のアイドル雑誌との競合によるものだとの月並みな持論を展開した。のちに女優やタレントとしてブレイクした少女を巻頭に起用するほど先見の明があったにもかかわらず、どうして坂道を転げ落ちるようにコンテンツが劣化してしまったのか。一九九九年の児童ポルノ法施行だけが原因ではないと思う。「すッぴん」は「BOMB」や「Uptoboy」のようなすでにメジャーデビューしているアイドルではなく、どこの誰ともわからぬ無名の少女の水着姿を披露した。彼女たちを巻頭で起用しながら、表紙に年齢をはっきり記して高校生世代を自慰対象とする消費者に訴求。また、AV女優のヌードグラビアも掲載することでA...英知出版への十五年越しの謝辞②

  • 英知出版への十五年越しの謝辞①

    僕が英知出版という社名を知ったのは、中学二年の冬に「デラべっぴん」を買ったときだ。書店員に訝しがられながらも、生まれて初めてポルノグラフィを手に入れ、自慰用素材とした。確か牧本千幸が巻頭だったと思う。当時は「英知」という言葉の意味などわからず、エッチな雑誌を発行しているからそういう社名なんだな、という稚拙な発想で十代後半から二十代後半にかけて、同社とその系列会社が手がける出版・映像媒体のお世話になった。英知出版は二〇〇七年四月に倒産。九六年に所得隠しが発覚して以来、三度にわたって親会社が変わるほど経営が不安定になり、末期になると全盛期を支えていた「ビデオボーイ」などの主要雑誌をも手放してしまった。倒産から約十五年経った今、幾多の自慰用素材を供給してくれた同社に感謝の意を伝えたいとともに、あらためて一消費者として...英知出版への十五年越しの謝辞①

  • お菓子系最後のオナペット

    #KuToo運動で知られるフェミニストの石川優実が、お菓子系雑誌「クリーム」の常連として人気を博していたことは有名だが、その頃の僕はすでにお菓子系とは距離を置いていた。二〇〇〇年以降、新興の芸能プロダクションがグラビアアイドル市場に相次いで参入したことで、本来ならお菓子系の枠に留まるはずの高校生世代の少女が写真集やイメージビデオ(IV)を発表できるようになり、僕もそれらを自慰用素材に用いたことで、お菓子系への優先順位は年を追うごとに下がっていった。僕の中で、お菓子系アイドルの出世頭といえば福愛美の名前がすぐに挙がる。高校生世代を通じて活動し、写真集も三作品発表した。石川や木嶋のりこ(現・小原徳子)のように十八歳を過ぎてからの“なんちゃって”お菓子系ではなく、児童ポルノ法施行による自主規制が過ぎてから適齢期を迎え...お菓子系最後のオナペット

  • 古き良きお菓子系写真集

    お菓子系雑誌の代表格である「クリーム」は、一九九四年からほぼ一年おきに別冊の「クリーム写真集」を発刊していた。写真集といっても二、三千円もするほど高価なものではなく、千円でおつりが帰ってきて、しかも本誌に登場した複数のモデルによる総集編というコストパフォーマンスに優れた自慰用素材だった。僕がお菓子系というジャンルを知ったのも、書店でこのムックを手に取ったからで、それ以来お菓子系雑誌とは切っても切れない関係になった。「お菓子系」全盛期の回顧-僕の平成オナペット史僕の自慰素材が主に十五歳から十八歳までなのを決定づけたのは、九〇年代後半に隆盛を極めた「お菓子系」との出会いだ。素人の少女による体操服(ブルマー)と学生服、スクール水着、下着を模した白ビキニのグラビアという非常にシンプルでクラシカルな構成に、マイナー志向の...古き良きお菓子系写真集

  • 児童ポルノ法施行直後のお菓子系

    「お菓子系」全盛期の回顧-僕の平成オナペット史僕の自慰素材が主に十五歳から十八歳までなのを決定づけたのは、九〇年代後半に隆盛を極めた「お菓子系」との出会いだ。素人の少女による体操服(ブルマー)と学生服、スクール水着、下着を模した白ビキニのグラビアという非常にシンプルでクラシカルな構成に、マイナー志向の僕はすぐにはまってしまった。初めて買ったのはナンバーのない「クリーム写真集」だ。九〇年代前半から「すッぴん」を愛読している僕にとって、「お菓子系」の虜になるのは当然の流れで、以降AVを素材としての自慰はめっきり減ることになる。裸体よりも水着姿の女性に性的興奮を覚える同好の士は、当時僕の周りにいなかった。しょっちゅう下宿先に出入りしていた同級生に「クリーム写真集」での自慰を勧めると、彼は露骨に拒否反応を示すほどだった...児童ポルノ法施行直後のお菓子系

  • 忘れていたオナペット~松山まみ編~

    僕がこれまでお世話になってきたオナペットは、ほとんどが十八歳以下のメジャーになりきれていないグラビアアイドルに限られ、美少女度の高さと体躯のよさを兼ね備えているのに対しては、自慰回数がぐんぐんと増えていった。一方で、小倉優子のように体躯が年相応の十人並みでも、それを補って余りある美少女の顔立ちに魅了され、写真集を買わずにいられなくなったのも少なくない。記憶に残らぬ小倉優子-僕の平成オナペット史小倉優子を初めて知ったのは、男性週刊誌のグラビアだった。それから二〇〇一年三月に発売された初めての写真集「恋しくて優しくて」を手にした僕は、ひたすらそれを用いて自慰に勤しんだ。この年の自慰素材は小倉が後続を大きく引き離しているはずで、とにかく夢中になって何度も何度も射精した。今でこそ主婦タレントの代表格として広く知られてい...忘れていたオナペット~松山まみ編~

  • 忘れていたオナペット~石川佳奈編~

    自慰用素材を探す手段をもっぱら雑誌媒体に頼っていた頃、僕はいつも駅の売店やコンビニでヤングサンデーの表紙をチェックしていた。競合誌がメジャー級のグラビアアイドルを起用するのに対して、ヤンサンは素人っぽさを残した新人がいきなり巻頭を飾ることがあり、二〇〇一年の山吹美奈斗(鍵山由佳)がその例だ。巻頭や巻末のグラビアだけが目当てで、定期購読でもなかったので、掲載作品はほとんど読まなかった。この年は山吹のほかに、石川佳奈がヤンサンでグラビアデビューを果たした。ヤフオク!に出品されている当該号の表紙を見て、僕はこれを買ったことをすぐに思い出した。石川は十五歳とまだ中学生だったが、ビキニブラ越しに見える両胸の立体感に劣情が掻き立てられ、抑えきれぬ性欲を発散せずにはいられなくなった。巻頭と巻末の十二ページ立てで、水着の布面積...忘れていたオナペット~石川佳奈編~

  • AV入りした自慰用素材③~東琴乃編~

    二〇〇二年のとある休日、何の気なく立ち寄った古書店で、高校生世代の新人グラビアアイドルの写真集を手に取り、その美少女度の高さに吸い込まれて買わずにはいられなくなった。この年を代表するオナペットは磯山さやかと福愛美、矢吹春奈の名前が挙がるが、彼女たちの二番手グループとして、そしてAVへ転身したその一人として、東琴乃(現・琴乃)を紹介したい。パソコンを持っていなかった頃、僕が新人を知る方法は雑誌媒体にかぎられていた。あとは書店で新刊の写真集が売られているかどうかを確認するしかなく、すぐに東のデビュー作「ことだま」を知る機会に恵まれなかった。東は大手レコード会社が企画したアイドルグループの一人で、一期上には小向美奈子もいるほどメジャー級の扱いだったことを今になって知ったが、当時の僕はそんな経歴よりも、自慰用素材にかな...AV入りした自慰用素材③~東琴乃編~

  • AV入りした自慰用素材②~石川恵理編~

    十五歳以下の中学生世代、いわゆるジュニアアイドルを初めて自慰用の素材に用いたのは誰かと問われると、真っ先に小向美奈子が思い浮かぶ。当時二十六歳の僕は、中学生を性的対象にすることだけは厳に戒めていたが、幼い顔立ちを残しながらも胸の立体感が露わな小向のビキニ姿に背徳感が抗えず、写真集を買っては自慰にいそしんだ。小向のデビューは、僕のつまらない拘りをいとも簡単にほどかせてしまった。忘れていたオナペット~小向美奈子編~-僕の平成オナペット史これまで平成期のオナペットを年代順に振り返ってきたが、最近になって「そういえば、あの素材でもえらくお世話になったな」と、約三十年間の記憶に漏れがあるのに気づいた。彼女たちには大変申し訳ないと思いつつ、あらてめて本ブログで紹介していきたい。まずは小向美奈子だ。僕は以前、“巨乳美少女”を...AV入りした自慰用素材②~石川恵理編~

  • AV入りした自慰用粗材①~工藤珠琴編~

    オナペットとみなすほどの自慰回数を重ねるまでには至らなかったが、僕が自慰用素材として用いてきたグラビアアイドルの中でAVに転身したのが何人かいる。いずれも本人たちの作品を見たことがない。年端もいかぬ少女の水着姿で散々性欲を発散してきた僕にとって、旬を過ぎたかつての素材の裸身や男優との本番行為を見せられても、性的嗜好とシンクロしないからだ。素人っぽい高校生世代を思わせる作品にはいくらか興奮するが、ギャルのように垢抜けてしまっては興味が湧かない。すでに紹介した小向美奈子を除き、僕がお世話になった自慰用素材の中でAVに転身した一人目として、工藤珠琴を挙げたい。工藤は一九九〇年代後半の「お菓子系」アイドルの一人で、僕は神保町かどこかの古書店で彼女が巻頭を飾った「クリーム」のバックナンバーを定価の約四倍で買った覚えがある...AV入りした自慰用粗材①~工藤珠琴編~

  • 忘れていたオナペット~原史奈編~

    一九九九年の児童ポルノ法施行で「お菓子系」雑誌が休刊に追い込まれたり、十八歳以上のモデルを掲載する一方で、大手出版社が発行する漫画誌では女子高校生のオーディションがさしたる影響もなく続いていた。両者にそんな差異はなく、後者でグランプリを受賞した金田美香が、前者では別名義で水着姿を披露していたのだから、今思うと、性的搾取のレッテルを貼られがちなAV業界や撮影会界隈とのかかわりを持ち、脛に傷を持っていそうな中小出版社が過剰反応のあまり、自ら育ててきたカテゴリーを「なかったもの」にしたのだと思えてならない。「お菓子系」全盛期の回顧-僕の平成オナペット史僕の自慰素材が主に十五歳から十八歳までなのを決定づけたのは、九〇年代後半に隆盛を極めた「お菓子系」との出会いだ。素人の少女による体操服(ブルマー)と学生服、スクール水着...忘れていたオナペット~原史奈編~

  • 駆け引き知らずの少女たち

    僕は平成期のほとんどにおいて、グラビアアイドルの写真集やイメージビデオを自慰用の素材に用いてきた。ファンとしてではなくオナペットとして、ひたすら性欲発散のためにそれらを買い求めてきた自己嫌悪と背徳感から、本人と直接会える握手会やサイン会に足を運ぶのを憚った。だから、それらのイベントにどういう人たちが集まって、どのような空間を醸し出しているのかまったくわからない。年端もいかない少女が、大勢の大人たちの前で素肌を晒しながら笑顔を振りまくのは相当恥ずかしいはずだ。しかし、それがグラビアアイドルのスタンダートである以上、断れば干されるだけだ。彼女たちはメジャーになるための代償として、水着姿になるのを厭わず、また自分の作品が不特定多数の男性の自慰に使われることもわかったうえで仕事に臨んではみたものの、残念ながらそのほとん...駆け引き知らずの少女たち

  • メジャー入りへの高き壁

    僕がお世話になったオナペットのほとんどは、歌手や女優、タレントの肩書きを得られず、地上波のコンテンツでスポットライトを浴びることなく芸能界を去っていった。高橋由美子や小倉優子、磯山さやかなど数少ない例外はあるが、彼女たちもいきなりメジャーデビューの機会は与えられず、マイナーな版元での雑誌グラビアや写真集という下積みを重ねたうえで、芸能界でも広く知られるようになった。僕の場合、「大海賊」という当時のA5判アイドル雑誌の中でも「BOMB!」や「DUNK」に比べてマイナーっぽさ漂う媒体で高橋を知った経験から、学生時代は同じ英知出版の「すッぴん」を毎月チェックした。ただ、高校生の頃は「Momoco」や「Uptoboy」といったメジャー誌も自慰用素材に用いるほどで、当時はまだメジャーとマイナーの線引きがなかった。「大海賊...メジャー入りへの高き壁

  • 忘れていたオナペット~原田由美子編~

    二〇〇一年と翌〇二年にお世話になったオナペットを振り返ると、小倉優子と磯山さやか、福愛美らの名前がすぐに挙がるが、決してそれらを用いての自慰回数が抜きん出ていたわけでもなく、その時々において二番手グループが僕の性欲発散を後押ししてくれた。最近紹介した小向美奈子や山吹美奈斗、橋本愛美、葉山恵里などがそれに相当するが、記憶を洗い出していくと再び何人かの名前が挙がってくる。〇一年十一月にデビュー作となる写真集「straight!」を発表した原田由美子もその一人だ。原田は当時十七歳で、高校生世代を好んで自慰対象にしている僕にとって、まさにど真ん中のストレートだった。本来なら同年を回顧したときに小倉と同様、真っ先に取り上げるべきだったのに、今になって原田の名前を思い出すとは痛恨の極みだ。二十年前の記憶を詳細に辿っていくこ...忘れていたオナペット~原田由美子編~

  • 忘れていたオナペット~葉山恵里編~

    二〇〇一年は小倉優子のデビュー写真集「恋しくて優しくて」でひたすら勃起と射精を繰り返していた記憶しか残っていないが、後で振り返ると小向美奈子や山吹美奈斗らも性欲発散の受け皿として名を連ねていたから、決して“小倉一強”ではなかった。それは小倉が唯一無比のオナペットだったという黒歴史を幾分修正してくれるとともに、この年の自慰用素材の検証が不十分だったことを意味する。僕の場合、写真集やイメージビデオ一作品につき、十回前後で打ち止めになったのは基本的にオナペットとはみなさず、本ブログでも取り上げる気はない。各素材における自慰回数は〇二年から六年間、記録を続けていたが、転居を機にそのメモを処分してしまったので、あくまでも僕の記憶を辿りながら、おそらく十五回以上射精した素材を思い出していかざるを得ない。平成という約三十年間...忘れていたオナペット~葉山恵里編~

  • 忘れていたオナペット~橋本愛美編~

    今でこそ「国民の愛人」などと性にあけすけなイメージでお茶の間でも広く知られている橋本マナミだが、彼女が橋本愛美として十六歳でデビューした当時は、大手芸能プロダクションに籍を置きながらもマイナー臭漂うB級グラビアアイドルにすぎなかった。僕も橋本にはお世話になったはずだが、当時のエース級だった小倉優子や小向美奈子、磯山さやか、福愛美らに比べると格下的存在だとみなしていた。本稿を書くにあたり、僕は橋本の写真集を何作品購入したのか調べてみると、デビュー作の「BunBunBum」から三作目の「夏、の、果、実、」まで、旧芸名での作品をすべて所持していたことが分かった。足かけ三年もコンスタントにお世話になっていたわけで、各年の自慰回数は突出していなかったものの、オナペットとみなさざるを得ない。三作目が発表されたのは二〇〇四年...忘れていたオナペット~橋本愛美編~

  • 雑誌媒体の域に留まった逸材

    自慰用素材を見つけるうえで、漫画誌や男性週刊誌に掲載されるグラビアには、いつも目を通していた。オナペットにかないそうなのがあったら、写真集やイメージビデオ(IV)がいつ発売されるのかのチェックを欠かさず、我慢できなければその雑誌を買って自慰にいそしむフライングも少なくなかった。雑誌のグラビアは素材探しの出発点で、めぼしいグラビアアイドルのデビュー作が発表されれば、それで何十回にもわたって自慰を繰り返すとともに、新たなオナペットを発掘すべく毎週発売される雑誌に目を通した。二十代から三十代前半にかけて、僕はビッグコミック系列四誌を購読していたが、あくまでも連載作品目当てで、一方、「これはいけるな」と思ったグラビアのためだけにヤングサンデーやヤングマガジン、男性週刊誌ならプレイボーイを不定期で購入していた。僕がお世話...雑誌媒体の域に留まった逸材

  • 忘れていたオナペット~小向美奈子編~

    これまで平成期のオナペットを年代順に振り返ってきたが、最近になって「そういえば、あの素材でもえらくお世話になったな」と、約三十年間の記憶に漏れがあるのに気づいた。彼女たちには大変申し訳ないと思いつつ、あらてめて本ブログで紹介していきたい。まずは小向美奈子だ。僕は以前、“巨乳美少女”を初めて具現化してくれたオナペットとして滝沢乃南を挙げたが、それは小向の誤りだ。小向は二〇〇〇年、十五歳でグラビアデビューし、前年の児童ポルノ法施行で壊滅に追いやられたお菓子系に代わる大物素材として、僕の股間を幾度となく膨らませてくれた。今でこそ各方面で話題を提供し、知名度の高い小向だが、デビュー当時はまだマイナー級で、一作目の写真集「Flapping」の版元も英知出版からだった。同作品は〇〇年十月に発表され、二作目の「Classma...忘れていたオナペット~小向美奈子編~

  • 平成最後のオナペット認定

    平成の終わりが迫る二〇一八年十一月、僕にとって最後のオナペットとなる森田愛生のイメージビデオ(IV)「らぶフレッシュ」を、某動画サイトからダウンロードした。一五年以降、3号ポルノの新作はほとんど発売されなくなったが、どういうわけかEIC‐BOOKはムックと並行して人気モデルのIVを世に送り出していて、森田もそこからデビューした一人だった。現役中学生を性欲発散の対象にするのは、新原里彩や源結菜ら功成り名を遂げたジュニアアイドル以来だが、いずれも長続きせずに動画自体を削除してしまったので、オナペットとはみなせない。森田は彼女たちよりも美少女度は劣っているものの、IVの撮影に気持ちよく臨んでいるようだったので、その健全で健康的な佇まいが、僕の劣情を大いに刺激させてくれている。作品自体は3号ポルノへの批判をかわすためか...平成最後のオナペット認定

  • 現在進行形のオナペット~武田紗季編③~

    二〇一〇年代に最も多く僕の性的興奮を最高潮に達させてくれた、武田紗季のイメージビデオ(IV)「SAKIMO」は、全編にわたる水着姿での撮影に恥ずかしさを堪える彼女の健気さに対し、それに譲歩しようとせず男性目線に徹するカメラワークが妙な緊張感を生み出している。モデルを嫌がらせない予定調和からやや逸脱した作風が、かえって視聴者のカメラマンへの劣情移入を捗らせ、性的興奮の度合いもいっそう高めてくれる。それでいて着エロのような下品さや安っぽさはなく、モデルの素の表情や肢体を引き立てている。大人との駆け引きを知らない少女が、ともすれば下着よりも布面積の小さい水着を着せられ、ディレクターの言いなりになって動き回る。それをカメラマンが執拗に追い続け、モデルは自身の胸や股間をまじまじと映され続けているのをわかっていながらも、ア...現在進行形のオナペット~武田紗季編③~

  • 現在進行形のオナペット~武田紗季編②~

    二〇一四年十月にDMM.comからダウンロードした武田紗季のイメージビデオ(IV)「SAKIMO」は、昨年まで七年連続で年間の最多自慰回数を記録していると言ってしまってもいいほど、平成後期のオナペット史を語るうえでの最重要作品だ。時代が平成から令和に替わっても、3号ポルノの新作がまったく発表されなくなった今日において、自慰用素材の新陳代謝が見込めないので、一〇年代前半にデビューしたグラビアアイドルはかけがえのない存在であり、その中でも武田は一頭地を抜いている。武田に比肩するオナペットとして、おぎのかなが挙げられるが、おぎのが五作品ものIVを発表しているのに対して、武田はデビュー作のみ。それでも武田での自慰回数はおぎののそれを上回っているにちがいなく、かつての石井めぐるや滝ありさをも上回るのはそう遠くない。3号ポ...現在進行形のオナペット~武田紗季編②~

  • 現在進行形のオナペット~武田紗季編①~

    平成という一つの時代を振り返って、年代別に最も多く自慰回数を記録したオナペットを挙げてみると、一九九〇年代が誰だったのか、どうにも浮かんでこない。それは自慰用の素材が写真集や雑誌のグラビア、アダルトビデオ、漫画などと多岐にわたっていたからで、飽きるのも早かった。最も記憶に残っているのは誰かと問われると、躊躇なく当時愛読していたお菓子系雑誌「クリーム」の九六年四月号に登場した中山由香だが、最多記録かどうかの判断には迷う。〇〇年代は石井めぐるか滝ありさのどちらかだが、二人とも僕の性欲のピーク期においてひっきりなしに股間を熱くさせてくれ、一日四、五回の固め打ちの立役者だったので、記録としての甲乙はつけたくない。一〇年代は武田紗季がぶっちぎりで、一四年十月にDMM.comからダウンロードしたイメージビデオ(IV)「SA...現在進行形のオナペット~武田紗季編①~

  • スクール水着への憧憬②~小池彩夢編~

    DMM.comが、まだ3号ポルノの動画配信を行っていた頃、僕は小池彩夢の二作目のイメージビデオ(IV)「そして、小さな恋」がとても気になっていた。ジャケットのスクール水着姿からして、一級品の美少女だと確信したものの、子役出身ゆえに控え目な露出に終始しているのではとの懸念が先立ち、実用性の観点から購入を見合わせていた。その後、3号ポルノの旧作を動画サイトから拾い集めていくうちに、僕は当該作品を見つけることができた。僕の予想に違わず、着衣と水着のチャプターで構成された緩めの出来となっているが、スクール水着姿に限定すれば、僕がこれまで堪能してきた、おぎのかな、相川結の二人と甲乙つけがたいほどで、しかも水着越しに伝わる胸の立体感は、彼女たちを凌駕している。中学三年の頃に高橋由美子のスクール水着姿のグラビアにただならぬ衝...スクール水着への憧憬②~小池彩夢編~

  • スクール水着への憧憬①~相川結編~

    二〇一〇年代前半に発表されたイメージビデオ(IV)で、僕が今でもお世話になっているグラビアアイドルはほぼ美少女系にかぎられている。彼女たちはメジャーになれぬまま、人知れず芸能界から去っていったが、僕にとってはいまだ現役のオナペットとしてかけがえのない存在だ。年端も行かぬ一級品の美少女が人前で水着姿になってIVを発表するのは、もう今日ではあり得ないので、僕のオナペットはおぎなかなの実働約九年を筆頭に、長期化が続いている。加齢による性欲の衰えに伴い、二十代後半から三十代初めのような一日四、五回の固め打ちができなくなっているので、かつての石井めぐるや滝ありさで記録した通算約百八十回に達したかどうかはわからないが、おそらくこのままコンスタントに自慰を続ければ、彼女たちの記録を更新するはずだ。相川結を初めて知ったのは、半...スクール水着への憧憬①~相川結編~

  • ローテーションに入れなかった美少女

    ゴルゴ13の初期の作品「飢餓共和国」で、主人公が肉体関係を持った女性にこのようなセリフを吐いている。「もういい……二度三度とつづけて味わえる女は……そうざらにはいない……」僕も二〇一〇年代前半に発表されたイメージビデオ(IV)をDMM.com(以下DMM)でダウンロードしたり、動画サイトから拾い見たりして「この子ならオナペットにかなうだろう」と期待に股間を膨らませながらも、なかなか自慰回数が増えずにフェードアウトしてしまったグラビアアイドルがいる。僕が今でも重宝しているオナペットと同様、一級品の美少女にちがいないのだが、彼女たちの仕事に対する姿勢や態度、また作り手の演出技法が、僕の性欲を刺激させるには物足りなかったのかもしれない。佐々木絵里の競泳水着姿のグラビアを初めて見たとき、「これまたとんでもない美少女が現...ローテーションに入れなかった美少女

  • オシリ―ナを凌ぐ尻美人

    十八歳未満のいわゆる3号ポルノの映像作品は、二〇一五年頃を境に新作が著しく減っており、今日においてグラビアアイドルのデビューは高校卒業後が一般的になっている。かつての「お菓子系」が一時淘汰された九九年よりも長期化の様相で、僕を含む高校生世代やそれ以下の年代を好む性癖の面々は、過去の作品に頼らざるを得ない。幸いにも、一〇年代前半は美少女が惜しげもなく布面積の小さい水着を披露したり、卑猥なポーズを見せてくれたりするなど自慰を捗らせてくれる良作に恵まれ、それらの中には現在でも飽きることなく自慰用素材として使わせてもらっているのもある。その一人として、まず村瀬綾里子を挙げたい。村瀬は一一年に十六歳でデビューし、イメージビデオ(IV)を二作品発表した。僕がDMM.comでダウンロードしたのは二作目の「あさから元気」で、ジ...オシリ―ナを凌ぐ尻美人

  • 時代に逆行した3号ポルノ

    僕は二〇〇五年から、十八歳以下のグラビアアイドルのイメージビデオ(IV)を自慰用の素材として重宝しているが、年を追うごとに演者の水着の布面積が小さくなっていくのに激しい性的興奮を覚えながらも、少しやりすぎではないかと業界全体の自制心の欠如を感じるようになった。今ではそれらのいわゆる3号ポルノの新作が滅多に発表されることはないが、当時はあたりまえのように店頭に新作が並んでいて、年端のいかない少女たちが芸能界でメジャーになるために、大人たちの口車に乗せられながら際どい水着姿になって性的アピールを競い合っていた。そんな中で、一二年八月に発表された坂井朝香のデビュー作「初恋」は、布面積の大きめな水着に、非カメラ目線での撮影、インタビューで尺を埋めるというまるで九〇年代のIV黎明期のような健全な作風で、僕はいささか面食ら...時代に逆行した3号ポルノ

  • 現在進行形のオナペット~おぎのかな編③~

    十八歳になったおぎのかなが、五作目のイメージビデオ(IV)「恋愛白書また逢えるカナ?!」を発表したのを知った僕は、某動画サイトからそれをダウンロードし、さっそく性欲を発散した。相変わらずの美少女ぶりに僕のペニスはたちまち屹立し、畳敷きの部屋で白のワンピース姿で佇むチャプターがお気に入りだ。一方で、3号ポルノの枠からはみ出ない全編の仕上がりに、おぎののグラビアアイドルとしての限界と、グラビア以外の才能がなければ芸能界からフェードアウトしていくだろうと思った。前作の「かなりいいかな」は3号ポルノでありながら、下着姿を披露したり、眼帯ビキニ(僕はまったく興奮しなかったが……)で撮影に臨むなど、かなり攻めた作品だった。Tバッグを履かなくて済んだのは、曲がりなりにもおぎのが大手芸能プロダクションに所属していたからであって...現在進行形のオナペット~おぎのかな編③~

  • 現在進行形のオナペット~おぎのかな編②~

    二〇一二年一月にデビュー作「はじめて、かなっ!?」のサンプル動画を自慰素材に用いてから今日に至るまで、おぎのかなは僕のオナペットだ。高校生世代でありながら、下着よりも布面積が小さそうな水着姿を披露し、それでいて嫌々やらされている感じがなく、健康的なエロチシズムを醸し出すおぎののイメージビデオ(IV)は、僕にとってはまさにど真ん中のストレートで、見送るわけにはいかずきっちり射精という形で打ち返している。おぎのは五作品のIVを発表したが、僕が選ぶベストは四作目の「かなりいいかな」だ。デビュー作から三作目までは海王社のムック「Koh↑Boh」と連動した作品だったが、「かなりいいかな」は彩文館出版系列のエスデジタルが手がけ、水着の露出や見せ方はおぎのの成熟した肢体と相まっていっそういやらしくなり、僕はこの美少女を汚さな...現在進行形のオナペット~おぎのかな編②~

  • 現在進行形のオナペット~おぎのかな編①~

    高校生世代のイメージビデオ(IV)が発売されなくなった昨今、僕の自慰用素材は過去の作品にかぎられている。写真集やムック(静止画)から動画に移行して十年以上経ち、二〇一二年二月頃に買った「Koh→Boh」の野元愛と山上愛のグラビア以降は、静止画で自慰をしていない。〇〇年代前半に散々お世話になった写真集、かつて一日四、五回の固め打ちがあたりまえだった石井めぐるや滝ありさの胸の立体感が露わな水着姿を目にしても、それらでペニスをしごいて射精に導こうという気は、もはや起きない。僕が現在でも自慰用素材に用いているのは、一〇年代前半に発表されたIVだ。その中でまず、おぎのかなを挙げたい。一二年一月にデビュー作「はじめて、かなっ!?」のサンプル動画で性欲を発散して以来、つい先日も素材に用いるほど、僕の自慰人生において最も長い間...現在進行形のオナペット~おぎのかな編①~

  • 下着姿はスタンダード

    DMM.com(以下DMM)の動画配信を通じて、僕は十八歳以上のグラビアアイドルの作品も自慰用素材に用いた。今日ではアダルトビデオ同様、すべての作品の演者は十八歳以上だが、二〇一〇年代前半までは高校生世代やジュニアアイドルも混在していたので、よほどの逸材でない限り、僕が十八歳以上を選ぶ機会はなかった。選んだとしても、せいぜい十回程度で飽きてしまうほどオナペットにはなり得なかった。僕にとってスマッシュヒットだった作品を挙げると、まず麻倉玲菜の「れいな」だ。競泳水着姿のジャケットに惹かれて購入したが、それで自慰に勤しんだことは一度もなく、私服を脱いで下着姿を披露するチャプターを繰り返し用いた。デビュー作らしく緊張感で表情がぎこちなく、かといって無理やりやらされている感じもなく、下着姿で露わに見える腋汗に、僕はひたす...下着姿はスタンダード

  • 画面越しに伝わってくる“やらされ感”

    自慰用の媒体が写真集やイメージビデオ(IV)から安価な動画配信に移行したとはいえ、平成後期から末期にかけては、加齢による性欲の衰えからか、以前のように一日四、五回の固め打ちができなくなったので、お世話になったグラビアアイドルに対してオナペットと称するのは若干の躊躇いがある。しかも、動画サイトでの違法アップロードを通じて、金を払わずに素材が手に入るようになり、それがかえって記録媒体の頃のようなありがたみを失わせ、駄作に対しても激しい落胆と違和感を抱かなくなった。DMM.com(以下DMM)を通じて、僕はこれまで約二十作品をダウンロードした。一回で打ち止めになったのもあれば、今日でもお世話になっている作品もある。DMMは現在、十八歳未満の作品、いわゆる3号ポルノの配信を一切見合わせているが、二〇一五年までは選び放題...画面越しに伝わってくる“やらされ感”

  • DVDからダウンロードへ

    二〇〇八年以降、僕は経済的余裕のなさで新品のイメージビデオ(IV)をほとんど買わなくなった。一二年七月に大竹愛子の「哀愁シネマ」を買ったのが最後だ。僕は大竹のデビュー作「NEWKISS」が欲しかったが、発売当時は生活に窮していたため手を出せなかった。六作目となる「哀愁シネマ」は、プロとしてすっかり性的露出に慣れてしまい、何の恥じらいも感じられない大竹の演技に、僕は激しく落胆したと同時に、やはりデビュー作を買っておけばよかったとほぞを噛んだ。DMM.com(以下DMM)がグラビアアイドルの動画配信を行っているのを知ったのはその年で、写真集からIVへとシフトし始めた〇五年と同様、僕の自慰用素材が記録媒体から動画配信に替わる節目の年だった。旧作なら約千円で買える安さと、運営会社が経営破綻さえしなければ無期限でダウンロ...DVDからダウンロードへ

  • スクール水着の理想形現る

    二〇〇八年四月。会社を辞め、親会社の社宅を追われた僕は、なけなしの家財道具を実家に送り、しばらく各地を転々とすることになった。収入は途絶え、貯金を取り崩す生活の始まりだったが、不思議と危機感はなかった。ただ、勤め人でなくなった以上、余計に自らを律さなければならなくなり、その一環としてグラビアアイドルのイメージビデオ(IV)の購入を自粛し、保有していたいくつかの作品もすべて処分した。挿入部が裂開したオナホールも無用の長物となり、人通りの少ない夜のごみ集積場にそっと置き去ったのを、今でも鮮明に覚えている。それっきり、僕の自慰手段は今日までオナホールではなく、もっぱら利き手に頼っている。IVを処分したことで、この年の自慰回数は前年に比べて激減した。二週間も間隔が空くのもざらで、性欲が高まってどうしようもないときは、漫...スクール水着の理想形現る

  • 「性欲を興奮させまたは刺激するもの」とは

    僕は中学生の頃から今日に至るまで、高校生世代のグラビアアイドルを自慰用の素材としている。当時十五歳だった高橋由美子の幼さを残しながらも、成熟への過程を辿る水着姿に衝撃を受けて以来、素人っぽさの残る少女の画像や動画をひたすら求めては昂る性欲を発散させた。彼女たちの中で、高橋のように歌手や女優、タレントとして芸能界に名を残したのはごくわずかで、ほとんどはグラビアの域から抜け出せずに、ひっそりと引退していった。僕はグラビアアイドルとしてデビューする少女たちを、もっぱら自慰の対象としてでしか見ておらず、よほどの逸材でないかぎり、飽きるのも早かった。しかも、二〇〇〇年代は3号ポルノ作品に対する逆風も吹いてなく、次々と新人が現れてくるので、彼女たちの二作目、三作目を買うよりも、まだモデル自身が垢抜けていないデビュー作が気に...「性欲を興奮させまたは刺激するもの」とは

  • 二〇〇七年のロリ巨乳系④~梶浦愛子編~

    十八歳未満の高校生世代が、令和の時代においてグラビアアイドルとしてデビューするのは極めてめずらしい。児童ポルノ法改正に伴い、いわゆる3号ポルノ作品の制作や販売を控える動きが広がり、新作のイメージビデオ(IV)は二十歳を過ぎた、どれも似たような人工的な容姿のモデルばかりだ。3号ポルノへの風当たりが強くなった要因は、モデルの低年齢化と過度な性的露出で、陰毛も生え揃っていないような少女にTバックを履かせたり、下着よりも布面積の小さい水着を着させたりするのは、一消費者として明らかに度を越していると、僕は市場の先行きを危惧した。それにもかかわらず、弱小の制作会社と芸能プロダクションが目先の利益を追求するあまり、人権団体に目をつけられ、ネット通販大手も右へならえで手を引いてしまった。業界全体が3号ポルノの制作に及び腰になっ...二〇〇七年のロリ巨乳系④~梶浦愛子編~

  • メジャーでなくてもいいじゃないか

    グラビアアイドルとしてのメジャー基準は、と考えると、地上波の大物芸能人にいじられて定期的に番組で使ってもらえるかどうかだと思う。むろん、その枠はかぎられているので、彼女たちは椅子取りゲームに勝ち続けなければならず、芸能界への執着心の強さも求められる。清純や天然を売りにしていても、それだけで世渡りできるほど甘くないのは明らかで、ライバルを蹴落とそうとする女子特有の陰湿なマウント合戦が繰り広げられているのが容易に想像できる。メジャー途上のグラビアアイドルはというと、需要があるかぎり仕事を続けるか、所属プロダクションとの契約満了で人知れず引退していくか、のどちらかになる。女優や歌手の道に進めるのはほんの一握りなのに、それらを目指してグラビアから芸能活動を始めるモデルが全国から集まってくるから、十八歳未満のいわゆる3号...メジャーでなくてもいいじゃないか

  • 二〇〇七年のロリ巨乳系③~鮎川のどか編~

    二〇〇七年当時は、メジャーになりきれていない無名のグラビアアイドルでも、デビュー作品として写真集とイメージビデオ(IV)が発表できるほど、業界全体の懐が広かった。同時製作ゆえに撮影時の衣装はまったく同じだが、IVはモデルに動きが加わるので、それを見る側の興奮の度合いも高くなっていった。僕が写真集で自慰することがもったいないと感じたのは、ちょうどその頃からで、アイドル写真集のカテゴリーリーダーとも言える彩文館出版が、写真集と映像作品を併せて販売したことが、写真集離れをいっそう加速させた。僕が彩文館出版の新作写真集を最後に買ったのはいつで、誰のだったのかと振り返ると、〇七年九月に発表された鮎川のどかの「多感期」のはずだ。成熟した健康的な肢体と、それでいて垢抜けていない鮎川の恥じらいとぎこちなさに満ちた表情の数々に、...二〇〇七年のロリ巨乳系③~鮎川のどか編~

  • 小さくなっていく布面積

    富樫あずさ以外に二〇〇七年の美少女系オナペットを振り返ると、秦みずほ(現・秦瑞穂)を思い出す。厳密に言えば、前年に発表したデビュー作のイメージビデオ(IV)「檸檬‐レモン‐」からの付き合いで、同時期のロリ巨乳系に比べて性的アピールが少なく、決め手を欠いてはいたものの、細身の体型のわりには胸の立体感が目を惹き、布面積の小さいビキニ姿も披露。美少女でありながら巨乳的要素も併せ持つ逸材として、僕の股間を熱くさせてくれた。僕がお世話になった作品は、IVの一作目と二作目「colourfield」で、〇七年八月に彩文館出版から一作目の写真集も発表されたが、それを買ったかどうか覚えていない。IVはどの作品とも高校生世代である秦の健康的な少女のイメージと、それでいて大人への背伸びとも言える不慣れな色気を漂わせ、僕の性的想像力を...小さくなっていく布面積

  • 二〇〇七年のロリ巨乳系②~西田麻衣編~

    漫画誌が運営するグラビアアイドルの専用サイトで、初めて西田麻衣を知ったとき、これまたすごい逸材が出てきたな、と僕は色めき立った。高校生世代の健康的なイメージを保ちながら、ビキニブラトップからあふれんばかりの胸の立体感に、僕は彼女のデビュー作を買わずにはいられなくなった。二〇〇七年六月に一作目のイメージビデオ(IV)「麻衣、はじめまして。」が発売されると、それからしばらくは西田でひたすら自慰に励んでいたと記憶している。デビュー作ゆえ、表情に硬さを残しながらも、ビキニ越しに見えるハリのある美しい乳房に、僕の股間はみるみるうちに硬くなり、性欲の発散を急がせた。惜しみなく水着姿になってくれるので、どのチャプターからでも興奮させてくれたが、頻繁に使わせてもらったのは競泳水着姿だ。はち切れそうな乳房の膨らみと、腰のくびれと...二〇〇七年のロリ巨乳系②~西田麻衣編~

  • 早すぎたイメチェン

    僕の人生の中で、二〇〇七年ほどグラビアアイドルのイメージビデオ(IV)を買い求めた年はないだろう。あの頃の僕は、毎週金曜日の夜になると隣町の温浴施設に通い、火照った体でロードサイドのセルビデオ店に立ち寄り、高校生世代の新作をチェックした。ジャケットの表裏を見て、「これはいけそうだ」と思ったらレジカウンターに直行。帰宅するや早速視聴を始め、ズボンを脱いで自慰にいそしんだ。この年の最多自慰回数を記録したのは、富樫あずさだ。並み居るロリ巨乳系の逸材を差し置いて、美少女系の富樫が抜きん出たのは、ひとえに二作目のIV「天使のあずキッス」が秀作だったことに尽きる。同作品での自慰回数は約九十回に及び、一作品のIVではおそらく自己最多だろう。「天使のあずキッス」は、撮影時高校一年生だった富樫の初々しい表情と成熟途上の肢体を余す...早すぎたイメチェン

  • 二〇〇七年のロリ巨乳系①~愛衣編~

    二〇〇七年に大変お世話になったロリ巨乳系のオナペットを振り返ると、四人ほどの顔と名前が挙がる。デビュー作を発表しただけで消えてしまったのもいれば、今でも現役なのもいる。ロリ巨乳といっても、美少女性とメリハリのある体つきを兼ね備えているのを好み、いわゆる“樽ドル”なる体型は性的興味の対象外だった。どの素材も一作品の写真集やイメージビデオ(IV)で数十回の自慰回数を記録するほど、僕は彼女たちの虜になった。まず一人目として、愛衣を挙げたい。地味な巨乳美少女と形容するにふさわしい愛衣は、雑誌のグラビアでデビューし、僕も気になっていたが、一作目の写真集やIVがなかなか発売されなかった。当時の僕は、もっぱら写真集やIVを自慰用媒体としていたので、雑誌の数ページほどのグラビアで射精するのはもったいない気がして、愛衣での自慰は...二〇〇七年のロリ巨乳系①~愛衣編~

  • 高学歴グラビアアイドルでの違和感

    僕は学歴厨ではないので、他人の出身校にはあまり興味がない。しかし、僕がこれまでお世話になってきたオナペットの中で、最も高学歴と言えるのは二〇〇七年二月に写真集「最初のありさ」(彩文館出版)でデビューした、黒田有彩ではないだろうか。都内の難関国立女子大学に通う学生という肩書きよりも、自慰素材として使える器量と体つきを感じ取ったので、迷わず写真集を購入した。高校生世代のグラビアアイドルでの自慰がメーンだったので、たまには大学生で性的興奮を高めてみようと思った。作品自体は、下乳を見せたり、布面積の少ない水着を着たりとデビュー作らしからぬ大胆さを感じ取ったが、黒田の表情がどこかぎこちなく、かといってそれが僕の性欲を高めさせてくれるほどの戸惑いや恥じらいではなく、真に拒絶しているように見えて、自慰回数は当初の予想を下回り...高学歴グラビアアイドルでの違和感

  • モデル上がりのグラビアアイドル

    グラビアアイドルのデビュー作品が写真集からイメージビデオ(IV)にシフトしたのは二〇〇〇年代後半で、出版業界も映像作品に力を入れるようになった。業界大手の彩文館出版はIVの販売を関連会社のエスデジタルが手がけ、市場全体が写真集に比べて約千円高いIVの出版件数を増やし、出版各社は収益の拡大を図った。その分、僕たち消費者の金銭的負担は大きくなり、しかもモデルのインタビューや着衣姿で走り回る姿など実用性に乏しい作品をつかまされることも多く、自慰用素材にかかる支出は年を追うごとに増えていった。それでも、写真集からIVへの移行は時代の趨勢で、僕はそれに抗うことなく新作を物色した。〇六年十二月に上京し、神保町のセルビデオ店で見かけた小林優美のデビュー作「AngelKiss~天使の微笑み~」のジャケットを見たときの衝撃と興奮...モデル上がりのグラビアアイドル

  • 美少女→着エロからの現在地

    僕の自慰素材はロリ巨乳系と美少女系を使い分けているが、たとえ美少女系とはいえ、ある程度の胸の膨らみがなければ性的興奮が湧かず、長くお世話にならない。僕の美少女系ルーツは高橋由美子に始まり、お菓子系、小倉優子、福愛美らこれまで紹介してきたオナペットに受け継がれている。二〇〇五年下期から〇七年にかけては、寺田有希がそこにすっぽり収まった。〇五年九月に発売された一作目の写真集「大好き‼」は、表紙のスクール水着姿が実に初々しく、過度な露出はないものの、当時十六歳の美少女がビキニ姿になってくれただけで、僕の性欲発散は捗った。漫画誌のオーディションでグランプリを受賞したにもかかわらず、積極的にグラビアに挑む姿勢が興味深く、寺田とは長い付き合いになるだろうと次作の発表を心待ちにしていた。当時はちょうど写真集からイメージビデオ...美少女→着エロからの現在地

  • 実用性を欠いた写真集~永岡真実編~

    写真集市場において、高校生世代のグラビアアイドルのデビュー作を率先して上梓した彩文館出版には、僕もこれまで大変お世話になったが、中には「はずれ」を引いて即古書店行きのもあった。自慰を始めても性的興奮が高まらない、いわゆる実用性を欠いた作品で、素材としては歴代のオナペットとひけを取らないはずなのに、撮影時の衣装や演出に興ざめしてしまい、自慰回数が増えるどころか、その作品を使うのも嫌になるほど、僕の中では駄作と位置づけられた。二〇〇五年七月に発売された、永岡真実「真夏の実」がその一つだ。当時、僕がどうやって永岡を知ったのか覚えていないが、おそらく雑誌のグラビアで写真集発売の告知があって、そこから興味を持ったのだろう。まだ十五歳なのに成熟した体つきで、僕の期待度は急速に高まったが、いざ手にしてページをめくってみると、...実用性を欠いた写真集~永岡真実編~

  • 約十五年ぶりの“再会”

    ビデオ・オン・デマンド(VOD)のサービスプロバイダーは、電子書籍も取り扱っていて、そこには二〇〇〇年代に活動したグラビアアイドルの写真集が安価で提供され、僕が二十代後半から三十代前半にかけて散々お世話になった彩文館出版の作品も含まれている。僕はキー局が運営するVODの有料会員で、毎月千円足らずの会費で千三百円相当のポイントが還元される。これを利用して、僕は約十五年ぶりに滝ありさの一作目「ありんこ」と再会した。グラビアアイドルの写真集でもっぱら自慰にいそしんでいた当時は、自室に五冊程度を敷布団の下に忍ばせ、そのときの気分によって素材を選んだ。どういうわけか、六冊以上所持しているとうしろめたさを覚え、飽きてしまったり、久しく使っていない作品は古書店に買い取ってもらった。一度放出した作品をまた使いたくなることもしば...約十五年ぶりの“再会”

  • 滝ありさ、永遠なれ

    二〇〇五年秋にDVDの小型再生プレイヤーを買って以来、僕の自慰用媒体は写真集とイメージビデオ(IV)の併用となった。翌年はIVの購入点数が写真集のそれを上回ったはずだが、この年の最多自慰回数を記録したのは前年に購入した滝ありさの写真集「ありんこ」で、彼女を引きずり降ろすオナペットはなかなか現れてくれなかった。むろん、滝の映像作品も何作か買って試した覚えはあるが、新作を発表するたびに垢抜けてグラビア慣れしていくのは滝も同様で、やはりデビュー作の「ありんこ」と並行して作られた「星に願うなら。」が最も記憶に残っている。DVDソフトのパッケージに収まる写真集入りという特典付きだったが、「ありんこ」で百回以上も自慰に耽った僕にとって、それはもはや無用だった。「ありんこ」との同時制作ゆえ、水着などの衣装はまったく同じだが、...滝ありさ、永遠なれ

  • 転職と「朝オナッ!」

    二〇〇五年六月。二度目の転職を機に、僕は県庁所在地である某地方都市へ引っ越すことになった。親会社の社宅を安く提供してくれたので、勤務先まで自転車で十分もかからないほど職住近接が可能になった。朝晩の満員電車に揺られる必要がなくなった反面、会社内の自由度や創造性は低く、入社二、三年目の仕事内容に甘んじている社員が多数を占めていたので、僕は試用期間の段階で逃げ出したくなった。よそ者はよそ者らしく、会社内ではおとなしく淡々と仕事をこなし、ほかの社員とは距離を置いていたが、仕事での消化不良感は日増しに高まっていき、その憂さ晴らしとして出勤前に自慰をするようになった。起床して身支度を整え、電子レンジで温めた無菌米飯に納豆をかけて食べた後、朝一の自慰に勤しむ。〇八年四月までこの会社に籍を置いていたが、早出直行の日以外はほぼ毎...転職と「朝オナッ!」

  • 写真集からDVDへの移行期

    マイナーなグラビアアイドルの記録媒体が写真集からDVDにシフトしていくのを実感した僕は、それを再生する機器の必要に迫られた。当時、折り畳みベッドの上でオナホールと枕を使って正常位のように自慰に勤しんでいたので、その体勢を維持するには小型のプレーヤーが最適だと判断し、二〇〇五年の秋に家電量販店で東芝の「ポータロウ」を手に入れた。その日の夜にさっそく古書店で買った石井めぐるの「シスター」で試し、性的興奮を喚起しづらい駄作ぶりにがっかりしながらも、何とか射精にこぎつけたのを覚えている。その頃のイメージDVD(IV)の尺は四十五分から六十分前後で、新作、中古にかかわらず、一回目の再生は全編等倍で見ることにした。見終わるまでに何回射精できたかが良作か駄作かを見分けるポイントで、最初のチャプターで果ててしまったのもあれば、...写真集からDVDへの移行期

  • 最高傑作二作品の揃い踏み

    僕の理想のオナペットは高校生世代の十五歳から十八歳までで、美少女と巨乳を併せ持った素材であるほど、瞬く間に自慰回数が増えていった。それらの価値基準は人によって異なるが、二〇〇四年に夢中になった石井めぐるは僕にとってまさに完成系で、一作目の写真集「Be―New―」は僕が今まで手にしてきた写真集の中で一、二を争う最高傑作なのは間違いない。一、二を争うと曖昧な言い回しに終始しているのは、翌年にまた僕にとって完成系となる素材が現れたからだ。もしそれが石井よりも早くデビューしていたら、〇四年の年間自慰回数はさらに増えていたかもしれないほど、彼女とは甲乙つけがたい存在だ。〇五年五月に一作目の写真集「ありんこ」を発表した滝ありさ。僕にとっては終生忘れることのできないオナペットの一人だ。「ありんこ」発表当時、滝はすでに十八歳で...最高傑作二作品の揃い踏み

  • 二〇〇五年のポスト小倉優子

    人前で水着姿になるグラビアアイドルは、セックスアピールとして水着越しの胸の膨らみや腰のくびれが重要な要素であるのは言うまでもない。高校生世代を性的対象としていた僕は、成熟途上のそれらにロリータフェイスが加味されると、その素材での自慰回数がたちまち増えていく。二〇〇四年の石井めぐるはその象徴で、週末のたびに一日四、五回の固め打ちをしていたのを今でも懐かしく思う。ポスト石井として疋田紗也が浮上し、〇五年の前半は彼女をよく使わせてもらったが、もう一人、中村知世を挙げたい。一作目の写真集「知世初見世」を発売した当時、すでに高校を卒業していて、僕はそれを用いるのにいささかの逡巡があったものの、かつての小倉優子を彷彿させるロリータフェイスに、年齢のこだわりなどどうでもよくなった。つい数か月前までは現役世代だったのだからと割...二〇〇五年のポスト小倉優子

  • 実用度に欠けた初DVD

    僕の年間自慰回数が三十歳を迎えた二〇〇四年を境に減少を辿っていく一方で、グラビアアイドルの低年齢化はますます進んでいった。今日では、製販ともに十八歳以下の写真集やDVDの発売に及び腰になり、新作がまったく発表されないなど市場は壊滅状態になっているのだから、もはや隔世の感がある。率先して高校生世代の水着姿を中吊りや新聞の広告に掲載していた大手出版社が、権力側に抵抗せず、また表現の自由を突き詰めようともせずにそれらを「なかったもの」にしてしまったのは、ひたすら残念でならない。〇五年のトピックスとして、初めて映像作品を購入したことが挙げられる。そのグラビアアイドルの写真集が発売されなかったのがもっぱらの理由で、不覚にもその素材の名前を覚えていない。音楽の勉強のために福島から上京し、その手の高校に通っているというエピソ...実用度に欠けた初DVD

  • 芸能界への執着は強くても……

    十代の頃に英知出版の出版物を自慰の素材として用いていたのがきっかけで、僕の歴代オナペットはメジャーになりきれないのが多数を占めた。北米のプロ野球リーグにたとえると、3Aや2Aクラスの素材で、彼女たちは一九九〇年代までは英知出版と「お菓子系」に活動領域がかぎられていたが、高校生世代のグラビアがビジネスになると睨んだ芸能プロダクションと出版社が次々とモデルを発掘し、各種媒体への露出を増やしていった。僕は大手出版社の販促に乗せられる形で、〇二年に週刊誌や漫画誌のグラビアでブレークしたアイドルの写真集に手を出したことがある。写真集ではなくムックだったはずだが、マイナーな素材を好む僕の主義に反する形で、市川由衣と仲根かすみのを買ってしまった。市川はともかく、仲根を素材に用いたことを打ち明けるのはどういうわけか気恥ずかしさ...芸能界への執着は強くても……

  • 実用性を欠いた写真集~篠原直美編~

    僕がグラビアアイドルの写真集を集中的に買い求めていたのは、二〇〇〇年代にほぼ集約されるが、オナぺットとして何十回も繰り返し使わせてもらった作品もあれば、ほんの数回きりで古書店行きになった作品もある。雑誌などで事前に情報を知り、その素材に対して性的興味が湧いたはずなのに、三千円近くも投じて買った写真集をぺらぺらとめくった途端、実用性を欠いた構成にがっかりした経験も少なくない。九〇年代から始まった漫画誌のオーディションで、酒井若菜と同じく準グランプリでデビューした篠原直美の写真集「NOW」も、その一つに挙げられる。僕の性癖なら、ロリ巨乳系の酒井に対して股間が膨らむはずなのに、奇しくも今日まで一度も彼女を素材に用いたことがない。篠原の写真集を買おうと思ったのは、その漫画誌のグラビアのスクール水着姿が初々しくてたまらな...実用性を欠いた写真集~篠原直美編~

  • U-18写真集の新陳代謝

    十八歳以下のグラビアアイドルが次々とデビューしていた頃は、自室に保管してある写真集の新陳代謝も激しかった。敷布団の下には常時、四、五冊を忍ばせていて、そのときの気分で素材を選んだ。時間が経てば飽きが生じ、古書店に買い取ってもらっては新しい写真集を買うための原資とする自転車操業が続いた。僕がこれまで手にした写真集の中で、最も保管期間が長かったのは、小倉優子の一作目「恋しくて優しくて」ではないだろうか。これが発売された二〇〇一年は、児童ポルノ法施行の余波が残っていたせいか、高校生世代の写真集があまり市場に出回らなかったので、僕の中で小倉が過大評価され、この年のオナペットはほぼ彼女一択だった。その後、彩文館出版やぶんか社、アクアハウスなどが、まだマイナーの域に留まっている高校生世代のグラビアアイドルの写真集を次々と発...U-18写真集の新陳代謝

  • メジャーになり損ねた逸材

    僕の二〇〇〇年代は、金曜日の夜になるたびに、仕事から帰るやすぐに郊外のセルビデオ店に向かって素材を探す日課が続いた。牛丼チェーン店やセルフサービスの定食店などで適当に夕食を済ませ、週末の食料品を買い込んでから自室に戻り、写真集やDVDを観賞しながら自慰に励む。それらは常に当たりはずれの連続で、当たりだったら何十回も繰り返し用いるが、はずれの際はいっぺん見ただけで古書店行きとなる。幸いにも、僕の行きつけだったセルビデオ店は新刊の写真集にもかかわらず定価の約四割引きで売られていて、よく重宝させてもらった。その後、転居を何度か繰り返し、自慰用の素材もインターネットによるダウンロードが主流となり、セルビデオ店に立ち寄る機会がめっきり減ってしまった。先日、僕が最も性欲旺盛だった〇四年ごろ足繁く通っていた店の近くを訪れては...メジャーになり損ねた逸材

  • “制コレ”デビューの現在地

    二〇〇四年は、僕の人生で年間最多の自慰回数を記録した年だが、最もよく使わせてもらった石井めぐるでさえ全体の一割強にすぎず、素材をとっかえひっかえしながら回数を重ねていった。雨後の筍のごとく、彩文館出版などから十八歳以下のグラビアアイドルの写真集が発売された時代背景もあり、この年のコアとなったオナペットは、石井と川村ゆきえに加え、野崎亜里沙も挙げられる。僕が野崎を知ったのは漫画誌のオーディションで、そこでのお披露目から写真集を発表するまでのスパンが長かったのを覚えている。グランプリを受賞した紗栄子に一切性的興味が湧かなかったのは、グラビアでの露出が少なかったのと、オーディションを単なる踏み台とでしか思っていなさそうな成り上がり臭を無意識に嗅ぎ取り、卑屈なオナニストは彼女を素材に用いることを拒んだ。その代わり、準グ...“制コレ”デビューの現在地

  • 最高傑作の写真集との邂逅

    僕が石井めぐるを初めて知ったのは、日比谷線の電車に乗ったときに偶然目にした中吊り広告だった。そのグラビアが掲載された写真週刊誌は買わなかったが、名前と顔はしっかり覚えたうえで、写真集の発売を心待ちにしていた。今ならDVDで名の売れたグラビアアイドルのみが写真集を上梓できる“特権”が与えられるが、二〇〇四年当時は写真集からのお披露目が一般的だった。僕が三十歳の節目を迎えたちょうどその頃に、石井の一作目の写真集「Be―New―」が行きつけのセルビデオ店で平積みされた。〇四年六月二十五日、ちょうど金曜日の夜だったと思う。自室に戻って早速自慰に勤しみ、射精した際の精液の量がいつもより多めだったのを、今でもはっきり覚えている。翌日、僕は美少女と巨乳の双方を兼ね備え、運動経験者だと思われる体脂肪率があまり高くなさそうな肢体...最高傑作の写真集との邂逅

  • 無事是名グラドル

    僕が三十歳になった二〇〇四年は、人生における性欲発散の絶頂期だった。結論から言うと、この年の自慰回数は七百六十二回(七百七十二回だったか?)と、一日平均に換算すると二回以上射精していたことになり、翌年からは減少に転じる。残業がなかったら、週末は自室に引きこもる“非リア充”生活の連続だったことに加え、良質のオナペットに数多く出会うことができたから、僕のペニスは勃起と射精を繰り返さずにはいられなくなった。この年のコアになったオナペットを時間の経過順で振り返ってみると、まず川村ゆきえが挙げられる。美少女と巨乳を兼ね備えた素材は滝沢乃南で経験済みだが、滝沢がぽっちゃり気味なのに対して、川村は佐藤寛子ほど体脂肪率は低くなさそうだが、運動経験者のような均整のとれたスタイルでデビューしたので、僕の執着度は滝沢を大きく上回った...無事是名グラドル

  • ブレイク前の秋山莉奈

    僕の歴代オナペットは、基本的に十五歳から十八歳までの高校生世代で、先に触れた磯山さやかや佐藤寛子のような巨乳美女系と、小倉優子や福愛美のような美少女系に大別される。美少女系といっても、多少なりとも胸の立体感が強調されなければ素材になり得ないわけで、今思うと小倉に対して日課のように自慰に勤しみ、一作目の写真集「恋しくて優しくて」を一年以上保有し続けていたのか不思議でならない。小倉に対する性的興味がなくなっても、僕は美少女系を求め続けていた。二〇〇三年の末から〇四年初めの自慰を捗らせたのが、秋山莉奈の写真集「ゆっくり愛して」だ。僕はそれ以前に秋山の写真集を用いたことがあるが、少女臭さがぷんぷん漂う構成にあまり乗り気でなく、すぐに古書店に買い取ってもらった。しかし、彩文館出版から上梓された三作目は、いやらしい目つきで...ブレイク前の秋山莉奈

  • 写真集世代の懐古

    僕の二十代の自慰素材は、AVに代表される映像媒体ではなく、写真集や雑誌のグラビアがその中心を占めていた。週刊誌や漫画誌で自身の性欲が高まりそうな素材を見つけ、それらの写真集が上梓されるのを期待した。金曜日の夜になると、僕は郊外のセルビデオ店をはしごして新刊を探し、それを買うとすぐに自室に戻って一回目の自慰に励んだ。オナペットとして何カ月も所有し続けるのもあれば、買った日の翌日に古書店に買い取ってもらうのもあった。十回を超せばましなほうで、二、三回で打ち止めというのも少なくなかった。僕がお世話なった写真集の主な版元として、彩文館出版、ぶんか社、アクアハウス、バウハウス、竹書房が挙げられる。大手出版社がメジャーアイドルにしか目を向けないのとは対照的に、それらの版元はまだマイナーの域に留まっているタレントの写真集を積...写真集世代の懐古

  • 生徒会長はグラビアアイドル

    先述したように、僕は二〇〇二年から六年間、一日の自慰回数を記録してきた。各年とも三百六十五回を大きく上回るほどのルーティンワークとなり、特に〇三年から五年、ちょうど三十歳前後がピークだった。理想的なオナペットが現れれば、おのずと自慰の回数は増えるし、当時は土、日曜の二日間で七~九回の固め打ちがあたりまえなほど、僕の性欲はみなぎっていた。〇三年、僕が二十八、九歳の頃に年間最多回数を記録したのは、前園りさだ。彼女も知る人ぞ知るマイナー級グラビアアイドルで、僕もセルビデオ店で平積みされた彼女の写真集の表紙を手に取るまで、存在を一切知らなかった。表紙には当時放映されていた連続ドラマの端役を演じていたとの文言が書かれていたが、そんなことよりも表紙と裏表紙から窺える彼女の成熟した肢体に、その写真集を買わずにいられなくなった...生徒会長はグラビアアイドル

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