各トピック、単語からそれにからむ思い出や当時の子供たちの姿を描ければと思っています。懐かしい風景が瞼に浮かぶよう、記憶を辿って書いています。共感が得られるものが少しでもあれば、嬉しい。
78回 / 299日(平均1.8回/週)
ブログ村参加:2020/03/28
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1件〜30件
よく授業が日教組の集まりやデモ参加で潰れたものだが、教室で開かれるようになった誕生会というのはその時のカッコウの時間つぶしにはなっていたのだった。 だが教師たちは結局、誕生会を禁止
人生で二度だけ、女たちの「群れ」としての騒ぎようというのを見て、私はポカーンとするしかなかった記憶があります。 女子たちの群れが男子に関わりないところでざわめき、女子の誰かが悲嘆にくれるように
昔の子供たちは競争が大好きでした。 かけっこなんかがとても大好きでした。 運動会の障害物競走なんて、まるでRPGゲームのように大好きでした。 友だちとの競争が大事でした。 色んな意味で
秋です。運動会日和の曇り空が続いています(笑)。 秋というのは運動会の季節です。暑くもなく寒くもなく、体を動かすのにちょうどよい季節です。 今はコロナでそれはちょっとムリなのかも知れません。
昔は定期券なんてものがあって、電車通学している子供はランドセルの横にくくりつけてぶら下げていたものでした。 ゴムひもみたいなもので定期をケースに入れて、見せるときはグイと定期券を伸ばして駅員さ
「デパート」。というと、デパートメントストアということです。 なんだか今となっては、とても違和感のある言葉にに聞こえます。 「百貨店」と言い換えてもなんか違う感じがします。 このネット
焼き芋売りというのは昭和の昔からの典型的なモノ売り商売です。 大きな大八車を改造して引いて売っていました。 「大八車」というのは今で言えばリヤカーでしょうか。 オヤジさんがそれを引いて売
転校というケースがあります。 それは昔は、今よりもずっと多いものだったはずです。 親の都合、進学のため、色んな理由はありましたが、転校というのは子供たちに少なからず傷を残したものです。
手品というのは昭和の時代にはたいそう流行したものだ。 大仕掛けでやるものもハヤったし、テレビでも盛んに放送された。 マジックショーなるものが普通に劇場で催されたりした。 引田天功というマ
どうしたわけか「裁縫をやれ」という授業があった。 男子でもそれはやらされ、裁縫セットというのを買わせられた。 今ならどうなのだろうか。 生徒の選択制だのとやって、また現場は自由を曲解した
昭和の高度成長期には各地で公害が発生しました。 「光化学スモッグ」というものもそのひとつでした。 主に都会、交通量の多い、自動車からの排気ガスが溜まりやすいところで、亜硫酸ガスなど有害なガス
「しきし」ではなくて、「いろがみ」という読み方をする方です。 折り紙を折るための紙ですが、それは色とりどりの紙がありました。 それを水に漬け、色を出して混ぜたり、抜けさせたりする遊びがあり
なかなかできなくて、ひどく困ったものです。 この逆上がりができることこそが学校での最も重要なことのように思わせられたりもしたものです。 単に体育の授業のひとつであったはずのことが、なぜか
こんなことが今でも学校でやられているかどうか、それは知りません。 父兄のフリをした不審者も考えられるでしょうし、どだい授業というものはもはやそれほど重要ではないはずです。 ましてやコロナと
子供たち、特に男の子たちというのはみなヒーローが大好きでした。 女子たちは男子の遊ぶのを不思議そうに見ていた。 この男子たちのヒーローへの思い入れというものがよく分からないのか、それとも自分ら
おしくらまんじゅう 押されて泣くな、♪ おしくらまんじゅう 押されて泣くな、♪ 冬の寒い日、それをやれば温まるなんていわれたものだ。 昭和の思い出だ。 ある日のこと、近所
これはゲームの一種です。 体育館や校庭で、授業中に教師が子供たちにゲームをさせることがありました。 「ハンカチ落とし」というのは、そんなゲームのひとつでした。 野外学習や遠足の時、そ
女生徒の中には早くも小学生から初潮を迎えてしまう子がいました。 それは、多分にイレギュラーなことだったのだと思います。 突然に先生がドタバタと走り回って隣のクラスの教室に駆け込んでいきました。
迷子というものがあります。どんなことが「迷子」なのでしょう。 親や保護者とはぐれてしまい、どうしてよいか分からないでいる子供。 泣いたり、独りでさ迷っていて、誰かに見咎められて保護され
「祭り」なんて、このコロナ感染拡大の今となっては、ちょっとできるかどうか分かりません。 感染者は拡大し、このままでは帰省することもどうなるか。 昭和の時代の「お祭り」というのはちょっと
いよいよ待ちに待った夏休みが近づいてきました。 コロナ感染拡大もあり、勉強も遅れています。 今の子供たちはそれどころではないんでしょうけれども。 昔は、夏休みがやってくるのを子供
満年齢に応じて入学するのが学校という制度ですが、一年を4月を起点とすれば最大で一年弱の差が開きます。 同じ学年と言っても、ほぼ一年ぐらいの差があることになります。 本来ならまだ小さいのに
今はあまり聞かれない言葉だが、「人さらい」ということが昭和の時代はよく言われた。 「知らない人についていってはいけない」と、クチを酸っぱくするようにして親や教師、大人から言われたものだ。
学校でやらせられた最初の楽器は、確かカスタネットだった気がします。 音楽の授業でやりました。 みんなで拍手をするように音を合わせるようなことをしました。 それは幼稚園の頃にもやった気がしま
沖縄が日本に返還され、沖縄への旅行がブームになりました。 それまで、戦後アメリカの統治下におかれた沖縄への旅行は、戦争を知らない若い世代にとっては外国でした。 そして沖縄に行って帰って
「じゃんけん」に関西と関東、地方によって違いがあったすると知ったのはずっと後のことです。 「じゃいけん」と「じゃんけん」ジャンケンの名前も違うようです。 そしてその掛け声も様々です。
そんなものがあったことに、今更ながら驚きます。 まあ、内申書とかそういうものに関係がなかった子供たちは分からなかったのでしょう。 ともかく、「謝恩会」というのが小学校を卒業して暫くすると
子供の頃はよく嘔吐をしていました。 学校帰りで、学校の裏庭で。 人知れず、嘔吐していました。 その後、カミユの小説に惹かれたというのは、決して偶然ではないでしょう(笑)。 冗談で
学校のクラス単位で「学級新聞」が作られることになりました。 少し高学年になった頃のことです。 大きな紙にみんなでマジックで記事を書いて、それぞれのクラスの外の壁に貼り、みんなに見てもらうとい
なんだか懐かしい響きの言葉です。 そんな特別な設備の教室が学校にはありました。 普通の教室ではありません。 授業で使うときはわざわざその部屋に出かけました。 前の日から伝えられていたの
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学校教育では教えてくれない事に大事な事が隠されている。 また、教科書に乗らない事にこそ、隠された真実が隠されているとも言える。 ジャンルや科目は問わない。学校でこれを教えるべきだという内容。
小学校に関することなら、どんなことでもOKですので お気軽にトラックバックやコメントしてください。
昭和30〜40年代の小学生時代。僕達は日が暮れるまで、自然のあふれる中で遊んだもの。そんな時代の記憶に残るなつかしい風景とともに、あたたかい時代をテーマに
学校のことならなんでもOKです!!出来事、行事、テストなどなど・・・ いろいろ書いてください! 国語作文教育研究所・宮川俊彦教育研究室 http://www.miyagawa.tv 指導対象170万人の実績を誇る作家・教育評論家宮川俊彦による昇格論文講座・受験実践論文講座・作文教室の詳細は上記ホームページをご参照ください。
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昭和って面白いと思いませんか? 住んでるところも違えば学校も違う。その後の人生もまったく接点がないのに、子どもの頃にしていた遊び、食べていた駄菓子、観ていたテレビ番組、読んでいたマンガ、聴いていた音楽が一緒。ついさっきまで知らない者同士だったのに、こんな話題をひとつ、ふたつと語り合っただけで、もう幼馴染みのように「トモダチ」になれるんです^^ このトラコミュは、そんな気安く楽しい放課後の校庭です。ちょっとでも「あ、いいな」と思えたブロガーさん、気軽にご参加くださいな♪♪♪
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