主に小学生の頃の振り返り。自分が見たこと、やったこと。学校でハヤっていたこと。昭和の中期、30年代の頃のこと、共感なり同意なり、これからの新たな時代、変化に備えられる発見があればと振り返ります。
各トピック、単語からそれにからむ思い出や当時の子供たちの姿を描ければと思っています。懐かしい風景が瞼に浮かぶよう、記憶を辿って書いています。共感が得られるものが少しでもあれば、嬉しい。
誕生会が流行りました。 そのうち、あまり派手にやるのはよろしくないという学校側のお達しがあり、やらなくなりました。 PTAとか保護者会なんかでも一部の子供たちのあいだで誕生会が行われている
「書き取りの時間」という授業がありました。 国語の延長だった記憶がありますが、国語というと本を読んだり作文を書かせたり、その中で接続詞や指示語の使い方を学ぶものでした。 その上で論理性など身に
東京の上野動物園にパンダが来ることになりました。 1972年、昭和47年のことです。 確か中国との国交回復、国交正常化に関して中国から贈られ来ることになりました。 名前はランランとカン
実は「ツイスター」というゲームの真相はとてもスケベなゲームだったということ。 もうこの時代、「ツイスター」を知らないという人もいるんだろうか。 発売はマテル社かと思っていたが、調べると発
目が悪いと、眼鏡を作ってくる子供がいた。 小学校低学年は人生で最初に眼鏡をかけ始める時期だ。 どこかで検査したり健康診断で眼鏡が必要ということになって、メガネを作ってくる。 そして
振り返ると懐かしい言葉。 「ケンケンパ」って、もう忘れてしまったでしょうか。 この遊びを今の子供たちもまだ知っているんでしょうか。 どの路地にもその遊びの跡が残っていました。 コンク
なんの流行だったのか、そのキッカケは思い出せないが、「誕生会」というものをよくやった時期があった。 やはり小学校低学年の頃だった。 誕生会で友達の家へ行った。 互いににプレゼントを持
クラスメイトに家が肉屋をやっている友達がいました。 お定まりのようになぜか太っていて、ちょっとイジメたりもしていました。 泣きもしないので休み時間なんかよく体当たりなんかしていた。 ある日
小学生ともなると保育園や幼稚園などは格下に感じます。 だから保育園などでバザーなんかのイベントがあったりすると、子供のくせに偉そうな感じで出かけていきました。 その点、幼稚園というのは小学
子供が寄り道をする先、そのトップは駄菓子屋さんでした。 そこにはたいてい「ガチャガチャ」というものがありました。 昔は10円ぐらいでした。 暫くすると三枚重ねて30円、そのうち50円ぐ
子供たちの寄り道の先は日替わりで色々でした。 駄菓子屋に寄ったり、友達と公園で遊んでから帰ったり。 一緒に帰る友達の都合によります。 一度、家に帰ってランドセルを置いてから出かけろ
子供時代、同級生には肉屋や魚屋、花屋など色んな商売をやっている子がいました。みんな知っていました。 その後に中学生になるとそういう家のことは分からないのが普通になります。 大学へゆくとそうした
学校でそろばんの授業というのがあって、買わせられたことがあります。 「願いましては」なんていちいち唱えて、こうして計算するのだと教えられた。 そして「便利なものを昔の人は考え付いたものだ」
縄跳びには二つの種類があります。 ひとつはみんなで跳ぶ大きな縄跳び。 二人が長いロープを持って大きな輪を描いて回す。 その中に子供たちが次々に入っては跳んで出て行く、誰がひっかかって止
子供たちはなかなか図書館などに行きません。 「本を読みましょう」なんて大人たちはよく子供に言ったものです。 var nend_params = {
今ではとても信じられないだろうが、小学校の頃にカエルの解剖実験をした。 「解剖実験」と呼ばれていたが、解剖して何か実験するわけではない。 カエルを解剖する実習そのものだった。 浮き
「ファーストキス」なんて言葉が流布されるようになったのは、自分の経験からすればずっと先のこと、中学生ぐらいになってからのことです。 それまでの小学校生活ではキスなんて言葉はマンガやコミックでの
バカで、劣等感の塊のような親が、子供たちを追い込んだ。 昭和の時代にはそんな親の暴走がよくあったものだ。 そこそこの暮らしをしているというのに、子供に健全な育ちをさせようとはせず、なぜか
得意中の得意だった。 子供の頃から鼻の調子が悪かった。 母親の腹がきっと悪かったんだろうが、今更言ってもそれは始まらない。 蓄膿症というわけではないし鼻声というわけでもない。
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