主に小学生の頃の振り返り。自分が見たこと、やったこと。学校でハヤっていたこと。昭和の中期、30年代の頃のこと、共感なり同意なり、これからの新たな時代、変化に備えられる発見があればと振り返ります。
各トピック、単語からそれにからむ思い出や当時の子供たちの姿を描ければと思っています。懐かしい風景が瞼に浮かぶよう、記憶を辿って書いています。共感が得られるものが少しでもあれば、嬉しい。
「祭り」なんて、このコロナ感染拡大の今となっては、ちょっとできるかどうか分かりません。 感染者は拡大し、このままでは帰省することもどうなるか。 昭和の時代の「お祭り」というのはちょっと
いよいよ待ちに待った夏休みが近づいてきました。 コロナ感染拡大もあり、勉強も遅れています。 今の子供たちはそれどころではないんでしょうけれども。 昔は、夏休みがやってくるのを子供
満年齢に応じて入学するのが学校という制度ですが、一年を4月を起点とすれば最大で一年弱の差が開きます。 同じ学年と言っても、ほぼ一年ぐらいの差があることになります。 本来ならまだ小さいのに
今はあまり聞かれない言葉だが、「人さらい」ということが昭和の時代はよく言われた。 「知らない人についていってはいけない」と、クチを酸っぱくするようにして親や教師、大人から言われたものだ。
学校でやらせられた最初の楽器は、確かカスタネットだった気がします。 音楽の授業でやりました。 みんなで拍手をするように音を合わせるようなことをしました。 それは幼稚園の頃にもやった気がしま
沖縄が日本に返還され、沖縄への旅行がブームになりました。 それまで、戦後アメリカの統治下におかれた沖縄への旅行は、戦争を知らない若い世代にとっては外国でした。 そして沖縄に行って帰って
「じゃんけん」に関西と関東、地方によって違いがあったすると知ったのはずっと後のことです。 「じゃいけん」と「じゃんけん」ジャンケンの名前も違うようです。 そしてその掛け声も様々です。
そんなものがあったことに、今更ながら驚きます。 まあ、内申書とかそういうものに関係がなかった子供たちは分からなかったのでしょう。 ともかく、「謝恩会」というのが小学校を卒業して暫くすると
子供の頃はよく嘔吐をしていました。 学校帰りで、学校の裏庭で。 人知れず、嘔吐していました。 その後、カミユの小説に惹かれたというのは、決して偶然ではないでしょう(笑)。 冗談で
学校のクラス単位で「学級新聞」が作られることになりました。 少し高学年になった頃のことです。 大きな紙にみんなでマジックで記事を書いて、それぞれのクラスの外の壁に貼り、みんなに見てもらうとい
なんだか懐かしい響きの言葉です。 そんな特別な設備の教室が学校にはありました。 普通の教室ではありません。 授業で使うときはわざわざその部屋に出かけました。 前の日から伝えられていたの
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