愛のカタチは、様々。両方が、同じように思い合うということもあったり、無かったり。片方の「愛」に甘えているもう一方。時に「都合のいい」人になっている。それでもいいと思う。A「自己愛」が、非常に少ない人。それでもいい。その人と関わりあえれば。それが、どのような形であれ。BA、Bが映画の主題と感じた。(あえて言いきれば)Bは、時に非情である。いろいろな人を傷つける。自分も傷つけられるが、他人も傷つける。Cそれでも「愛」から逃れられない。Dそれが「愛」なのか。「愛」がなんだ。E「愛」は、結局自己愛の肥大化したものなのか。Fそんなものは、愛ではないと思うが、それを愛と勘違いしているのか。「愛」でなくていい。GGは、社会的にアウトではないか。アウトの渦巻いている世界に生きている私たち。「愛がなんだ」感想
「いき」とは。やせ我慢と諦めどちらも心の強さが必要追求→自分らしさ、自由が得られる。永井荷風は、妻を持つこと、家庭を「諦め」、「やせ我慢」をして自由に生きたのではないだろうか。私は、そんな荷風先生をみて「らしさ」「自由」な生き方を感じる。自分もそんな風な生き方ができたら、どんなにいいだろうと考える。恋愛の先に進めない、進まない「やせ我慢」「諦め」は、いきというより野暮なのかもしれない。そんな生き方しかできない荷風先生に「らしさ」は感じるが、完全に「自由」ではない。好きな女性と所帯を持つ、思うままの「自由」。その果てに訪れる縛られた「不自由」が見えている。そんな人生に「不自由」」を感じている。それから逃れる人生に対する「諦め」。私の私見であるが、荷風先生は、「自由」に見えたが、「不自由」な人生を「諦め」、やせ我慢...九鬼周三
樹木希林と小林聡美の親子は、なんとも言えない。本当の親子以上の不思議な雰囲気を感じる。希林;「暑い、暑い」と言って、冷蔵庫の扉を開け閉めして冷気を浴びようとする。アドリブのような自然な感じがいい。今の社会を映しているようだった。独り暮らしの老人。しかし、近所との交流があり、趣味を楽しんでいる面もある。息子は、小説家だが、売れていない。探偵で生計を立てているが、苦しい。別れた妻子に養育費が払えない。月1回面会、食事、買い物をして別れる。妻には、再婚を考えている男性あり。子供は、馴染まない。仕方ないと思っている。一緒にいる時は、家庭を顧みなかったが、別れると未練が募る。失くして気づく、大事なもの。やり残したことが多く感じる今日この頃。妙に、大切なものを粗末に扱ってきたことに気づく。今、関わっている人たちを大事にでき...映画「海よりもまだ深く」感想
春の夜の闇に浮かぶ花びら水に映る薄いピンクが波風に乗る黒の世界にピンクの花びらの光桜2
先日は、急に気分が悪くなった。息苦しくなり、恐怖感に襲われた。病院へ行ったが、異常はなかった。しかし、腕を上げるのが、とてもつらかった。少しずつ回復しているが、腕を上げるのに力が要る感じである。腕を上げたあと、疲労感を覚えるのである。体を動かすのにも、気合がいるようになった。横になると楽なのだ。トイレに行ったり、10段の階段を上ると以前の3倍くらいの疲労感を感じるようになった。時に息苦しく、受診したくなった。4~5時間我慢したら、少し楽になった。このブログもそろそろ疲労が強くなってきた。脳梗塞後
4~5度目のトライである。まだ、一度も上巻も読めていない。読み終えるのはいつになるかわからないが、その時々の感想を買い残していきたい。リプーチンとワルワーラ夫人の関係とやり取りを読んでいる。それぞれが、世間体、自己顕示欲、相手への依存、不信、不満、被害妄想、思いやり、気遣い、表面上の調子合せ、互いの利害の一致などが見られる。それに、お互い神経質で、けんかっ早いが計算高く、謙虚さはあまりない感じで、傲慢である。この二人は、離れるに離れられない腐れ縁のような関係である。二人とも、表面と思っていることが、上記の感情が、入り乱れていて、吹きだしてしまうほど、滑稽な性格なのである。読めば、読むほど、自分の日常の性格を丸写しされているかのような描写なのである。会社、友人、家族、初対面などその時々によって、自分の顔(性格)は...「悪霊」ドストエフスキー感想
放送大学TV感想最古の文字は、メソポタミアの粘土板文書というものでした。BC3000前です。古拙文字といわれ、麦の絵で記号のようでした。穴が5つ空いていたので、数を表しているようでした。記憶の外部保持のためではないかとのこと。日本・・・漢字の輸入の前に文字があった。ハングルに似ている文字。47文字。48文字の説もあり、まだ、公式にはっきりと認められていないそうです。AC400年ころ。翻字・・・現代の文字に書き換えてみる。まず、この作業があります。話す時は、日本語、書く時は、中国語の時代が、ありました。TVを見ながら、拙い記録でした。書誌学・古文書学TV感想
あの夏、君と波と一つになった。波打ち際を走り、波と戯れた。砂に寝そべり、青い空に包まれた。南の島の時間は、ぼんやり小さく遠く離れていく。波打ち際の貝殻を一緒に見ていた。砂に埋もれた貝殻。波を受け、また現われた。こうして、100年後も、200年後もここにいて。そして、僕たちを時々、思い出してね。海
夜の桜並木を歩く。桜のトンネルが続く。横の公園には、ライトアップされた桜の木々が、照らし出されている。夜の闇の中、神々しく照らされた春の光り。その周りには、群衆が溢れ、にぎやかに歌い、踊り、賑わいを尽くしている。宴は始まったばかり。にぎやかな音の中、私はふと公園の外を眺める。暗い夜の中に、一人歩く人影。私は、宴から離れ、夜の闇に触れてみたいと思う。人影は遠く、消えゆく。そこに見えたのは、暗闇の中にひっそりとたたずむ枝垂れ桜。闇の中、不気味なほどしなやかに、うつむきながら、そこにいる。白い花びらは、ゆっくりと落ちてゆくよう、揺れている。その小さな白は、ほんのりと淡く、黒の闇の中を落ちながら、浮遊していた。幻影のように。夜桜
春の山を登る。上へ、上へ。上へ向かう。つま先に力を入れ、指先で掻きながら。息は、徐々に荒く、肺にも負荷がかかる。途中、立ち止まり、野花に目をやる。スマホで、写真を撮る。小さな黄色い花びら。4~5か所まとまって咲いている。ペットボトルを取り出し、一口水を含む。少しの水が、胸のあたりをひんやりと濡らす。また、歩き出す。スタートして4時間、頂上が近くに見えてきた。もう春というのに、少し雪がところどころに残っている。白い綿が、点在している。少し歩くと、雪が岩肌を覆い尽くしている。その岩のそばから、いくつかの枝が見えた。近づいて、よく見ると、梅の花であった。白い雪に埋もれながらも、薄いピンク色の花が、顔を出している。冷たい雪の中に、春が力強く息づいていた。それはまるで、白い衣装に覆われ、赤い口紅に切れ長の目をした女性のよ...冬の終わり
ジャズ評論家寺島靖国「ジャズ7箇条」より(1)ジャズは自己中心主義で行こう。自分の耳で聞いてよければそれでいい。(2)ジャズは「音色」で味わおう。(3)名盤だけではない。商品こそジャズの醍醐味である。(4)まずは良い楽器ありき。演奏(アドリブ、インプロヴィゼーション)至上主義ではつまらない。味気ない。(5)ジャズに疲れたら女性ヴォーカルとピアノ・トリオでリラックスしよう。(6)ジャズはファッションである。服装やジャケットのかっこいいものを聴こう。(7)新譜をどん欲に聴いて、心身をリフレッシュさせよう。(本書「まえがきJAZZ遺言状これからJAZZを聴く人、JAZZを聴いてきた同志たちへ」より引用)感想(1)キース・ジャレット;クラシックのようであるが、クラシックではない。ジャズには聴こえない。自分にとっては、ジ...寺島靖国「ジャズ7箇条」感想
白人たちのハイセンスでスマートにスイングする「ウエスト・コースト・ジャズ」これまで、一音一音重たく迫ってくるマイルス・デイビスや多様な思想、多様な技法等複雑に入り組んだ、と思われるブラッド・メルドー、同じくキース・ジャレットと私にとっては、頭を使って聴かないといけないようなミュージシャンを比較的多く聴いてきたように思う。そういった中で、YouTubeを見ていたら、「シェリー・マン」が目についた。ジャズ喫茶をみていたら、紹介されていたので、聴いてみたのだ。このバンドが、易しくて簡単でというつもりはない。ウエストコーストのさわやかな風の中、涼しいのだ。重たく、ブルージーなものとは、まるで正反対に聴こえるのだ。かといって、ブルースを感じないわけでもない。スマートでさわやか。気軽に聴きやすい感じがする。テクニックの高度...シェリー・マンジャズ
少年と少女は、再会した。少女は、つぶやいた。「これで伝説は、終わってしまったのね。お会いしないでいたら永久につづいた伝説を」「僕たちは、まだ伝説の中にいます。出会いは今始まったが、あの頃のあなたとあの頃の僕は、まだ本当には出会ってはいないのです。」「出会ってしまったら、伝説は終わるのでしょうか。」少女は不安そうに尋ねた。「その二人を永遠に会わせないようにしましょう。」青年はいきなり少女の体を抱きしめた。感想原文が非常にわかりにくかったため、理解しやすく変更してみたが、依然として、理解するのが難しい。三島氏の思考を理解するには、私には、知能が足りない。あえて自分なりに解釈すると、伝説を、プラトニックとする。青年は、再会するだけでは、伝説(プラトニック)は終わらない、と言う。プラトニックな二人を会わせない方法。プラ...「伝説」三島由紀夫感想
「私とあなたの間にある倫理」についてマルクス・ガブリエル・・・世界は、自分の思っているより複雑である。慎重になるべきである。(アメリカ政治に対して言っているが、他にも同じことが言えると思う)ダニエル・ケールマン小説は、他者の目を通して別の世界を見るトレーニングである。人々が、小説を読み始めたとき、暴力が減少した。夜のトンネルを抜けると、街は光で満ちていた。だが、人の心の奥までデジタルな光は照らしてはくれない。不安と鬱屈を誰もが抱えている。それでも、他者への想像力、無垢な感情の発露が人を救う。彼は、ただの人間でそこに深い違いはない。そのことが、非常に重要です。それが、倫理です。倫理とは、「異質」という錯覚を「あなたが、彼だったかもしれない」という事実に転換すること。「私は、あなただったかもしれない」これが、重要で...Eテレ「欲望の時代の哲学」を見て
三島は、目に映る光と影の差異を幻影のように描写する。アレンジにて「接吻」三島由紀夫満月の夜、街はひっそりしている。うかんでいる雲は月にてらされて彫刻めいてみえる。月の光はX線であり、それは心の所在をはっきり見せてくれる。しかし、それは、治療には役立たない。詩人は、鵞ペンの羽根を唇に当てた。鵞鳥のつややかな羽根が彼の唇の上をしっとりとすべってゆく。詩人は、うつむいている彼女の唇をちらっと見ていた。どんな果物より果物らしい味のしそうな唇。ほんの一秒のキスでいい。水彩画を描く彼女。彼女は、ふと筆の穂先を無意識に唇に当て、そっと撫でた。詩人は、鵞ペンをプレゼントだと、彼女に渡す。彼女は、お返しに果物の静物画を描き上げたらあげる、と言う。「いや、僕はそれを欲しいんだよ、その絵筆」「ちょっと、困るなあ。でも欲しけりゃあげる...「接吻」三島由紀夫感想
父親の死に際して~本文田舎の寺の住職の死というのは、異様なものである。適切すぎて、異様なのである。彼はいわば、その地方の精神的中心でもあり、檀家の人たちのそれぞれの生涯の後見人でもあり、彼らの死後を委託される者でもあった。その彼が寺で死んだ。それはまるで、職務をあまりにも忠実にやってのけたという感銘を与え、死に方を教えて廻っていた者が、自ら実演してみせあやまって死んだような、一種の過失といった感を与える。感想父親との親子の愛情を感じない客観的な捉え方。これこそ「異様」に感じた。父親を好きでなかったにしても「異様」である。死を「職務を忠実にやってのけたという感銘を与え」「死に方を教えて廻っていた」「実演してみせた」という表現は、父親を見下してみている感じがした。「死」についても、深刻さがなく、表象的に「死」を捉え...「金閣寺」三島由紀夫感想
フーコーを「権力」と言い換えて、考える。権力のフラット化として。TVでは、「権威」者が語る。医療、政治、タレントをある面「権威」と捉えてみる。私がフーコー的に見たとしたら、である。A氏の主張は、A。B氏の主張は、B.それぞれの立場、領域によって。フラット化の問題としては、「患者」重症、軽症、陽性、陰性、若年者、高齢者、またその家族、保健所(中央、地方、県、市町村)、病院、クリニック(都市、地方)、看護、介護現場職員(都市、地方)、検査機関(都市、地方)、データの複数機関の相互検証等など、私が数分で思いつく限り挙げたが、まだまだ関係者は、多くいるであろう。これらの意見を出し合う場所が必要である。フーコーは、「権力」をフラット化してみる手法を取ったと考える。私たちは、権威、権力に影響される。それは、実在の権力者不要...フーコーとウイルス
ウイルスに対して、どのように向き合えばいいのか、ドゥルーズをモデルに私なりに考えてみたい。リゾーム論・・・中心も始まりも終わりもなく、多方に錯綜するノマド的な考え方①パラノ型(定住、安定、積み重ね)②スキゾ型(軽薄短小、移動、刹那的)2つに分けてみる。①科学の進歩、新薬、除菌法など対処法に注視する。これまで続けていること、仕事、趣味などに没頭する。②ウイルスについては、科学者ではない限り考えてもしょうがない。自分にできること、どちらかというと思いついたことを取り組む。制限も増えてくるので、その時々で、やることを感覚で選んで生きる。それぞれの長所・短所①長所・・・続けてきたことで、成果がでたり、安心感が生まれて、ストレスを解消することもできる。短所・・・状況により、これまで通りに行動できないことも多くでてくる。そ...リゾーム論とウイルス
名勝に日本庭園が白く広がる。静かな風が、木々を揺らす。海が広がる。目を閉じると、ペン、ペン、ペンとゆっくりと静かな三味線の音が、耳をなぜた。書院の廊下に、紺色に鶴が舞う模様の着物の女性が、正座をして名勝を奏でている。そこに、赤地に桃の花、雲に松が重なり合っているような模様の着物を着た女性が、舞を踊っている。白に花、緑色の葉の扇子をかざし、こちらをみているよう。白砂に岩の島、海の彼方に舞う。時間が止まる。動きが止まったと思った瞬間、スーッと海の舞は、その彼方へ消えていった。幻のように。再び見ることのない、海の舞は、目の前から散った。名勝に散る
私は、ウイルスを科学的に捉える専門知識を持ち合わせていない。かといって、これからお話する哲学的思考が、専門的に話せるかというとそれも無理である。それを前置きとして、老荘思想から、この現代の問題「ウイルス」を見た場合、どのように考えるのか。私なりに思索してみたい。このように申し上げれば、たいそうな考えが、披露されるだろうと期待されるのは、検討違いである。「道」について。これは、万物を支配している、とある。見ること、聞くこと、つかまえることができない。渾然と一つに溶け合っている。風邪には、それ自体の治療薬はなく、「溶け合う」は、大げさだが、付き合っていく、ということか。肺炎の部分に効く薬が、あればそれはそれで大変良いことである。ここで大事なことは、科学者として治療の話をするのではない。あくまで、哲学的に考えるという...老荘思想からみたウイルス
古都を歩く。古い石畳みを踏みしめ、静寂を踏みしめる。苔の生えてある緑の石垣が、風を支える。風は、散歩する者に並んで歩く。神社の鳥居の前に立つ。お参り帰りの人が、いく人かこちらに向かってくる。私は鳥居の前で一礼し、そのまま通りを進んだ。着物姿の男女とすれ違う。女性が、店先を履きながら挨拶をする姿が見える。その上の方に桃の花が咲いているのが見える。桃の香は、通りを吹き抜けていく。桃色の森が、街を、人並を、染めていく。前に名勝の庭園が見える。真っ白な砂利が敷き詰められ、それが波を打つ。置き石は、海に浮かぶ島。表面の凹凸の激しい岩で覆われた島である。枯れ滝・鶴島・亀島が見える。その横は陸地の森である。木々に覆われている風景が、迫ってくる。私は、我を忘れ、目の前に砂浜に打ち寄せる波。その奥に大海原が広がっている。町の通り...祇園小路を歩く(創作)
個室に入り、椅子に座るようアナウンスが、聞こえました。「床が、揺れる恐れがありますので、しっかりとセーフティーベルトをお付けください」ランドセルのようなものに腕をくぐらせ、ベルトをしっかり取り付けました。「身体を揺らして、『揺れの表現』なんて言うつもりだろう。「それでは、ご覧ください」とアナウンス。一瞬で体が浮き上がり、考えられないスピードで、頭と身体が、天井へ向かって突き抜けようとしています。何が起こっているのだろう。その時です。真っ青な空が、目の前に広がっています。下方に街並みが、小さく見えます。付けたイアホンから、「テーマは空です。風、太陽、雲、気圧、酸素、温度など味わって下さい」その味わいも、つかの間、次の瞬間地面がいっきに近づいてきます。その直後、また青空の中へ投げ込まれます。それを繰り返しながら、静...美術館4
真っ白な壁、真っ白な床。先の5人くらいの人達が、床を転げまわり、壁に胸や背中を付けて、ペインティングしていました。恐ろしい光景です。学芸員が、「皆さま思い思いに作品を制作されています。ここは、鑑賞者の今のお気持ちを作品にしていただきたいと思います。今、ここでしか表されない情動を表現していただきたいと思います。」今回の作品は、作家の意図は、「観察者による観察者の瞬間のアート」がテーマになっています。作家が鑑賞者となり、鑑賞に来たと思っている方が製作者となる逆転現象の芸術です。受け身から能動的アートです。しかも、あらかじめ予測して、決めておいた作品ではなく、「地獄のその後、その一瞬」です。地獄と言っても、柔らかな地獄ですけど」わかったような、わからないような感じでした。瞬時に理解はできませんでした。しかし、白に泥だ...美術館3
足つぼの山を倒れながら、やっとの思いで乗り越えました。アナウンスで、『「痛み」の表現です。自らの姿勢、前の人の動きを観察できたでしょうか。』と言っています。私は、「こじつけだ」とつぶやきました。一息つくと、目の前に扉があります。もうほかに道はないのです。一刻も早く、この館から脱出したいという気持ちでいっぱいになりました。扉を開け、中に入ると、扉がバタン!と閉まりました。ドアに侵入禁止のマーク。熱い部屋のようです。サウナに似ています。先客は、「熱い、熱い」と言っています。よく見ると、男性は、上半身服を脱いでハンカチで汗を拭いています。「あと1分だ!」と言っていました。壁に「3分後に、退室してください」と書いてありました。たった3分か、良かったと思いました。しかし、徐々に汗が、流れ出し、服はびしょびしょです。ズボン...美術館2
これからお話することは、筆者の単なる思いつきである。私が思いつく程度のことなので、これまでも見聞きされたことはあると思われる。二番煎じの単なる作り話として、お聞きいただきたい。私は、これまで様々な美術館を訪れた。今日は、T美術館を訪れます。まず、入り口では、落とし穴に落とされます。2mくらい落とされました。暗闇に、白い蛍光の文字で「暗闇」と書いてあります。クッションは、敷いてありますが、痛いです。ぎりぎりけがしない程度です。暗闇を「こちら」という矢印→に従い、歩いていくと、ガツンと壁に当たりました。その瞬間、白いライトに文字が照らされ、「壁」と書いてありました。案内が、微妙に遅いです。音声案内が、流れています。「時間の差、意識との遅れ、ズレ、現実と意識の違いを表現しました。」よく理解できません。小難しく言って、...美術館
小津安二郎作品を語るには、恐れ多い。それを承知で、感想を述べたい。これまでいくつか小津作品を観たが、子供が多く出演しているせいか、気軽に観れた気がした。コメディタッチであるし。自分としては、「余計なこと」というのが、テーマの一つであると思う。水商場をしている夫婦の家に、子供たちはテレビを観に行っている。そこは、近所で評判がよろしくない。親は、見に行くなという。テレビを見たい子供たち。TVを買って欲しいと言う。親から「買えない」と言われると文句を言い、反抗する。男のくせにしゃべり過ぎだ。黙れ!と父親から怒鳴られる。それから数日、口を利かない生活が始まる。近所の主婦たちは、余計なことをしゃべり、近所関係がぎくしゃくする。子供は、余計(変な)遊びで、コミュニケーションが成り立っている。父親は、用事のない居酒屋で、たま...映画「おはよう」(小津安二郎監督)感想
①駅の構内にピアノがあった。あ~BSテレビあるやつだ。あまり弾けないけど、ちょっとだけ、やってみるか。鍵盤に手を置くと、警備員が来て、「これは、最高級の展示品です。触らないでください。」私は、そそくさとその場を立ち去った。②駅の構内にちょっとしたステージがあった。自由に踊りください。と書かれてあった。ヒップホップダンス、日本舞踊、社交ダンス、フラダンスなど披露されていた。私は、独りでステージに上がった。創作ダンスである。炎を演じた。燃え上がる、もっともっと燃え上がる。炎は、ヒョウになる。地面を這いつくばる。観客に向かって、噛みつこうとする、観客から悲鳴が上がる。追いかける、追いかける。観客は、散り散りに逃げまどう。ヒョウは、力尽き、倒れる。周囲の人々は、これは演技が続いているのか。本当に気を失ってしまったのかわ...自由演奏
今、頻脈が正常に戻った。まだ、少し息苦しさが残っている。脳梗塞後頻脈
キャンプに行きたくなり、Bキャンプ場に行った。ここは、トキドキ「ゴジラ」に似た怪獣が出るということで、子供にも、大人にも人気のあるキャンプ場であった。そして、いつ現れるかわからないということで、スリルを味合わせるエンターテイメント性も高いキャンプ場である。最近はちょっとずつ、怪獣の行動が、変化を見せ始めているようであった。夕方になるとテントも多く立ち始め、バーベキューの焼く音も聞こえ始めてきた。歌声や笑い声もちらほら聴こえる。私は、今日は少し贅沢にステーキを焼いてみようと奮発し用意してきた。人がざわつき始めた。「きたぁ!ガジラだ!」意外と大きい。5mくらいあろうか。リモコンで操作されている。5mの中に人が入るのは無理であろう。入るのは簡単だが、まず動かせない。さすがみ地響きはしない。どこからともなく、怪しく、恐...キャンプ2
ニュースで、自粛するよう言われていた。花見会場は、見回りをするとのことだった。それでもどうしても花見がしたい。友人数名と話し合った。当日、場所取りにいった。ブルーシートなんてとてもではないが、敷けるはずもない。私たちは、公園の芝生の上に人工芝のシートを敷いて場所を取った。そこで、宴会をすれば、一目瞭然。目的は、「場所取り」であり。花見と言えば、まず「場所取り」。これは、花見における重要なアイテムの一つなのである。人口芝は、長めの芝のものを選んだ。夕方も少しうっすらと日が落ちそうなころになると、芝の境目もそれほど気にならなくなる色合いとなった。これで、一つのミッションを達成した。4人で距離を置き、ビール缶を配り、乾杯。最高の一口。その時、遠くに3名の警備員のような人たちが、歩いてきた。4人は、散り散りになり、各自...花見2
あさこは、東北へボランティアに行ったり、雨の中、猫を探し回ったり、優しい心は持っている。それが、時に衝動的であったりする。なぜ、ばくを捨て、りょうへいの元へ戻ったのか。理由は、わかわない。結婚を約束した彼を捨て、ばくと逃げたのだから。その後、りょうへいの元へ戻った。りょうへいは、逃げたのだが、あさ子は、必死に追いかけた。それが、一途な思いなのか、ストーカーなのか区別がつかない。とにかく、りょうへいは、受け入れた。これも理由はわからない。かわいい娘から、一途に求めて来られれば、普通拒めないのもわかるが。「一生信用できない」「わかってる」。ベランダから窓の外の川を二人で、眺める。りょうへい「汚い川だな」。あさ子「でも、きれい」。さまざまな場面は、見方により、汚くも、きれいにも見える、ということか。一途さ、と裏切りの...映画「寝ても覚めても」感想3
あさこ(唐田えりか)は、その時、その時の感情、刺激に流されている。友人を裏切り、過去をタピオカのカップを捨てるように、未練なく捨ててゆく。付いて行った男に対しても、自分の不貞を悔やみ、今の男も短絡的に捨ててゆく。モデルのバクという付いていった男も、りょうへいという男から、彼女を奪い、仕事を捨てて、逃避行する。その最中、彼女は突然、「やっぱり、行けない」と車を降りる。男はあっさり、「わかった」と海に彼女を置いて、車で立ち去る。一種の短絡さと、相手の領域に必要以上に踏み込まない関係性が、描かれていた。現代を写しているというのは、短絡的すぎるか。内面は、見えない。感情をコントロールできない、ある意味自由なあさ子は、その自由さに苦しめられるばかりである。自由に生きているのに、人が離れ、自己嫌悪に陥っていく。自分にもそん...映画「寝ても覚めても」感想2
初めの方であるが、路上で、人のいる前で、やたらとキスをする。(やたらと、というのは印象で実際は、3回くらい)出会っていきなり。次に、バイクで転倒して、路上に倒れたままキスなど。バイクで転倒して、笑いながらキスをする。周囲は、事故を心配しているような人が数名。作者は、どういう狙いがあるのだろう。逸脱、廃退的な美。美といっていいものなのか。社会からの逸脱。社会的抑圧からの逃走、解放。事故後にそのままキスというありえないと思えるシシュエーション。社会的規範を逸脱する快感、カタルシス効果を意図しているのかもしれないと思った。私は、そのような崩れ行く過程に何かを見出したい。例えば、桜の花。皆があれだけ、見に集まる魅力。それが、数週間で、散る。雨が降り、花びらが大量に散ることがある。それが、地面に一面に花びらが張り巡らされ...映画「寝ても覚めても」感想
91/分は、頻脈と言えるのかわからないが、また始まった。首が、ずきずきする。頭がズキズキ、ぼーっとずる。頻脈
私は、独りバーベキューが、好きだ。そして、そのまま独りキャンプに入る。日常の雑踏から離れ、独りになれる時間はとても貴重だ。花見は、テレビカメラに映されたので、桜の下ではバーベキューは、もうしない。テレビは、モザイクがかけられていたので、特に支障はなかったが、数名の知り合いにはばれていた。キャンプ場では、桜の造花を持ち込み、雰囲気だけでも味わおう。キャンプ場は、なんとなく人が、増えてきた。独りキャンプが多いみたいだ。川を見ながら、緑の森の中のビールは、うまかった。軽く肉とソーセージを焼いて食べ、テントの中で横になった。いつの間にか眠てしまっていた。目覚めるとあたりは、暗くなっていた。外へ出てみると、至るところにライトアップされた桜が、咲き乱れていた。一瞬幻覚を見ているようだった。あたりは、テントだらけ。皆、桜の造...キャンプ
山桜我が見に来れば春霞峰にも尾にも立ち隠しつつ読人知らず【意味】山桜の花を私が見に来ると、春霞が山にも山裾にもたなびいて花をずっと隠している。この旅、この山合いの地に隠れていた花が、咲いていた。それは、川、鳥、風の音、野花、茶屋の人々、地蔵に供える人の胸の内、もてなし、店の風情など。桜花咲きにけらしなあしひきの山のかひより見ゆる白雲紀貫之【意味】桜の花がどうやら咲いたらしい、山の谷あいから見える白雲は。これらを無理に結び付けたり、比喩、隠喩(メタファー)として、書き表したわけではない。この村の雰囲気の中で、春の歌に触れたかったのである。意味合いが、結び付くかどうかはわからないが、そういった歌に触れる時間を過ごしたかったのである。小さな旅5
2120年小学校唱歌にトランスミュージックが、採用されてあった。100年前は、主に10代~20代前半の若者が、地下にこもり、クラブ、パーティーでかかっていた音楽であった。DJが、リードしながらパーティーの空気を作っていた。その時私は、とても渋い、苦みの強いスコッチウイスキーを、ストレートで喉に流し込みながら、床のコンクリートにへばりついていた。トランスとスモーキーフレーバーの香りが、ふわふわと地上へ昇ってゆく感覚を与えてくれた。※トランス(Trance)は、ハウスから派生したエレクトロニック・ダンス・ミュージックの一種である。125から150BPMくらいまでのテンポで、短いシンセサイザーの旋律を際限なく繰り返し、うねるような雰囲気を出すのが特徴。その反復されるリズムやメロディが、さも脳内の感覚が幻覚や催眠を催す...時代トランスフォマー2
ビートルズ、ボブ・デュラン、偉大なジャズミュージシャンなど当時は、いろいろな刺激を活用しながら、音楽活動をしていた。現代では、すぐ問題になることだが、時代が違っていた。ビートルズは、教科書に載り、ジョンは、世界平和を歌った。ボブ・ディランは、ノーベル文学賞を受けた。ジャズは、アメリカでは、エリート音楽院がある。ダンスグループEXILEは、天皇の式典に参加。桜見る会では、ikkoさんが、首相の横で「背負い投げ」を叫ぶ。時とともに周りについた様々なものが、時間とともにそぎ落とされ、本質が残っていくのかもしれない。それが、やがて認められる。現在、国を代表したり、国宝になるとはあまり考えられないものも時が経てばわからないものである。ここからフィクション開始ひきこもりだった男が、eスポーツで、オリンピックに出場し、金メダ...時代
寛永文化1624~1644俵屋宗達・・・風神雷神図、源氏物語屏風狩野探幽・・・幕府御用絵師江戸城、二条城の障壁画土佐派・・・宮廷絵所預(大和絵)建築・・・桂離宮(王朝の風情、書院、茶室、庭園が一体となっている。)江戸城、大名屋敷、日光東照宮林羅山・・・朱子学小堀遠州・・・侘び茶の東山文化と王朝文化を総合した、茶の湯「綺麗さび」を広めた。なにかが足りないという意味を含んでいて、不完全な状態に価値を見いだそうとする美意識。それと、華やかな美しさ、明るく研ぎ澄まされた「綺麗」を合わせた概念。感想これらは、国宝、名所、作法、手本などとして、現在まで受け継がれている。このころの精神性に学ぶ必要があると感じた。現代でもこれらの考えた方を受け継いでいるものは、後世に残っていくであろう。それらを見る目を養いたい。そのためには、...寛永文化
友人に花見の声掛けをした。10人に声かけた。反応は、「行けたら行く」「何とか行ける」「マスクがない」「風邪気味」など。当日、来れるやつだけくればいいさ。自前のバーベキューセット(小)を持っていく。そんなに集まらないだろう。当日、六分咲きの桜の木の下、肉を焼きながら、ケイタイに出た。「やっぱりやめとく」「家族からやめとけと言われた」「マスクが無くなった」などであった。どうしようかな。帰ろうかな。暗くなってきた。周りを見回すと、ぽつりぽつりとしか、人がいない。皆、独りバーベキュー?それとも、グループなのに離れて、やっているの?桜も、ぽつりぽつり、人もぽつりぽつり。10人集まっても、距離おいてやるなら、独りでも同じか。それでも、香ばしい焼肉の風味だけは、あたりに充満していた。翌日、ニュースで独り花見の私を映しながら、...花見
山桜我が見に来れば春霞峰にも尾にも立ち隠しつつ読人知らず【意味】山桜の花を私が見に来ると、春霞が山にも山裾にもたなびいて花をずっと隠している。この旅、この山合いの地に隠れていた花が、咲いていた。それは、川、鳥、風の音、野花、茶屋の人々、地蔵に供える人の胸の内、もてなし、店の風情など。桜花咲きにけらしなあしひきの山のかひより見ゆる白雲紀貫之【意味】桜の花がどうやら咲いたらしい、山の谷あいから見える白雲は。これらを無理に結び付けたり、比喩、隠喩(メタファー)として、書き表したわけではない。この村の雰囲気の中で、春の歌に触れたかったのである。意味合いが、結び付くかどうかはわからないが、そういった歌に触れる時間を過ごしたかったのである。小さな旅5
青い山を抜けると小さな村に出た。小さな茶屋が見えてきた。外の長椅子に座っていた男が、立ち去っていった。茶屋は、焦げ茶色の木目の壁で、古い建物だった。団子、和菓子が置いてあった。店の中は、二人掛けのテーブルが、二つのみ。その1つのテーブルには、農作業を終えたような、2人の年配の女性がお茶を飲んでいた。通りも大通りではないので、旅行者などはあまり来ない感じであった。右の壁には、水墨画。左には、赤い花と紫のカキツバタの日本画が、掛かっていた。どちらも年季が入っているようで、すこし日に焼けたような、うすく黄色がかっていた。右の奥の棚には、灰色がかった白の花器に黄色と白の野花が、飾ってあった。野花といってもしっかりとした葉を持っていた。窓からさわやかな風が、入ってきた。「いらっしゃいませ」と奥から、高齢の女性が、現れた。...小さな旅何の価値もない旅4
頭の頭重感が、続く。まだ、ブログは、40分くらい書ける状態。そのあとは、数時間休憩が必要だ。今は、頭を真横近く傾けたまま書いている。発症前の状態を書く。1年ほど前より、集会のようなところで、しっかり立つことが、できなくなった。地面が、不安定なのである。少し、浮遊している感じがあり、柱や壁に手を添えていないと数分も立っていられなかった。その時点で、受診したのだが、CTに異常がなかったのである。それから、歩行時のつまづき。物が何もないのに、つまづいてしまうことが、月に数回あったかと思う。歳のせいか、運動不足だと思っていた。過労になると、座っていて、ガクッと一瞬時間が過ぎた感覚になることがあった。脳梗塞後
河原へ散歩に出た。丸石が、ゴロゴロ転がっている。上空には、カラス。川の向こうに林があり、そのあたりを旋回したり、木に留まったり。「カー、カー」妄想~カラスABに向かい「カーカーうるさいぞ」B「何、他のやつも行ってる。俺だけじゃない。!」C「なんだ、なんだ、喧嘩はやめろ」A「お前たちは、カーカーうるさいんだよ。人間が、散歩に来てるじゃないか」「あの人は、ひきこもっていて、久しぶりに外へ出たんだ。静かに散歩を楽しませろよ」B「そんなの、俺の知ったことか。こっちだって、ストレスくらいあるわな。声を出して、解消してるんじゃないか。人間だけがそんな偉いのか。」D「お前たち、さっきからうるさいぞ。この辺をまた、人間から追われるぞ。」B「人間がなんか言ってきたら、糞でもお見舞いしてやる。糞を頭や洋服に落としたら、ほんと嫌がる...カラス
「漫才師である以上、面白い漫才をすることが絶対的な使命であることは当然であって、あらゆる日常の行動は全て漫才のためにあんねん。」感想漫才について、まじめに語ることは、間違っているかもしれないが、漫才も「道」なのだと感じた。そういうことをいうと「漫才」が、型ぐるしく、窮屈に感じる。日常の行動を全て漫才にためにというまじめな人が漫才をしてることに恐縮してしまう。理想は、「面白いことなど、考えたこともない」「他人を笑わそうなんて考えたこともない。だけど人が勝手に笑っている。」緻密な計算なんてくそくらえ。俺は、才能だけでやっているのだ。努力なんてくそくらえ。朝まで、飲んで遊んで、起きたらすぐ舞台。それで笑いが取れる。苦労は、絶対しない。死んでも苦労しない。楽に生きて、楽に死んでいくんだ。葬式は、大宴会なのだ。棺桶がいつ...「火花」又吉先生感想文
街を歩く。今は、夜。春の夜は、別れの季節。通りは、人気(ひとけ)が無く、風の隙間が、すすり泣く。自分の足音が、響く。遠くで、車のエンジン音が、低く、一瞬唸った。その後は、静寂が舞う。居酒屋の看板が、見える。暗い闇の中、街灯に照らされ、一瞬光る。灯りのを失った、店の看板が並んでいる。街は、じっと息をひそめ、悲哀を押し殺し、時間の重さに耐えながら眠れぬ夜の闇の中、朝の光りを待っている。多くの歓声の中、盃を交わし、グラスを重ね合い、口を天井に近づけ、歓喜を飲み干している幻影がゆがむ。幻は、確かにあった。この街の声は、聞こえていた。あの一瞬一瞬の輝きは、春の夜の風のように通り過ぎようとしている。この少し暖かな風が、あのきらめいていた時のように、やさしく肌に触れた。その優しい風は、こんなに胸を焦がす優しい風は、時に残酷で...夜の風
「山上宗二記」にみる茶の修行23歳より利休に師事し、20年余りの茶の湯修行の成果を書き表したもの。・万事に気を使うこと・心のうちから好きになり、夜の茶事にあっても、朝早くから準備をする。・上手に交わり、よき道具を持ち、季節に応じた茶会をする。・人は、盛んなるときは20年に過ぎない、絶えずこの道に精進する以外ない。・路地へ入る時から、座を立つ時まで、一度に一度の参会のように集中すべき。一期一会茶の湯者の生涯十五から三十まで万事を師の教えに任せる。三十から四十まで我が分別を出し、十のもの五つ我を出すべし。五十までの十年は、師と違えてする。「我が流」出でて、上手の名取りをする。六十までに十年一器の水を一器に移すように、師のごとくする。耳随う(したがう)万の名人の所作を手本とする。七十にして「心の発する処にしたがいて法...東山文化
放送大学TV心敬ささめごとひとりごと連歌宗祇和歌連歌1502年他界世にふるも更に時雨のやどり哉冬の通り雨のごとくはかなく無常である侘びの美意識◎侘び茶祖村田珠光それまで茶道具は、中国製のみであったが、日本製も取り入れるようにした。武野紹鷗珠光の弟子茶の湯は、隠遁の心で、禅の精神を秘めた侘びを根本とする。仏法の意味も知り、和歌の情を感じ行うべきである。茶の湯、連歌、仏教、禅どれか一つではなく、それぞれがつながっており、それぞれを深く知ることで、全人的に深みが増すのかもしれない。教養を深めることかもしれない。世にふるも更に時雨のやどり哉これを胸に日常を過ごしたい。無常の中に永遠が。永遠を望むなら、無常を意識することかもしれない。冬の通り雨はかなき無常何度も味わうべき言葉かもしれない。心敬
徐々に緑が深くなってきた。山は、目の前に立場だかっている。分けいっても分けいっても青い山種田山頭火の有名な句であるが、今この山に向かう道で、ふとこの句が浮かんだのだ。山頭火のようなたいそうな経験ではないが、自分なりに山頭火のこの句を考えてみたくなったのだ。この何にもない、ただの道。緑の生い茂った道も、思いを寄せた先人がいることに、心細い気持ちが少し助けられたのである。頑張って前に進んでいるつもりだ。いろいろな苦悩を抱えながら、忘れたいことを抱えながら進んでいこうといている。その苦悩をエネルギーに変えていこうと。その反対に、この苦しみはどこまで続くのか。青い山は、未熟の青なのか。山は困難の大きさなのか。いや、すがすがしい「青」。希望の大きさの「山」としよう。今は、そんな難しいこと考えないでおこう。風に吹かれて、気...小さな旅何の価値もない旅3
マルクス・ガブリエルが、「SNSが自由の心臓を攻撃する」と言った。ネットワークの自由は、ネットワークを不自由にしている。ネットワークを失くしていると仮設を立ててみた。私は、自分の思いをブログに書く。始めて間もないのか、賛同いただけないのか、「いいね」などとは、数件しかいただいていない。それは、いいのであるが、「読んで興味ない」、「反論あり」、「言っていることがよくわからない」反対に「同感」「賛同する」「いいね」などなど、感想はあると思う。それ以上の発展は、どれくらいあるのか、わからないが、自分は、他の人のブログを真剣に読んで、本当に深いところに落ちたときにしか、「いいね」とならない人間だ。そもそも、真剣に読むエネルギーがないので、軽く読んでいる。十分租借できず、「いいね」はつけずらいのである。であるため「いいね...ネットワークを断つネット
放送大学TVA.ボブ・ディランひとはいくつ道を歩けば人並扱いされるのかハトはどれだけ海を渡れば砂の浜で安らげるのかどれだけ砲弾が空を飛べば撃ってはならんと決まるのか答えは、友よ、風の中風に舞っているB。アイケデリック・パーティー当時、合法であったLSD麻薬取締官につかまるという歌詞ボブ・デュランビートルズ・・・LSD、東洋思想を歌う。すべての思考を脇において虚空に身を委ねなさい輝いているほら輝いているサイケデリックフェスティバルジャニス・ジョップリンいつの間にか快楽追求社会の商業メッセージに実際は、人種差別などなくなりはしなかった。ドン・ファンヤキ族呪術師の教え植物により幻覚をコントロールし、非日常から現実にとらわれていることを見直す手法をとっていた。70年代以降、カウンターカルチャーは、経済に取り込まれていっ...カウンターカルチャー2
放送大学TV映画『イージーラーダー』社会からドロップアウトすること、ドラッグで恍惚となること、アメリカ大陸を疾走すること。これらが、美しいこと、優れたこととして描かれている。1968年観客は好意的に反応していた。1969年ウッドストック音楽祭ジミー・ヘンドリックス「アメリカ国歌」40~50万人エレキギターの国歌が、これまでを塗り替えた。アレン・ギンズバーグ詩「ハウル」ニューヨークの暗い安アパートの中で、幻覚にも似た感情を表現した。「読む」より「聴く」詩である。高速演奏のアルトサックスのように途切れなく、詠み続ける。そのカッコよさが、魅力で引き付けた。オン・ザ・ロードケルアックアメリカ大陸を疾走して横断する。動く、スピード、騒動、感覚、流動への逃走否定するもの・・・安定、鈍重、静寂、思考、固定開拓者苦難の歴史車の...カウンターカルチャーTV
あぜ道を歩き続けている。小さな林が、見えてきた。その道端にお地蔵さんが、祀ってあった。白や黄色の野花が、供えてあった。人気がないところだと思っていたが、お参りする人もいるのだ。野花は、華やかに飾られているわけではない。5~6本近くに咲いている花をそのまま小さな縦長の陶器に差してあるだけだ。身近な花を自然なまま供えている。どんな人が、お供えしたのだろう。年配の方であろうか。俺は、道端のお地蔵さんなんて、まじまじ見ることもなく過ごしてきた。そんな暇はなかった。どんな気持ちでお供えしたのだろう。自分も手を合わせてみた。感謝、お礼をつぶやいたが、わざとらしく感じた。儀礼的であった。小川、蝶、鳥、青空とさっき見た風景が、サーっと頭の中をよぎった。これでいいのかもしれない。この風景をみせていただいた、お礼だけ言おう。一礼し...小さな旅何の価値もない旅2
小川が流れている。その向こうに田畑が、広がっている。横のあぜ道をゆっくり進んでいる。歩く目的は。考えながら、歩いている。歩き続けることで、はっきりしてくる。そう、思っている。水の流れる音が、かすかに聴こえる。黄色い蝶が一羽、ヒラヒラと水と戯れている。草むらに隠れた。草むらから出てくると、青い空に向かっていった。同じ気ままな同士か。俺も草むらに隠れていた。長い間隠れていた。まだ、心の中は、隠れている。青空に向けて飛んでいない。だから、歩くしかない。歩くことしかできない。小川の水の音は、優しい。優しく語りかけてはくれないけど。聴いていたい。このまま、聴いていたい。黄色い蝶のように、水の音と戯れていたい。水の音を聴きながら、眠りたい。座り込んで、小川を眺めながら、草を一つ千切って、小川に投げた。3本の草は、スーッと川...小さな旅何の価値もない旅1
冬風は、じわじわと皮膚に掴みかかるように鈍い痛みを与えてくる。畑の土は、家族。耕やし、種を撒く。水をやる。落ち着いた表情を見せる。こちらの思い込みであるが。自分が安心するのだ。あふれるくらい、こぼれるくらい、水をやる。隣の畝では、芋が収穫を待っている。一つ堀り、取り上げる。まだ、少し早いかな。隣は、雑草が茂っている。桑で刈っていく。次々に刈っていく。しばらく刈っていく。徐々に、身体がぬくもってくる。しかし、手は冷たく、ぬくもらない。息子の私は、畑に入ることなく、ほとんど想像でしか書けない。父は、8歳から80歳まで70年以上畑に入っている。畑とどんな会話をしているだろう。収穫の喜びとは。私は、レタスの苗を植えたことがある。成長した時は、自分の子供というのは大げさだが、かなり親近感を持った。その感情をなんと表現して...土を耕す
TVでせっかく、少し学んだので芭蕉の句をいくつか読んでみた。目に留まったのは、花は賤(しづ)のめにもみえけり鬼莇(あざみ)(鬼は賤(身分の低い者)の目には映らないものとされるが、鬼莇は美しい花が咲けば、賤の女の目にもとまる。)私見:身分の低い者は、生活面、生きていくこと自体苦難が多いと考えた場合、それ自体が、鬼(苦難)ではないか。常に見ているので、改めて鬼と言われても、日常にあることと考えた。その鬼に美しい花(美食、美しい衣装、お金、美人、貴金属、高級品、高いポスト(役職等)など)が、添えられていたら。つい、気持ちが揺らいでしまう。他にもいろいろ解釈を考えたが、うまくまとまらなかった。読み手によって、さまざまな捉え方があるであろう。芭蕉の句読む
雲の峰幾つ崩れて月の山雄大な月山を日光に対して、詠んだ。炎天の峰桜ここに香るがごとし高山植物峰桜炎天の真夏に梅の花が香る雪の下から芽吹いてくる命の軌跡を詠んだ。出羽三山は、修行の場。山伏たちも多くいる。出羽講で、巡礼者多い。◎芭蕉の風雅論「西行の和歌における、宋祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其貫道する物は一なり。しかも風雅のおけるもの、造花にしたがひて四時を友とす。見る處花にあらずといふ事なし。おもふ所月にあらずといふ事なし。」(笈の小文)※笈(おい)「おい(書物・仏具・衣服・食器などを入れて背に負う、竹をあんで作った箱)」中世の文学、芸術の巨匠たちを貫く一つの道を見出し、それに自らをつなげて考えている。自然にしたがって、四季の移り変わりを友として、あわれを見出してゆく。絶えず変化してゆ...「奥の細道の神髄」をみてTV
やめられない、とまらない、闘争が新たな闘争へと、人々を駆り立てる。「闘争の資本主義を超えて」意味を求める。料理は、成分だけを求めてはいない。おいしさ、見た目、流行など。芸術・・・「美」など感情、感覚、哲学、癒し、ファッション、ビジネスなど「生きる」のみだあったら、「芸術」は必要ないかもしれない。また、作品を見て意味を求めてしまう。意味のわからない作品には、拒否的になってしまう。(私見)「意味の場の存在論」「大人モデル」の社会。勝つか、負けるか。「子供目線」の社会を考える必要。数字(統計)と体験は、イコールではない。お金(高い)レストランすばらしい思い込んでいる。体験的にすばらしいのは、金額ではない、ともわかる。ハイディガー「総駆り立て体制」子供たちが集中できる時間が、少なくなってきている。レゴ社は、研究の結果、...マルクス・ガブリエルTVを見て
今、起きたら、脈が元に戻っていた。うれしい。まだ、少し頭痛や、肩こり痛など残っているが、喉の締め付け感、後頭部のズキズキ、胸ぐるしさがない。とても幸せ。呼吸ってこんなに楽なものだったのか。もう忘れていた。今、ぜいたくな時間を過ごしている。私にとっては、ただ、静かにブログが書けることが。苦しい時は、家族、友人、ブログを読んでいただいた方々に助けられたと思います。ありがとうございました。脳梗塞後
赤の世界サーチライトが、闇を追う。上空を、足元を。行き来している。素早く、ゆっくりと。光と闇の間を彼女は、踊る。複雑なダンス。限界ダンス。乗り越えようとするダンス。生の限り、飛散るダンス。眠らない街の、光を集めて。今、輝く。しなやかに、極限まで。曲が終わる。時間がすべて止まる。永遠に。「久方のひかりのどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」紀友則現代語訳「こんなにも日の光がのどかな春の日に、どうして桜の花だけは散っていってしまうのだろうか」極限のある場所どこに
江戸時代屋形船から、桜を見る。花見酒、一杯。すると、桜の花びらが、ひらり、ひらり。奥にお城の石垣が見える。その奥が、天守閣。桜の隙間から。秋は、月が見たい。川面は、秋の風。見上げると、黄金の月。薄い雲が、流れて、月見船も流れてゆく。歌川広重葛飾北斎菱川師宣描いた魂遠く、欧州へ。ゴッホの街まで、船の旅浮世絵と船
激し、肉体のぶつかり合い。バシッと胸と胸を思いきりぶつけ合う。土俵に叩きつけられたり、土俵下に叩き落されたりする。けがは、力士にとって避けられない。けが人が増えて、なんとなく力士の数が少なくなってきたのではないか。いや、けがした力士の復活も早い場合がある。けがのテーピングが、少しはげた。なんと、機械の内部がみえたのだ。アンドロイドAI。何人が、アンドロイドAIなのだろう。お客さんにも、座布団を恐ろしいスピードで投げる人がいる。たぶん、そうであろう。しかし、この客席にどれくらいアンドロイドAIがいるのだろう。ただ、言えるのは、力士もお客もアンドロイドニナッテモスモウハ、ヨソクシナイホウガ、タノシイノダ。大相撲
庭にテントを張る。バーベキューセットを用意する。炭をおこす。肉、ピーマン、玉ねぎ、ソーセージなど網に乗せる。焼きながら、テントの中に入る。今日は、Eキャンプ場に行きたい。空想?行った気になる?ゆっくり空中に浮かび、空を飛び始める。やはりテントの中で、寝てしまったのか。夢の中へ。テント型ドローン。バーベキュー型ドローン。操縦しながら、Eキャンプ場に向かう。キャンプ場に行くより、空の上で。バーベキューが、焼けてきた。街を見下ろしながら、肉をほうばった。キャンプ
落ちのない話を書いてしまった。毎度のこと。読み手には、申し訳ない。書いている間、場面をすきなように思い浮かべるのだ。身体のきつさを紛らすため、書いてしまう。赤、黒、ピンク、白、青とまた、原色を並べた。原色の配置は、自然とエネルギーが湧いてくる気がするのである。本当は、女性が「ブルーハワイ」を弾きながら、歌ってほしかった。なぜか、そうならなかった。絵になると思った。今の時世では、まったくあり得ない光景かと思われる。生活が委縮してしまう。一瞬、ハワイに行ってしまった。あの文章では、なかなかそうはならないであろう。「ヤシの木」について
海岸沿いを飛ばした車が、通りすぎた。ピンクのキャデラック。長い髪を風になびかせ、黒いトンボメガネをかけていた。真っ赤な唇を少し尖らせながら。ピンクの車は、砂浜に強引に突っ込んで、止まった。小さなライブ会場。男が、ギターを弾きながら「ブルーハワイ」を波風を浴びながら歌っている。ピンクの車の前に立った、白いドレスの女。じっとブルーハワイを聴いていた。ヤシの木も「ブルーハワイ」を聴いている。ワイキキの海辺は、青く澄んでいた。ヤシの木
伝統、日本的なものに「レモン」という違和感を演出してみた。ふつうあり得ない。気持ちがざわつき、落ち着かない。あり得ない中に、緑色と黄色のコントラスト。茶器とレモンの構図。お点前の最中に「レモン」により、場に一瞬、緊張感が感じられる。畳の緑色に黄色いレモンが、浮かび上がってくる。普通に食卓や、店先に売られてある「レモン」とは、存在感が違って見えてくる。「茶室」について
茶室に座る。薄い緑色の畳が、敷き詰められている。茶釜の湯が、沸いている。お点前の茶器が、膝の前のすっと置かれた。その横にレモンが、転がっていた。茶室
頻脈がなかなか止まらない。首から上に血液が回らないような感じで、きつい。胸は、少し息苦しい。ブログを書いて気を逸らそうと、頑張って書いた。書く最中も苦しかった。書き終えると疲労とともに、きつくなった。愚痴のようだが、脳梗塞後の状態をあまりわからない方に参考になればと思い、書いています。申し訳ありません。脳梗塞後
ブルックナー管楽器の迫力、重厚な音の建築音の集合体は、空へ。高く、雲の切れ間を、高く、響かせながら昇る、天空に輝く時間が消えて楽譜を丹念に読み込むのは、当たり前のこと。譜面に書き込み、書き込み、消し、また書き込む。一体どれくらいこの作業を続けているだろう。指揮者に完成はない。どこまでも、迷い、悩み、苦しみ、作者に届かない空しさを味わう。ページをめくりながら、イメージする。穏やかな気持ちとは。悲しみ、怒り。自分に正直に表せばいい。いや、いけない。作者の思いは。聴衆は、楽しい時には、思いきり楽しめばいい、悲しい時は、悲壮感漂わせる音を奏でた方がいい。そういうタクトを振ることもあった。何か違う。感情をぶつける、素直な表現では、何か物足りない。感情は、押し殺さなくてもいい。感情を微妙に抑えながら、その静けさの中に感情を...指揮者、登山す
回は、9回。点差は、3点差。今日負けたら、10連敗目。悔しい。1アウト、ランナーなし。「アイスクリームいかがですか」売り子さん。ピッチャー交代で、一息。「下さい」と1つもらう。「どうぞ」と言った、売り子さんの目に光るものがあった。ここで、働いていて、球団に情が湧いてきたのだろうか。それとも、この球団が好きで、バイトを始めたのだろうか。3アウト。試合終了。ファンは、がっかり肩を落とす者。怒号も飛び交っている。あの売り子さんの涙を思い浮かべ、怒号の飛び交う中、バニラアイスを一口。悲しい気持ちに、甘さが広がった。ベースボールアイス
競馬場の入り口は、すごい人だがり。周辺のところどころにテントが張ってある。ここで夜を過ごす人がいる。何かが、彼らを掻き立てる。俺もその一人。テントで過ごすことも競馬の楽しみになっている。二晩過ごした時は、テンションが上がり切ってしまった。この時が、大事なのだ。情報誌、ネットなどから情報を仕入れ、テントの中や、外の自動販売機のそばの花壇の淵に座って、予想する。馬券購入計画を立てるのだ。体調、騎士の経験、調子、馬場の具合など様々な条件を加味して、考える。考え続けるのだ。馬券を買い、人波に流されてスタンドへ。なかなかいい位置をとれた。見やすい。さっき、自販機で買ったコーラを片手に、ぐっと一口のどに流し込んだ。馬がスタートした。競馬コーラ
客メールで、ロケットシーフードピザをカード払いで注文した。ピザ店から、返事がきた。「今から10分でお届けします。」10分経ち、家の前にロケットが着弾。多少、振動があったが、近所迷惑程はなさそうだ。ピザは、ちょっと崩れていたが、時間はしっかり守られていた。近所でも、まだ注文している人は、少ないようだ。最先端だ。また、次の週もミックスピザを注文した。今度は、15分してもこなかった。店にメールでもうロケットは発射されたのか、聞いてみた。「15分前に出てます。あっ、大変申し訳ございません。宇宙ステーションからもミックスピザの注文があり、そちらと勘違いしていました。ただいま、早急にお送りいたします。」今日は、韓国店のキムチとインド店のカレー、メキシコ店のタコスとのミックスだ。ロケット3機が、こちらに向かっている。少し恐ろ...ロケットピザ
緑の森、深く、どこまでも続く森白鳥シーンとした、湖が広がっている。うっすらと朝もやの透き通った白い霧がかかった紫の空谷の風が吹いた。紫の空間に、スーッと白い線が引かれた。それは、ゆっくりと羽を広げる。大きくゆったりと。スーッと薄い白の靄(もや)の中に埋もれ、消えていった。青く、黒く音の無い湖だけが、残された。木々は静かに立たずんでいる。その時、緑の深い森を真っ白な線が、ゆっくりと時間をかけて通り過ぎようとしている。真っ白で細くしなやかな羽を二度、三度、揺らし、森の風に溶け合ってゆく。森のはるか上空を円を描きながら、遠く、そして近く、その優美な曲線をなびかせながら、深紺の水面へ降りてこようとしている。緑色の蓮の葉、黄色や白い花のある場所を見つけ、音も無く、着地した。ゆっくりと羽を閉じ、背をすっと伸ばした。遠くをじ...湖
レッスンは、毎日。一日休むとパフォーマンスが落ちる。リハーサルの前にレッスンがある。基礎練習を繰り返す。パターンの組み合わせを数多く行う。バレエ用語は、世界共通、フランス語。牧亜佐美先生戦中から活動。当時は、舞台装置、衣装すべて自分たちで行っていた。現在は、それぞれ専門がいる。最近は、日本人も世界のコンクールで入賞するようになっている。昔は、まったく相手にされない時代があった。スタイルは、良くなっているが、以前に比べ集中力が減少している気がする。集中すると緊張も少なくなる。緊張する人も増えているように思う。これは、一般んいそういう傾向があるのではないか。私(ブログ筆者)も、多少実感がある。世の中に、気が散る、気が逸れる原因が増えたのではないか。また、「欲望」が増大している話になりそうであるが。体質的にも、気持ち...バレエ(放送大学TVをみて)
ポストモダンの講義を聴いて自分なりに「言葉」「文章」で考えてみた。イメージの創造、読み手の創造が、得られるのか。羽、影、抱え込むなど使った言葉には、どこか心当たりのある感じがする。それを求めている風景が、思い浮かぶ。これを読まれる方は、果たして個人的な無意識が表面化されるのであろうか。エッセイ「羽」について
キーッ、ガシャー、ゴーガシャ、ゴトン、ゴトンボーーー羽、小さな黒く遠くすれ違う離れてゆく遠くたたずむ影すれ違う影立ち止まる見つめるはるか膝を抱えじっと一点を小さな羽エッセイ「羽」
放送大学よりワシリー・カンディンスキー無意識の内面の情動を表現しようとした。モダン・ダンス。マーサ・グラハムうわべの装飾をやめた。うつくしく、優美なダンスは、前近代のもの。深い内面を表す。無意識の情動。現代絵画・・・深い意味など、うんざり。アクション・ペインティングなどそこには、意味、表現さえない。意味を表現しないダンスマース・カニングハム無意識が現れてしまう、欠点。サイコロを使って、振り付けを決めた。私(ブログ作者)は、「振り付け」について、疑問を感じた。エントリーされたいくつかの振り付け自体には、意識、無意識は反映されていないのか、と。結局は、過去の意識、無意識が関与しているのではないかと考えた。「意味の排除」という見せかけのパフォーマンスを演じることしかできないのか。「意味の排除」という遊戯なのか。ジョン...モダン・ダンスについて
登山家同じ山を何度も登っている。季節によって、表情が違う。夜に咲く花が、あるところでは、時間で景色が変わる。花、石、草木に心を寄せる。刺激、新しいニュースばかり求めていると、それらに対してあまり気を向けなくなる自分がいる。時に、刺激に疲れたり、押しつぶされそうになったとき、花、草木に助けを求めようとする自分もいる。心にあるさまざまな、鎧、飾り、複雑に重なりあっている色それらを少しずつ取り除いてくれそうな気がする。着飾っていることに気づかせてくれる。グレートトラバーズ病気のある自分には、到底無理な登山。あこがれる。しかし、健康体だったとしても、はたしてあのように登り切れる精神力があるのか。疑問。田中陽希グレートトラバーズを見てTV
1.高齢者グランドゴルフ一列に座る八つの背中青い芝生に春風吹くグランドゴルフ一つ二つ玉の音勢い増す前足踏み込む足2.建築鉄叩く、木を叩く。壊され、作られ、なり響く。歴史が、過去が見つめている。楽しかった、悲しかった、色とりどりの時々。変わってゆく。覚えている。消えてゆくとき、新しい芽が、吹き出している。創作200309
70年代ブーム、もう何回目だろう。自宅の倉庫を改造し、天井にミラーボールを回す。黒い景色の中、ピンク、黄色、青、紫、白、緑の原色の丸い光り。縦横無尽にその丸い光りが、動き回るのだ。スライが、叫ぶ。皆、踊れ!曲に合わせて!ぎゃあー!何度も何度もギャー!肩をぶつけ合い、両手を挙げて、ぐるぐる回れ!アフロヘアをぐるぐる回して、回し続けろ!ホーンセクションの重厚な音の迫力。圧倒的切れ味。バズーカ砲のように迫ってくる。ネット参加型にしている。少人数で、集まりアフリカの民族衣装を着て、踊っているグループ。独り自宅から、マイク参加している人。動画を壁など至るところに並べて、様々な人が、踊ったり、楽器で参加している。砂漠と北極につながったダンサーたち。ディスコタイムは、終わらない。DancetotheMusic!ディスコスタイル
頻脈続く。頭がズキズキ。肩、後頭部に血液が溜まったような感じ。胸は、少し胸苦しい。体全体がだるく、意欲が湧かない。脳梗塞後
数年後、あの海へ向かった。近くのカフェのテラスでは、ジャズセッション中。5つのテーブル、その他並べた椅子に客が座っていた。トランペット、ベース、ドラム、キーボード。それぞれの音は、おしゃべりし、時に突き合い、前に出しゃばったり、他の後ろに回ったり、白い波の上で遊んでいるようだった。放たれた音色は、徐々に海風に吹かれて、水平線の上を踊り続けていた。あるお客の話では、この場所は、数年に一度、水難事故が起こっている。追悼の意を込め、音楽仲間だった友に演奏を聴いてもらっているとのことであった。波打ち際のトランペットを捧げて。波打ち際のトランペット2
車は、海辺に着いた。少しずつ夕日が、傾いてゆく。空は、ピンク色と朱色、赤、紫と様々な色彩が塗り込まれている。色彩は、見えないように塗り替えられてゆく。波は、ゆったりとして、深い青に白い泡が連なって、打ち寄せてくる。そこに、トランペットが、横たわっていた。波が運んできたのか。投げ捨てられたのか。わからない。そのトランペットは、黄金色、少しくすんで、輝きはないが、重厚な雰囲気をもっていた。波をかぶっていた。車の中は、マイルス・デイビスが、歌い続けている。浜辺に届いている。波とセッションしている。波打ち際のトランペットが、歌い始めている。波打ち際のトランペット
薄暗く狭いライブバー。並ぶ酒のボトルは光り、まばゆい。そう高くないステージから、汗とブルージー音階が飛散り、酔いを深めている。さっき、今日を通り越し、今がいつなのか。男が、椅子から転がり、崩れ落ちている。女が顔をテーブルに押し付けしがみついている。髪の毛は無造作に広がっていて、何かうめいている。その後ろには、ギターのブルーススケールに合わせ、立ち上がり、グラスを片手に腰をくねらせている女。俺は、ウォッカにライムのスレッジ・ハンマーを飲み干す。曲は、酒とともに、重く、重たく、半覚醒の俺の身体を深い緑色の沼に引きずり込んでいく。ブルースが、夜を忘れさせる。ブルースが、夜の暗闇の中に誘う。このまま星の間近に漂う。アメリカメンフィスブルース小屋
ほとりを歩く。川岸のカフェ。セーヌの風を受けながら、くつろいでいる人々。川の向こう岸は、落ち着いた渋めのオレンジ色で統一された家々が、建ち並んでいる。青い日傘をさした、白いワンピースの女性が、歩いてくる。彼女は、ふと立ち止まり、セーヌ川をじーと見始めた。黄色いボートが、一艘通り過ぎようとしている。グレイのスカラハット。キラキラとセーヌ川。赤い唇が光った。セーヌ川
階段を鳥が、一段一段登っている。目の前を楽しそうでもなく、淡々と登っているような。時に、苦しそうに見えるときもあった。変な鳥だな。気にしないようにした。しかし、私の前を行ったり、遅れたり。抜いたり、抜かれたりを繰り返した。階段の途中、休憩。端に座って、水を一口ゴクリ。高く登った。風が心地いい。下から鳥が、上ってくる。なんとなく、水をあげたくなり、石のくぼみに水を入れておいた。鳥は、くぼみをみると近づき、ついばみ始めた。お礼など言わず、また上り始めた。頂上が見えてきた。残り3段。鳥に追いついた。一緒に頂上にたどりついた。ふと気づくと。鳥は、天高く舞い上がっている。空の彼方へ。消えていった。ここは、高野山。修行だから歩いたのか。修行だけど、楽しかったな。あっという間だったな。さわやかな風が舞い、緑の木々が、揺れてい...飛べない鳥
今は春。春の野を歩く。どこまでも。どこまで歩くかわからない。わからないまま、ただ歩く。草の茂りを踏みしめ、道なき道を歩く。野の花が、咲いている。桃色、黄色、赤、白、青。ぽつん、ぽつんと咲いている。独りで歩いていることを一瞬忘れてしまう。過去を置いていこう。忘れられない傷を忘れるため。野の花も咲いている。何もかも忘れて咲いている、と言いたい。たぶん、そうだ。過去を忘れ、咲いている。色とりどりの野の花。進んでゆく。この先のことも考えず。緑色に茂った野原に吹き付ける風と共に、歩き続ける。独りは、嫌だ。独りは、自分を取り戻せる。独りは、さびしい。独りは、木々、草、花、山、川たちが、身近になる。それたちは、気持ちはないのかな。疲れて、道端の草の上に座る。目の前を小さな名も知らぬ虫が、歩いている。俺を無視して。俺を横目にち...山道
街には、「欲望」が溢れている。欲望の海に溺れそうだ。「感動」も商品になっている。「感動」は、出し尽くされたかのよう。ぽつんと一軒家街にない生活。街からみたら不便な生活に見える。高齢になり、さらに不便さが増していく中、山を下りようとしない方がいる。その人の歴史に触れる。その上の世代の話を聞く。徐々に、離れたくない気持ちが、少しわかりかけてくる。完全にわかるはずはない。不便さに向き合う健気さを感じるのか。その逞しさに関心するのか。街の人間には、絶対にできない、と。コンクリートの中にいて、衣服、住居、食べ物、余暇など山の生活に比べると、比較にならないほど便利だ。それでも、生活は満ち足りていない気がする。欲しいものが次々湧いてくる。きりがない。それでも追い求める。山の暮らし。物はない。なのに、なぜか満ち足りた射るように...山の暮らし
小曽根真のビッグバンド高校生の悩みトロンボーンの小さな音が、出しにくい。トランペットの高い音が出しにくい。プロが、一言アドバイス。劇的な変化。ビッグバンドに一人入って吹く高校生。世界で活躍しているプロから、指導を受けられる機会はまずないであろう。まして、そのバンドに入って演奏することは。低い音の出にくいトローンボーン高い音が出にくいトランペット限られた時間の中で、吹く。ぎこちないまま吹く。そのメロディを、そのリズムをその宇宙を真空の中で太陽の波動に乗せてその波動が、伝わってきて。言葉を失うこともある。プロもその技術もメロディもリズムも全部楽器に詰め込み、宇宙の果ての波動に連動したものが、私の胸に流れ込んでくるときがある。次元に違いはあると思うが、伝わり方、その思いの力はプロもアマも変わらないと思う時があります。TV「高校吹奏楽部がプロに教わる音楽会」を見て
オペラ大通りを作るのに、両端のあった家を取り壊し、道を広げた。アヴァン・フォワィエオペラ座の豪華な廊下であるが、天井はモザイクという色調で描かれており、落ち着いた金色の縁取り、背景もいたるところに金色で印象が形作られていた。大きく、高く見上げる天井から吊られているシャンデリアも優雅である。大統領席は、2階の一番端。舞台は見えにくい。なぜか。楕円形を描いた、2階から上の桟敷席は、お互いが良く見える構造になっている。ステイタスという名の桟敷席に座っている自分を見てもらうための構造となっている。街の中の大通りを通り、入場。大階段を上り、豪華絢爛なアヴァン・フォワィエなどの廊下を歩く。友人たちと出会い、会話を楽しむ。黄金色の壁、シャンデリアに囲まれながら。豪華で上質なインテリアデザインに満ちた会場では、互いの権威、ステ...オペラの魅力3
1986年オペラ座支える人々縫製係55人、着付け係38人、大道具係122人、小道具係26人、電気係55人、掃除係22人、音響係10人、計422人他、事務など多数オペラ座自体の作りも天井部、地下空間にもさまざまな仕掛けが施されている。シャルル・ガルニエの大階段、グラン・フォワィエ(巨大な廊下通り)少し薄暗く、至るところにシャンデリアが全体を黄金に輝かせている。見上げる空高い天井空間にも天使が羽ばたいている。重厚で黒ずんだ黄金色と焦げ茶色の太い柱が並んでいる。柱には、細かなガラスが詰め込まれ、きらびやかな色がグラディエーションとなって存在している。床は、黄金に光り、そのつやのある石が、まっすぐ先に人が小さく見える距離にまで、敷き詰められている。会場までのこの豪華絢爛な、きらびやかな廊下は、人々の出会いの場となってい...オベラについて2
放送大学TV10:00古典オペラの発展王侯貴族の権力の誇示のため巨大な金額をかけた2週間にわたる王自ら権力者として演じたルイ14世ベルサイユ宮殿から始まる社会、経済、政治あらゆるものを含んでいた。2階正面奥のボックス席国王その横が貴族身分の高さを上から誇示した。舞台演劇より、上部席に座り、会場全体を見渡すことがステイタスで何よりハイクラスの誇示であった。「芸術」が優先ではなかった。感想当時は、芸術自体の価値がどれほど評価されていたのか。現在のようではなかった。現代でも、芸術と身分の関係は、まだ残っているようなところもあるような気がする。後ろ盾があって、生み出せるところもあるし、貧乏して生み出されることも多いが。現代でも、権力、政治、経済など密接に絡んで、歴史が続いていると思われる。欲望の対象や「禅」「無」との関...古典オペラの魅力
放送大学TV蜷川幸雄インタビューをもとに自分なりにまとめてみました。1.セリフは、変えない。作家は、言葉に懸けている。役者は、役者の役割がある。言葉を伝える。できるだけ相手の理解の範疇で、伝わる努力をする。2.シェイクスピアから装飾をそぎ落とし、普遍性を読み取る。役者を追い込んだ果てに、思いもよらない演劇ができるときがある。3.舞台上に観客席を置く。観客側からみた演劇を見る。(メタ認知機能ではないか。ブログを書く自分を客観的にみれるか。書きたいことを書くだけでよいか。見てもらうために、PVの多い内容を増やしていくのか。)TV気晴らし、感動得るため→与えられた欲望(気晴らし、感動)対処・・・他の気晴らしは?感動を振り返る(本当の感動とは)4.文学観念を肉体で超えたい。5.現代は、個人主義が強い。表面的、感覚的なの...舞台芸術
脈90代/分ではあるが、後頭部にズキンズキンと違和感。胸は何か詰まったような違和感が続く。頭重感も続いている。脳梗塞後頻脈
桜並木を歩いている桜の花は、まだ開いていない。その木を見る人もいない。通り過ぎようとしたその時、ひらひらと何かが舞ったような気がした。しかし、そこには木々の太い枝や小枝が、ただ煩雑に重なり合っているだけだった。咲いていないのかなと、枝々をよくみると、小さなつぼみのようなもが見えた。この木々たちは、花のように見られることなくたたずんでいる。それは、寂しそうにもみえたが、落ち着いていてしっかりと地面に立ち、堂々としてるようにも見えてきた。寒い冬を乗り越えて、雨、風の中を過ごしてきた。今ようやく、ほんの小さなつぼみであるがつけることができた。今が、大事な時なのかもしれない。いや、最も寒い冬が大事だったのかもしれない。桜の気持ちはわからないが、木の幹、枝、細い小枝、つぼみは、来年も元気でいてほしい。また、会いたいな。桜
不整脈、頻脈の心にあるギザギザした、違和感。取り除きたくても、のぞけないもどかしさ。誰にでもある感情。そうしたらその嫌悪感、ネガティブな感情から逃れられるだろう。逃れられなくても、共生できるだろうか。嫌悪感も自分のものとして、引き受けられるだろうか。何気ない風景をみて、その表現に意識を割くことができるだろうか。何気ない景色を、自分なりの表現で、「美」を描けるだろうか。疑いながら、挑みながら、一場面を捉える。その場面から目を離さず、凝視し続ける。頭の中のボキャブラリーを試して、試して、挑み続ける。かなわない挑戦。その瞬間、一瞬だけ。描き忘れた。画面の隅に転がる、石ころのような嫌悪感を。一瞬だけ。印象にペイント創作解説
1.真っ青な海緑の電車が飛び越えてゆく白い波の粒はが、追いかけてくる。散りながら、消えてゆく電車は、今、赤と黒の夕日が塗り込まれた。2.散歩道道沿いに緑色の小川。深い緑色の藻ゆらゆらと水色と重なり合って水面に木々と空の綿ゆらゆらと永遠を映した印象にペイント
2月29日以来の頻脈94/分12時20分から20分継続中。また、4~5日続くのかと思うと、気が重い。階段を上ると、のどがきゅっと絞まる感じがする。頭に酸素が回らなくて、ぼーっとする感じ。気持ちを別の方向に向けるウエスト・コーストサウンド:80年代のスムース&グルービーAOR10/10の嫌な感じが、8/10に変わる。8の違和感、嫌悪感、ギザギザな気持ち逃げたい2/10を考える。柔らかな曲。さわやかな風が、胸にスーッと入ってくる。これで、ネガティブな気持ちが晴れるわけではない。確かにこの胸の中に、リズムとメロディは流れ込んだんだ。脳梗塞後
レモン色のラッパ状の花夕方に花を開き始め、朝にしぼむ脳梗塞になったことで、ユウスゲのように世間に目立たなくても生きる道を見つけたい、この運命だからこそできることがあるとでも言っているような、レモン色のトランペット創作解説ユウスゲ
音無き青に響き渡るレモン色のユウスゲ昼の心地よい眠りから、沈む夕日のオレンジの影が体を揺らした夕闇のうっすらとした時の中夕日が沈むのに合わせて瞼を開け始めた少し冷たくなった空気を避けるようにゆっくり両手を広げるそして、一番星を探し星に向かってトランペットを掲げた山の頂から息を吸い込み低音で夜の街へ歌い始めた時に思いきり、力を入れ高音を遠くまであの星までその奥の星の彼方まで吹き続けている空も街もいつのまにか無数の光が渦巻いていたレモン色のトランペットは、メロディという名の波を送り続けたやがて、うっすらと紺色の闇の水平線の彼方が、青から水色へ塗り替えられ、ピンク色へそしてオレンジ色の暖かな熱風が吹き付けてきた吹き続けていたレモン色のトランペットは、とぎれとぎれのささやきを残してゆくトランペットを抱きかかえたまま疲れ...ユウスゲ(花)レモン色とトランペット
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