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  • 言語表象文化――「たてる」哲学

    歴史や言語は、「国家や民族、あるいはそれらに類した社会集団固有のもの」であるという、素朴な認識がある。 高等教育や専門的議論においても、もっと言うならおよそ言語を用いて社会活動を送る人間は、この「無意識の壁」によって守られながら、論理的に思考している。孤立的な選民主義は言うに及ばず、手垢のついたグローバリズム、「異文化」への相互理解であっても、この手の縄張り意識なしでは成立しえないだろう。 ところが、こうした認識への越境――人間の考えには一定の類型があったり、語源をたどれば同一性を実証できる――をくわだて、主張するものがいる。 はっきり言えば、この手の侵略的空想は、前世紀の国境線――植民地支配…

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