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ブログタイトル
マツノヤ人文学研究所
ブログURL
https://matsunoya.hatenablog.jp/
ブログ紹介文
独断と臆見による人文学研究と時評
更新頻度(1年)

71回 / 235日(平均2.1回/週)

ブログ村参加:2020/01/28

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ハンドル名
松屋汗牛さん
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マツノヤ人文学研究所
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マツノヤ人文学研究所

松屋汗牛さんの新着記事

1件〜30件

  • 歴史の夢・ロマン・謎:信用ならない語り手にすぎない、歴史学の直視しがたい現実としての

    歴史に夢とロマンと謎はつきものである。これはいい意味で言っているのではない。プロの研究者でもアマチュアの歴史家でも、知らず知らずのうちに、 ●自己投影、アナクロニズム ●勧善懲悪、陰謀史観 ●テーマの束縛、専門化 ●権威主義、タブーの無視 などといった問題を棚上げにして、夢やロマン、謎という虚構で一般読者の関心を惹こうとしてきた。おおよそ社会的な発言力や影響力を得た壮年・中高年になってからでは、学んだ歴史観、そして研究上のインプットとアウトプットを軌道修正するには遅い。 この弊害は、歴史研究そのものにたいして、研究者とそれ以外の人間のあいだで温度差、認識の隔たりを生んでいる。一般的な認識として…

  • 人文探しの旅:大阪・奈良

    かねてより人文探しの旅をしてみたかった。自分探しではなく、古本集めと古代史のフィールドワークを兼ね、国内を回り、現代の地域振興に役立つ情報を収集するれっきとしたプロジェクトである。 一日目 出発は大阪の天王寺。そこから阿倍野を下り、南田辺の古書店「黒崎書店」を目指す。目当てはインドと中国の天文知識の交点、「宿曜」の本である。また、一帯は太子信仰や物部氏、安倍晴明にゆかりの深い地域である。太子の手下が大蛇を斬り殺した桃ヶ池(股ヶ池)など、 目当ての古書を確保したあと、八日えびすで知られるという山阪神社に詣でた。そこから針中野まで歩き、近鉄で柏原市まで向かう。手始めに石神社や弘法水を見て回る。高尾…

  • 歴史地理、物質民俗、音・光・香り……史学の新視点

    これまでわたしは、「農耕社会の成立史」のように編集されてきた伝統的な史学から、鍛冶や鉱山師などの職人の歴史を抽出し、水銀朱や鉱石、岩石の加工と特有の信仰とのむすびつきを考えてきた。 「農耕社会の成立史」であるところの、理性や精神の発達史観からすると、農耕にむすびつく食欲や性欲などの直接な欲望の充足から「ほど遠い」、いわば余分なこれらにまつわる説話伝承は、脈絡を追うことは困難であり、単なる迷信や虚構、想像力と解釈されている事例が少なくない。さらに産業革命による機械化・都市化も手伝い、多くの人の手がかかっていた職人仕事や鉱山労働、土木治水工事などの意義が変化し、農耕や日常の市民生活から分離した。 …

  • 「蝦夷」、境域の民たち:西国との交易・文化的関係をかんがえる

    蝦夷の歴史は「境域」の歴史と捉えるべきと思う。 明治以降の古代東国史研究は、蝦夷対和人という民族対立、支配や隷属という階級対立の歴史として考えられてきた。それは江戸時代から続くアイヌとの交易だったり、北海道の入植という内政問題とも密接にかかわってきたし、コロポックル論争などから端を発する先住民問題にも入り組んでいる。そのほかにも縄文人と弥生人というよく知られた類型や、東北以西のアイヌ語地名説、マタギなどの狩猟文化など、学界の定説、俗説を問わず近代の蝦夷観が波及した例は枚挙に暇がない。 そして多くの説が、アイヌ=蝦夷=縄文人、和人=渡来人=弥生人のような図式を当てはめ、北海道や東北の文明化や近代…

  • 説話研究の意義

    説話の研究は、じつに多面的な意義をもっている。 まず一つは、言語の構造の研究である。これまでの言語研究では自立して成立しうるかのような、文法的な側面がクローズ・アップされてきたが、言語は人と人とのあいだにはたらきかけ、あるいは生と死のあいだを仲立ちするものであるべきであり、その内容物たる物語のおよぼす影響は社会において計り知れないものである。 たとえば時制の標示やものごとの位置関係、数などの順序といった文法的な表現は、言語学者の考えている以上にひとを拘束する。こうした構造への考察を純粋に突き詰めていった結果が「法学」なり「数学」といった解釈の手立てへと結実している。善悪などそこでもなお解決でき…

  • 研究、あるいは広げすぎた大風呂敷

    雑多な分野に手を広げすぎたせいで、研究の全体像がぼやけてしまっている。 はじめは井本英一が記録したオリエントやヨーロッパのさまざまな伝承と、吉野裕子がまとめた陰陽五行説による農耕儀礼の比較検討が目的であった。犬をいけにえにしたり、死者の使いとして忌み畏れる風習はよく似たものがあるが、その土地を支配する道教、陰陽道であったり、ゾロアスター教にあわせて、また言語によるこじつけもあり解釈が異なっている。これらにおそらく共通したのは、天文知識による季節と気候の把握が、「呪術」として幾何学化、法則化されることで、一種の「精神」と呼ばれる解釈の体系のことなりを生み出してきた、という仮説をたてた。災害や兵乱…

  • あらためて

    今の今までだれも交差させなかった分野を混じり合わせることで、正しいとは言い切れないが、今までにない可能性を切り開くような人文学を欲している。 このブログで追究してきた、「文化の類型が広がる背景にはある種のグローバリズムが介在している」というテーマは、これまでいくつかの可能性を提示してきた。天文学の情報のある程度の共有、鍛冶や採鉱、アマルガムなどの冶金文化の信仰文化への流入、インド洋やシルクロードの交易と説話の関係などは、多くの先人の事績を追いながら、モザイク状に推論されるものである。 従来の人文学観の「農耕社会」偏重は、古典教養の農耕民重視のヒエラルキー、方向づけに従って、産業革命や啓蒙主義革…

  • 次代のフォークロアのために

    人と人が接し、何らかの表象や指示――いわゆるコミュニケーションが行われるとき、それらが明確に伝わり、実行されるかどうかは不確実である。そのため、コミュニケーションをより「均質的」に、誰でも同じように享受できる手続きないしシステムが整っていることが、音声や身振り、文字の体系を「言語文化」たらしめる要点であるといえる。 こうして課された条件は、すでに万全に伝わるべく整備された、近現代の国語や科学観に慣れ親しんだ人間にとって、無意識に受け入れられ日常的に見過ごされているものである。サルや動物に言語が存在すると主張したり、有史以前の文字や文化を発見したという研究者には、それらが真に伝わるような「言語文…

  • 日本語の「語源」

    「邪馬台国がどこにあったか」と同じくらい堂々巡りを続けているのが、「日本語はどこから来たのか」という問題である。考古学的成果やDNA解析などと重ね合わされ、有史以前以後の人類の移動と言語を推測する研究も見られるが、確答は得られていないようである。その時々の政治やナショナリズムに左右されることもさることながら、「謎」や「真実」という扇情的な文字が躍らなければ、論争も世間の関心も呼び込むことのできない「無風状態」かつ「閉鎖的」なジャンルであることも一因であろう。 そもそも言語というのは異個体、異集団間の交渉に益するように、たえず混淆し、意味を変えていくものである。この言語観は、文字化され、純化運動…

  • 眼のシンボル、邪視と癒しと冶金文化

    「産業革命、啓蒙革命によって失われたもの」というと、精神的な荒廃、そして公害や環境破壊というペシミスティックな側面が強調されがちである。これらを克服するために、例えば柳田国男は民俗的な伝承を守り伝えようと努力したし、南方熊楠は鎮守の森の保護運動を進めたし、鈴木大拙は禅や浄土思想など神秘主義の弁護をすすめた。西欧でも同様なロマンティシズムに衝き動かされた人文運動はよく見られる。 しかしながら、こうした保護活動と同時進行で、説話と民俗、産業以前の生業が維持してきた緊密なネットワークが、細分化された学術研究によって断ち切られ、あるいはほとんど全容がつかめないようになってしまった。記憶として消えかかり…

  • 言語文化:生と死のあいだに……

    このブログでは、伝統的かつアカデミックな言語学とは異なる「言語についての学問」を追究するべく努力してきた。 模範的な言語学では、たとえば「ピエールがポールを殴る」という文を、名詞や動詞、3人称現在や主格・対格という文法的な要素に分解し、同程度の文章、「ピエールは学校に行く」や、「リリーがべスを殴った」という文と比較し、その差異を「他動詞対自動詞」や、「現在対過去」といった現象(あらわれ)の対立として観察している。そしてそうした区分がなにに起因するか――民族や国家という巨視的なコンテクスト、あるいは脳の認知や生物的なミクロの進化を原因として解明するように展開してきた。 外形としての文法と連動する…

  • 拡張する神話群――「物語る」言語の意味

    神話学は、「国」「民族」「階級」といった閉域、そしてその比較にとどまってはならない。 「かたる」ことは、常に時間的・空間的に拡張していく性質をもっている。経緯をかたり、「かたる」という自らの行為自体を特権化することは、ひとえに閉じた領域を生成しつつ破壊するいとなみである。 わたしはここ数か月、古代や中世の鍛冶職人や鉱山師、商人たち――ときに霊力をもつとみなされた祭祀芸能者でもある――の活動をつうじ、それが王を頂点とする農耕共同体にどのような物語を「占有したか」ということについて関心をはらってきた。錬金術や秘儀などは、古今東西を問わず職人や商人と結びついていた。職人や商人の遍歴は、異境や異教とい…

  • 十二支と十二星座

    日本神話は「星」と疎遠であるといわれている。 江戸時代の国学あたりからか、農民は早寝早起きだから星を見る余裕がない、という至極てきとうな決めつけがなされてきた。そのスタンスは概ね現代に受け継がれている。農民は迷信的で純朴無知であるという、近代特有の啓蒙主義的な決めてかかりも影響しているのだろう。 しかし、本来農業というのは気候や季節に鋭敏な感覚をもって運営されなければならないはずである。太陽、月、星の観察を積み重ね、梅雨や台風の時季を正確に予測せねば、飢饉は免れえない。それに、昔の農業にはずっと多くの人間が携わる集約的なものであった。領主や地主たちは祭礼などを設け、彼らの適切な労務管理をしなけ…

  • 神話から文藝、文藝から科学・教養……マニフェスト

    この数日間、水銀朱についての研究から派生し、鉄や銅、礬類やナトリウム、硝石、花崗岩や凝灰岩などと歴史の関係を調べていた。 従来の「風土」論は主に気候や植生が中心であった。そこから気質や精神、文化との関連を説明するのであるが、多分に国粋主義的で、「環境決定論」とまで揶揄される独善的なものであった。しかしながら、北方人は勤勉で、南方人は怠惰で未開などという類型は、「南北問題」のような経済問題として形を変えながら受け継がれているように見えるし、「照葉樹林文化」とか「日本は木の文化、ヨーロッパは石の文化」というようなお決まりの成句となって、知らず知らずのうちに新たな研究の可能性を潰していることもありう…

  • モザイク的歴史叙述、キュビズム的歴史観

    辰砂の歴史研究、などという大風呂敷を拡げてしまった。 日本については市毛勲『朱の考古学』や蒲池明弘『邪馬台国は朱の王国だった』、上垣外憲一『古代日本謎の四世紀』、そして何と言っても松田壽男の『丹生の研究』『古代の朱』ですべて出尽くした感がある。ヨーロッパ方面については『金枝篇』や『河童駒引考』のような博覧強記からの、完全に推測の域を出ない。鍛冶にかんする伝承は、農耕の豊穣崇拝と同一視されやすく、異教的な悪魔崇拝やオルギーという見方しかされてこなかった。 いままで抑圧されてきたマイノリティの解放を謳う社会運動により「民衆的」で「異教的」なヨーロッパが脚光を浴びたさいも、これらの扱いはいわゆる「オ…

  • ポスト・オリエント学と水銀朱(辰砂):ユーラシア情報文化圏交渉比較環境人文学として

    水銀朱(辰砂)の用途 ①「朱」として顔料、装飾的要素に ②「水銀」を精錬し、金をアマルガムめっき(中世以降は鏡の研磨にも使用) ③「朱」や「水銀」を薬として使用(殺菌・ミイラ化) ④水銀と硫黄から化学的に合成する過程を、錬金術や神話などシンボル化 従来の神話解釈・歴史解釈は、豊穣を願う儀礼の顕われと解釈するなど、「農耕社会」を前提としてきた。一方で採掘や精錬、鍛冶などの工業的発展は、古代・中世においては「文字に遺されない」という暗黙の了解がある。化学変化や工学的な変型を扱うこれらの職業は、商業とともに、宗教的に卑賤視・迫害されてきたという見方が一般的であろう。 しかし、産業革命以降の農業と商工…

  • 西洋の水銀朱伝承

    インドや中国に比較して、ヨーロッパの古代・中世における金細工や鍛冶の歴史の追跡は困難である。一応水銀によるアマルガム技術は遅くても紀元2世紀のローマに存在していたといわれてはいる。 思うにそれは金属加工の技術が「悪魔」と結びついていたこと、ユダヤ人やロマ(ジプシー)などのアウトサイダーとの繋がりなどにより記述されることが好まれなかった経緯があることが予想される(私は鍛冶や採掘を担った人びととして、おもにオリエント系の語彙を織り交ぜたペルシアやトルコ系の人びとや、長江流域から紅海地中海を往来したインド系の人びとがいたのではないかと推理している。同時に傭兵や芸能を担うことにより、かれらの持つシンク…

  • We Shall Never Surrender...

    一般的に、西洋は現実主義、東洋は神秘主義というイメージが根付いている。しかしながら、中国は現世利益的、インドでは思弁的、さらに道教は理想主義、儒教は現実路線……など、言ってしまえば何とでも言えるのであって、そのイメージは産業革命、帝国主義以降のヨーロッパの価値観を中心に、専門的研究家の狭い視野で捉えられたステレオタイプにすぎない。それはカトリック的な文化や、ロマン主義の源となった異教のイメージを研究する西洋の視点にも顕われているので、正直どっこいどっこいであるともいえる。 科学的世界観と文明史観が未分化なために発生した、強固な「カースト」の元で与えられた評価を覆すべく、自国自民族の文化を紹介し…

  • 学問への動機

    歴史にかぎらず、学問は現代の鏡である。なにか「現代に通じるもの」を嗅ぎ取ったからこそ、深く掘り下げて研究が行われる。書籍や論文で浸透する学説、というものは、時代精神、時代の要請にかなったものだからこそ、その影響力を認めざるを得ない。そこにはある程度の流行り廃りを認めなければならない。 しかしながら、多くの人間は学問にそれ以上のものを求める。具体的には、「あまりにも現代的な」結論ありきで、学問を矮小化、教訓化、精神化してしまう。「物語」として、現代的な視点からあれこれ口をはさみたがる。たとえば歴史であれば、「古人の愚かさ」をあざ笑い、「われわれの責務」を見出し、「唯一固有のアイデンティティ」とし…

  • 辰砂説話の東西

    辰砂(水銀朱)にまつわる技術の歴史は、シンボリズムの歴史と言い換えることができる――農耕文明において、金鍍金技術に必要な水銀は、金銀で飾られた聖地、神々といった信仰の対象のために必須であった。さらに、朱の耐腐食性、不老長寿の効能から薬、顔料としての役割も担っていた。水銀公害が問題化して以降はタブーとなってしまい、研究、そしてその成果の総合が進んでいない分野である。 しかしながら、鉱山師、鍛冶師たちは、農耕社会の「部外者」とまで見なされていた。時代が下った中世ヨーロッパ都市では、騒音や水質汚染などで鍛冶師と市民の諍いが起こっている。平地は農耕のために利用されるべきであり、かれらが集住するところと…

  • 文化圏研究叙説

    歴史研究は時代の鏡である。研究者は周囲の環境から何かしら影響を受け、みずからの研究が歴史という大河に「一石を投じる」「波紋を広げる」ことを願う――世の中の関心に少しでも寄与できるように、みずからの得た知をフィードバックしようとする。 しかしながら、多くの場合、それは一時的に水面を揺らめかせるにすぎない。専門的な知識に踏み込むと、世間一般で信ぜられている通説からはかけ離れ、限られた仲間うちにしか理解されないものになってしまう。また、発想の独創の度が過ぎたり、研究者自身の死によって、顧みられなくなってしまった研究も数多く存在する(私は趣味の古書蒐集を通じて、そのような研究を多く見てきた)。 この半…

  • 辰砂:文化と知識のネットワーク

    空海と水銀、鍍金技術の関係 丹生明神……水銀 虚空蔵加持……黒雲母、ウナギのタブーと「ヲ」を持つ蛇のアナロジー 尾張-美濃‐近江‐山城-丹後:辰砂文化圏と 大和-葛城(生駒)-和泉-紀伊(熊野)-伊勢:辰砂文化圏との、 平安期における統合 その前段階としての「文学」 「古事記」 真言宗寺院に保存された、古代の鉱脈の歴史 「ヲ」の思想…「ヲ」の霊である大蛇、「ヲ」の生えた人間 オオクニヌシとスクナヒコナ ヤマトタケル、白鳥伝説 道教的な文脈、ペルシア、バビロニア神話との連関 「日本霊異記」……著述した景戒は紀州の人で行基の門人? 神仏習合にいたる道のり、神と仏の資源争奪戦 目一つの鬼 役行者 「…

  • 言語:信用とあそび

    これの続き。 matsunoya.hatenablog.jp 言語は「信じられていること」の体系である。それはちょうど貨幣や金券のように、その共同体の空間的「境界」と時間的「限度」を維持しながら表象され、やり取りされている。貨幣だと「信じられていること」は、貨幣だと「信じられているもの」を用いて、対等なモノやサービスを受けることのできる境界と限度をその額面のなかに表示する。貨幣は、より時間のかかる商取引や法などの言語によるシステムを端的に簡略化した事象であるといっても過言ではない。 従来、言語は「記号」や「物語」という側面で、しかもどちらかと言えば信じられている「͡こと」よりも信じられている「…

  • 韮と丹生(草稿)

    吉野裕子『陰陽五行と日本の天皇』の中に、中臣寿詞の解釈が出てくる。 そこで問題とされているのが、天孫の統治に必要な「天津水」を得るために、秘義とされている「韮と竹叢」の意味である。玉櫛を占庭に挿し、祝詞を唱えると韮と竹が生えてきて、そこを井戸として湧き出る水が「天津水」なのだという。 吉野は五行説の火金干合から、そして唐の『酉陽雑俎』から韮の伝承を引き、この記述を説明しようとした。 「竹」が「高」ないし「多賀」という地名を経て、「辰砂」や「水銀」産地と関係があるのではないか、という愚考を前回述べた。「中臣寿詞」にも、「…大倭根子天皇が天つ御膳の長御膳の遠御膳と、赤丹のほにも聞こしめして…」と、…

  • 辰砂の社会文化史・試論――平城京と平安京を例として

    この記事は前の万葉歌謡史の補完のようなものである。 matsunoya.hatenablog.jp matsunoya.hatenablog.jp どの国のどの文化もほとんどは「伝統」「慣習」「古典教養」として農耕文化を基礎としている。ヘシオードスやウェルギリウスの農耕詩、中国の詩経、そして万葉集や記紀の世界は、純朴な「農民」の精神を反映しているとみなされ、これらを基礎とした経済学や儒学、国学に「回帰衝動」をうながすこととなった。 資本家が商工業を自由に行い、貧富の格差が拡大することへの危惧、国家による経済の統制、軍事的伸長の達成といったアイデアの根源には、知識人が修辞として刷り込まれる教養が…

  • The Beatles(White Album)偏向的完全ガイド

    ザ・ビートルズのザ・ビートルズ――通称ホワイト・アルバムは2枚組(アナログ盤では4枚組)のアルバムである。曲数がやたら多いせいで、1枚にまとめきれなかったのか、オレならこの曲を抜く、という議論がたびたび起こる。「ビートルズに捨て曲無し」の立場を貫く筆者は、こういう議論を見るたびにひそかに心を痛めてきた。 ジョンの革新性、ポールの守旧性にクローズ・アップして論じるレビューも数多見てきた。音楽ライターが口をそろえて言うには、ジョンは前衛的な「悪い子」、ポールは伝統的な「いい子」の音楽だという。 しかしそういうありきたりな通説は間違っている。あの66年から68年のサイケデリック・イヤーを経験し、薬物…

  • 名誉フェロー号 授与について

    ご愛読の無識者(むーしきしゃ)の皆様 ツイッターでも告知しましたとおり、この度マツノヤ財団 知域総合人文学研究所は名誉フェロー号を愛読者全員に授与しております。 無料、無制限、無駄の三無がそろっており、特典としてこのブログ及びnote、pixivの無料購読権、コメント権、拡散権およびネーミング・ライツ(後述)を付与いたします。 www.pixiv.net 無料で名誉研究員のポストが得られることはメリットでしかありません。まず、稲盛財団など、ごく少数の富裕層や教祖にしか満たせなかった名誉欲、自己顕示欲が満たせます。さらにもし皆様が不祥事を起こしたとしても、論点を「研究所の不祥事、自浄作用」という…

  • 情報操作概論――どうすれば有名になれるか、または「無識者(むーしきしゃ)」心得

    文系研究者は基本的に無名である。無名だと出版物を出そうにも出せない。研究者としての成功や科研費やなんだのやりくりのために、大学や学会のアカデミズムに歩調を合わせることとなる。そうすると内輪での評判はよくても、一般の知名度が皆無となる。これでは出版社も渋ってしまう。結果、文系学問は無益だと切り捨てられる。 とにかく、このままでは情報化社会は活字文化社会と同じ道をたどりかねない。匿名で何でもありの雰囲気が消えうせ、自由な議論を謳いながら、心理的、社会的にものを言えなくするシステムが、このソーシャル・ネットワークの時代にもやってくる。だれもがヴォルテールのように相手が異なる立場で発言することを許して…

  • 6・1知域総合人文学研究所設立宣言

    ブログご愛読者の皆様へ いつもご声援とご愛顧を賜りまして誠に感謝いたします。 マツノヤ人文学研究所は、この度11月11日の設立より半年と20日くらいを迎え、より研究内容の深化と発展を期すべく、2020年6月1日付けで名称をマツノヤ財団 知域総合人文学研究所に改称し、研究方針の明確化のために設立宣言を発表します。 グローバル化の退潮と孤立主義の台頭のさなか、人文系学問は食えない、実生活の役に立たないという烙印を押されています。書店には売れるマンガとゴシップ雑誌、有名人のゴーストライター新書本しか置いておらず、人文教養がかつて果たしていた社会的統合、知の普遍化というから役わりからは遠のくばかりです…

  • 『妹の力』私見

    私のスタンスは、国語とか民族語とかいう概念は近現代の虚構である、という立場である。従来古語とされるようなやまとことば、さらに縄文語や弥生語とされるような再建も、まったく国民国家の便のためにあるようなもので、古典教養がコミュニケーションとして機能していた時代の実情というのは知られえないものだとつくづく思うのである。 だから、戦後よく議論された日本語何とか語起源説というのは、戦前の大日本帝国や大東亜共栄圏の版図の域を越えず、その時代の時代認識、地域認識を映す以上のものではない(いわゆる「南島イデオロギー」というものであろうか)。特に厄介なのは、戦後の経済的秩序、政治的秩序による境界線にとらわれてい…

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