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『正法眼蔵』を読んでみます ~『現代語訳の試み』と読書ノート https://syoubougenzou.blog.jp/

超難解との誉れ(?)高い書『正法眼蔵』を読んでみます。 説いて聞かせようとして書かれたものである、  という一点を信じて、…。

『徒然草~人間喜劇つれづれ』http://ikaru811.blog.fc2.com 『源氏物語・おもしろ読み』http://ikaru-uta.blog.jp に続き、『正法眼蔵』に取り組んでいます。 どうぞよろしくお願い致します。

いかるのうた
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2019/10/23

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  • 2 守護菩提心

    魔は是れ天竺の語、秦には能く命を奪ふ者と言ふ。死魔は実に能く命を奪ふと雖も、餘(ヨ)の者もまた能く奪命(ダツミョウ)の因縁を作(ナ)し、また智慧の命を奪ふ、是の故に殺者(セッシャ)と名づく。 問うて曰く、「一の五衆魔に三種の魔を摂す、何を以ての故に、別

  • 1 魔の分類

    魔に四種(シシュ)あり、一に煩悩魔、二に五衆魔(ゴジュマ)、三に死魔、四に天子魔なり。 煩悩魔とは、所謂百八煩悩等にして、分別すれば八万四千の諸煩悩なり。 五衆魔とは、是れ煩悩和合の因縁なり。 是の身は、四大(シダイ)及び四大の造色(ゾウシキ)、眼根(

  • 2 魔説・外道の説

    あるいは天魔波旬等、行者をさまたげんがために、仏形(ブツギョウ)に化(ケ)し、父母(ブモ)師匠、乃至親族諸天等のかたちを現じて、きたりちかづきて、菩薩にむかひてこしらへすすめていはく、「仏道長遠(チョウオン)久受(クジュ)諸苦もともうれふべし。しかじ、まづ

  • 1 菩薩

    菩薩の初心のとき、菩提心を退転すること、おほくは正師(ショウシ)にあはざるによる。 正師にあはざれば正法をきかず、正法をきかざればおそらくは因果を撥無(ハツム)し、解脱を撥無し、三宝(サンボウ)を撥無し、三世(サンゼ)等の諸法を撥無す。 いたづらに現在

  • 熟せざるもの三種

    仏の言(ノタマワ)はく、「云何(イカン)が菩薩は一事を守護せん。謂(イハ)く、菩提心なり。菩薩摩訶薩は、常に勤めて是の菩提心を守護すること、猶(ナオ)世人の一子を守護するが如し。亦(マタ)瞎者(カッシャ)の餘の一目(イチモク)を護るが如し。曠野を行くに

  • 2 弥勒菩薩

    しかあればすなはち、たとひ在家にもあれ、たとひ出家にもあれ、あるいは天上にもあれ、あるいは人間にもあれ、苦にありといふとも、楽にありといふとも、はやく自未得度先度他の心をおこすべし。 衆生界は有辺(ウヘン)無辺にあらざれども先度一切衆生の心をおこすなり

  • 1

    禅苑清規(ゼンネンシンギ)一百二十問に云(イハ)く、「菩提心を発悟(ホツゴ)せりや否や。」 あきらかにしるべし、仏祖の学道、かならず菩提心を発悟するをさきとせりといふこと、これすなはち仏祖の常法なり。 発悟すといふは、暁了(ギョウリョウ)なり。これ大覚

  • 2 久遠の寿量

    われらが寿行生滅、刹那流転、捷疾なることかくのごとし。念々のあひだ、行者この道理をわするることなかれ。 この刹那生滅、流転捷疾にありながら、もし自未得度先度他の一念をおこすごときは、久遠の寿量、たちまちに現在前するなり。 三世十方(サンゼジッポウ)の諸

  • 1 四の善き謝夫

    衆生の寿行(ジュギョウ)、生滅(ショウメツ)してとどまらず、すみやかなること。 世尊在世に一比丘あり。仏の所に来詣(キタ)りて、双(フタ)つの足を頂礼(チョウライ)し、却って一面に住して、世尊に白(モウ)して言(モウ)さく。「衆生の寿行、云何(イカン)

  • 4 三千世界を見る

    もし如来の道力(ドウリキ)によるときは、衆生また三千界をみる。 おほよそ本有(ホンヌ)より中有(チュウウ)にいたり、中有より当本有(トウホンヌ)にいたる、みな一刹那一刹那にうつりゆくなり。 かくのごとくして、わがこころにあらず、業(ゴウ)にひかれて流転

  • 3 みだりに貢高することなかれ

    もし如来の正法眼蔵涅槃妙心を、あきらむるがごときは、かならずこの刹那生滅の道理を信ずるなり。 いまわれら、如来の説教にあふたてまつりて、暁了(ギョウリョウ)するににたれども、わづかに恒刹那よりこれをしり、その道理しかあるべしと信受するのみなり。 世尊所

  • 2 刹那生滅と仏法

    おほよそ壮士の一弾指(イチダンジ)のあひだに、六十五の刹那ありて、五蘊(ゴウン)生滅すれども、凡夫かつて不覚不知なり。恒刹那(ゴウセツナ)の量よりは、凡夫もこれをしれり。 一日一夜をふるあひだに、六十四億九万九千九百八十の刹那ありて、五蘊ともに生滅す。

  • 1 刹那生滅

    おほよそ発心得道、みな刹那生滅(ショウメツ)するによるものなり。もし刹那生滅せずば、前刹那の悪さるべからず。前刹那の悪、いまださらざれば、後刹那の善、いま現生(ゲンショウ)すべからず。 この刹那の量は、ただ如来ひとり、あきらかにしらせたまふ。一刹那心

  • 2 万法みな増上縁

    いまの質多慮知の心、ちかきにあらず、とほきにあらず、みづからにあらず、他にあらずといへども、この心をもて、自未得度先度他の道理にめぐらすこと不退転なれば、発菩提心なり。 しかあれば、いま一切衆生の我有(ガウ)と執せる草木瓦礫(ガリャク)、金銀(コンゴウ

  • 1 自未得度先度他

    衆生を利益すといふは、衆生をして自未得度先度他のこころをおこさしむるなり。 自未得度先度他の心をおこせるちからによりて、われほとけにならんとおもふべからず。 たとひほとけになるべき功徳熟して円満すべしといふとも、なほめぐらして衆生の成仏得道に回向(エコ

  • 発心

    発心とは、はじめて自未得度先度他の心をおこすなり。これを初発菩提心といふ。 この心をおこすよりのち、さらにそこばくの諸仏にあふたてまつり、供養したてまつるに、見仏聞法(モンポウ)し、さらに菩提心をおこす、雪上加霜なり。 いはゆる畢竟とは、仏果菩提なり。

  • 2 「発心」と「畢竟」

    おほよそ菩提心は、いかがして一切衆生をして菩提心をおこさしめ、仏道に引導せましと、ひまなく三業(サンゴウ)にいとなむなり。いたづらに世間の欲楽をあたふるを、利益衆生とするにはあらず。 この発心、この修証、はるかに迷悟の辺表を超越(チョウオツ)せり。三界

  • 1 無量劫修行

    この発菩提心、おほくは南閻浮(ナンエンブ)の人身(ニンシン)に発心すべきなり。八難処等にも、すこしきはあり、おほからず。 菩提心をおこしてのち、三阿僧祇劫(サンアソウギコウ)、一百大劫修行す。あるいは無量劫おこなひて、ほとけになる。 あるいは無量劫おこ

  • 3 感応道交

    この心、もとよりあるにあらず、いまあらたに欻起(クッキ)するにあらず、一にあらず、多にあらず、自然(ジネン)にあらず、凝然(ギョウネン)にあらず、わが身のなかにあるにあらず、わが身は心のなかにあるにあらず。 この心は、法界(ホッカイ)に周遍せるにあらず

  • 2 慮知心

    このなかに、菩提心をおこすこと、かならず慮知心をもちゐる。菩提は天竺の音(オン)、ここには道(ドウ)といふ。質多は天竺の音、ここには慮知心といふ。 この慮知心にあらざれば、菩提心をおこすことあたはず。この慮知心をすなはち菩提心とするにはあらず、この慮知

  • 1 心三種

    「発菩提心」巻は、『全訳注』では第六巻にあります。 この巻のすぐ前に、同じ日付で示衆の場も同じ越前・吉峰寺となっている「発無上心」巻があります。 同書は、「開題」において、その「発無上心」が、新寺(後の永平寺)建立の関係する在家の人への説法であったのに

  • 3 同事~5

    この四摂、おのおの四摂を具足せるがゆゑに、十六摂なるべし。 正法眼蔵 菩提薩埵四摂法 仁治 癸卯(ミズノトウ)端午日 入宋伝法沙門道元記【現代語訳】 この布施、愛語、利行、同事の四摂法は、それぞれの中に四摂法を具えているので、十六摂法になります。 

  • 2 同事~4

    明主はあきらかなるがゆゑに人をいとはず、人かならず国をなし、明主をもとむるこころあれども、明主の明主たる道理をことごとくしることまれなるゆゑに、明主にいとはれずとのみよろこぶといへども、わが明主をいとはざるとしらず。 このゆゑに、明主にも暗人にも、同事

  • 1 同事~3

    ひそかにしりぬ、海は海を辞せざるがゆゑに、海をなしおほきなることをなす。山は山を辞せざるがゆゑに、山をなしたかきことをなすなり。明主は人をいとはざるがゆゑに、その衆をなす。衆とは国なり。 いはゆる明主とは、帝王をいふなるべし。帝王は人をいとはざるなり。

  • 2 同事~2

    たとへば、事(ジ)といふは、儀なり、威なり、態なり。 他をして自に同ぜしめてのちに、自をして他に同ぜしむる道理あるべし。自他はときにしたがふて無窮なり。 管子に云(イワ)く、 海は水を辞せず、故に能く其の大なることを成(ナ)す。 山は土を辞せず、故に能く

  • 1 同事~1

    同事といふは、不違なり。自にも不違なり、他にも不違なり。たとへば、人間の如来は人間に同ぜるがごとし。 人界(ニンガイ)に同ずるをもてしりぬ、同余界なるべし。同事をしるとき、自他一如なり。 かの琴詩酒は、人をともとし、天をともとし、神をともとす。人は琴詩

  • 2 利行~2

    むかしの人、ひとたび沐浴するに、みたびかみをゆひ、ひとたび飡食(サンジキ)するに、みたびはきいだせしは、ひとへに他を利せしこころなり。ひとのくにの民なれば、をしへざらんとにはあらざりき。 しかあれば、怨親ひとしく利すべし、自他おなじく利するなり。 もし

  • 1 利行~1

    利行(リギョウ)といふは、貴賤の衆生におきて、利益(リヤク)の善巧(ゼンギョウ)をめぐらすなり。たとへば、遠近(オンゴン)の前途をまぼりて、利他の方便をいとなむ。 窮亀をあはれみ、病雀(ビョウジョク)をやしなふべし。窮亀をみ、病雀をみしとき、かれが報謝

  • 2 愛語~2

    怨敵を降伏(ゴウブク)し、君子を和睦ならしむること、愛語を根本とするなり。 むかひて愛語をきくは、おもてをよろこばしめ、こころをたのしくす。 むかはずして愛語をきくは、肝に銘じ、魂に銘ず。 しるべし、愛語は愛心よりおこる、愛心は慈心を種子(シュウジ)と

  • 1 愛語~1

    愛語といふは、衆生をみるにまづ慈愛の心をおこし、顧愛の言語(ゴンゴ)をほどこすなり。おほよそ暴悪の言語なきなり。 世俗には安否をとふ礼儀あり、仏道には珍重のことばあり、不審の孝行あり。 慈念衆生、猶如赤子(ヨウニュシャクシ)のおもひをたくはへて言語する

  • 2 布施~6

    転じがたきは衆生のこころなり。一財をきざして衆生の心地(シンチ)を転じはじむるより、得道にいたるまでも転ぜんとおもふなり。 そのはじめ、かならず布施をもてすべきなり。かるがゆゑに、六波羅蜜のはじめに、檀波羅蜜あるなり。 心の大小ははかるべからず、物の大

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