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『正法眼蔵』を読んでみます ~『現代語訳の試み』と読書ノート http://syoubougenzou.blog.jp/

超難解との誉れ(?)高い書『正法眼蔵』を読んでみます。 説いて聞かせようとして書かれたものである、  という一点を信じて、…。

『徒然草~人間喜劇つれづれ』http://ikaru811.blog.fc2.com 『源氏物語・おもしろ読み』http://ikaru-uta.blog.jp に続き、『正法眼蔵』に取り組んでいます。 どうぞよろしくお願い致します。

いかるのうた
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2019/10/23

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  • お知らせ 2023

    ご無沙汰しました。私のブログ第5段は、トルストイ作『戦争と平和』を読んでみることにしました。タイトルは「『戦争と平和』を物語る~粗筋とつぶやき」です。リンクになっていますので、お気が向いたら、覗いてみて下さい。

  • お知らせ

    しばらくご無沙汰いたしました。 年が明けて、次の本をこれからまた、新しく読み始めていきたいと思います。 『徒然草』、『源氏物語』、『正法眼蔵』に続く第四弾は『太平記』にしました。 新しいブログ名は「『太平記』読み~その現実を探りながら~」です。 明日2

  • 一百八法明門

    いよいよこのブログで読む最後の巻です。 ただ、この巻は、サイト「つらつら日暮らしwiki」によれば、「『正法眼蔵』の巻名の一。12巻本では11巻、他の編集形式には見えない。説示場所や時期は不明。なお、12巻本にしか収録されなかった巻であるため、12巻本が発見され

  • 作法 3 十戒

    善男子、汝 既に三聚清浄戒(サンジュショウジョウカイ)を受けたり。応に十戒を受くべし。是れ乃ち諸仏菩薩清浄の大戒なり。第一、不殺生。 汝今身(コンジン)従(ヨ)り仏身に至るまで、此の戒能く持(タモ)つや否や。 答て云く、能く持つ。(三問三答)第二、不偸盗(

  • 作法 2 三聚清浄戒

    善男子(ゼンナンシ)、既に邪を捨て正(ショウ)に帰す、戒已に周円せり。応に三聚清浄戒(サンジュショウジョウカイ)を受くべし。 第一 摂律儀戒(ショウリツギカイ)。汝今身(コンジン)より仏身に至るまで、此の戒能く持(タモ)つや否や。 答て云く、能く持(たも

  • 作法 1

    その儀は、かならず祖師を焼香礼拝し、応受菩薩戒を求請(グショウ)するなり。  すでに聴許せられて、沐浴清浄(ショウジョウ)にして、新浄の衣服(エブク)を著し、あるいは衣服を浣洗して、華を散じ、香をたき、礼拝恭敬(クギョウ)して、その身に著す。  あまねく形

  • 入法の最初に受戒あり

    西天東地(サイテントウチ)、仏祖正伝しきたれるところ、かならず入法の最初に受戒あり。戒をうけざれば、いまだ諸仏の弟子にあらず、祖師の児孫にあらざるなり。離過防非(リカボウヒ)を参禅問道とせるがゆゑなり。 戒律爲先(イセン)の言、すでにまさしく正法眼蔵なり

  • 参禅問道は、戒律を先と為す

    「受戒」巻は『全訳注』本の最後の巻です(後に「辨道話」が載っていますが、これは普通、『正法眼蔵』とは別の本とされています)。 前の数巻と同様に制作年代未詳の巻のようで、同書は「開題」においてさまざまに検討して、建長五年(一二五三年)(八月に禅師遷化の年で

  • 如来世尊、はるかに一切を超越しまします

    いま世尊の金言(キンゴン)、それかくのごとし。東土愚闇の衆生、みだりに仏教に違背(イハイ)して、仏道とひとしきみちありといふことなかれ。すなはち謗仏(ボウブツ)謗法となるべきなり。  西天の鹿頭(ロクトウ)、ならびに論力(ロンリキ)、乃至(ナイシ)長爪(チ

  • 2 虚も無く亦実も無し

    是の時、仏義品(ギボン)の偈を説いて言(ノタマ)はく、「各各(オノオノ)究竟と謂ひて、而(シカ)も各(オノオノ)自ら愛著(アイジャク)し、各自らを是(ゼ)として他を非とす、是れ皆究竟に非ず。 是の人論衆(ロンジュ)に入りて、義理を辨明する時、各各相ひ是

  • 1 如来在世に外道あり、論力と名づく

    如来在世に外道あり、論力(ロンリキ)と名づく。自ら謂(オモ)へり、論議与(トモ)に等しき者無く、其の力最大なりと。故に論力と云ふ。 五百梨昌(リショウ)の募(ボ)を受けて、五百の明難を撰し、来って世尊を難ぜんとして、仏所に来至(ライシ)し、仏に問いたて

  • 二祖毎に歎いて曰く

    伝燈録に云はく、 二祖毎(ツネ)に歎いて曰く、「孔老の教は、礼術風規なり、荘易(ソウエキ)の書は、未だ妙理を尽くさず。近く聞く、達磨大士、少林に住止(ジュウシ)せりと。至人(シジン)遠からず、当に玄境に造(イタ)るべし。」 いまのともがら、あきらかに信

  • 2 順次生業

    むかしは老耼をもて世尊にひとしむる邪党あり、いまは孔老ともに世尊にひとしといふ愚侶(グリョ)あり、あはれまざらめやは。孔老なほ転輪聖王の十善をもて世間を化するにおよぶべからず。 三皇五帝、いかでか金銀(コンゴン)銅鉄諸輪王の七宝千子具足して、あるいは四

  • 1 父母等の七人の頭を

    列伝に云はく、 喜、周の大夫と為り星象(セイショウ)を善くす。因みに異気を見て、東にして之を迎ふ。果たして老子を得たり。請うて書五千有言を著さしむ。喜、亦自ら書九篇を著し、関令子と名づく。化胡経(ケコキョウ)に準ず。 老、関西(カンセイ)に過(ユ)かん

  • 2 小臣にして帝位にのぼらず

      振旦一国に、なほ小臣(ショウジン)にして帝位にのぼらず、三千大千世界に王たる如来に比すべからず。如来は梵天、帝釈、転輪聖王等、昼夜に恭敬侍衛(クギョウジエ)し、恆時(コウジ)に説法を請(ショウ)したてまつる。 孔老かくのごとくの徳なし、ただこれ流転の

  • 1 生知者

    孔子の書に生知者(ショウチシャ)あり、仏教には生知者なし。仏法には舎利の説あり、孔老、舎利の有無をしらず。ひとつにして混雑せんとおもふとも、広説の通塞つひに不得ならん。 論語に云はく、「生まれながらにして之を知るは上(ジョウ)なり、学んで之を知るは次な

  • ひとり先師天童古仏のみ

    古徳云はく、「今時(コンジ)多く還俗の者有り、王役(オウヤク)を畏憚(イタン)して、外道の中に入る。仏法の義を偸(ヌス)み、竊(ヒソ)かに荘老を解(ゲ)して、遂に混雑を成し、初心の孰(イヅ)れか正、孰れか邪なるを迷惑す。是を韋陀法(イダホウ)を発得する

  • 3 振旦に二福有り

    真諦(シンタイ)三蔵云はく、「振旦に二福有り、一には羅刹(ラセツ)無く、二には外道無し。」 このことば、まことに西国の外道婆羅門の伝来せるなり。 得道の外道なしといふとも、外道の見(ケン)をおこすともがらなかるべきにあらず。 羅刹はいまだみえず、外道の

  • 2 「造次顛沛、みな三菩提なり」

    あるがいはく、「諸仏如来ひろく法界(ホッカイ)を証するゆゑに、微塵法界、みな諸仏の所証なり。しかあれば、依正(エショウ)二報ともに如来の所証となりぬるがゆゑに、山河(センガ)大地、日月星辰(ニチガツショウシン)、四倒三毒、みな如来の所証なり。山河をみる

  • 1 荘子云はく

    荘子云はく、「貴賤苦楽、是非得失、皆是自然(ジネン)なり。」 この見(ケン)、すでに西国の自然見(ジネンケン)の外道の流類(ルルイ)なり。 貴賤苦楽、是非得失、みなこれ善悪業(ゼンアクゴウ)の感ずるところなり。 満業(マンゴウ)、引業(インゴウ)をしら

  • 三皇五帝の語、いまだ転輪聖王のをしへにおよぶべからず

    古徳 云はく、「孔丘、姫旦(キタン)の語、三皇五帝の書の如き、孝以て家を治め、忠以て国を治め、国を輔(タス)け民を利する、只是一世の内のみにして、過未(カミ)に済(ワタ)らず。未だ仏法の三世を益するに斉(ヒト)しからず。豈謬(アヤマ)らざらんや。」 まこ

  • 月光菩薩、顔回と称し、…。

    清浄法行経(ショウジョウホウギョウキョウ)に云はく、「月光菩薩、彼(カシコ)に顔回と称し、光浄菩薩、彼に仲尼と称し、迦葉菩薩、彼に老子と称す。云々。」 むかしより、この経の説を挙(コ)して、孔子老子等も菩薩なれば、その説ひそかに仏説におなじかるべしとい

  • 2 能著所著

    古徳 云はく、「老子荘子(ソウジ)は、尚自ら未だ小乗の能著所著(ノウジャクショジャク)、能破所破を識(シ)らず。 況んや大乗中の若著若破(ニャクジャクニャクハ)をや。是の故に仏法と少しも同じからず。 然れば世の愚者は名相(ミョウソウ)に迷ひ、濫禅の者は正

  • 1 誠意と虚心と見性

    大宋嘉泰(カタイ)中に、僧正受(ショウジュ)といふもの有り、普燈録三十巻を撰進するに云はく、「臣、孤山智円の言(ゴン)を聞くに曰く、『吾が道は鼎の如し。三教は足の如し。足一つも虧(カ)くれば鼎覆(クツガエ)る。』 臣、嘗て其の人を慕い、其の説を稽(カン

  • いま大宋国に寡聞愚鈍のともがらおほし

    古徳云はく、「大師の在世、尚僻計生見(ショウケン)の人有り。況や滅度の後、師無く禅を得せざる者をや。」  いま大師とは、仏世尊なり。まことに世尊在世、出家受具せる、なほ無聞(ムモン)によりては僻計生見のあやまりのがれがたし。いはんや如来滅後、後五百歳、辺

  • 2 第三の誤り ~2

    たとひ四果の聖者(ショウジャ)なりとも、いかでか如来におよばん。舎利弗はひさしくこれ四果の聖者なり。三千大千世界所有の智慧をあつめて、如来をのぞきたてまつりて、ほかを一分とし、舎利弗の智慧を十六分にせる一分と、三千大千世界所有の智慧とを格量するに、舎利

  • 1 第三の誤り ~1

    第三には、命終の時、おほきなるあやまりあり。そのとがふかくして、つひに阿鼻地獄におちぬるなり。たとひなんぢ一生のあひだ、四禅を四果とおもひきたれりとも、臨命終のとき、四禅の中陰みゆることあらば、一生のあやまりを懺悔して、四果にはあらざりきとおもふべし。

  • 第二の誤り ~4

    曽(カツ)て聞く、人有りて自ら成仏すと謂(オモ)へり。待てども天暁(ア)けず、為に魔障(マショウ)ならんと謂へり。 暁(ア)け已(オハ)るに、梵王の説法を請(ショウ)するを見ず。自ら仏に非ずと知り、自ら是れ阿羅漢ならんと謂へり。 又 他人に之を罵られて、

  • 第二の誤り ~4

    この比丘、はじめ生見(ショウケン)のあやまりあれど、殺害(セツガイ)の狼藉をみるにおそりを生ず。ときにわれ羅漢にあらずとおもふ。なほ第三果なるべしとおもふあやまりあり。のちに細滑(サイカツ)の想によりて、愛欲心を生ずるに、阿那含(アナゴン)にあらずとしる

  • 2 第二の誤り~2

    優婆毱多(ウバキクタ)の弟子の中に、一比丘有り。信心もて出家し、四禅を獲得して、四果と謂(オモ)へり。 毱多方便して他処に往(ユ)かしむ。路(ミチ)に於て群賊を化作(ケサ)し、復五百の賈客(コカク)を化作す。賊、賈客を劫(オビヤ)かし、殺害狼藉せり。

  • 1 第二の誤り~1

    第二には、初禅をえて初果とおもひ、二禅をえて第二果とおもひ、三禅をえて第三果とおもひ、四禅をえて第四果とおもふ、第二のあやまりなり。 初二三四禅の相と、初二三四果の相と、比類におよばず、たとふることあらんや。これ無聞(ムモン)のとがによれり。師につかへ

  • 比丘の不是、三種 ~1

    この比丘を称して四禅比丘といふ、または無聞(ムモン)比丘と称す。四禅をえたるを四果と僻計(ヘキケイ)せることをいましめ、また謗仏(ボウブツ)の邪見をいましむ。人天大会(ニンデンダイエ)みなしれり。 如来在世より今日にいたるまで、西天(サイテン)東地、と

  • 四禅比丘 ~仏弟子の中に一比丘有り

    「四禅比丘」巻は、『全訳注』第八巻に先の「深信因果」巻に続いて収められています。 「四禅」は、『全訳注』が「いわゆる禅定に入った時の境地を四つの階位にわかったものであって、古来から教相を論ずる人々は細かくそれぞれの境地を分析し語っているが、いまはその煩

  • 因果の道理、歴然としてわたくしなし

    おほよそこの因縁に、頌古(ジュコ)拈古(ネンコ)のともがら三十余人あり。一人としても、不落因果これ撥無因果なりとうたがふものなし。あはれむべし、このともがら、因果をあきらめず、いたづらに紛紜(フンウン)のなかに一生をむなしくせり。  仏法参学には、第一因

  • 魚行けば水濁り、鳥飛べば毛落つ、

    夾山(カッサン)の圜悟(エンゴ)禅師克勤(コクゴン)和尚、頌古(ジュコ)に云く。 「魚行けば水濁り、鳥飛べば毛落つ、 至鑑逃れ難く、太虚寥廓(リョウカク)たり。 一たび往(ユキ)て迢迢(チョウチョウ)たり五百生、只因果の大修行に縁る。 疾雷山を破り

  • 宏智古仏、かみの因縁を頌古するに云く

    宏智(ワンシ)古仏、かみの因縁を頌古(ジュコ)するに云く、「一尺の水、一丈の波、五百生前を奈何(イカン)ともせず。 不落不昧を商量するや、依然として葛藤窠(カットウカ)に撞入(トウニュウ)す。 阿呵呵(アカカ)、会(エ)す也。 若し是れ儞(ナンジ)洒洒落

  • 豁達の空は因果を撥う

    永嘉真覚(ヨウカシンガク)大師玄覚和尚は、曹谿の上足なり。もとはこれ天台の法華宗を習学せり。左谿玄朗大師と同室なり。涅槃経を披閲(ヒエツ)せるところに、金光(コンコウ)その室にみつ。ふかく無生(ムショウ)のさとりをえたり。すすみて曹谿に詣し、証をもて六祖

  • 因果を破せば、則今世後世無けん

    龍樹祖師云く、「外道人(ゲドウニン)の如く世間の因果を破(ハ)せば、則(スナハチ)今世後世(コンセゴセ)無けん。出世の因果を破せば、則三宝四諦(シタイ)四沙門果無けん。」 あきらかにしるべし、世間出世の因果を破するは、外道なるべし。今世なしといふは、「

  • 鳩摩羅多尊者曰く~2

    あるいは人、あるいは狼(ロウ)、あるいは余趣のなかに、生得(ショウトク)にしばらく宿通をえたるともがらあり。しかあれども、明了(ミョウリョウ)の種子(シュウジ)にあらず、悪業の所感なり。 この道理、世尊ひろく人天(ニンデン)のために演説しまします、これを

  • 鳩摩羅多尊者曰く

    第十九祖鳩摩羅多(クモラタ)尊者曰く、「且(シバラ)く善悪の報に三時あり。凡そ人但(タダ)仁は夭(ヨウ)に、暴は寿に、逆は吉に、義は凶とのみ見て、便ち因果亡じ、罪福虚しと謂(オモ)へり。 殊に影響相随ひ、毫釐(ゴウリ)も忒(タガ)ふ靡(ナ)きことを知らず

  • 天聖広燈録~3

    この一段の因縁、天聖(テンショウ)広燈録にあり。しかあるに、参学のともがら、因果の道理をあきらめず、いたづらに撥無因果のあやまりあり。あはれむべし、澆風(ギョウフウ)一扇して、祖道陵替(リョウタイ)せり。 不落因果は、まさしくこれ撥無因果なり、これにより

  • 天聖広燈録~2

    師維那(イジョウ)をして白椎(ビャクツイ)して衆に告げしめて云く、「食後(ジキゴ)に亡僧を送らん」と。大衆(ダイシュ)言議(ゴンギ)す、「一衆皆安し、涅槃堂に又病人無し、何が故に是の如くなる」と。 食後に只師の衆を領し、山後の巌下に至って、杖を以て一つの

  • 天聖広燈録~大修行底の人、還た因果に落つるや無や 1

    この巻は、『全訳注』では第八巻にあります。「深信因果」とは、因果を深く信ずべき事」というような意味でしょうか。 百丈山大智禅師懐海(エカイ)和尚、凡(オヨ)そ参の次いで、一(ヒト)りの老人有って、常に衆に随って法を聴き、衆退けば老人も亦退く。忽ち一日退

  • 13

    これを天帝拝畜為師(テンタイハイチクイシ)の因縁と称す。あきらかにしりぬ、仏名(ブツミョウ)、法名(ホウミョウ)、僧名(ソウミョウ)のききがたきこと、天帝の野干を師とせし、その証なるべし。  いまわれら宿善のたすくるによりて、如来の遺法(ユイホウ)にあふ

  • 未曾有経~毗摩大国徙陀山の中に、一の野干あり

    未曾有経(ミゾウウキョウ)に云(イハ)く、 仏言(ノタマ)はく、過去無数劫(ムシュコウ)の時を憶念(オクネン)するに、毗摩大(ビマタイ)国徙陀山(シダセン)の中に、一の野干(ヤカン)あり。而も師子(シシ)の為に逐(オ)はれて、食(ク)はれなんとす。奔走し

  • 2 法句経~2

    おほよそ世間の苦厄をすくふこと、仏世尊にはしかず。このゆゑに、天帝いそぎ世尊のみもとに詣す。伏地のあひだに命終し、驢胎(ロタイ)に生ず。 帰仏の功徳により、驢母(ロモ)の鞚(クツワ)やぶれて、陶家の坏器を踏破す。器主これをうつ。驢母の身いたみて、託胎(

  • 1

    法句経(ホックキョウ)に云(イハ)く、 昔、天帝(テンタイ)有り、自ら命終(ミョウジュウ)して驢中(ロチュウ)に生ぜんことを知り、愁憂(シュウ)すること已(ヤ)まずして曰く、「苦厄を救はん者は、唯仏世尊のみなり。」 便ち仏の所に至り、稽首伏地して、仏に

  • 何をか名づけて優婆塞と為す也

    仏、迦毗羅衛尼拘陀林(カビラエニクダリン)に在りし時、釈摩男(シャクマナン)、仏の所に来至(ライシ)して、是の如くの言(ゴン)を作(ナ)して云(イハ)く、「何をか名づけて優婆塞(ウバソク)と為(ナ)す也(ヤ)。」 仏即ち為に説きたまふ、「若し善男子善女人

  • 2 龍女~3

    この龍女(リュウニョ)、むかしは毗婆尸仏(ビバシブツ)の法のなかに、比丘尼となれり。禁戒を破(ハ)すといふとも、仏法の通塞(ツウソク)を見聞(ケンモン)すべし。 いまはまのあたり釈迦牟尼仏にあひたてまつりて、三帰を乞受(コツジュ)す。ほとけより三帰をう

  • 1 龍女~2

    仏又問ふて言(ノタマ)はく、「若し是の如くならば、此の中の劫尽きんに、妹(イモ)何(イズ)れの処にか生ぜん。」 龍婦答へて言(イ)はく、「我過去の業力(ゴウリキ)の因縁を以て、余の世界に生ずべし。彼の劫尽くる時、悪業(アクゴウ)の風吹いて、還(マ)た来

  • 盲龍女~1

    「爾(ソ)の時に、衆中(シュチュウ)に盲龍女有り。口中膖爛(フラン)して、諸の雑蟲(ゾウチュウ)満てり。 状(カタチ)屎尿(シニョウ)の如く、乃至(ナイシ)穢悪(ワイアク)なること、猶婦人の根中(コンチュウ)の不浄の若し。臊臭(ソウシュウ)看難(ミガタ

  • 二十六億の餓龍

    世尊在世に、二十六億の餓龍(ガリュウ)、ともに仏所に詣し、みなことごとくあめのごとくなみだをふらして、まうしてまうさく、「唯願はくは哀愍(アイミン)して、我を救済(グサイ)したまへ。大悲世尊、我等過去世の時を憶念するに、仏法の中に於て、出家することを得

  • 2 増一阿含経

    増一阿含経に云く、「忉利天子(トウリテン)有り、五衰の相現じ、当に猪の中に生ぜんとす。愁憂(シュウウ)の声、天帝に聞こゆ。天帝之を聞きて、喚び来たりて告げて曰く、汝 三宝に帰依すべし。即時に教えの如くす。便ち猪に生ずることを免れたり。仏偈を説いて言(ノタ

  • 1 希有経に曰く、

    希有経(ケウキョウ)に曰く、「四天下(シテンゲ)及び六欲天を教化(キョウケ)して、皆四果を得せしむとも、一人の三帰を受くる功徳には如かず。」 四天下とは、東西南北洲なり。そのなかに、北洲は三乗の化(ケ)いたらざるところ、かしこの一切衆生を教化して、阿羅

  • 外道の邪教

    「おほよそ外道の邪教にしたがうて、牛戒(ゴカイ)、鹿戒(ロクカイ)、羅刹戒(ラセツカイ)、鬼戒、瘂戒(アカイ)、聾戒(ロウカイ)、狗戒、雞戒、雉戒(チカイ)、灰を以て身に塗り、長髪を相と為し、羊を以て時を祠(マツ)り、先に咒(ジュ)して後に殺し、四月(

  • 2 諸山園苑帰依

    世尊 言(ノタマ)はく、「衆人所逼(ショヒツ)を怖れて、多く諸山園苑(オンエン)及び叢林孤樹制多(セイタ)等に帰依す。此の帰依は勝(ショウ)に非ず、此の帰依は尊に非ず。此の帰依に因りては、能く衆苦を解脱せず。 諸の仏に帰依し、及び法僧に帰依すること有る

  • 1 法華経

    かくのごとくの三宝に帰依したてまつるなり。もし薄福少徳の衆生は、三宝の名字(ミョウジ)なほききたてまつらざるなり。いかにいはんや帰依したてまつることをえんや。 法華経に曰く、「是の諸の罪の衆生は、悪業(アクゴウ)の因縁を以て、阿僧祇劫(アソウギコウ)を

  • 2 三宝四種~2

    理体の三宝。五分法身(ゴブンホッシン)を名づけて仏の宝と為す。滅理無為を名づけて法の宝と為す。無学を学ぶ功徳を名づけて僧の宝と為す。【現代語訳】 理体の三宝(真如の法身を体とする三宝)。仏戒を保つ身、禅定を修する身、仏の智慧を証する身、煩悩を解脱した身

  • 1 三宝四種~1

    住持の三宝。形像(ギョウゾウ)塔廟(トウビョウ)は仏の宝。黄紙(オウシ)朱軸の所伝は法の宝。剃髪染衣(センネ)戒法の儀相は僧の宝。【現代語訳】住持の三宝(釈尊の教えを受けつぎ、後世に守り伝えている三宝)。仏像や仏塔は仏陀の宝であり、伝えられた黄紙 朱軸の経

  • 帰依と三宝

    いはゆる帰依とは、帰は帰投なり、依は依伏(エブク)なり。このゆゑに帰依といふ。帰投の相は、たとへば子の父に帰するがごとし、依伏は、たとへば民の王に依(エ)するがごとし。いはゆる救済(グサイ)の言(ゴン)なり。 仏はこれ大師なるがゆゑに帰依す、法は良薬な

  • 仏法僧を敬うや否や

    「帰依三宝」巻は、『全訳注』では第八巻に、前の「供養諸仏」に続いて載っています。同じように禅師の没後に書写されたものです。 禅苑清規(ゼンネンシンギ)に曰く、「仏法僧を敬うや否や」(一百二十問第一)。 あきらかにしりぬ、西天東土、仏祖正伝するところは

  • 2 執侍服労の日月

    かくのごとくの供養、かならず誠心(ジョウシン)に修設(シュセツ)すべし。諸仏かならず修しきたりましますところなり。その因縁、あまねく経律にあきらかなれども、なほ仏祖まのあたり正伝しきたりまします。 執侍(シツジ)服労の日月、すなはち供養の時節なり。形像

  • 1 供養心六種

    次に、供養の心に六種有り。一には福田無上心。生福田(ショウフクデン)の中の最勝なり。二には恩徳無上心。一切の善楽(ゼンギョウ)は、三宝に依って出生(シュッショウ)す。三には生一切衆生最勝心(ショウイッサイシュジョウサイショウシン)。四には如優曇鉢華難遇

  • 4 7財物供養~10至処道供養

    第七に、財物を仏及び支提(シダイ)塔廟舎利に供養す。謂(イハ)く、財に三種有り。一には資具供養。謂く、衣食(エジキ)等なり。二には敬具(キョウグ)供養。謂く、香華(コウゲ)等なり。三には厳具(ゴング)供養。謂く、余(ヨ)の一切の宝荘厳(ホウショウゴン)

  • 3 3現前供養~6他作供養

    第三に現前供養とは、面(マノアタ)り仏身及び支提(シダイ)とに対して、供養を設くるなり。 第四に不現前供養は、不現前の仏及び支提に於て、広く供養を設く。 謂(イハ)く、現前と不現前と共に、仏及び支提塔廟に供養し、并(ナラ)びに不現前の仏及び支提塔廟に供

  • 2 支提供養 ~6

    塔龕(トウガン)とは、 爾(ソ)の時に波斯匿(ハシノク)王、仏の所(ミモト)に往詣(オウケイ)して頭面(ズメン)に足(ミアシ)を礼(ライ)し、仏に白(マウ)して言(マウ)さく、「世尊、我等迦葉仏の為に塔を作れり。龕(ガン)を作ることを得んや不や。」 仏

  • 2 支提供養 ~5

    作塔の法は、下基(ゲキ)は四方にして欄楯(ランジュン)を周帀(シュウソウ)し、円に二重を起(タ)て、方牙四出し、上に旛蓋(バンガイ)を施し、長く輪相を表す。 若し、世尊は已に貪欲(トンヨク)瞋恚(シンイ)愚痴を除きたまふに、是の塔を用ふ、と言はば、為に

  • 2 支提供養 ~4

    塔成り已りて、世尊過去仏を敬いたてまつるが故に、便ち自ら礼を作したまふ。 諸の比丘仏に白(モウ)して言(モウ)さく。「世尊、我礼(ライ)を作(ナ)すことを得んや不(イナ)や。」 仏の言はく、「得ん。」 即ち偈を説いて言はく、「人等(ニントウ)百千の金(

  • 2 支提供養・4

    婆羅門見已りて、即便ち仏に白して言さく、「世尊、我が姓は迦葉なり、是れ我が迦葉の塔なり。」 爾の時に世尊、即ち彼の家に於て、迦葉仏の塔を作りたまふ。 諸の比丘仏に白して言さく、「世尊、我れ泥土を授くることを得んや不(イナ)や。」 仏の言(ノタマ)はく、

  • 2 支提供養~2

    僧祇律第三十三に云(イハ)く、塔法とは、仏拘薩羅国(コウサラコク)に住して遊行(ユギョウ)したまふ。時に婆羅門有りて地を耕す。世尊の行き過ぎたまふを見て、牛杖(ゴジョウ)を持し地に拄(ツ)きて仏を礼(ライ)す。世尊見已(ミオハ)りて、便ち微笑(ミショウ

  • 2 支提供養 ~1

    第二に、仏の霊廟に供(クウ)ずるを、支提供養と名づく。 僧祗律(ソウギリツ)に云く、舎利有るをば、名づけて塔婆(トウバ)と為す。舎利無きをば、説いて支提と為す。或は云く、通じて支提と名づく。 又梵に塔婆と云ひ、復た偸婆(チュウバ)と称す。此に方墳と翻(

  • 1 供養十種~ 1 身供養

    おほよそ供養に十種あり。いはゆる、一つには身(シン)供養。二つには支提(シダイ)供養。三つには現前供養。四つには不現前供養。五つには自作(ジサ)供養。六つには他作(タサ)供養。七つには財物(ザイモツ)供養。八つには勝(ショウ)供養。九つには無染(ムゼン

  • 4 龍樹~5

    しかあればすなはち、仏果菩提の功徳、諸法実相の道理、いまのよにある凡夫のおもふがごとくにはあらざるなり。 いまの凡夫のおもふところは、造悪の諸法実相ならんとおもふ、有所得(ウショトク)のみ仏果菩提ならんとおもふ。 かくのごとくの邪見は、たとひ八万劫(ハ

  • 3 龍樹~5

    この因縁、むかしは先師の室にして夜話をきく。のちには智度論の文(モン)にむかうてこれを撿校(ケンコウ)す。伝法祖師の示誨(ジケ)、あきらかにして遺落(イラク)せず。この文、智度論第十にあり。諸仏かならず諸法実相を大師としましますこと、あきらけし。釈尊ま

  • 2 龍樹~4

    仏在時の如き、一(ヒトリ)の盲比丘有りき。眼(マナコ)見る所無く、而も手を以て衣を縫ふ。時に針袵(シンジン)脱せり。 便ち言はく、誰か福徳を愛して、我が為に袵針(ジンシン)せん。 是の時に仏、其の所に到て、比丘に語(ツ)げたまはく、我は是れ福徳を愛する

  • 龍樹~2

    龍樹祖師の曰く、「復た次に、諸仏は法を恭敬(クギョウ)するが故に、法を供養し、法を以て師と為す。何を以ての故に、三世(サンゼ)の諸仏、皆諸法実相を以て師と為せばなり。 問ふて曰く、何を以てか自ら身中の法を供養せずして、而も他法を供養するや。 答へて曰く

  • 龍樹(大智度論)

    龍樹祖師の曰く、「仏果を求むるが如きは、一偈を讃歎し、一南謨(イチナモ)を称し、一捻香を焼き、一華(イッケ)を奉献(ブゴン)せん。是(カク)の如くの小行(ショウギョウ)も、必ず作仏(サブツ)することを得ん。」 これひとり龍樹祖師菩薩の所説といふとも、帰

  • 法華経

    法華経に云く、「若し人、塔廟(トウビョウ)宝像及び画像に於て、華香(ケコウ)幡蓋(バンガイ)を以て敬心(キョウシン)にして供養し、若しは人をして楽(ガク)を作(ナ)さしめて、鼓(ク)を撃ち、角貝(カクバイ)を吹き、簫笛(テキ)琴(キン)箜篌(クゴ)琵琶

  • 3 大般涅槃経 第二十二~3

    そのときの売身(マイシン)の菩薩は、今釈迦牟尼仏(コンシャカムニブツ)の往因なり。他経を会通(エヅウ)すれば、初阿僧祇劫(ショアソウギコウ)の最初、古釈迦牟尼仏を供養したてまつりましますときなり。 かのときは瓦師(ガシ)なり、その名を大光明と称す。古釈

  • 2 大般涅槃経 第二十二~2

    善男子、我爾(ソ)の時に於て、即ち其の銭を取りて、還た仏の所(ミモト)に至り、頭面(ズメン)に礼足(ライソク)し、其の所有を尽して、而以(モッ)て奉献(ブコン)しき。 然る後に、誠心(ジョウシン)に是の経を聴受せり。我時に闇鈍(アンドン)にして、経を聞

  • 1 大般涅槃経第二十二~1

    大般(ダイハツ)涅槃経第二十二に云く、「仏の言(ノタマ)はく、善男子、我過去無量無辺那由他劫(ナユタゴウ)を念ふに、爾の時に世界を名づけて娑婆と曰ふ。 仏世尊有り、釈迦牟尼如来、応供(オウグ)、正遍知(ショウヘンチ)、明行足(ミョウギョウソク)、善逝(

  • 2 「俱舎論」巻十八~2

    おほよそ三大阿僧祇劫の供養諸仏、はじめ身命(シンミョウ)より、国城妻子、七宝男女(ナンニョ)等、さらにをしむところなし。凡慮のおよぶところにあらず。 あるいは黄金の粟(ゾク)を白金(ハクゴン)の埦(ワン)にもりみて、あるいは七宝の粟を金銀(コンゴン)の埦

  • 1 「俱舎論」巻十八~1

    「釈迦菩薩、初阿僧企耶(ショアソウギヤ)に、七万五千の仏に逢事供養したてまつる。最初を釈迦牟尼と名づけ、最後を宝髻(ホウケイ)と名づく。 第二阿僧企耶に、七万六千の仏に逢事供養したてまつる。最初は即ち宝髻、最後を燃燈と名づく。 第三阿僧企耶に、七万七千

  • 6 仏蔵経浄見品~6

    はじめ三十億の釈迦牟尼仏にあひたてまつりて、尽形寿供養(ジンギョウジュクヨウ)よりこのかた、定光(ジョウコウ)如来にあふたてまつらせたまふまで、みなつねに転輪聖王の身として、尽形寿供養したてまつりまします。 転輪聖王、おほくは八万歳已上(イジョウ)なる

  • 5 仏蔵経浄見品~5

    舎利弗、是の劫中に於て、百仏有りて出世したまふ。名号(ミョウゴウ)各(オノオノ)異なれり。 我時に皆転輪聖王と作りて、形を尽して仏及び諸の弟子を供養せり。阿耨多羅三藐三菩提を求めんが為なり。 而るに是の諸仏も、亦我に「汝来世に於て当に作仏を得べし。」と記

  • 4 仏蔵経浄見品~4

    舎利弗、是の万劫過ぎ已りて、仏有りて出世したまふ。号して普守如来、応供(オウグ)、正遍知(ショウヘンチ)、明行足(ミョウギョウソク)、善逝(ゼンゼイ)、世間解(セケンゲ)、無上士、調御丈夫(チョウゴジョウブ)、天人師、仏世尊と曰ふ。 我爾(ソ)の時に、

  • 3 仏蔵経浄見品~3

    舎利弗、我過去を念ふに、万劫(マンゴウ)の中に於て、仏の出でたまふこと有ること無し。 爾(ソ)の時、初めの五百劫に九万の辟支仏(ビャクシブツ)有りき。我形寿(ギョウジュ)を尽して、悉く皆衣服飲食臥具医薬を供養して、尊重(ソンジュウ)し讃歎しき。 次の五

  • 2 仏蔵経 浄見品~2

    舎利弗、我過世を念ふに、三億の仏に値(ア)たてまつれり。皆 弗沙(フシャ)と号す。 我時に皆転輪聖王と作(ナ)りて、四事供養せしに、皆我を記せず、有所得(ウショトク)なるを以ての故なり。 舎利弗、我過世を念ふに、万八千の仏に値ひたてまつることを得たり。皆

  • 1 仏蔵経浄見品~1

    仏蔵経浄見品(ジョウケンボン)第八に云く、「仏舎利弗に告げたまはく、我過世(カセ)を念(オモ)ふに、阿耨多羅三藐三菩提を求めて、三十億の仏に値(ア)ひたてまつれり。皆釈迦牟尼と号す。 我時に皆転輪聖王と作(ナ)りて、形を尽すまで仏及び諸の弟子に、衣服(

  • 2 仏本行集経~2

    このほか、そこばくの諸仏を供養しまします。転輪聖王身としては、かならず四天下(シテンゲ)を統領すべし。供養諸仏の具、まことに豊饒なるべし。  もし大転輪王ならば、三千界に王なるべし。そのときの供仏(クブツ)、いまの凡慮はかるべからず。ほとけときまします

  • 1 仏本行集経~我に記を与へず~1

    仏本行集経(ブツホンギョウジッキョウ)に云く、「仏、目犍連(モッケンレン)に告げたまはく、『我れ往昔(オウジャク)を念(オモ)ふに、無量無辺なる諸(モロモロ)の世尊の所(ミモト)に於て、諸の善根を植え、乃至(ナイシ)阿耨多羅三藐三菩提を求む。 目犍連、

  • 若し過去世無くんば~大毘婆沙論

    この巻は、『全訳注』第8巻の最初に載っています。 構成は、まず経典からの引用があって、禅師がそれに解説を加える、ということが、繰り返されていて、あたかも説法のための準備メモの観があります。 そこでこの巻については、勝手ながらS『試み』の章分けを変更して

  • 出家成道の正伝

    禅苑清規(ゼンエンシンギ) 第一に云く、「三世諸仏、皆出家成道と曰(イ)ふ。西天二十八祖、唐土六祖、仏心印を伝ふる、尽く是 沙門なり。蓋(ケダ)し以て毘尼(ビク)を厳浄(ゴンジョウ)し、方(マサ)に能く三界に洪範たり。然れば則参禅問道は、戒律を先と為す。既

  • 出息入息をまたず、いそぎ出家せん

    羅睺羅(ラゴラ)尊者は、菩薩の子なり、浄飯王(ジョウボンオウ)のむまごなり。帝位をゆづらんとす。しかあれども、世尊あながちに出家せしめまします。  しるべし、出家の法最尊なりと。密行(ミツギョウ)第一の弟子として、いまにいたりていまだ涅槃にいりましまさず。

  • 2

    このゆゑに、西天竺国にはすなはち難陀、阿難、調達(チョウダツ)、阿那律(アナリツ)、摩訶男(マカナン)、抜提(バダイ)、ともにこれ師子頬王(シシキョウオウ)のむまご、刹利種姓(セツリシュショウ)のもとも尊貴なるなり、はやく出家せり。後代の勝躅(ショウチ

  • 1 出家行法~1

    その出家行法に四種あり、いはゆる四依(シエ)なり。一、形寿(ギョウジュ)を尽くして樹下(ジュゲ)に坐す。二、形寿を尽くして糞掃衣(フンゾウエ)を著(ツ)く。三、形寿を尽くして乞食(コツジキ)す。四、形寿を尽くして病有れば陳棄薬(チンキヤク)を服す。 共

  • 閻魔の出家~2

    あきらかにしりぬ、たとひ閻羅王なりといへども、人中の生をこひねがふことかくのごとし。すでにうまれたる人、いそぎ剃除鬚髪(シュホツ)し、著三法衣して、学仏道すべし。これ余趣にすぐれたる人中の功徳なり。 しかあるを、人間にうまれながら、いたづらに官途世路(セ

  • 閻魔の出家

    仏、比丘に告げたまはく、「当に知るべし、閻羅王(エンラオウ)、便ち是の説を作さく、『我れ当に何れの日にか此の苦難を脱し、人中に生じて、以て人身を得、便ち出家することを得て、鬚髪(シュホツ)を剃除し、三法衣を著して、出家学道すべし。』 閻羅王すら尚ほ是の念

  • 善星~3

    しるべし、如来世尊、あきらかに衆生の断善根となるべきをしらせたまふといへども、善因をさずくるとして、出家をゆるせたまふ。大慈(ダイズ)大悲なり。 断善根となること、善友にちかづかず、正法をきかず、善思惟せず、如法に行ぜざるによれり。いま学者、かならず善友

  • 2 善星~2

    善男子、善星比丘若し出家せずんば、亦善根を断じ、無量世に於いて、都(スベ)て利益(リヤク)無からん。今出家し已りなば、善根を断ずと雖も、能く戒を受持し、耆旧(ギキュウ)長宿有徳(ウトク)の人を供養し恭敬(クギョウ)し、初禅乃至四禅を修習せん。是を善因と

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