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いかるのうたさんのプロフィール

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『徒然草~人間喜劇つれづれ』http://ikaru811.blog.fc2.com 『源氏物語・おもしろ読み』http://ikaru-uta.blog.jp に続き、『正法眼蔵』に取り組んでいます。 どうぞよろしくお願い致します。

ブログタイトル
『正法眼蔵』を読んでみます ~『現代語訳の試み』と読書ノート
ブログURL
http://syoubougenzou.blog.jp/
ブログ紹介文
超難解との誉れ(?)高い書『正法眼蔵』を読んでみます。 説いて聞かせようとして書かれたものである、  という一点を信じて、…。
更新頻度(1年)

324回 / 341日(平均6.7回/週)

ブログ村参加:2019/10/23

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ブログタイトル
『正法眼蔵』を読んでみます ~『現代語訳の試み』と読書ノート
更新頻度
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『正法眼蔵』を読んでみます ~『現代語訳の試み』と読書ノート

いかるのうたさんの新着記事

1件〜30件

  • 一百八法明門

    いよいよこのブログで読む最後の巻です。 ただ、この巻は、サイト「つらつら日暮らしwiki」によれば、「『正法眼蔵』の巻名の一。12巻本では11巻、他の編集形式には見えない。説示場所や時期は不明。なお、12巻本にしか収録されなかった巻であるため、12巻本が発見され

  • 作法 3 十戒

    善男子、汝 既に三聚清浄戒(サンジュショウジョウカイ)を受けたり。応に十戒を受くべし。是れ乃ち諸仏菩薩清浄の大戒なり。第一、不殺生。 汝今身(コンジン)従(ヨ)り仏身に至るまで、此の戒能く持(タモ)つや否や。 答て云く、能く持つ。(三問三答)第二、不偸盗(

  • 三聚清浄戒

    善男子(ゼンナンシ)、既に邪を捨て正(ショウ)に帰す、戒已に周円せり。応に三聚清浄戒(サンジュショウジョウカイ)を受くべし。 第一 摂律儀戒(ショウリツギカイ)。汝今身(コンジン)より仏身に至るまで、此の戒能く持(タモ)つや否や。 答て云く、能く持(たも

  • 作法 1

    その儀は、かならず祖師を焼香礼拝し、応受菩薩戒を求請(グショウ)するなり。  すでに聴許せられて、沐浴清浄(ショウジョウ)にして、新浄の衣服(エブク)を著し、あるいは衣服を浣洗して、華を散じ、香をたき、礼拝恭敬(クギョウ)して、その身に著す。  あまねく形

  • 入法の最初に受戒あり

    西天東地(サイテントウチ)、仏祖正伝しきたれるところ、かならず入法の最初に受戒あり。戒をうけざれば、いまだ諸仏の弟子にあらず、祖師の児孫にあらざるなり。離過防非(リカボウヒ)を参禅問道とせるがゆゑなり。 戒律爲先(イセン)の言、すでにまさしく正法眼蔵なり

  • 参禅問道は、戒律を先と為す

    「受戒」巻は『全訳注』本の最後の巻です(後に「辨道話」が載っていますが、これは普通、『正法眼蔵』とは別の本とされています)。 前の数巻と同様に制作年代未詳の巻のようで、同書は「開題」においてさまざまに検討して、建長五年(一二五三年)(八月に禅師遷化の年で

  • 如来世尊、はるかに一切を超越しまします

    いま世尊の金言(キンゴン)、それかくのごとし。東土愚闇の衆生、みだりに仏教に違背(イハイ)して、仏道とひとしきみちありといふことなかれ。すなはち謗仏(ボウブツ)謗法となるべきなり。  西天の鹿頭(ロクトウ)、ならびに論力(ロンリキ)、乃至(ナイシ)長爪(チ

  • 2 虚も無く亦実も無し

     是の時、仏義品(ギボン)の偈を説いて言(ノタマ)はく、「各各(オノオノ)究竟と謂ひて、而(シカ)も各(オノオノ)自ら愛著(アイジャク)し、各自らを是(ゼ)として他を非とす、是れ皆究竟に非ず。 是の人論衆(ロンジュ)に入りて、義理を辨明する時、各各相ひ是

  • 1 如来在世に外道あり、論力と名づく

     如来在世に外道あり、論力(ロンリキ)と名づく。自ら謂(オモ)へり、論議与(トモ)に等しき者無く、其の力最大なりと。故に論力と云ふ。 五百梨昌(リショウ)の募(ボ)を受けて、五百の明難を撰し、来って世尊を難ぜんとして、仏所に来至(ライシ)し、仏に問いたて

  • 二祖毎に歎いて曰く

     伝燈録に云はく、 二祖毎(ツネ)に歎いて曰く、「孔老の教は、礼術風規なり、荘易(ソウエキ)の書は、未だ妙理を尽くさず。近く聞く、達磨大士、少林に住止(ジュウシ)せりと。至人(シジン)遠からず、当に玄境に造(イタ)るべし。」 いまのともがら、あきらかに信

  • 2 順次生業

     むかしは老耼をもて世尊にひとしむる邪党あり、いまは孔老ともに世尊にひとしといふ愚侶(グリョ)あり、あはれまざらめやは。孔老なほ転輪聖王の十善をもて世間を化するにおよぶべからず。 三皇五帝、いかでか金銀(コンゴン)銅鉄諸輪王の七宝千子具足して、あるいは四

  • 1 父母等の七人の頭を

     列伝に云はく、 喜、周の大夫と為り星象(セイショウ)を善くす。因みに異気を見て、東にして之を迎ふ。果たして老子を得たり。請うて書五千有言を著さしむ。喜、亦自ら書九篇を著し、関令子と名づく。化胡経(ケコキョウ)に準ず。 老、関西(カンセイ)に過(ユ)かん

  • 2 小臣にして帝位にのぼらず

      振旦一国に、なほ小臣(ショウジン)にして帝位にのぼらず、三千大千世界に王たる如来に比すべからず。如来は梵天、帝釈、転輪聖王等、昼夜に恭敬侍衛(クギョウジエ)し、恆時(コウジ)に説法を請(ショウ)したてまつる。 孔老かくのごとくの徳なし、ただこれ流転の

  • 1 生知者

     孔子の書に生知者(ショウチシャ)あり、仏教には生知者なし。仏法には舎利の説あり、孔老、舎利の有無をしらず。ひとつにして混雑せんとおもふとも、広説の通塞つひに不得ならん。 論語に云はく、「生まれながらにして之を知るは上(ジョウ)なり、学んで之を知るは次な

  • ひとり先師天童古仏のみ

     古徳云はく、「今時(コンジ)多く還俗の者有り、王役(オウヤク)を畏憚(イタン)して、外道の中に入る。仏法の義を偸(ヌス)み、竊(ヒソ)かに荘老を解(ゲ)して、遂に混雑を成し、初心の孰(イヅ)れか正、孰れか邪なるを迷惑す。是を韋陀法(イダホウ)を発得する

  • 3 振旦に二福有り

     真諦(シンタイ)三蔵云はく、「振旦に二福有り、一には羅刹(ラセツ)無く、二には外道無し。」 このことば、まことに西国の外道婆羅門の伝来せるなり。 得道の外道なしといふとも、外道の見(ケン)をおこすともがらなかるべきにあらず。 羅刹はいまだみえず、外道の

  • 2 「造次顛沛、みな三菩提なり」

     あるがいはく、「諸仏如来ひろく法界(ホッカイ)を証するゆゑに、微塵法界、みな諸仏の所証なり。しかあれば、依正(エショウ)二報ともに如来の所証となりぬるがゆゑに、山河(センガ)大地、日月星辰(ニチガツショウシン)、四倒三毒、みな如来の所証なり。山河をみる

  • 1 荘子云はく

     荘子云はく、「貴賤苦楽、是非得失、皆是自然(ジネン)なり。」 この見(ケン)、すでに西国の自然見(ジネンケン)の外道の流類(ルルイ)なり。 貴賤苦楽、是非得失、みなこれ善悪業(ゼンアクゴウ)の感ずるところなり。 満業(マンゴウ)、引業(インゴウ)をしら

  • 三皇五帝の語、いまだ転輪聖王のをしへにおよぶべからず

     古徳 云はく、「孔丘、姫旦(キタン)の語、三皇五帝の書の如き、孝以て家を治め、忠以て国を治め、国を輔(タス)け民を利する、只是一世の内のみにして、過未(カミ)に済(ワタ)らず。未だ仏法の三世を益するに斉(ヒト)しからず。豈謬(アヤマ)らざらんや。」 まこ

  • 月光菩薩、顔回と称し、…。

     清浄法行経(ショウジョウホウギョウキョウ)に云はく、「月光菩薩、彼(カシコ)に顔回と称し、光浄菩薩、彼に仲尼と称し、迦葉菩薩、彼に老子と称す。云々。」 むかしより、この経の説を挙(コ)して、孔子老子等も菩薩なれば、その説ひそかに仏説におなじかるべしとい

  • 2 能著所著

     古徳 云はく、「老子荘子(ソウジ)は、尚自ら未だ小乗の能著所著(ノウジャクショジャク)、能破所破を識(シ)らず。 況んや大乗中の若著若破(ニャクジャクニャクハ)をや。是の故に仏法と少しも同じからず。 然れば世の愚者は名相(ミョウソウ)に迷ひ、濫禅の者は正

  • 1 誠意と虚心と見性

     大宋嘉泰(カタイ)中に、僧正受(ショウジュ)といふもの有り、普燈録三十巻を撰進するに云はく、「臣、孤山智円の言(ゴン)を聞くに曰く、『吾が道は鼎の如し。三教は足の如し。足一つも虧(カ)くれば鼎覆(クツガエ)る。』 臣、嘗て其の人を慕い、其の説を稽(カン

  • いま大宋国に寡聞愚鈍のともがらおほし

     古徳云はく、「大師の在世、尚僻計生見(ショウケン)の人有り。況や滅度の後、師無く禅を得せざる者をや。」  いま大師とは、仏世尊なり。まことに世尊在世、出家受具せる、なほ無聞(ムモン)によりては僻計生見のあやまりのがれがたし。いはんや如来滅後、後五百歳、辺

  • 2 第三の誤り ~2

     たとひ四果の聖者(ショウジャ)なりとも、いかでか如来におよばん。舎利弗はひさしくこれ四果の聖者なり。三千大千世界所有の智慧をあつめて、如来をのぞきたてまつりて、ほかを一分とし、舎利弗の智慧を十六分にせる一分と、三千大千世界所有の智慧とを格量するに、舎利

  • 1 第三の誤り ~1

     第三には、命終の時、おほきなるあやまりあり。そのとがふかくして、つひに阿鼻地獄におちぬるなり。たとひなんぢ一生のあひだ、四禅を四果とおもひきたれりとも、臨命終のとき、四禅の中陰みゆることあらば、一生のあやまりを懺悔して、四果にはあらざりきとおもふべし。

  • 第二の誤り ~4

     曽(カツ)て聞く、人有りて自ら成仏すと謂(オモ)へり。待てども天暁(ア)けず、為に魔障(マショウ)ならんと謂へり。 暁(ア)け已(オハ)るに、梵王の説法を請(ショウ)するを見ず。自ら仏に非ずと知り、自ら是れ阿羅漢ならんと謂へり。 又 他人に之を罵られて、

  • 第二の誤り ~4

    この比丘、はじめ生見(ショウケン)のあやまりあれど、殺害(セツガイ)の狼藉をみるにおそりを生ず。ときにわれ羅漢にあらずとおもふ。なほ第三果なるべしとおもふあやまりあり。のちに細滑(サイカツ)の想によりて、愛欲心を生ずるに、阿那含(アナゴン)にあらずとしる

  • 2 第二の誤り~2

     優婆毱多(ウバキクタ)の弟子の中に、一比丘有り。信心もて出家し、四禅を獲得して、四果と謂(オモ)へり。 毱多方便して他処に往(ユ)かしむ。路(ミチ)に於て群賊を化作(ケサ)し、復五百の賈客(コカク)を化作す。賊、賈客を劫(オビヤ)かし、殺害狼藉せり。 

  • 1 第二の誤り~1

     第二には、初禅をえて初果とおもひ、二禅をえて第二果とおもひ、三禅をえて第三果とおもひ、四禅をえて第四果とおもふ、第二のあやまりなり。 初二三四禅の相と、初二三四果の相と、比類におよばず、たとふることあらんや。これ無聞(ムモン)のとがによれり。師につかへ

  • 比丘の不是、三種 ~1

     この比丘を称して四禅比丘といふ、または無聞(ムモン)比丘と称す。四禅をえたるを四果と僻計(ヘキケイ)せることをいましめ、また謗仏(ボウブツ)の邪見をいましむ。人天大会(ニンデンダイエ)みなしれり。 如来在世より今日にいたるまで、西天(サイテン)東地、と

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