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石神・磐座・磐境・奇岩・巨石と呼ばれるものの研究 https://www.megalithmury.com/

『岩石を信仰していた日本人』著者・吉川宗明運営のホームページ。日本宗教民俗学会会員。神道・仏教・民間信仰でまつられた聖なる石。民俗学・考古学・文献史の狭間で忘れられた岩石信仰を歴史学的に研究。

日本岩石祭祀学会ブログ支部
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2019/10/14

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  • 狂人石(岐阜県高山市)

    相当腕白であった私さへ、何となく薄気味悪くてこの石に敢て触れることを憚ったものである。勿論、誰れが言ひ出したのか知らないが、この石に触れると気狂ひになったり、瘧をふるったりするといふのである。別に神秘的伝説といふやうなものもない。ただそれだけの言ひ伝へなのである。

  • いぼ石/いぼ神様(岐阜県恵那市)

    中野方の福地境と、大峰に天然水のたまったくぼんだ石がある。その水をつけるとイボがとれるといういい伝えがある。

  • 「情報募集中」の場所を最新の内容に更新しました

    この数年間に生まれた各種の謎についても追記しております。私は、インターネットで多くの方々から得難き情報をいただき続けてきました。そのうえでさらなる情報を求めるのは欲張りですが、まだまだインターネット上でお会いできていない先達の方、地元の方がいらっしゃると信じて

  • 小六石(長野県諏訪郡富士見町)

    名僧が、旅より旅へ托鉢してこの地に足をとどめた。ちょうどこの地方に悪質の病がはやり、僧はこの石の上に三七、ニ十一日の間座ってその病気の祈祷をした。石の部分の穴は、僧の精神の集中力が汗と化し、その汗のひとつひとつが固い石をうがったといわれている。

  • 「石を持ってみた」掲載(『パッション』第76号)

    四日市市文化協会発行の『パッション』第76号に、「路傍の自然石考⑯ 石を持ってみた」が掲載されています。冊子体は四日市市文化会館などで頒布しています。

  • 日本地球惑星科学連合(JpGU)2025年大会でポスター発表を行います

    2025年5月25日~30日に開催される、日本地球惑星科学連合2025年大会で、「日本列島の自然石文化と岩石の信仰」と題したポスター発表を行います。私が所属する文化地質研究会のセッション「変動帯の地質と文化」の中で参加します。

  • 自然石文化における岩石文学作品集『書物の王国⑥ 鉱物』メモ

    鉱物に惹かれるものの共通項。自己に囚われたくないとする客観志向、静謐なものへの憧れ、人間を離れたがる傾向、永遠志向、生き物である人間が無機物を前にして、到底かないそうにないと無視できなくなったときの慌てぶり。

  • 木村重信「石と日本人についての芸術的考察」(『日本人と石』より)

    日本の芸術家は、石に対して付加する述語ではなく、主語である石そのものの実存を問題にする。したがって欧米の彫刻がひとつのコンストラクションであるとするならば、日本の石庭はかかるコンストラクションを否定し、いわばアレンジするだけである。欧米的芸術観ではアレンジしただけでは芸術にならず、コンストラクトして

  • 「変身する空間――石」(岩田慶治『草木虫魚の人類学』より)

    岩田慶治『草木虫魚の人類学』(講談社 1991年)の第2章第2節が「石」であり、海外の石に関するアニミズム(草木虫魚教)の事例を取り上げている。

  • 霊巌寺の巌廉(京都府京都市)

    今は昔、北山に霊巌寺という寺があった。この寺は妙見が現れた所である。寺の前から三町(約330m)ばかりの所に巌廉があった。人が屈んで通れるくらいの穴があった。たくさんの人が詣でて験あらたかなので、僧坊が数多造られて大いに賑わった。 ある時、三条天皇が目を病んだので霊巌寺に行幸するという話が出たが、

  • 佐藤宗太郎『石仏の解体』(1974年)メモ

    石仏を自分の心の慰みものとして叙情的に語らず、あるいは仏教的・美術的など一角に寄らず、石の「造形(かたち)」を細かく分解・分析して、石と石仏の精神的関係を追い求めようとした思索。

  • 高木寛治『石に救われる―石の書―』(2024年)書評

    石のなかの原子力までもとりだしてしまった人類は、今、すこし立ち止まって、見えない石(宇宙)の大きなたくらみがひそむ『石の夢』の分析を行ってみる必要があるのではないだろうか。そのためには、石との対話を深めていくことが避けられない

  • イワクラ(磐座)学会の閉会に寄せて

    イワクラ(磐座)学会が2025年4月末に閉会することを知りました。私は長らく、イワクラ学会にイワクラの保存活動(物理的保存・記録的保存)を期待していました。イワクラの文化財上の立ち位置の脆弱さ(=自然石として消滅しやすい性質)を考えれば、会員各個人の関心を差し置いても、さらに優先的に取り組まれればと

  • 鳴石/膳貸し石(山梨県北杜市)

    変事があると石が鳴ったことから鳴石の名がある。 この石に「~を貸してほしい」と頼むと必ず貸してくれた。 特に冠婚葬祭の折、膳椀を何人前分か貸してほしいと頼んでおくと、翌日に頼んだ分だけの品物が石の上に置かれていた。 使用後は、借りたものを石の上に置いておけば、やがて石の上から消えたという。

  • 橋杭岩(和歌山県東牟婁郡串本町)

    紀伊大島の輿兵衛という漁夫が大島に橋を架けたいと祈願したところ、一夜で杭を建てれば上に橋を架けてやろうとお告げがあったので急いで作ったが、海の神が橋を作られると困るというので鶏の鳴き声を真似して輿兵衛はあきらめた。その後、輿兵衛は海に身を投げたためこれを哀れんだ神が橋杭岩の上に時折虹の橋を架けるとい

  • 立石/立石様/活蘇石(東京都葛飾区)

    立石を祀る社で、地元では立石様とも呼ばれる。今は石の露頭が僅かに見えるだけだが、昔はもっと巨大だったという。

  • 大場磐雄博士写真資料を追加

    クリエイティブ・コモンズ・ライセンスは、転載などの二次利用を著作権者が許諾した資料であり、大場磐雄博士写真資料もクレジット表記と非営利使用であることを条件に二次利用が許可されています。今回、埋もれていた写真資料を再活用して、岩石信仰の記録としての資料価値を高められたことをありがたく思います。

  • ドルメン類似遺跡/坪平遺跡(長野県諏訪郡富士見町)

    縄文後期の配石墓2基出土の遺跡。鳥居龍蔵がドルメン類似遺跡とみなした。

  • 熊野権現の神石/桃太郎爺婆犬猿雉之墓(香川県高松市)

    桃太郎発祥の地とされている鬼無町では、熊野権現を「桃太郎神社」として登記し、境内の神石は桃太郎たちの墓として生れかわった。(読売新聞社社会部編『わたくしたちの伝説』1959年)。熊野権現桃太郎神社の境内には、「桃太郎の遺跡」として「桃太郎爺婆犬猿雉之墓」がある。

  • 桃太郎神社の「洗濯岩」「桃くぐり」「鬼のぞき」(愛知県犬山市)

    洗濯岩。「昔々この岩の上で毎日洗濯をしたお婆さんの足跡が遺っているので前方の木曽川岸からここに移動させたものであります」

  • 桃山の「メンヒル/ストーンサークル」(愛知県犬山市)

    鳥居龍蔵が愛知県犬山市の栗栖村を訪れてストーンサークルを調査した。いわゆる「鳥居さんのドルメン」(鳥居さんは巨石を見れば何でも巨石文化のドルメン・メンヒル・ストーンサークルと呼ぶ)と揶揄された案件の一例であり、桃太郎神社の地ということもあいまってキワモノのような扱いを受けそうだが、桃太郎神社のスター

  • 尾張富士の岩石信仰(愛知県犬山市)

    尾張富士の山頂近くに、カマ岩(鎌岩)なるものがあるという。俗には、木花開耶姫命が木賊(とくさ)を刈る時に使っていた左鎌が発見された場所と信じられ、一種の信仰を集めているとのことである。しかしながら、今では尾張富士を取り上げる時にカマ岩に触れる人や話に出会うことはまったくない。岩石信仰の消失した情報

  • 金井神社の蛇石(三重県いなべ市)

    由来不明ながら、かつては本殿と拝殿の間の斎庭にあった石で、その後、本殿内に移された。蛇年に公開するようになり、撫でてご利益を授かる信仰となっている。

  • 七夕岩(岐阜県高山市)

    大八賀川を挟み、東西の山腰に、相對て峙起たる丈餘の大巖あり。村民家ごとに綯おきたる縄を集め、毎年七月の六日の宵、東西の大岩に張亘し、挑燈に火を點し、藁にて馬牛其餘種々の形したる作物等、あまた取懸ならべて、牽牛・織女を祭り、年の豊凶を占ふ。翌年の七夕まで、其縄の保ちたるは豊年の兆なりとぞ。其来由詳なら

  • 針綱神社の依代と三光稲荷神社の女陰石(愛知県犬山市)

    犬山城の一画、針綱神社境内に1個の岩石が安置されている。現地看板には「依代 御祭礼にあたり御神霊がお降りになるところ」と記されている。

  • 大御食神社の御手掛石/比良加石(長野県駒ケ根市)

    社頭に蟲々して天に沖するがやうな老杉を、日の御蔭杉、月の御蔭杉と呼び、その折、日本武尊が、御食をとられた樹下の一小石は、尊が『小かなる石よ。』と愛でられたものださうで、御手掛石または比良加石と稱へられてゐる。

  • 雨晴岩/義経岩/義経雨晴岩(富山県高岡市)

    『義経記』による道順からははずれているが古くから義経の奥州下りの途中に雨宿りしたという雨晴岩の伝説が語りつがれている。

  • 気多大社の「磐境」(石川県羽咋市)

    問題の磐境は本殿の北方森林中にあって、今奥宮鎮座す。石垣は長方形にして南北短く東西長く、長軸は正しく東西を指し、東西四〇尺、南北三三尺なり、入口には門の如く中央に巨石を立てゝ並べ、その左右より石垣をつくる

  • 玉の石と鷺石( 愛媛県松山市)

    踐み健びましし跡處、今も湯の中の石の上にあり。大穴持命が、重症の宿奈毗古那命を蘇らせるため、別府から伊予へ引いた湯に浸したところ快癒し、そのとき勢いづいて踏みしめた跡が石上に残るという。今の道後温泉に存する「玉の石」がこの伝説の岩石とされている。

  • 鹿島神宮の要石と鏡石(茨城県鹿嶋市)

    奥の院奥ノ石御座有。是俗カナメ石ト云。號山宮。大明神降給シ時、此石ニ御座侍

  • 権現様(愛知県北設楽郡設楽町)

    『岩石を信仰していた日本人』著者の吉川宗明ホームページ。磐座・磐境・石神・奇岩・巨石の歴史学的研究。

  • 弘法大師の休み石(愛知県北設楽郡設楽町)

    『岩石を信仰していた日本人』著者の吉川宗明ホームページ。磐座・磐境・石神・奇岩・巨石の歴史学的研究。

  • 桑名愛石会展(2024年10月20日)

    根尾谷菊花石と土岐石の特集で、すべて台座石でした。 例年は水盤飾りもあるそうで、また来年は水盤の設えも拝見したいところです。 三重県内および近県の水石文化の現状も色々と教えていただきました。 私の地元四日市にも数年前までは愛石の会があったが、中心の方がなくなられて継ぐ者がおらず今はないなど。私

  • 座頭岩(愛知県北設楽郡設楽町)

    『岩石を信仰していた日本人』著者の吉川宗明ホームページ。磐座・磐境・石神・奇岩・巨石の歴史学的研究。

  • 岩石の終了② 「なぞの石神」の終了記録

    四日市文化協会誌『パッション』75号に書きました。冊子体は四日市文化会館などで頒布中で、後日、pdfが協会HP(http://www.yokkaichishibunkakyoukai.com/passion.html)に公開されるでしょう。

  • 碁盤石山の岩石信仰(愛知県北設楽郡設楽町)

    『岩石を信仰していた日本人』著者の吉川宗明ホームページ。磐座・磐境・石神・奇岩・巨石の歴史学的研究。

  • 津具道の蛇岩/蛇石(愛知県北設楽郡設楽町)

    『岩石を信仰していた日本人』著者の吉川宗明ホームページ。磐座・磐境・石神・奇岩・巨石の歴史学的研究。

  • 津具道の立石(愛知県北設楽郡設楽町)

    『岩石を信仰していた日本人』著者の吉川宗明ホームページ。磐座・磐境・石神・奇岩・巨石の歴史学的研究。

  • 津具道の不動滝/夫婦滝(愛知県北設楽郡設楽町)

    『岩石を信仰していた日本人』著者の吉川宗明ホームページ。磐座・磐境・石神・奇岩・巨石の歴史学的研究。

  • 津具道の行者岩(愛知県北設楽郡設楽町)

    『岩石を信仰していた日本人』著者の吉川宗明ホームページ。磐座・磐境・石神・奇岩・巨石の歴史学的研究。

  • 津具道の花立 ※候補地(愛知県北設楽郡設楽町)

    『岩石を信仰していた日本人』著者の吉川宗明ホームページ。磐座・磐境・石神・奇岩・巨石の歴史学的研究。

  • 神子谷下の赤子石 ※候補地(愛知県北設楽郡設楽町)

    『岩石を信仰していた日本人』著者の吉川宗明ホームページ。磐座・磐境・石神・奇岩・巨石の歴史学的研究。

  • 大蔵寺と石神(愛知県北設楽郡設楽町)

    『岩石を信仰していた日本人』著者の吉川宗明ホームページ。磐座・磐境・石神・奇岩・巨石の歴史学的研究。

  • 久原の蛇石(愛知県北設楽郡設楽町)

    『岩石を信仰していた日本人』著者の吉川宗明ホームページ。磐座・磐境・石神・奇岩・巨石の歴史学的研究。

  • 菜畑峠・仏庫裡・小鷹山の岩石信仰(愛知県北設楽郡設楽町)

    『岩石を信仰していた日本人』著者の吉川宗明ホームページ。磐座・磐境・石神・奇岩・巨石の歴史学的研究。

  • お船石/お舟石(愛知県北設楽郡設楽町)

    『岩石を信仰していた日本人』著者の吉川宗明ホームページ。磐座・磐境・石神・奇岩・巨石の歴史学的研究。

  • 「員弁川石の館」令和6年度水石展 全国の石(2024年夏合同展)

    展示コンセプトは「今回の展示は40年にわたり全国の石友から頂きました、愛蔵石32石を、順次展示しようと計画致しました」とのこと(チラシから引用)。 個人所蔵の岩石は、世代交代の時にどのように途絶えず継承していくかが課題です。今後もコレクションが保存継承されていくことを願っています。

  • 池田清隆氏遺作『山中暦日無し』紹介

    『磐座百選』(出窓社 2018年)などの著者で知られる池田清隆氏が2024年5月に逝去されました。 岩石崇拝(岩石信仰)を深く追究されてきた先達です。深い喪失感の中ですが、縁あって最後の道標となる遺作『山中暦日無し』(私家版)をご恵贈いただきました。 『山中暦日無し』は、氏が近年綴られていたブロ

  • 名倉石神/大マラ地蔵(愛知県北設楽郡設楽町)

    『岩石を信仰していた日本人』著者の吉川宗明ホームページ。磐座・磐境・石神・奇岩・巨石の歴史学的研究。

  • 宇連の岩クラ(愛知県北設楽郡設楽町)

    『岩石を信仰していた日本人』著者の吉川宗明ホームページ。磐座・磐境・石神・奇岩・巨石の歴史学的研究。

  • スダラ淵沿いにある露岩と石祠(愛知県北設楽郡設楽町)

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  • 大名倉小字のシャクジ(愛知県北設楽郡設楽町)

    『岩石を信仰していた日本人』著者の吉川宗明ホームページ。磐座・磐境・石神・奇岩・巨石の歴史学的研究。

  • 大名倉白鳥神社境内の山神社(愛知県北設楽郡設楽町)

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  • 旧Twitter(現X)のつぶやき

    Xがリンク付き投稿をするアカウントをオススメに表示しないようにしている噂を聞き、この数年思う所もあるので本ポストを最後にX投稿は控えます。ブログで書きたいことは書いているので見に来てください。

  • 大名倉の山の神近傍の巨岩と二つの立石(愛知県北設楽郡設楽町)

    『岩石を信仰していた日本人』著者の吉川宗明ホームページ。磐座・磐境・石神・奇岩・巨石の歴史学的研究。

  • 穴瀧(愛知県北設楽郡設楽町)

    『岩石を信仰していた日本人』著者の吉川宗明ホームページ。磐座・磐境・石神・奇岩・巨石の歴史学的研究。

  • 東堂神社のおとぼ様(愛知県北設楽郡設楽町)

    『岩石を信仰していた日本人』著者の吉川宗明ホームページ。磐座・磐境・石神・奇岩・巨石の歴史学的研究。

  • コウゴ/光石(愛知県北設楽郡設楽町)

    『岩石を信仰していた日本人』著者の吉川宗明ホームページ。磐座・磐境・石神・奇岩・巨石の歴史学的研究。

  • 川向小字の力石(愛知県北設楽郡設楽町)

    『岩石を信仰していた日本人』著者の吉川宗明ホームページ。磐座・磐境・石神・奇岩・巨石の歴史学的研究。

  • あみだ岩 ※候補地(愛知県北設楽郡設楽町)

    『岩石を信仰していた日本人』著者の吉川宗明ホームページ。磐座・磐境・石神・奇岩・巨石の歴史学的研究。

  • 盗人岩(愛知県北設楽郡設楽町)

    吉川宗明「愛知県北設楽郡設楽町(旧名倉村域)における自然石の文化財」『地質と文化』第6巻第2号 pp.81-106 2023年

  • 石山寺の岩石信仰(滋賀県大津市)

    石光山石山寺は山号が示すとおり、石山(石の山)に建つ寺として知られる。「石山寺石記」では、石山寺境内に存する岩石を単なる景観とみなしておらず、本尊が坐す場所を「八葉の宝石」、鎮守社の基壇を「数仭の怪巖」と表現する。「八葉の宝石」は金輪際から湧出した岩石で、草創以前から常に岩石には紫雲がたなびいていた

  • 龍鎮神社(奈良県宇陀市)

    『岩石を信仰していた日本人』著者の吉川宗明ホームページ。磐座・磐境・石神・奇岩・巨石の歴史学的研究。

  • 白石國津神社の白石(奈良県奈良市)

    白石明神は地より生えた白い石が神体であるので、白石と改めたという。又古記には南殿の國津神社を移して祀ったから白石と云うとあるが果して南殿すなわち南之庄より奉還したか否か定ではない。古老の話では、南殿より六人衆が石を持って帰った処、急に動かなくなって、それを神体としたともいう。

  • 雄神神社と野々神岳(奈良県奈良市)

    雄神神社から向かって右(東)を雄神岳、向かって左(西)を雌神岳と呼び、全山禁足地が今も守られているが、山頂に蛇がすむ洞窟があり元旦朝には金のキジが鳴くと『都祁村史』(1985年)にある。

  • 『最新 地学事典』掲載項目の「磐座」補注

    いわくら / 磐座 / stones and rocks where spirits dwell / 日本列島において、神や精霊が宿ると信じられた岩石。「座」の字をもつが、各地の事例における岩石の形状は必ずしも台座状ではなく一定しない。また、岩石の大小や自然・人工の別を問わない。磐座の表記

  • 鑑賞石(水石・盆石)を始める ~失われつつ自然石文化財~

    鑑賞石(水石・盆石)を失われつつある自然石文化財とみなした記録・継承の重要性。これはという一石と出会ったとき、ビギナーとしてとるべき鑑賞石を飾る手順を主に水石の水盤石飾りからまとめる。

  • 下部の牛石(山梨県南巨摩郡身延町)

    武田信玄が自慢の愛牛に乗って金山の様子を巡検中、その牛が突如暴れ出して信玄を振り落としたうえで路傍の大石に激突して死んだ。牛を引いていた従者も自責の念に駆られてその場で自害。起きてしまったことはしかたなく、このようなことで家臣を失った信玄は哀れに思い従者と愛牛を大石の傍らに葬った。この逸話から大石を

  • 談山神社の岩石信仰(奈良県桜井市)

    竜ヶ谷からは、寺川(大和川と合流して大阪湾に入る)の源流の一つとなる湧水が清らかな流れとなり、また滝となってひときわ神秘的な音楽をかなでている。巨大な岩が露出し、その上には竜神社が祭られている。当地の古代信仰の原始の姿を残す磐座で、祭りの場所となったところだ。

  • 嶽の立石群 ~嶽の立石 蛇はみの蛇石 こけて鼻うつ唐戸の寝石~(奈良県宇陀市)

    「嶽の立石 蛇はみの蛇石 こけて鼻うつ唐戸の寝石(だけのたていし じゃはみのじゃいし こけてはなうつからとのねいし)」の里謡で地元で親しまれたという奇石群。

  • 「神定の磐境」と呼ばれた岩石群(奈良県宇陀市)

    矢谷川に臨む突端の磐境も環状の半は残されてゐたが、最近その下方に、弘法大師石像を祀られるに際し基壇として上方より磐境の石を転落して之に用ひられ爲にいたく損傷せらるるに至った。然るに近時学童が残れる一部の巨石の底部から打製サヌカイト石斧三個及び三十数個のサヌカイト破片の一所に埋蔵せられてあったのを掘出

  • 近況報告

    昨年末から今春にかけて発表された各種成果をお知らせします。これで数年来の取り組みの大方は出尽くしましたので、またしばらくはインプット作業に専念します。それまでは下記の成果物をご覧いただけましたら幸甚です。

  • 白岩神社と摩尼山(奈良県宇陀市)

    室生山の岩窟(後に龍の思想と結合し、龍神・龍王の住む龍穴と呼ばれるようになり、龍穴信仰の対象となる)には、須勢理姫命が入り、巨岩でその口を塞ぎ、更に赤埴土を以って塗りこめ、鎮座していたという。(略)須勢理姫命は最初に鎮まった室生山の岩窟から、延暦九年(七九〇)赤埴の地白岩に遷座し、赤埴白岩神社となっ

  • 市岐嶋神社の「ストーンサークル」(奈良県宇陀市)

    竹野(1937年)は社殿周囲に「完全なるストーンサークル」が遺存していると記す。近年、炭竈を築くために西方の一部が破壊されたともある。

  • 大将軍山の大山祇神社旧地(奈良県宇陀市)

    大平山のすぐ西隣の一峰をかつて大将軍山と呼んだことは今あまり知られていない。大将軍の名は元禄年間(1688~1704年)の水帳に見られるといい(竹野 1937年)、地元の人々からは「ダイジョウゴン」「ダイジングウ」の通称で大将軍山中腹の岩群をまつった。その後、明治時代に神仏分離が進む中で

  • 『変動帯の文化地質学』第2部第2章を分担執筆しました

    「岩石信仰研究の視点」は、岩石信仰が自然信仰であり、主客の関係でいえば自然が主で人間が客体という意味での人間研究として執筆したものです。

  • 石の木塚(石川県白山市)

    立石が単なる交通標識だったのか、祭祀・信仰に関する精神的な意味も込められた存在として成立当初からあったのか不明だが、いずれにせよこの立石は時代を経て「石の木塚」と呼ばれて、そこに込められた性格は自ずと変容・付加されていく。

  • 大嶋仁『石を巡り、石を考える』(2023年)学習メモ

    本書前半では海外の石と国内の石を巡る随想の中で徐々に牙をむき、後半ではロジェ・カイヨワの批判から地質学的知性を経由したうえで地球規模の科学と科学者への警鐘に発展。石から世界を考える指針をふんだんに摂取できる名著。

  • 尖石(長野県茅野市)と縄文時代自然石信仰説

    縄文時代中期の遺跡として考古学上有名な尖石遺跡。その遺跡地の南側斜面に存在する尖石は「縄文時代に石器を研いだ砥石」説があるが、この批判的検討を行う。

  • 2010年、茅野駅前から出土した大石(長野県茅野市)

    2015年のバズの時に撮られた写真では注連縄が巻かれていたが、私が2023年に訪れた際は注連縄が巻かれていなかった。また、祭祀には祭祀対象たる神に対して定期的な祭りが伴うはずだが、そのような祭祀が継続的におこなわれているという話を聞いたことはない。それで祭祀対象と言えるのかということを再考しなければ

  • 「失われし岩石・巨石信仰。畏れと期待、その世界観とは。吉川宗明氏インタビュー」掲載

    webメディア「Less is More. 」では、グローバル化・デジタル化する世界で失われる/失いたくないモノや概念などを取り上げており、その一つとして巨石・磐座信仰(私が言うところの岩石信仰)に白羽の矢が立ちました。

  • 岩上神社の岩神/岩神さん/岩神様/岩神大明神(愛知県蒲郡市)

    弘化年間(1844-1848年)に成立した羽田野栄木の『三河国古蹟考』によると「社の後に大なる岩石あり此を神体とすと云り、其石たてに三間許さしわたし三間許宝珠形に似たり」とある。

  • 諏訪大社下社春宮のいぼ石(長野県諏訪郡下諏訪町)

    いぼ(疣)ができた時は、いぼ石の窪みに溜まった水をいぼに塗りつけるといつの間にかなくなるという。

  • 資料報告「愛知県北設楽郡設楽町(旧名倉村域)における自然石の文化財」

    神聖視・特別視された自然石も文化財であるという「自然石文化財」の視点を提示しています。 私はこれまで岩石信仰の研究で人工的に加工・設置された岩石と自然のままでまつられた岩石の両方を一括して続けてきましたが、設楽町の調査を通して、とりわけ自然石の信仰・特別視の文化保存が重要であることを明確に意識でき

  • 道祖神社の石荒神(奈良県奈良市)

    奈良市の中心繁華街「ならまち」の街角に道祖神社が構え、社殿脇に上写真の高さ1.3mの岩石がまつられている。社殿脇に置かれた巨石は、今はもう拝観することのできない神体石の代わりに、当社の岩石信仰を視覚的に受け継いだ存在となっていると言える。

  • 地震石(石川県羽咋市)

    地震石、地震押さえ石、要石などの名称が伝わる。 いかに大震災があっても、この岩石があるためにこの地は微動だにしないといわれて、かつては石上に生す苔を取って地震除けの守護とする者が多かったという。

  • 映画「君たちはどう生きるか」に登場した石

    2023年7月に公開された宮﨑駿監督の映画「君たちはどう生きるか」では、石がさまざまなモチーフとして登場した。けっして石が主題の映画ではないが、妙に石が多用されてあれらは何だったのか印象に残るらしい。作品自体の評価は手に負えないが、石の部分だけ触れておこう。

  • みたらし石仏/浮島の阿弥陀さま/万治の石仏(長野県諏訪郡下諏訪町)

    通称「万次の石仏」は万治3年(1660年)の銘文が刻まれることからその名があるが、地元での昔からの名称は「浮島の阿弥陀さま」だったらしい。さらに、地元に残る寛政2年(1790年)成立の『山之神講文書』の文化2年(1805年)の事跡として「みたらし石仏」の名が記されている。

  • 『宗教の起源――私たちにはなぜ<神>が必要だったのか』(2023年)学習メモ

    本ページは、ロビン・ダンバー[著]・小田哲[訳]・長谷川眞理子[解説]『宗教の起源――私たちにはなぜ<神>が必要だったのか』(白揚舎 2023年)を読みながら記録したメモである。個人的メモのため、読ませるように文章を整理できていない。岩石信仰と関連する部分で今後有用と思われる情報

  • 『出雲と大和』の磐座祭祀論

    村井康彦氏の『出雲と大和―古代国家の原像をたずねて―』(岩波書店 2013年)に 「磐座祭祀をたどる」と題された一節があり、磐座は出雲系統の祭祀・信仰を象徴するものだったとする仮説が提示されている。本記事では、村井氏の磐座論がどのような根拠で展開されているかを読みながら所見をメモしていきたい。

  • 矢除石/遊矢石(長野県諏訪郡下諏訪町)

    信玄が川中島合戦に赴くとき、慈雲寺七世天桂玄長禅師を訪ね戦勝の教えを乞うた。玄長は境内の大石に案内し、大石の霊力を説いて石の上に立ち矢を射掛けるよう命じた。部下が一斉に矢を放ったが一本として玄長一本としてに当たらない。一同驚き、この石の念力の確かさに敬服した。玄長はこの念力のこもる矢除札を授けて信玄

  • 雨境峠祭祀遺跡群(長野県北佐久郡立科町)

    古墳時代から中近世にかけて、雨境峠では祭祀行為の痕跡が残っており雨境峠祭祀遺跡群と総称する(御座岩・鍵引石・賽の河原・与惣塚・中与惣塚・法印塚・鳴石)。

  • 山寺立石寺の岩石信仰(山形県山形市)

    百丈岩に入定する慈覚大師の強力な視線が、街道を往来する人々にそそがれ守護する風景となる

  • 垂水岩/垂水不動/垂水の観音様/垂水遺跡(山形県山形市)

    水が垂れるように岩の上から落ちてきて奇岩を作っている。昔は修験者が冬でも住んでいた。ここは、現在の山寺ができる以前に慈覚大師がいた所で、ここで山寺を開く構想をねった。今は不動様がまつられていて、垂水の観音様と言って信仰されている。

  • 「寒河江の巨石文化遺跡ストーンサークル」と姥石(山形県寒河江市)

    主観にもたれつつも後世の批判的研究に審判を委ねる堀場氏、巨石信仰に親和的な立場でありながらも自然成因説で研究対象に冷静な視点を忘れない大場氏、実際に考古学的調査へ乗り出して事実をもって判断する駒井氏、いずれの研究姿勢も現今そして将来の岩石信仰研究において学ぶべきものだろう。

  • 湯殿山の御宝前と岩供養(山形県鶴岡市)

    出羽三山の湯殿山は、岩石を「御宝前」と呼んで中近世には湯殿山大権現、明治以降は湯殿山神社本宮そのものとしてまつった。松尾芭蕉が「語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな」と詠んだように、修験の秘所によってそこで見たことは他言無用といい、現在も湯殿山の神域で写真撮影はできない。

  • 金生山の石灰岩群(岐阜県大垣市)

    「赤坂の虚空蔵尊」などの名で親しまれる明星輪寺は、金生山(かなぶやま/きんしょうざん)の山塊をなす石灰岩の奇岩怪石に彩られる。岩巣公園という現代名称で総括されるが、実際にはそれぞれの岩石にそれ以前からの名前がつけられている。現在わかっている範囲でまとめる。

  • 南宮大社の岩石信仰(岐阜県不破郡垂井町)

    『延喜式』神名帳に「仲山金山彦神社」と記された美濃国一宮・南宮大社。詳細不明の岩石信仰として、引常明神磐境石、石船社、駐車場横の岩石、子安神社の王子石、斎館の子宝石、鉱石奉納を紹介。

  • 焼石神社(岐阜県揖斐郡池田町)

    昔から日照りの続くときは、池田山頂の焼石神社へ雨乞いに詣ることになっており、その年も村人たちは池田山へ登り、焼石神社に必死の雨乞祈願をした。

  • ウサギ岩とカメ岩/兎岩と亀岩(岐阜県不破郡垂井町)

    明神湖の畔に2個横並びに置かれている。道路から向かって右側(東側)がウサギ岩で、左側(西側)がカメ岩である。明神湖はダム湖であり、湖ができる前は湖底に沈んだ岩井谷にあった。ダム工事の際に失われることなく現地へ移設された経緯がある。

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