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龍鎮神社(奈良県宇陀市)
『岩石を信仰していた日本人』著者の吉川宗明ホームページ。磐座・磐境・石神・奇岩・巨石の歴史学的研究。
2024/06/16 00:57
白石國津神社の白石(奈良県奈良市)
白石明神は地より生えた白い石が神体であるので、白石と改めたという。又古記には南殿の國津神社を移して祀ったから白石と云うとあるが果して南殿すなわち南之庄より奉還したか否か定ではない。古老の話では、南殿より六人衆が石を持って帰った処、急に動かなくなって、それを神体としたともいう。
2024/06/09 23:50
雄神神社と野々神岳(奈良県奈良市)
雄神神社から向かって右(東)を雄神岳、向かって左(西)を雌神岳と呼び、全山禁足地が今も守られているが、山頂に蛇がすむ洞窟があり元旦朝には金のキジが鳴くと『都祁村史』(1985年)にある。
2024/05/27 20:20
『最新 地学事典』掲載項目の「磐座」補注
いわくら / 磐座 / stones and rocks where spirits dwell / 日本列島において、神や精霊が宿ると信じられた岩石。「座」の字をもつが、各地の事例における岩石の形状は必ずしも台座状ではなく一定しない。また、岩石の大小や自然・人工の別を問わない。磐座の表記
2024/05/19 21:55
鑑賞石(水石・盆石)を始める ~失われつつ自然石文化財~
鑑賞石(水石・盆石)を失われつつある自然石文化財とみなした記録・継承の重要性。これはという一石と出会ったとき、ビギナーとしてとるべき鑑賞石を飾る手順を主に水石の水盤石飾りからまとめる。
2024/05/14 00:18
下部の牛石(山梨県南巨摩郡身延町)
武田信玄が自慢の愛牛に乗って金山の様子を巡検中、その牛が突如暴れ出して信玄を振り落としたうえで路傍の大石に激突して死んだ。牛を引いていた従者も自責の念に駆られてその場で自害。起きてしまったことはしかたなく、このようなことで家臣を失った信玄は哀れに思い従者と愛牛を大石の傍らに葬った。この逸話から大石を
2024/05/06 18:02
談山神社の岩石信仰(奈良県桜井市)
竜ヶ谷からは、寺川(大和川と合流して大阪湾に入る)の源流の一つとなる湧水が清らかな流れとなり、また滝となってひときわ神秘的な音楽をかなでている。巨大な岩が露出し、その上には竜神社が祭られている。当地の古代信仰の原始の姿を残す磐座で、祭りの場所となったところだ。
2024/04/29 17:28
嶽の立石群 ~嶽の立石 蛇はみの蛇石 こけて鼻うつ唐戸の寝石~(奈良県宇陀市)
「嶽の立石 蛇はみの蛇石 こけて鼻うつ唐戸の寝石(だけのたていし じゃはみのじゃいし こけてはなうつからとのねいし)」の里謡で地元で親しまれたという奇石群。
2024/04/22 17:18
「神定の磐境」と呼ばれた岩石群(奈良県宇陀市)
矢谷川に臨む突端の磐境も環状の半は残されてゐたが、最近その下方に、弘法大師石像を祀られるに際し基壇として上方より磐境の石を転落して之に用ひられ爲にいたく損傷せらるるに至った。然るに近時学童が残れる一部の巨石の底部から打製サヌカイト石斧三個及び三十数個のサヌカイト破片の一所に埋蔵せられてあったのを掘出
2024/04/21 21:56
近況報告
昨年末から今春にかけて発表された各種成果をお知らせします。これで数年来の取り組みの大方は出尽くしましたので、またしばらくはインプット作業に専念します。それまでは下記の成果物をご覧いただけましたら幸甚です。
2024/04/14 19:39
白岩神社と摩尼山(奈良県宇陀市)
室生山の岩窟(後に龍の思想と結合し、龍神・龍王の住む龍穴と呼ばれるようになり、龍穴信仰の対象となる)には、須勢理姫命が入り、巨岩でその口を塞ぎ、更に赤埴土を以って塗りこめ、鎮座していたという。(略)須勢理姫命は最初に鎮まった室生山の岩窟から、延暦九年(七九〇)赤埴の地白岩に遷座し、赤埴白岩神社となっ
2024/04/01 22:55
市岐嶋神社の「ストーンサークル」(奈良県宇陀市)
竹野(1937年)は社殿周囲に「完全なるストーンサークル」が遺存していると記す。近年、炭竈を築くために西方の一部が破壊されたともある。
2024/03/24 21:12
大将軍山の大山祇神社旧地(奈良県宇陀市)
大平山のすぐ西隣の一峰をかつて大将軍山と呼んだことは今あまり知られていない。大将軍の名は元禄年間(1688~1704年)の水帳に見られるといい(竹野 1937年)、地元の人々からは「ダイジョウゴン」「ダイジングウ」の通称で大将軍山中腹の岩群をまつった。その後、明治時代に神仏分離が進む中で
2024/03/23 19:47
『変動帯の文化地質学』第2部第2章を分担執筆しました
「岩石信仰研究の視点」は、岩石信仰が自然信仰であり、主客の関係でいえば自然が主で人間が客体という意味での人間研究として執筆したものです。
2024/03/15 01:28
石の木塚(石川県白山市)
立石が単なる交通標識だったのか、祭祀・信仰に関する精神的な意味も込められた存在として成立当初からあったのか不明だが、いずれにせよこの立石は時代を経て「石の木塚」と呼ばれて、そこに込められた性格は自ずと変容・付加されていく。
2024/03/03 21:38
大嶋仁『石を巡り、石を考える』(2023年)学習メモ
本書前半では海外の石と国内の石を巡る随想の中で徐々に牙をむき、後半ではロジェ・カイヨワの批判から地質学的知性を経由したうえで地球規模の科学と科学者への警鐘に発展。石から世界を考える指針をふんだんに摂取できる名著。
2024/02/25 23:50
尖石(長野県茅野市)と縄文時代自然石信仰説
縄文時代中期の遺跡として考古学上有名な尖石遺跡。その遺跡地の南側斜面に存在する尖石は「縄文時代に石器を研いだ砥石」説があるが、この批判的検討を行う。
2024/02/18 22:06
2010年、茅野駅前から出土した大石(長野県茅野市)
2015年のバズの時に撮られた写真では注連縄が巻かれていたが、私が2023年に訪れた際は注連縄が巻かれていなかった。また、祭祀には祭祀対象たる神に対して定期的な祭りが伴うはずだが、そのような祭祀が継続的におこなわれているという話を聞いたことはない。それで祭祀対象と言えるのかということを再考しなければ
2024/02/11 16:54
「失われし岩石・巨石信仰。畏れと期待、その世界観とは。吉川宗明氏インタビュー」掲載
webメディア「Less is More. 」では、グローバル化・デジタル化する世界で失われる/失いたくないモノや概念などを取り上げており、その一つとして巨石・磐座信仰(私が言うところの岩石信仰)に白羽の矢が立ちました。
2024/02/07 12:31
岩上神社の岩神/岩神さん/岩神様/岩神大明神(愛知県蒲郡市)
弘化年間(1844-1848年)に成立した羽田野栄木の『三河国古蹟考』によると「社の後に大なる岩石あり此を神体とすと云り、其石たてに三間許さしわたし三間許宝珠形に似たり」とある。
2024/02/04 16:01
諏訪大社下社春宮のいぼ石(長野県諏訪郡下諏訪町)
いぼ(疣)ができた時は、いぼ石の窪みに溜まった水をいぼに塗りつけるといつの間にかなくなるという。
2024/01/29 21:17
資料報告「愛知県北設楽郡設楽町(旧名倉村域)における自然石の文化財」
神聖視・特別視された自然石も文化財であるという「自然石文化財」の視点を提示しています。 私はこれまで岩石信仰の研究で人工的に加工・設置された岩石と自然のままでまつられた岩石の両方を一括して続けてきましたが、設楽町の調査を通して、とりわけ自然石の信仰・特別視の文化保存が重要であることを明確に意識でき
2024/01/21 21:46
道祖神社の石荒神(奈良県奈良市)
奈良市の中心繁華街「ならまち」の街角に道祖神社が構え、社殿脇に上写真の高さ1.3mの岩石がまつられている。社殿脇に置かれた巨石は、今はもう拝観することのできない神体石の代わりに、当社の岩石信仰を視覚的に受け継いだ存在となっていると言える。
2024/01/15 22:45
地震石(石川県羽咋市)
地震石、地震押さえ石、要石などの名称が伝わる。 いかに大震災があっても、この岩石があるためにこの地は微動だにしないといわれて、かつては石上に生す苔を取って地震除けの守護とする者が多かったという。
2024/01/02 23:06
映画「君たちはどう生きるか」に登場した石
2023年7月に公開された宮﨑駿監督の映画「君たちはどう生きるか」では、石がさまざまなモチーフとして登場した。けっして石が主題の映画ではないが、妙に石が多用されてあれらは何だったのか印象に残るらしい。作品自体の評価は手に負えないが、石の部分だけ触れておこう。
2023/12/30 16:29
みたらし石仏/浮島の阿弥陀さま/万治の石仏(長野県諏訪郡下諏訪町)
通称「万次の石仏」は万治3年(1660年)の銘文が刻まれることからその名があるが、地元での昔からの名称は「浮島の阿弥陀さま」だったらしい。さらに、地元に残る寛政2年(1790年)成立の『山之神講文書』の文化2年(1805年)の事跡として「みたらし石仏」の名が記されている。
2023/12/19 00:18
『宗教の起源――私たちにはなぜ<神>が必要だったのか』(2023年)学習メモ
本ページは、ロビン・ダンバー[著]・小田哲[訳]・長谷川眞理子[解説]『宗教の起源――私たちにはなぜ<神>が必要だったのか』(白揚舎 2023年)を読みながら記録したメモである。個人的メモのため、読ませるように文章を整理できていない。岩石信仰と関連する部分で今後有用と思われる情報
2023/11/28 01:08
『出雲と大和』の磐座祭祀論
村井康彦氏の『出雲と大和―古代国家の原像をたずねて―』(岩波書店 2013年)に 「磐座祭祀をたどる」と題された一節があり、磐座は出雲系統の祭祀・信仰を象徴するものだったとする仮説が提示されている。本記事では、村井氏の磐座論がどのような根拠で展開されているかを読みながら所見をメモしていきたい。
2023/11/26 23:30
矢除石/遊矢石(長野県諏訪郡下諏訪町)
信玄が川中島合戦に赴くとき、慈雲寺七世天桂玄長禅師を訪ね戦勝の教えを乞うた。玄長は境内の大石に案内し、大石の霊力を説いて石の上に立ち矢を射掛けるよう命じた。部下が一斉に矢を放ったが一本として玄長一本としてに当たらない。一同驚き、この石の念力の確かさに敬服した。玄長はこの念力のこもる矢除札を授けて信玄
2023/11/21 01:09
雨境峠祭祀遺跡群(長野県北佐久郡立科町)
古墳時代から中近世にかけて、雨境峠では祭祀行為の痕跡が残っており雨境峠祭祀遺跡群と総称する(御座岩・鍵引石・賽の河原・与惣塚・中与惣塚・法印塚・鳴石)。
2023/11/13 22:01
山寺立石寺の岩石信仰(山形県山形市)
百丈岩に入定する慈覚大師の強力な視線が、街道を往来する人々にそそがれ守護する風景となる
2023/11/06 20:26
垂水岩/垂水不動/垂水の観音様/垂水遺跡(山形県山形市)
水が垂れるように岩の上から落ちてきて奇岩を作っている。昔は修験者が冬でも住んでいた。ここは、現在の山寺ができる以前に慈覚大師がいた所で、ここで山寺を開く構想をねった。今は不動様がまつられていて、垂水の観音様と言って信仰されている。
2023/10/30 16:09
「寒河江の巨石文化遺跡ストーンサークル」と姥石(山形県寒河江市)
主観にもたれつつも後世の批判的研究に審判を委ねる堀場氏、巨石信仰に親和的な立場でありながらも自然成因説で研究対象に冷静な視点を忘れない大場氏、実際に考古学的調査へ乗り出して事実をもって判断する駒井氏、いずれの研究姿勢も現今そして将来の岩石信仰研究において学ぶべきものだろう。
2023/10/23 16:57
湯殿山の御宝前と岩供養(山形県鶴岡市)
出羽三山の湯殿山は、岩石を「御宝前」と呼んで中近世には湯殿山大権現、明治以降は湯殿山神社本宮そのものとしてまつった。松尾芭蕉が「語られぬ 湯殿にぬらす 袂かな」と詠んだように、修験の秘所によってそこで見たことは他言無用といい、現在も湯殿山の神域で写真撮影はできない。
2023/10/16 00:37
金生山の石灰岩群(岐阜県大垣市)
「赤坂の虚空蔵尊」などの名で親しまれる明星輪寺は、金生山(かなぶやま/きんしょうざん)の山塊をなす石灰岩の奇岩怪石に彩られる。岩巣公園という現代名称で総括されるが、実際にはそれぞれの岩石にそれ以前からの名前がつけられている。現在わかっている範囲でまとめる。
2023/10/08 22:53
南宮大社の岩石信仰(岐阜県不破郡垂井町)
『延喜式』神名帳に「仲山金山彦神社」と記された美濃国一宮・南宮大社。詳細不明の岩石信仰として、引常明神磐境石、石船社、駐車場横の岩石、子安神社の王子石、斎館の子宝石、鉱石奉納を紹介。
2023/10/03 21:51
焼石神社(岐阜県揖斐郡池田町)
昔から日照りの続くときは、池田山頂の焼石神社へ雨乞いに詣ることになっており、その年も村人たちは池田山へ登り、焼石神社に必死の雨乞祈願をした。
2023/09/26 11:30
ウサギ岩とカメ岩/兎岩と亀岩(岐阜県不破郡垂井町)
明神湖の畔に2個横並びに置かれている。道路から向かって右側(東側)がウサギ岩で、左側(西側)がカメ岩である。明神湖はダム湖であり、湖ができる前は湖底に沈んだ岩井谷にあった。ダム工事の際に失われることなく現地へ移設された経緯がある。
2023/09/24 16:58
徳川家康公天下腰掛石/天下お踏石(岐阜県不破郡関ケ原町)
関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康が、中山道今須宿(いますじゅく)本陣を務める伊藤家に立ち寄り、伊藤家庭内の空泉水の傍にあった岩石に床几を置いて腰掛けたという。
2023/09/18 16:59
大海人皇子の兜掛石・沓脱石(岐阜県不破郡関ケ原町)
付近には、皇子が下船したという「木船(元貴船)」の地名や、皇子が矢尻で土を掘って湧水が出たという「矢尻池」の地名が残る。
2023/09/10 19:17
日本武尊の腰掛岩/腰掛石/腰掛台(岐阜県不破郡関ケ原町)
この清水を、『玉倉部の清水』とか、『居醒泉』とよぶようになった。今の関ケ原町玉の鍾乳洞のすぐまえの清水だといわれている。その南の方には、タケルが休んだというまるい腰掛石があり、玉石の地名となった。それが玉という地名のもととも言われる。
2023/09/02 18:15
岩崎神社の神座石/御神楽石(岐阜県不破郡垂井町)
本殿の背後、山裾川沿いに「神座石(かぐらいし)」あるいは「御神楽石(おかぐらいし)」と呼ばれる岩石がまつられている。 かつてはこの岩石の前に小祠を置き、石前明神(いわさきみょうじん)と呼んだという。 この祠を岩手家が氏神と位置づけ、現在の形に整備したのが岩崎神社といわれる。
2023/08/30 15:40
日吉山王神社の岩石群(山梨県山梨市)
室伏 乙ヶ妻集落の鎮守。本殿の北東隅に接して、山肌から岩が露出している。本殿 - 拝殿の主軸と異なる方向であり、この岩が明確にまつられているという証拠は見当たらないが、この岩を始点に山の斜面を登っていくと尾根沿いに岩石群が散在している。
2023/08/20 22:55
大石神社(山梨県山梨市)
現地看板および土橋里木『甲斐の伝説』(第一法規出版、1975年)によると、甲石・産屋石・浮舟石・影向石・屏風石・烏帽子石・立烏帽子石・指門石・浮橋石・胎内石・笠石・乳石・子守石・富岩・尾笠石・八畳石・石廠といった名前がついているという。
2023/08/15 14:37
山梨岡神社(山梨県山梨市下石森)
平野部に微高地状の丘があり、そこに岩群が集中している。この丘を石森山・石森岡と呼ぶ。計22体の岩石に名称が付けられている。日本武尊が東征の折に立ち寄り勧請したともいわれる。
2023/08/06 19:28
立石神社 (山梨県山梨市)
『岩石を信仰していた日本人』著者の吉川宗明のホームページ。まつられた岩や聖なる石を歴史学的に研究。
2023/07/23 18:22
田中正造が小石を拾う理由
正造には小石を拾う趣味があり、足尾銅山鉱毒事件に一生を捧げた彼にとって、唯一とも言える趣味だったらしい。その中でも特に3つの小石は、正造が亡くなる時に枕元に置いていた布袋に入っていた。これらは現在、栃木県指定文化財として保存されている。
2023/07/17 15:47
岩石の性質メモ ~雑誌『高梁川』の石特集より~
『高梁川』第38号(1981年)が「特集 石」と題され、約250ページひたすらに各分野有識者の石をテーマにした文章を読むことができる。ここでは、とりわけ岩石と人間の精神的関係において普遍化できうると思われる部分をメモして後考に供したい。
2023/07/09 23:29
岩船山の岩石信仰(栃木県栃木市)
船形の山容をもち、岩肌が各所に露出しているところから岩船山(標高172.2m)の名がある。山腹には岩船山高勝寺があり、関東の高野山、関東の善光寺、日本三大地蔵などの異名も有す。いわく、岩船山は故人の霊魂が宿る山と信じられ、高勝寺は故人の供養、子供の安産や子育てなどの霊験を包括する霊場として篤い信
2023/06/25 21:13
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