邪馬台国論争(魏志倭人伝)と神道の起源※この論考は、「宇佐八幡神宮の歴史的創建」の補論であり、歴史学との接点について、考究しているものです。邪馬台国論争、つまり、卑弥呼が何処の人かということについては、大和説と北九州説が有力であるとされています。これについては、この国がいつ頃に、統一国家になり、同じ神を崇拝し、同じ言葉を使う民族的共同体ができたのかを考える必要があります。まず、関連留意事項を列記します。①卑弥呼(~247)の時代が、宇佐八幡神宮の主祭神(八幡神)の応神天皇(祖父は、神話的英雄ヤマトタケルであるとする系譜がある。200~310)の時期に当たること。また、卑弥呼の登場は、倭国大乱(王位争奪をめぐる全国的な8年程の内乱)の終結に導いたとされる。②宇佐八幡神宮の由緒によると、1神代に比売大神(地主...邪馬台国論争(魏志倭人伝)と神道の起源