chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
arrow_drop_down
  • 富士山・お鉢めぐりと八葉蓮華

    ▼富士山・お鉢めぐりと八葉蓮華【概略文】富士山の山頂には火口の穴があり、まわりの尾根を歩くことを「お鉢めぐり」といっています。尾根は約3.5キロほどで1時間半で一周。火口は直径800m。火口は大内院と呼ばれ、西安河原にも小内院と呼ばれる噴火口があります。小内院の外側をまわるのを外輪コース、内側をまわるのを内輪コースと呼んでいます。火口のまわりには剣ヶ峰、白山岳(釈迦ヶ岳)、久須志岳(薬師岳)、大日岳(朝日岳)、伊豆ヶ岳(阿弥陀岳)、成就ヶ岳(勢至ヶ岳)、駒ヶ岳(浅間岳)、三島岳(文殊ヶ岳)と8峰。それらを仏教の「八葉蓮華」に例えて「お八めぐり」といったといいます。しかし、その後明治維新の廃仏棄釈により仏教的な呼び方が否定され、火口をすり鉢に例えて、呼び方を「お鉢めぐり」と変えたという。こんなところにも明治...富士山・お鉢めぐりと八葉蓮華

  • 「山の妖怪・天狗」

    ▼山の軽口・伝承神話「山の妖怪・天狗」天狗にも種類があります。天狗はもともとはすべてカラス天狗だったという。足利何代目かの将軍の時、牛若丸に武術を教えた天狗・鞍馬山の魔王大僧正が、将軍の夢枕にあらわれて、「自分の姿を日本画狩野派2代目・狩野元信に描かせて鞍馬寺に安置せよ」とのご託宣したという。元信が早速制作にとりかかりましたが、どうしても手が動きません。するとクモが一匹、画紙の上ではい回りました。それを筆でなぞっていくとイメージどおりの天狗像ができあがりました。この天狗像は、これまでの天狗像とは違い堂々とした大天狗。各地の山々の天狗信奉者は次々とこちらの像に乗り換えていきました。しかし長野県の飯縄山系の天狗の山(東京高尾山、箱根明星ヶ岳・大雄山、静岡秋葉山、群馬迦葉山、日光付近の古峰ヶ原など)はいまでもく...「山の妖怪・天狗」

  • 山の軽口・伝承神話「西丹沢・甲相駿州三国境争い」

    ▼山の軽口・伝承神話「西丹沢・甲相駿州三国境争い」【概略】丹沢の中でも奥深い大室山から菰釣山・三国山にかけての尾根は、神奈川県と山梨県・静岡県の県境になっています。このあたりはよい木材が採れる山で、相模の国(神奈川側)・甲斐の国(山梨県側)・駿河の国(静岡県側)とも自分の領地に有利にしたいところ。昔から領土紛争があり、古くは平安時代の797年(延暦16)中央政府の裁定があったといいます。江戸時代になると「御木」となって保護。その後紛争は断続的に起こっていたといいます。そんななか、甲州・平野村の名主・長田勝之進らが相州から国境を越えて炭焼きに入り込む者ありという告発騒動が起こりました。これが発端になり、国境争い大論争に発展していきました。ついに幕府の家老が裁定に乗り出し、平安時代から千年、1847年(弘化4...山の軽口・伝承神話「西丹沢・甲相駿州三国境争い」

  • 「北アルプス・薬師岳」

    ▼山の駄画駄文屋の「北アルプス・薬師岳」▼【概略説明】薬師岳の山ろくの有峰湖湖底には、かつて有峰の村がありました。昔、この村にすむミサノ松という貧しい職人ががある日、山中で昼寝をしていると、夢の中に薬師如来があらわれ、ミサノ松を招きます。ついて行くと、いつの間にか高い山の頂上に登っているのでした。「これは薬師如来がこの山を開かせるためあらわれたのだ」。ミサノ松は頂上にお堂を建て、薬師如来を祀ったということです。またここの南にある太郎兵衛平は、白、淡紅、薄紫の衣装をまとった高山植物の化身の3人の美女が、突然あらわれすきとおる声で歌い優雅に踊りはじめ、その美女たちに惑わされたのが地名の由来だそうです。▼【続きを見る↓】https://toki.moo.jp/mail-maga/100den/100den10....「北アルプス・薬師岳」

  • 山の駄画駄文「立山」

    山の駄画駄文「立山」▼【概略説明】立山山頂付近のお花畑の伝説です。ここにはもと千蛇ヶ池があって、大蛇がたくさんすんでいました。蛇たちは夜、里に降り人を殺したり、家畜を盗んだりのし放題。見かねた立山権現は、蛇たちに池にもぐるよう諭しました。大蛇が池にもぐると権現は毎日雪を降らせて、大蛇たちを雪の下に閉じこめてしまったということです。また室堂近くに「ミクリヶ池」という有名な池があります。江戸時代初期、越前から来た山伏小山法師が、この池を見て「まるで種漬け池だ」と小馬鹿にし、飛び込み泳ぎはじめました。法師が「三めぐり」したとき、大波が立ち池のから大蛇があらわれ、法師の体を水中に引きずり込んでしまいました。以来、この池を「三繰りヶ池」と呼んだそうです。▼【続きを見る↓】https://toki.moo.jp/ma...山の駄画駄文「立山」

  • 山の伝説神話「剣岳」

    ▼山の駄画師の「剱岳」です。ご高覧をお願いします。かつて映画「点の記」(原作・新田次郎)で話題なった剱岳。剱岳は立山連峰中最も険しく、山名は「針の山」ともたとえられるように、岩峰が剣のように突き立っていることに由来。明治40(1907)年7月、三角測量点設置のため、陸地測量官柴崎芳太郎一行が苦労の末、やっと山頂に立ちました。ところが、山頂で修験者が持っている錫杖の頭と鉄刀を見つけたのです。さらに石窟でたき火の跡の木炭も発見。錫杖を鑑定した結果、平安時代初期のものと判明して大騒ぎ。いまは国の重要文化財に指定されています。木炭のあった石窟は、山頂の斜め下のところにあるとされています。そこは山頂の祠を見上げる位置で、高さ約2m、底幅2mくらい。奥行き3mくらい。奥壁の上部がせり出しています。かなり以前の夏に登っ...山の伝説神話「剣岳」

  • 百名山神話伝説047「鹿島槍ヶ岳」

    山の駄画師の「百名山神話伝説047」は「鹿島槍ヶ岳」▼【概略説明】北アルプス後立山連峰にある鹿島槍ヶ岳は、山頂が二つに分かれた双耳峰。山頂がとがっており、「鹿島にある槍ヶ岳」というのです。北壁直下のカクネ里という窪地はいかにも人の住めそうな所。下流の鹿島集落の祖先(平家の落人?)の隠れていた所といいます。落人たちは後になって、大川沢をくだり、いまの鹿島川のほとりに移り住み、田畑を切り開いていまの鹿島槍ヶ岳山麓、大町市鹿島集落になったというのです。しかし、肝心な鹿島集落ではそんな伝説は知らないといいます。また登山の大先輩羽賀正太郎氏は、人が住めそうな地形から「カクネ里」の名が生まれたのではないかとしています。いずれにしても現地は普通ではとても行けそうにない大川沢の奧の奧、雪崩や雪塊の崩落が名物のような場所で...百名山神話伝説047「鹿島槍ヶ岳」

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、とよだ 時さんをフォローしませんか?

ハンドル名
とよだ 時さん
ブログタイトル
山のふみあと日記
フォロー
山のふみあと日記

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用