chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel

とよだ 時さんの人気ランキング

  • IN
  • OUT
  • PV
今日 04/24 04/23 04/22 04/21 04/20 04/19 全参加数
総合ランキング(IN) 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 1,034,330サイト
INポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
OUTポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
アウトドアブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 13,487サイト
登山 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 2,434サイト
歴史ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 4,537サイト
神話・伝説 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 204サイト
※ランキング順位が「圏外」と表示される時は?
今日 04/24 04/23 04/22 04/21 04/20 04/19 全参加数
総合ランキング(OUT) 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 1,034,330サイト
INポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
OUTポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
アウトドアブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 13,487サイト
登山 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 2,434サイト
歴史ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 4,537サイト
神話・伝説 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 204サイト
※ランキング順位が「圏外」と表示される時は?
今日 04/24 04/23 04/22 04/21 04/20 04/19 全参加数
総合ランキング(PV) 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 1,034,330サイト
INポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
OUTポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
PVポイント 0 0 0 0 0 0 0 0/週
アウトドアブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 13,487サイト
登山 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 2,434サイト
歴史ブログ 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 4,537サイト
神話・伝説 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 圏外 204サイト
※ランキング順位が「圏外」と表示される時は?
  • 「この夏富士山に登って、お鉢めぐりで古銭を探そう」

    「この夏富士山に登って、お鉢めぐりで古銭を探そう」

    「この夏富士山に登って、お鉢めぐりで古銭を探そう」【説明概略文】富士山の火口は浅間神社の奥ノ院にあたります。かつて登山者は無事の登山を感謝し一族の幸せを願い火口に賽銭を投げるお散銭(さんせん)の習慣がありました。火口は巨大な賽銭箱だったわけです。その習慣は室町時代にはすでにあったといいます。賽銭を投げればそれを拾う人がいるはずです。遠藤秀男「富士山よもやま話」によれば、散銭の処務を富士山八合目以上の所有者である村山修験辻之坊が受け持っていたといいます。江戸時代になると浅間大社がその処務を受け持ち、一番拾いを浅間大社、二番拾いを須走浅間が行ったということです。しかし一番が拾ったあとでは賽銭の額が大違い。一番拾いの権利争いが相次ぎ、元禄時代には本宮と須走で4対6の配分に決まり、江戸末期までつづいたといいます。...「この夏富士山に登って、お鉢めぐりで古銭を探そう」

  • ▼山の軽口ばなし「奥秩父・金峰山には山男住んでいた?」

    ▼山の軽口ばなし「奥秩父・金峰山には山男住んでいた?」

    「奥秩父・金峰山には山男住んでいた?」【概略文】金峰山頂にはが18mもある五丈岩があり遠くからでも目立ちます。金峰山は農耕の神の山として村人の信仰が厚く、かつては北麓長野県側にはお寺がたくさんあったといいます。この山に大きな山男が出るというのです。江戸後期の紀行本『遠山奇談』に、金峰山には山夫(やまおとこ)がいて、人間の3倍もの大きさで、乱れ髪が腰までのびているとのこと。若いのは髪の毛が赤黒く、白けて艶がないのは歳のとったものらしい。ある時他国から盗賊たちがここに来て隠れすんでいたが、山夫につかまり連れて行かれた。残った3人が麓に逃げてきて取り押さえられました。役人に引き渡されそのまま江戸へ送られたといいます。だから「必此山へは行べからずと、おしとゞめける故、やめけり」とあります。昔は得体の知れない何かい...▼山の軽口ばなし「奥秩父・金峰山には山男住んでいた?」

  • ▼山の軽口ばなし

    ▼山の軽口ばなし

    「秩父城峰山・将門とお猫さま」【概略】天慶の乱で平将門が城峰山に陣を張り城を築くと、秀郷はいまの吉田小学校辺りに陣を張り、将門軍とにらみあいがつづきます。ある日、秀郷が椋神社に参拝し将門の捕獲を祈願。すると城峰山にネズミの大群が発生、鎧など武具のひもを噛み切り使用不能に。将門は捕らえられます。ところが同じ姿形の影武者がぞろぞろ出現、どれが本物か分かりません。しかし将門の愛妾、桔梗の証言で正体が発覚。将門は「桔梗あれども花咲くな」と言い残し首をはねられたという。以来、城峰山ではキキョウの花は咲かないといいます。山頂直下城峰神社のこま犬は赤い口に金色の目。それより面白いのはお犬さまのうしろにある「お猫さま」。愛嬌のある表情でハイカーを迎えてくれます。お猫さまは十一面観音の眷属。十一面観音は平将門の守り本尊と聞...▼山の軽口ばなし

  • 「富士山:あのかぐや姫はウグイスの卵から 生まれたんだってよ!」

    「富士山:あのかぐや姫はウグイスの卵から 生まれたんだってよ!」

    「富士山:あのかぐや姫はウグイスの卵から生まれたんだってよ!」【概略文】富士山にはなぜいつも雲がかかっているのか。実はかぐや姫の物語に関係があるといいます。『古今和歌集』の序文に、「竹作りの翁が竹やぶに行くとウグイスの卵が沢山あった。その中に金色に光る卵がひとつ。翁は不思議に思い家に持って帰った。竹売りから帰ると、家の中が光り輝いている。中に美しい女がいた。その女が光っていた。『私はウグイスの卵です』という。そこで翁は女を養女にし、かぐや姫と名づけた。これが評判になり帝が呼んでみたら非常に美しいのでたちまち夢中になり、妃のようにこの姫を愛した。3年が過ぎ姫は『私は天女です』といって鏡を形見に残して消えてしまった。帝の恋焦がれる想いは炎となって鏡から立ち昇った。公卿たちはその鏡を富士山頂に置いた。その時から...「富士山:あのかぐや姫はウグイスの卵から生まれたんだってよ!」

  • ▼山の伝説・神話ばなし

    ▼山の伝説・神話ばなし

    「奥多摩三頭山・鬼源こと目玉のたんじと玉川上水」【概略文】その昔、大岳山の麓・檜原村白岩に子宝に恵まれない夫婦がいました。夫婦は大岳神社にお百度をふみ願をかけた結果、元気な男の子が授かりました。大岳山の神の申し子の鬼源兵衛はすくすくと育ちました。大人になるころには五百貫近くもある大石を持ち上げるほどの怪力を持つようになったといいます。その怪力が恐れられ「鬼源」とも目玉のたんじとも呼ばれていました。さて、玉川庄右衛門・清右衛門兄弟の手配する上水工事の羽村堰工事人足としてかり出された鬼源は、工事の最中、大きな石の下敷きになった同僚をなんなく助けたり、大石をひょいと持ち上げポンポン放り投げるようにして運びました。そのため、工事はみるみるうちに完成。その活躍に褒美として刀を賜ったという。その鬼源兵衛が持ち上げたと...▼山の伝説・神話ばなし

  • ▼山の軽口ばなし「富士山頂の火口はふたつあった?」

    ▼山の軽口ばなし「富士山頂の火口はふたつあった?」

    「富士山頂の火口はふたつあった?」【概略】富士山に関する最初の文書は、平安時代の「富士山記」。それには「頂上に平地あり。広さ一里許り。其の頂の中央は窪み下りて状甑(こしき)の如し。甑の中に神池あり、池の中に大石あり、石体甚だ奇にして宛も虎の蹲(うずく)まれるが如し。亦其の甑の中には常に蒸し出づる気あり。其の色純青なり。其の甑の底をのぞけば湯の沸きのぼるが如く、其の遠くより之を望めば常に煙火を見る」とあります。富士山頂上の火口には神の池があるとしながら、また煙火が見えると、矛盾したことが書かれています。それは富士山には火口がふたつあったからだという。ひとつは大内院で、私たちにもおなじみのもの。もうひとつは小内院で、その北北西にあり、いまは埋もれてしまい窪地になっています。この片方は古い火口で水が貯まっていて...▼山の軽口ばなし「富士山頂の火口はふたつあった?」

  • 伝説と神話の百名山(12)「八幡平」

    伝説と神話の百名山(12)「八幡平」

    「八幡平」【説明概略】八幡平は大火山高原で温泉があちこちにあります。ここの山の名は八幡平です。この「平=たい」は「岱(たい)」であるとよく説明されます。ところが、この岱という漢字はもとは代山(たいざん)で、転じて偉大な山という義なのだそうです。しかし、八幡平は岩手山や鳥海山のような高く大きな山には見えません。それよりも八幡は「やわた」で、「やわ」は柔らかい意味、「た」は場所のことといい、「柔らかいところ」となるとの説があります。なるほど、八幡平のような高原湿原は、柔らかい所だワナ。山頂から西側(鹿角市側)のふけの湯は子宝の湯として有名。また後生掛温泉には一人の男に後生を掛け、沸き上がる大噴湯に身を投げたふたりの女性の物語の「オナメ(愛人)・モトメ(本妻)伝説」や、鹿角市八幡平小豆沢には、トンボに教えられた...伝説と神話の百名山(12)「八幡平」

  • ▼山の軽口ばなし「奈良県大峰山・女人禁制の山に登った女性」

    ▼山の軽口ばなし「奈良県大峰山・女人禁制の山に登った女性」

    「奈良県大峰山・女人禁制の山に登った女性」【概略】いまだに女人禁制のしきたりを守り続ける紀伊大峰山山上ヶ岳。時どき、解禁の時期について話題になります。しかし、「日本百名山」を完登した女性は多い。それもそのはず、以前から登っている女性はいるという。記録にあるだけでも、「昭和12年(1937)9月と11月の2回女性を伴い登山決行」などの記事が1951年(昭和26)の「山と渓谷」誌に掲載しています。牧田満政氏の記録によれば、それ以外にも相当数いるという。「今更登山の見地からならば、女性登山など問題じゃない…ただし、その入山は総て開山期以外、もしくは、行者路以外。開山期に無理に女性が押し入ろうとすれば、頑迷固陋(ころう)の地元民の性格を知らないで無理強いするのは無謀であり、傷害事件に発展する可能性もある」との現地...▼山の軽口ばなし「奈良県大峰山・女人禁制の山に登った女性」

  • ▼伝承と神話の百名山「青森県・八甲田山」

    ▼伝承と神話の百名山「青森県・八甲田山」

    ▼伝承と神話の百名山「青森県・八甲田山」【説明概略】青森県の八甲田山といえば、明治35年(1902)の凍死者197名、「雪中行軍」の悲劇が有名です。この事件を主題として、作家・新田次郎が『八甲田山死の彷徨』を書きました。1977年(昭和52)にはこれが映画化されます。そのテレビコマーシャルの「天は我らを見放した」は流行語にもなりました。八甲田山は、十和田湖と青森市の中間にそびえる山塊の総称で、北八甲田連峰と南八甲田連峰に分かれますが、普通八甲田山といえば、北八甲田山群をさすという。8つの峰と、低地に発達する高層湿原、池塘を田とみなして「神の田」、「耕田」、「高田」から八甲田、甲(かぶと)などの説もあります。東岳と八甲田山が山争いで八甲田は東岳の首をはねました。首は西に飛んで行き、岩木山の肩のコブになった。...▼伝承と神話の百名山「青森県・八甲田山」

  • ▼伝承と神話の百名山「青森県・岩木山」

    ▼伝承と神話の百名山「青森県・岩木山」

    「青森県・岩木山」【説明概略】岩木山は、その山の様子から「石(いわ)の城(き)」の字に「岩木」をあてたものといいます。山頂は中央部の岩木山、南の鳥海山、北の岩鬼山(ママ)からなる。中央部の岩木山山頂には岩木山神社(下居宮・おりいのみや)の奥宮本宮の建物が鎮座しています。弘前藩の鎮守のお山になっているそうです。ここにまつられているのは、森鴎外の小説『安寿と厨子王』で有名な安寿姫。この伝説から安寿姫を責め殺した山椒大夫の国丹後(京都)の人が岩木山の支配地に入っても神が怒るのだという。これを「丹後日和」というのだそうです。実際、山頂に登らせないという厳しい禁制がしかれていたということです。・青森県弘前市と鰺ヶ沢町の境▼【本文】をどうぞ。https://toki.moo.jp/mail-maga/100den/1...▼伝承と神話の百名山「青森県・岩木山」

  • ▼山の楽しみもうひとつ「東北・鳥海山の鳥海湖と安倍宗任」

    ▼山の楽しみもうひとつ「東北・鳥海山の鳥海湖と安倍宗任」

    「東北・鳥海山の鳥海湖と安倍宗任」【説明概略】東北の名山・鳥海山の名は、鳥海弥三郎に関係するという説もあります。鳥海弥三郎は安倍宗任。平安時代後期の陸奥の国の豪族。あの阿部貞任の弟で「前九年の役」では兄とならんで阿部軍の指揮をとり、源頼義軍を悩ましました。安倍氏の全盛時、宗任の所領がこの地方にあったらしい。宮城県の鳥海の浦とが宗任の生誕地といい、鳥海弥三郎の名の元だといいます。その後安倍氏の発展に従い北に移ります。岩手県磐井郡の鳥海、胆沢郡の鳥海の柵、出羽地方にも矢島方面には鳥海山、相庭館附近に鳥の海、酒田市の泉竜寺の徳尼公廟などは鳥海氏には関係深い遺跡です。このようなことから鳥海山は鳥海氏領内の山としてその名が生まれたのではないかということです。・山形県遊佐町。【説明本文】をどうぞ。https://to...▼山の楽しみもうひとつ「東北・鳥海山の鳥海湖と安倍宗任」

  • ▼山の楽しみもうひとつ「北ア立山・雄山の一、二、三ノ越」

    ▼山の楽しみもうひとつ「北ア立山・雄山の一、二、三ノ越」

    「北ア立山・雄山の一、二、三ノ越」【説明概略】ふつう山に登る時、まず一合目から二合目、三合目と登り、十合目で頂上につきます。ところが立山では一ノ越、二ノ越、三ノ越と登っていくのだそうです。山を仏さまの姿に見立て、膝が一ノ越で、腰が二ノ越、肩が三ノ越、首が四ノ越、頭が五ノ越なのだそうです。この呼び方は古く、平安末期の国語辞書の『伊呂波字類抄』(編者・橘忠兼)に「躰厳石之山、膝名一輿、腰号二輿、肩字三輿、頸名四輿、申頭烏瑟(うしつ)五輿」とあり、山頂を烏瑟の峰といっているそうです。かつて越中の男子は16歳になると雄山に参詣し、朱塗りの杯のお神酒を戴かないものは一人前として扱われなかったそうです。もし途中でへばり登れなかった時は前世悪業の報いとされ、帰宅してからも一生つまはじきにされたというから大変です。この習...▼山の楽しみもうひとつ「北ア立山・雄山の一、二、三ノ越」

  • ▼山の楽しみもうひとつ「北陸・白山の御前峰」

    ▼山の楽しみもうひとつ「北陸・白山の御前峰」

    「北陸・白山の御前峰」【概略】白山は御前峰、大汝峰、剣ヶ峰の3峰の総称で、これらの峰から少し離れた南方に別山があります。この山は奈良時代、越ノ大徳とも呼ばれる泰澄上人が、弟子の臥(ふせり)行者と浄定(じょうじょう)行者を連れて開山したといいます。山頂に登った上人は白山妙理権現という神を感得し、その眷属配下といわれる禅師王子、児宮童子、一万眷属、十万金剛童子、五万八千采女、その他天狗などをまとめる身となりました。そして御前峰にとどまり、白峰大僧正という大天狗になって白山全体を守っていることになっています。(ただ平安時代末期の日本の仙人37人をピックアップした本『本朝神仙伝』には、泰澄は仙人として7番目に数えられています)また臥行者は奥ノ院に当たる大汝峰に止住するといいます。そして浄定行者は白山正法坊天狗とな...▼山の楽しみもうひとつ「北陸・白山の御前峰」

  • ▼山の楽しみもうひとつ「北ア立山・雄山のお花畑の由来」

    ▼山の楽しみもうひとつ「北ア立山・雄山のお花畑の由来」

    「北ア立山・雄山のお花畑の由来」【説明概略】立山の山頂付近の高山植物。ここにはもと千蛇ヶ池という池があり、恐ろしい大蛇がたくさんすんでいたという。大蛇は夜になると人里に降りてきては人を殺したり、家畜を盗んだりのし放題。見かねた立山権現は大蛇たちを神殿に集め「いまのようなことをしていると、この世には人間がいなくなってしまう。お前たちだって食べるものがなくなって困るだろう。ここにある草花の種をやるから池のほとりにまいて、芽が出るまで池に潜って待っておれ。そのうちに人間も増えるだろう」と諭しました。なるほど。大蛇たちは種をまいて池に潜りました。立山権現はそれを見すますと、池の上に毎日毎日大雪を降らせ雪の下に永久に封じ込めてしまいました。雪は大雪渓になり、やがて溶けはじめると大蛇たちがまいた高山植物の花が咲きはじ...▼山の楽しみもうひとつ「北ア立山・雄山のお花畑の由来」

  • ▼山の楽しみもうひとつ「北ア針ノ木峠・松本の遊女ものがたり」

    ▼山の楽しみもうひとつ「北ア針ノ木峠・松本の遊女ものがたり」

    「北ア針ノ木峠・松本の遊女ものがたり」【説明概略】針木岳の名は針ノ木峠からきており、後でつけた名だといます。この山を越中側では地蔵岳と呼んでいました。それは峠道にあった遊女を弔う地蔵尊にちなむといいます。昔、松本の地に雛菊という遊女がいました。そこへ越中の若者があらわれ、二人は恋に落ちました。しかし若者は病気になり「故郷の親に知らせてくれ」と言い残し息を引き取ります。遊女は大町の知り合いの若者の案内で越中へ行くため、峠へ向かいました。やがて雨が雪に変わり次第に深く積もりだします。二人は必死に歩き続けますがいつか道に迷い、若者は谷底に滑落。ひとり残った雛菊はなすすべもなくついに雪の峠に散ったといいます。それを知った村人は小さな地蔵を建てたという。ある夏、雪渓を登り針ノ木峠へ。無駄とは思いましたが地蔵を探しま...▼山の楽しみもうひとつ「北ア針ノ木峠・松本の遊女ものがたり」

  • 山の楽しみもうひとつ「奈良吉野義経隠れ堂と静御前」

    山の楽しみもうひとつ「奈良吉野義経隠れ堂と静御前」

    「奈良吉野義経隠れ堂と静御前」【説明概略】吉野・奥千本にある義経隠れ堂。義経に行かれてしまった静御前の名をつけたセンリョウ科の植物ヒトリシズカ。『和漢三才図会』に「静とは源義経の寵妾にして吉野山に於て歌舞の事あり」とあり、またフタリシズカも同書に、「静女の幽霊二人と為り同じく遊舞す」とあります。ある年の正月七日、吉野の勝手明神の神職が女性に若菜摘に行かせました。そこへ静御前の霊があらわれ「経を書いて回向をしてくれ」という。霊は女性に乗り移り自分は静御前だと名乗ります。神職は神社宝蔵の舞い衣装を着せると女性は舞いだしました。やがて亡霊も姿をあらわし二人になって舞いはじめました。「しづやしづ、賤(しず)の苧環(おだまき)繰り返し、昔を今になすよしもがな」。春に吉野で楽しく過ごした義経との昔語りをフタリシズカと...山の楽しみもうひとつ「奈良吉野義経隠れ堂と静御前」

  • ▼もっと山の楽しみ「北ア白馬岳・蓮華温泉のはじまり」

    ▼もっと山の楽しみ「北ア白馬岳・蓮華温泉のはじまり」

    「北ア白馬岳・蓮華温泉のはじまり」【説明概略】戦国時代、北アルプス白馬岳北麓中腹に武士がひとり。越後上杉謙信の家臣で金鉱探索の命を受け各地の山々を巡っていました。武士は村の子供から黄金色に光る石をもらい、金鉱脈がこのあたりにあると確信しました。報告を受けた謙信は早速発掘のため、大勢の人夫を山中に送り込みました。ある日、掘られた穴からお湯が噴き出しました。その後人々はこの温泉を「黄金湯」と呼ぶようになり、いまの蓮華温泉の元になったという。かなり以前、白馬大雪渓から朝日岳経由、五輪尾根を通りやっとたどり着いた蓮華温泉。日焼けの体に熱い温泉が痛くて入れない。息子と二人、洗い場の隅で恨めしく薄めたお湯を浴びるばかり。当時、平岩駅までの道路が工事中でバスに乗っていても腑が飛び出るようなゆれ方でした。・新潟県糸魚川市...▼もっと山の楽しみ「北ア白馬岳・蓮華温泉のはじまり」

  • もっと山の楽しみ「富士山と三猿」

    もっと山の楽しみ「富士山と三猿」

    「富士山と三猿」【概略説明】見ざる言わざる聞かざるの三猿(さんざる、さんえん)の像は、日光陽明門や庚申塔にも刻まれています。これは古代インドから鎌倉時代以降に日本に伝来、絵画や彫刻の題材になったという。また天台の不見・不聞・不言の三諦を猿の形にしたとの説もあります。その三猿伝説が富士山にもあるのです。咲き誇るサクラの花のような木花開耶姫。その美しさのとりこになった男神たちは姫のもとへと通い詰めるのでした。姫はそれを誇りにしている自分に気づきました。花の美しさは散りゆく時。その一瞬のはかない美をこのまま地上で散らしてはならないと考えました。姫は白馬に乗り、富士山に向かいました。途中3匹の猿があらわれ案内したという。開耶姫は山頂に着くと猿たちに向かい「私がここにきたことを誰にもいってはならぬぞ」といい残し、天...もっと山の楽しみ「富士山と三猿」

  • ▼もっと山の楽しみ「箱根明神ヶ岳」

    ▼もっと山の楽しみ「箱根明神ヶ岳」

    「箱根明神ヶ岳」【概略】神奈川県箱根の大雄山最乗寺(さいじょうじ)は天狗で有名なお寺です。ここの天狗道了薩埵(どうりょうさった)は最乗寺守護のため、南方にそびえる明星ヶ岳(924m)に飛び去り、いまもすんでいると伝えます。その北西に明神ヶ岳(1169m)があります。明神とは明星ヶ岳と同じに、宵の明星にちなんだ山名だといいます。このあたりの森は昔から相模(神奈川県)の天狗たちのたまり場で、夜な夜な酒盛りをしていたという。その時の踊りの笛や太鼓の音がよく聞こえてきたと伝えています。昔ある夏の夜、山麓に住むご八という御仁が風呂上がりのまま、行方不明になってしまうという事件がありました。村をあげて山中を探しましたがどうしても見つかりませんでした。それから3年過ぎたある日、お寺から坊さんを呼んで法事の準備をしている...▼もっと山の楽しみ「箱根明神ヶ岳」

  • ▼もっと山の楽しみ「北アルプス白馬岳」

    ▼もっと山の楽しみ「北アルプス白馬岳」

    「北アルプス白馬岳」【説明概略】かつて新潟側から白馬岳に登るには姫川温泉近くの山之坊集落から入り、途中蓮華温泉に一泊したという。この集落には恐ろしい山男の噂が絶えませんでした。ある猟師が怪物退治に出かけました。突如、食い合った杉の枝の間から大男が現れました。猟師の打った弾は怪物からそれ、続いて第2の弾を放ちました。山男はカラカラと笑い「お前の命は預かった」。猟師は家に帰る途中で息絶えてしまったという。猟師には息子がいました。ある日息子は父親の銃をもって白馬岳へ道を登っていきました。やがてあの杉の枝が食い合った場所にきました。枝がバサッと動きました。息子は素早く銃を構え現れた影にねらいをあわせ轟然一発。確かな手応え。全身毛に覆われた大男が倒れていました。それはたしかに白馬岳にすむ怪物らしい。しかし、その正体...▼もっと山の楽しみ「北アルプス白馬岳」

ブログリーダー」を活用して、とよだ 時さんをフォローしませんか?

ハンドル名
とよだ 時さん
ブログタイトル
山のふみあと日記
フォロー
山のふみあと日記

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用